崇永記   作:三寸法師

17 / 202
◆1

〜1〜

 

 

 七月も半ばを過ぎた頃、俺は再び京を離れて近江へ下る準備をしていた。明日の昼頃には六角氏の本拠地である佐々木荘に着く手筈になっている。

 そんな折、暇を持て余しているらしい魅摩が賭場に入り浸る訳でもなく六角邸を訪ねて来た。

 

 

「今回は三月以上は京に戻らないと思う。色々不穏な情勢だから、いつでも動けるように準備しないと」

 

 

「そ。これ、道中食べて」

 

 

 差し出された包みは持ってみると存外軽い。何が入っているのか気になった。

 

 

「イナゴよ」

 

 

「は?」

 

 

「だからイナゴよ。京極(うち)の者に獲らせたの」

 

 

「えぇ……」

 

 

 実に意味不明である。意外にもカブトムシを茹でて食べることが好きな貞宗然り、昆虫食はこの時代においてよく見られる光景であるが、京育ちの魅摩が好むような習慣ではない。

 

 

「何、嫌なの?干物の方が良かった?」

 

 

「嫌って言うか……何でイナゴ?」

 

 

 勿論、俺は昆虫を食べるなど真っ平御免である。遥か先の未来でもハチの幼虫か何かを佃煮にして食べることは知っているが、あくまで知識として知っているに過ぎない。

 

 

「先月、諏訪大社の子たちと遊んだでしょ?あの時の案内のお礼で貰ったのさ」

 

 

「……俺、貰ってないんだけど」

 

 

「当たり前でしょ。あんた何も言わずに近江に帰ってたじゃない。どうせなら一緒に行きたかったのにさ」

 

 

 ぶつくさ文句を言う魅摩は俺の手から取り戻した包みを解いて、中身を取り出す。焼き鳥のような要領で串に刺さったイナゴだ。とても美味であるとは思えない。

 

 

「最初は田舎臭いと思ったんだけどさ。いざ食べてみたら意外とイケるのよ、これが。ほら、口を開けなさい」

 

 

「ちょっ、待っ……うっ」

 

 

「どう?美味しいでしょ?」

 

 

「……」

 

 

 いざり寄って来た魅摩の手により、半強制的に食べさせられたイナゴはサクラエビを思わせる味がした。

 咀嚼しながら口の周りについた節足を拭い取る。そんな俺の顔を見た魅摩はどこか機嫌を良くした様子であった。

 

 

 しかし、すぐに眉尻が下がる。何かあったのだろうかと訝しんでいると、魅摩はおもむろに口を開いた。

 

 

「信濃でさ、反乱が起こったって言うじゃない」

 

 

「……ああ」

 

 

 かつての北条氏郎党にして先の諏訪大社大祝(トップ)であった諏訪頼重が蜂起したという報せは既にこの京にまで届いている。

 しかし、討伐軍を送ろうというような動きは特に見られない。諏訪氏は東国の武神と謳われているようだが、朝廷からは特別警戒するべき相手とみなされていないのだ。

 

 

「信濃の守護は俺の弓術の師、小笠原貞宗だ。あの人の武勇は帝もお認めになるところ。どうせすぐに鎮圧されるのがオチだ」

 

 

「そうじゃなくてさ」

 

 

「では何だ?長寿丸たちが心配か?」

 

 

「……うん」

 

 

 表立っては決して口に出来ないが、心の中においては断言できる。今回の反乱、間違いなく長寿丸もとい時行たちは関わっている。

 動静を遠くから観察する限り、頼重の蜂起は中先代の乱のプロローグであると言えるに違いない。そのうち時行は反政権軍の象徴として担ぎ出されることだろう。

 

 

「長寿丸は寄進集めに回っていると言っていたが、今思えば反乱の資金を集めに来ていたのかもしれないな」

 

 

「なら、乱が鎮圧されたら──」

 

 

「我が師匠は分別あるお方だ。敵だからと子どもまで皆殺しにはしないだろうさ」

 

 

「……そうね」

 

 

 普段は婆娑羅である割に、純情なきらいがある魅摩は先々で待ち構えている乱世でも気丈でいられるだろうか。

 反動、という言葉が頭を過ぎる。この時は気のせいだと思うより他なかったが、案の定あの諏訪大社の衛士の子こそ北条得宗家の生き残りであると知った時、魅摩は荒れた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 この時代のメジャースポーツの一つとして犬追物という競技がある。二十一世紀においては流鏑馬や笠懸とともに騎射三物として覚えるべき鎌倉時代の用語でもある。

 本領に戻って早速、俺は多数の配下たちと共に訓練や練兵に励んでいる。軍の練度は上げられる内に上げておくべきだろう。

 

 

「そこらから集めて用意した犬*1を囲いの中で動き回らせ、馬上から蟇目鏑矢*2を当てて得点を競った末に、競技が終われば煮るなり焼くなり好きにする……うん、ヤバいな」

 

 

「?……肉食なら殿は散々されているでしょうに」

 

 

「青地よ。そういう話ではない」

 

 

 どう考えても犬追物は実態を知った未来に生きる者たちの一部から動物虐待であると非難されかねない競技ではあるが、少なくとも今の俺にとっては大事な訓練の一環である。

 とはいえ、ある意味当然のことだが、訓練後の食事は鹿肉や猪肉にするつもりである。俺はグルメなのだ。

 

 

「しかし、少し見ない間に殿の腕前はますます上達されているご様子。まさか矢を二本同時に放って両方仕留められるとは」

 

 

「いいや、まだまだだ。聞いた話によると、北畠顕家は四本同時に放つらしいぞ」

 

 

「はぁ。ところで、小笠原殿は殿に膂力を強化するよう申されたと聞きますが、そちらはどのように?」

 

 

「……肉や魚介を多く食べ、運動量を増やす他ないのではあるまいか?こればかりは急にどうこうできまいて」

 

 

 この身体はまだまだ完成には程遠い。また、年齢が十分でないうちからの筋力トレーニングは推奨されないという話を聞いた覚えがあるので、どうしても慎重にならざるを得ない。

 武士であるため、いつでも戦場に行ける準備はしているのだが、やはりある種のもどかしさを感じてしまう。

 

 

「それでしたら望月殿に聞いてみては?」

 

 

「……望月?」

 

 

「はい。甲賀郡にそのような者が。勇猛で、膂力は近江でも指折りの実力者です。本家は信濃にあって今回の諏訪の反乱に主力として与しているとか」

 

 

「殿。ご存知ないかもしれませんが、我が軍の馬の一部は望月殿の所領より贖ったものですぞ」

 

 

「……ふむ」

 

 

 馬というのは機動力に直結するだけあって、軍の質を左右しかねない大事な要素である。

 今はまだ糧秣の点検などを馬淵に一任しているが、いつまでもそうしている訳にもいかない。これからの乱世を思えば、俺の把握の元に家臣たちが手配する形に移行する必要があるだろう。

 

 

「馬淵。その望月何某と会って話がしたい。何も望月本家のことを尋ねたいというのではなく、あくまで話題は俺が戦で使う馬についてだ。手配できるか?」

 

 

「は。仰せのままに」

 

 

 かくして俺は望月一族の一部と繋がりを持つ。これが吉と出るのか凶と出るのか今はまだ誰にも分からない。

 ただ一つ言えるのは、これが俺の愛馬との出会いの切っ掛けであったということである。

 

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 数日後、俺は六角軍の皆が行軍における切り返しの訓練をしているのを本陣から監督しつつ、望月とは別に甲賀郡の住人である山中道俊と面会していた。

 

 

「どうだ?我が六角軍の練兵の様子は」

 

 

「壮観です。よくぞここまで鍛えられたものですな」

 

 

「……足利の本軍に混じっても働けそうか?」

 

 

「おそらくは。少なくとも精強なことにおいては京極軍を超えているかと」

 

 

「そうか。ま、茶でも飲むが良いさ」

 

 

 執事が入れた茶が用意される。勿論、俺の分は別にある。

 しかし、陣中の机に置かれた湯呑みを前にして道俊は何やら遠慮している様子だ。

 

 

「茶をお受けする前に、まずは我が党の者の失態をお詫び申し上げなければ」

 

 

「その事なら気にするな。幸い、大事にはならなかった」

 

 

 広く周知されている訳ではないが、道俊はただの国人という訳ではない。俺の働き掛けに応じて結成された忍び集団の棟梁を務める男である。よって、ある意味で馬淵や道誉、果ては父親の時信以上に俺についてよく知る人間でもある。

 

 

「そんなことより、相談があるのだ」

 

 

「何なりと」

 

 

「心強い。そなた、京で出回っているという人相書について知っておるな?」

 

 

「無論。心配の種は北条時行にございますな?」

 

 

 信濃国で蜂起した諏訪頼重はここ二年で蓄えた力を以って小笠原貞宗を撃破した。そして、案の定と言うべきか。いよいよ北条時行が担ぎ出された。

 時行擁する諏訪軍が関東へ進撃したという報せと同時に、発覚したのが後醍醐帝を暗殺せんと図った西園寺公宗の共犯が今は亡き得宗北条高時の弟である泰家だったということである。

 何とも厄介なことに、泰家の人相書が出回れば良いものをどこの誰が手を回したのやら時行の人相書が作成されたというのだ。

 

 

「そうだ。北条時行の人相書は遅かれ早かれ魅摩の元に渡るに違いない。いや、魅摩が人相書に興味を持たなかったとしても、彼女の取り巻きの女どもは別だ。何とかして防がねばならん」

 

 

「……殿」

 

 

「何だ?」

 

 

「もう手遅れかと」

 

 

「だろうな」

 

 

 先日の京における俺や魅摩と時行一向の京都見物は端的に言えば悪手だった。いや、もっと言えば魅摩の賭場に踏み込んだことこそが間違いだった。あそこで時行と再会してしまったがために、今現在の六角は人知れず危機に陥っている。

 まさか京で中先代の乱を起こす前の北条時行を捕縛できただろうか。そんなことをしては、足利の覇業がどうなるか先行きが不透明になってしまっていただろう。

 

 

「道俊。場合によっては俺が責任を取ることになるかもしれん。せっかく忍びたちを育てて貰いながら何と詫びれば良いのやら」

 

 

「いいえ、諦めてはなりません。これまで殿の御命の元、各地に忍び小屋をお作りしました。いざという時にお匿い申し上げることは十分可能です」

 

 

「……だとしても、逃げる訳にはいかぬ」

 

 

 鍛錬のために六角軍の将兵たちが身を粉にする音が遠く聞こえる最中、道俊は力強い目で俺を見て来る。しかし、俺にも出来ることと出来ないことがある。

 

 

「殿!入っても宜しいでしょうか!?」

 

 

「どうした?」

 

 

 家臣の一人が俺と道俊の二人きりであった陣内に入るや否や俺に近付いて耳元で囁いた。

 

 

「申し上げます。道誉殿が来られました」

 

 

「来たか……兵の数は何人だ?」

 

 

「いえ。兵の姿は見えず、御息女を一人伴うのみです。演習中における来客時の手筈通り、近くの御堂で待たせてあります」

 

 

「……そうか。会おう。道俊、手間を掛けるが、近くに潜んでおいてくれ。道誉にそなたの姿を見せる訳には行かぬ。それと、兵が伏せられていないか三里四方を配下や党の者たちを使い、それとなく調べてくれ」

 

 

「承知」

 

 

 早速、正念場がやって来たらしい。執事に念入りに服装を正して貰った後、俺は望月氏の手配によって得た馬に乗り、道誉と魅摩の父娘が待つ御堂へ向かった。

 

 

 

 

 

 

〜4〜

 

 

 

 

 

 一度深呼吸してから御堂の側に控えた兵たちに命じて扉を開けさせる。中に入ると、余裕綽々といった様子で茶を堪能する道誉と全く飲み物に手を出さず不機嫌そうな魅摩の姿が目に映った。

 

 

「お待たせしました。申し訳ないことに、兵たちの調練の最中だったもので」

 

 

「いえいえ、良いのですよ。それにしても良い茶葉だ。今度、分けて貰えますかな?」

 

 

「道誉殿でしたら茶葉の一枚や二枚惜しみ無く差し上げましょう。二年前の借りがありますし」

 

 

「んんん、二年前。はて、何があったか覚えておりませぬな。ここは一つ、拙僧にご教授願いたい」

 

 

 この野郎、と言いたくなるのを俺は我慢した。断言しよう。道誉は確実に京で俺と魅摩が北条時行と顔を合わせていたことを知っている。今の態度で確信した。

 

 

「何を申される。貴方のお陰で、今の六角がある。私はこれ以上なく貴方に感謝しています」

 

 

「その感謝ですが……どうやら形になっていないようだ」

 

 

「どういうことでしょう?」

 

 

「ッ!」

 

 

 ガシャン、という衝撃音が御堂に響いた。驚くべきことに、魅摩が茶の入った湯呑みを真上から叩き割ったのだ。少し見ない間に一体どうやってそんな怪力を身に付けたのだろう。

 勿論、主君の居る御堂の内より尋常でない音がすれば、急ぎ扉を開けて踏み込むのが兵の習いである。

 

 

「殿、どうされました!?」

 

 

「少々手違いがあり、京極の姫君が手に怪我を負われた。直ぐに手当ての用意を」

 

 

「必要ないわよ」

 

 

「……だそうだ。下がって良い」

 

 

「はっ!」

 

 

 護衛兵は異様な雰囲気に困惑して首を傾げたが、黙って主君である俺の言葉に従う。これこそ親衛隊の兵としてあるべき姿と言えるだろう。とはいえ、後のフォローを欠かすつもりはない。

 一方、再度魅摩に目を向けると、どうにも怒り心頭と言った様子である。割れた湯呑みの破片のせいで手から少々出血しているにも拘らず、全く動じていない。大した肝の持ち主である。

 

 

「三郎、あんた……分かってたでしょ。最初から。若ちゃんがよりにもよって、クズ北条の本家本元の子の時行だって」

 

 

「勿論。敢えてヤツを見逃した」

 

 

「あんたっ……!」

 

 

 歯軋りした魅摩は今にも飛び掛かって来そうな剣幕で俺を睨んだ。一方、道誉は興味深そうに俺と魅摩のやり取りを見守っている。要は高みの見物だ。流石は稀代の謀略家と言ったところか。

 

 

「信濃で起こった火花は小笠原を破り、隣の関東へと燃え移った。早くも上野国蕪川にて岩松四郎*3率いる兵一万が敗れたと聞く。だからこそ、見逃した甲斐があるというものだ」

 

 

「……どういう意味よ?開き直るつもり?」

 

 

「前に俺は言った筈だ。じきに尊氏様が天に飛び立つ頃であると。時行の反乱があってこそ尊氏様()帝の掌(籠の内)より出ることが叶う」

 

 

「はぁ?」

 

 

「すなわち、鎌倉奪還を目指す北条時行を滅ぼすという名目さえあれば、尊氏様は軍を率いて堂々と帝のおわす京から離れることが出来る。そうして北条軍を粉砕すれば、尊氏様は名実ともに武士の王になれる……これが俺の狙いだ」

 

 

 それは丁度、劉邦が楚の項羽の本軍から名分*4と共に離脱して秦を滅ぼし、遂には項羽の敵となったのと同じようなものである。

 賭場の駆け引き以外にも教養に通じる魅摩だが、戦略に関してはあまりそうでもないらしい。娘に代わって道誉が口を開いた。

 

 

「千寿丸殿。果たして貴方の思惑通り、帝が尊氏殿をお遣わしになられますかな?」

 

 

「道誉殿、貴殿ならお分かりの筈だ。関東に派遣される武将は他でもない尊氏様であると」

 

 

 朝廷に報告された話なら二階堂のような文官を通じて俺の耳にも入っている。時行の軍には、新政に不満を持つ武士たちが続々と参加しているのだとか。驚くべきことに、それらの中には新田に連なる者たちが少なからず含まれていると言うのだ。

 

 

「そんな現状では新田殿の派遣は無し。加えて、北陸でも名越時兼とやらが反乱を起こした以上、尚のこと。楠木殿は近年の帝の性格からして、切り札として手元に残したいと考えるでしょう」

 

 

 赤松円心は地盤が播磨国で、そもそも建武政権では不遇であった上に、護良親王の失脚をきっかけとして完全にお払い箱になって地元に帰ったので、まずあり得ない。

 このような現状で他に誰が居ると言うのだろうか。

 

 

「坂東一の弓取りと謳われる宇都宮公綱殿は如何か?関東の地形を熟知している上、四天王寺での一戦をご存知でしょう?彼の方は楠木殿に比肩する実力を有している」

 

 

「宇都宮殿……確かに実力的には十分過ぎる程でしょうが、尊氏様ほど朝廷で信望を得ている訳ではありますまい」

 

 

 結局、いくら実力があろうとも朝廷での信頼を十分に勝ち取っていなければ、討伐軍総大将にはなり得ないのだ。

 その点において尊氏に並ぶのはそれこそ楠木正成くらいではないだろうか。新田義貞がやっと彼らに準ずるレベルだろう。

 

 

「なかなかによく考えていらっしゃるようだ。しかし、そもそも派遣自体がない場合も十分考えられるのでは?」

 

 

「つまり、鎌倉将軍府が北条軍を退けると?」

 

 

「ええ。直義殿が統括する関東庇番は足利一族の名門が揃っている。半年以上前に鎌倉へ行かれた際、彼らと顔を合わせたでしょう?千寿丸殿は彼らが諏訪の軍に負けると?」

 

 

「……では道誉殿。時行の乱を聞いての直義(執権)殿の初動は如何に?貴方であれば、師直殿から何か聞いている筈」

 

 

 案の定、道誉は天狗党を使って把握していたであろう師直を情報源として鎌倉将軍府の対応について知っていた。

 

 

 鎌倉将軍府において執権の座にある直義は庇番六番組筆頭吉良満義の報告を聞き、鎌倉防衛のため即座に決断した。

 すぐに動かせる鎌倉の守備兵に目をつけ、一番組筆頭にして義弟の渋川義季を総大将に任じ、二番組筆頭岩松経家を副将として派遣したのだと言う。どちらも猛将の中の猛将であり、個人の武勇において恐らく父時信をも凌ぎ得る程である。

 勿論、他にも猛将はおり、五番組筆頭石塔範家はその最たる例であろう。手合わせをしたのだが、どう考えても時行の郎党においては文武共に第一と言えるであろう吹雪さえ凌ぐ腕前を備えていた。

 

 

「他にも参謀役として貴方の再従兄弟に当たる寄騎の斯波殿が従軍している。如何ですかな?勝敗の行方は」

 

 

「……開戦場所にもよりますが、恐らく鎌倉軍の負けでしょう」

 

 

「ほう。理由をお伺いしても?」

 

 

「執権殿の対応は兵法の禁じ手を犯しています。上野や武蔵で敵の数が増えぬ内に対処しようというお考えでしょうが、強敵相手に兵力を割いて送るのみでは、徒らに損害を増やすだけでしょう」

 

 

 反乱軍は畿内の戦でも主力として活躍できるであろう小笠原軍を破る時点で尋常ではない。

 最早、北条軍は手近で動かせる兵だけではどうにもならない領域にまで達しているのだ。岩松経家の勇猛さや斯波孫二郎の軍略があっても、限度があるだろう。

 

 

「……お見事です。嘆かわしいことに、武蔵国高麗郡女影原において渋川殿や岩松殿をはじめ、斯波殿を除く主だった者たちは皆あの世へ行かれました」

 

 

 やはり道誉は知っていた。そもそも朝廷で持ち上がった議題が近江の俺に伝わるまでの時間があれば、迅速に動く天狗党を管理しているに違いない師直が仔細を確認するには十分である。

 結局、道誉は俺を試したのである。どれだけの考えを持って時行を見逃すという背信行為に俺が出たのか確かめるために。

 

 

「千寿丸殿。貴方の読み通り、尊氏殿は弟君救援のため兵を動かします。これが師直殿からの書状です」

 

 

「……謹んでお受けします」

 

 

「では、お改めください」

 

 

 胡散臭さで溢れた笑みを浮かべる道誉から受け取った書状にあった記述を確認するうち、俺はあまりに素っ頓狂な内容に目を白黒させた。

 

 

「道誉殿。本当に師直殿がこれを?」

 

 

「はい。何かおかしな点でもございましたか?」

 

 

「……いえ、全てこの書状通りに手配致しましょう。ところで、道誉殿はこれから如何に?最終的に尊氏様と共に京の軍と戦うのであれば、魅摩は後方にでも従軍させるのですか?」

 

 

「そのことですが、軍の支度は長子の秀綱に任せ、拙僧は魅摩と共に庶民のふりして鎌倉へ参ります」

 

 

「……は?」

 

 

 まるで意味が分からない。敵の武将を調略するため鎌倉に潜入するにしても、娘を同伴させる必要はない筈である。混乱した俺に対して、道誉は口角を上げたままであり、魅摩はどこか不貞腐れた様子で片膝を立てている。

 

 

 六角軍大将として足利軍に参じた俺が鎌倉大仏殿が倒壊したことを知ったのは、東海道を東へ進んでいる時のことだった。

*1
諏訪では接待用に調教された赤犬も用意されている

*2
音を立てるための矢で殺傷力は低い

*3
関東庇番二番頭人岩松経家の兄

*4
劉邦の場合は別働隊としての咸陽攻略

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