崇永記 作:三寸法師
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〜1〜
とはいえ、義詮が遅かれ早かれ京に居住を移す事は十分察しが付くだろう。何せ義詮は本当に室町幕府二代将軍になるのだから。
かなり後年の話になるが、義詮の墓は京都嵯峨野の宝筐院に設置された。どうした訳か、その直ぐ隣に葬られている武将こそ──
「楠木
「……いえ。暫くは落ち着いて状況を静観なさるべきかと。
「……どういう事だ?」
十二月に入り、鎌倉の
渋川
武士の生態について探求し始めて多くの年月が経ち、京の直義からお墨付きを得るほど政務に励んだ。そうした経験が役に立とうとしている。直接の対戦経験を欠くとも、若くて模範的な大将の楠木
「当初は
「……
「
「……いや、分からんぞ。
足利義詮は自他共に認める凡庸である。そのため、弱冠の若さにして自身の根本的な成長を諦め、一つのポリシーを定めた程だ。
「義理」と「道理」を重んじ、自分を助けた者が困れば助けてやるという極めて簡単なポリシーである。関東在住の間、
「では、桜井の別れについて噂をお聞き及びでしょうか?」
「あ、ああ……楠木正成が絶望的な戦の前に、摂津国桜井宿で息子の
「
まるでその弱味を突くが如く、上杉
義詮は幼少の日を思い出し、声を震わせた。悔やんでも悔やみきれない。凡庸な己の我儘のせいで能臣を失ったトラウマが蘇る。
「
「よくぞ明察なさいました。
「しかし、
「仰る通り。されど、
「!」
果たして事態は関東で上杉
軍神の再来・楠木
〜2〜
忸怩たる思いを抱いていた。
南朝の差配に驚いたのだ。
「まさか……河内国、紀伊国から二万騎を四条卿のために」
「兄者。これならまだ公家衆を率いて後方に居られた方が──」
「マシ……だったな」
「はい」
「あああああ!」
さしもの状況だ。従兄弟の和田賢秀が酷く癇癪を起こし、机上にある土製立体地図模型を壊しても、楠木兄弟は全く注意しない。
それだけ、四条隆資が紀伊国や河内国の野武士たちを率いるべしという南朝の決定は立腹ものだった。ましてや
「兄者……四条卿が搦手なら、親房卿はどう動かれるので?」
「……興良親王を奉じ、後詰めとして出陣なさるそうだ」
「やはり……そうなりますか」
陣営に微妙な空気が漂っている。
興良親王と言えば、亡き護良親王の遺児だ。数年前は関東併呑を狙った
「
「……賢秀。それの何が不満だ?京、ひいては天下の政治を司る技能は我らの専門外。勝利の後は何がどうあれ、そうなっていた」
「
「また、何だ?」
「あいつらのせいで、勝てる戦を落とすなんて御免被ります」
「……」
今度ばかりは口を慎めという言葉も出て来ない。
兄の様子を見かねてか、弟の正時が状況打破のために提案する。
「兄者、我が軍は言うに及ばず、敵も態勢の立て直しに追われていると聞きました……どうせ次の戦までに時間を要するのでしたら、いっその事どうでしょう?吉野まで顔を出しに参りませんか?」
「吉野に?いや、それは幾ら何でも……皆が危険に」
敵方の忍びに
住吉合戦で天王寺を制圧の楠木軍に隙ありと見て、師直が素早く奪還を目指して急襲する。この筋書きは十分にあり得よう。
「大事ございませぬ。万一そうなっても、予め伏兵を置いて師直を討ち取れば良いではありませんか。師直は強気でしょうが、我ら楠木軍の伏兵には恐れるところがある筈です。麾下の兵卒は尚更に」
「一理あるか……分かった。帝への別れの挨拶と言えば通る筈だ」
「御意。早速準備を。兄者、同道させる兵力は──」
「三百余騎。折角だ。途中どこかで正儀に会おうか。正時」
「はい!」
古典『太平記』によれば、
だが結局、それで状況が良くなる事は無かった。むしろ後村上天皇の激励を受け、
〜3〜
宗良親王の歌集『李花集』には、
どうやら宗良親王の意思は相当固かったらしい。股肱之臣の香坂高宗の制止を幾度も振り切り、木曾路を西に向けて進んでいた。
「殿下……殿下!お待ちを!」
「何度止めても無駄だ。香坂、余は吉野政権と合流する。急ぎ帝の御許可を得て、南朝軍の大将として出陣しなければ……楠木の子らが危ない。敵の軍勢ではなく、南朝の公卿たちに潰される!最も厄介なのは
「ち、親房卿が……?」
香坂は戸惑う。親房の嫡男が亡き顕家であった事は、当然ながら香坂も知る話である。その顕家が生前、後醍醐天皇の無茶な指示で半ば使い潰されたようなものである事も。顕家の父がそのような無体をするものなのだろうか。道理に反するとしか言い様がない。
しかし、宗良親王は首を横に振った。だからこその話なのだと。
「知己よりの近況報告ではっきり分かった。親房は最愛の息子の顕家が死んで、可笑しくなってしまった……親房は南朝武士を使い捨てる事に躊躇がない!若手公卿の顕家さえ、
「そうかもしれませんが……道中は危険です。この木曾路は小笠原家の勢力圏。抜けても、今度は土岐一族の目が光っております」
「左様な危険……余は危険と思わぬ。合戦に比ぶれば」
「殿下、もっと良い策がある筈です!楠木様の連勝で南朝に再び追い風が吹いております!殿下を置いて、東国でその旗頭になれる者など居りますまい!東国で新田党や北条党を纏め、小田氏らの諸大名を殿下の軍に組み込み、鎌倉を獲るのです!そうすれば、足利幕府は楠木軍のみに神経を集中できなくなります!殿下が西国の南朝勢と合体するより、むしろ効果を得られるのです!ご明察を!」
「香坂。余はもはや……もはや東国に希望を見出せぬ」
「!?」
振り絞るような宗良親王の言葉に香坂は衝撃を受けた。普段の宗良親王が穏やかで気さくな性格だからこそ、その衝撃は絶大だ。
この数年の間、東国の南朝勢力は見る影もなかった。今でこそ楠木軍の吉報が轟いているものの、それに靡いて南朝に転向する勢力自体は雀の涙以下の極一握り。歯痒さが極限にまで達している。
「詠もうか。きそち川、うつたへ瀬々のなみならは、行めくりてもたちかへらまし……これが余の決意だ。香坂、止めてくれるな」
「殿下!まだ、まだ諦めるには早うござります!」
「結局のところ、関東諸国は上杉憲顕が統制し切って、今や新田兄弟の出る幕さえ見当たらぬ。この信濃国も、小笠原家は代替わり後も盤石の気配は不変。頼みの綱の諏訪氏すら北朝に膝を屈した」
「しかし……しかし、まだ時行殿が!」
「
「殿下……」
(あのお優しい殿下がここまで……自分が、自分が情けない)
「……すまぬ。汝を責めている訳ではない。汝は大河原でよく余を支えてくれたな。感謝しても、し足りぬ程に。いつかまた大河原を訪れよう。今はその日までに大業が成っている事を願うばかりだ。それと香坂、これは肝に銘じて欲しい。日々の塩分量に留意せよ」
「……は!」
最後に普段の気遣いが見え、香坂は涙に目を浮かべた。この後、宗良親王は美濃国へ入った。土岐
ここまで来たのだ。もはや信濃国に帰る事は容易ではあるまい。
宗良親王には前進しかない。そう思って西へ西へ進んだ時だ。
「お待ち申しておりました、殿下。小笠原殿より連絡があり」
「汝は……!?」
「土岐
「くっ!」
まさしく絶体絶命である。北朝武将はあろう事か、親王弑殺に躊躇いが無いらしいという噂である。護良親王だけではない。数年前に元建武政権の征夷大将軍・成良親王も弑されたのではないか。
そんな突飛もない噂は異母兄弟の宗良親王の耳にも届いている。
「大人しくお縄につかれよ。さすれば手荒な真似は致しません」
(こんな……こんなところで捕まる訳には)
──ドン!
「「!?」」
不意の爆発音と共に周囲一帯を煙幕が覆う。宗良親王はすぐに分かった。
案の定、耳元に囁きがあった。聞き馴染みのある
「殿下、此方へ。御無礼致します」
「!」
親王ながら大の大人の筈がくノ一・夏に抱えられ、その場を即座に退去する。幾らか遅れて煙幕が
抱えられたまま、南へ行く。どうやら東は敵の警備兵で充満しつつあるため、夏をしても人を抱えた状態では突破不可能らしい。
程なくして安全地帯の茂みに到着すると宗良親王は降ろされた。
「礼を言う。それと、すまぬな……一言も無しに」
「いえ。主君より言伝を預かっております。自分たち武将が不甲斐ない故、殿下に無理をさせてしまったと。後顧については──」
「お、居た、居た。やっと追い付いたぜ」
「玄蕃、意外と早かったな」
「ケケ、土岐の甥っ子が無理に追おうとしなかったからな。不破関や伊勢国の国境の警備を強化するらしいぜ……ご苦労なこった」
「ああ……殿下。畏れながら、もはや吉野行きは困難かと。南へ迂回しましょう。東海道に入って駿河国へ。今から緊急で道中の南朝勢力に渡りをつけます。殿下、ご希望の勢力はございますか?」
「……ならば熱田大宮司を頼ろう。一旦、尾張国へ向かう」
美濃国で諦めて方向転換せざるを得なくなった後、宗良親王は尾張国犬山経由で鳴海に到着。そこで暫くの間、逗留したという。
隙あらば、海を渡って伊勢国へ入り、吉野に向かうつもりであったのかもしれない。だが、現実には歌を残すのが精一杯だった。
──山路よりいそへの里にけふはきてうらめつらしきたひころもかな
「なぁ、夏。殿下の歌の意味、分かるか?」
「刺身を食べる邪魔をするな。私に歌意を尋ねられても困る」
「だよなぁ。恨め辛しき……か」
「流石に『浦』と『珍し』だと思うが……熱田大社から誰か見繕って聞いてみるか?あそこなら歌に詳しい神職がさぞ多いだろう」
「夏……それはそっちで頼む。俺は西へ行って、ちょっくら暴れてみるわ。土産話を聞けば、殿下も鬱憤が晴れて御笑いだろうよ」
「……あまりやり過ぎるなよ?天狗に捕まったら笑えない。京女にも気を付けろ。聞けばお前、十二年前にも前科があるそうだな」
「分かってる。適当なところで引き揚げるさ」
変事はこれだけに留まらない。この六日後には持明院殿近郊が炎上して、高
幕府軍が若き敵将・楠木