崇永記   作:三寸法師

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◆1

〜1〜

 

 

 貞和三年(西暦1347年)十一月二十七日、敗戦から一夜明けて俺はやっと京に辿り着こうとしている。いっその事、少し遠回りして近江国に戻ろうかとも思ったが、それでは有りもせぬ翻意を探られかねないので、止めにした。今、京は敗報のためピリピリしているに違いない。

 そしてそれは案の定だった。途中、関所で兵に呼び止められる。

 

 

「お待ちを!その装備、名のある大将とお見受けするが──」

 

 

「状況が状況です!素性の提示をお願い申す!」

 

 

「……近江国守護・佐々木氏頼(大夫判官)。京でこの顔に見覚えあろう」

 

 

「「ッ!」」

 

 

 頬当てを外し、顔を晒す。途端に関所勤めの兵たちが畏まった。

 俺はよく京で検非違使として勤める。しかも、名門一族の若き惣領で近江国の守護だ。京周辺の武士なら顔を知っているものだ。

 

 

「必要なら扇でも刀の鞘でも改めるか?家紋(四つ目結)が入っておるぞ」

 

 

「いえ、失礼しました。佐々木様、道すがら野伏などは──」

 

 

「心配痛み入る。大事無かった……金子、払った方が良いかね?」

 

 

「そんな、滅相もない!後でお叱りが!」

 

 

「はン。意地の悪い事を言った。落ち着いたら、お前の上役に礼を言っておこうか……多分、俺が敗軍最後の武士だ。後から参る者は漏れなく敵の間者の可能性を疑っておいた方が良いぞ。ではな」

 

 

「承知!」

 

 

 きっと正行(まさつら)はいざ京攻めを志向とするとなれば、周到に準備し直す筈だ。楠木軍の強さを考えると、ただ京を攻め落とすだけなら、間髪置かず雪崩れ込むのもアリだろう。たとえ寡兵のままでも。

 だが、現実には様々な難問に対処しなければならない。考えるのも腹立たしい話だが、尊氏様を討てば終わりという明快な話はあり得ないのだ。仇討ちのためと反撃されるのを防ぐため、直義など親族たちを一斉に潰しておく必要がある。また、持明院統の皇族たちの身柄を纏めて確保しなければならない。各寺社に送り込まれている人員も含めれば、取り零しは九割九分生じる。はっきり言って無理難題だ。クリアするにも今の南朝では絶対的に数が足りない。

 尤も、数の問題は楠木軍の連戦連勝──言い換えれば俺たち室町幕府討伐軍の連戦連敗──の結果を振り翳せば、早晩何とかなってしまうだろう。リスクを無視し、ビッグウェーブに乗って身を立てられると考える夢想家たちが出現する筈だ。正行(まさつら)は名将だ。彼らをモノにするための調練を短期間で終わらせる可能性は十分ある。

 雑念が次々生じる。非常事態である。八月上旬以来の京の街は騒然としている様子だった。無理からぬ事だ。原因は自明だろう。

 

 

「兄上!ご無事でしたか!」

 

 

直綱(四郎)。まさか……身体を休めず、ここで待っておったのか」

 

 

 弟・直綱(四郎)との予想外の再会で、俺は安堵と戸惑いの声を出した。

 数え齢二十二の身であるが、どこか()()()()()ものを感じる。

 

 

「はい……他の皆は屋敷に戻っております。帰りましょう」

 

 

「ああ」

 

 

 殊勝な弟の直綱(四郎)と馬を並べ、六角邸を目指す。装備が装備であるために住民たちの視線が痛い。腫れ物を触る、もとい見る目だ。

 居た堪れない気持ちになる。何故に勝つ事が出来なかったのか。

 

 

正行(まさつら)は……ありゃ九月より強かったな」

 

 

「そうでしたか……よくぞ生き延びられました」

 

 

「確かに死ぬつもりだった。だが、直前でお前の顔が浮かんだ」

 

 

「……兄上」

 

 

「正確にはお前と定詮(五郎)だ……いや、この話は良い。楠木正行(まさつら)を排除しない事には後も何もあったものではない。兎に角、安心した」

 

 

 再び敗けても直綱(四郎)を失わずに済んだ事は、不幸中の幸いだろう。

 藤井寺の戦いで後継代理の光綱(六郎)が討たれたがため、俄かに後顧の憂いが生じていたのだ。誰に家督を継がせるのかという問題だ。

 もしかすると俺も直綱(四郎)も死んで、十月(先月)より近江国で留守を預かっていた次弟の定詮(山内五郎)が、相続権を復活させて家督継承……この方が丸く収まっていたかもしれないとも思う。ただ、この場合だと道誉がどのように動いたものか。本気で怪しくなってくる。あまつさえ(山内)(五郎)は以前から家中随一の反京極派の座に躍り出ていたのだから。

 

 

「兄上。憚りながら──」

 

 

「御二方、ご歓談中失礼します」

 

 

「ッ!」

 

 

「……師冬殿か。御父君がお呼びなのだな?」

 

 

「ええ。我が義父はお怒りです。直ぐのお越しをお勧めします」

 

 

 かなり久々となる師冬(高播磨守)の仮面から覗く視線は、心配の欠片も感じさせない冷淡なものだ。前々からの本人の性質以上に、討伐軍の連戦連敗の影響を思わせる。完全に敗将だと見下されているのだ。

 正行(まさつら)の強さも体感せず、よくもまぁと思わないでもない。だが、俺はその思いをぐっと胸の内に仕舞って、弟の直綱(四郎)の方を見た。

 

 

「と言う訳だ。先に帰っていろ。長くなるかもしれない。先程何か言いかけていたが、何かあるのか?折角だから手短に聞こうぞ」

 

 

「いえ、思い直しました。私如きが申すべき事ではないでしょう。他の郎党たち共々、お早いお帰りをお待ちしております。兄上」

 

 

「ああ……では、師冬殿。案内を頼み申す」

 

 

「……此方へ」

 

 

 古代中国ではないのだから、敗けたからといって流石に処刑されやしないと思うが、厳罰は覚悟した方が良いかもしれない。黒血川の戦いと違って敵と戦った末、何の成果も得られなかったのだ。

 最悪の場合、守護国や官位の没収か。下手な言い逃れが師直(高武蔵守)に通じなければ、その可能性は大いにあり得る。師冬(高播磨守)より半馬身ほど後ろを進みながら、俺は忸怩たる思いで高師直(武蔵守)の屋敷へ向かった。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 師直邸への道すがら、俺と師冬(高播磨守)は只の一言も交わさなかった。

 楠木正行(まさつら)という若い武将に敗れたせいで、見下されているのか。

 正直言って、そんな心持ちでは三年前に南朝の知将・春日顕国を破りし名将として天下に名を馳せている師冬(高播磨守)であろうと、楠木正行(まさつら)の餌食になりかねないのではないかと危惧せざるを得ない。よくもまぁ細川顕氏(陸奥守)や山名時氏(伊豆守)が敵わなかった武将を見下せるものだ。

 順当に考えれば、正行(まさつら)は若年にして仮に幕府武将たちの面々に混ぜたとしても、正真正銘の大エースとして君臨できる実力の持ち主と見做すべきだろう。それが現実には南朝武将として我ら室町幕府の前に立ちはだかっているのだ。本来、油断は禁物である筈だ。

 

 

「義兄上。お勤め御苦労様です。今、父上は台所に居られます」

 

 

「……承知しました。武蔵五郎*1殿」

 

 

 屋敷に入ると、師冬(高播磨守)に向かって幼少の義弟──数え九つで、師直の実子であるという武蔵五郎──が声を掛ける。師直(高武蔵守)の子にしては品の良さげな顔立ちだが、恐らく母親似なのだろう。師直(高武蔵守)大臣(二条道平)の身内を攫って産ませたという噂だ。考えたくもない話であるが。

 師直(高武蔵守)は合理主義者だ。実子(武蔵五郎)を差し置き、既に師泰(高越後駿守)の娘婿となっている猶子・師冬(高播磨守)を軍功重視で次代の将軍執事にというのも夢想のシナリオではない。だが、それは乱世であればという条件付きだ。

 治世であれば、母の縁故で公家に顔の利きやすい武蔵五郎の方が有利だろう。たとえ代々の西国武将の俺が、師冬(高播磨守)と公家の間を取り持つにしても、縁戚関係のある武蔵五郎には及ぶまい。もし師直(高武蔵守)が次の高一族の棟梁を従四位以上にと望むなら、武蔵五郎を後継者に選ぶ筈だ。母方の実家・二条家とて誘拐の恨みを呑み込んで後押しするだろう。公家とはそういう生き物だ。何だかんだ利に敏い。

 武蔵五郎の姿が見えなくなったところで、俺はやっと開口した。

 

 

「武勲で更にのし上がる気なら、次の戦の軍功は欠かせんぞ」

 

 

「貴方に言われなくても分かっています……滅多な事を言わないで下さい。よりにもよって左様な事をこの屋敷で開口一番に──」

 

 

「はン。何故だか、お前が危うそうに見えたからな」

 

 

「……氏頼(大夫判官)殿。私を危ぶんでいる場合ですか?」

 

 

「確かに」

 

 

 師冬(高播磨守)の案内で師直邸の台所に立ち入ると珍妙な絵面に出会した。

 包丁とまな板の衝撃音に面食らう。素人目にも見事な手際だ。

 屋敷の主人が台所で家人らしき男──後で聞いた話によると大草三郎という名で屋敷の料理番──にあれこれ指示を出している。

 師直(高武蔵守)は木刀を持っており、如何にもスパルタ指導という様子だ。

 

 

「義父上。佐々木六角殿をお連れしました」

 

 

「苦労……大草、お前は調理を続けろ。後で味を見る」

 

 

「は!」

 

 

 世間から老将と呼ばれる齢になりつつあるが、完璧執事・高師直(武蔵守)は健在だ。今頃、尊氏様の周辺──最たる例はきっと副将軍の直義とその愉快な仲間たち──は右往左往しているだろうに、師直(高武蔵守)は動揺の欠片もなく、合間を見て自宅で料理人の育成に励む始末だ。

 師直は相変わらず厳つい顔で俺の方をギロリと見る。大草某が土間で調理している直ぐ側の板場で、俺との面談を行う気らしい。

 

 

「座れ、氏頼(大夫判官)

 

 

「あい」

 

 

 幼少の頃からかれこれ十年以上知り合っている仲だ。何というべきだろうか、思わず学校の先生に対する距離感で話してしまう。

 勿論、師直(高武蔵守)は将軍執事であって、俺の先生ではない。正確な関係性は兎も角として、向こうは己が上司とでも思っているだろう。

 

 

「よくも将軍烏帽子子という立場でおめおめ逃げ帰ってきたな」

 

 

「……恥じております」

 

 

「お陰で、尊氏様がとばっちりで敗戦の汚名を浴びないよう情報操作せねばならなくなった。余計な手間を掛けさせおってからに」

 

 

「は。申し訳ございません」

 

 

 渡辺橋を越えた後、()()()()だと思って後方を注意し、楠木軍の更なる追撃がないか警戒しながら、この京まで辿り着いた経緯があるので、師直の言い分は釈然としないところが正直ある。しかし、今は反省のポーズを取らないと後がマズい。下手すりゃ破滅だ。

 まず間違いなく総大将の細川顕氏(陸奥守)は守護国の幾つか、あるいは全ての没収という運びになっている。現在、俺にとって大事なのは、顕氏(細川陸奥守)を支える立場にあった守護大名──近江国守護の俺や摂津国守護の赤松範資(信濃守)──に如何なる処分が室町幕府から下されるかだ。

 

 

「今、弟殿の周りは忙しい。楠木軍が勢い余って淀川を渡る事だけは回避できたと分かり、再戦に向けて軍勢を集める時間的猶予があると判断したからな。今日は大慌てでどの国の何という者に軍勢催促を行うかの整理をしている。明日にも各地の北朝武士たちにそれぞれ文書が発行される運びだ……で、俺の仕事は何だと思う?」

 

 

「次の戦で動員する北朝武士たちの目録が副将軍(直義殿)の派閥で出来上がり次第、楠木軍対策の具体化をなさるのでしょうか。どの地で再戦に持ち込むべきか、そこで如何に軍を動かすか、部隊の編成をどのようにすべきかお決めに……それと、将軍の役職任命権の補佐」

 

 

「そうだ。恩賞を出すに及ばぬからな。ある意味、楽だ。今し方はそこにおる我が館の料理番・大草三郎の指導をしながら、この幾月の幕府軍の連戦連敗の原因分析を頭の中で行っていたところよ」

 

 

 えげつない皮肉だ。俺は内心、辟易する。いつまで師直(高武蔵守)は余裕を保っていられる事やら。悔しさとはまた少し感情が煮えたぎる。

 楠木正行(まさつら)と真正面からぶつかれば、師直(高武蔵守)と言えど足元を掬われかねない。その事を分かっているのだろうか。甚だ怪しいものだ。

 

 

「これ程の敗戦だ。役職について何らかの見直しを行わなければ、幕臣たちに示しが付かない。尊氏様は仰せだった。次の戦で総大将となる師直(将軍執事)が総合的に判断し、推薦せよとな。分かるな?氏頼(大夫判官)

 

 

「は……」

 

 

 ここが運命の分水嶺だ。尊氏様の肝入りで師直(将軍執事)が判断し、それを尊氏様が全面的に受け入れて役職任免権を行使する運びなのだ。

 どんな結論でも、公的に文句を挟む事はできない。俺は尊氏様の烏帽子子でありながら南朝軍に負けた身だ。抵抗の余地は無い。

 

 

(顕氏)の河内国及び和泉国守護職は没収する。だが、氏頼(大夫判官)。お前の近江国守護職は据え置く。没収免除の理由は三つ。第一、楠木軍との戦で三弟……光綱(六郎)とやらを失った事を汲んだ。第二、藤井寺の戦い以降暫く、赤松たちと天王寺を確保していた働きがあった。第三、住吉の戦いで方針を巡って軋轢があったにも拘らず、どこぞの豚と違って戦の途中からでも劣勢を跳ね返さんと戦い、大将・山名時氏(伊豆守)を討たせなかった功績は軽からず。以上三つを鑑みての措置だ」

 

 

「……寛大な仕置きに感謝します」

 

 

 豚カツ改め豚平焼き──三ヶ国守護であった筈の顕氏(細川陸奥守)──については溜飲の下がる思いがなくも無いが、それは今どうでも良い。

 連戦連敗であっても、先祖代々の近江国守護職が維持できただけで不幸中の幸いだろう。もし九年前の春のように再び分家の京極(佐々木)(佐渡)(判官)に奪われる事態になっていれば、死んだ(時信)に顔向けできないところであった。家中で不満が抑えきれないほど噴出し、南朝転向を勧める声が上がっても、何ら可笑しくなかった。それらの不安を回避できたのだ。一先ず安堵するべきだろう。勿論、心の底からだ。

 

 

「礼なら安保直実(肥後守)や土岐頼明(兵庫頭)にも言っておけ。彼らからの口利きが無ければ、俺とてお前を庇うが如き人事は難しかった。とはいえ、直接考慮した訳ではないが……お前が将軍の加冠を受けている事も当然、頭の片隅にあった。だが、よく肝に銘じろ。次は無いぞ」

 

 

「……御意」

 

 

 これで佐々木惣領の俺が完全に将軍執事・高師直(武蔵守)の格下になってしまった。ただ、観応の擾乱が残り数年で始まる頃合いである。

 いつ迄もこのままで収まる気はない。師直も直義も居なくなった先の世で、俺が尊氏様の一番になれば良い。幕府の重役は細川氏でも斯波氏でも畠山氏でも任せるが、最強武将は何が何でもこの俺であるべきだ。正行(まさつら)を討った武将、もしくは更にそれを討った武将を南北朝の動乱に紛れて討ち取れば、敗戦の名誉挽回は成る筈だ。

 そんな裏の心を察知されていたのか定かではない。ただ一つ言える事は、美味い話の裏には必ず裏があるというこの世の道理だ。

 

 

「次の戦についてだが──」

 

 

「は!」

 

 

「お前は兵を率いなくて良い。俺の護衛だ。本陣に居ろ」

 

 

「……え」

 

 

 呆気に取られるとはまさにこの事。近江国守護職の継続を保証しながら、あたかも一介の護衛兵扱いとは、師直(高武蔵野)は何のつもりか。

 頃合いよく大草某の手で切られたうどんが茹で上がったらしく、ついでに食べてみろと渡される。何の味も風味も感じなかった。

*1
後の高師夏。

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