崇永記 作:三寸法師
〜1〜
本人の邸宅で行われた
しかも、敵将は幾ら父親譲りの才覚があったとはいえ、幼馴染の楠木
「殿!お戻り、祝着に存じます!」
「
「は。出来ております……ただ、客人が。今は
予告せずとも従来の帰宅時の手筈通り、風呂の用意ができていると知って安堵したところで、思わぬ話を告げられる。俺は配下の
京の様子から察するに、貴賤を問わず住人の誰もが我ら討伐軍が敗れて帰った事を知っている筈だ。そんな状況で俺を訪ねるとは、空気を読まないにも程がある。南朝公卿ならいざ知らず、北朝公卿にそんな輩が居るとは思えない。なれば、武将の誰かと見える。
「客人とは誰だ?まさか──」
「……京極様です」
「あの腹黒、何しに……まぁ、良い。風呂は後だ。会おう」
嫌な予想が当たるものだ。ここぞとばかりに
確かに先程、将軍執事の
敗戦後なので直接追求するのは取り止めるが、
俺は屋敷の門を潜り抜ける。庭先では少なからずの負傷兵が手当てを終えて筵の上で寝転がっていた。彼らは、帰ってきた俺の姿を見るや否や、痛みに構わず自分たちの居住まいを正そうとした。
「そのまま……そのまま」
「「「は!」」」
「殿様!……今、御馬を連れて行かせます」
「
既に男名で法体姿が馴染んで久しい
一瞬、
しかし、直ぐに同じ話だと思い直した。たとえ一騎当千の武力を以てしても、今の楠木軍に通用しない事は、我が同族の野木与一の訃報を鑑みれば明白だ。
「
「うん……でも、殿様は単騎でも帰って──」
「慰めは不要だ。それより早く客間へ向かう」
「……御意」
途中、一緒に京に帰った馬が、下人に綱を引かれ、厩舎の方へ連れて行かれる。馬は騎馬武者の生命線だ。たっぷり馬草を食べて、身体を休めて貰おう。再戦の日は馬の帯同のみ許可される筈だ。
客間へ足を運ぶ間、俺は先程の
『お前は兵を率いなくて良い。俺の護衛だ。本陣に居ろ』
「……ッ!」
悔しくて仕方ない。次の戦で俺は兵の帯同を許されないのだ。
勿論、正確に言えば、別件で六角党の動員が必要となる。だが、それも率いるのは俺ではない。他の者に委ね、俺は護衛任務だ。
尊氏様ならまだしも、
「亜也子。ここからは俺一人で良い。お前は下がれ」
「……殿様?」
「
「は!」
戸惑いを呑み込んだ様子の亜也子はさて置き、問題は
大方、客間には
無論、感情は得てして思考と別個のものだ。その事は俺が最もよく知っている。迸る感情を予め抑えておく。どこまで本音を隠し切れるやら。腹芸は出来なくもないが、稀代の
そう思って、予め控えていた小姓たちに客間の襖を開けさせた。
〜2〜
何か言われるかもしれない。六角邸の客間へ足を踏み入れた館の主人──佐々木一族嫡流・六角氏の当主──である
私は勿論、親父もゴクリと息を呑んだ。私たちの狙いは畏怖と恭順の姿勢を示す事だ。どう挨拶しても、
実際問題の話、
「宗家。無事のお戻りをお喜び申し上げます」
「喜ぶ……はン。喜ぶ……無事?」
「それと……改めて弟御・
「……チ」
一瞬、
いつ迄も親父の話しっぱなしにする訳にはいかない。私は恭しい態度を示した。立場上、私は未だに
「廷尉様。非常事態である事、私もよく承知しております」
「続けよ」
「早速ですが、ご裁断願いたい事が……ご存知の通り、私は幼少の頃よりの神力を今も宿す身。そこで、次の戦における佐々木軍への従軍を幕府より内々に求められております。もしも味方が戦に負けるようなら、早急に河川の大氾濫を起こし、敵の勢いを強引にでも止めねばなりません。ただ、それには廷尉様の同意が必要です」
「……」
もう
心の内で憔悴している今の
「ミマ、だったか……なんで……ああ、そういう」
「宗家……まさかとは思いますが、我が娘の名前すら」
「……道誉殿。今、考えを纏めている。口挟みは控えて頂きたい」
「……は」
頷く以前の話だった。私は歯軋りして、更に両拳を強く握った。
どうでも良いから忘れていた。そんな本音を感じ取ったのだ。
だが、大っぴらには逆らえない。既に敗軍の将に成り下がっているとはいえ、
しかも、近江国守護の座自体は取り上げられないらしい。幕府編成の討伐軍の武将で守護国を取り上げられる者は
「参考までに伺おう。道誉殿、次の佐々木軍の大将は貴殿が?」
「は……既にお聞き及びと存じますが、宗家におかれては今や老将の
「それで摂河泉へ赴く佐々木軍の纏め役を貴殿が務めるか」
「は……無論、魅摩の万全な警護のために猛者を揃えるつもりでございます。そのために宗家の六角党からも誰か派遣を願いたく」
言い換えれば、監視役を置いて貰って結構です。真意はこれだ。
親父がここまで言ったのだ。
ましてや幕府の意思となれば、敗将の
「仔細を更に詰めよ……後日、それを聞いて最終判断だ。楠木
「そのような恐れ多い事……ただ、できれば出陣までには」
「当然だ」
思ったより上手い。
間違いないだろう。
「では、今日の硬い話はこれまでと致しましょう。宗家。帰洛早々の御無礼、お許しを。何はともあれ……拙僧は安心しましたぞ」
「それは良かった……道誉殿、さしもの俺も戦疲れが。風呂に入って参る故、後はごゆるりと。土産の菓子を用意させましょうぞ」
「宗家。ご入浴であれば、魅摩を──」
「無用である」
素っ気なく親父の言葉を突き放し、
その後ろ姿は雄弁に語っていた。一族惣領の威厳を示せたと。
だが、親父がこれをどう思ったか。その顔は以前よりドス黒い。
「次の戦……先鋒大将に赤田でも推薦してみようか」
「赤田……親父の郎党を幕府軍の先鋒に?」
「そうだよ、魅摩。この十年近く、拙僧は出陣せずとも兵法研究を密かに重ねた。今や孫子にも劣らぬ程の境地に達している。たとえ真正面からぶつかって勝てない強敵でも、あたかも翻弄した風に見せる程度は可能だ。これで拙僧の武名は宗家を上回るだろうさ」
黒い表情であっても、額に浮かぶ青筋は分かる。これが佐々木惣領という直接歯向かえない相手に対する
京極佐々木家の一世一代の大勝負である。これが吉と出るか凶と出るのか。答えが出るのは新年まで待たなければならなかった。
〜3〜
だが、俺は全く心穏やかでなかった。軍事に関係があるようでないような問題が発生している。連日、放火が横行していたのだ。
「六日と七日に立て続けにあったと思えば、一週間経ってまた何日も続いて……しかも、持明院殿だの、武家屋敷だのを狙いおって!同一犯か?相当畏れ知らずのならず者が潜んでいると見える!」
「
「偶然ではなく必然……おのれ!決戦を前に何と無粋な!」
検非違使として腹立たしい事態が相次いでいる。世情の動揺のせいかとも思ったが、事ここに至り、そう呑気に構えていられない。
一刻も早く犯人を捕まえなければ、肝心の戦に影響が生じる可能性があるのだ。持明院殿は光厳上皇の住まいだ。もしその身に異変あらば、北朝の権威が揺らぐ。より直接的な問題は武家屋敷だ。
幸い、俺のところは甲賀忍者たちの警護のお陰か、聖徳太子所縁の六角堂が直ぐ近くにあるがために放火魔が遠慮しているせいか、何ともない。しかし、他の者たちはどうか。出陣の間に京の豪邸に異変あらばと思えば、発揮できる力に翳りが出てしまうだろう。
そのため、我が代理で弟
「
「……
次の戦で
「どうだか……既に
「つまり?」
「次に賊が狙うなら、この
「!」
十八日を迎え、
また、男山は八幡大菩薩の聖地であると同時に、かつて春日顕国が急襲して足利政権の悩みの種とした曰く付きの場所だ。今回は予め
「そうなったら……俺はいよいよその賊徒を磔、いや釜茹でにしなければならなくなる。天龍寺の東門まで焼かれたのだ。どんな勢力の手先だろうと、必ずや地獄を見せる。賊徒は足利政権の名を穢さんとしている。まず間違いなく、この男山に引き寄せられるに違いないぞ。まぁ兵が集まり切ったら流石に怖気付くやもしれんが」
「出兵の北朝武将たちが男山周辺に勢揃いするまで残り一週間程度は掛かるでしょう。何せ八万騎もの大軍が集まる予定ですから」
そう。二十五日にも諸大名が新たな幕府軍総大将・高師直の名の元に結集する。錚々たる面々だ。細川
ただ、肝心の尊氏様は出陣しない。正真正銘・軍神の子の
「八万騎と言っても、実際に師直殿に従って遠征するのは、そこから更に選りすぐった精鋭中の精鋭だろ?残りは男山周辺で──」
「ええ。駐屯です。男山さえ抑えれば京は大事ないでしょう」
「……賊徒がその裏を掻いて、引き続き京を狙う可能性は?」
「これ以上は直義派……とりわけ桃井直常の手勢が許さないかと」
「成る程。では、残り一週間以内に男山に……ん?」
「どうされました?
「ケケ。良い話を聞かせて貰ったぜ、御両人……何てな」
「「!」」
思えば、確かに可笑しかった。
その狐面と口振りに覚えがあった。およそ九年振りになろうか。
風間玄蕃だ。近年全く眼中に無かった反乱分子の姿を陣屋の樹上に見て、合点がいった。ヤツならばどんな蛮行もやりかねない。
厄介なタイミングで現れてくれたものだ。今、幕府軍は着々と混成チームになりつつある。数の暴力で討ち取る方法は一見良さそうで実は危ない。下手に敵の間者の存在を広く流布しようものなら、大混乱に陥る可能性が高いのだ。手柄に逸った味方同士で盛大な同士討ちになる危険がある。しかも
俺と