崇永記 作:三寸法師
〜1〜
いざ刀を鞘から抜けば一瞬だ。南朝方の凄腕忍び・風間玄蕃は、陣営の樹上にまるで犬のように座っている。その予測も反応も超越した斬撃が要る。一瞬で勝負を決めよう。腰の構えを深くする。
しかし、ここで冷や水を掛けられた。自身も両の刀の柄を握っていた筈の
「
「またとない好機です。我が忍び衆の実戦機会にさせて下さい」
「忍び?……ッ!」
そう言えば、そんな話もあったか。俺は少し前に聞いた足利幕府の人事について思い出す。加えて昔の師冬との会話である。楠木
警戒してか、玄蕃が場を離れようとした途端、
「うおっ!?何だ!?こいつら!」
「
「「了解!」」
「伊賀者……この短期間で鍛え上げたというのか」
先日の幕府人事により、高一族は以前よりの支配国を足して合計九ヶ国もの守護国を占める事が決定された。
代わりに力を削がれたのが以前まで七ヶ国の支配者であった細川氏なのだが、こればかりは
失陥の和泉国と河内国の守護職には、高
「どうです?
「ハハ……そうだな。お墨付きを与えざるを得ん」
「くそっ!吹雪ィ!」
「……」
「……まさか」
俺は勘ぐった。風間玄蕃の目的は案外、
勿論、
わざと
「敢えて中軍大将の私を狙う……発想としては悪くありませんが」
「悪戯心はあっても殺意が足りない。これで勝てる訳がない」
「まさにそれです。昔教えたような気がするのですが……」
「てめぇら……!」
幾ら
風間玄蕃は十分に捌く事ができているものの、繰り出す一手一手の殺意が限りなく薄い。躱したり撒く事に意識が向き過ぎているからこそ、凄みに欠ける。これで風土からして特異な伊賀国の出の人間がどうして恐れるだろうか。故にいつ迄も白黒つかないのだ。
例の
「このままでは千日手……
「仕方ないですね。任せます……結構!退路封鎖に専念を!」
「「は!」」
「……さて」
まだ玄蕃の相方のくノ一の姿は無い。後から現れる線を頭に入れておきたいところだ。どんな手練手管を使うか不明なのだから。
そう考えたところで玄蕃がせせら笑う。俺は思わず眉を顰めた。
「どんな逃げ上手も我が前には無力。それはお前も知っている筈」
「ケケ……そうだな、お前のせいで坊はタマを失った。お陰で北条一族は滅亡不可避。鎌倉の二代将軍様の仇が晴らせたってか?」
「よく分かっているではないか。ま、今川家で養育された名越某は血を残す予定らしいから、北条氏の完全なる族滅は、この俺も諦めざるを得ないが……だが意外だな。お前が笑う事はあるまいに」
何を考えているのか知らないが、風間玄蕃は利に聡そうな風でありながら、未だ北条
もう天下の誰も
「風間玄蕃、降るつもりは?……というのも愚問か」
「あり得ねぇな。人生で結んだ、たった一度の契約を曲げる訳にはいかねぇ。約束の国一つ貰うまで坊を支え続けると決めてんだ」
「……はァ?」
思わぬ発言に呆気に取られた。よもやよもやである。ここまでの愚物とは思わなかった。何も時局が見えていないばかりでない。
口振りからすると、中先代の乱以前より
「子供の戯言を今の今まで真に受け……馬鹿だ。新田義貞だって、もう少し考えてた。こんなのに治国なんて出来てたまるか。北条氏や南朝のガメツさに思いを致したことがないのか?甚だ呆れる」
「
「そうだった……こんな愚か者、早く引導を渡してやらねば」
「愚か者ねぇ。俺には尊氏なんかに従い続けるお前らの方がよっぽど馬鹿らしく見えるぜ?しかも、デカ鼻師直に尻尾振ってやがるから始末に負えねぇ。そんなだから、そっちは楠木の倅に負け続き。あっちは関東執事を解任されて、やっと小国の守護に収まった」
「……黙れ」
今はっきりと公家衆が無教養な人種……要は野蛮人の相手をしない理由が痛感できた気がする。この二十余年で初めての経験だ。
呆れてモノも言えない。風間玄蕃は気付いているのか。楠木の倅という
第一の問題は伊賀国だ。あそこは支配の難しい土地だ。悪党の服部氏が我が物顔で幅を利かせている。東大寺との折衝だって並大抵の苦労ではない。桃井直常は上手く治められなかった。仁木義長は勇将と煽てられたせいか、東大寺の口挟みを許し過ぎた。そこを師冬が任されたのは手腕を信用されての話だ。只の小国ではない事は顕家軍に従って通過した人間なら分かって当然である。何より忍びなら小国と侮らず、交通の要衝である事に思い至るべきだろう。
そもそも下賎の輩が尊氏様への忠誠を誹る事自体、業腹ものだ。
「お?どうした?佐々木サマよ?図星突かれて御冠か?」
「……話にならん。これほど卑しい人間擬きが存在し得たとは」
正月には数えで二十三歳を迎える身だ。声変わりして久しいが、ここまで低く凍るような声を口に出すのは初めてかもしれない。
持明院殿、天龍寺の東門などなど……焼かれた施設の光景が脳裏を過ぎる。また、かつて持明院統の皇族を連れて東に落ち延びようとした六波羅軍で、後陣を任されていた亡き父・時信。また覚海尼と繋がりを持っていた同族の国師・夢窓疎石の姿形も浮かんだ。
あまりの事で見かねたのだろうか。
「
「ああ……風間玄蕃。確かお前は昔、小笠原家の先代や師直殿を大層おちょくっていたそうだな。だから勘違いしてしまったのか」
「あ゛?勘違い?」
「申し訳ないが……お前の如き奴婢と我ら守護大名では格が違う」
刀身が鞘から離れ、銀色の閃光が周囲の視界を無造作に襲う。
トンと着地する。乾いた音があっさりとした決着を告げていた。
次の瞬間、風間玄蕃の胴と脚が離れた。どちらにせよヤツは育成途上の伊賀者たちに手こずった時点で詰んでいた。別に瞬殺しても良かったが、単なる死では物足りない。たっぷりと高一族の拷問を受けて、知っている情報を洗いざらい吐いてから死んで貰おう。
〜2〜
男山本陣で、俺と
師直は今、白目を剥いているようにも見える。おそらく本人としてはジッと瞼を閉じているつもりかもしれないが、結果的には全くそうなっていない。神妙にならざるを得ない状況において、面と向かって相対している人間がこれでは、変な笑いが出そうで困る。
暫く経ち、高
「よもや飛んで火に入る夏の虫を取り逃すとは」
「……
「……今は冬です、だのと寝惚けた事を言わないだけマシか」
あの風間玄蕃の脚を切断したまでは良かった筈だ。両足のない忍びなど死んだも同然だからだ。潜入・破壊工作いずれも到底期待できないのだ。これでは無駄に口煩いだけの肉人形も同じである。
今後一生、玄蕃は手だけでできる内職で泡銭を稼ぐ他あるまい。
だが、肝心の情報を得られなくては、加減の意味が無かった。
「
「その……何かばっちくて穢れそうだったので」
「……結構。して、師冬。申し開きはあるか?」
事ここに至り、
伊賀国守護の師冬が追求されるのも無理ないだろう。元天狗衆の夏の四とやらに運搬役の伊賀者が襲われ、玄蕃の身柄を奪われたのである。俺や
「いえ……義父上。言い訳をするつもりはございません」
「……確かに予想外も当然だ。半端な頃合いの
将軍執事の
だが結局、夏の四が
ただし、事後となった今、これらはどうでも良い話に過ぎない。
「師冬。何はどうあれ、お前の監督責任だ。義父は隙も失態もあったお前を罰する必要が出てきた。中軍大将の不始末なればこそ」
「……は」
「この俺とて南で仕事させるために天狗衆を出払わせていたため、救援の人員を送れなかった。それ故、無為に責めるのは我が本意ではない。だが、他の武将たちの耳目もある。厄介な事になった」
奇しくも風間玄蕃の目的が成ってしまった形だ。
ここで情緒酌量すれば高
身内贔屓と謗りを受けるのは長い目で見て損だろう。要するに、
「
「……詳細は不要だ。だが、軍内に示しをつけねばならん。お前とて先の連敗の咎で、守護国は保障しながら、今回の従軍での兵の帯同を許していないのだ。ここで俺が義理の息子に情けを掛けてやる謂れはない。佐々木惣領が高一族の事に口を挟む由はあるまい」
「……御無礼致しました」
「とはいえ、
ここまでは阿吽の呼吸で俺と
全ては人事変更の必要が生じ、
「
「ええい、
「チ。面倒なのが来た」
「……おいおい」
不意に本陣の幕が開けられる。やって来たのは見知った若者だ。
細川氏当主*2の
先の戦で庶流の
「中軍大将を替えられるとの事!では、是非!この
「確かに能力的には問題ない……が」
「能力的に問題ないという事は、務める能力があるという事!」
「……
「は、はぁ……」
後の話をすれば、細川
今は殆ど皆が不安に思っていた。この
だから
俺はそっと囁いた。中軍大将の大役を奪われた
「
「いえ、むしろ策を思えば
「……肉盾に丁度良いって?」
「ええ。猪突猛進な
「うへぇ」
楠木
陣内では頻りに噂されていた。
勿論、