崇永記   作:三寸法師

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◆5

〜1〜

 

 

 四條畷周辺に幕府軍五部隊が布陣している。密な連携と堅固な布陣の有り様から、抜山蓋世の項羽や勢い盛んな孫武・呉起が突撃しても勝負になりそうもない陣容だったと後に評される事になる。

 それでも軍神の再来・楠木正行(まさつら)は、危険な渦中に飛び込まざるを得なくなっていた。貞和四年(西暦1348年)正月五日早朝、天下分け目の四條畷合戦が開幕した。まず攻め込んできた敵将は意外な人物であった。

 

 

「はン。お公家さんが朝っぱらから!ご苦労な事で!」

 

 

「四条隆資……今度ばかりは真面目に兵法を学んだようですね」

 

 

「どうだか。兵の統率もまともに出来ているかどうか」

 

 

 南朝軍の搦手大将・四条隆資が明朝になって攻撃を開始して戦いの火蓋が切られたのだ。確かに般若坂合戦の頃を思えば、師冬(高播磨守)が評価するのも分からないではない。時刻以外に方向が問題だった。

 真正直に南から攻めるのではなく、幕府軍本陣から東の飯盛山を狙ったのである。成る程、ここを南朝軍が獲れば形勢への影響は確実だろう。少し前は四条軍は何と二万騎と聞いていたのが、実際は三千騎になっている事情は置いておいて、発想自体は悪くない。

 

 

氏頼(大夫判官)殿は発案者が正行(まさつら)ではないかとお考えで?」

 

 

「まぁな。決定権は北畠親房にあれ、正行(まさつら)に発言権すら認められていないとは流石に考え難……待てよ?分かった。これ、あれだ」

 

 

「あれ?」

 

 

「要は権力争いさ」

 

 

 四条軍の構成部隊は湯浅党*1などかと察しながら、俺は考えた。

 先世の記憶に思いを馳せる。豊臣政権から江戸幕府への過渡期に起こった同じく天下分け目の関ヶ原合戦に答えが隠されている。

 開戦にあたり、先鋒の加藤清正だか福島正則だったか──どちらにせよ豊臣恩顧の大名──から先陣の役目を、井伊直政や松平某が策を弄して奪ったという話があった。確か、東軍があくまで豊臣家の代理者に過ぎないのか、徳川家の軍勢そのものかを決めるための策略だった筈だ。一般的な先陣争いとは少し意味合いが異なる。

 要するに、勝った暁の特権が豊臣に帰するのか徳川に帰するのかという問題である。今の合戦にも本質的に同じ事が言えそうだ。

 

 

「勝者が楠木家なのか南朝なのか……これをより明確にするための先陣だ。南朝公卿の四条隆資が務めたという事は、つまり──」

 

 

「吉野朝廷が直接勝者の特権を握る、という事ですか?」

 

 

「そゆこと。哀れな正行(まさつら)!余程信用されていないらしい。それともあれかな?住吉合戦で、得た物資を捕縛者たちに分け与えた事が南朝公卿たちのやっかみを買ったのやも。やってるわ、あいつら」

 

 

「……よくそんな考えがポンポン浮かんできますね」

 

 

「でなきゃ、あんな腹黒坊主と渡り合える訳ないだろうよ」

 

 

「確かに十年前に近江国守護職を奪還したという意味では、貴方が唯一政争で道誉(佐渡判官)殿に勝った男と言えるかもしれませんが……他に戦術的な意味があるとは考えないのですか?例えば、楠木軍が別の場所からひょっこり現れて、奇襲を仕掛けるかもしれませんよ?」

 

 

「分かってる。赤田が持ち場を離れてる。初っ端から独断専行は俺でもせんわ。ところで、師冬(播磨守)殿。大体こういう事言うと……あ」

 

 

 結論から言えば、四条軍の突撃は謂わゆる陽動作戦であった。

 ここまで、応戦のために赤田下野守の先鋒軍五千騎と河津・高橋の次鋒軍三千騎が阿吽の呼吸で挟撃しようとした行動があった。

 幕府軍という名の連合部隊なのだから、この手の連携も大切と言えば大切だ。しかしながら、やはり赤田下野守は大任(先鋒大将)に耐え得る器でなかったのだ。俺はまるで観戦者気分で、両手で頭を抱えた。

 隣の陣屋から師直(高武蔵守)の側近たちの怒る声が聞こえる。ここで師直(高武蔵守)本人が悠然としているせいか、何も聞こえない辺りが妙だ。しかし、今そんな事を気にしても仕方ない。もう少し事態が切迫したら彼方(あちら)へ移ろう。一応、今の俺は護衛を請け負っている身なのだから。

 

 

「あーあーあー。楠木軍が二手に分かれて……いや、数が意外と。ま、あれじゃ土壇場で四条軍から兵を借りた訳ではなさそうか」

 

 

「二隊合わせて三千騎弱居ますか。今は朝で霞がかって、大抵の者には遠視が利きにくい時間帯です。そこに木々から突然現れて奇襲を図るとは。合点いきました。氏頼(大夫判官)殿が居て二度も敗れた訳が」

 

 

「……ん?」

 

 

 少しカチンと来た。藤井寺や住吉の敗戦を(なじ)られているように感じたのである。負けは負けだが、面と向かって言われると癪に触るものだ。将軍の烏帽子子としてのプライドが許さないのである。

 俺は冗談の風を醸しつつ、隣の師冬(高播磨守)の肩に手を置いて微笑した。

 

 

「おい。開戦早々味方に喧嘩売ってんのか?」

 

 

「どうでしょうね?無能な味方は敵より厄介と言いますし」

 

 

「言うな、確かに。うんうん、連敗という結果だけ見れば、無能と謗られても仕方ない。だが、敵の強さを考慮せずに謗る者こそ無能なりと俺は言いたいな。そもそも左様な無能なら、幕府屈指の武勇も大乱を乗り切る力も京で通じる学識も身に付いてないっての」

 

 

「……ここまでムキになるとは、連敗が相当堪えたようで

 

 

「何か言った?」

 

 

「いえ、別に」

 

 

 師冬(高播磨守)の言葉に従い、聞かなかった事にする。問題はやはり敵だ。

 今なお楠木軍の強さは健在らしい。動きを見れば分かる。あの三千騎弱──正確には二千八百騎だろうか──の中には、急拵えの兵も混ざっている可能性が高い。しかし、それでいて楠木軍の将兵は突撃態勢でも一糸乱れぬ戦列を維持している。もしや正行(まさつら)は門外不出の練兵術でも持っているのだろうか。きっとそうに違いない。

 

 

「あれは魚鱗の陣ですね。正行(まさつら)は捨て身の気概と見ました」

 

 

「輪違の旗。明らかにあれ狙いだ」

 

 

 たとえ敵に居場所が知られるとしても、味方に大将ここにありと示すための旗は、統率の観点から誰しもが構えるものだ。合理主義者の高師直(武蔵守)も例外ではなく、輪違の旗がその役割を担っている。

 正行(まさつら)はずっと師直(高武蔵守)との対戦経験を欠いていたが、将軍執事の旗となればもはや世間の常識だ。わざわざ調べるまでもないだろう。

 

 

氏頼(大夫判官)殿……そろそろ向こうへ。今師直様(義父上)に死なれては困ります」

 

 

「あいよ。お前も気を付けろよ?今までで最強の敵と思う事だ」

 

 

「楠木正成よりもですか?……まぁ良いでしょう。警戒はします」

 

 

「……何だか不安になってきた」

 

 

「早く行ってください」

 

 

 決戦はまだまだ序盤である。楠木正行(まさつら)が再び室町幕府の大軍と直接刃を交えようとしている。大戦の決着が直ぐに付く筈も無し。

 両軍に圧倒的な戦力差があったにも関わらず、終戦後は北朝公卿の洞院公賢が日記『園太暦』に「合戦頗火出程事」──明快に言うと火花の散る激戦──と形容した程の白兵戦が展開されていく。

 この四條畷合戦において、楠木軍はまず最初に師直(高武蔵守)直属の斥候部隊を撃破していた。魚鱗の陣を保って粛々と前進する。そこへ京極党の赤田下野守率いる先鋒部隊が、四条軍の陽動に引っ掛かって動いたところから急速反転。盾を揃えて楠木軍の行く手を遮った。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 生駒山に京極軍が潜んでいる。私も実家の者たちと肩を並べるのは十年振りだ。石津の戦い以来である。今はまだ戦見物しているだけだが、楠木軍の手並みは素人目にも見事としか言い様がない。

 麓向こうの平地で、つい先程まで楠木軍と幕府軍先鋒の赤田隊が戦っていた。戦い、と言っても良いのだろうか。赤田下野守が一蹴されていたのだ。後で分かった話では、赤田は兵力の三割強を討ち取られて本人も重傷。堪らず師直(高武蔵守)本陣へ駆け込んだようだった。

 

 

「ふむ。楠木正行(まさつら)、下手すると九郎義経の如き伝説になるやも」

 

 

「親父……これで良かったの?」

 

 

「楠木正行(まさつら)は宗家の参加した討伐軍に連戦連勝だった男だ。今や(まさ)(つら)は天下の誰もが認める名将だろうさ。その力の程を直接知っておきたかった。我が郎党の赤田下野守は試金石の役割を見事果たしてくれた。後で本人か遺族にたんまり礼をしなければなるまいよ」

 

 

「……で、楠木軍の強さの感想は?」

 

 

「楠木軍五百騎で顕家軍五万騎に匹敵。この見立てはあながち誇張でもないかもしれないね。常軌を逸した精鋭揃いだ。もう少し様子を見ておこうか。正行(まさつら)が本物の幕府軍精鋭部隊と如何に戦うか」

 

 

 親父の予見した通り、次は西側の田んぼ近くで待機していた北朝方中軍部隊が姿を現した。何でも鶴翼という名前の陣形らしい。

 大軍で寡兵を包囲殲滅するためのものだと長兄・秀綱が呟いた。

 

 

「父上。中軍大将の器量が気になります。一応は定石通りですが」

 

 

「細川元氏(清氏)殿か。武力……の話ではなさそうだね」

 

 

「ええ。武力は桃井も一筋縄で勝てる相手ではないと噂されているところを聞いた事がございます。それこそ新田義貞か木曾義仲に匹敵するか。しかし、あれは話していて……不安になるところが」

 

 

「……秀綱。父に尋ねるより自分自身の感覚を大事にする事だ」

 

 

 何だか親父たちは退屈そうな話をし始めたので、そちらへの意識を浅くする。今はまだ多くの京極党が、勝負の行方を固唾を飲んで見守っている。潜伏の縛りさえなくば声高に応援していた筈だ。

 楠木軍の陣形がみるみると変わっていく。前進しながら、後方の五百騎が先頭の兵と入れ替わった。二つの部隊に分かれている。

 

 

甲賀三郎(望月亜也子)。あんたなら少しは分かる?楠木の指揮」

 

 

「……何か殿様の戦い方に似てる気がする」

 

 

「へぇ……そっか」

 

 

 まともに三郎(氏頼)の指揮を見たのはいつの事だろうか。戦場における三郎(氏頼)の姿は、私より将兵たちの方が知り尽くしているのだろう。

 日が高くなるにつれて視界は良好になっていく。勿論、生駒山に潜んでいる状態なので、木々が大分邪魔だが、楠木軍が流石に中軍相手だと簡単に対処できず、拮抗しているらしいのは分かった。

 ややあって再び親父が私の方を向いた。出撃準備に入るようだ。

 

 

「魅摩。お前は高秀たちと一緒に引き続き山で待機だ」

 

 

「……出るの?親父」

 

 

「いいや、まだだよ。中軍部隊の幕府武将たちが今、随分と正行(まさつら)たちの体力を削ってくれている。あの中軍だけでも、住吉合戦の時の山名たちより遥かに強い筈だからね。より強化された楠木軍でも、せめぎ合いに一刻ほど掛かるだろうさ。拙僧はそれが終わる頃を見計らって攻めるつもりだ。正行(まさつら)は宗家に似て、必ず苛立つ筈さ」

 

 

 腹黒坊主・佐々木道誉(佐渡判官)史上、戦働きにおいては最大のお披露目の場が始まろうとしている。勿論、策士なので細工あっての事だ。

 出雲国守護となって年月が経ち、在りし日の塩冶党の力を幾らか吸収しているとはいえ、親父(京極道誉)は真っ当に強い類の武将ではない。

 必ず策謀を用いて軍功を得ようと企むものだ。今回の戦もその例に漏れず。楠木軍が中軍部隊を撃破して、いよいよ師直(高武蔵守)本陣に殴り込もうと意識を切り替える、ただ一瞬を狙って攻撃する構えだ。

 自称孫子顔負けの智謀を誇り、親父(京極道誉)が幕府の名将たちの最前列に立とうとしている。天下分け目の四條畷の戦いも、腹黒策士(佐々木道誉)にとっては末長く幕府で繁栄するための出世の場に過ぎなかったのだ。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 楠木軍の強さに本陣は騒然としている。経験不足の若大将の細川元氏(清氏)は兎も角、仁木頼章(左京大夫)や武田信武(伊豆守)や千葉貞胤など歴戦の名将たちを副将として構成された中軍部隊が、僅か一刻で破られたのだ。

 死屍累々の戦場を見て、だから言ったではないかと思う。武器を握る力が僅かに強まる。もしかすると本当に尊氏様の御力を借りる羽目になるかもしれない。または魅摩が西の水辺に密かに渡って洪水を起こし、敵も味方も壊滅させる手が実現されるのだろうか。

 だが、総大将の高師直(武蔵守)は至って平然としている。俺は訝しんだ。

 

 

「ここまでは想定内……ですか?師直(高武蔵守)殿」

 

 

「ああ。藤井寺、教興寺、住吉。これら三つの戦いを分析すれば、当然この結果は読めていた。見ろ。楠木軍も少なからずの死者を出している。住吉とて奴等は山名に犠牲を強いられていた。勝負はここから。一度敗れても仁木たちならば残り三回程度は戦えよう」

 

 

「……飯盛山を攻めようとしていた筈の四条軍は依然、戦意に欠けています。あの稚拙さなれば、次鋒の部隊は全く心配要りません。やはり私なら今師冬(播磨守)殿を中軍部隊に合流させて立て直しますが」

 

 

「ほう。確かに援護の武将を送る手は考えて……何だ?あれは」

 

 

 総大将の師直(高武蔵守)が訝しんで見た先は生駒山の麓だ。俺もその様子を見てギョッと目を見開いた。何と京極軍が出撃を開始していた。

 彼らは正気なのだろうか。楠木軍は惣領の俺でも二度に亘って敗れた強敵だ。それを分家の京極家が何とか出来ると思っているのだろうか。生前の塩冶高貞(判官)ならまだしも、京極(佐々木)道誉(佐渡判官)なのだ。参謀タイプの武将が突撃して勝てる相手ではない。さては功に逸ったか。

 前々から聞いていた話では、京極軍はあくまで魅摩のちゃぶ台返しが必要になるまで、じっと生駒山で待機。もしも敵兵が登ってきたら歩兵の射撃と騎兵の下山を巧みに用いて反撃する筈だった。

 実際あのように戦うのであれば、それは俺の役目であるべきだ。

 

 

「あんの腹黒坊主……!」

 

 

氏頼(大夫判官)?」

 

 

「三手に別れて……いや、山から駆け降りる勢いを借りて、どうにか出来る相手では……申し訳ござらぬが、私も意図がさっぱり」

 

 

「……京極軍は兎も角、楠木軍にまともに戦う気はないようだ」

 

 

 背水の覚悟で攻撃したも同然の楠木正行(まさつら)にとって、目指すべきは幕府軍総大将の高師直(武蔵守)の首ただ一つだ。向きを変えて京極軍と戦ったところで、何の旨味もないどころか逆に敗北を招きかねない。

 よって、正行(まさつら)は咄嗟に負傷兵を集めて、彼らだけで京極軍と戦わせる事にしたようだ。主力部隊は引き続き此方(こちら)を目指している。

 

 

「ふむ。結果、道誉殿の出撃は助攻として最高の働きとなるか」

 

 

「……師直(武蔵守)殿?」

 

 

「案外、これが後になって振り返れば、楠木正行(まさつら)落命の契機になっているかもしれないという事だ。京極家は出雲国を得た。精鋭を増やして軍事力を大いに強化した。今の道誉(佐渡判官)殿なら楠木軍の負傷兵たちを壊滅させる程度は容易かろう。その一部が正行(まさつら)との再合流を目指すだけでも上々だ……さて、中軍への援護は師兼(刑部大輔)に任せるか」

 

 

「!」

 

 

「そう驚くな。師冬(播磨守)には別の役目を任せる。だが、師兼(刑部大輔)とて当世の三河国守護。力を発揮する場を与えたいと思っていたところだ」

 

 

 高一族は俊英が多い。師兼(刑部大輔)にどれだけの力があるか詳しくは知らないが、高一族の握る九ヶ国の権限の一翼を担う身だ。一定の実力を備えていると見るべきか。そもそも三河国は建武新政以前から足利家が支配していた国だ。その守護職はガチの能臣限定の席だ。

 軍の差配は総大将の師直(高武蔵守)に帰する。結局、師冬ではなく師兼(刑部大輔)が中軍に送られ、仁木頼章(左京大夫)や武田信武(伊豆守)らと合わせて二万騎で応戦だ。

 彼らが包囲殲滅を狙えば、楠木軍は敢えて分散して戦う。彼らが魚鱗の陣を敷けば、似た陣形で応じる。こんな戦が三度続いた。

 

 

ま、師兼(刑部大輔)殿の方が元氏(清氏)殿の気位も傷付かない……か

 

 

「申し上げます!中軍部隊、繰り返し再戦して敵軍の数を著しく減らすも、大将元氏(細川清氏)様以下、重傷者が続出しております!討たれた者も少なからず!中には戦意喪失して逃げる者まで現れた模様!」

 

 

「……皆、策を伝える。心して聞け」

 

 

「「「は!」」」

 

 

「楠木軍の志は前進しかない。これほど思い切った敵を包囲殲滅しようとしても、兵の損失は甚大だろう。故に楠木軍の後ろは敢えて囲まん。逃げる敵は勝手に逃げれば良い。肝心なのは我ら幕府の主力が一箇所に固まって、楠木軍と戦う事だ。さすれば、勝てる」

 

 

 完璧執事・高師直(武蔵守)の鉄仮面は未だ崩れていない。しかし、戦況は着々と良くない方向へ向かっている。薄氷を踏む思いで、師直(高武蔵守)は戦術を本陣の武将たちに語っていたのだろう。策があっても、楠木(まさ)(つら)という天下の名将が相手では、必ず上手くいくとは限らない。

 それでも我ら幕府軍は、この四條畷にて正行(まさつら)を食い止める事を最優先に考えなければならなかった。京の尊氏様や官民を思えば。

 貞和四年(西暦1348年)正月五日、四條畷の戦いは佳境に向けて進行している。

*1
紀伊国の有力武士団。

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