崇永記   作:三寸法師

177 / 202
▲6

〜1〜

 

 

 どうもこの時代の戦では、休憩時間のようなものを得られる場合も少なくなったらしい。古典『太平記』には軍勢が戦の合間に一息つく描写が折に触れて見られる。四條畷合戦の楠木軍も然りだ。

 北朝屈指の精鋭揃いの中軍部隊と幾度も戦い、さしもの楠木軍も疲弊が著しい。開戦当初は三千騎弱程度いた筈の兵たちも今や三百騎未満とすっかり少なくなってしまった。畔道を背に、傷の応急処置などをして静かに佇んでいたらしい。束の間の小休止である。

 

 

(武田信武と仁木頼章は元々警戒していたが……細川元氏(清氏)。あんな猛者が北朝に隠れておったとは!負傷離脱させられたから良かったものの、あれは中々骨が……あれぞ本物の猛将。ただ鼻を高くしているだけの廃れ者ではない。一切の虚飾なく、当世の木曾殿だ)

 

 

「師直の本隊……固まって動きませんな。兄者」

 

 

「包囲する気ならそれで構わなかったんだが。肝心の師直付近の防御が薄くなるからな。一点突破の陣形で仕留めてくれたものを」

 

 

「どうも後ろが空いているようですが……臭いますな。兄者」

 

 

「ふ。師直の詰まらぬ細工だ。どうだ、皆?逃げたい者が居れば、留まる由はない。今すぐ逃げるんだ。正儀の元なら暫し安全だ」

 

 

「いいえ!」

 

 

「我らは命懸けで戦います!」

 

 

「どこまでも正行(まさつら)様と共に!」

 

 

「師直の首、何としてでも獲りましょう!」

 

 

 楠木軍の士気は今も変わらず旺盛だ。一人一人が湊川の戦いで絶対的棟梁の正成(河内判官)を失う苦難を味わって以来、新たな当主・正行(まさつら)と行動を共にしてきた同志たちだ。鉄よりも固い絆で結ばれている。

 彼らの顔を当主実弟の正時が見渡す。ゆっくりと正行(まさつら)に言った。

 

 

「だそうですよ。兄者」

 

 

「ああ」

 

 

 古典『太平記』によれば、正行(まさつら)たちは事ここに及んでも、逃げようと思えば逃げられる状態だったらしい。しかし、彼らにそんな気は更々無かった。吉野での後村上天皇への拝謁が思い出される。

 決意の弁に違えては恥と思ったのか、命運既に尽きていたのか。

 

 

『高兄弟の首を獲るか、拙者ども兄弟の首が獲られるか!今度の決戦では、この二つに一つでございます!仮に師直の首を獲って帰る事が叶わなければ、この首が京の六条河原に晒されるのみ!故に今一度だけ、帝より拝謁を賜らねばと思い、馳せ参じたる次第!』

 

 

「……勝利のために目指すは只一つ!奸賊・高師直の首を獲る!」

 

 

「「「応!」」」

 

 

 小休止が終わった。楠木軍は再び高師直(武蔵守)目掛けて動き始めた。

 一方、師直(高武蔵守)率いる室町幕府軍の本隊は、じっと待ち構えていた。

 幕府の著名で屈強な武士たちが、今の楠木軍よりずっと多い七千余騎という兵力となって、将軍執事の威名の元に集まっていた。

 

 

「質量ともに我らの有利だ!お前たちは尊氏様が擁する最高で最強の勇者たち!天下無双の最精鋭よ!楠木軍の小勢を押し潰せ!」

 

 

「「「応!」」」

 

 

(よっしゃあ!待ってろ!リベンジだ!正行(まさつら)!)

 

 

「待て、氏頼(大夫判官)。俺の隣で待機と言っておいただろうが。勝手に気持ち良くなって、どさくさ紛れに護衛任務を放棄しようとするな」

 

 

「……はい」

 

 

「宗家。ここは堪えてくだされ。他の者にお任せしましょう」

 

 

 この師直本陣には佐々木惣領の六角氏頼(大夫判官)や同族の老将・黒田宗満(判官)の他にも、今や名実共に最強の射手・細川頼春(蔵人)や元仁木家重臣の萩野朝忠らが居たという。また、高一族からは元関東執事の師冬(高播磨守)や先程の中軍部隊から既に出戻った三河国守護・師兼(刑部大輔)の姿もあった。

 しかし、楠木正行軍の真骨頂はここから発揮されていく。彼らは全く怯むところが無かった。まず周囲の北朝兵を次々と蹴散らしていった。そして、一箇所に颯と集まって鎧の袖を揺り動かした。

 

 

「今だ!一斉射撃!」

 

 

(師直よ!それこそ我らの思う壺だ……!)

 

 

「も、師直様!弓矢攻撃が通じません!」

 

 

「チ。早過ぎたか……氏頼(大夫判官)、焦って射るなよ?黒田、よく見張れ」

 

 

「「は」」

 

 

(この戦、間違っても氏頼(大夫判官)を目立たせる訳にいかん。終戦間際まで)

 

 

頃合いか……楠木軍、拙者に続け!斬って斬って斬りまくれ!」

 

 

 一斉射撃の不発で足利軍が怯んだ隙を見て、正行(まさつら)が号令した。

 ずっと後方では師直が未だ悠然としている一方、本隊の前衛たちはたじろいでいた。正行(まさつら)に何を見たのか。次々に畏れが広がる。

 

 

「ひっ……に、逃げろ!」

 

 

「あ、おい!待て!……グハっ」

 

 

「師成*1殿!?……おのれ!この松田次郎が相手ゴフッ」

 

 

「和田賢秀!早くも北朝軍本隊の将を討ち取ったり!」

 

 

 精鋭部隊でありながら、師直(高武蔵守)本隊の最前列付近が潰走状態に陥ってしまう。古典『太平記』によれば、五十名ほどが見る見るうちに命を奪われ、二百余騎が四肢の(いず)れかを斬り落とされたという。

 野戦において恐慌状態はあっという間に伝播してしまうものだ。

 追い立てる楠木軍と追い立てられる前衛たちの存在も相まって、師直(高武蔵守)本隊七千騎は大混乱。各々が不利を悟って退却し始める。

 

 

(嘘だろ?もうとっくに勝利に転じなければならん頃合いだというのに何だこの有り様は?それに楠木軍の強さはこの数ヶ月、嫌というほど思い知らされたが、幾ら何でもこんな急に……まさか毘沙門の加護とやらで。あの強さに対抗できる武将は、もはや……!)

 

 

「師直殿!あいつはマズい!今直ぐにでも──」

 

 

情け無いぞ!お前たち!

 

 

「「「!?」」」

 

 

 この天下において経験豊富な武将は北朝に偏って在籍していると言っても良い。中でも師直(高武蔵守)は特筆すべき「名を得たる老将」だ。

 その声は逃げる兵たちに本来の活力を取り戻させる。幕府武士たちに尊氏の配下として在るべき姿を思い出させようとしていた。

 

 

「とって返せ!何度言えば分かる!?敵は小勢だ!京で一緒に酒を呑んで、連敗の恥を一緒に(そそ)ごうと誓ったるを忘れたか!?もし俺を見捨てて京に逃げ帰って、どう将軍に顔向けする!?運命は天に任せて名誉を惜しもうという者は此処に一人も居らんのか!?」

 

 

「そうだ……」

 

 

「尊氏様のために……」

 

 

「「「尊氏様の御為に!」」」

 

 

(これが完璧執事……人間の極みにあり、神に仕えし者!)

 

 

 総大将・師直(高武蔵守)自らの大号令で、防戦態勢が復活の兆しを見せる。

 だが、一度見せた隙を逃すほど、楠木正行(まさつら)は甘くない。劣勢に変わりなく、佐々木惣領の氏頼(大夫判官)はギュっと拳を握って師直(高武蔵守)を見た。

 

 

「まだだ。氏頼(大夫判官)。まだお前の斬撃を用いる時ではない」

 

 

「では……!」

 

 

「まぁ落ち着け。策はある。だが、その前に……頼明(兵庫頭)!」

 

 

「ッッッッッ!?……師直(武蔵守)様」

 

 

 住吉合戦に引き続き、土岐頼明(兵庫頭)当主(土岐頼康)代理として従軍している。

 頼明(兵庫頭)は亡き頼遠(弾正少弼)の末弟でありながら、配下の兵たちを楠木軍に蹴散らされ、自らも膝口を斬られて血塗れの状態であったという。

 

 

頼明(兵庫頭)殿……貴方、住吉ではもうちょっと善戦して──」

 

 

「無理からぬ事だ。誤魔化さんでも良い。頼明(兵庫頭)は前の戦で六角軍におんぶに抱っこだったんだろう?……死んだ頼遠(弾正少弼)があの世で呆れているぞ。お前は普段、兄・頼遠(弾正少弼)を誇って居たな?それがどうした?頼遠(弾正少弼)の弟らしさが微塵も感じられん。何と無様な落ちこぼれよ」

 

 

「ッ……!」

 

 

(これ訂正した方が……って、行っちゃった)

 

 

 古典『太平記』によれば、土岐頼明(兵庫頭)は将軍執事・高師直(武蔵守)(なじ)るような言葉に触発され、何も言わずに重症の身を押して再度突撃。

 疲労困憊にして調子が鰻登りの楠木軍と交戦するも、遂に戦死してしまったらしい。ついでに雑賀荘出身の北朝武士(雑賀三郎)まで討たれた事により、両軍総大将の距離は確実に縮まる。何と半町(約束55m)程にまで。

 

 

師直(武蔵守)殿。もう待てませぬ!ここは俺が……!」

 

 

「まだだ。まだ忠臣は他にも居る」

 

 

「忠臣……?あの申し訳ないが、師直(武蔵守)殿。一体誰が──」

 

 

 確かにこの時、師直の周囲を安保直実や薬師寺公義、曽我氏や島津氏などの猛者たちがガッチリと固めている状況であった。だが、正行(まさつら)の突撃は藤井寺合戦や住吉合戦の比でなく、鬼や神をも討ち払いかねない勢いである。どうして人間業で対抗できるだろうか。

 そこへ、思いも寄らない人物が、晴れやかな表情で声を張った。

 

 

師直(武蔵守)様!今こそ御恩を返す時が参りました!」

 

 

「応。景気付けに手持ちの酒一瓶、お前にやろう」

 

 

(上山、こいつ……!)

 

 

 ここに来て、氏頼(大夫判官)は今日の戦で最も大きく目を見開いていた。

 上山六郎左衛門。本来は粛々と人生を終える筈だった男の一世一代の名演技が、四條畷合戦という大一番で始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 古典『太平記』には手癖がある。和漢の古い逸話を隙あらば妙に長々と引用するのだ。例えば四條畷合戦が綴られている箇所では、秦国の繆公という人物の逸話が挿入されている。粗筋はこうだ。

 ある時、兵たちが勝手に繆公の馬を食べてしまった。本来なら罰せられるべきところ、穆公はこれを許し、馬を食べると必ず病になるという謎の噂話を根拠に挙げ、逆に酒や薬を与えて治療した。

 後に繆公が戦で敵軍に囲まれた際、その恩顧の兵たちが命懸けで戦ったお陰で、窮地を脱したというのだ。一種の教訓譚である。

 

 

師直(武蔵守)殿……こんな時に繆公の逸話など」

 

 

「ほう。何故か分からぬか?氏頼(大夫判官)。それでは道誉(佐渡判官)殿に笑われるぞ」

 

 

「いや、分かりますけど!」

 

 

 上記の繆公の逸話と関連付けられたのが、将軍執事の高師直(武蔵守)と美形マッチョ・上山六郎左衛門のエピソードだ。開戦前、上山は談笑のために幕府軍本陣へ足を運んだ。すると陣営内で突然、敵軍に動きがあったようだと叫び声が発生し、上山は動揺してしまった。

 この時、上山は戦はまだまだ先だろうと踏んで常在戦場の心得を忘れてしまっていた。あろう事か鎧を着ていなかったのである。

 

 

(やっばい!マズい!大将に叱られる!そうだ!あの鎧を!)

 

 

『すまぬ!二領ある鎧の片方、お借り致すぞ!」

 

 

『ちょっ……!何をなさる!師直様の鎧を勝手に!』

 

 

『嘘つけ!師直様の鎧がこんなところにある筈ないだろう!?』

 

 

 借りパクは借りパクでも、高師直(武蔵守)の鎧の借りパク未遂である。

 周囲の兵卒がそんな蛮行を見れば、職務上必然的に止めようとするものだ。喧嘩の始まりである。これを師直(高武蔵守)自ら仲裁に入った。

 

 

『この者は今、我が命に替えて戦おうとしていたのだ。それを止めるとは情け無いヤツめ。どんな甲冑でも惜しむ謂れなぞ無いわ』

 

 

『は!……申し訳ございません!』

 

 

『師直様!この上山、身命を賭して戦いまする!』

 

 

 古典『太平記』において、高師直(武蔵守)という武将は往々にして人妻狂いのようなヴィラン役を任せられるが、こうした美談もないでは無かった。尤も、氏頼(大夫判官)は事情をある程度聞かされ、白い目だった。

 道理であんな目立つ場所に師直(武蔵守)独特の趣味の鎧が置かれていた訳だと得心したのである。西国武士らしく察しを付けていたのだ。

 

 

「あの誤報も計算尽く……凄腕の諜報部隊を擁する師直(武蔵守)殿の軍で、そんな行き当たりばったりな状況になる時点で気付くべきでした」

 

 

「ほう。不満か?氏頼(大夫判官)

 

 

「いえ……別に」

 

 

「そうか。では参るぞ。楠木に種を明かす。かつて湊川で軍神が用いた身代わり策……この俺が軍神の再来とやらに用いて見せた」

 

 

(あいつ……六波羅の生き残りの一人がここで散ったか)

 

 

 上山六郎左衛門という男は、古典『太平記』の伝本によっては長井修理亮と表記される場合もある。長井氏といえば、大江広元の子孫であり、佐々木六角氏や斯波(尾張足利)家に娘を送り込んだ実績のある文官の名門である。つまり、上山六郎左衛門とは何者であったのか。

 氏頼(大夫判官)にとって母方の遠縁であったのだ。上山の逸話は、氏頼(大夫判官)にはあまり聞こえの良い話でなかったかもしれない。確かに上山氏自体が大江一族でも末流なので、ほぼ赤の他人に近い身の上だろう。

 だが、上山氏が六波羅評定衆の系譜であった事を考えてみよう。

 父・時信が六波羅の主力武将であった氏頼(大夫判官)にとって、幼い頃からの知り合いだった可能性は無いだろうか。この時、氏頼(大夫判官)はどこか哀愁の念が灯った目とほろ苦い表情で、師直(武蔵守)の後を追尾していた。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 楠木正行(まさつら)は歓喜に包まれていた。強敵・高師直(武蔵守)を討ち取ったという手応えに口角を上げる。直ぐに味方の兵たちに喧伝し始める。

 ここからは掃討戦だ。師直(高武蔵守)戦死の報告が広まれば、飯盛山を未だ攻めあぐねている四条軍も勢い付こう。楠木軍に寝返る北朝武将の出現も期待できる。北畠親房(准大臣)の軍も後詰めで戦場に姿を現そう。

 

 

「兄者!遂に師直を討ち取ったと!」

 

 

「ああ、見ろ!間違いない!この肉付き!鎧の輪違紋!師直だ!」

 

 

 弟・正時(左馬介)の面前で正行(まさつら)は達成感から破顔一笑する。何も身体的特徴だけが根拠ではなかった。生前に見せた武の腕前が異常だった。

 正行(まさつら)は思い返した。あの武勇は将軍執事らしい見事なものだと。

 

 

『我こそは高師直(武蔵守)!八幡太郎義家公以来の源氏累代の執事なるぞ!かつて天下のため顕家を討った!今日は報恩のため命を懸けん!」

 

 

『ギッ!』

 

 

『ヤハ!』

 

 

『あれが高師直……瞬く間に我が兵五人を斬り殺すとは!』

 

 

 明らかに幕府軍でも頭抜けた武勇があったと正行(まさつら)は回顧する。

 だが、弟の正時(左馬介)は歯切れが悪い。他の敵兵と戦うため、正行(まさつら)の語る高師直(武蔵守)最期の戦振りを直接目にして居なかったせいだろうか。

 言い様のない違和感に取り憑かれ、死体をマジマジと見つめた。

 

 

「確かに、これは……いや、しかし」

 

 

「……どうした?正時」

 

 

「何と言うか……高師直にしてはイケ面過ぎませんか?」

 

 

「え?」

 

 

「決死の突撃、ご苦労だった。覚えておけ、其奴の名前は上山(長井)六郎(修理)左衛門(亮高元)。俺よりイケ面とは影武者に不向きな男め。だが、見事に役目を果たしてくれた。もはやお前たちに勢いを作る気力は無い」

 

 

「「!?」」

 

 

 古典『太平記』によれば、上山六郎左衛門という武士は立派な体格で清潔感のある美男だったようだ。これが師直(高武蔵守)の影武者役だ。

 方や師直(高武蔵守)本人はどうか。かつて狐面(風間玄蕃)にデカ鼻を野次られている。

 

 

「弟殿の配下(豚共)だけならまだしも、よくも俺の派閥の武将たちを好き放題破ってくれたな。師成(我が従兄弟)も討ち取りおって。だが、お前たちの戦振りは南朝武将で最もマシだ。褒美に討死と自害、好きに──」

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」

 

 

「兄者!?何も首を投げ飛ばさずとも!」

 

 

(……帰るか)

 

 

 住吉の戦いでは尋常ならざる器の大きさを見せた正行(まさつら)だったが、影武者戦法に騙されたと知った際はたいそう悔しがったという。

 上山が目立って奮戦していた間に、師直(高武蔵守)が密かに距離を取っていたのだ。平静であれば見破れた筈と思っただけに悔恨は一入(ひとしお)だ。

 なお、上山六郎左衛門の首について、正時(左馬介)が小袖の布を一部だけ使って包み、岸の上に置いたという点で、兄とは対照的だった。

 ここで、花田与三という楠木軍の負傷兵が活路を願って言った。

 

 

「殿!師直の周りの兵は百騎ほど!恐れる事は……!」

 

 

「ああ、花田。よし、攻撃を──」

 

 

「お待ちを。今度こそ討ち漏らしてはなりませぬ。敵百騎は全く無傷の騎馬兵で、我ら五十余名は徒士になっております。機動力で敵が勝る以上、無闇に追うより追われる振りをするべきでしょう」

 

 

「賢秀……演技をやり返すか。伸るか反るか、かくなる上は!」

 

 

(師直が我らを追ってきたところを反転!一挙に首を狙う!賭けになってしまうが、正攻法の成功確率が皆無な今はこれしか無い!)

 

 

 結論から言えば、経験豊富な師直(高武蔵守)はこの苦し紛れの誘引をあっさり見破って微動だにせず。「思慮深き老将」の面目躍如である。

 しかし、軍功に目のない武将にとって、楠木正行(まさつら)たちの首級はやはり垂涎ものである。今の幕府軍で誰が最も出世意欲著しいか。

 高師冬(播磨守)だろう。元関東執事にして現伊賀国守護。更なる軍功を以て義父たち(師直と師泰)の実子──武蔵五郎(後の師夏)と師世──を差し置き、次代将軍執事の座を得ようと野心旺盛な名将が、密かに二刀を抜いていた。

*1
師直の従兄弟の一人。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。