崇永記 作:三寸法師
〜1〜
十四日、師泰軍が東条に入って南朝武将・岸和田助氏と交戦を開始した。同じ頃、師直軍はまず大和国最大の荘園・平田荘で腰を落ち着けようとしていた。吉野攻略に備え、軍を整え直すためだ。
「
「ああ。
「成る程……合点が参りました」
今となっては十三年も前の中先代の乱では、
しかし、この吉野攻略はどうだろうか。些か中先代の乱と様子が違っていたらしい。ただただ行軍速度が遅かった。本来の幾倍もの日数を掛け、
「
「……宗家も頭はキレます。理由自体は既に察しておられるかと」
「ふん。あの癇癪持ちは、頭の奥底で理解していても感情を爆発させかねんからな。これで師泰軍の動きでも耳に入れて、俺に抗議されても困る。成長して幕府最強の個の武を誇るようになり、自尊心が益々膨れ上がっておる。連敗も果たして灸になったかどうか」
吐き捨てるような
気になる点があったのである。勿論、惣領の
とはいえ、
「
「ん?……ほう。腹黒坊主の
(拙僧を試されたか……
この頃、聡明な者たちは皆、今後の政局に思いを馳せていたに違いない。腹黒坊主の
一方、
婆娑羅の仕掛け人という
「何と……それは確かに宗家が聞けば……」
(京の邸宅にしろ近江国の佐々木城にしろ、何の因果か宗家は古の聖徳太子と縁をお持ちだ。今し方
「だろう?八幡大菩薩の比でないにせよ、その辺に転げ回って一日中喚き散らしかねん。
事の起こりは十三日である。師泰軍は東条攻め──楠木残党掃討作戦──を翌日に控え、大和川水系の石川沿いに南下していた。
古典『太平記』によれば、師泰軍は作戦に際して近隣地域の掌握を図り、寺社領に至るまで例外を認めなかった。天王寺所有の荘園からも米を一粒残らず徴収したため、七百年以上に亘って一瞬たりとも途絶えなかった寺の灯明が名刹の威光諸共、消えたという。
これだけでも中世の人々が最大の悪逆と見做し得るものらしい。
しかし、師泰軍の悪行は留まるところを知らなかったようだ。
『父上。見たところ、この辺りの九輪は大半が赤銅製のようです』
『九輪か。そんなもののために赤銅を使うなんざ勿体無ェな』
『……どうせなら九輪を盗って湯の釜にでも』
『成る程な……それは名案だ、師世』
これを見て、東条討伐軍の兵たちは我も我もと和泉・河内国の寺から九輪を奪い、湯の釜を作ったのだという。ここだけを見れば、中世らしいユーモアという解釈も確かに成り立つかもしれない。
『おいおい、あいつら茶葉はどうする気なんだ?』
『父上。丁度まだまだ兵糧が欲しかったところです。もし正儀にも父親譲りの才能があれば、戦の長期化は不可避……茶葉ついでに、寺を焼いて分捕りましょう。まずは見せしめに適当なところを』
『……太子廟でも焼いてみるか。敵の拠点にされても面倒だしな』
こうして師泰軍は更なる兵糧の必要を建前とし、叡福寺の太子廟を焼き討つ蛮行に出た。宝物を差し押さえ、今後の備えとした。
その悪逆非道ぶりは計り知れないだろう。そも太子廟とは何か。
聖徳太子とその母・穴穂部間人皇女、妃の膳部菩岐々美郎女が合わせて葬られているという、由緒正しき三骨一廟の墳墓である。
太子廟燃ゆ。飛鳥時代の産物が、無情にも高一族の悪行伝説を彩る犠牲となっていく。高一族はかつての蘇我氏すら超える賊臣かもしれない。飛び散る無数の火の粉が、天下に警告を与えていた。
〜2〜
吉野攻略を前にして、総大将の
東条攻略を狙う別働隊・師泰軍の太子廟焼き討ちについて武勇の誉れ高い
「
「は……ご存知の通り、我が京極に対して、宗家が六角を名乗っておられる訳は、屋敷の所在……とりわけ宗家の六角東洞院の屋敷はかつて平賀朝雅*1の邸宅だった場所……牧氏の変*2で幕府から佐々木一族に褒美として与えられた経緯がございます。極論を申せば、そこに住まわれるのは西国の源氏の王たる証。尊氏様が京に居られる限り、佐々木惣領の証左としての意味が精々でしょうが、宗家は
「
京の六角という地名は「鳴くよウグイス」より遥か前、聖徳太子の生きた時代にまで由緒を遡らなければなるまい。かつて聖徳太子が開基したとされる紫雲寺頂宝寺、通称・六角堂が起源なのだ。
南北朝時代でも六角堂は人々の信仰を集め、公家が頻繁に通い詰めていた旨も日記から確認できる。
だからこそ
「そもそも彼奴は何だ。関東で弟殿が北条氏の目を盗んでせっせと源氏復活の妥当性を新田たちに吹き込んでいた事、西国暮らしの身で知っていた訳でもあるまいに、自発的に源氏の正統性を唱えて、六波羅攻略を目論む足利首脳陣に接触してきた。弟殿がどこか
「先を見通すといえば、かの諏訪明神ですが……確かに宗家も時折そのような気配を漏らす事が……尤も、宇多源氏の血を拙僧と比較にならない程、誇っておられるのは確かでしょう。あの御方は幼き頃より帰属意識に飢えているところが……だからこそ、御自分の生まれも近江国守護の地位も将軍の烏帽子子たる事もたいそう誇りに思われるのです。並大抵の権力者とは少し毛色が違いましょう」
「……ふん。それで婆娑羅とは笑えるな」
「思うに世間から宗家が我ら婆娑羅大名の同類と見做される事は以後も無いでしょう。延暦寺や興福寺は兎も角……宗家が我らと同じ振る舞いを致そうとも、世間は道理に基づいての行いだと思い込むに違いなく……ただ、拙僧に言わせれば、宗家は婆娑羅者です」
「ほう。娘がぞんざいに扱われている事、心憎く思っておろうに」
「……左様な事は。神力豊富な魅摩を飼い慣らすための宗家なりのお心配りと理解しております。どうして分家の拙僧が不満など」
(相変わらず意図が読めん。賢い者ほど、その黒い面を見て疑心暗鬼に駆られそうになる。だが、実は意外と然程でもない。四條畷で巧妙に軍功上位を勝ち取ったが、武力はやはり
明らかな虚勢に
「俺がその魅摩とやらを差し出せと言えば貴殿はどうされる?」
「おや。
「質問に質問で返してくれるな。で、どうされる?」
互いに冗談だと承知している。ただ、二人の心象は全く異なる。
大型ペットが家猫か何かに戯れ付くようなものだ。
この期に及んで出産の経験のない魅摩は、人妻としての魅力を欠いている。もはや行き遅れの未婚の女に等しいだろう。
(ここは……神力に話が及ばぬように答えておくか)
「あまりお勧めできませんなァ。今の宗家に魅摩への愛想は欠片も無くとも、ただただ御自分が恥を掻かされたと思って憤慨する可能性はございましょうぞ。宗家は塩冶より苛烈……拙僧や師直殿が無事でも、魅摩の首を獲って我らの前で床に投げつけかねません」
(よくそれで
「そうか……無論、仮の話だ。安心されよ。俺とて
結局のところ、名門は名門でも武家は武家である。京極佐々木家の娘でさえ、皇女や貴族の妻女らにどうしても見劣りするのだ。
男については武力重視の
是が非でも自分のものにしたかったと合理主義の身で思うのだ。
古典『太平記』で「宮巡り」を揶揄される男独特の
「人妻と言えば……先日、噂を耳にしましたぞ」
「……噂だと?」
「は。どうも
「些か誇張もあるが……大体は正解だ。
「まだ宗家のお耳に入れないよう黒田殿や郎党たちにキツく言ってございます。ただ……細川家の
(
「……厄介な。師泰のところから秘密兵器でも借りるか。安保や薬師寺たちだけで
紀伊国守護・畠山
ところで、厄介な事は立て続けに起こるものと相場が決まっているものである。将軍執事・
「報告!北より兵五百騎が多くの荷駄を携え、南下中です!」
「何……北畠顕能の南朝軍、ではあるまいな?」
「いえ!旗の紋は四つ目結!六角軍の一部かと思われます!」
「「?」」
六角家当主の
四條畷の終戦後、
自分の感情に
しかし、六角軍の南下は寝耳に水だ。
「まさか……宗家が勝手に。いや、やはり……」
「……良いのか?六角家の連中とて、俺が派閥結束のために貴殿の娘との間柄を何とかするよう命じたと知れば、黙ってはおるまい。ましてやその裏に貴殿の要請があったと分かれば……
「いえ、それをやれば宗家が激怒して女を惨殺。見せしめに郎党の誰かを選んで処罰する程度、見通しているでしょう。六角党は我が京極家と違って、完全なる持ち駒なのですから、その命運は尊氏殿に何ら憚る事なく、宗家の思いのまま。ただ別の事が心配です」
「別の事?」
「これが
「……そういう事か。この俺に南北和睦の交渉をさせようと」
(どうせ荷駄など交渉期間のための兵糧補填だろう。弟め、余計な真似をしてくれる。南朝殲滅は事後報告にするつもりが厄介な事になった。尊氏様が体面を気にして日和ってしまえば全て水の泡だ)
生真面目の過ぎる副将軍・直義の顔が、
平田荘に到着の十五日以降、
二十四日、
以下ネタバレ注意!
↩︎
↩︎
↩︎
↩︎
↩︎
↩︎
原作について。南朝武将の集合コマに楠木氏が誰も居なかった事で「あ……」となりました。そりゃあ戦前と繋がる一族ですもの。
本来、南朝軍で最も意地や誇りを見せたのは楠木正行だと思うんですがね。心の底から残念。歯痒いなんてものじゃありませんね。
加えて正儀。九州の懐良を除けば、ほぼ唯一善戦したと言える筈の正儀が
この先も執筆スタンスは変わりません。その気になれば腰を落ち着けてじっくり扱える環境がある以上、原作よりも古典や史料を反映させるケースは、少なからず生まれます。武将や南朝公卿などのネガティブな面も描写していきます。ここまで読み進めてくださった方は再三の話ですから重々承知でしょうが、この機会に改めて。