崇永記   作:三寸法師

183 / 202
◆10+

〜1〜

 

 

 吉野焼き討ちから一夜明け、俺はいつに無く憂鬱な気分に駆られていた。遠からず、ミマは子を宿してしまうだろう。子は厄介な存在である。俺はその事を誰よりも知っている。何しろ、他でもない俺こそが先代当主(六角時信)にとって何より厄介な存在であったのだから。

 南朝首都・吉野の燃えゆく様子を見たせいだろうか。六波羅探題の滅亡を如実に思い出した。先代(時信)は六波羅探題の存続のために力を尽くしていた。対して俺は室町時代の到来を見据え、早く北条氏が滅びてくれないものかと日夜考えていた。しかしながら、興味本位で鎌倉見物に行ってしまったがため、時行(相模次郎)と出会って覚海尼から仲時娘との婚約を押し付けられた。まさしく一生の不覚であった。

 これらのために、俺は当時数え八歳の身にして、一念発起せざるを得なくなった。分家当主の道誉(佐渡判官)を通じて足利氏に接近し、その意を受けて六波羅探題周辺で奔走した。仲時たちを嵌めた。先代(六角時信)の思いを踏み躙ったのだ。有力武家であり続けるための代償として。

 

 

「兄様。お拾いになった孤児(みなしご)の事ですが──」

 

 

「俺は今、二十三歳だ。十三歳ではない。断じて松平信康にさせるものか。尊氏様、ご安心を。ミマが子を宿そうとも、御身に仇なす不埒者には致しませぬ。ですので、どうか!どうか!どうか!」

 

 

「……聞いておられます?」

 

 

「ん?……何だ。定詮(五郎)、居たのか」

 

 

 貞和四年(西暦1348年)正月二十九日の早朝、陣営の外で北へ向かって一心不乱に拝み倒していたところに、次弟の定詮(山内五郎)が現れ、俺は息を吐く。

 結局、俺はこの十年の宿願である尊氏様の娘婿になるという約束を果たせそうになくなってしまった。致し方無かった事とはいえ、藤井寺や住吉の負け戦さえ無くば……という思いを禁じ得ない。

 よって、俺は京の尊氏様に御容赦の程を願うしかない身なのだ。

 

 

「で、要件は……ああ、あの子か。定詮(五郎)、不審に思うか?お前が歯切れ悪く俺に物を言うとは珍しき事。それに免じて耳を貸そう」

 

 

「は……兄様の事ですから、弁内侍ともども尼寺に寄らせるのではと思いましたもので……何か深謀遠慮を隠しておられるのかと」

 

 

「……この先、要求を一つ呑み続けて貰うためだ」

 

 

 南朝一の美女──と言っても、俺個人の目には綺麗にも可憐にも見えなかったので、即興の歌の巧さを差し引いても、やや半信半疑だった──こと弁内侍と初めて顔を合わせた時の事を思い出す。

 あの時、俺は首を傾げていた。理由は弁内侍が赤子を抱えていたためである。子持ちという前情報はなく、俺は人違いを疑った。

 

 

『なぁ、これが本当にあの弁内侍か?子連れだし、顔もちょっと』

 

 

『ちょっ……殿様、その言い方はあんまりだよ。それに、どっからどう見ても美人さんだよ。顔世様の時も微妙そうだったよね?』

 

 

『これが美人か……失礼、歌を詠まれよ。それで弁内侍と思えば、子共々助けてやろうぞ。だが、下手な歌なら御自害を。師直(武蔵守)殿が色情魔として好き勝手致すは、我が本意に非ず……全てそれ故の事と心得られよ。三つ数えるまで待ってやる。亜也子(望月甲賀三郎)、数えてやれ』

 

 

『……必要ないみたいだよ』

 

 

『ほう』

 

 

 結果、間違いなく弁内侍という事で落ち着いた。赤子も顔付きから考えて血縁関係とは思われず、弁内侍によれば、どうやら遷幸の混乱で吉野に取り残されてしまっていた拾い子であったらしい。

 このままでは野垂れ死んでしまうため、せめて互いに一縷の望みを賭けむと、弁内侍はたとえ師直の前に引き立てられても、我が子と言い張るつもりであったようだが──子持ちと思えば正行(まさつら)に下賜される筈だった女子でないと誤解し、師直の溜飲が多少は下がるだろうと考えたらしい。ただ、いざそうなった場合、功を奏しそうにないと思えるのは気のせいだろうか──結果は無駄に終わった。

 

 

『良いだろう。歌に免じ、助けてやる。髪を下ろすのは当然として馴染みの尼寺はあるか?尼寺であれば、師直殿も軽々しく手を出せまいよ。そこまで見境なくとなれば、派閥の将からも大顰蹙だ』

 

 

『ございますが……この子は』

 

 

『……助けると言ったか。一応』

 

 

『南朝陛下の不利にならない事であれば、何でも致します!ですからどうか!この子を京へ!吉野暮らしは幼子には不憫ですから』

 

 

『まぁ……歌を詠ませたからにはな』

 

 

 西国武士の俺としても和歌は大事である。歌に免じてという約束をした以上、尊氏様の命運に関わる事でもない限り、易々と前言撤回するのは憚られる。別に幼子一人増える程度、構わないのだ。

 確かに財政に几帳面にならざるを得ない立場とはいえ、幾ら何でも大の武家が人っ子一人増えた程度で、揺らぐような事は無い。

 男なら後の一休宗純のように僧にさせたが、女という事なら世俗に置いたままで構わないだろう。幼過ぎるので、吉野焼亡の件で恨まれる心配も無い。問題は誰に預け、どのように育てさせるか。

 高確率で貴族の娘であろうから、忍びとして育成するのも如何なものだろうかと思う。どうせ藤原氏の血脈だ。この際、身分差に目を瞑って、我が郎党で姓自体は同じ三井氏にでも預けよう。そう決めたため、特に()()()()は無い。昨晩、夜泣きが我が寝所にまで聞こえた時は、流石に焦りが顔に出てしまったが、それはそれだ。

 

 

「それで……兄様は代わりに何を弁内侍に要求されたのです?」

 

 

「決まっているだろう?塩冶殿の名誉回復さ。正行(まさつら)の菩提を弔いながらでも、それは簡単だ。師直(武蔵守)殿の節操の無さについて、色々と話を広めてやれば良いのだからな。弁内侍も気が晴れるだろうさ」

 

 

 塩冶高貞(判官)の破滅は、大失敗だったと思っている。今や出雲国守護職は道誉(佐渡判官)の手に渡り、その軍事力を大いに強化させてしまった。

 何より腹立たしいのは、あの一家がみすみす死んで、裏切り者のレッテルまで着いてしまった事である。口惜しくも、塩冶夫妻が本当に南朝と通じていたと考える者は少なくないらしい。佐々木惣領として容認せざる事態だ。ならば、新たな噂話で塗り替えよう。

 讒言者の師直(高武蔵守)がどれだけ常軌を逸した色情魔であるのか。弁内侍の口から南朝公卿の間にも認識を持たせてやるのだ。そうすれば、南北で師直(高武蔵守)好色説が定着し、その加害性が明らかになるだろう。

 公卿は知識人層と表裏一体だ。要するに、文献を通して後の世に師直(高武蔵守)の異常な色欲を伝える事ができる。年月が経てば、塩冶高貞(判官)の風評は収まるだろう。悪逆な師直(高武蔵守)の被害者として落ち着くのだ。

 

 

「間も無く始まる内紛で、俺は師直派に味方する。だが、ただで味方してやる訳ではない。佐々木惣領として舐められたままでは終われないのだ。師直(武蔵守)殿の顔に泥を塗る。弁内侍はそのための駒だ」

 

 

「成る程……分かりました。これからも南朝がしぶとく残るなら、兄様の類い稀なる御力を以て弁内侍の精神を堕とし、有事に備えて間者に仕立て上げてみるのもアリかと考えておりましたが──」

 

 

 不意の定詮(五郎)のアイデアで俺は豆鉄砲を喰らったような顔をする。

 一見、悪くは無さそうな案だからだ。以後、南北朝の戦乱が直義のために混沌していくのであれば、南朝とのパイプを一つ増やしておくのも悪くはない。あくまで弁内侍との繋がりは最小限に留めるつもりであったが、定詮(五郎)の積極策も実に俺好みで、面白そうだ。

 しかし、程なく俺は京を想起した。尊氏様の御尊顔や持明院統の関係者たちについて。懸念事項を様々考え、俺は結論を出した。

 

 

「いや……そこまでやれば、事の制御が難しくなる。赤子を人質として強調する手もあろうが……弁内侍が情を見せたと申せ、所詮二人は赤の他人。人質の効果が万全に発揮される保証はあるまい」

 

 

「派手に立ち回せるに及ばず……という事でございますか」

 

 

「ま、弁内侍が要らぬ考えを持つようなら見直すつもりだ。ただ、そうでないなら、正行(まさつら)の仮の相手として敬意を持って接してやろうという事だ。南北朝の世と言えど、敵陣営の者との連絡手段を確保しておく者は()()居る。貴族を見てみろ。親兄弟で双方の皇統に別れて出仕する者だらけだ。いざどちらかが滅びそうになったら仲介を頼む腹積りでな?それに比べれば、今回の件は可愛いものよ」

 

 

 この後、弁内侍は南北朝動乱と裏腹に、正行(まさつら)の菩提を弔って平穏な日々を終生、竜門の西蓮華台院*1で過ごした。とはいえ、佐々木惣領の俺はそう呑気に弁内侍に図らい続ける訳にいかないもの。

 きっと観応の擾乱が始まれば、武家でもそうした動きが加速していくだろう。我が一族もそれに倣う必要が生じるかもしれない。

 だが、擾乱が収まれば、再び尊氏様の一強状態になる。まず第一の問題は、あの弱将の直義がどのように現幕府最強武将の師直(高武蔵守)を破滅させるかだ。はっきり言って、無理難題の極みだろう。きっと舵取りは簡単でない筈だ。心中にそこはかとない不安が渦巻いた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 ここ最近、自分は一体何をしているのだろうかと自問自答する事が多い。めっきり敵とまともに戦っていないせいなのだろうか。

 貞和四年正月も終わり、二月になった。幕府の軍勢は今も南朝の帝を捕えようと躍起になっている。ただお一人、殿様を除いて。

 

 

「お魅摩様。なんで殿様はあんなに攻め気を欠いてるのかな?」

 

 

「ん?何だ、不満かよ?甲賀三郎(望月甲賀三郎)……と言っても、それもそうか。あんた、ここ最近、その娘のお世話係みたいになってたもんね」

 

 

「……」

 

 

 どこか魅摩は気が大きくなっているようで、その口調の尊大さのせいで微妙な気持ちになる。どうやら魅摩は、婆娑羅大名たちの圧力を利用して、再び殿様から寵愛を受ける事に成功したらしい。

 定詮(山内五郎)様たちのやり切れなさそうな顔が浮かぶ。決して京極家出身の魅摩が歓迎されるようになった訳ではない。むしろ砂上の楼閣に違いない。六角党たちが捲土重来を願うように溢していたのだ。

 

 

『いつか必ず道誉はボロを出す。それまでの辛抱よ』

 

 

『然り。四條畷の働きで良いようになっているようだが、実力以上の軍功を誇示したところで、いつか自分自身の身を滅ぼすだけ』

 

 

『左様。もし幕府で内紛が始まるようであれば、派手に動いた者ほど自滅する。京極家は北近江と出雲国で軍が分散され、思うように力を発揮できない筈だ。その時こそ殿にとっての絶好機となる』

 

 

 心躍る内紛の予感は、殿様だけでなく一般の将兵たちの目にも分かるようになってきている。以前までの将軍執事と副将軍の間の力の均衡が、正行(まさつら)討伐を切っ掛けに崩れ始めているのだ。しかも、吉野進駐で高師直(武蔵守)という幕府武将の名声が限界を突破したらしい。

 六角党たちは危ぶんでいた。あの「魔風」により、焼き討ちは吉野の象徴的な金峯山寺蔵王堂をも焼き尽くす程のものとなった。

 高師直(高武蔵守)の気概は天すら滅ぼし得ると証明してしまったのだ。このようになってしまった以上、京の貴人たちも他人事のように構えては居られない筈である。その急先鋒的存在が足利直義(幕府の副将軍)だろうと。

 

 

「単に不貞腐れてやる気を失っただけの可能性は否定できないね。ただ、三郎が()()()()()事を始めたら、未来視のせいかもしれないと思った方が良いよ。今回の場合、まだ南朝が完全に滅びないと予見したんだろうさ。風前の灯である事には変わりない筈だけど」

 

 

「てっきり殿様は……幕府で内紛が始まる前に南朝の息の根を止めたいんじゃないかと思った。明らかに厄介そうじゃん。頼朝公と義経公が歪み合ってる間も、平家が残ってるようなものでしょ?」

 

 

「……ま、漁夫の利でも得られたら堪らないしね。それが分かってるから、私の親父も将軍執事(高武蔵守師直)殿も南朝残党探しに血眼になってるんだろうさ……ただ、吉野以南の深山はあまりにも広過ぎる。兵力の差が歴然だからって、そう簡単には行かないよ。暗い屋敷の床下から御器被りを見つけるより遥かに難しい。兵糧の工面も大変だ」

 

 

 確かに魅摩の言う通りかもしれない。京の方針を伝えるために定詮様が幕府軍に合流した時も、携えていた兵糧はあくまで和睦交渉期間を支えるための量に過ぎなかったらしい。捜索や捕縛のために進めば進むほど、深山幽谷において補給は難しくなってしまう。

 もし手間取っている間に、兵糧が尽きてしまったら大軍は二進(にっち)三進(さっち)も行かなくなってしまう。山育ちの私が誰よりもよく知っている危険だ。都会育ちの魅摩がそれを説いてしまう辺り、才気の差なのかもしれない。佐々木一族は頭脳においても逸材揃いなのだ。

 

 

「殿様は兵糧の危険も考えて乗り気じゃ無かったのかな」

 

 

「さぁね。あいつは時に誰より攻撃的で前のめり、時に誰より過剰に物事を危ぶむ繊細な性質だからね……他に理由がある可能性は全然あるよ。今更、敵の伏兵や伊勢国の南朝軍の動きを気にしてるかもしれない。本来、そこまで気にする必要は無い筈なんだけど」

 

 

「……どうして?」

 

 

「敵軍の数は伏兵を拵えるにしても少な過ぎる。北畠顕能(故顕家の次弟)の軍勢は未だに伊勢国を離れられない。どちらも警戒するに値しないよ」

 

 

「そんな理由を殿様は気にしてるって事?」

 

 

「繊細なところがあるからね。豪胆さだけなら良かったんだけど、こればかりは先代譲りの御気性さ……兎や角言っても仕方ない」

 

 

「へぇ……」

 

 

 思えば、私が亡き大方様と話す機会は度々あったが、先代の時信様とはまるで無かった。勿論、面識自体はあった。ただ、それでもヤケに申し訳なさそうな顔をされて、戸惑った事を覚えている。

 だから魅摩の話が腑に落ちた。確か時信様(御先代)は最後の最後まで六波羅探題の方々のため、力を尽くしていたと聞いた覚えがあった。

 

 

「そういや、その娘の名前……結局、()()になったんだっけ?」

 

 

「うん。殿様の思い付きで」

 

 

「……十年前の石津で女装した時の名乗りに続いてか

 

 

「?」

 

 

 恐らく咲耶は南朝のお貴族様の縁者だろうという話だ。殿様の次弟の定詮(山内五郎)様が言っていた。南朝公卿は殆ど北朝公卿の親子兄弟でもあるため、拾ってしまったからには無碍にするのも、それはそれで危ないという。それに孤児収集は甲賀忍軍の方でもやっている。

 何はともあれ、私は今現在、不本意にも咲耶の世話を押し付けられている状態だった。一応、京や南近江に帰れば、他に誰か適当な者を三井家から探すという話だ。早くそうして貰いたいものだ。

 私は決して子守りなんかのために従軍した訳ではないのだから。

 

 

「あんたは……ああ、聞いてても覚えてないか?」

 

 

「ねぇ。さっきから何の話?」

 

 

「何でも無いよ。ただ……ね」

 

 

「?……ああ、そうそう。この娘さ、全然うんともすんとも言わないのに、泣く時は凄い切羽詰まってるんだよ。昨晩は限界まで空腹を拗らせてたんだろうって。殿様も大昔はそうだったらしいね」

 

 

 生前の大奥様(長井時千娘)から聞いた話を思い出す。乳母たちを含め、周りの者たちが殿様の面妖さに戸惑った事は赤子時代まで遡るらしい。

 だが、魅摩は興味なさげだ。逆に白けたかのような反応である。

 

 

「私に聞かれてもな……あいつと赤子の頃から深い仲って訳じゃなかったしさ……それに私、()()子を育てた経験が無いからねぇ」

 

 

「……()()?」

 

 

「うん、そう。()()

 

 

 にんまり笑う魅摩の顔が酷く嫌味に思えた。とっくに出家して女を捨てたがため、子を諦めた身でも、カチンと来るものはある。

 この翌年(貞和五年)、魅摩は本当に子を産んだ。その子は、殿様と同じ千寿丸という幼名を名付けられ、一族郎党の期待を背負う事になる。

 魅摩に子が産まれ、道誉(佐渡判官)様が一体どれだけ心を踊らせたものか。

 だが、京極家が順風満帆という訳では決して無かった。その惨劇は吉野焼き討ちから二週間ほどの貞和四年(西暦1348年)二月八日に勃発する。

*1

後に長宗我部元親の六男・文親(文誉鉄牛上人)が跡地に西蓮寺を建てたという。

文親の母親は、楠木正儀の末裔だったとされるが、真偽は不明。




今年の四月からBS4Kで大河太平記の再放送が始まるそうです。
視聴の際は近年では稀な重厚さから、あたかも能楽鑑賞をしているかのような気分に陥るかもしれませんが、鎌倉時代末から観応の擾乱まで色濃く描写されているので、非常にお勧めです。逃げ若アニメで大河太平記のオマージュシーンがあったという話もあるとか無いとか。足利尊氏(真田広之)佐々木道誉(陣内孝則)高師直(柄本明)北条高時(片岡鶴太郎)後醍醐天皇(片岡孝夫)、そして楠木正成(武田鉄矢)などなど圧巻の演技です。是非ご高覧ください。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。