崇永記 作:三寸法師
〜1〜
北朝で言うところの
今や天下最強と目される完璧執事・高
「苦労。これが着到状だ」
「ははっ!有り難く頂戴致しまする!」
「時に摂津国で師冬はどうしていた?まだ身体は回復途上か?」
「お察しの通り……ですが、今は文官仕事の方を何とか」
「ならば良し。土地に関し、何かあれば師冬に話を投げろ。俺は数日以内に再び忙しくなるだろうからな……何、直ぐ終わる話だ」
明らかに
師直軍五万騎に対し、賀名生の後村上天皇の手勢は雀の涙ほどしか居ない。周辺の地元武士たちが果たして双方どちらに味方したいと思うものか。このような窮地で、正攻法は土台無理なものだ。
しかし、祈祷で何もかんも解決するなら苦労しない。日を同じくして後村上天皇は悲嘆に暮れた。縋るべき藁が失われたからだ。
「越前国の反乱がもう失敗した……」
「はい。帝、今頃は首が京に届けられているものと」
『建武三年以来記』によれば、越前国で合戦が起こるも敢えなく鎮圧され、二月四日にも戦後処理されたという。現状打破のための一筋の光が、あっさり消えたのだ。これで
この時、後村上天皇は清貧にも程がある逃亡生活の中で、視界が真っ暗になるかのような錯覚に囚われていた。もうこの世に北畠顕家は存在しない。親王時代、あれほどまでに頼もしかった公家将軍が存命だったのも今や十年も昔の事だ。直近では
南朝の斜陽は誰の目にも明らかである。九州でこそ懐良親王が果敢に気を吐いているが、とても今直ぐ吉野救援を望める程の余裕が有るか無きや。顕家の弟たちはそれぞれの地で周辺の幕府武将に睨まれており、新田義興や北条時行に至っては既に見る影もない。
もはや
「越前国では数年前、尊氏と確執のある有力大名・斯波高経が守護職を解かれ、新たに細川頼春が就任している。その頼春が南征に従軍している今なら功を奏するかと思ったが……難しいものだな」
「帝……ここは正儀に知恵を借りる他、手は無いかと……」
「四条よ……正儀とて河内国で師泰軍と対峙し、予断を許さない状況なのだ。ここで甘えてしまえば、朕はまた
親王時代は顕家の転戦に同道した後村上天皇と言えど、憔悴ぶりが明らかだ。何も賀名生での貧困生活だけが理由ではあるまい。
かつて般若坂合戦の後、顕家に対する使い潰すような処遇に胸を痛めておきながら、十年ほどが経って先帝・後醍醐天皇と同じ過ちを犯したのだ。後村上天皇は賀名生に臨幸し、益々の痛恨の思いを仲春の寒風と共に味わっていた。状況は刻一刻と悪化している。
南朝首都・吉野が焼かれ、後村上天皇たちの恐怖はとっくの昔に最高潮だ。
「北朝武将は逆賊の集まりだ。澄まし顔で清廉潔白を自称する足利直義でさえ、かつて坂東で親王弑殺を手配した逆賊だ。まして直義より余程凶暴な師直はどうだ?朕への敬意など欠片もあるまい」
「しかしながら……仮にも三種の神器をお持ちになっておられるのは陛下です。幾ら北朝武将の師直でも、そう
「余の同母兄・恒良親王の末路を知ってなお申すか?四条よ」
「ッ!」
後醍醐天皇の第五皇子・恒良親王について話が及び、四条隆資は背筋が凍った。恒良親王とは吉野遷幸の前、後醍醐天皇が足利氏と一時和睦した際に、北国落ちの新田氏に与えた皇太子だ。その後、三種の神器の所有を根拠とし、北陸王朝の象徴となるも、他ならぬ後醍醐天皇が吉野で未だ帝位にあるものと主張してしまったため、状況が一変した。恒良親王は何も知らないまま、なし崩し的に自称新帝に身を窶す事となってしまい、新田氏の北朝王朝の構想は空中分解した。南朝から暗黒史扱いされ、北畠親房も口を噤む話だ。
最終的に恒良親王は、新田軍の形勢悪化が祟って足利軍の手に堕ちてしまい、問答無用で京に連行された。真の問題はこの後だ。
「仮にも恒良親王は比叡山で密かに受禅され、皇位にあった幻の帝なのだ。現南朝政府として公に認める訳に参らぬ話だが、北朝にも暗黙の了解として知られて久しい……その兄宮はどうなった?」
「数年前……北方で亡くなられたとお聞きしておりまする」
「
「……実のところ、十年ほど前にお亡くなりに。足利家が現政所執事の粟飯原清胤をして毒殺させたと……何と畏れ知らずな事か」
古典『太平記』によれば、元南朝皇太子の恒良親王ならびに元征夷大将軍の成良親王*2が、「鴆毒」によって命を落としている。
両名の末路について現代では北朝公卿の日記を根拠に異論が唱えられているものの、足利武将がまたしても皇族を弑殺したというゴシップネタは中世の部外者たちの印象に深く刻まれた事だろう。
恒良親王も成良親王も、彼らより先に死んだ尊良親王や護良親王とは毛色が違う。尊良親王はあくまで金ヶ崎城落城に伴う自害であると見做されており、護良親王はかつての建武政権で執拗に足利氏と敵対していた過去がある。一方で、恒良親王は皇太子以上の存在であり、成良親王は直義の関東支配に寄与していた御輿なのだ。
たとえ後村上天皇が南朝の現人神であろうと、足利幕府が弑殺に二の足を踏むだろうか。まして幕府軍総大将はあの
「楽観的な予測をするのは簡単だ。だが、師直は……その逆賊ぶりが蘇我馬子に及ばぬと誰が言えよう。朕はともすれば、崇峻天皇以来の臣民に弑される帝になるやもしれぬのだ。気休めは無用だ」
「は……」
「気休めは確かに必要ございますまい……ですが、治天の君にしては少々悲観が過剰でいらっしゃるようにお見受け致します。帝」
「親房!?」
後村上天皇は息を呑んだ。南朝の元帥・北畠親房の気勢は衰えていない。その積極果断さは亡き長男・顕家に通じるものがある。
「その自信……親房、早くも次善策を拵えたのか?」
「は。勝手ながら密かに正儀と連絡し合い申しました。ご安心くださるよう。師直は近く滅びます。行宮に加え、蔵王権現や天神社壇すら燃やす言語道断の悪行ぶり……確実に神罰が降りましょう」
「事ここに至り……神仏が我らの味方をするか」
二月七日、
しかし、翌日になると不可解な事象が起こった。幕府の大軍が突如として行き先を変更。元居た大和国平田荘に
〜2〜
この動きについて後世でも訝しまれている。吉野焼き討ちで南朝の権威は失墜し、戦略目標は確かに達していた。この先の直義との内紛を見据えれば、抗争に備えて戦力を温存しようという腹だったのかもしれない。だが、それにしては宇智郡進出が奇妙なのだ。
現在、
「父上。本当に良いのですか?折角ここまで来たのに、中途半端なところで引き返して……万が一、億が一にも南朝が巻き返す事態が起こらば、きっと後悔しますぞ。秀宗、お前からも言ってやれ」
「兄上……ですが、これだけは確実に申せましょう。宗家が此処に居られれば、確実に不満を零しておられた筈です。兄上よりも」
「ふ、確かに……あれは手の付けられない癇癪持ち。今や石合戦で棒切れを持って対岸に殴り込んでいた幼き頃の比ではない。父上、むしろ心配になってきました。宗家が独断専行なされぬものか」
「はてさて。宗家は今頃、吉野で撤退の報せを聞かれた頃合いか」
(不思議と宗家は南朝殲滅に乗り気で無かったようだ。存外、納得されるやもしれん。軽々に申せまいが……恐らくそうした未来が)
この行軍に佐々木惣領・
越前国で反乱があったばかりで、隣国の近江国守護まで大和国の南部に深入りさせられないという事情があったのかもしれない。
何はともあれ、
「殿!南西の宇智郡に向かった幕府本軍が撤退を決めたと!」
「そのようだ。伊庭、この吉野の周辺地図は?」
「既に精巧なものが出来上がっておりまする!」
「結構。これで南朝首都は丸裸……以後、何十年と掛けて防御施設を整備しようと無駄だろう。幕府さえ万全なら、我らはいつでも総攻撃を成功させられる……我らも撤退だ!明日にも平田荘で
「は!」
(師直の情報によれば、南朝軍は密かに地元武士を集めている……向こうから話が漏れて来ないとなると、南朝の上役も知らない者が多い筈だ。まず正儀の成した業だろうが、何とも厄介な敵将よ)
重臣の伊庭妙智に指令を伝え、
その様子を次弟の
「兄様……今更、伏兵の御警戒ですか?」
「念の為だ。尤も、我らに関しては必要ないと思うが──」
「我らに関して、ですか」
「ああ。我らに関して……であるぞ」
「は……では、ゆるりと平田荘へ戻りましょう」
「うむ。ああ、葛はできる限りたっぷり持ち帰るのだぞ。粉にしてたっぷりと
宇智郡、吉野、平田荘は必ずしも直線で結べるような位置関係にあるという訳ではない。三箇所を地図上で比べてみると、平田荘が最も北、吉野が最も東、宇智郡が最も西にある事が手に取るように分かるだろう。大事なのは、宇智郡と平田荘を結ぶ線の場所だ。
丁度、金剛山の直ぐ近くに位置しているのだ。要は河内国との国境沿いである。河内国東南部では現在、正儀が戦を続けていた。
「高
「如何されます?正儀様」
「……難しいな」
(当初の見込みでは、師直軍が宇智郡から賀名生に雪崩れ込むための一本道を通るところを襲撃する手筈でござった。されど、平田荘に撤退するとなると……奇襲しても伏兵の効果が限定的だ。折角集まった野武士たちを全て投入してたところで、師直軍の五万騎が相手では、四條畷の
現在、正儀は北に
賀名生の北畠親房からの相談という名の命令で、猛将・和田
「正儀様。このまま引き下がっては武名が廃りまするぞ」
「……
(
「構いませぬ。ただ一当てさせて欲しいのでござる。折角、高兄弟への仏罰に期待して集まった、元四条軍所属の野武士たちが三千騎も居るのです。誰か適当な守護大名の部隊でも壊滅させなければ、南朝に明日は無い……正儀様、どうか行かせてくだされ。何卒」
「仏罰か……ならば狙い撃ちすべき将は、師直ではなく──」
正儀は地図を指し示す。間諜の報告を元にした地図だ。師直軍の配置が載っている。その北側中央にターゲットの名前があった。
前出の『醍醐地蔵院日記』には意外な記事が載っている。八日、師直軍が平田荘帰還を目指して北上したところ、南朝軍三千騎が現れたというのである。当然、これで合戦に発展しない筈がない。
この合戦において、南朝軍に狙い撃たれた幕府武将と言えば──
「何と小癪な……拙僧に矢を浴びせるか!」
「道誉様!危のうござる!」
「父上!近くの
「御意!さぁ、南朝軍!どこからでも……ぐッ!」
「「秀宗!?」」
これも八年前の妙法院焼き討ちの報いなのだろうか。京極軍はこの戦において、当主・道誉や嫡男の秀綱が負傷した他、庶子の高橋秀宗をはじめ将兵が数多く死亡するという大きな代償を払った。
四條畷の戦いで稼いだ武名が、一月とそこらで水の泡になったのである。佐々木一族の有力庶家の京極家もまた、乱世の荒波で揉まれざるを得なくなっていく。秀宗の死はまだまだ序の口だった。
〜3〜
二月九日、
派閥のリーダー・高
(甘かった……!師直殿は分かっておられたのだ!南朝軍の伏兵を悟ったため、急遽撤退と思っていたが……それだけでは無かった!敵の実力測定がてら拙僧に意趣返しを!魅摩のために利用された腹いせに!この道誉が決して弟殿と相容れない事を見抜いた上で!)
「
「その前に……
軍議で、昨日の合戦が京極家の独り負けのように扱われている。
確かに犠牲者の数は京極軍が突出して多かった。しかし、総大将の
つい先程まで、
(拙僧はあくまで……宗家の次。幕府重役の座は年の功ありきと)
「ほう。楠木残党の関与を疑っているのだな?
「はい。楠木残党が関わっているとなれば……首謀者は新当主の正儀と見るべきかと。加えて仮にそうであるとするなら、正儀は父兄に劣らぬ実力者という事に……
「申し訳ございませんが、宗家……傷の痛みでそれどころでは」
「何と。よもや
「……面目次第もありませぬ」
(宗家とて!藤井寺や住吉の合戦では
負傷の
古来より自分が正しいと思い込んでいる者ほど、厄介なものは無いと相場が決まっている。
「
「おお……!やはり昨日の敵将は楠木正儀!」
「そうではないかと思っておった!」
「これは今から南に向かったとて、致し方ありませんぞ」
(こいつら……最悪だ。仕切り直さねば使い物にならん)
大名たちの気勢は明らかに削がれている。何しろ、
こうした厭戦気分について総大将・
京極軍の損耗具合と赤松軍の救援により、
(再戦しても得られるものは限りなく乏しい…… そろそろ副将軍との派閥争いに本腰を入れたいところだ。正儀など恐れるに足りん。今暫くは師泰か
「数日様子を見る。正儀が次にどう動くか見極めたい。特に問題なければ、奈良へ向かう。その翌日に帰京だ。宜しいな?
「は……」
「まるで敗残兵の京極軍が我が凱旋軍に居ては、人々に余計な疑惑を抱かせかねまい。
「承知」
しかし、出迎える副将軍・直義は白い目を向けていた。風森峠近辺にて伏兵に遭い、
天下を揺るがす大事件・御所巻まで残り一年半程となっていた。