〜1〜
吉野攻略のための大和国遠征が終わり、俺はおよそ半年振りに京に戻った。藤井寺や住吉の敗戦に関し、あれこれ言われては敵わないため、逆に自分から正行は強かったと吹聴する。こうする事によりて正行に負けても仕方なかったという雰囲気を醸成するのだ。
ただし、これは副作用を伴う。将軍執事・高師直の武名高揚を後押しする事にもなるのだ。なので、この俺が以後も師直派に居るものと見做される。当然、直義派閥から良い顔をされる筈がない。
そうした中、将軍邸で師直たちと一緒に帰京の挨拶を済ませて退室した矢先、意外な再会があった。元南朝武将が居たのである。
「んん?……は?お前、こんな所で何してんの?」
「チッ……」
我が顔を見るなり不機嫌そうな顔を浮かべたのは、今なお逃若党に所属している筈の祢津弧次郎だ。何故か将軍屋敷で直義派武将たちと一緒にいる。それも堂々と。俺は首を傾げ、遂に得心した。
室町幕府の開闢から十年、中先代・北条時行の右腕がやっと改心したのである。もとい時行が見捨てられたのだ。鎌倉幕府を我が物顔で仕切っていた簒奪者の末裔が、惨たらしく朽ち落ちた。佐々木惣領として微笑を浮かべる。頼家公も浮かばれるというものだ。
一方で、高師直は慎重だ。訝しみを露わにし、直義派の代表格の桃井直常に尋ねている。尊氏様の周りに不穏分子を置く事に他ならないのではないかと気が気でないのだろう。確かに怪しいと言えば怪しいのだ。何の前触れもなく突然中枢近くに現れたのだから。
「おい、桃井。なぜ時ゆ……廿日先代の郎党が此処に居る?」
「へぇ!師直サマ!そも祢津殿は北条の郎党ではございません!」
「……ほう?」
「執事殿w桃井殿に代わり、この吉良が元信濃国守護として教えて差し上げましょうw祢津殿はあくまで諏訪氏の郎党にござるw」
七、八年前の僅かな在任期間でも、吉良満義は腐っても元守護。
信濃国の事情には将軍執事の師直よりも精通しているという自信があるらしい。得意げに語ったのだ。祢津弧次郎は詰まるところ、諏訪氏からの出向郎党に過ぎず、元々時行の持ち物ではないと。
「ふむ。諏訪頼嗣が昨年、北朝……ひいては幕府に降っていたな」
「はいwですから、諏訪氏の傘下の祢津一族の武将が、御兄弟の護衛のために我らと肩を並べて居ても、何ら不思議なき事にてw」
確かに理屈自体はまずその通りだ。諏訪頼継は昨年九月、一丁前にゴネて信濃守の官位を北朝から授かっている。つまり、諏訪氏は北朝方となり、同時に室町幕府の傘下に収まっている。もはや諏訪三大将の血縁が、時行や南朝に力を貸してやる謂れはないのだ。
それに、かつて反乱で天下を無駄に騒がせた時行も、今ではすっかり力を無くしている。どうやら昨年末に宗良親王が吉野朝廷との合流を図って、信濃国の潜伏地から急遽出奔の末、濃尾平野まで潜り込んだ騒ぎがあったらしいが、それも諏訪氏の北朝転向や無力極まりない時行に業を煮やしてと思えば、納得できる。宗良は和歌の達人と評判だが、後醍醐や護良と同じ血が流れているのだから。
要するに、今の時行には身を預けるだけの価値が無い。武将なら尚更だ。土地もなく貧乏で、戦意すらないのだ。常陸国で春日顕国が窮地に陥った際、救援に動いた形跡は微塵も無かった。ひょっとすると、父親の高時のように病か何かで痴呆状態かもしれない。
だが、師直は未だ腑に落ちないようで、眉を顰めたままだった。
「それにしては先程、敵意の籠った視線を氏頼に向けていたが?」
「……祢津殿w」
「師直様。御容赦を……好いた女の仇だったので、つい」
「「?」」
何の話かと首を傾げた。親の仇ならまだしも、好いた女の仇とは実にくだらない。勤務中に公私混同を忍ばせるとは言語道断だ。
そもそも俺が女を殺した回数など、そう何度もない筈だ。強いて言うなら、北条仲時の妻や娘だろうか。しかし、弧次郎との接点は皆無だ。であれば、誰だろうか。怪訝な表情をせざるを得ない。
すると弧次郎が苛立ちを露わにした。全く覚えていないのかと。
「申し訳ないが、全然記憶にない。筋違いだ」
「……五郎正宗のところに居た下女と言えば分かるか?確か佐々木一族が弟子に居た筈だぜ。正宗の工房に顔を出した事あるだろ」
「……ああ、あのトンチキな具足の女武者か」
もう十年前の事だ。石津で一世一代の狙撃を敢行した帰りに変装を解いて京に帰ろうとした際、悪魔巫女の拵えた伏兵に狙われた事変があった。あの時は俺も焦った。斬って斬って斬りまくった。
その時に女武者──あまり覚えていないが、尼削ぎにして得体の知れない具足で珍しかった──が犠牲になったのか。だが、それなら恨まれるのは益々筋違いだ。囲んで必死の抵抗を強いておいて、調子が良過ぎると言いたいものだ。結果、俺は白けた顔をした。
下女が戦で死んだ程度で名門武士に文句を言うなぞ意味不明だ。
そもそも仇どうこうで言えば、渋川義季に致命傷を与えた過去はどうなるのか。祢津弧次郎という武将は、次代将軍の正室・渋川幸子にとって父の仇なのだ。何やら直義派はそれについて水に流している様子だが、そう簡単に問屋を卸して良いものなのだろうか。
「はっきり言ってどうでも良い。そんな事より、祢津殿。俺にも敬語を使って貰いたいものだ。俺は佐々木惣領にして近江国守護だ。将軍の烏帽子子でもある。要するに、お前とは完全に格が違う」
「ッ……」
「こいつ、マジかよ」
「桃井殿。何かご不満でも?」
「いや……何でもねェ」
驍将・桃井直常に釘を刺し、俺は師直とアイコンタクトを行う。
あまり長引いて騒ぎになっても面倒だ。これから諸将で一条今出川の師直邸に赴き、打ち上げの予定なのだ。師直謹製の美味い料理に舌鼓を打ちたいところで、こんなヤツらに費やす時間は無い。
「楠木軍に負けておいて偉そうに……」
「祢津殿。言葉には気を付けられよ。その言葉、顕氏殿や時氏殿といった有力守護たちにも掛かるぞ。あと赤松家だ。この俺を含めて全員を敵に回すつもりか?祢津弧次郎……楠木正行は英雄だった。お前の元主君どころか、北畠顕家以上の難敵だった。到底、お前如き俗物が語れる武将ではない……ささ、師直殿。参りましょう」
「ああ」
いよいよ室町幕府の内紛の勃発まで秒読みである。直義派は元逃若党の祢津弧次郎を得て、武力を強化する腹のようだ。渋川義季の仇を用いなければならない程、打倒師直のために形振り構っていられないのか。その執念が、一時の成果に繋がるのかもしれない。
あくまで一時だ。決して続かない。最後の勝者は尊氏様なのだ。
土御門東洞の将軍邸を出て、一条今出川へ向かう道中、俺は馬上で師直に切り出した。今後の派閥の指針を明らかにするために。
「師直殿……勝つための鍵は義詮様と見ます」
「……そのようだ」
「はい。御舎弟殿は直冬を推し上げる気です。その上、義詮様と同じように渋川一族の娘を正室にしておきながら、祢津弧次郎を派閥に加える大きな失態を犯した……これらが御舎弟殿の命取りに」
「義詮様をして弟殿を倒すか……氏頼。祢津弧次郎に関して渋川氏の取り込みは慎重に行う。故に、軽はずみな発言は控えるように。恐らく渋川頼子は夫の助けになるならばと兄の仇の存在について受け入れておろう。だが、我が婿となっている現当主の直頼は別だろうさ。忸怩たるものを抱えているに違いない……そこを突く」
どうも斯波家長は生前、義詮に恩を売って直義の助けにしようと目論んでいたようだが、全て無駄になった。麒麟児ですら予測し得ない存在・足利直冬が出現し、直義の心を惑わした事によって。
直義の実子・如意丸すら比較にならない程、直冬は次代将軍の義詮にとって目の上のたん瘤と呼ぶべき厄介者なのだ。年功以外に才覚でも直冬は嫡子・義詮を上回るのだから、当然の帰結だろう。
故に足利義詮が執事派閥の強力な御輿となるのだ。直冬を倒そうと思えば、打倒直義が不可欠だ。つまり、利害が一致している。
今後、正確さを重視するなら師直派は義詮派と呼ばれるべきかもしれない。そんな事を思いながら、師直邸の慰労会に参加した。
〜2〜
副将軍・足利直義は未だ分からないらしい。己が猶子としている直冬を推し上げる事が、どれだけ危険か。任官など論外だろう。
貞和四年四月十六日、直冬が左兵衛佐となった。しかも、位階は従四位下だ。副将軍の直義に言われるがまま、尊氏様が父子と認定するも同然の措置をうっかり行なってしまったがため、直冬は数多の守護大名を抜く高い位階を手に入れたのだ。この俺とて未だ従四位下には至っていないというに、直冬は何と図々しい輩なのか。
「売女の息子が……いつか必ず死の宣告をしてくれる」
「まぁまぁ宗家。間もなく内紛が始まるなら、将軍は北朝に直冬殿の逆賊認定を実行させるに違いありません。さすれば、官位に一体何の意味がございましょうや。今は餌を貪らせておきましょう」
「ふん」
賀名生攻め中止後の撤退行動戦で多大な犠牲を払った京極佐々木家当主・道誉であったが、月日が経てば傷も癒えるものだ。回復を理由に今は京に戻り、犠牲を忘れて一族同士の謀議をしている。
腹黒策士として心躍るものがあるのだろう。惣領正妻となった娘の様子を確認するがてら、我が文字通りの先見の明を頼る気だ。
「伝え聞いておりますぞ。義詮様が要と見込んでおられるとか」
「ああ。直冬だけなら兎も角、御舎弟殿も排除するとなると将軍のやる気が起こるまい……されど、義詮様は別だ。次代も二頭政治を行う筋合いはないのだから、義詮様にして見れば、直冬も如意丸も邪魔で邪魔で仕方ないだろう。つまり、直義も敵となる。文武の才覚で直冬に及ばないらしいからこそ、政争の意義が生じるのだ」
「義詮様が動くとなれば……直冬がお嫌いな将軍は最終的に嫡男を選ばざるを得なくなりましょうなァ。勿論、あの御方は気性が気性ですから、最初は八方美人のように静観なさるでしょうが……」
目前に迫る擾乱で、尊氏様が能動的に直義排除に動くとは流石に俺も思っていない。というより、最初は当てにするべきでない。
尊氏様の真骨頂は箱根竹下合戦然り、九州落ち然り、状況が悪くなってからの驚異的な巻き返しにあるだろう。最初から尊氏様におんぶに抱っこになるのではなく、高一族の没落や義詮の焦りを見て直義派に危機感を覚える筋書きの方が、真価を発揮できるのだ。
「今は関東に居られる義詮様を如何にして中央へ引っ張り出すか。換言すれば、上京の理由を捻り出すか。これぞ当座の課題なり」
「そこは心配ございますまい。直冬は紀州情勢の悪化を理由に出陣する手筈。討伐成功に向け、弟殿が各地の寺社に祈祷を要請するばかりか、九州の少弐頼尚に命じて軍勢を派遣させる気のようで」
直冬軍はこのままだと、筑前国や豊後国や肥後国の北朝武士も参じる大規模なものになりそうだ。しかし、不可解な点があった。
九州の軍勢を呼び付けるとなると、討伐軍の編成完了までに一定の月日を費やさなければならなくなる。つまり、鎮圧成功までの時間がどうしても必要になってしまう。かと言って、紀伊国の南朝軍がそんなに時間を掛けてでも倒すべき大層な戦力とも思えない。
そもそもの話、どうして直義は先日の幕府の会合で紀伊国の反乱を議題に取り上げたのだろうか。守護の国清だけで鎮圧不可能な危機的状況なのだろうか。だとしたら、これが初陣となる直冬を討伐軍の大将に任じて送り出すという筋書きは、如何にも妙である。
要するに、今回の討伐はどちらかと言えば鎮撫より、直義派のデモンストレーションという意味合いが大きい。直冬という戦力の御披露目の機会を設け、決して師直派に武力で劣らじと示すのだ。
「そこまで大掛かりにやれば……鎌倉で義詮様の危機感が増す」
「左様です。上洛への思いを胸の内で滾らせる事でしょう」
「胸の内……自発的に御意思を示して頂きたいものだが」
「そこまでは難しいかと。十一年前の戦で己が我が儘のために家長を死なせてしまったと卑屈になっておられる。このような噂が」
「家長……これも関東足利党の布石か。義詮様を傀儡に」
現在、関東足利党の主力となっているのは上杉氏だ。関東に憲顕がいる一方、西には重能がいる。今後は高一族の対抗馬として注目されるだろう。特に東国では後に上杉氏が関東管領になるのだ。
西の重能はあまり大した才能があるとも思えないので、捨て置いて良いだろうが、東の憲顕が問題だ。どうやって関東に勢力を留めさせるか。もしくは庇番で培った直義との絆にヒビを入れるか。
足利兄弟の亡き生母が上杉氏である事を踏まえると、そう簡単ではあるまい。ましてや憲顕と直義はただの従兄弟以上の関係だ。
「関東は今、重茂殿と憲顕殿。この両執事が運営しておられる」
「高重茂……力不足の感が否めん。十年前、墨俣川で北条時行の軍勢に負けた論外な男だ。気性も大人しく、三人目の高兄弟ながらに直義派だと……マズい。上杉憲顕に対抗できる気が全くしない」
「はい。ですので……いずれ再び師冬殿と交代されるかと」
「!」
以後暫く、室町幕府では人事改定を巡り、師直派と直義派の間で水面下の争いが活発化していく事になる。高一族の身にして直義派という猛将・大高重成のように所領や守護職を失う憂き目に遭う者も出た。訴訟に関する役職でも盛んに見直しが進められていく。
貞和四年夏、観応の擾乱の前哨戦が既に始まっていたのである。