崇永記   作:三寸法師

188 / 202
◆2

〜1〜

 

 

 きっと後の江戸ほどでないにせよ、当世の京でも折に触れて火災が発生するものだ。貞和四年(西暦1348年)四月二十九日、元内大臣・大炊御門冬信の屋敷が突然燃えた。何でも七歳の孫娘が焼け死んだらしい。

 当代の近江国守護であるだけでなく検非違使でもある身として、眉を顰めざるを得ない事件だった。只の火事では無かったのだ。

 

 

「矢が……飛んで参っていたと」

 

 

「左様です、宗家。大炊御門卿の意気消沈ぶりは言うまでも無いでしょうが……我が愚息の秀綱(源三判官)より報せがございました。侍所の方で騒ぎになっているらしく。どこの誰による放火であったのかと」

 

 

「南朝の破壊工作か、豪胆な盗賊でも居たか。それとも……」

 

 

「はい。心外な事に……どうやら弟殿(御舎弟殿)の派閥構成者たちが、またしても我ら婆娑羅武将の暴発ではないかと疑っておられるようで」

 

 

「……何と見当違いな」

 

 

 勿論、京極(佐々木)道誉(佐渡判官)や高師直(武蔵守)といった婆娑羅大名たちの身から出た錆と思わなくもない。亡き土岐頼遠(弾正少弼)を含めて、今より数えて六年前から八年前に掛けての婆娑羅大名の傍若無人が、今にして無用な疑いを呼んでいるのだ。それが妥当であるのか、さて置くとしても。

 しかしながら、どちらかと言えば、尊氏様の屋敷周りの警護を更に厳重にする方が先では無いかと思う。俺はこの件について楠木正儀の暗躍を疑っていた。今も正儀軍は南河内の地の利を活かして、師泰軍を翻弄しているようだ。この現状で焦る楠木氏新当主ではないだろうが、後ろから()()()()存在がいる。南朝首脳陣である。

 

 

「宗家はやはり……南朝の破壊工作の線が濃厚とお考えで?」

 

 

「……婆娑羅大名が尊氏様を傷付ける事は、万に一つもあり得ん。だが、南朝は別だ。今も賀名生に追い込まれ、師泰軍の目を気にして吉野に戻れずに居る。なりふり構わず、奇策を用いかねまい」

 

 

「つまり、用心の観点で対南朝を意識すべきと?」

 

 

「然り……して、実のところは如何で?道誉(佐渡判官)殿」

 

 

 一旦、道誉(佐渡判官)に白い目を向けてみる。どことなく何か知っていて、敢えて俺を試しているような気がしたのだ。身の程知らずにも。

 すると、腹黒策士の道誉(佐渡判官)の顔の影が濃くなった。分家の当主でありながら何と畏れ知らずな輩なのか。俺は苛立ちを露わにした。

 

 

「やはり何か知っておられたか」

 

 

「ご明察です……宗家。共に一条今出川へ参りましょう。師直(武蔵守)殿が馳走を(しつら)えてお待ちです。廷尉たる宗家をお待ちしておられる」

 

 

 一条今出川に師直(将軍執事)邸がある事は、もはや言うまでも無いだろう。

 しかし、道誉(佐渡判官)の言葉に引っ掛かる点があった。道誉(佐渡判官)が我が廷尉の別名を強調するとは、如何にも意味深長だ。廷尉とは、検非違使の重役の唐名である。文字通り北朝武士としての俺に用事らしい。

 

 

師直(武蔵守)殿が……今度は一体何をやらかした?」

 

 

「そこを含めて御説明がありましょう。ささ、お早く」

 

 

「……」

 

 

 相変わらず京極(佐々木)道誉(佐渡判官)は胡散臭い。だが、毒は得てして妙薬になるものだ。今のところ、観応の擾乱で義詮(左馬頭)を焚き付ける役回りを最も任せるに値する人物は、それこそ道誉(佐渡判官)ではないかと疑っている。

 俺は一条今出川に向け馬を進める。きっと思いも寄らない話を聞かされる事になるのだろう。何とも言えぬ予感が胸に渦巻いた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 大炊御門邸焼失事件からほぼ四ヶ月後の八月下旬、既に足利直冬は紀伊国に出陣し、腹立たしい事に()()()()頭角を現している。

 昨年(貞和三年)の今頃は楠木正行(まさつら)との戦に注力し始めていた事を思い出す。

 今、直冬と戦っている南朝武士は、生前の正行(まさつら)に比べれば残り滓も良いところである。だが、大衆は愚かなものだ。敵軍の実力の違いに思いが至らず、ただ直冬を褒め散らすのだろう。あたかも敗戦の恥辱に塗れた守護大名よりも、直冬が格上であるかのように。

 

 

「今日はここまでェ!」

 

 

「はい!」

 

 

 後進の指導に当たっても気が晴れない。否、晴れる筈がない。

 図らずも月に一度、刀の稽古を付ける事になった少年は、確か今年で数え十歳と言ったところである。太刀筋は決して悪くない。

 だが、如何せん身体能力がパッとしない。男子の身体能力は母親の血の影響を濃く受けると先世の記憶にある。幾ら父親の武勇が秀逸でも、必ずしも子に引き継がれる訳では無いという事だ。俺の場合で言えば、母親の実家が文官一族でありながら、存外武力のある()()氏であったから良かったものの、この教え子は芳しく無い。

 母親が関白の血筋とあっては身体能力に期待する方が間違いだ。

 

 

師夏(武蔵五郎)殿。この後は政長(兵庫助)殿による弓術の講義を?」

 

 

「はい……氏頼(大夫判官)様。毎度の事ながら、この師夏(武蔵五郎)のために幕府の誇る守護の方々に稽古にお越し頂いて、誠に有り難うございまする」

 

 

「……父君に感謝なされよ。全て師直(武蔵守)殿の御配慮あっての事だ」

 

 

 半ば恨み節で目の前の師夏(武蔵五郎)に孝心の勧めをしてみる。果たして俺は大炊御門邸の一件が無くても、指導の要請に応じただろうか。

 師夏(武蔵五郎)に愛想を告げて帰宅支度を始める傍ら、俺は感慨に浸った。

 思い出すのはそれこそ去る四月二十九日だ。分家当主の道誉(佐渡判官)に連れられる形で、俺は一条今出川の師直邸を訪れていた。かつて護良親王の母親・日野経子が住んでいた場所にあり、捨て置かれて荒廃していたところを師直(高武蔵守)が武力にもの言わせて差し押さえ、とても武士の住居とは思えない造りになっている正真正銘の豪邸である。

 あそこで俺は呆気に取られた。大炊御門邸焼失の真相を聞いて。

 

 

『ふ。度肝を抜かれたか?氏頼(大夫判官)

 

 

『……確かに大炊御門卿の好色について噂は存じていましたが』

 

 

『ああ。俺もあそこまで見境ないとは思わなかったぞ』

 

 

『はい。結局のところ……自業自得であるとしか』

 

 

 蓋を開けて見れば簡単な話であった。好色家の元内大臣・大炊御門冬信は、二条道平妹──十年程前に師直(高武蔵守)に手篭めにされた関白家の娘で、今は師夏(武蔵五郎)の母となっている──を奪おうと企んだのだ。

 だが、「壁に耳あり障子に目あり」という格言もある。大炊御門冬信の裏工作の動きは、遅かれ早かれ高師直(武蔵守)の耳に入るものだ。

 

 

『流石に公卿が相手だ。将軍の名をお借りし、大炊御門を罰するのも憚られよう。とはいえ、黙って見過ごせば高師直(武蔵守)の名が廃る』

 

 

『そこで、です。宗家……師直(武蔵守)殿は一計を案じられた』

 

 

『天狗衆を動かす手も考えたが、ここは河津と高橋を動かした』

 

 

『……四條畷で次鋒を担った両名ですか』

 

 

『そうだ。あの二人は我が郎党でも屈指の切れ者だ。見事に大炊御門の屋敷を燃やしてくれた。しかも、本人が傑作だったらしい』

 

 

 文化人の大炊御門冬信だが、僅か数え七つの孫娘が焼け死んだ怒りのせいだろうか。殊勝な事に、水干の下に萌黄色の鎧を着込んで伝家の宝刀・鳳凰丸を携帯して心を決めた様子であったらしい。

 そこを河津と高橋が嘲笑うかのように遠矢を仕掛けたのである。

 

 

『所詮は公家だ。泣き寝入りする他ない。問題は──』

 

 

『直義派の出方……でしょうなァ』

 

 

『ああ。今も侍所の頭人はあの(ブタ)だ。当たってはいるが、この俺がやったのではないかと決めつけているようだ。あまり(ブタ)に動かれても面倒だ。そこで、検非違使の重役──廷尉の氏頼(大夫判官)殿の出番だ』

 

 

『北朝の意思を隠蔽に統一しろ……そう申されますか』

 

 

『ああ。北朝の武力を担うのは我ら足利幕府だが、より深く持明院統の安全を保障する者と言えば、佐々木六角氏だろう?先代以前からの付き合いがあると聞いている。お前が何も無かったと言えば、北朝の公卿は勿論、皇族たちも黙って引き下がるしかあるまい』

 

 

『……随分と無茶な御話ですが、やるだけやってみましょう』

 

 

 確かに北朝の警察権限は、守護大名が本業の俺のような存在ありきの機能と化しているきらいがある。極論を言うと、この俺の匙一つで北朝(持明院統)が幕府の傀儡ルートを辿るかもしれない。俺としては持明院統の関係者たちに気を遣われる理由にもなるので、願ったり叶ったりなのだが、そのためには良い塩梅の加減が不可欠だ。よって、師直(武蔵守)の密命はあまり気が進まなかった。だが、やむを得ない。

 俺は師直(将軍執事)邸から退がると早速、検非違使庁で根回しをし始めた。

 結果、大炊御門邸焼失事件に関し、北朝(持明院統)政府が何らかの対応を行う事はなかった。洞院公賢をはじめとする北朝公卿たちは、あからさまに大炊御門冬信を哀れんでいたが、どうしようもない。無謀な好色のために孫娘を失った結果をとことん儚んで貰うとしよう。

 

 

ま、それで師夏(武蔵五郎)の推し上げに巻き込まれては世話なかったな……

 

 

「何を呟かれておられる?氏頼(大夫判官)殿」

 

 

政長(兵庫助)殿……何でもござらん。師夏(武蔵五郎)殿があそこでお待ちよ」

 

 

 信濃国守護・小笠原政長(兵庫助)もまた、俺と同じで師直派武将である。

 格下だった筈の諏訪頼嗣が、北朝転向の上に直義派に加わって信濃国の国司となっているのだから、内心では忸怩たるものがあるかもしれない。今はこうして師直(高武蔵守)の子・高師夏(武蔵五郎)に教えを授ける事で関係性を強化し、後顧に備えようとしているのだろう。先代の貞宗は厚意で俺に教えてくれたが、この御時世ではそう甘くあるまい。

 帰宅の途に着く。擾乱が始まれば、この京の風景も再び地獄絵図と化すかもしれない。果たして建武大乱の比で収まるだろうか。

 

 

氏頼(大夫判官)。今帰るところか?」

 

 

「ッ……師直(武蔵守)殿」

 

 

 南に向かって自宅への道すがら、仕事帰りの師直(高武蔵守)と遭遇した。

 師直(高武蔵守)は底意地の悪さも一流である。鼻で笑うように言ってきた。

 

 

「その様子、下らん感傷にでも浸っていたと見える」

 

 

「御容赦を。政長(兵庫助)殿に教わる師夏(武蔵五郎)殿の御様子を見て、つい昔を思い出しておりました……師匠(貞宗殿)の教えが今も耳に残っているもので」

 

 

「ふん……氏頼(大夫判官)、大事な話がある。耳を貸せ」

 

 

「?」

 

 

 街中において、俺と師直(高武蔵守)は馬を近づけ合う。将軍執事の師直(高武蔵守)から幕府首脳陣の朝廷絡みの方針について囁き声と共に伝えられる。

 俺は思わず目を見開いた。北朝にとって確かに重要な話だった。

 

 

「安心しろ。この件で俺が妨害工作を行う謂れはない。程なくお前のところにも話が行くだろうが、そう構えず業務にあたる事だ」

 

 

「承知」

 

 

 貞和四年(西暦1348年)八月下旬、北朝(持明院統)及び室町幕府において動きがあった。

 二十八日、直義が室町幕府の実質的な最高権力者として参入し、新帝即位と新たな皇太子の擁立、要は北朝内部における譲位実行について意見表明。関係者たちを沸かせた。直後から、京の政権ではおよそ十年振りとなる践祚に向け、準備が進められる事になる。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 貞和四年(西暦1348年)十月二十七日、新帝──北朝だけで数えると光厳天皇及び光明天皇に続いて三代目となる崇光天皇──が誕生した。数えで十五歳という何とも若々しい新帝である。といっても、既定路線と言えば、既定路線だ。新帝にとって光厳上皇は父、光明上皇は叔父という間柄だ。つまり、先代の光明院は、(光厳)(崇光)の中継ぎとして治天の君の座にあったのである。故に光厳院が安堵するのも道理だ。

 中継ぎとして即位した筈の天皇が、大暴れして既定路線をぶち壊した例が記憶に新しいのだ。他でもない後醍醐天皇である。大覚寺統だけで考えても、後二条天皇が厳しく実弟・尊治(後醍醐天皇)の次は自らの嫡子が帝位にと釘を刺していたのだ。それが公然と踏み躙られた。

 

 

「そもそも叔父と甥は揉めやすいと相場が決まっている。皇位や天下人の座が懸かっているとなれば、権力闘争に発展するのも無理からぬ事だ。壬申の乱が良い例だ……それが当代の朝廷では無事に譲位まで手続きが済んだのだから、光厳院の喜びも一入(ひとしお)だろうさ」

 

 

「朝廷では……だね。三郎」

 

 

「ああ。もしかすると(直義)殿も意識したかもしれないな。朝廷をして(光明)から(崇光)に位を譲る様子を天下に示す事で、幕府もそうなると」

 

 

 仕事を終えて帰宅し、今朝方に取り寄せを命じておいた書籍を受け取りながら経過を思い出す。無論、観応の擾乱を意識してだ。

 今回の譲位について直義の動きが目立っていた。巷では光厳院の意思が直義に伝わったために、幕府の方から年内の譲位実行を勧める形にしたらしいと言われているようだ。しかし、実態は意味深長ではなかろうか。光厳院にしろ直義にしろ、裏の意図があるような気がしてならない。幕府内乱を見据えての措置ではあるまいか。

 単に南朝軍殲滅作戦が順調だからという理由ではなかった筈だ。

 

 

「既に直義派と師直派の争いは始まっている。本格化する前に北朝の皇位の権を自身の御子に渡しておきたかった……恐らく光厳院の狙いは此処に尽きる筈だ。幕府内部の対立が、北朝の叔父と甥に波及しては泥沼だ。下手をすれば新たな皇統対立に発展していた」

 

 

「……光厳院は直義派に肩入れなさる気じゃ無いんだろうね?」

 

 

「片方への加担は考え難いな。武力均衡が崩壊すれば、流石に話が別だろうが……直冬凱旋で今は前ほど偏りが無い。ただ、二年以内に抗争が本格化する事は、俺でなくとも分かるだろう。(直義)殿が朝廷を利用して甥を尊重する姿勢を示したところで、それが義詮様への恭順意思と取られる保証はない。逆に警戒する武将の多い事よ」

 

 

 先月(九月)二十八日に直冬(左兵衛佐)が紀伊国遠征を終えて帰京している。市井では今なお河内国で楠木正儀軍と睨み合っている師泰(高越後守)との差は歴然だ等と専ら噂だ。尊氏様の鬼才を色濃く継いでいると評判なのだ。

 だが、肝心の尊氏様はどうか。相変わらず渋い反応をしている。

 直冬が活躍すればする程、嫡男・義詮の脅威になると認識しているのだろう。あの変顔は明らかにそのサインだ。だからこそ俺も師直派で御方の意図を周知する。直冬が人心を集めつつある様に警鐘を鳴らしているのだ。婆娑羅武将たちも直冬の存在は面白くないに違いない。端的に言って、自分たちの利権拡大に差し障るのだ。

 直義の猶子・直冬の贔屓振りは目に余る。直義派の連中は一門末席レベルの不当な待遇の埋め合わせと主張してやまないが、むしろ仁木氏や細川氏と同等の扱いで何が不満なのかと思う。両氏が外様の名門武将に劣らず、守護国を獲得している事を棚に上げた寝言でしかないだろう。そんな贔屓をしているから、諸将が直冬に対して反発するのだ。あの売女の息子は諸大名の秩序を乱す輩なのだ。

 

 

「三郎、内乱で私の風は要る?必要なら出産どころじゃ──」

 

 

「……やむを得ん。師直派の結束が優先だ。義詮様を御輿にするためには道誉(佐渡判官)殿の助力が欠かせん。あの者ほど人を煽てるのに適した策士は他に居らん。義詮様の御心が最重要事項だ。神風以上に」

 

 

「うん……ねぇ、三郎」

 

 

「ん?」

 

 

「くれぐれも……出る杭になるんじゃないよ」

 

 

 俺は目を丸くした。一体誰に向かって言っているのか、ミマは分かっているのだろうか。まるで釈迦に説法だ。世渡りは西国武将にとって日常茶飯事なのだ。俺は溜め息と共に書籍を読み始める。

 その間際、半年以上前から温めていた腹案をぽろっと口にした。

 

 

「……機を見てお前の近江国帰国の段取りを整える。顔世の二の舞にはさせないから安心しろ。だから余計な心配をしてくれるな」

 

 

「ッ」

 

 

 擾乱は目前だ。何がきっかけで暴発するか知れたものではない。

 崇光天皇の在位期間が始まる。この時、代始改元*1はやはり行われなかった。元朝では現代お馴染み()()()()()()が当たり前と化しているらしいが、日本国ではここ五百年以上ずっと皇位が遷移して直ぐの改元はとんでもない*2とされ、当代でも『禁秘抄』*3記載の慣例通り、即位翌年の改元になりそうだった。ただ、大陸の風潮を無視しての慣例継続は果たして適切だったと言えるのだろうか。

 果たして必然なのかどうか甚だ怪しいところだが──科学的には只の偶然に過ぎないのだろうが──翌貞和五年(西暦1349年)の正月以降、流星や彗星が相次ぎ、次第に天変地異が騒がれるようになっていった。

*1
新帝即位に伴う改元。

*2
例えば平城天皇の大同改元が『日本後紀』で批判されている。

江戸時代の有識者(故実家・伊勢貞丈)も「一年にして二帝ある事を嫌ふ」としている。

*3
鎌倉時代に作られた有職故実の解説書。著者は順徳天皇。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。