崇永記   作:三寸法師

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〜1〜

 

 

 直冬を最も冷遇したと言える人物は、本当に尊氏なのだろうか。

 実のところ、直冬冷遇説に異論がない訳でもない。幾ら副将軍の直義による熱烈な後押しがあったとはいえ、直冬の従四位という位階は次期将軍・義詮と同等だ。仮にも北朝政権樹立の大功ある室町幕府初代征夷大将軍・足利尊氏が本気で拒めば、持明院統(北朝政府)関係者各位も配慮し、直義も諦めざるを得なかったのではないだろうか。

 ただし、古典『太平記』において、仁木・細川氏の人々と同列に扱われ、恩賞も発給されなかったという叙述が残っている。無論、恩賞権は幕府において尊氏に帰する。この采配が副将軍・直義の歓心を益々買ったらしい。直義は対応策を考え、動き始めていた。

 

 

(宿老たちの多くが直冬を警戒している。我が派閥でも顕氏(陸奥守)などあからさまに起用に不服そうだった。根源は兄上のふざけた変顔だけであるまい。御台所の御不快を取り除かねば、どうにもならん)

 

 

「御台所。ご機嫌麗しゅう存じます」

 

 

「……」

 

 

 尊氏の正室・赤橋登子は、室町幕府開闢から十年が経った今でも健在である。鎌倉幕府最後の執権・赤橋守時の妹だが、家族仲は存外悪くなかったようで、新時代でも時折一緒にお出掛けしていた形跡がある。だが、この登子こそ直冬冷遇の原因と疑われている。

 それもその筈。北条一族が滅んで実家を失う結果となった登子にとって、腹を産んで痛めた子どもたちが生きる(よすが)である。筆頭は鎌倉在住の嫡男・義詮だろう。その義詮の脅威が足利直冬だ。警戒心が生じるのも無理からぬ事だった。その点は、警戒心から派生する嫌悪感に似た拒絶心も含め、一定の理解をしなければ、話が進まないと直義も思っている。決して無策で挑まない。まず懐柔策だ。

 

 

「頼子」

 

 

「はい……義姉上。昨日は、御子たちに私どもの愚息・如意丸の遊び相手をお務め頂き、(かたじけ)のうございまする。今後もこのような御付き合いが出来れば幸甚と存じます。光王様は如何でしたか?」

 

 

「はい。稽古の合間の良き慰みになりました。如意殿がもう少し大きくなった暁には、鶴王と三人で楽曲を楽しみたいと思います」

 

 

 この時期、義詮の実弟・光王──後の鎌倉公方の基氏──は既に直義の猶子になっていたのではないかという説もあるが、もう少し先の事であるという見方も根強い。何はともあれ、副将軍夫妻(直義と頼子)は家族付き合いによって登子の警戒心を和らげようと考えた。単純明快であるが、変に小細工を弄しても師直(高武蔵守)の讒言を招くのがオチだ。

 渋川氏出身の妻・頼子が同伴であれば、現渋川家当主を婿としている師直(高武蔵守)も文句の付けようがあるまい。あくまでも厚意から直冬の冷遇を見直すよう、将軍(足利尊氏)に求めていると理解させるのだ。そのために誠意を姿勢で示そう。実直な直義は、正攻法を選ぶ事にした。

 

 

「光王殿。私は幕政を見なければならない身なので、月にそう何度も来れるとは限りませんが、頼子は暇を見繕い、如意丸と共にお訪ねする事も出来ましょう。勿論、私も折あらば是非に参ります」

 

 

「叔父上。今度お越しになる時は直冬殿も──」

 

 

「光王。如意殿は(直義)殿と渋川氏の実子ですから、貴方が遊ぶに相応しい相手と申せます。ですが、賤しい女の産んだ子と(みだ)りに交わろうとするものではありませんよ?交友関係は気品に直結します」

 

 

 場が凍り付く。直義も頼子も唖然とした。嫁入り以来、年々登子が気難しくなっている()()()のある事は、先刻承知とはいえだ。

 僅か齢九つの光王(足利基氏)は、戸惑いがちに実母の登子に尋ねた。登子の冷酷な目にただ物怖じするだけで終わらない辺り、王器の証か。

 もしくは、実母・赤橋登子への不信感の成せる業かもしれない。

 

 

「母上……直冬殿の御母上は、賤しい女子なのですか?」

 

 

「ええ。遊び女が不遜にも父上の側室を称していただけ。その点、渋川氏は素晴らしい。渋川氏の先々代は、鎌倉幕府きっての風流人の娘を娶っておられた……頼子殿はその流儀を継いでおられる」

 

 

(ほ、北条時広*1公の血筋を持ち出されるか……!)

 

 

 直接()()()()の名前を出さないところは流石に尊氏の正室か。

 だが、分かる者なら誰でも分かる。北条政権の理解に努めた過去のある直義なら尚更だ。それ以前に妻の祖母の出自くらい、当たり前に把握している。直義は反発したい気持ちをぐっと我慢した。

 猶子の直冬のためを思えば、この程度で取り乱す訳にいかない。

 

 

「御台所。あまり光王殿に左様な御話は……」

 

 

(直義)殿……貴方が頑なに直冬殿の依怙贔屓をお止めにならぬから、悪循環に陥ると何故気付かれないのです?私は尊氏様の正室です。賤しい女の息子を仏門に入れるよう勧めて当然の立場。その権利を貴方が侵害しているのですよ?紀伊国派遣は他に相応の大将が不在と無理を言っての采配と伺いました。執事が嘆いておりましたよ。弟殿は幕臣たちを不当に貶めてまで直冬を大将に捩じ込んだと」

 

 

 堂々と師直(高武蔵守)の言葉を丸パクリして、抗弁に使っている。直義は腹の内で沸々と煮えるようなものを感じた。義理の姉である赤橋登子に対してではない。入れ知恵をしている様子の師直(将軍執事)に対してだ。

 あくまで赤橋登子は、自分たちの野望の被害者だ。そんな意識を思い出して、直義は(こら)えた。理屈を反芻し、平静たれと努める。

 赤橋登子は実家が滅んでいるため、初代将軍の正室の実家に乗っ取られた鎌倉幕府の二の舞──言い換えると政子が頼朝に寵愛された棚ぼたを活かした北条氏の再臨──を却って心配せずに済む。

 言うまでもなく、尊氏の天下人らしい器の大きさの証にもなる。

 

 

(ッ……ここで直冬は我が猶子。直冬への侮辱は御台所と言えども許さぬと強硬主張するのは簡単だ。だが、それでは火に油を注ぐ)

 

 

「……御台所。足利一門の強化を思えばこそ、直冬に才能を試す機会を与えたのです。確かに今いる守護大名たちも強者揃いでございましょう。ですが、討伐を彼らに頼り切りで、足利本家それ自体の武力は世代交代を経て尚、保てましょうか?私や兄上が居なくなった時の事を考えての判断です……どうか御理解願えませんか?」

 

 

「貴方は!義詮や光王の才覚が、直冬に劣るとでも!?」

 

 

 赤橋登子のヒステリックが始まる。次第に呂律が回らなくなり、直義たちは登子が一体何を言っているのか聞き取れなくなった。

 副将軍の直義は訳もわからず、ただ圧倒されていたが、もし此処に完璧執事の師直(高武蔵守)が居れば、全く動じなかったに違いない。現人神の将軍(足利尊氏)との口吸いを十数年間も続けていれば、()()()()()()と。

 叫び疲れて登子の気力が衰えた頃、光王(足利基氏)が意を決して開口する。

 

 

「母上……武将の起用で、叔父上に物申されない方が」

 

 

「ッ!」

 

 

「光王殿……」

 

 

(武将……そうだ、武将だ!)

 

 

 実母(赤橋登子)を諌める光王(足利基氏)の言葉により、意図せず直義は名案を閃いた。

 貞和五年(西暦1349年)の春頃、準備が着々と進められていく。そして、四月十一日の事である。室町幕府で、重要な人事が正式に決定された。

 かつて鎌倉幕府が蒙古襲来に備えて設置した役職・長門探題という名で、中国地方八ヶ国の管領職を樹立。これに直冬が就いた。

 観応の擾乱に向け、舞台が着々と整備されつつあったのである。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 そもそも観応の擾乱の根源とは何か。直冬という存在によって足利兄弟や義詮に不和が生じたせいなのか。高師直(武蔵守)という完璧執事が北畠顕家や楠木正行(まさつら)の大将首で絶大な軍功を稼いだせいなのか。

 意外にも古典『太平記』は、これらを根本的な理由としていないようだ。何と直義の子の如意丸にも関わる怪異が、その役割を担っている。謂わゆる「六本杉の怪異」である。事は三年前に遡る。

 貞和二年(西暦1346年)七月十九日、とある僧侶が仁和寺の六本杉で雨宿りして夜更けの月明かりが差した丁度その時、奇怪な光景を目撃した。

 

 

『な、何だ!?愛宕山から?いや、見間違いか?』

 

 

(も、もう少し観察して見よう…… な!?あれは大塔宮(護良親王)殿下!?)

 

 

 この後、二刻ほどの間に事態は着々と変化した。天台座主時代の装いの護良親王(大塔宮)と愉快な仲間たちが、酒盛りを始めたのである。

 要は古典『太平記』お馴染みのファンタジーだ。だが、どうにも一介のファンタジーとは一線を画する()()()()()()()()だ。酒宴の参加者たちが天狗道の苦しみに悶える。とはいえ、生前の後醍醐天皇の関係者たちだけの事はあり、彼らは()()()()息を吹き返す。

 

 

『しかし、口惜しいぞ。このままでは武家の政治が天下を撫臨してしまう。それではつまらん。騒動なくば先帝陛下が浮かばれん』

 

 

『何、簡単な事だ。四つの策で足利氏の天下は容易に乱せる』

 

 

『四つの策?』

 

 

『ほう。二人で面白そうな話をしているではないか。聞かせよ』

 

 

『は!殿下!……丁度、殿下が最大の鍵と思っていたところです』

 

 

 この後、古典『太平記』は驚くべき事を記す。何と護良親王自ら直義の妻こと渋川頼子の腹に依り、男子として生まれて世間を乱す策に乗ったという。つまり、如意丸こそ、護良親王の転生した存在であると仄めかされているのだ。その他にも、高兄弟や上杉重能(伊豆守)などが精神汚染されるという骨子を古典『太平記』は含んでいる。

 この「六本杉の怪異」に精神汚染のターゲットとして名前が登場する邪僧がいる。日記『園太暦』にも名のある謎の僧・妙吉だ。

 時を貞和五年(西暦1349年)に戻そう。佐々木惣領の氏頼(大夫判官)が、京で名医・和気仲成と会っている。和気仲成とは北朝で典薬頭を務め、渋川頼子の出産に関わった腕利きである。後世に名を残す者は、何も武将や政治家だけではない。この和気仲成(典薬頭)も公卿の日記に名を残した程だ。

 

 

「神仏の御力をお持ちの御婦人出産のための薬……ですか」

 

 

「如何にも。道誉(佐渡判官)殿が揃えると言って来た。普通に怪しい。故に和気殿に確認して貰おうという訳だ。これが目録だが……何か目につくところはあるか?人払いは済ませてある。忌憚なく申されよ」

 

 

「はて……名前だけ見た限り、至って難産に備えるための品々としか思えませぬ。氏頼(大夫判官)様。御夫人の出産は京ではなく近江国で?」

 

 

「ああ。もう妊娠してるから、幕府への根回しは()()()()()と済ませて近江国に送った。この屋敷で産み落とされても、子を抱いてみてくれ等と面倒を言われるのがオチだ。うっかり潰してしまう」

 

 

「……それが宜しいかと」

 

 

 まるで正室の出産に興味無さげな──というより渋々の事だったので厄介払いしたそうな──氏頼(大夫判官)の様子に和気仲成(典薬頭)は面食らう。

 てっきり北朝政府に話を通しておいたから、近江国に出向してくれと無茶を言われるのではないかと危惧していたのだ。如何にも拍子抜けである。和気仲成は逆にこのまま帰って良いのだろうかと不安に感じた。せめて物語りの一つでもしなければ、名医が廃る。

 外様の有力大名・佐々木六角氏頼(大夫判官)も、近日の内紛の気配に辟易している様子が見える。その慰みになればと配慮しての事だった。

 

 

氏頼(大夫判官)殿は……赤子への生まれ変わりをお信じになりますか?」

 

 

「は?」

 

 

 前出の「六本杉の怪異」には続きがある。護良親王たちの酒宴は満場一致で足利氏の治世を乱す方針で大笑いと共に決し、幻に帰したという。雨宿りの僧は呆然としながら夜明けを迎え、京の方に向かった。そこで知人の和気仲成(典薬頭)の住まいに寄って、語り尽くしたという顛末である。そのために和気仲成は、当時既に四十過ぎの渋川頼子の初妊について、多くの医者たちの中で唯一見破れたのだ。

 だが、ここで問題なのは懐妊看破ではない。天下の名医・和気仲成が大塔宮(護良親王)転生譚の()()()()を知っているという事それ自体だ。

 

 

(氏頼(大夫判官)様は本質的に直義派でも師直派でもあるまい。ただ妙吉が(夢窓)(疎石)の同門であるから、気を付けねばなるまいが……そこだけよ)

 

 

「かれこれ三年前の事になりますな。私の友人が──」

 

 

何を知っている?

 

 

「!?」

 

 

 急に肩を氏頼(大夫判官)の指先でド突かれ、和気仲成(典薬頭)は仰向けに転がった。

 床との衝突の痛みで顔を歪める。しかし、直ぐにそれどころではなくなった。覆い被さるような態勢を氏頼(大夫判官)にとられたのだから。

 

 

──キュイイイイイイン

 

 

「ひっ……は、話す!洗いざらい話します!氏頼(大夫判官)様!御赦しを!」

 

 

「……それで良いのだ」

 

 

 結局、和気仲成(典薬頭)は知り得る限りの事を話すも、氏頼(大夫判官)はさも真に受けて損したとでも言いたげに、途中から()()()()した顔だった。

 勿体ぶっておいて語られる筈だった内容が、突拍子も無い御伽噺だったと知ったのだから、氏頼(大夫判官)に言わせれば当然の反応である。

 呆れた様子の氏頼(大夫判官)によって無事に六角邸から帰され、他でもない仲成(典薬頭)自身は帰宅しながら、幻を見たかのような心地に襲われた。

 

 

(一体何だったのだ?あれではまるで、天魔の王か何か──)

 

 

「おや。和気殿ではありませぬか?六角堂からの参拝帰りで?」

 

 

「ッッ……みょ、妙吉様。これはこれは」

 

 

 和気仲成(典薬頭)は、精神汚染されている筈の妙吉侍者と遭遇し、再び肝を冷やした。ただでさえ曰く付きの怪僧なのだ。荼枳尼天の邪法の第一人者こと()()()()の教えを受けている。しかも、夢窓疎石の同門の誼なのか、直義からこの上なく心服されているようなのだ。

 例の「六本杉の怪異」を知る和気仲成(典薬頭)からすれば、それこそ最大の問題だった。護良親王たちの幻影の狙いの一つに妙吉をして直義を補佐させ、邪法や凶悪な説法を行わせる事があると知っていたからである。このままでは幻影どもの狙い通りに事が進むだろう。

 

 

「妙吉様。今日は副将軍の御屋敷で如何様な有り難い御話を?」

 

 

「おお、聞いてくれるか?大秦帝国について、色々とな?」

 

 

「大秦帝国……ああ、始皇帝の」

 

 

「それよそれ。不死の薬の話*2は勿論したぞ。それと二世皇帝の胡亥にまつわる趙高大臣についてな。いやあ心躍る。実に愉快だ」

 

 

(この者……さては趙高の逸話に(かこつ)け、高兄弟の誹謗中傷を。文武百官はおろか、延暦寺や園城寺(三井寺)までも副将軍の御機嫌取りがてら、禅宗に靡いて妙吉侍者に取り入ろうとする者たちが続出する中で、高兄弟だけが一蹴し、門前払いしたという。その逆恨みで……)

 

 

 古典『太平記』によれば、妙吉は幕臣の上杉重能(伊豆守)たちと結託して高兄弟の引き摺り下ろしを目論んだ。救えない事に、重能(上杉伊豆守)らを新たな執事にして如意丸に天下の権を持たせれば、四海が服従する等と妙吉があれこれ理屈や例えを並べ立てて説いたところ、直義は満更でもなかったらしい。これでは天下が乱れるのも道理であろう。

 件の「六本杉の怪異」は、古典『太平記』の文脈において確実に機能している。天下という野心増幅装置のメタファーと言っても良いかもしれない。観応の擾乱の起因となるコンテクストなのだ。

 何はともあれ、直義派と師直派の衝突が()()という年号のまま、改元を待たずして行われようとしている。初期室町幕府の政局は天変地異の頻発と共に、全国レベルの混乱へと突き進んでいった。

*1
北条時房の孫。鎌倉幕府で引付頭人を務め、私家集『越前前司平時広集』を編む程の優秀な文化人でもあった。

*2
始皇帝が蓬萊の薬を求めて苦心する逸話。徐福などが登場する。

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