〜1〜
観応の擾乱まで残り僅かとなった貞和五年の正月、室町幕府では意外にも内紛より儀礼への関心が一時的に高まっていた。何も原因は昨年の新帝践祚だけではあるまい。その直後の花園院崩御だ。
花園院と言えば、持明院統では光厳院の前、鎌倉時代末の両統迭立の環境下では後醍醐の前代に当たる、学識豊かな法皇である。
昨年の十一月十一日に花園院が亡くなった際、光厳院の狼狽ぶりには並々ならぬものがあった。権限としては院政を敷いている光厳院が絶対的に有利だったのだが、花園院への孝心は間違いなく格別だった。崩御を知って直ぐに現地へ駆け付けた程だったのだ。
「しかし、五ヶ月もの異例の忌引き期間とは……朝廷の儀礼も大幅に簡略化されている。さしもの師直殿も戸惑って、先月の二十六日に兼好法師を遣り、太政大臣の洞院卿に狩衣など諸々の手配について相談したらしいぞ。間違いがあっては幕府の沽券に関わる」
「それは大事だ。御主や道誉殿のような自派閥の西国武将に尋ねるで済まさず、持病持ちの洞院卿に御足労を。師直殿の慎重さが窺えるというものよ。いや、さては御主らでは不安と思われたか?」
「揶揄いあるな、政長殿。西国武士として俺も道誉殿もその辺り抜かり無く知っている。これ自体、師直殿は重々御承知だ。洞院卿へのお尋ねは牽制だろうさ。後で文句を言って献金をせびる事を警戒している。北朝は資金力でも幕府に寄り掛かっている訳だから」
例えば新帝即位式だ。践祚自体は済んだものの、未だ即位式が執り行われていない。花園院の喪に服するための延期で一旦、有耶無耶にされたが、近日中に問題が再浮上するだろう。即位式を実現するための資金が不足しているのである。今からこれでは先が思いやられるというものだ。先世の記憶によれば、戦国時代の朝廷は譲位自体が困難になっていた。つまり、今の比でない財政難に陥る。
少なくとも現段階でも資金難気味の北朝政府にとって、直義の方から新帝即位を持ち掛けた形式になっていたのは、正解だったかもしれない。言い出しっぺに責任をとらせる形で金を毟る事が可能になるのだから。幕臣にして北朝武将という立場の俺にしてみれば、乱前の出資に巻き込まれないようなムーブを考えねばなるまい。
小笠原政長とのサシ飲みも情報共有の場と化している。同じ守護大名同士、ある意味で郎党たち以上に通じ合うものがあるのだ。
「検非違使の御主なら何とか出来るのではあるまいか?北朝の資金源は主に酒屋などからの徴収。つまり、検非違使の権限に拠る」
「今でも十分、京の資産家連中に出資して貰っている。これ以上は不満を誘発するだけだろうよ……あまり厳しくし過ぎて山門に泣き付かれたら面倒だ。斯く揉め事になれば、俺とて検非違使の役人としてではなく、近江国守護として動かねばならなくなる。北朝は今以上に権限を幕府に委ねざるを得なくなるだろうさ。洛中の商いや流通の統制権まで手放してみろ。朝廷はいよいよ骨抜きになる」
「左様か……」
思うに今は守護大名の一人に過ぎない俺は、まだ知らん振りできる可能性があるから良いとしても、将軍執事の師直は立場上そうもいくまい。後で恨み節を吐く師直の姿がありありと目に浮かぶ。
土倉役・酒屋役などの利権は、遅かれ早かれ室町幕府の手に帰する筈だ。北朝政府は本来、胡座を掻いていられない立場である。
ここまで思いを致したところで、不意に現小笠原家当主・政長が居住いを正した。あたかも豆腐に胡椒や海苔を乗せたような顔立ちの政長に、キリッとした顔付きをされても、反応に困るのだが。
「氏頼殿。俺は元々東国の暮らしが長かった。故に礼法こそ父上譲りのものがあると言えど、京の裏事情について把握せざるところもまだまだ多い。例えば……光厳院の孝行心は誠のものなのか?」
「……というと?」
「直仁親王についてよ。これだけで、お分かりであろう?」
「……遂に政長殿も噂を聞き付けられたか」
「ああ。長らく秘匿されていたとも聞いた。花園院崩御で、宣光門院の口から御台所をはじめとする幕府周辺に漏れ始めたようだ」
「……はァ」
酒を煽って溜め息を吐く。正直、小笠原政長の気持ちは分からんでもない。京の貴人たちは必ずしも善良な面ばかりでないのだ。
直仁親王は新帝即位に伴い、新たに皇太子もとい皇太弟となった皇族である。母方の伯母は将軍正室・赤橋登子だ。これだけなら光厳院の幕府への配慮による決定と受け止める事が出来るだろう。
だが、事はそう単純ではあるまい。直仁親王の母親の血脈は間違いない筈だ。問題は父親である。政長の戸惑いの原因はそこだ。
「皇太子の実父は光厳院ではあるまいか……確かに有力視されている噂であるな。政長殿が真に受けられるのも無理はあるまいか」
「……氏頼殿は噂をお疑いか」
「政長殿。噂が本当なら、御台所の義理の妹・宣光門院が花園院という夫がありながら、光厳院とも契りを交わした事になるぞ」
「ふん。何を惚けておられる。この俺ですら、一人の女子が複数の帝と契りを交わすなど、皇室では珍しくない事と聞いておるに」
「……」
政長の言葉はあながち間違いという訳でもない。例えば、後醍醐の実母・五辻忠子だ。後宇多帝の後宮に入った身にして、舅の亀山院の寵愛も受けたという魔女だ。何という呆れた先例だろうか。
とはいえ、こうした例は大覚寺統に限らず、持明院統にもある。
宣光門院の姉・正親町守子である。伏見院の後宮で複数の子を出産した後、継子の後伏見院の後宮に身を置いたという。この守子があろう事か、宣光門院の姉なのだ。そのせいで、直仁親王が実は光厳院の子であるという噂が、信憑性を帯びてしまっているのだ。
「計算が正しければ、宣光門院が現皇太子を身籠られた頃合いは、十四年前の……西園寺公宗たちの後醍醐暗殺未遂の直前辺りか」
「……氏頼殿。怪しいと思われんか?」
「まさか政長殿。あの暗殺未遂は、宣光門院の腹の子の実父が何方か有耶無耶にするための計画だった……そう考えるつもりで?」
「ふん。大乱は様々な思惑が交差して起こるもの。違うか?」
「……一理あるかもしれないが」
かの小笠原貞宗の後継者の政長でさえ、朝廷の暗部に心を揺さぶられている様子だ。改めて考えても、京の魔力には底知れないほど恐ろしいものがある。美しい花ほど棘があるというヤツである。
だが、それ以上に感じるのはゴシップの魔力だ。惑星屈指の先進国になっても、世間は容易く噂話に揺さぶられてしまう。ましてや発展途上国も良いところの中世日本はどうか。言うに及ぶまい。
「政長殿。結局のところ、光厳院は公に宣光門院との事を認められた訳ではない。何がどうあれ、直仁親王は既に光厳院の猶子として皇太弟になっておられる。格別な心喪の裏にどのような事情があったかは、率直に言って関係ないのだ。幕臣たる者、ひたすら将軍に対して尽くさねばなるまい。無論、北朝武将としても同様にだ」
「とはいえ……内紛が迫れば、そう呑気に構えておられまいぞ」
「……まぁな」
まだ花園院の服喪期間が続いているので、北朝政府としての弓矢の儀式は延期になってしまうが、二十一日には将軍と副将軍の屋敷でそれぞれ射儀が予定されている。将軍邸において射儀を主導する武将が現小笠原家当主の政長であるならば、直義の屋敷では細川頼春が足利一族きっての弓上手として腕を鳴らす事になるだろう。
このサシ飲みも、政長にとってはほんの一時の憩いに過ぎまい。
先代の貞宗は鎌倉幕府滅亡や建武大乱に乗じ、信濃国最強の武将に登り詰めたが、政長はその後継者として相応のプレッシャーを抱えているのだ。ただでさえ現諏訪大祝の頼嗣が、信濃守の座を得る等して、あからさまに復活に向けて手を打っている現状がある。
「二十一日の射儀もそうだが……その翌々日の男山、石清水八幡宮参拝で何かある気がする。かつて師直殿が、春日顕国討伐のために男山を焼いただろう?重能めがその件を持ち出し、恥を掻かせようとするやもしれん。そこまで露骨に実行するとも思えんが……」
「見ものだな……上杉氏は将軍家の外戚にして、勧修寺家の血脈を引いている。関東執事の憲顕は兎も角、重能がどのような手段を採るものか。意外と無能であるという評判は果たして本当なのか」
「ああ」
貞和五年正月二十三日、足利兄弟による男山参拝が決行される。
この行列では、先頭付近の足利兄弟の牛車を上杉重能ら諸将が直垂を直用して固め、執事の師直が最後尾を務める事と相成った。
最後尾の役は名誉なる殿か、それとも男山炎上の当て付けか。
何はともあれ、内紛を前にした室町幕府の晴れの舞台は、色とりどりの装束で身を固めた雑色たちに象徴されるように、盛大に執り行われた。昨年終盤は花園院の喪に服するため、管弦などを大幅に制限された、京の人々の鬱憤を晴らす場になっていたのである。
〜2〜
貞和五年二月二十六日、案の定と称するべきか、北朝政府で資金難の問題が取り沙汰された。金銭も品物も揃わないので、来月予定の新帝即位式を七月に延期しようという方針で決したのである。
先延ばし程度で打開できる気が全くしないのは俺だけだろうか。
夜半、俺は資料の束を前に幾度も暗算を繰り返しながら首を捻り続けていた。先世の受験時代に比べて幾らか錆び付いてしまっているものの、計算能力において他の追随を許すつもりはない。だが、分かる事実はやはり焼け石に水というものだった。近江国守護として協力すれば勿論建て直せるが、そこまでの助力は躊躇われる。
「ここに来て伊予国の税収未納が響いて……どうすんだ、これ」
「兄様、気になさる事はないでしょう。賢俊僧正の仲介で必要経費の八割弱が幕府負担に決したというではありませんか。高が残りの七万疋、兄様の御力を借りる事なく用意できぬようなら、朝廷もお終いです。なるようになりましょう。ゆるりと構えられませ」
「ま、下手に首を突っ込んで、当家が出費をする例が出来上がっては敵わんしなァ……良し、もう知らん。流れに身を任せようぞ」
一昨年から昨年に掛けての楠木軍との連戦のせいで、六角軍は出征前に想定していなかった程の出費を強いられた。今でも聖供米という延暦寺に納めるべきとされた出費を見合わせ続ける事により、埋め合わせし続けているのだ。七万疋程度軽く出せるとはいえ。
資料を片付けさせ、寝る準備に移る。入浴に備え、着替えを含めて準備を命じた、その時だった。不意に西の方角が気になった。
「殿?如何なさいましたか?」
「三井よ。あれは……粟田口の方角か?」
「……調べさせますか?」
「ああ。美濃部を呼べ。何かある」
「は!」
後に軍記物語『太平記』では、この二十六日夜半に将軍塚で地鳴りが夥しく起こり、半刻ほど虚空で兵馬の駆け回る音が続いたと記されるものの、当件が正式な記録に書き残される事は無かった。
だが、翌日の昼である。今度は清水寺において異変が発生した。
「おい、氏頼。これはどうなっている?」
「師直殿。ご覧の通り……清水寺がすっかり燃え尽きました」
貞和五年二月二十七日、清水寺の本堂一帯が瞬く間に焼失した。
聞いた話では、宿坊における失火が、結果として大火災にまで発展してしまったらしい。本尊が救出された事だけでも、不幸中の幸いと言えるだろうか。だが、清水寺の施設が何一つ残らない程の大火事ともなると永万年間以来、およそ二百年近く振りの事件だ。
「お前の正室は何処に居る?あれなら鎮火も容易かったろうに」
「前にお断り申しましたでしょう?……子を孕んだため、とうの昔に近江国に送っております。急に呼び戻せる筈がございません」
「……この火災、天下の異変の予兆と万民に受け取られよう」
「……」
当然の事ながら、将軍執事の師直は、今でこそ直義派との水面下での役職の奪い合いに留まっている内紛が、遅かれ早かれ激化すると見据えている様子だ。戦闘への発展を見込んでいるのだろう。
しかし、ここに来て俺は疑い始めていた。四條畷や吉野の軍功があるだけあって、師直派の力は以前にも増して強大である。今の陣容で直義派に敗れる筈がない。ひょっとすると直義派が暗殺などの強硬手段に出て、その反動で尊氏様の怒りを買うのではないか。
何でも直義派において、直冬を中国地方に派遣する話が俄かに持ち上がっているという話である。そうなると、直義派の連中が軍功随一の師直に戦で勝つ見込みを益々疑ってしまいたくなるのだ。
「つくづく……火元には注意せねばならんな」
「……そうですね」
どうやら高師直は昨年四月の大炊御門邸焼き討ちを未だ誇っているらしい。随分とイヤらしい顔付きと声色で口上を連ねている。
だが、この師直の言葉は直ぐにブーメランと化した。何も一条今出川の師直邸が焼け落ちた訳ではない。とても比較にならない程、重要な光禄池台である。その話を知り、俺は頭に血を昇らせた。
斯くも大それた事をする無法者に心当たりがある。幸いにも多くの武士たちが騒ぎを聞きつけ、表に出ている。即刻、下手人と思しき人物を探し当て、後ろからその肩をギシリと掴んで拘束する。
「おい、祢津弧次郎……署まで同道願おうか?キリキリ吐くんだ」
「俺じゃねェよ!てか何だよ!?署って!」
「では何だ!?京に風間玄蕃やら夏の四やらが潜んでおるか!」
「だから知らねェって!」
貞和五年三月十四日の戌の刻、土御門東洞院の将軍邸があろう事か焼け落ちた。いよいよ政情不安が深刻化の一途を辿っていく。
哀れにも尊氏様は再築までの間、一条今出川の師直邸に移った。
四日後、光厳院が住まう持明院殿において、突如として池が激しく震え出し、波飛沫が高く上がった。その直後、大風が吹き荒れて門前の小屋が吹き飛ばされた。春何番にしても度が過ぎている。
公武の重要施設でも由緒ある寺院でも、天下の人々の不安を煽るような異変が相次いでいる。夏になって直冬が長門探題として京から追い出さ……もとい出立しても、その傾向は変わらなかった。