崇永記 作:三寸法師
〜1〜
どうやら北朝公卿たちは、本気で七月に式典が敢行できると思っているらしい。正直、それどころではない気がしているのだが。
というのも懸案があるのだ。四月十一日より、現地に赴任しようと奉行人たちを連れて下向した長門探題・直冬の動向が問題だ。
「あのパチモン野郎……遂に馬脚を現したな」
「……かれこれ五十日以上が経ちましたからなァ。にも拘わらず、直冬殿は未だに備後国の鞆に留まっておられる。となると──」
「謀反だ!これを謀反と言わずして何と言う!?
京における同族の面会で、俺は分家当主の
近頃、
それでいて、南近江では妙にソワソワしていると噂だ。全く気が知れない。次代惣領という傀儡候補の誕生が余程嬉しいらしい。
「謀反……にございますか」
「そうだ!仮にも将軍庶子を名乗る身にあるまじき振る舞いをしてくれた!今や直冬は中国地方八ヶ国の管領!我ら守護大名と違い、謀反を起こそうと思えば何時でも起こせる立場だ!神妙に長門国へ赴くべきところ、鞆の浦で周辺豪族どもに粉を掛けているという!特に戦があった訳でもないのに恩賞を与えていると聞いたぞ!」
「……どうやら将軍や
「それはそうだろう!かつての九郎義経よりタチが悪い!」
「然り。恩賞ばかりか恩赦紛いの事までしていると噂ですから」
例えば、尊氏様は二十年近く前の
今となっては
「そう言えば……
「元より長門探題は弟殿の提案で始まった事ですからなァ。出雲国守護の拙僧としても迷惑な話です。尤も、
「
確かに世間では高兄弟の数々の乱妨狼藉と比較して、
しかし、高
きっと
勿論、これはあくまでプレリュードに過ぎない。本命は
「問題はいつ糾弾に踏み切るかか……だが」
「……難しいですなァ。近頃、足利兄弟の周りでは上杉
「上杉
いつだったか、名医・和気
直義の幼子・如意丸の正体が、生まれ変わった護良親王であるという話だけならまだ呑み込めなくも無かったかもしれない。だが、
妙吉侍者にしても、あれは
「畠山氏の傍流も傍流な
「はい。あれは仮にも上杉氏の一員。言い換えると、将軍兄弟の御母堂たる亡き清子様の親戚です。おいそれと排除できますまい」
「しかも、余程の理由が無くば、上杉
尊氏様が取り合わないのは当然としても、
そこを強引に踏み躙る形で直義派の排除を断行すれば、関東諸国の軍勢の襲来を招きかねない。未だ
「まだ尊氏様にお縋り申すには……うん、まだまだ早過ぎるな」
「将軍には今暫く遊びに興じて頂きましょう。底力でこそ真価を発揮なさるという目論見の実現が見込まれる日まで、じっくりと」
「ああ……遊びと言えば、
「娘などと……我が妻、と呼んでやって頂きたいものですなァ」
「話の腰を折らんで貰えるか?
「は……今回は見送ろうかと。天台座主が参られるそうですから」
「梶井宮二品親王か……なら俺は夢窓国師の警護でもするか」
もし
尊氏様が一条今出川の
本来なら
暫くの間はこの俺も幾らか羽を伸ばせよう。例えば四日後に大規模な田楽イベントが控えている。他ならぬ尊氏様も観覧予定だ。
この時、俺は微塵も思っていなかった。六月十一日の四条河原で如何なる惨劇が起こるのか。神が密かに荒ぶりつつあったのだ。
〜2〜
勧進田楽というだけあって、元々が祇園社の参拝路・四条大橋の修繕費用稼ぎが目的のイベントだ。故に生真面目な直義としても、抵抗感なく参加できるのかもしれない。勿論、禅僧含むあらゆる立場の老若男女に加え、関白・二条良基などの要人たちも観覧するとあっては、付き合いのために断り切れなかった面もあるだろう。
「
「案ずるな、
「当代きっての風流人を標榜しながら、稀代の見せ物で裏方仕事をさせられるのであれば、いっそ娘の様子を見守るためと称して現場から離れた方が良い……そんな腹ですか。何とまぁ惨めな話で」
「
「……絶妙にやりそうなのが何とも」
次弟・山内
夢窓疎石は今でこそ国師と信望を集めているが、かねてより比叡山延暦寺から敵視されてきた曰く付きだ。
このような経緯で、俺は正当に夢窓疎石の警護役として実質的な特等席に陣取り、田楽が観れるのだ。無論、本当なら尊氏様の隣が最も望ましい。とはいえ、既に弟の直義が同席するものと決められてしまっていては仕方がない。どうせ直義の寿命は残り数年だ。
「
「ん?……うわ」
遠い感慨に浸った矢先、
俺たちの視線に気付いたのか、その武将は
「これはこれは六角様……ご挨拶申し上げます」
「ふん」
「祢津殿。
「山内様。これはどうもご丁寧に」
「……チ」
数ヶ月前の将軍邸炎上事件の第一容疑者・祢津弧次郎は、腹立たしい事に未だ健在である。余計にも直義派武将どもがアリバイを証言してくれたのだ。なので、正式な処罰は一切下されなかった。
検非違使の重役・廷尉という立場があるにせよ、他の幕臣にそこまでされては幾ら弁を尽くしても引き退がらざるを得なかった。
「祢津殿。その後、肩や手首のお加減は如何です?」
「……ええ、何とか回復途上です。拘束時の手加減のお陰で」
「……うっざ」
次弟の
仮にも弧次郎は北朝の信濃国国司・諏訪頼嗣の配下として幕府に派遣されている等と気が引けたのが失敗の素だった。後で尾を引くタイプの力の込め方にしただけで精一杯の当時を嘆くばかりだ。
それでいて、今になって弧次郎を手に掛けても、北朝において信望を失うだけという旨味の無さが、一種の歯止めになっていた。
「
「金……でございますか?」
「……良いけどさ。行くぞ。あんな輩のために使う時間は無い」
「はい!」
「お待ちあれよ、六角様」
「……祢津殿、何か?」
去ろうとしたタイミングでまたも弧次郎に声を掛けられ、俺は苛立ちを露わにする。この俺に用事があるとでもいうのだろうか。
すると弧次郎は意外な事を言い出す。当然、俺は目を丸くした。
「亜也子、いや……望月様はお連れにならないのですか?」
「は?何故に左様な事を聞く?」
「そりゃ……あいつ、田楽が人一倍好きでしたから」
「……あ」
すっかり忘れていた。この十年で望月甲賀三郎もとい亜也子の田楽踊りを何回見ただろうか。一回も無い気がする。やっと
俺の本音を見透かしたのか、弧次郎は遠い目をして言ってくる。
「戦場以外でも……あれは役に立つ女ですよ。六角様」
「……妙に気に掛けるんだな。とっくに赤の他人だろう?」
「昔の戦友ですから。それに今は同じ幕府傘下の武人です。気に掛けない方が可笑しいでしょう?……並の人間ならこう思います」
「あっそう。では、俺からも言わせて貰おう。並の人間なら尊氏様の御為、かつての主君の首を手土産にして当然である。以上だ」
生憎、いつまで経っても無礼千万な祢津弧次郎のために貸してやる耳なぞ欠片も持ち合わせていない。折角の気晴らしの前に興が削がれてしまった。知識人たちの前で激情を抑えられるだろうか。
不安を汲み取られたのだろう。次弟の
「
「まぁな……来年の今頃、どうなって居るやら。ゴホンゴホン」
当主として一族郎党の前で不安を見せられない。次弟の山内
どうしても今後が気になってしまう。足利一門の諸将、高一族や上杉氏という譜代の勢力、我ら佐々木氏や土岐一族や小笠原氏などの外様大名の顔触れが逐一チラつく。内紛前の息抜きのつもりが台無しである。そう思って進む内に、目当ての桟敷が見えてきた。
「にしても、この御時世によくこんな大層な櫓もどきを」
「高さ以上に数が驚きです、
「全くだ……さ、行くぞ。夢窓国師はあそこに居られる」
桟敷を登って到着だ。間も無く時間である。既に七十五歳という夢窓疎石と顔を合わせる。その同門の妙吉侍者も一緒であった。
前座の芸比べの見物を兼ねて説法でも聞けば、幾らか気が晴れるだろうか。妙吉は兎も角、夢窓疎石はかなり高齢だ。この時を逃してしまえば、もうそんな機会は滅多に無いかもしれない。下々の喧騒が辺りで響く中、俺は高尚な禅の精神に触れてみる事にした。
古典『太平記』において上杉