崇永記   作:三寸法師

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◆4

〜1〜

 

 

 貞和五年(西暦1349年)六月七日、北朝政府では新帝(崇光天皇)の即位式について閏六月を跨ぐ形で、翌々月の六日に執り行おうという方針が決定された。

 どうやら北朝公卿たちは、本気で七月に式典が敢行できると思っているらしい。正直、それどころではない気がしているのだが。

 というのも懸案があるのだ。四月十一日より、現地に赴任しようと奉行人たちを連れて下向した長門探題・直冬の動向が問題だ。

 

 

「あのパチモン野郎……遂に馬脚を現したな」

 

 

「……かれこれ五十日以上が経ちましたからなァ。にも拘わらず、直冬殿は未だに備後国の鞆に留まっておられる。となると──」

 

 

「謀反だ!これを謀反と言わずして何と言う!?道誉(佐渡判官)殿!」

 

 

 京における同族の面会で、俺は分家当主の道誉(佐渡判官)に捲し立てる。

 近頃、道誉(佐渡判官)(ミマ)を理由に捏ち上げ、京周辺で神出鬼没だ。ある時は京の師直(将軍執事)邸に姿を現したかと思えば、ある時は佐々木荘の六角邸を訪ねたという報告が入るのだから、腹黒坊主の本性丸出しだ。

 それでいて、南近江では妙にソワソワしていると噂だ。全く気が知れない。次代惣領という傀儡候補の誕生が余程嬉しいらしい。

 

 

「謀反……にございますか」

 

 

「そうだ!仮にも将軍庶子を名乗る身にあるまじき振る舞いをしてくれた!今や直冬は中国地方八ヶ国の管領!我ら守護大名と違い、謀反を起こそうと思えば何時でも起こせる立場だ!神妙に長門国へ赴くべきところ、鞆の浦で周辺豪族どもに粉を掛けているという!特に戦があった訳でもないのに恩賞を与えていると聞いたぞ!」

 

 

「……どうやら将軍や師直(武蔵守)殿も同じ疑いをお持ちのようです」

 

 

「それはそうだろう!かつての九郎義経よりタチが悪い!」

 

 

「然り。恩賞ばかりか恩赦紛いの事までしていると噂ですから」

 

 

 例えば、尊氏様は二十年近く前の中先代の乱(二十日先代)鎮圧後、武将たちに恩賞を配布した。あくまで関東鎮撫のため、軍功に対する褒美付与を急ぐという正当な理由があっての決定だった。それでいて後醍醐政権から謀反を疑われたのである。(いわ)んや此度の直冬(左兵衛佐)はどうか。

 今となっては直冬(左兵衛佐)の下向当日、降雨のために皆で不吉と嘲り笑ったのも昔の話だ。諸将は直冬(左兵衛佐)謀反を疑い、儀礼どころではない。

 

 

「そう言えば……直義(御舎弟殿)は己が猶子・直冬の野心を頑なに否定している様子だったな?到着早々の恩賞配布は滞りなき任務遂行を目的としたものに過ぎないだとか……長門探題は鎌倉幕府の職名を借りただけで、実態としては山陰・山陽の管領なのだから、()()()在留はむしろ理に適っているだとか。これはいよいよ直義(御舎弟殿)も怪しいぞ」

 

 

「元より長門探題は弟殿の提案で始まった事ですからなァ。出雲国守護の拙僧としても迷惑な話です。尤も、師直(武蔵守)殿はこうなる事を見越して、尊氏様の同意を看過した()()()もございましたが……」

 

 

師直(武蔵守)殿が諌め申す暇もなく、これで直冬の顔を見ずに済むという御喜びあっての将軍の賛同とも思ったが……やはり計算尽くか」

 

 

 確かに世間では高兄弟の数々の乱妨狼藉と比較して、直冬(左兵衛佐)の振る舞いは若かりし頃の将軍を彷彿させると(いた)く評判であるらしい。

 しかし、高師直(武蔵守)としては直冬(左兵衛佐)諸共、政敵の直義を蹴落とすチャンスとしか思っていなかったという事だろう。流石に道誉(佐渡判官)と同じで、婆娑羅武将の代表格と言われるだけある。一級品のブレなさだ。

 きっと師直(高武蔵守)は戦を望んでいる。直冬(左兵衛佐)の分を超えた振る舞いを論拠として、その義父・直義に責任を取らせる形で失脚させるのだ。

 勿論、これはあくまでプレリュードに過ぎない。本命は直冬(左兵衛佐)の決起だろう。直冬(左兵衛佐)が中国地方で兵を集め始めたところを反乱鎮圧を大義名分に掲げ、一気に討つ。戦でも暗殺でも勝算は十分だ。何せ(長門)(探題)の管轄地域には今や京極佐々木氏の支配地・出雲国、武田家の有する安芸国があるため、間者を潜り込ませる余地がある。それに播磨国の名将・赤松円心が居れば、不測の事態も心配せずに済む。

 

 

「問題はいつ糾弾に踏み切るかか……だが」

 

 

「……難しいですなァ。近頃、足利兄弟の周りでは上杉重能(伊豆守)と畠山直宗(大蔵少輔)*1による讒言が酷いと聞きます。あの者たちは凡才の割に高官を望み、軍功僅かにして格別な褒賞を欲する輩です。当然、高兄弟の専横を快く思っておらず、何かに付けて絶えず誹謗中傷しているそうで。将軍も副将軍もこればかりは無視しているようですが」

 

 

「上杉重能(伊豆守)。畠山直宗(大蔵少輔)……か」

 

 

 いつだったか、名医・和気仲成(典薬頭)より聞いた与太話を思い出した。

 直義の幼子・如意丸の正体が、生まれ変わった護良親王であるという話だけならまだ呑み込めなくも無かったかもしれない。だが、大塔宮(護良親王)関係者の智教上人が上杉重能(伊豆守)・畠山直宗(大蔵少輔)、同じく仲円法師が高兄弟の心に乗り移り、悪さをせむという完全に意味不明な企みを聞かされて、真に受けろという方が難しい。戯言にも程がある。

 妙吉侍者にしても、あれは国師(夢窓疎石)の同門だ。やたら漢籍で馴染みのある話を面白く聞こえさせる話術──まるで落語家か、超一流の予備校講師のよう──を持っていると思うが、そこまで警戒に値する男とも思えない。確かに高兄弟に嫌われているようではあるが。

 

 

「畠山氏の傍流も傍流な直宗(大蔵少輔)は兎も角……重能(伊豆守)が厄介だ」

 

 

「はい。あれは仮にも上杉氏の一員。言い換えると、将軍兄弟の御母堂たる亡き清子様の親戚です。おいそれと排除できますまい」

 

 

「しかも、余程の理由が無くば、上杉憲顕(民部大輔)が仇を討たむと上洛しかねまいな。さすれば直冬軍と挟み撃ちで流石に厄介だ。そんな輩に目の敵にされては……師直(武蔵守)殿も軽々しく直冬(左兵衛佐)弾劾は出来まいか」

 

 

 尊氏様が取り合わないのは当然としても、直義(副将軍)が腹心の上杉重能(伊豆守)たちの讒言を聞き流している理由は、四條畷の勝利のために高兄弟が換えの効かない重要戦力という建前が出来ているからだろう。

 そこを強引に踏み躙る形で直義派の排除を断行すれば、関東諸国の軍勢の襲来を招きかねない。未だ重茂(高大和守)師冬(高播磨守)の職務交代が実現されていない以上、頼みの綱の義詮(次代将軍)が実質的に上杉憲顕(民部大輔)の掌の上で握られている状態である。師直(高武蔵守)としても緊迫感のある局面なのだ。

 

 

「まだ尊氏様にお縋り申すには……うん、まだまだ早過ぎるな」

 

 

「将軍には今暫く遊びに興じて頂きましょう。底力でこそ真価を発揮なさるという目論見の実現が見込まれる日まで、じっくりと」

 

 

「ああ……遊びと言えば、道誉(佐渡判官)殿。四条河原で近日開催の勧進田楽は観に行かれるつもりで?それとも()()近江国で娘と面会を?」

 

 

「娘などと……我が妻、と呼んでやって頂きたいものですなァ」

 

 

「話の腰を折らんで貰えるか?道誉(佐渡判官)殿」

 

 

「は……今回は見送ろうかと。天台座主が参られるそうですから」

 

 

「梶井宮二品親王か……なら俺は夢窓国師の警護でもするか」

 

 

 もし師直(高武蔵守)が動くとしたら、将軍邸再築が済んでからになろうか。

 尊氏様が一条今出川の師直(将軍執事)邸を引き払う日まで待つのである。

 本来なら直義(左兵衛督)の影響力が再び強くなる前に手を打つのが上策だ。とはいえ、それまで師直は将軍執事として配慮せざるを得まい。

 暫くの間はこの俺も幾らか羽を伸ばせよう。例えば四日後に大規模な田楽イベントが控えている。他ならぬ尊氏様も観覧予定だ。

 この時、俺は微塵も思っていなかった。六月十一日の四条河原で如何なる惨劇が起こるのか。神が密かに荒ぶりつつあったのだ。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 貞和五年(西暦1349年)六月十一日、俺は朝早くから六角邸を出発した。四条河原の勧進田楽のため、老若男女が集まる見込みだ。天台座主(梶井宮二品親王)はどうでも良いが、尊氏様が観覧予定ならば大事である。しかも、あまり田楽に良い顔をしない副将軍・直義を隣に侍らせるらしいのだ。

 勧進田楽というだけあって、元々が祇園社の参拝路・四条大橋の修繕費用稼ぎが目的のイベントだ。故に生真面目な直義としても、抵抗感なく参加できるのかもしれない。勿論、禅僧含むあらゆる立場の老若男女に加え、関白・二条良基などの要人たちも観覧するとあっては、付き合いのために断り切れなかった面もあるだろう。

 

 

(あに)様。昨日の夕方、佐々木荘に京極道誉(佐渡判官)めが現れたとか」

 

 

「案ずるな、五郎(定詮)。今回は事前に話を聞いている……だが、彼奴の本音では検非違使の業務をサボりたかったんだろうな。四条河原でこれだけの大行事となると、検非違使も侍所も総出で京の内外の警備に当たらねばならん。つまり、京に居たら否が応でも仕事に巻き込まれる。それは婆娑羅大名の矜持が許さなかったんだろうさ」

 

 

「当代きっての風流人を標榜しながら、稀代の見せ物で裏方仕事をさせられるのであれば、いっそ娘の様子を見守るためと称して現場から離れた方が良い……そんな腹ですか。何とまぁ惨めな話で」

 

 

五郎(定詮)よ。俺は昼前になって道誉(佐渡判官)殿がひょっこり京に現れ、何の仕事もせずに見物しても、全く驚かないぞ。あれはそういう男だ」

 

 

「……絶妙にやりそうなのが何とも」

 

 

 次弟・山内定詮(五郎)と会話をしつつ、俺は持ち場へと向かう。この俺とて正直な話、ただ仕事させられるだけでは面白くない。故に佐々木惣領という立場を利用し、同族の夢窓疎石の警護任務を得た。

 夢窓疎石は今でこそ国師と信望を集めているが、かねてより比叡山延暦寺から敵視されてきた曰く付きだ。天台座主(梶井宮二品親王)本人の思惑は置くとしても、周りの山徒どもが何を企むか知れたものではない。

 このような経緯で、俺は正当に夢窓疎石の警護役として実質的な特等席に陣取り、田楽が観れるのだ。無論、本当なら尊氏様の隣が最も望ましい。とはいえ、既に弟の直義が同席するものと決められてしまっていては仕方がない。どうせ直義の寿命は残り数年だ。

 

 

(あに)様、あれを」

 

 

「ん?……うわ」

 

 

 遠い感慨に浸った矢先、定詮(山内五郎)に指し示されて俺は眉を顰める。

 俺たちの視線に気付いたのか、その武将は(おもむ)ろに接近して来た。

 

 

「これはこれは六角様……ご挨拶申し上げます」

 

 

「ふん」

 

 

「祢津殿。(あに)様への挨拶、痛み入る」

 

 

「山内様。これはどうもご丁寧に」

 

 

「……チ」

 

 

 数ヶ月前の将軍邸炎上事件の第一容疑者・祢津弧次郎は、腹立たしい事に未だ健在である。余計にも直義派武将どもがアリバイを証言してくれたのだ。なので、正式な処罰は一切下されなかった。

 検非違使の重役・廷尉という立場があるにせよ、他の幕臣にそこまでされては幾ら弁を尽くしても引き退がらざるを得なかった。

 

 

「祢津殿。その後、肩や手首のお加減は如何です?」

 

 

「……ええ、何とか回復途上です。拘束時の手加減のお陰で」

 

 

「……うっざ」

 

 

 次弟の定詮(山内五郎)はまともに弧次郎と話ができるようだが、俺には到底真似できない。何より低劣な嫌味を言われる位なら、将軍邸焼失直後に(なり)振り構わず殺しておくべきだったと思わずに居られない。

 仮にも弧次郎は北朝の信濃国国司・諏訪頼嗣の配下として幕府に派遣されている等と気が引けたのが失敗の素だった。後で尾を引くタイプの力の込め方にしただけで精一杯の当時を嘆くばかりだ。

 それでいて、今になって弧次郎を手に掛けても、北朝において信望を失うだけという旨味の無さが、一種の歯止めになっていた。

 

 

定詮(五郎)、あまり其奴と口を利くな。北条菌が移るぞ」

 

 

「金……でございますか?」

 

 

「……良いけどさ。行くぞ。あんな輩のために使う時間は無い」

 

 

「はい!」

 

 

「お待ちあれよ、六角様」

 

 

「……祢津殿、何か?」

 

 

 去ろうとしたタイミングでまたも弧次郎に声を掛けられ、俺は苛立ちを露わにする。この俺に用事があるとでもいうのだろうか。

 すると弧次郎は意外な事を言い出す。当然、俺は目を丸くした。

 

 

「亜也子、いや……望月様はお連れにならないのですか?」

 

 

「は?何故に左様な事を聞く?」

 

 

「そりゃ……あいつ、田楽が人一倍好きでしたから」

 

 

「……あ」

 

 

 すっかり忘れていた。この十年で望月甲賀三郎もとい亜也子の田楽踊りを何回見ただろうか。一回も無い気がする。やっと亜也子(望月甲賀三郎)が田楽を得意としていた事を思い出した位なのだ。きっとそうだ。

 俺の本音を見透かしたのか、弧次郎は遠い目をして言ってくる。

 

 

「戦場以外でも……あれは役に立つ女ですよ。六角様」

 

 

「……妙に気に掛けるんだな。とっくに赤の他人だろう?」

 

 

「昔の戦友ですから。それに今は同じ幕府傘下の武人です。気に掛けない方が可笑しいでしょう?……並の人間ならこう思います」

 

 

「あっそう。では、俺からも言わせて貰おう。並の人間なら尊氏様の御為、かつての主君の首を手土産にして当然である。以上だ」

 

 

 生憎、いつまで経っても無礼千万な祢津弧次郎のために貸してやる耳なぞ欠片も持ち合わせていない。折角の気晴らしの前に興が削がれてしまった。知識人たちの前で激情を抑えられるだろうか。

 不安を汲み取られたのだろう。次弟の定詮(五郎)が徐ろに口を開いた。

 

 

(あに)様、先程は……いえ、今は敵を忘れて、存分に舞や芸比べを楽しみましょうぞ!もうこんな機会もそう無いのでしょう?(あに)様」

 

 

「まぁな……来年の今頃、どうなって居るやら。ゴホンゴホン」

 

 

 当主として一族郎党の前で不安を見せられない。次弟の山内定詮(五郎)が相手では特にそうだ。しかし、ここに来て俺は田楽を楽しむ気力を無くしていた。弧次郎と話したせいで思い出したのだ。田楽というものが鎌倉幕府(北条政権)の滅亡──実際、後に軍記物語『太平記』では田楽批判と併せ、北条一門「断絶せし」と綴られる──の狼煙と巷で言われている事に。尤も、田楽の批判者は大抵の場合、高時(最後の得宗)が嵌っていたという一点で禅宗も批判するので、信用ならないのだが。

 どうしても今後が気になってしまう。足利一門の諸将、高一族や上杉氏という譜代の勢力、我ら佐々木氏や土岐一族や小笠原氏などの外様大名の顔触れが逐一チラつく。内紛前の息抜きのつもりが台無しである。そう思って進む内に、目当ての桟敷が見えてきた。

 

 

「にしても、この御時世によくこんな大層な櫓もどきを」

 

 

「高さ以上に数が驚きです、(あに)様。夥しいとしか形容できません」

 

 

「全くだ……さ、行くぞ。夢窓国師はあそこに居られる」

 

 

 桟敷を登って到着だ。間も無く時間である。既に七十五歳という夢窓疎石と顔を合わせる。その同門の妙吉侍者も一緒であった。

 前座の芸比べの見物を兼ねて説法でも聞けば、幾らか気が晴れるだろうか。妙吉は兎も角、夢窓疎石はかなり高齢だ。この時を逃してしまえば、もうそんな機会は滅多に無いかもしれない。下々の喧騒が辺りで響く中、俺は高尚な禅の精神に触れてみる事にした。

*1
国清(阿波守)高国(上野介)の遠縁。伯父に日向国守護の畠山直顕(修理亮)

古典『太平記』において上杉重能(伊豆守)と共に「才短にして〜」と批判される箇所がある。

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