崇永記   作:三寸法師

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〜1〜

 

 

 貞和五年(西暦1349年)六月十一日、四条河原で極めて大規模な勧進田楽が行われている。後の古典『太平記』でも、この華やかなイベントの様子が克明に描かれる。それこそ読者の五感に訴え掛けるかの如く。

 大勢の観客のための桟敷の広さは、六十余間とも八十間四方とも言われており、その壮観さが窺い知れよう。早速、本座や新座という二大公演集団が競って芸を披露する。渡来の各種毛織物で鮮やかに彩られた舞台だ。笛や鼓の音に背中を押されて美少年たちが優美に現れたかと思えば、凛々しい姿の法師が煌めきながら現れる。

 見物人たちは目が洗われたような心地で、絶え間なく感嘆の息を吐いた。著名な芸能者たちの神業が次々と披露されているのだ。

 

 

「おお!本座の阿古、何と見事な腕前か!」

 

 

「菊王道一を見よ!あの刀捌き!真似できる侍は何人も居るまい」

 

 

「まこと心に染み入る猿楽。日吉大社の御利益そのものだ!」

 

 

「あれは新座の子か?齢は恐らく七つか八つであるな。面を被っていながら、機敏な演舞である事よ。楽曲に乗って、あちこち自由自在に飛び回っておる。これぞ山王の神託であるな!感動した!」

 

 

 次第に会場は興奮によって沸き立ち、歓声で埋め尽くされる。

 これぞ却って密談に格好の場だ。室町幕府の副将軍・足利直義は兄の尊氏に対し、静々と話を切り出す。先日の将軍邸焼失のため、ここ最近は満足に兄弟間のコミュニケーションが出来ていない。

 尊氏が師直(将軍執事)邸に身を寄せてしまったからだ。だが、今はまだ師直(高武蔵守)も将軍の尊氏が己が掌にあると思い、油断しているに違いない。

 とはいえ、尊氏が自宅に戻る日が近付けば、師直(高武蔵守)はいよいよ直義派の排除を目論み、行動を起こしかねない。なれば、この勧進田楽は直義(左兵衛督)が先手を打つ絶好機と言えようか。さもなくば、公家衆が暫く話題にする舞台だからという理由以外で、直義は田楽鑑賞の席に進んで座らなかっただろう。幸いにも師直(高武蔵守)はこの場に不在だ。

 

 

(師直め。侍所頭人の顕氏(細川陸奥守)の監督を申し付けたら、機嫌を良くしてあっさり承諾した。だが、これぞお前の栄達が終息する合図だ)

 

 

「兄上……鞆の浦の長門探題・直冬について話がございます」

 

 

「……直義。幾ら直冬(左兵衛佐)を猶子にしていると申せ、義理立てする由は有るまい。我が広い心で長門探題にしてやったと申すに、あの恩知らずは一向に現地へ赴任しない。直義、お前ならその理由が分かるだろう?あの奸賊は……比較的京に戻り易い鞆の浦で、恩賞や恩赦を以て周辺豪族を手懐け、機を見て軍勢を率いて上洛する気だ」

 

 

「ッ……再三申し上げているように、そのような事は」

 

 

 備後国の()()()は重要戦略拠点だが、それだけではない。足利一門にとって思い入れのある土地だ。建武大乱において九州鎮撫を完了した後、暫く鞆の浦で上洛に備えて態勢を整えた過去がある。

 要は直冬の()()()滞在は、かつて湊川合戦へ突き進んだ尊氏のような上洛を示唆し得るものなのだ。確かに直義派としても京で異変が生じれば、直ちに()()()から直冬軍が押し寄せ、打倒師直(将軍執事)派の機運が高まると期待していた。つまり、まずまず核心を突かれた。

 故に直義の歯切れがどうしても悪くなる。すると、まるで直義の躊躇に付け入るように尊氏が語り始めた。直冬(長門探題)脅威論について。

 

 

「お前の周りは重能(上杉伊豆守)を始め、師直(高武蔵守)たちを妬んで誹る者で溢れているではないか。お前の関知せぬ内に、直冬が彼らと結託していないと何故言える?もし直冬が彼らの口車に乗せられ、かつて足利軍が用いた謳い文句・君側の奸を討て*1で上洛すれば……高一族の莫大な資産目当てで話に乗る武士が続出する。そうなれば、我らの幕府が直冬に乗っ取られるぞ?義詮も光王も如意丸も無事で済むまい」

 

 

「兄上……この私に取ってつけたような理由は不要でございます。直冬がお嫌い故、そのように悪し様に考えられるのでしょう?」

 

 

「……」

 

 

 図星だったのか、尊氏が急に押し黙った。直義は一安心する。

 仮に尊氏が武家の棟梁という立場を振り翳し、将軍として何が何でも直冬(左兵衛督)を成敗したいと言われれば、抵抗は難しかっただろう。

 ここまで来れば後は詰め将棋のようなものだ。それこそ理詰めという分野に関して、直義は英雄の兄・尊氏を遥か上回っている。

 さりとて、それは過信であった。誰より頭脳明晰であるが故の。

 

 

「我が直冬を嫌うのは生理的になんか嫌なだけではない」

 

 

「……?」

 

 

「我だって正室と嫡子が最も大事だ」

 

 

「!」

 

 

 結局のところ、義詮(次期将軍)赤橋登子(将軍正室)の心象について持ち出されれば、直義は諦めるしかない。根が()()()()()()()な尊氏が珍しく正論を振り翳してしまえば、真面目な直義は妥協せざるを得ないのだ。

 しかし、将軍夫妻に張り付いて古の趙高の如く、佞臣適性のある師直(高武蔵守)については別問題だ。直義の政争はここからである。決して(尊氏)胡亥(二世皇帝)のようにさせないという義憤が、直義の胸に溢れていた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 晴れの場において、あたかも天魔波旬が憑いているような見事な舞が披露されている中、国師・夢窓疎石は溜め息を堪えていた。

 近江国守護の氏頼(大夫判官)が、佐々木一族の惣領ながらに自身の警護役を買って出てくれたという喜びも今や遥か彼方だ。よもや田楽鑑賞の場で自身の説法を()()()()()とは思っていなかったのである。ここで活きたのが同門の怪僧・妙吉の存在だった。妙吉は自他共に認める話上手である。故に氏頼(大夫判官)の好む漢籍語りでの慰撫は朝飯前だ。

 

 

「このように藺相如の()()()()は格別なものでありました。一方、ここに廉頗将軍という趙王の旧臣がおりました。代々の忠功は比類無しと自負しておられたのですが……まぁ大変な事であります」

 

 

「ふむふむ」

 

 

(藺相如と廉頗か……まるで当代の上杉氏と高一族よ。だが、実際の政治で刎頸の交わりの如く穏便に収まる事は極稀だ。この夢窓は鎌倉の御代から今日(こんにち)に至るまで、数多の政治家を見てきた。いずれ高兄弟も重能(上杉伊豆守)殿も内紛の主役となろう。さすれば、後世からの批判は免れまい。確執を捨てぬ彼らが、どうして忠臣と言えるのかと)

 

 

 老僧の夢窓疎石は見抜いている。足利政権において内紛の兆しが見え隠れしている事を。若い頃の夢窓疎石なら、巧く逃げようとしていたかもしれない。だが、もはや無理な話だろう。既に夢窓疎石は政権の中枢にどっぷり浸かり、重責を背負い過ぎてしまった。

 幸い、夢窓疎石は直義(左兵衛督)とも師直(高武蔵守)とも親交を結んできた。いざという時の仲裁者として頼られる筈だ。故に危害を加えられる心配は然程ない。強いて言うなら、山法師たちの武力が脅威だが、これについては同族の六角氏頼(大夫判官)という抑止力がある。京極道誉(佐渡判官)も同様だ。

 

 

「ここで藺相如の兵たちが不快に思って申しました。されば我らが廉頗の屋敷に押し寄せて雌雄を決し、侮る廉頗勢を見返そうと」

 

 

「おお!」

 

 

「藺相如はこれを聞いて涙を流された。曰く、汝等未だ知らずや。両虎相戦って共に死する時、狐一匹が双方の犠牲に乗じて──」

 

 

(それにしても、どうして宗家は刎頸の逸話をお望みに?両派閥の争いは決して本意に非ずという奥ゆかしい御心の現れ……か?)

 

 

 今一つ釈然とせず、夢窓疎石は氏頼(大夫判官)の様子を訝しむ。妙吉はただ有力大名の氏頼(大夫判官)に講釈を垂れている事が大層愉快であるらしいからさて置き、佐々木惣領にとって()()()()()()は十分既知だろう。

 田楽鑑賞の傍らで態々語らせるからには何か理由がある筈だ。

 そう思って訝しんでいると夢窓疎石は不意に人の気配を感じた。

 

 

「おや、これは賢俊僧正」

 

 

「応、国師(夢窓疎石)殿よ。暫くであるな……六角殿も」

 

 

「!……僧正、御挨拶をば。妙吉殿、あいや暫く」

 

 

「……は」

 

 

 尊氏の腹心の一人・三宝院賢俊が現れる。醍醐寺で修行した経歴があるだけあって、禅僧の夢窓疎石とは宗派が異なるが、同じ北朝の有力者同士、ある程度は協調し合わなければならない立場だ。

 近江国守護の氏頼(大夫判官)も賢俊僧正が現れたとなっては流石に神妙にせざるを得ないらしく、語り足りない様子の妙吉を制止してまで挨拶をする。自然な流れで年長者の夢窓疎石が代表して話を始めた。

 

 

「如何された?御兄弟の隣に居られるとばかり」

 

 

「何。折行った話のようだから、今暫し席を外した」

 

 

「……折行った話ですか」

 

 

「不躾ながら……要旨だけでも、お聞かせ願えませぬか?」

 

 

「六角殿。そう構えられるな。直義殿が猶子の謀反疑惑を晴らそうと言う、ここ最近では何時もの事だ。ま、なるようになろうよ」

 

 

「……なれば良かった」

 

 

 まだまだ若手の氏頼(大夫判官)の安堵した表情を見て、齢七十五の夢窓疎石も齢五十一の賢俊も思わず顔が綻ばせる。老人にとって、若者の感情の機微というものは往々にして癒やしになり得るものなのだ。

 ただ妙吉だけが講釈を止められて不機嫌なのか、白けた様子だ。

 

 

「六角殿。国師(夢窓疎石)殿が後で御兄弟に挨拶されるなら、是非貴殿も」

 

 

「はい!有り難く!」

 

 

「お、応……流石の忠誠心であるな」

 

 

「それはもう!尊氏様への御挨拶なら、喜ばずに居られ──」

 

 

──力が、満ちる

 

 

 貞和五年(西暦1349年)六月十一日、四条河原の勧進田楽において、突如として惨劇が発生した。桟敷が崩落し、多数の死傷者が出たのである。

 古典『太平記』によれば、下敷きになった者に熱々の茶の湯が降り注いだり、混乱に乗じて盗みが各所で横行したりしたという。

 また、天台座主・梶井宮二品親王が、腰を打って後に物笑いの種になった。関白の二条良基はただ観ていただけで、新帝(崇光天皇)を誘わず来た事を批判された。四条河原という地名そのものも昨年(貞和四年)の四條畷合戦と併せ、落首のネタにされた。だが、肝要な逸話は他にある。

 この大事故で幸いにも無事だった征夷大将軍・足利尊氏に関係しているのだろうか。曰く、絹布を纏った美女*2が尊氏の桟敷付近に居たらしい。美女が扇を仰いだ途端、将棋倒しのようにして桟敷が崩れたという。世にも不思議な逸話がこんな所にも現れていた。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 貞和五年(西暦1349年)六月十九日、四条河原の惨劇から一週間余りが経過し、近江国の有力武士団・佐々木一族にとって思わぬ慶事があった。

 一族団結の所以たる沙沙貴大明神が、朝廷によって正一位に認定されたのである。人間に位階があるように神もまたランク付けされるのだ。そのせいか、佐々木惣領の氏頼(大夫判官)は鼻高々になっていた。

 数日も経つと直常(桃井播磨守)が、氏頼(大夫判官)の上機嫌振りに白い目を向け始めた。

 

 

「良かったんですかい?直義サマ。あれ絶対とんでもない勘違いしてますよ。まるで自分が正一位になったかのような浮かれ様で」

 

 

「……兄上の屋敷の棟上げが済んだせいかとも思っていたが」

 

 

「それにしては祢津殿が嫌味を言われてないようですぜ?」

 

 

「まぁ好きにさせておこう。どうせ誰も取り合わん。それに反直冬(左兵衛佐)筆頭格の氏頼(大夫判官)が浮かれて気を抜いている方が、色々とやり易い」

 

 

(先日の四条河原……氏頼(大夫判官)は夢窓国師や賢俊僧正、妙吉侍者と合力して周りの桟敷崩落を防いだと公家衆が褒めていたが……それで沙沙貴明神を従一位から最高位に格上げしようと?そんなまさか)

 

 

 勧進田楽当日を思い出し、直義は首を捻る。あの時、直義はとてもではないが、氏頼(大夫判官)たちの様子について気が回っていなかった。

 目の前で尊氏が妙な呟きと共に拳を握った瞬間、広い範囲で桟敷があれよあれよという間に崩壊したように見えたため、唖然とするしかなった。やっと正気に戻って考えた事といえば、多数の死体が崩落物の下敷きになってしまったせいで、そう簡単に撤去出来ず、疫病を誘発しやしないかという為政者ならではの憂慮であった。

 

 

(幸い、翌日の洪水で何もかも流されたから、疫病の心配は直ぐに無くなったが……いけないな。本当に只の偶然かと疑ってしまう)

 

 

「……直義サマ!直義サマ!」

 

 

「ッ……すまない、桃井。つい考え事を」

 

 

「へぇ、直義サマ!太政大臣・洞院公賢卿がお見えとの事です」

 

 

「……わざわざ。お身体の具合は大丈夫なのか?」

 

 

 副将軍の直義は強く意識していた。既に尊氏の引っ越し(本居帰還)が完了している。師直(高武蔵守)抑制に踏み出す時が来たのだ。なれば尚更、今後の治世の形を考えても、北朝政府からの信頼を損なわないように上手く立ち回らねばならない。直義が明確に完璧執事の高師直(武蔵守)を上回っている点があるとするなら、それは朝廷や寺社との繋がりだろう。

 さて、ここでその面会相手・洞院公賢を取り上げたい。後世では日記『園太暦』の著者として知られる北朝公卿だが、意外にも古典『太平記』のファンタジー「雲景未来記」に名前が見えるのだ。

 この「雲景未来記」について有り体に言えば、怪僧・妙吉や如意丸などに関わる「六本杉の怪異」に続く奇譚である。愛宕山で崇徳天皇や後醍醐天皇、古の高僧たち(玄昉・頼豪その他大勢)、源為朝らの寄り合い(天下を乱す相談)を目撃してしまった雲景が聞き手となり、案内人から説教される筋書きだ。

 

 

──四条河原の桟敷崩壊?そりゃお前。将軍・関白・天台座主という貴人たちが、下々と雑居して勧進の催しに参加なんて有り得ないでしょう。八幡大菩薩も春日大明神も山王七社も嘆くよ。それは。だから大地の神が驚くんだよ。その勢いで、桟敷が崩れたんだ。

 

 

──将軍兄弟の不和?どっちが正しいかなんて言えないよ。権力を握る前は志があっても、いざ富を得たら私情に流されて、民を慈しむ事を忘れたんだからさ。その点、北条氏はまだマシ。卑しい野蛮人ながら、国を富ませた。高時がボケて義に背いたから、仏神に見捨てられたの。それで後鳥羽院に遥か及ばぬ先帝(後醍醐天皇)に滅ぼされた。

 

 

──大体、先帝(後醍醐天皇)の仁徳や後進教育の術が、尭や舜に及ばないから、あんな事になったんだ。そもそも王法なんてものは、安徳帝の代に宝剣が海の底に沈んで終わったんだ。あれから幕府が天下国家を支配して、君主が蔑ろにされ始めた。承久の乱も敢えなく失敗した。今の北朝にしたって武家におんぶに抱っこで、神器は吉野の微妙な君主のところだ。こんな時代に是非も何もあったんもんじゃない。だから、足利兄弟が正しいとも、高兄弟が悪いとも言えないの。

 

 

 その要旨を()()()()()()に纏めると以上のようになる。その後、雲景は老僧から師直(高武蔵守)の勝利と百日以内の異変発生について聞き出す事が出来た。これらの内容を纏めたものこそ「未来記」なのだ。

 この「未来記」は雲景によって取次役人に託された後、太政大臣の洞院公賢の手に渡った。内容が内容だったため、極めて厳重に秘匿されたらしい。当然、日記『園太暦』にこの件の記述は無い。

 そもそも日記というのは公家にとって、一種の業務日誌である。

 

 

(書けるか!あんなもの!与太話も良い所だ!子孫に笑われる!)

 

 

直義(左兵衛督)殿、今日はこれだけ言いに参った」

 

 

「?……伺いしましょう。洞院卿」

 

 

 公家は基本的に穢れを嫌う生き物である。況んや太政大臣をや。

 そもそも北朝の要人として、直義派と師直派の内紛激化で南朝が漁夫の利を得るような展開を避けたいと考えるのは至極当然だ。

 

 

「くれぐれも……戦にはしないでくれ!」

 

 

「ッ!」

 

 

(まさか大臣独自の情報網で、師直(高武蔵守)が戦支度をしているとでも嗅ぎ付けて……流石に考え過ぎか。だが、洞院卿にここまで堂々と牽制されてしまった以上、残る手は……暗殺で一気に肩をつけるしか)

 

 

 古典『太平記』は「未来記」の叙述に続けて、直義(副将軍)派の将軍執事(高武蔵守師直)暗殺計画へと筆を進めていく。暗殺の勝算は無いでもないのだ。

 当時、直義派は大高重成(伊予守)・宍戸朝里(安芸守)*3という猛者を擁し、続く存在に曽我師成(左衛門尉)・島津光久(四郎左衛門尉)・粟飯原清胤(下総守)・祢津弧次郎(小次郎)などが居た。

 直義(左兵衛督)は心を決め、兄・尊氏にも内密で手配を行った。かねて弱将というコンプレックスを抱える身なれど、必勝を見込んでいた。

 そもそも当の師直(高武蔵守)が老将で、個の武力の翳りが顕著なのだから。

*1
中先代の乱以降、足利軍は建武政権を倒すため、新田義貞を君側の奸に認定した。

*2
佐々木一族の記述の多い天正本及び、その系統伝本で出現。

大抵の『太平記』諸本では、山伏が崩落事故を引き起こしている。

*3
小田氏庶流の武将。鎌倉攻めや多々良浜合戦で功を挙げた歴戦の強者だった。

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