崇永記 作:三寸法師
〜1〜
大勢の観客のための桟敷の広さは、六十余間とも八十間四方とも言われており、その壮観さが窺い知れよう。早速、本座や新座という二大公演集団が競って芸を披露する。渡来の各種毛織物で鮮やかに彩られた舞台だ。笛や鼓の音に背中を押されて美少年たちが優美に現れたかと思えば、凛々しい姿の法師が煌めきながら現れる。
見物人たちは目が洗われたような心地で、絶え間なく感嘆の息を吐いた。著名な芸能者たちの神業が次々と披露されているのだ。
「おお!本座の阿古、何と見事な腕前か!」
「菊王道一を見よ!あの刀捌き!真似できる侍は何人も居るまい」
「まこと心に染み入る猿楽。日吉大社の御利益そのものだ!」
「あれは新座の子か?齢は恐らく七つか八つであるな。面を被っていながら、機敏な演舞である事よ。楽曲に乗って、あちこち自由自在に飛び回っておる。これぞ山王の神託であるな!感動した!」
次第に会場は興奮によって沸き立ち、歓声で埋め尽くされる。
これぞ却って密談に格好の場だ。室町幕府の副将軍・足利直義は兄の尊氏に対し、静々と話を切り出す。先日の将軍邸焼失のため、ここ最近は満足に兄弟間のコミュニケーションが出来ていない。
尊氏が
とはいえ、尊氏が自宅に戻る日が近付けば、
(師直め。侍所頭人の
「兄上……鞆の浦の長門探題・直冬について話がございます」
「……直義。幾ら
「ッ……再三申し上げているように、そのような事は」
備後国の
要は直冬の
故に直義の歯切れがどうしても悪くなる。すると、まるで直義の躊躇に付け入るように尊氏が語り始めた。
「お前の周りは
「兄上……この私に取ってつけたような理由は不要でございます。直冬がお嫌い故、そのように悪し様に考えられるのでしょう?」
「……」
図星だったのか、尊氏が急に押し黙った。直義は一安心する。
仮に尊氏が武家の棟梁という立場を振り翳し、将軍として何が何でも
ここまで来れば後は詰め将棋のようなものだ。それこそ理詰めという分野に関して、直義は英雄の兄・尊氏を遥か上回っている。
さりとて、それは過信であった。誰より頭脳明晰であるが故の。
「我が直冬を嫌うのは生理的になんか嫌なだけではない」
「……?」
「我だって正室と嫡子が最も大事だ」
「!」
結局のところ、
しかし、将軍夫妻に張り付いて古の趙高の如く、佞臣適性のある
〜2〜
晴れの場において、あたかも天魔波旬が憑いているような見事な舞が披露されている中、国師・夢窓疎石は溜め息を堪えていた。
近江国守護の
「このように藺相如の
「ふむふむ」
(藺相如と廉頗か……まるで当代の上杉氏と高一族よ。だが、実際の政治で刎頸の交わりの如く穏便に収まる事は極稀だ。この夢窓は鎌倉の御代から
老僧の夢窓疎石は見抜いている。足利政権において内紛の兆しが見え隠れしている事を。若い頃の夢窓疎石なら、巧く逃げようとしていたかもしれない。だが、もはや無理な話だろう。既に夢窓疎石は政権の中枢にどっぷり浸かり、重責を背負い過ぎてしまった。
幸い、夢窓疎石は
「ここで藺相如の兵たちが不快に思って申しました。されば我らが廉頗の屋敷に押し寄せて雌雄を決し、侮る廉頗勢を見返そうと」
「おお!」
「藺相如はこれを聞いて涙を流された。曰く、汝等未だ知らずや。両虎相戦って共に死する時、狐一匹が双方の犠牲に乗じて──」
(それにしても、どうして宗家は刎頸の逸話をお望みに?両派閥の争いは決して本意に非ずという奥ゆかしい御心の現れ……か?)
今一つ釈然とせず、夢窓疎石は
田楽鑑賞の傍らで態々語らせるからには何か理由がある筈だ。
そう思って訝しんでいると夢窓疎石は不意に人の気配を感じた。
「おや、これは賢俊僧正」
「応、
「!……僧正、御挨拶をば。妙吉殿、あいや暫く」
「……は」
尊氏の腹心の一人・三宝院賢俊が現れる。醍醐寺で修行した経歴があるだけあって、禅僧の夢窓疎石とは宗派が異なるが、同じ北朝の有力者同士、ある程度は協調し合わなければならない立場だ。
近江国守護の
「如何された?御兄弟の隣に居られるとばかり」
「何。折行った話のようだから、今暫し席を外した」
「……折行った話ですか」
「不躾ながら……要旨だけでも、お聞かせ願えませぬか?」
「六角殿。そう構えられるな。直義殿が猶子の謀反疑惑を晴らそうと言う、ここ最近では何時もの事だ。ま、なるようになろうよ」
「……なれば良かった」
まだまだ若手の
ただ妙吉だけが講釈を止められて不機嫌なのか、白けた様子だ。
「六角殿。
「はい!有り難く!」
「お、応……流石の忠誠心であるな」
「それはもう!尊氏様への御挨拶なら、喜ばずに居られ──」
──力が、満ちる
古典『太平記』によれば、下敷きになった者に熱々の茶の湯が降り注いだり、混乱に乗じて盗みが各所で横行したりしたという。
また、天台座主・梶井宮二品親王が、腰を打って後に物笑いの種になった。関白の二条良基はただ観ていただけで、
この大事故で幸いにも無事だった征夷大将軍・足利尊氏に関係しているのだろうか。曰く、絹布を纏った美女*2が尊氏の桟敷付近に居たらしい。美女が扇を仰いだ途端、将棋倒しのようにして桟敷が崩れたという。世にも不思議な逸話がこんな所にも現れていた。
〜3〜
一族団結の所以たる沙沙貴大明神が、朝廷によって正一位に認定されたのである。人間に位階があるように神もまたランク付けされるのだ。そのせいか、佐々木惣領の
数日も経つと
「良かったんですかい?直義サマ。あれ絶対とんでもない勘違いしてますよ。まるで自分が正一位になったかのような浮かれ様で」
「……兄上の屋敷の棟上げが済んだせいかとも思っていたが」
「それにしては祢津殿が嫌味を言われてないようですぜ?」
「まぁ好きにさせておこう。どうせ誰も取り合わん。それに反
(先日の四条河原……
勧進田楽当日を思い出し、直義は首を捻る。あの時、直義はとてもではないが、
目の前で尊氏が妙な呟きと共に拳を握った瞬間、広い範囲で桟敷があれよあれよという間に崩壊したように見えたため、唖然とするしかなった。やっと正気に戻って考えた事といえば、多数の死体が崩落物の下敷きになってしまったせいで、そう簡単に撤去出来ず、疫病を誘発しやしないかという為政者ならではの憂慮であった。
(幸い、翌日の洪水で何もかも流されたから、疫病の心配は直ぐに無くなったが……いけないな。本当に只の偶然かと疑ってしまう)
「……直義サマ!直義サマ!」
「ッ……すまない、桃井。つい考え事を」
「へぇ、直義サマ!太政大臣・洞院公賢卿がお見えとの事です」
「……わざわざ。お身体の具合は大丈夫なのか?」
副将軍の直義は強く意識していた。既に尊氏の
さて、ここでその面会相手・洞院公賢を取り上げたい。後世では日記『園太暦』の著者として知られる北朝公卿だが、意外にも古典『太平記』のファンタジー「雲景未来記」に名前が見えるのだ。
この「雲景未来記」について有り体に言えば、怪僧・妙吉や如意丸などに関わる「六本杉の怪異」に続く奇譚である。愛宕山で崇徳天皇や後醍醐天皇、
──四条河原の桟敷崩壊?そりゃお前。将軍・関白・天台座主という貴人たちが、下々と雑居して勧進の催しに参加なんて有り得ないでしょう。八幡大菩薩も春日大明神も山王七社も嘆くよ。それは。だから大地の神が驚くんだよ。その勢いで、桟敷が崩れたんだ。
──将軍兄弟の不和?どっちが正しいかなんて言えないよ。権力を握る前は志があっても、いざ富を得たら私情に流されて、民を慈しむ事を忘れたんだからさ。その点、北条氏はまだマシ。卑しい野蛮人ながら、国を富ませた。高時がボケて義に背いたから、仏神に見捨てられたの。それで後鳥羽院に遥か及ばぬ
──大体、
その要旨を
この「未来記」は雲景によって取次役人に託された後、太政大臣の洞院公賢の手に渡った。内容が内容だったため、極めて厳重に秘匿されたらしい。当然、日記『園太暦』にこの件の記述は無い。
そもそも日記というのは公家にとって、一種の業務日誌である。
(書けるか!あんなもの!与太話も良い所だ!子孫に笑われる!)
「
「?……伺いしましょう。洞院卿」
公家は基本的に穢れを嫌う生き物である。況んや太政大臣をや。
そもそも北朝の要人として、直義派と師直派の内紛激化で南朝が漁夫の利を得るような展開を避けたいと考えるのは至極当然だ。
「くれぐれも……戦にはしないでくれ!」
「ッ!」
(まさか大臣独自の情報網で、
古典『太平記』は「未来記」の叙述に続けて、
当時、直義派は大高
そもそも当の