〜1〜
貞和五年六月二十七日の夜、将軍執事暗殺計画を着々と策定中の副将軍・足利直義は、若干の焦燥感を顔に滲ませて自宅に居た。
今年で齢三つの如意丸は既に寝静まり、妻の渋川頼子は奥部屋で控えている。現在、直義の周りは数人の文官武将が固めていた。
「直義様……噂は誠でしょうか?」
「分からん。斎藤。今は吉良の報告を待たねば動けまい」
「御命あらば、直ぐにでも動けますぜ。直義サマ」
「それで良い。だが、桃井。如何なる事態になろうと、決して皇族方に手荒な真似はするな。我らは婆娑羅武将どもとは違うのだ」
この夜、直義がそれなりに動揺を味わっていた事は確かだろう。
太政大臣・洞院公賢は自身の日記『園太暦』において、二十七日夜の直義派の動きについて記している。曰く、元関東庇番六番組筆頭の吉良満義が直義の意を受け、仙洞御所を訪ねていたらしい。
仙洞御所、つまり持明院殿には、北朝の名目上のトップ・光厳院が住んでいる。直義派はこの光厳院の動きを不審に思ったのだ。
「吉良殿、何の話だ?院はここに座すではないか?」
「は!民部卿!……これは早とちりにございましたww申し訳ございませぬww……噂に踊らされての不敬wwこの満義w一生の不覚にございました!ただ御身を案じての事にてw何卒ご容赦を!」
(ぬかったw……御所脱出などされておられないではないかw!)
満義派遣の手は結果的に単なる空回りに終わった。直義としては光厳院が御所から脱出するのではないかという情報をキャッチし、腹心の満義をして確かめさせに行ったのだが、これが早とちりだったとなれば、使者の満義も流石に羞恥心で頬を赤くするものだ。
無造作に草を口に咥え、脰を手早く掻きながら、満義は三条坊門の直義邸に戻った。肩を竦めながら直義たちに無事を報告する。
「何でも最近、光厳院の御所で夜な夜な御服や女房の衣袴の紛失が相次いでいるらしくwこれが変に噂の肥大化を招いたようでw」
「……まぁ良い。上皇陛下が御無事で何よりだ」
結局、遺失騒ぎは後になって御所務めの侍数名の仕業であったと判明したため、北朝政府の機能で処理される事で幕を下ろした。
直義は頭を冷やそうと試みる。大恩ある光厳院の周りで起こった異変に対し、義憤を覚えたいのは山々なれど、今の直義は政敵の師直をどう対処するかで頭が一杯だった。相手は完璧執事にして剛腕の将である。暗殺という強硬手段に出た場合、幾ら高兄弟が今や長門探題の直冬と比較され、素行面で評判を落としているとはいえ、幕府内外の動揺は必至である。もし鎌倉幕府のような粛清祭りの序章と受け取られれば、守護大名たちの心が離れてしまうだろう。
暗殺自体は勝算がある。問題はその後だった。大功労者の師直を排除して尚、幕臣たちの動揺を最小限に収め、引き続き政局運営を安定させていくためにはどう運ぶべきか。現直義派の最重要アジェンダだ。今宵の光厳院への接触が後で影響しないとも限らない。
「直義様w某の派遣について光厳院は胸に秘めると御約束をw」
「……光厳院は確かに約束を守ってくださるだろう。だが、近臣たちはその限りではあるまい。否が応でも、親戚縁者の誰かしらに話を漏らしてしまう筈だ。さすれば、氏頼や道誉などの西国武将も遠からず、この件について知る事になろう。ゆくゆくは師直にも」
「我らの謀議に……気付かれてしまいますか」
「そうだ、重能。その可能性を最も懸念している」
自派の間に漂う緊張感について、直義は危ぶまずに居られない。
光厳院の住まいに腹心・吉良満義を遣るほど過敏になっていると知られれば、師直はきっと疑うに違いない。何か疾しい事でもあるのではと。あるいは師直は天狗衆を私的に動員しかねないのだ。
「無論、情報戦なら吉良の隠密能力で対抗できようが──」
「師直が本気にならぬに越した事はないと」
「今は未だ将軍を自宅で預かっているから、師直はどこか派閥争いに対して集中を欠いている。この好機をみすみす逃すは悪手だ」
古典『太平記』によれば、上杉重能たちが高兄弟殺害に積極的であっただけでなく、直義本人もまた側近との相談を重ねていた。
曰く、昨年六月に職も所領も失った大高重成、同時期に謎の謹慎処分を喰らった政所執事・粟飯原清胤らが相談に乗ったらしい。
直義派は熟議に熟議を重ねる。無論、この怪僧も参加していた。
「妙吉殿。何か良い案をお持ちでないか?」
「ふむ……重能殿。ない訳でもございません」
「おお!」
「ふ。流石だ、妙吉殿。して、どのようにする」
「は……直義様、重能殿。いっそ逆手に取られては如何でしょう?吉良殿の動きは光厳院との密会に他ならず。であるからこそ──」
この翌日に北朝が即位式を七月六日から一日予定を前倒ししてはどうか等と議論する間にも、直義派では師直暗殺という幕府政治を大いに変える事変の成就に向け、着々と準備が進められていく。
そして暦は閏六月に移る。閏六月二日、この日を境に天下は明確に足利政権の内紛へと一歩を踏み出す。だが、直義は知らない。
身体が老いれど、師直の手腕はまだまだ完璧であるという事を。
〜2〜
評定所の奥において、祢津弧次郎を含む屈強な武士たち数十名が師直暗殺に備え、じっと息を潜めている。師直の警戒を防ぐため、直義警護の役目を請け負う筈の直常は、敢えて席を外している。
代わりに高一族の大高重成や外様武将の宍戸朝里が、直義の側に控える算段だ。本来、師直派は同じ高一族出身の足利家郎党や外様大名たちが多く参画しているが、彼らに関しては例外であった。
諏訪神党出身の弧次郎は、改めて足利幕府の層の厚さに息を呑んでいる。それと同時に評定所の奥でぎゅうぎゅうに押し込められる現状の息苦しさに悶えそうになっていた。単純に暑苦しいのだ。
「おい、島津さんよ。もうちっと詰めてくれないか?」
「無理を言わんでたもんせ。これでも限界まで詰めちょいもす」
「これで……?」
(クソッ……ここじゃ俺は、四條畷で師直軍に参加した島津や曽我以下だ。武力でも氏頼に喰らった故障で今一つ抜きん出れねェ)
怪訝な顔を浮かべつつも、弧次郎にこれ以上の文句を言える程の発言力は無い。この場には島津光久の他、曽我師成らも居る。
どちらも全国クラスで知名度のある武家の一員だ。信濃国では三大将の身内として一目置かれて然るべき祢津弧次郎とて、ここではまるで井の中の蛙だ。しかも、直義の義弟・渋川義季の仇だけの事はあって、白い目を向ける足利一門や譜代の面々も少なくない。
よって、弧次郎は黙って決定的瞬間を待つしか無い。直義の命令で名越高邦や三浦時明は言うまでもなく、顕家軍の仲間たちの仇をも討てるとならば、万々歳なのだ。まして師直は幕府の重鎮だ。
(師直暗殺が成功し次第、河内国に布陣中の師泰を討つための軍勢が速やかに派遣されるという。きっと大将は桃井だ。幾ら幕府武将の層が厚いと言っても、直義の身辺も多少警護が薄くなる。今はもう諏訪の意思を優先せざるを得ないが、若の交渉次第では──)
「祢津殿。肩や手首の痛み、大事ないか?」
「……粟飯原様。御心配なく。老いた師直如き、恐るるに足らず」
「ふ。それは実に……心強い」
素っ気ない弧次郎の返答に、政所執事・粟飯原清胤は暗がりで笑みを湛える。この清胤こそ評定所奥の伏兵随一のお偉方だろう。
だが、それは打たれ弱さの裏返しなのか、清胤はもの凄い汗だ。
一体こんな状態で師直暗殺の役に立つのか。弧次郎は訝しんだ。
「そっちこそ大事ございませんか?柄が滑ったら笑えませんぜ?」
「案ずるな。刀を持って手を滑らせた事なぞ……今まで一度も」
「左様で」
(粟飯原清胤……確か恒良・成良両親王弑殺の実行犯か。後醍醐天皇の皇子たちより師直の方が畏れ多いのかね。親王弑殺で直義と気が合ってるのかもしれないが……足利の一族郎党は真面目そうな奴でも時にとんでもない所業に走る。結城の爺さんより救えねェ)
とはいえ、政所執事の粟飯原清胤は、決して足利氏の生え抜きという訳ではない。名門・千葉一族の出身だ。もっと言えば、千葉氏十一代当主・貞胤の甥である。栄えある外様大名の身内なのだ。
古典『太平記』によれば、この粟飯原清胤こそ本件のキーパーソンである。何を突然思い立ったか、離席を言い出したのである。
「暑い。外で少し身体を冷やす。皆は暫し此処で待たれよ」
「……粟飯原様。今にも将軍執事が現れもんそ」
「何、その時まで未だ猶予は有ろう。ついでに様子を見て参る」
(これで当代の房総平氏の有力者か……ま、良いや。師直暗殺の競合相手が減ったようなもんだ。居て役に立ったとも思えねェが)
弧次郎の胸三寸と裏腹に、清胤は静々と母屋の外に顔を出す。
丁度その視線の先で、将軍執事の師直が古今の英雄に負けず劣らず威風堂々として、刺客溢れる直義邸内に足を踏み入れていた。
〜3〜
直義邸が騒然としている。妻・頼子が心配する中、直義が誰より顔を青くしていた。端的に言えば、師直に逃げられたのである。
このままでは合戦になってしまう。太政大臣・洞院公賢が幕府の内紛の予兆を見て危惧した事態が、今にも起ころうとしていた。
(どうして分かった……折り入って洞院御所の異変について相談があると言って、まんまと客間に誘き寄せたまでは良かった筈だ)
「直義様!島津殿らが騒いでおります!粟飯原殿が消えたと!」
「何だと……まさか」
猛将・大高重成からの訴えを聞き、直義は事の次第を悟った。
古典『太平記』によれば、政所執事・粟飯原清胤は当初から師直暗殺計画策定に参加していたにも関わらず、土壇場になって師直に目配せして、危険を知らせたという。師直は直ぐ様、老身ながら機敏に部屋を出て太刀を片手に乗馬の後、足早に帰宅したらしい。
(まともに師直とやり合えば勝ち目はない。ましてや我らは誅殺に失敗した側だ。勢いは向こうに生じる。だが、斯くなる上は……)
「吉良!ここに!」
「はww」
「戦支度だ!京の戦は我が本意ではないが、何の備えもしていないとなれば、師直の思いのままにされてしまう!まずは武威を示して牽制する!あれの屋敷には兄上が居られる。我らが本気と思えば、兄上は必ず師直に引き下がるよう命じる筈……重成も良いか?」
「何なりと」
「すまぬな……お前の家財を吉良邸に移してくれ。今から近辺の家屋を取り壊し、布陣を行う。これを名目に粟飯原邸も差し押さえ、真偽を確かめねばならん……我らは踊らされていたやもしれん」
この措置を切っ掛けとして、京は混乱に陥った。日記『園太暦』によれば、京の老若男女が合戦を予感し、右往左往したという。
一方、翻心の粟飯原清胤は身軽にも師直邸を訪れていた。無論、暗殺計画のあらましについて、洗いざらい共有するためである。
「苦労だった……それにしても、良くぞ名族にして諜者のような働きをしてくれた。曽我だの島津だの、合戦で頭の悪さを叱責しただけで逆恨みした連中に比べ、エラい違いだ。重ね重ね礼を言うぞ。種々の引出物を与える。いずれも換金価値のかなり高い品々だ」
「忝く存じまする……師直様、副将軍は血迷われました。北条氏の政治を手本にしようとする余り、内部粛清を良しとするとは」
「ふ。房総平氏として耐え難いか」
「はい。そもそも内部粛清の風潮は、頼朝公の負の遺産。上総広常を粛清して以来、坂東武者たちが互いに疑心暗鬼になった教訓を副将軍は何と心得ておられるやら……せっかく北条氏諸共、鎌倉幕府を一旦潰してでも、新たな時代を築き上げたと申しますのに」
「全くだ。弟殿は何も分かっておられん……安心しろ。俺は氏頼のような源氏過激派を抱えているとはいえ、弟殿のように源氏の血筋に拘る訳ではない。これからも弟殿の動きについて随時報告を」
「は!」
(何にせよ三条坊門まで行った甲斐があった。弟はよりにもよって北朝内部の悶着を理由に呼びつけおった。これを北朝の弱みにしてくれる。上手く運べば、北朝から弟の逆賊認定を引き出せよう)
古典『太平記』によれば、清胤は色とりどりの引出物を貰って帰路に着いたという。だが、日記『園太暦』には直義派の粟飯原邸接収について記載されており、清胤失踪の噂も盛り込まれている。
何はともあれ、この閏六月二日を境に、京は一気に内紛の緊迫感に包まれた。言うまでもなく、師直は当事者意識でいっぱいだ。
弱将・直義の意外な先制パンチに面食うところもある。この機に乗じて長門探題の直冬が軍勢と共に上洛を志さない保証は無い。
(師泰が未だ河内国だ。そうなると頼りになる武将は、やはり外様大名たちだ。土岐、赤松、小笠原、佐々木……氏頼が気になるな。尊氏様は我が屋敷でのほほんとして居られるからまだしも、北朝皇族たちや夢窓疎石の言葉次第で、向こうに転ばぬとも限らない)
「師夏、噂を流す。妙吉侍者が盛んに俺の讒言をしていると」
「国師の弟弟子を標的に……氏頼様への揺さぶりですか」
「そうだ。それが成り次第……本物の暗殺とは何か見せてやろう」
老いてなお盛んとは良く言うが、師直の絶頂はまだ止まらない。
弟の師泰ともまた一味違う痺れるようなニヒルな笑みである。
閏六月三日、雲の間に電光のような光が差す中、石清水八幡宮で朝から夕方に掛けて異変が起こる。正殿で地響きが生じたのだ。
日記『園太暦』によれば、同日朝に妙吉が洛外に出た。石清水八幡宮参籠のためか、直冬を動かすために西を目指したのか。だが、この日を最後に怪僧・妙吉は一次史料から掴み所が消えていく。