〜1〜
一気に事態が動き始めた。俺は戸惑いと共に息を呑む。先月の四条河原の桟敷崩落や沙沙貴大明神の正一位認定も今は昔の事だ。
貞和五年閏六月三日、俺は人目を忍んで洛外に居た。いつになく顔を強張らせる。石清水八幡宮の正殿を借り、俺は鉄扇を握り締めている。というのも、今にも雷を落としたい気持ちなのだ。禅僧からここまで嘆かわしい奸物が現れてしまうとは甚だ遺憾だった。
「妙吉侍者、この書状はどういう事だ?弟殿が足利直冬に大軍を率いて上洛するよう命じるものではないか……何故このようなものを持っている?お前は足利幕府をあの忌子に掌握させたいのか!」
「氏頼様!お待ちを!……話をお聞きください!」
「もう結構!お前の薄汚い言葉など聞きたくない!……師直殿」
「ああ……佐々木惣領のお墨付きが出た。本来このような聖域で流血沙汰なぞ褒められたものではないが、致し方あるまい。直実」
「応!」
将軍執事の師直の命により、猛将・安保直実が一思いに妙吉を斬り捨てる。直ぐに天狗衆の何名かが手早く死体処理に掛かった。
その様子を見て、やり切れない思いに駆られる。国師の同門にして志一上人の教授を受けたという禅僧が直義の気勢を煽るだけならまだしも、直冬の立身に加担しようとしていた形跡が、これ以上なく気に食わない。あれは尊氏様の害にしかならない存在なのだ。
俺はどうにもならなくなって、大声と共に地団駄を踏み始めた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
「……始まったな」
「師直様。如何されますか?」
「夕方になれば気も収まるだろう。俺は先に戻るが、お前はこのまま様子を見ておけ。頃合いを見て手続きを済ませ、我が館に連れて参るのだ」
酉の刻になり、俺は男山を出て再び京に戻った。今なお京の人々が戦の気配に怯えている中、一条今出川の師直邸に足を運んだ。
出来れば尊氏様と食事を共にしたいのだが、この緊迫した情勢では望むに能わず。台所に通され、膳を出されていた。何でもこの情勢にして、嫡男の師夏に打たせたうどんらしい。御苦労な事だ。
「どうだ?俺の息子の味は?」
「……及第点に近いかと。上品さは言う事無しです」
「まだ精進が必要か……結構。では本題に入ろう。妙吉の事だが」
誰しもが戦の気配を感じ取っている。直義はかねてよりの弱将という評判も何のそので、本格的な戦闘用意を命じたらしい。根っからの生真面目で知られる直義が、自宅周辺の家々を差し押さえたり取り壊したりしてまで布陣しているのだから、本気モードが極まっている。護良親王弑殺を命じた際も似た感じだったのだろうか。
ここまで考えたところで、前に名医の和気仲成が吐いてくれた妄言をふと思い出した。護良の怨霊が、渋川頼子の腹に憑いて赤子として産まれるという話だ。随分と不謹慎な如意丸出生譚である。
確かあの話には、後醍醐の外戚の故・峯僧正春雅が妙吉の慢心につけ込むというものもあった。何でも妙吉の身体を操って政治を掌握させ、指導者として邪悪な説法をさせようという戯言だった。
ただ、俺は生前の妙吉の話術を人並みに享受しつつ、妙吉がどことなく聞き手に飢えているようにも感じて仕方なかったのだが。
「今暫く変装した忍びを美作国辺りまで向かわせて、直義派を騙す偽装工作を続けるとして、今朝の妙吉の死は……まだ内密に?」
「まだではない。妙吉を斬ったと世に明かせば、禅僧らが甚く反発しよう。それは俺も本意ではない。もし直義派に何か要求を突き付ける事態になっても、素知らぬ顔で引き渡しを求めるつもりだ」
「……つまり、晒し首には決してせぬと」
「そういう事だ。晒し首は往々に効果を示すが、妙吉の場合は逆に畏れを助長するだけだ。表舞台から消えれば、直ぐに人々から忘れ去られる程度の小者に過ぎぬのに。良いか?氏頼。本物の暗殺は死んだ事すら世に悟らせん。愚かな弟では到底真似などできまい」
「は……お見それしました」
妙吉は我が同族の国師・夢窓疎石の法眷だった。本人の話術の才などは勿論あったが、それ以上に夢窓疎石の同門という経歴が副将軍の直義の琴線に触れ、立身出世の大きな原動力となっていた。
師直は暗にその事を言っている。高兄弟が真如寺絡みで縁のある夢窓疎石と切り離して考え、妙吉を忌避していた一方、佐々木惣領の俺は今になって振り返ると警戒心が然程及ばず、夢窓疎石の同門だからと話に耳を傾けていた。迂闊だったと思わざるを得ない。
「氏頼。この屋敷で数日以内に五大虚空蔵法を修する事になった」
「ッ!あれは確か賢俊僧正が得意としている──」
「そうだ。本来は臣下が濫用してはならぬ儀式だ」
「……尊氏様の御望みでありましょうか?」
「如何にも」
遂に事の次第が尊氏様に漏れたらしい。そうなると今後どのような方向に向かうものか。今はまだ直義を守りたがるに違いない。
そもそも三宝院賢俊をして五大虚空蔵法を実行させるとは即ち、兵乱や天変地異の収束への願いの表明に他ならない。直義への遠回しな和睦勧告だ。勿論、こうなると師直も戦う訳にはいかない。
「師直殿は……如何なされるつもりで?」
「暫く病を理由に出仕を控える。尊氏様が僧正に五大虚空蔵法を修させてまで和睦をお望みとなれば、弟も無理に出仕するよう催促できない筈だ。もしかすると代わりの執事を立てるよう動いてくるやもしれんが……それも今の情勢では、高一族以外から選べまい」
確かに直義は決して勝者になり得ない。良くて花を持たされる側である。暗殺に失敗したのだから、当然の帰結としか言えない。
されど、直義の政治力は天下一品だ。果たして大人しく引き下がるだろうか。一旦師直が譲る態度を取れば、確実に付け上がる。
「弟殿が流罪処分を将軍や光厳院に訴えぬとも限りませぬぞ?」
「その時はその時。今回は妙吉を除けただけでも収穫だ。それに、真面目気取りの弟が、内部粛清という手段を隠し持っていた事を白日に晒す事ができたのだ。これを以て弟の虚像は崩れ始めよう」
貞和五年閏六月七日、尊氏様が居候先の師直邸で五大虚空蔵法を行わせるや否や、三条坊門の直義邸を訪問し、会談の場とした。
だが、直義は未だ苛烈なままだった。尊氏様はあれよあれよという間に師直解任ばかりか、その所領の分配まで約束させられた。
直義の勢いは止まらない。ほぼ二週間後の二十日、新将軍執事が誕生する。師泰の子・師世の意外な栄達に大名全員が戸惑った。
〜2〜
貞和五年閏六月三十日、直義が洞院御所を訪ねた。政敵の師直が強大な武力を行使せず、仮病で引き籠ったため、気が大きくなったのだろう。師直を罷免させたというシンプルな勝利宣言である。
曰く、特にこれと言って具体的な箇条形式の申し入れがある訳ではないが、今の政治は有名無実化しており、自分なりに思うところがあって沙汰を行ってきたものの、どうやら院が不審に思われているように見受けられたので、説明しに参上したという事である。
持明院統に近い立場として、俺はすぐ経緯を師直の耳に入れた。
「それで弟は俺や須賀たちの罷免の一点だけ報告したと」
「そう北朝公卿より聞き及んでおります。光厳院は現在、必死に先の洞院御所における盗み騒ぎについて工作していらっしゃいます。かの吉良満義の訪問が、政変に向けた談合であったと誹られないようにすべく、敢えて別途きな臭い事があったように情報操作を」
「別途きな臭い事か」
「はい。盗みを自白した武士の共犯者が、召し出しの直前に逃亡したように見せかけ、更に厳重な捜索をお命じに。現検非違使別当と諮って、近日にも怠慢を叱責する振りをする予定でおわします」
去る三日、光厳院は流石に賢君と敬われているだけの事はあり、室町幕府の両雄の不穏な情勢を把握するや否や、即座に動いた。
落着した筈の盗人騒ぎに孕んだ政治的な危険を察知し、意味深長な手段に出たのだ。あたかも盗賊団が事件の裏に潜んでいたように偽装した。決して事前に直義派の師直暗殺計画を聞いて、承諾していた訳ではないと北朝や幕府の関係者たちに分からせるために。
「ヤツらも必死だな。この情勢下だ。新帝の即位式も十月に延期すると聞いたぞ。直義派が資金提供に協力する兆しが無いからな」
「……そこは大嘗祭との兼ね合いもあるようです」
五日ほど前、北朝政府では遂に大嘗祭について取り沙汰された。
かねてより院の寵臣・勧修寺経顕が懸念していた事が、数々の先例調査を経て、議題となったのである。結局、今年の大嘗祭開催は非現実的であるという現実に直面し、それで即位式だけ焦って行うのもどうだろうかという慎重な意見が出た。故・花園院一周忌とのバッティング問題もあり、再び古今の先例と照らし合わされた。
結果、即位式だけは十月に行う事とし、大嘗祭は重要な花園院一周忌を無視して強行すれば不吉を招くという結論で落ち着いた。
「となると……改元は来年になるか」
「……ええ。恐らく」
いよいよ観応の幕が上がる。俺は身体の震えをどうにか堪えた。
今は再び小康状態に突入しているとはいえ、内紛の爆発について予見していない者は居ないだろう。だが、師直も直義も結局滅んで尊氏様の独り勝ちとなる事を見抜いている者が、この日本国において俺以外に存在しているのだろうか。いや、存在する筈がない。
もう五年も経てば、待ち望んでいた時代がやって来る。尊氏様の元で俺が正真正銘の幕府最強武将に躍り出るのだ。幕政の二番手は後の三管領に譲っても一向に構わんが、こればかりは話が違う。
「師直殿。人払い済みという事でお尋ねしておきたいのですが」
「……何だ?」
「新将軍執事の師世殿……牙を隠し持っているという事は?」
「ない」
ピシャリと否定され、俺は前将軍執事・師直をじっと見詰める。
師世は確か母親が上杉氏出身である筈だ。まだ将軍執事としては若輩という理由を除けば、就任の理由はこの点に尽きるだろう。
副将軍・直義は決して手を緩めた訳ではない。師直の後釜という座を敢えて餌として用い、高兄弟の仲を裂こうとしているのだ。
「弟殿は一時師泰殿を河内国から呼び戻し、新将軍執事に任じるつもりだったと聞きました。政治面は未だに冴えている様子です」
「氏頼。まさかあんな稚拙な離間計に俺が引っ掛かるとでも?」
「……師泰殿は兎も角、師世殿の胸中を心配しておりまする」
二代目将軍執事の師世に言わせてみれば、今回の件はまさに棚から牡丹餅だったに違いない。幾ら師夏や師冬に失点──師夏の場合はあまり武将向きの才覚とも思えないし、師冬は四條畷の戦いにおいて正行にこっ酷くボコボコにされた──があるとはいえ、師世が次代将軍執事に就けると思っていた者がどれだけ居るだろうか。
師世が新職にしがみ付きたいと思うなら、母方の上杉氏、つまり直義派に魂を売り渡しかねない。そう危惧する者は少なくない。
「何を下らん事を。師世とて冷静に認識できておろう。新将軍執事とは飾りに過ぎん。文書発給はできず、全て弟の思うがままだ」
「……余計な事を申しました。ご放念を」
高兄弟の間柄も存外、緊張の糸が張り詰めているかもしれない。
一歩間違えれば政治巧者の直義による工作が功を奏し、一族が師直と師泰で割れてしまう。決して有り得ない危惧でもあるまい。
何しろ既に高一族から直義派に参じる者が少なからず居るのだ。
猛将の大高重成、元伊勢国守護の高師秋、関東執事の片割れの高重茂である。この上、師世まで向こう側に着けば、師泰とて判断に迷うかもしれない。実兄を優先すべきか、嫡男を優先すべきか。
「氏頼。俺とて決してこのままで済ますつもりはない。将軍があの弟につい情けを感じてしまいがちだからこそ、我ら忠臣が身命を賭して佞臣・足利直義を排除せねばならん。既に策は講じてある」
「策……逆に師泰殿を京に呼び戻されますか」
「ふ。逆にとは何だ。逆にとは……その前段階だ。真に旨い料理には良い仕込みが欠かせまい。今まさに水面下で仕込みをしておる。紀伊国守護・畠山国清を我が派閥に引き入れる。敵将・楠木正儀の対応を一任するという名目で、和泉国守護職をくれてやるのよ」
「!」
転んでもタダで起きないとはこの事か。仮病を使いつつ、師直は完璧執事らしく、着々と反撃に向けて態勢を整えている。そのあまりにも鮮やかな剛腕は、とても尊氏様を自宅でお世話しながらのものと思えない。既に勝利の絵図が明確に浮かんでいるのだろう。
今なお、師直は息の掛かった強者たちを密かに呼び集めている。
「父上。仁木兄弟が参られました」
「そうか……氏頼、苦労。引き続き、朝廷で何かあれば教えよ」
「は。失礼仕る」
今後どのように事態が転ぼうとも、師直・直義の共倒れに巻き込まれず、その先の尊氏様の繁栄を享受するため、今は北朝政府の側に張り付いておく事こそ上策だ。まだ壇上に立つには早過ぎる。
まずは師直や道誉をして、関東在住の次代将軍・義詮を表舞台に引き摺り出そう。いつ迄も上杉憲顕の掌の上では困るのだから。
この貞和五年も秋を迎えようとしている。更迭されて尚、師直の気勢は衰えるところを知らない。政変の勃発はもう間も無くだ。