崇永記 作:三寸法師
〜1〜
我らの標的はあくまで副将軍の
既に
「第一の狙いは、上杉
「三条卿、何卒御理解の程を。関東執事・上杉
検非違使として
今現在、将軍邸の塀を挟み、尊氏様と師直軍の間で交渉が行われているようだ。尊氏様の遣わす使者が、須賀清秀──
「たとえ上杉
「その辺りも含め、分からぬとしか……少なくとも
「直義派?……
一瞬ポカンとして訝しむ三条公忠の様子に対し、
何しろ直義はかつて護良親王弑殺に深く関与した。否、それどころか直義の指示で決着がついていた。これで誰が直義の南朝転向という奇想天外な一手に思い至るだろうか。腹黒坊主の
謂わば、後に北朝政府が抱くだろう直義への失望感が、佐々木惣領の俺に対する信頼強化に繋がるようにするための布石である。
「お忘れを。口が滑り申した……ともあれ、三条卿。落ち着くところに落ち着くかと存じます故、北朝政府の皆様方におかれては出来得る限り、ドンと構えて頂きたく……それでは、失礼致します」
「う、うむ……
あまり将軍邸包囲の持ち場を離れるのも好ましくない。絶対に有り得ないとはいえ、
故に話を早く切り上げたい。俺は苛立ちを隠しつつ振り返った。
「何でしょう?三条卿」
「これだけは聞いておきたい。全て……尊氏卿の意のままか?」
どうやら既に疑われ始めているようだ。俺や仁木
つまり、一連の将軍邸包囲の動きは、尊氏様の自作自演によるものではないかという説だ。勿論、通常なら臣下に命じて自宅を囲ませるという主命など、考えられまい。だが、忘れてはならない。
尊氏様こそ他でもない古今無双の英雄である。前代未聞の命令は十分に有り得る話なのだ。見識ある者ならば、必ずその事を分かっている。それに、きっと数日前の篠村八幡宮参拝の動きが、皆の尊氏様への畏怖に拍車を掛けている。全て尊氏様の思い通りなのではないかと世間に思わせる事に成功しているのだ。これで将軍邸が囲まれようとも、幕府権力に傷は付くまい。むしろ尊氏様の深謀遠慮に誰しもが敬服するだろう。否、
俺は振り返ったまま、北朝公卿・三条
〜2〜
無論、
そう思って師直たち主力の居る辺りに向け、包囲網を掻き分けようとした矢先だった。見る見るうちに、味方の軍勢が旗を下ろして前進し始める。俺は訝しんだ。俺の居ぬ間に何があったのかと。
「何だ?これは戦闘用意の……まさか
「
「あれは……ん゛ん゛!?」
目を疑った。前線の方で煌びやかに陽の光を反射する物体が掲げられている。遠い昔に見たような何かだ。それも十年以上前に。
四方八方で兵たちの雄叫びが響き渡る。揃って興奮状態らしい。
それでも、武将ならではの優れた聴力が確実に拾った。前方で
「弟殿ォ!ご覧を!全金属製の直義像を作りました!こいつに全てを譲って引退なされ!さもなくば、将軍ともども御命は無い!」
「……はァ?」
何がどうしてそうなった。俺は耳を疑い、次弟の
沸々と煮え
よもや
「どけ!俺は将軍烏帽子子だぞ!」
「「「!?」」」
「あ、
刀を鞘ごと手に持ち、密集する兵たちを突き飛ばして突き進む。
なぜ今、
というより、尊氏様の指示があろうとも、
『宗家。御所を囲んだ後、このような段取りを予定しております。まず将軍が須賀殿を使者に遣わします。そこで、源義家公以来の主従関係から順に説いて頂き、逆説的に高一族の必要性について明らかに致します。最後に
『成る程……して、
『無論、手始めに最大級の謙遜で返す。ここまで仰って頂けるとは思っておりませんでしたとな。続け様にすかさず
『とはいえ、将軍が
『具体的には上杉
『確認ですが、将軍御自身の威光に傷が付く事には──』
『ならん。何故なら、将軍こそ絶対の神であるからだ。絶対の神は何があっても傷の付かぬ威光をお持ち故、絶対で居られるのだ』
『ッ!得心しました!では早速、兵の手配に入ります!』
『ああ、任せた』
忿懣遣る方無い思いである。あのやり取りは一体何だったのだ。
次期将軍・足利義詮の招聘案を呑ませて、二頭政治を
「本当に戦とは……聞いてないぞ!早過ぎる!」
「
このままでは開戦かもしれない。場合によっては、この俺自ら
元号が「観応」に変わる前だというのに、この混迷では先が思いやられるというものだ。そこまで思い詰めた時、突如として矢が一閃して飛んで来た。鞘付きのまま刀を操り、地面に叩き落とす。
「誰だ!?この一触即発の状況で矢を放った大馬鹿者は!」
「
「──いや、矢文なら良いのか?」
「?
どこか花の香りの漂う小紙に認められた内容に、俺は面食らう。
幕臣として見覚えのなくも無い筆跡だ。細字でびっしりと書き込まれている。随分と小賢しい真似をしてくれる者も居たものだ。
次弟の
ここで『参考太平記』等から、各陣営の所属武将たちについて纏める。
なお、直義の
色分けは、現時点で考えられる、
①師直勢 高一族などは勿論、周辺諸国の将兵が五万余騎集まる。
山名時氏、今川範国、今川頼貞、吉良貞経、大島義貞、仁木頼章、仁木義長、仁木頼勝、桃井義盛、畠山国頼、細川清氏、土岐頼康、明智頼兼、土岐頼雄、京極秀綱、佐々木秀貞、佐々木氏綱、六角氏頼、六角直綱、山内定詮、大原時親、千葉貞胤、宇都宮道眼、武田信武、武田信氏、小笠原政長、逸見信茂、大内弘直、結城直光、佐竹師義、佐竹義長、三浦行連、三浦行家、大友頼時、土肥高連、土屋範遠、安保直実、小田伊賀守、田中下総三郎、伴野長房、木村基綱、小幡左衛門尉、海老名季直、大平義尚、粟飯原清胤、二階堂行元、中条秀長、伊勢貞継、設楽助貞、宇佐美三河三郎、清久泰行、富永孫四郎、寺尾新蔵人、厚東武村、冨樫高家、疋田成宣、土屋三河守、伊藤祐忠、小山備中守、二階堂行重、寺岡大市、京極高秀、摂津時親、摂津能直、摂津能重、丹後入道崇奇、細川清邦、宇都宮貞泰、荒尾海東、畠山国清、佐々木道誉
②直義勢 天正本では二千余騎。他の伝本では三千余騎ないし七千余騎。南都本は七千六百余騎と記す。
石塔頼房、石塔頼基、石橋和義、石橋宣義、斯波高経、斯波氏経、斯波氏頼、荒川詮頼、細川顕氏、畠山直宗、上杉重能、上杉朝房、上杉朝貞、和田宣茂、高師秋、千秋惟範、大高重成、宍戸朝里、二階堂行通、佐々木顕清、里見義宗、勝田助清、狩野下野三郎、苑田宗清、波多野宣直、波多野通貞、祢津小次郎、和久四郎左衛門尉、斎藤利康、飯尾宏昭、須賀清秀、秋山光政、島津光政、饗庭尊宣(命鶴丸)、岩松直国、吉見氏頼、桃井直常、桃井直顕、渋川直頼、長井時春
途中で離脱者が相次ぐ筋書きについて、千騎足らずにまで減ったとするものがある一方、西源院本では三百騎未満、金勝院本では二百騎未満とまずまず差異が見られる。
③その他 諸本で直義勢か師直勢か分かれる者たち
細川頼春、吉良満義、吉良満貞、長井広秀、梶原景広、曽我師助、南宗継