〜1〜
五万騎もの大軍で将軍邸を囲み、重能ら五名の身柄引き渡しを求めたというのだから、師直の怒り具合は察するまでもあるまい。
だが、古典『太平記』によれば、師直以上に将軍・尊氏が誰より怒気を放っていたようである。確かに「御所巻」は室町時代後期の永禄の変を除けば、歴代の実行者たちにとって、最高権力者たる将軍のお墨付きを得るための訴訟の一環と解されていたようだ。
とはいえ、それと同時に「御所巻」という行為が非常の手段である事も確かだった。だからこそ、尊氏と師直が共謀しているという説が事件当日、実しやかに囁かれながらも、古典『太平記』は全く反映しない。逆に、御所との距離を詰めて対応を促す師直方の強硬態度に反発する尊氏の激情を描き、異常事態ぶりを示している。
「以下の者は残れ。直義、上杉、石橋」
(弟の直義はさもありなん……上杉重能は、師直派から名指しされた者の中では、文官で最も大物と言える。それと石橋和義。名指しこそされてないようだが、ブレずに未だ直義方に残ってる武将の内では屈指の実力者。尊氏への忠誠は桃井よりずっと上と聞いた)
将軍・尊氏の人払い令で、直義党が御所の庭に次々降りていく。
弧次郎は困惑を仕舞って他の面々に続いた。中先代の乱では圧倒的だった足利氏のチグハグな状況に釈然としないのだ。この十数年の間に、師直は南朝の英雄──北畠顕家や楠木正行──の討伐を成功させる剛腕ぶりを発揮し、今や主君の尊氏すら呑み込みかねない勢いである。一体誰がこのような顛末を想像し得たであろうか。
(あの氏頼も尊氏の狂信者の筈なのに、師直派として自軍を将軍邸包囲網に加えた。むしろ近江勢の盟主だから、主力も主力。一万騎は居ると見える……師直派は京周辺の兵力が五万騎以上。対する直義派と言えば、今や千騎にも到底足りやしねェ。そりゃ──)
「累代の家人に囲まれ、下手人を引き渡せと急かされて従った例がどこにある!武家の名門が塵芥の輩に辱められているのだ!みすみす天下の嘲りを受けるくらいなら、戦って死んだ方がマシだ!」
(尊氏も焦る訳だぜ)
時代柄、大声を出せば、室内からでも庭先にまで声が響き渡る。
周囲の武士たちが決戦の予感に身体を震わせる中、弧次郎はどこか憐れむような視線を密談場に送りつつ、後顧に想いを馳せた。
もし尊氏が元執事の師直によって政権を簒奪されれば、今は離れ離れの中先代・北条時行はどこに向かえば良いのだろうか。身分違いながら兄のように慕っていた顕家の無念を晴らすべく、立ち上がる選択肢も当然あるだろうが、数年前に大河原で宗良親王に逃げられ掛けた惨状で、それに足りるだけの底力があると言えようか。
現北朝の諏訪頼嗣も舵取りが難しくなるに違いない。やっと直義派に擦り寄ったというのに、師直派の完全勝利となっては風当たりが今まで以上に強くなる。上杉憲顕と諮って鎌倉の義詮を担いで仇討ちの挙兵に加わるか、それとも南朝との気脈を取り戻すかだ。
「大変な事になりましたな。祢津様、お逃げにならぬので?」
「お前こそ……逃げなくて良いのかよ。四郎左衛門尉」
祢津小次郎もとい弧次郎以外にも、本件で直義派に加わった信州武士が居る。和久もしくは知久四郎左衛門尉と呼ばれる武士だ。
後にこの知久四郎左衛門尉という男に関連して、何とも怪しげな伝承──その娘が、正室一筋の筈の直義との間に隠し子を設けたというもの──が出来上がってしまうのだが、それは全く別の話。
「なるようになるでしょう……ああも将軍が怒り浸透でおられるとなると、逆に直義様が理性を取り戻すしかなくなる。御自身が泥を被ってでも、落とし所探しに尽力せざるを得なくなるのですよ」
「それはまぁ……ところどころ大っ嫌いだとか、バーカとか征夷大将軍らしからぬ狼狽ぶりだしな……ふざけて言ってるような気がするのは気のせいか?」
(途中から全然聞き取れねェ。あの声量でそんな事ないと思うが。下野国の訛りにしても妙だ……奥州武士の訛りと別次元で難しい)
直義派武士たちは将軍・尊氏のわけの分からない言葉の羅列を庭先で聞き取り、泣く泣く兜の緒を締めて臨戦態勢を整えている。
一方、直義はずっと戸惑いを露わにしていた。名将・石橋和義はまるで微動だにせず、公家崩れの上杉重能は眉尻を下げている。
「あ、兄上。確かに彼らの奢り・梟雄ぶりは、あまりにも目に余るところがあります。これを戒めようとした事が漏洩し、却って狼藉を招いた事、これ以上ない失態です。しかしながら、この災厄は全てこの直義への恨みによるもの。それなのに兄上が軽々しく家臣と刃を交えようとなさる事、本意ではございません。なので──」
「……」
古典『太平記』によれば、直義は兄・尊氏の剣幕に気圧されたせいなのか、自分のために将軍本人も犠牲になる事を忌避したのか、指定通り上杉重能らを引き渡し、師直の溜飲を下げる事に同意したという。勿論、尊氏も本気で師直を憎く思っている訳ではない。
こうなると問題は──他の要求についてどこまで呑むかである。
(全て呑むしかないか……否、むしろ義詮殿の招聘案は私も歓迎すべきものだ。上杉憲顕や高重茂の両関東執事と協働で義詮殿御上洛を実現するとなれば、師直とて安易に重能たちの命を奪えまい)
「失礼いたします」
「誰だ!人払い中だぞ!」
「いや。良い、直義……命鶴だ。入れ」
「は」
尊氏の寵童筆頭・饗庭命鶴丸も「御所巻」では直義方に名を連ねていたとされる。命鶴丸の才能について直義は高く買っていた。
血筋こそ錚々たる守護大名たちに遥か及ばずとも、正確無比の弓矢の腕は勿論、その鋭利な頭脳に名将の素質が見出されるのだ。
「御二方、お喜びを。夢窓国師が仲介なさいます。その証拠に佐々木氏本家……氏頼様の部隊が指定の合図に沿い、旗をお振りに」
「……そうか」
「ッ!兄上、手を打って下さったのですね!」
「いや、命鶴の働きのお蔭だ……直義、今暫く自宅で沙汰を待て。まだ一悶着あるかもしれないが、夢窓国師が出れば決して悪いようにはなるまい。その後、義詮が京に参り次第、育成に従事せよ」
「は!」
(夢窓疎石が仲介に意欲を示した……道誉は兎も角、惣領の氏頼はこの動きに違わず、忠誠心を示すに違いない。良かった。これで師直も派閥内の外様大名の意向を気にして、強硬手段を躊躇う筈だ)
夕方、将軍御所の包囲網が解除される。取り決め通り、有力守護大名たちは各々の屋敷に戻った。古典『太平記』によれば、師直派武将は揃って今後の更なる厚遇を約束されたという。一方で直義は静々と将軍邸と目と鼻の先にある、三条坊門の屋敷に帰宅した。
この時、直義は何を思って事態の沈静化を受け入れたのだろう。
本来の政治信条を貫き通せなかった悔恨か。あわや尊氏を破滅に巻き込みかねない最悪の状況でも、義詮上洛案を呑んで最低限の保障ができたという安堵か。直義は存外、あっさり引き下がった。
翌十五日、上杉重能たちの流刑が正式に決定される。なお、太政大臣の洞院公賢は自身の日記『園太暦』において、確かな予感を書き残している。配流の道中で何か異変が起こるのではないかと。
〜2〜
貞和五年八月十九日、室町幕府で調停の場が設けられた。佐々木氏出身の国師・夢窓疎石が、同族の氏頼同席の元、老齢にして室町幕府の和のために骨を折るというのだから、師直も直義も神妙に出席せざるを得ない。他の幕臣たちもいつに無く慎重な面持ちだ。
唯一、尊氏だけが普段通り柔和な表情である。一方、直義の心はやはり晴れない。深刻な顔をして話し合いの前の確認と称しつつ、氏頼に問う。生真面目な直義にとって重大な懸念があったのだ。
「本当に……重能たちは無事なのだな?」
「ええ。何やら情報が錯綜しているようですが、重能殿におかれては妻子を連れて無事、越前国入りを果たした。そう近江国守護として報告を受けております。つくづく噂は当てにならぬものです」
日記『園太暦』によれば、十五日に上杉重能を越前国、畠山直宗を越中国、更に上杉朝貞を信濃国に流すと決まって翌々日、あらぬ噂が流れたという。近江国と越前国の国境付近にて、重能が暗殺されたという噂である。ただし、これ自体は誤報であったようだ。
ここで師直は緊張が解れたのか、尊氏の様子も憚らず、いけしゃあしゃあと紡ぎ始めた。落ち目の政敵・直義を侮蔑する言葉を。
「クク……弟殿、よくそれで副将軍が務まりましたな。簡単に世の噂に踊らされるようでは、詐欺師どもの讒言に引っ掛かり、能臣の排除に動くのも無理からぬ事でしょう。要は器をお持ちでない」
「ッ……!」
曲がりなりにも融和を目指す場でありながら、片方の神経を逆撫でするような発言こそ、婆娑羅武将の真髄と言えようか。あえて場の空気をぶち壊している。当然ながら直義は額に青筋を立てた。
瞬く間に、一触即発の修羅場と化そうか。否、そうはならない。
「落ち着かれよ。師直殿、ここは愚僧の顔を立ててくだされ」
「……は」
婆娑羅武将の師直と言えど、決して高僧・夢窓疎石との縁故を軽視している訳ではない。むしろ逆に真如寺絡みで昵懇の間柄だ。
師直の剛腕は合理主義に裏打ちされている。その瞳には、禅宗の魅力が旧仏教勢力のものと一線を画するように映ったのだろう。
とはいえ、武家社会における禅宗の支持者は、当然ながら師直に限らない。特に佐々木六角氏頼が代表的な人物と言えるだろう。
ただし、やはり六角氏頼が最も崇信する存在となればやはり──
「皆々方、国師殿ばかりではない。他ならぬ尊氏様の御前である事をお忘れ無きよう。それにしても直義殿、てっきり我が分家の道誉殿の事について尋ねられると思いきや、そこは良いのですか?」
「……この混乱だ。致し方ない事と承知している」
「だそうだ、道誉殿。良かったの」
「何よりですなァ。誤解しておられないようで結構、結構」
三日ほど遡って八月十六日、何と京の郊外で京極道誉が狼藉を働いた記録が、日記『園太暦』に残されている。かつて親王の住まう延暦寺所縁の妙法院を焼き討ちした時ほどでは無いにせよ、まずまず朝廷の威光に差し障りを及ぼしかねないような狼藉であった。
曰く、駒牽で使用予定の馬を道誉が奪い取ったらしい。例年なら六頭を揃えて行うところ、結局この十九日に暫定措置が取られる運びとなった。馬寮の五頭のみで渋々、駒牽を敢行したという。
「勘違いするな、佐々木道誉。今は朝廷でも延暦寺の強い訴え故、稚児殺害の咎で実尊僧正の流刑が決まり、公武の混乱が衆目に晒されている状態だ。新しく駿馬が京に入れば、誰ぞ悪しき者が狙いかねない。だが、それを防ぐための措置と言い張るなら、然るべき振る舞いを心掛ける事だ。朝廷も内心どう考えておられるやら」
「案じられますな。この道誉、幕府の新たな政所執事をお任せ頂くからには今まで以上に誠心誠意、職に当たる所存にございます」
「何……お前が政所執事だと?」
「はい。師直殿の御要望にて」
(政所執事は粟飯原を再就任させるかとも思ったが……思ったより手堅い。道誉は妙法院焼き討ちの瑕こそあれ、手腕は確か。文化面で他の武家の追随を許さず、朝廷や寺社にもまだまだ顔が利く)
御所巻を契機に師直派は武力の有利を再確認し、決定的に勢いを増した。婆娑羅の仕掛け役こと道誉の要職就任が良い例である。
だが、惣領の氏頼にとっては余り喜ばしくないらしい。先程までの意気揚々が嘘のような真顔となり、道誉の顔を見詰めていた。
それを尻目に、師直はよもや将軍執事解任以前から温めていた腹案なのか、新たな幕府政治の在り方について饒舌に語り始めた。
仲介役の夢窓疎石も幕政の子細となっては、惣領の氏頼と有力庶家の道誉の微妙な空気感も相まって、中々口を挟めなくなった。
(内談方の廃止、引付方の再導入、寄合方の設置……制度面で私の政治を否定するばかりか、人事は師直派が多数。我が派閥の者たちを締め付ける気だ。師直の事だ。必要に応じて、引き抜きも厭わぬだろうな……直冬や上杉氏が武力蜂起する隙は到底無さそうだ)
「師直。義詮殿の御上洛はいつを予定している?」
「……弟殿。その件については後日詳細を詰める事に」
「ほう?お前にしては随分と悠長だな」
「慎重と言って頂きたいものよ。朝房をお咎め無し、重能や朝貞を流罪で済ませてやっても、憲顕が逆上しない保証は無い。もし義詮様を人質に取られて、反乱でも起こされては天下の大事となる」
「……師直。言うに事欠き、我が腹心を奸臣呼ばわりするか」
「お二人とも。ここは調停の場にございますぞ……将軍」
再び抜き差しならぬ気配が漂い始め、夢窓疎石が横槍を入れた。
夢窓疎石とて老練な高僧だ。人心の機微に誰より敏感である。
すかさず察知したのだ。尊氏が何かを言いたそうにしていると。
「うむ……師直、保証があれば良いのだな?」
「……将軍?」
「要は直義の身に大事ないと分かれば、憲顕は動けぬのだろう?」
「ですから、弟殿の御命は助けると──」
「何事も平和が一番!直義、師直。お前たちが今まで通り幕府政治を担ってくれれば、何も言う事はない。勿論、義詮も宜しく支えるのだぞ?直義が副将軍、師直が我が執事!これで丸く解決だ!」
「「……え」」
日記『園太暦』によれば、この八月十九日の会談において直義並び師直の職務復帰が決定された。既に数え七十五歳の夢窓疎石も大任を終えて帰宅の途に着き、静謐への回帰が広く世に示された。
結局のところ、「御所巻」とは何だったのか。二十五日、まるで何事も無かったかのように直義が三条坊門の自宅で評定を実施し、師直もこれに出席したという。二十八日には幕府から関東執事の上杉憲顕に向けて、上野国の土地の差配について指示が下された。
朝廷でも延暦寺の不満に対して、更なる不服申し立てがあれば厳罰に処すと牽制し、強気な姿勢が現れた。だが、所詮は仮初の平和に過ぎない。九月になると早々に再度綻びが見え隠れし始めた。