崇永記 作:三寸法師
〜1〜
尊氏様が等持院において弟・直義たちと共に他ならぬ故・足利貞氏公のため、法要を行ったのである。その逝去から今年で十八年もの歳月が経過している。だが、兄弟揃っての供養はきっとこれが最後に違いない。いよいよ来年から
「貞氏公も黄泉の国でどう思われる事やら。このままでは尊氏様と
「おや、宗家。曲がりなりにも将軍は先月、
「さりとて、
「……」
先月から新たに政所執事となった
だが、今回ばかりはやむを得ない。調整すべき事案があるのだ。
こうしたところで
「
「おや、気になりますか」
「左様……どうも引っ掛かる」
歴とした尊氏様の正室腹の子である光王──未だ齢十で元服を済ませていないが、まず間違いなく後の初代鎌倉公方・足利基氏と踏んでいる──は先日、叔父・直義と義理の親子関係を締結した。
これだけならば然して問題あるまい。むしろ前々から直冬の梯子を外す策として取り沙汰されていたアジェンダだ。当座の問題は、
勿論、この懸念は
「はて、最近は政所や引付方の業務が忙しく……ただ、
「……それも大事だが、今は
「……成る程、
「如何にも。どうも夢窓
「……宗家の目指すところ、詳しくお聞き致しましょう」
いよいよ
俺は弁舌を振るった。肝心な一点について巧妙に話を避けつつ。
〜2〜
新たな鎌倉殿を目指す侍王子の出立としては一見、あまりに供の数が少な過ぎるように思われる。何しろ僅か百騎足らずなのだ。
だが、
その慰みと言っては語弊があるかもしれないが、俺はある趣向を凝らしてみた。
それもそうだろう。夜の湖に提灯付きの船が幻想的に照り映えているのだ。むしろ物珍しいという言葉で済まされては堪らない。
「六角殿。これは……目を洗われるような光景ですが……」
「北近江まで大船に乗って琵琶湖を渡りましょう。ただ夜闇の陸路を行くのでは如何にも芸に欠けます。この提灯はまだ一般的でないようですが、唐渡りの代物です。これに和紙を巻いて船縁に吊るしました。光王様、これぞ真の風流というもの。婆娑羅という名の下衆な風俗とは比較になりますまい。存分に船旅をお楽しみあれ」
「その、船の上で大丈夫なのですか?火事など」
「ご安心を。もし渡航中に異変あれば、私の背にお乗りください。光王様を乗せたまま、平泳ぎしてでも陸地にお届け致しまする」
「は、はぁ……」
戸惑う
勢多から長浜までの長い船旅となる。
船上の屋形の上座で
「どうぞお召し上がりください。お代わりも奥に沢山用意してございます。今は
「で、では──」
「はい、駄目」
「……え?」
「光王様。よくよく肝に銘じられませ。そう容易く甘言に乗せられては傀儡にされるのがオチです。それこそ先の得宗家のように」
まずは主導権を握る。幸い、
決して上杉
「光王様。なぜ今このように船で移動する仕儀と相成っているか。お分かりですか?ついでに言えば、なぜ闇夜の出立となったか」
「り、両方を満たす理由か?難しいな……
「お考え自体は悪くありませんが、残念。外れておられます」
「……分からぬ。教えて頂けぬか?六角殿」
無論、幼子が簡単に答えが出せる問いとは端から思っていない。
というより、あっさり答えられた方が逆に予後の悪いタイプの諮問なのだ。俺はあくまで忠言の体を崩さず、微笑と共に告げる。
「では教えて進ぜましょう。心してお聞きください……山科周辺や近江国の街道について、土地勘を掴ませないためにございます」
「え……それはつまり──」
「畏れながら申し上げます。これより光王様が鎌倉の王になられるという事は、将来的な不穏分子として嫌でも警戒されるという事にございます……それこそ今、巷で話題の長門探題に劣らぬ程の」
「ッ!」
幾ら京で生まれ育った
だが、今後はそうもいかなくなる。関東執事の上杉
確かに上杉一族はいずれ関東で管領として定着する筈だ。しかしながら、かと言って観応の擾乱で中央政治に介入されては堪ったものではない。故に
「光王様、御存知ですか?鎌倉幕府の源氏将軍が何故に滅んだか」
「……頼朝公と義経公・範頼公、頼家公と阿野全成、更には実朝公と公暁……身内争いが絶えず、源氏一門の力が著しく弱まってしまいました。結果、北条氏の過度な台頭を招き、摂家将軍や皇族将軍を京から形だけ呼ぶ事に……六角殿は懸念しておられるのですね?当代の将軍一門が、初期鎌倉幕府の二の舞になってしまう事を」
「……如何にも。直冬追討は不可避。また、将軍と副将軍がいずれ反目し合う事になっても、まだ何とか挽回できるかもしれません。ですが、義詮様と光王様が互いに京と鎌倉で睨み合うという事になりますと……民も国土も疲弊します。とりわけ私が恐れているのは高一族と上杉氏の代理戦争が全国規模で行われてしまう事です」
「それを避けるために私に
「御明察です。流石に賢明であられる……と上杉殿が似たように申されても、決して流されてはなりませぬぞ。天下を乱す傀儡に堕ちたくなくば、禅律の教えを頼る事です。幸い、鎌倉は禅宗の息吹が色濃く根付いております。これを正しく活かせば、京との繋がりを独自に持つ事も出来ましょう……春屋殿、義堂殿!入られよ!」
「!」
春屋妙葩*2や義堂周信*3といった国師・夢窓疎石の門下の俊英たちの登場で、
ここからは彼らの口から語って貰う方が、より
〜3〜
琵琶湖を渡り終え、船の荷下ろしを済ませる間、俺は再び
仕込みは済ませた。後は
「六角殿。春屋殿並びに義堂殿の御紹介、有り難うございました。これで鎌倉在住の禅僧たちとの接触にも希望が持てます。直冬殿のように反逆の誹りを受けぬために、自らを律し続ける所存です」
「安心しました。光王様、その様子なら義詮様との協調も滞り無く運ぶでしょう。今後の御活躍、西国からお祈り致しております」
「……
何か言い忘れた事はないだろうか。
自分でも思う。らしくなく不安に駆られていると。先日の「御所巻」の計算外の出来事のせいで、センチメンタルな気分なのか。
あるいは観応の擾乱が刻一刻と迫り、余裕が無くなってきているからなのかもしれない。挽回の機会が必ずしも保証されなくなりつつある事で、当主として舵取りのミス一つ許されないというプレッシャーを感じ始めているのだ。逆に何か思い切った事をしないと気が済まなくなる。だからこその今宵の趣向と言って良いだろう。
「実は光王様。船を用意した理由、他にまだ一つありまする」
「!……お聞かせを」
「我が正室と会いたくなかったからです」
「……へ?」
もし陸路で進んでいれば、どんなに夜遅くでも魅摩は次期鎌倉殿への挨拶を口実に、俺と顔を合わせようとしていたに違いない。
これまで散々、あれやこれやと近江国下向の打診があったのだ。
勿論、近江国における
「光王様。きっともう貴方様は西に戻れません。もしかすると現地の有力者の娘を娶らざるを得なくなるやも。上杉家か、他の誰かは分かりかねますが……正室の脅威は認識できておられますか?」
「はい……かつて頼朝公は正室の実家に子孫を滅ぼされました」
ここで問題とするのはブランド力では格下だが、勢い次第で上下関係を塗り替えかねない相手の娘を娶ってしまった場合である。
こうしたケースでは、望み通り離縁できると限らない。内心で忸怩たるものを抱えながら、漫然と遣り過ごすしかなくなってしまいがちである。頼朝とて北条政子の
政子とその実家連中が調子に乗った結末は、今更言うまでもないだろう。その教訓を活かし、せめて警戒はしておきたいものだ。
「その通り。特に光王様は、この私と同じで望まざる相手を正室に迎えざるを得なくなりかねない御立場……本当は将軍令嬢を正室に迎えたかったのに、それもこれも……ゴホン。良いですか?光王様。正室だからと遠慮する事は無く。むしろ外戚に力が集まらないよう注意すべきなのです」
「!」
「場合によっては、その家を滅ぼす御覚悟も必要でしょう。御方は赤橋家を助けようとなされたという話も聞きますが、それでも北条氏の撃滅には余念がありませんでした。我々も見習うべきです」
北近江でこれ以上は踏み込み過ぎか。そんな危惧と共に告げる。
そもそも後の四職・京極家を滅ぼせるとまでは、端から思っていないのだ。
一応のフォローはしておこう。あまり
「とはいえ、何事も均衡が大切……比企氏と北条氏の扱いに失敗して不幸に見舞われた頼家公の例もあります。誰かが過剰に権力を得て脅威になる事は無い。そう皆に思わせるが肝心です。良くも悪くも正室の実家はそうした要素の一つです。くれぐれも御用心を」
「……肝に銘じます」
こうして、俺は
とはいえ、
将軍の御子らしい威厳をいつか獲得するだろう。その過程で禅宗を活かせば良い。武家の御偉方とは本来そのようなものなのだ。
「春屋殿、義堂殿、長居は無用。帰りましょう。また船出です」
「六角様。その急いた御様子……何か京であるのですか?」
「もしや……長門探題絡みで?」
「……流石は禅律界きっての大物。お二人とも察しが良い」
今度は琵琶湖を西へ渡る。そろそろ決定される頃合いだろう。
現に
勿論、副将軍・直義が感知できない筈がない。この九月、直義は左兵衛督という長年の官位を朝廷に返上する。あたかも引き際を探し始めたかのような振る舞いに、