崇永記   作:三寸法師

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◆2

〜1〜

 

 

 貞和五年(西暦1349年)九月五日、足利政権(室町幕府)で一つの(ささ)やかな動きが見られた。

 尊氏様が等持院において弟・直義たちと共に他ならぬ故・足利貞氏公のため、法要を行ったのである。その逝去から今年で十八年もの歳月が経過している。だが、兄弟揃っての供養はきっとこれが最後に違いない。いよいよ来年から()()()()()が始まるのだから。

 

 

「貞氏公も黄泉の国でどう思われる事やら。このままでは尊氏様と弟殿(御舎弟殿)は、古の頼朝公と義経公の如く血みどろの争いをする事に」

 

 

「おや、宗家。曲がりなりにも将軍は先月、弟殿(御舎弟殿)を御自分の屋敷に匿われたのですぞ。滅多な事を申されるものではありますまい」

 

 

「さりとて、道誉(佐渡判官)殿。将軍と師直(武蔵守)殿が結託していたという話が公武の間で持ちきりになって久しく、弟殿(御舎弟殿)があまりの囁かれ様に猜疑心を抱くのも時間の問題。ついでに傷心で職を辞すのもまた然り」

 

 

「……」

 

 

 先月から新たに政所執事となった道誉(佐渡判官)に一歩も引かず、持論を展開するのも惣領としての優位を保つためだ。正直、会えば必ず娘がどうと言い出すので、近頃はあまり道誉(佐渡判官)と顔を合わせたくない。

 だが、今回ばかりはやむを得ない。調整すべき事案があるのだ。

 こうしたところで道誉(佐渡判官)に役立って貰わなければ割に合わない。

 

 

道誉(佐渡判官)殿。光王(足利基氏)様の御様子について何か聞いておられぬか?」

 

 

「おや、気になりますか」

 

 

「左様……どうも引っ掛かる」

 

 

 歴とした尊氏様の正室腹の子である光王──未だ齢十で元服を済ませていないが、まず間違いなく後の初代鎌倉公方・足利基氏と踏んでいる──は先日、叔父・直義と義理の親子関係を締結した。

 これだけならば然して問題あるまい。むしろ前々から直冬の梯子を外す策として取り沙汰されていたアジェンダだ。当座の問題は、光王(足利基氏)が妙に直義と親しい様子であったという話である。場合によっては我ら近江国の武将にとって厄介な事態になってしまう。もし観応の擾乱で光王が直義派の上杉憲顕に泣き付き、ピンチな直義の救援をと頼めば、あってはならない間違いが起こるかもしれない。

 勿論、この懸念は道誉(佐渡判官)も既に察知しているだろう。だが、道誉(佐渡判官)は首を傾げて見せる。如何にも婆娑羅大名らしいワザとらしさだ。

 

 

「はて、最近は政所や引付方の業務が忙しく……ただ、師直(武蔵守)殿より登子様(御台所)の御様子について、幾らか聞き及んでおりまする。光王(足利基氏)様を弟殿(御舎弟殿)の猶子としたのだから、実子(如意丸殿)の存在と併せ、直冬(長門探題)は既に価値が無くなっておる故、早う処分を明確に。この一点張りのようで」

 

 

「……それも大事だが、今は光王(足利基氏)様よ。関東へ下向するとなれば、必ず我らが近江国を通る。たった今、多忙と申されたが……俺自ら案内したい。その御役目は我が六角家で主に請け負いたいのだ」

 

 

「……成る程、師直(武蔵守)殿への口利きが御入用ですか」

 

 

「如何にも。どうも夢窓疎石(国師)を和議に引っ張り出した件で、心象が悪くなっている気がする。それはそれで良いのだが……だからこそ光王(足利基氏)様に楔を打ち込めると思うのよ。近江国の行く末のために」

 

 

「……宗家の目指すところ、詳しくお聞き致しましょう」

 

 

 いよいよ義詮(左馬頭)を京に*1光王(足利基氏)を鎌倉にという配置転換が、室町幕府において実行される。観応の擾乱において近江国守護として動き易いよう、東国勢に介入されないための布石を打っておきたい。

 光王(足利基氏)が鎌倉を目指して近江国を抜けるまでの時間で、吹き込めるだけの事は吹き込もう。そのためにまず道誉(佐渡判官)に話を通しておく。

 俺は弁舌を振るった。肝心な一点について巧妙に話を避けつつ。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 貞和五年(西暦1349年)九月九日の深夜、遂に光王(足利基氏)の関東下向が実現される。

 新たな鎌倉殿を目指す侍王子の出立としては一見、あまりに供の数が少な過ぎるように思われる。何しろ僅か百騎足らずなのだ。

 だが、光王(足利基氏)は体裁上、直義(左兵衛督)の猶子となっているのだ。あまり派手に送り出せないというのが、将軍執事・師直(高武蔵守)の判断なのだろう。

 その慰みと言っては語弊があるかもしれないが、俺はある趣向を凝らしてみた。光王(足利基氏)は眼前の光景に驚きを隠せずにいるようだ。

 それもそうだろう。夜の湖に提灯付きの船が幻想的に照り映えているのだ。むしろ物珍しいという言葉で済まされては堪らない。

 

 

「六角殿。これは……目を洗われるような光景ですが……」

 

 

「北近江まで大船に乗って琵琶湖を渡りましょう。ただ夜闇の陸路を行くのでは如何にも芸に欠けます。この提灯はまだ一般的でないようですが、唐渡りの代物です。これに和紙を巻いて船縁に吊るしました。光王様、これぞ真の風流というもの。婆娑羅という名の下衆な風俗とは比較になりますまい。存分に船旅をお楽しみあれ」

 

 

「その、船の上で大丈夫なのですか?火事など」

 

 

「ご安心を。もし渡航中に異変あれば、私の背にお乗りください。光王様を乗せたまま、平泳ぎしてでも陸地にお届け致しまする」

 

 

「は、はぁ……」

 

 

 戸惑う光王(足利基氏)と百騎足らずの護衛たちの背を押し、乗船を促す。

 勢多から長浜までの長い船旅となる。光王(足利基氏)は未だ十歳の身だが、一世一代の関東下向とあって眠気がすっ飛んでいるらしい。実に僥倖である。後の鎌倉公方とサシで話し合う機会として丁度良い。

 船上の屋形の上座で光王(足利基氏)と向き合う。子どもでも摘みやすい夜食は用意しておいた。光王(足利基氏)は遠慮がちながらも目を輝かせている。

 

 

「どうぞお召し上がりください。お代わりも奥に沢山用意してございます。今は登子様(御台所)の目も無い故、好きなだけ食べてくだされ」

 

 

「で、では──」

 

 

「はい、駄目」

 

 

「……え?」

 

 

「光王様。よくよく肝に銘じられませ。そう容易く甘言に乗せられては傀儡にされるのがオチです。それこそ先の得宗家のように」

 

 

 まずは主導権を握る。幸い、光王(足利基氏)の性根は変に捻じ曲がっているところが見られない。傾聴に値する相手と見做させれば、鎌倉公方として持つべき()()について僅かな時間でも教え込めるだろう。

 決して上杉憲顕(民部大輔)たち直義(副将軍)派の傀儡にさせてたまるものか。光王(足利基氏)本人に考える力や警戒心があれば、最悪の事態だけは防げるのだ。

 

 

「光王様。なぜ今このように船で移動する仕儀と相成っているか。お分かりですか?ついでに言えば、なぜ闇夜の出立となったか」

 

 

「り、両方を満たす理由か?難しいな……()()()()()ではないとするなら、目立たぬように……いや、でも提灯の船は逆に……?」

 

 

「お考え自体は悪くありませんが、残念。外れておられます」

 

 

「……分からぬ。教えて頂けぬか?六角殿」

 

 

 無論、幼子が簡単に答えが出せる問いとは端から思っていない。

 というより、あっさり答えられた方が逆に予後の悪いタイプの諮問なのだ。俺はあくまで忠言の体を崩さず、微笑と共に告げる。

 

 

「では教えて進ぜましょう。心してお聞きください……山科周辺や近江国の街道について、土地勘を掴ませないためにございます」

 

 

「え……それはつまり──」

 

 

「畏れながら申し上げます。これより光王様が鎌倉の王になられるという事は、将来的な不穏分子として嫌でも警戒されるという事にございます……それこそ今、巷で話題の長門探題に劣らぬ程の」

 

 

「ッ!」

 

 

 幾ら京で生まれ育った光王(足利基氏)と言えど、僅か十歳だ。自身が内紛の種に位置付けられ得るという自覚を持ち合わせるには少し酷か。

 だが、今後はそうもいかなくなる。関東執事の上杉憲顕(民部大輔)は中世人にして科学者気質を感じさせ、如何にも他人に興味の無さそうな手合いである一方、直義への忠誠心自体は並々ならぬものらしい。

 確かに上杉一族はいずれ関東で管領として定着する筈だ。しかしながら、かと言って観応の擾乱で中央政治に介入されては堪ったものではない。故に光王(足利基氏)に上役らしく抑えて貰う必要があるのだ。

 

 

「光王様、御存知ですか?鎌倉幕府の源氏将軍が何故に滅んだか」

 

 

「……頼朝公と義経公・範頼公、頼家公と阿野全成、更には実朝公と公暁……身内争いが絶えず、源氏一門の力が著しく弱まってしまいました。結果、北条氏の過度な台頭を招き、摂家将軍や皇族将軍を京から形だけ呼ぶ事に……六角殿は懸念しておられるのですね?当代の将軍一門が、初期鎌倉幕府の二の舞になってしまう事を」

 

 

「……如何にも。直冬追討は不可避。また、将軍と副将軍がいずれ反目し合う事になっても、まだ何とか挽回できるかもしれません。ですが、義詮様と光王様が互いに京と鎌倉で睨み合うという事になりますと……民も国土も疲弊します。とりわけ私が恐れているのは高一族と上杉氏の代理戦争が全国規模で行われてしまう事です」

 

 

「それを避けるために私に()()()()()()と」

 

 

「御明察です。流石に賢明であられる……と上杉殿が似たように申されても、決して流されてはなりませぬぞ。天下を乱す傀儡に堕ちたくなくば、禅律の教えを頼る事です。幸い、鎌倉は禅宗の息吹が色濃く根付いております。これを正しく活かせば、京との繋がりを独自に持つ事も出来ましょう……春屋殿、義堂殿!入られよ!」

 

 

「!」

 

 

 春屋妙葩*2や義堂周信*3といった国師・夢窓疎石の門下の俊英たちの登場で、光王(足利基氏)は呆気に取られた様子である。如何にして鎌倉で禅律を体得し、正しく上杉憲顕(民部大輔)を使い熟せる鎌倉の王になるか。

 ここからは彼らの口から語って貰う方が、より光王(足利基氏)の危機感や当事者意識を高められるだろう。僧二人が巧みに数え十歳の光王(足利基氏)を禅律の世界に誘う間、俺は波音と共に楽しみながら船に揺られた。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 琵琶湖を渡り終え、船の荷下ろしを済ませる間、俺は再び光王(足利基氏)と言葉を交わす機会を持った。傀儡化を避けるための知恵は短い間に叩き込まれた筈だ。光王(足利基氏)は純然たる十歳の侍王子でも頭がかなりキレるようなので、短期集中の教えも難なく咀嚼できる事だろう。

 仕込みは済ませた。後は光王(足利基氏)本人次第である。それ以外には上杉憲顕(民部大輔)が慎み深く幕臣の本分を守り、後の関東管領という未来に進む事を祈るしかない。あの自由人の性分は今一つ掴みかねるのだ。

 

 

「六角殿。春屋殿並びに義堂殿の御紹介、有り難うございました。これで鎌倉在住の禅僧たちとの接触にも希望が持てます。直冬殿のように反逆の誹りを受けぬために、自らを律し続ける所存です」

 

 

「安心しました。光王様、その様子なら義詮様との協調も滞り無く運ぶでしょう。今後の御活躍、西国からお祈り致しております」

 

 

「……(かたじけな)く存じます」

 

 

 何か言い忘れた事はないだろうか。光王(足利基氏)が確固たる鎌倉公方として関東で確と君臨するためには、もう一押し足りない気がする。

 自分でも思う。らしくなく不安に駆られていると。先日の「御所巻」の計算外の出来事のせいで、センチメンタルな気分なのか。

 あるいは観応の擾乱が刻一刻と迫り、余裕が無くなってきているからなのかもしれない。挽回の機会が必ずしも保証されなくなりつつある事で、当主として舵取りのミス一つ許されないというプレッシャーを感じ始めているのだ。逆に何か思い切った事をしないと気が済まなくなる。だからこその今宵の趣向と言って良いだろう。

 

 

「実は光王様。船を用意した理由、他にまだ一つありまする」

 

 

「!……お聞かせを」

 

 

「我が正室と会いたくなかったからです」

 

 

「……へ?」

 

 

 もし陸路で進んでいれば、どんなに夜遅くでも魅摩は次期鎌倉殿への挨拶を口実に、俺と顔を合わせようとしていたに違いない。

 これまで散々、あれやこれやと近江国下向の打診があったのだ。

 勿論、近江国における光王(足利基氏)の案内役を買って出なければ、有りもしなかった心配だろう。とはいえ、今後を見据え、関東への布石も一つ程度は打っておきたかった。その折衷案を採った形なのだ。

 

 

「光王様。きっともう貴方様は西に戻れません。もしかすると現地の有力者の娘を娶らざるを得なくなるやも。上杉家か、他の誰かは分かりかねますが……正室の脅威は認識できておられますか?」

 

 

「はい……かつて頼朝公は正室の実家に子孫を滅ぼされました」

 

 

 ここで問題とするのはブランド力では格下だが、勢い次第で上下関係を塗り替えかねない相手の娘を娶ってしまった場合である。

 こうしたケースでは、望み通り離縁できると限らない。内心で忸怩たるものを抱えながら、漫然と遣り過ごすしかなくなってしまいがちである。頼朝とて北条政子の()()に歯痒い思いだった筈だ。

 政子とその実家連中が調子に乗った結末は、今更言うまでもないだろう。その教訓を活かし、せめて警戒はしておきたいものだ。

 

 

「その通り。特に光王様は、この私と同じで望まざる相手を正室に迎えざるを得なくなりかねない御立場……本当は将軍令嬢を正室に迎えたかったのに、それもこれも……ゴホン。良いですか?光王様。正室だからと遠慮する事は無く。むしろ外戚に力が集まらないよう注意すべきなのです」

 

 

「!」

 

 

「場合によっては、その家を滅ぼす御覚悟も必要でしょう。御方は赤橋家を助けようとなされたという話も聞きますが、それでも北条氏の撃滅には余念がありませんでした。我々も見習うべきです」

 

 

 北近江でこれ以上は踏み込み過ぎか。そんな危惧と共に告げる。

 そもそも後の四職・京極家を滅ぼせるとまでは、端から思っていないのだ。上杉氏(後の関東管領)もまた然り。あくまでも気持ちの問題である。

 一応のフォローはしておこう。あまり将軍生母(亡き清子)を輩出した上杉氏への不信感を持たせようとしていると後に警戒されても面倒だ。

 

 

「とはいえ、何事も均衡が大切……比企氏と北条氏の扱いに失敗して不幸に見舞われた頼家公の例もあります。誰かが過剰に権力を得て脅威になる事は無い。そう皆に思わせるが肝心です。良くも悪くも正室の実家はそうした要素の一つです。くれぐれも御用心を」

 

 

「……肝に銘じます」

 

 

 こうして、俺は光王(足利基氏)一行を見送った。隣の美濃国では土岐氏の歓迎があるだろう。もしかすると光王(足利基氏)は駕籠に揺られたまま眠ってしまうかもしれないが、果たしてどうなるだろうか。十歳で故郷を離れて田舎暮らしを始めるというのだから、不安は尽きない筈だ。

 とはいえ、光王(足利基氏)はいずれ初代鎌倉公方として君臨すべき存在だ。

 将軍の御子らしい威厳をいつか獲得するだろう。その過程で禅宗を活かせば良い。武家の御偉方とは本来そのようなものなのだ。

 

 

「春屋殿、義堂殿、長居は無用。帰りましょう。また船出です」

 

 

「六角様。その急いた御様子……何か京であるのですか?」

 

 

「もしや……長門探題絡みで?」

 

 

「……流石は禅律界きっての大物。お二人とも察しが良い」

 

 

 今度は琵琶湖を西へ渡る。そろそろ決定される頃合いだろう。

 現に直義(左兵衛督)猶子として光王(足利基氏)が関東下向を開始した。既に上杉憲顕(民部大輔)が新体制の幕府による命令を受理する意向と確認がとれているため、反乱の心配は当面無いだろう。これで京の足利政権は東国運営に一旦の目処を付け、西国の始末について集中できるというものだ。

 貞和五年(西暦1349年)九月十日、いよいよ長門探題・足利直冬に審判が下されようとしている。詰まるところ、直冬(長門探題)追討である。この件は北朝の太政大臣・洞院公賢の耳にも入り、日記に記される事になった。

 勿論、副将軍・直義が感知できない筈がない。この九月、直義は左兵衛督という長年の官位を朝廷に返上する。あたかも引き際を探し始めたかのような振る舞いに、師直(将軍執事)派の誰もが浮き足立った。

*1
義詮の上洛はもう少し先に実現されるが、八月末に三宝院賢俊が無事の入京を祈ったという記述が『五八代記』に見える。

*2
後の初代僧録。室町幕府と密接に関わり、高師直から真如寺の重役に誘われた事もある。義満時代には康暦の政変に関与したのではないかと言われる程の大物。

*3
五山文学の雄。後に足利基氏の招聘を受け、二十年ほど鎌倉に滞在する事になる。著書『空華日用工夫略集』には、六角氏頼に関する情報が少なからず盛り込まれている。

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