崇永記 作:三寸法師
〜1〜
後の足利基氏こと光王*1が鎌倉に旅立ち、曲がりなりにも義理の父親となっていた直義が、一抹の寂しさを覚えた翌十日の事だ。
幕府の評議の場で、直義は歯軋りしていた。「御所巻」の後も尊氏の計らいで未だ副将軍の立場を保っているものの、明らかに直義の発言力は下がった。代わってイニシアティブを握るのは、将軍執事に復帰した幕府重鎮・高
「
「
御所巻クラスの大事件ともなれば、幾ら情報封鎖を試みようとも限界が生じてしまうものだ。現に長門探題・直冬にも火急の大事が漏れ伝わり、京への視線を更にギラつかせる結果となっていた。
未だ鞆の浦に留まりながらも、
要するに、
将軍執事・高
「そういう事だ、直義。私情は良くないぞ?天下のためだ。直冬を討たねばならん……我が心は決まった。師直、委細全て任せる」
「は」
「ッ……!」
(兄上!あんな……あんな変顔を披露しておいて、何が私情は良くないだ!今やっと分かった!全て!全て直冬を孤立させるための芝居だったのだ!この直義を副将軍とし続けたのも、直冬の心を折らんとしての事!
発言力を著しく失い、失脚したも同然の直義が今更どうして覆せようか。ここに来て室町幕府による
「直冬はあそこだ!逆臣を討ち果たせ!」
「「応!」」
「いけません!
「くっ……まだだ!二百騎なら俺独りで容易く……!」
あまりの急襲撃でまともな対応が出来そうにない。守護大名クラスを動員するでもなく、いきなり地元武士を遠隔で動かして喉元を刺しに来るとは、才知に溢れる
それでも直冬はめげようとしない。熟練の
だが、結局のところ
「ご再考を……次に誰が襲いに来るか!今はお逃げあれ!瞬く間に現地武士たちが敵に取り込まれてしまったからには、遠くの地で再起を図る他ありませぬ!四国でも九州でも船でお渡りなされ!」
「磯部……任せた!」
磯部左近将監ら手練れ三名の奮戦──十六騎を射殺し、追加で十八騎を負傷させ、敵を寄せ付けなかったという──で、足利直冬は辛くも死地を脱した。当然だが、順風満帆の船出とは言い難い。
古典『太平記』によれば、
(本当に師直の独断なのか?それにしては中国武士たちの掌返しが早過ぎる。正式な幕命があったとしか考えられないが、義父上が副将軍のままでそんな……有り得ない。絶対に。義父上に限って)
「この直冬は武家嫡流の子だ。心に一点も恥じ入るところはない。多くの西国武士が俺を慕ってくれた。屋敷も富み栄え、置酒好会の宴を設けた。だが……道半ばで我が夢、引き裂かれてしまった」
「
「ああ……すまぬ。
「それこそ将軍はかつて敗戦の屈辱に耐え、九州で英気を養って壮大な逆襲劇へと繋げられました。皆が
名将・赤松円心に勝つ目処が立たず、
古典『太平記』は
「和歌を……詠みたい。これだけは……詠ませてくれ」
「は……」
──梓弓 我こそあらめ 引連て 人にさへうき 月を見せつる
奇しくも実父・尊氏のような逆襲を願い、
幸か不幸か、阿蘇大宮司・宇治維時が自ら帰順の意思を伝えた。
これに直冬は呼応した。願文を奉納し、所願成就を祈っただけではない。何と尊氏・直義双方の息災と延命を祈願したのである。
〜2〜
現地武士を利用した
明らかに建武大乱で尊氏が九州で勢力を挽回し、楠木軍との決戦に繋げた伝説を再現しようとしている。何とも皮肉な事に、
「皆々、何を畏れておられる?九州では今、我らが探題・一色*2殿と南朝の懐良親王が覇権を争い、手足となる国人どもの奪い合いに注力している状況なのですぞ?ここに今更、直冬が乗り込んで何になると申す?直冬は北朝にとって謀反人、南朝にとって紀伊国の同胞の仇でござろう?そう容易く両者を押さえられるとは思えん」
「さりとて、早くも阿蘇大宮司と接触があったそうだ。天下の幕府が直冬脱走で焦っていると世間に思われても損だが、悠長に構える訳にも参らん。一色の手腕も問題だ。裏切り者が出ねば良いが」
「兄者。裏切り者なら、一色こそ怪しいように思うぜ?確か血縁に
「ふむ。そう言えば、そうであったな……
「……」
思うような政治が出来ない苦しみのせいか、猶子・直冬の追討で責めを負ったのか。いずれにせよ『公卿補任』に
とはいえ、失意の色は明白。声もどこか乾き切った様子である。
「
「おお、怖い。流石は天下の副将軍様だぜ」
「
(何を白々しい。近国で直冬の賛同者が出るのを防ぐためだろうが)
政敵・
故に尚更、激情に駆られて啖呵を切るような真似は無理な話だ。
淡々と告げるしかない。関東に下った
それでも直義はぐっと堪えて、
「兄上に誓って無い。直冬の処分は兄上の御随意に」
「だそうですぞ、将軍」
「……」
今に直冬は
平家は九州に逃れながら、義経と範頼の挟撃に遭って滅亡した。
勿論、直冬は辿り着けているだけ、
しかし、普通にやれば京の政権が圧倒的に有利なのだ。尊氏の九州落ちさえ、後醍醐政権が油断して顕家軍を東に帰したり、新田義貞が不覚にも赤松円心に翻弄されたりした結果、運良く成功したようなものだ。一方、今の足利政権にそうした隙があるだろうか。
(直義はもはや骨抜きも同じ。もはや大した脅威ではない。
「師直、後で命鶴に紙を用意させる故、今は口頭で伝える」
「は」
寵童筆頭の命鶴丸をして文書発給の用意をするというのだから、今にも正式な将軍命令が
しかし、実際に尊氏が下した命令は至極意外な内容であった。
「取り敢えず直冬は出家だ。我は寛大だからな?出家さえすれば、助命だ。だが、もし無視するようなら島津たちに捕縛を命じよ」
「?……出家、にございますか」
甘い。一瞬だが、
ただ、尊氏の意思表明は、もはや綸旨以上の効果があると言って良いだろう。つまり、綸言汗の如し。取り消しは益々不可能だ。
〜3〜
兄・尊氏が分からない。
無論、直義は頭脳明晰につき、候補だけは幾らでも思い付く。
例えば、直冬の殊勝な態度に沿って譲歩の姿勢を示さなければ、寛容な尊氏像が崩れる事を本人が恐れたのかもしれない。もしくは出家命令に嬉々として直冬が応じなければ、尊氏譲りの気質という評判は欺瞞である。そう天下に示せると思ったのかもしれない。
だが、
「何が『太平記』だ……後醍醐の先帝の魂を物語によって御慰めしたところで、政道は乱れゆくばかり。天下を白けさせるだけだ」
「直義様。何を今になって申されますか?」
「玄恵法印*3殿。もし私が遂に幕府でも職を失えば、この軍記は思い付くまま編まれよ。好き放題、寓話を挿れてくれ。その方が皆も絵空事ばかりの書、要は空想の産物と弁えながら読めるだろう」
「は……」
後の今川了俊著『難太平記』によれば、古典『太平記』はまず法勝寺所属・恵珍上人による持ち込みがあった後、直義の監査を受けながら編纂されたらしい。初期構想*4では、『平家物語』と同じように死者の鎮魂を目的としていたのではないかと言われている。
しかし、それも
一つ確かなのは遥か先の今川氏親*5の時代まで降ると、あくまで物語として享受すべしと促されるようになっていたという事だ。
ともあれ、直義は強い危機感を覚えるようになってた。もし
(高一族は下劣だ。北条氏とは比較にならん。何のために兄上を頼朝公の再来と喧伝し、源氏の世の再興をと訴えたのか。打倒鎌倉幕府を主導し、建武政権を破壊したのか。分からなくなってしまう。師直の目があるから、ここで義詮殿と共同生活とは参らぬが……)
「
「ブヒヒ。来月の頭にもお迎えできます」
「ああ……その時は宜しく頼む」
明けて十月二日、直義は錦小路の細川
三条坊門の屋敷が単なる直義の私邸ではなく、政治庁舎としての性格を持っていた事を考えれば、いよいよ本格的に足利義詮が国家レベルで幕政に取り組む事の証左であったと考えて良いだろう。
その義詮は奇しくも翌三日になって、二十年近く生まれ育った鎌倉の地を後にする。ただ、寂しさは大して無かったに違いない。
(ああ、やっと!やっと!上洛だ!我をちゃんと嫡男として京に呼んでくれた師直たちに感謝しなければ!うーんと厚恩を施すぞ!)
「では光王殿。行って参る。鎌倉の皆を宜しくな」
「はい!兄上!……父上や叔父上の事、何卒お頼み致します」
「う、うん。父上と……直義殿だな、うん」
結局のところ、義詮と光王──後の
だが、
一体何が教訓となって二人を自制させたのか。それは敢えてここで言うまい。