〜1〜
次期将軍・義詮の上洛に際し、護衛がてら関東の大名──桓武平氏の河越氏など──が京に挨拶に来る事自体は予想できていた。
だが、その一方で失念している事もあった。義詮の正室・渋川幸子の存在だ。厄介な事に、その伯母こそ直義の妻・頼子なのだ。
そんな女性が、足利義詮の傍らにひっついて上洛して来ている。
つまり、今ここで徒らに義詮を師直派に引き込むと逆に墓穴を掘る可能性がある。次期御台所・渋川幸子が幕内派閥のどちらを買っているか分からない以上、義満の母親候補の心象が悪化するかもしれないのだ。流石に今の段階でそんな博打は、あまりに危ない。
「琵琶湖!初めて見ました!見てるだけなら海みたい!」
「……義詮様。奥方様は随分と元気の宜しい事で」
「昔からあんな感じだ。我をよく引っ張ってくれている」
「はぁ……それは何より」
ともあれ、船団を用意しておいて助かった。渋川幸子の注意は琵琶湖のお陰で、ある程度こちらに向いていない。依然として踏み込んだ話は難しいが、言い逃れできる触り程度なら問題あるまい。
しかも、義詮の護衛の河越氏や高坂氏は別の大船に誘導済みだ。
師直と直義の対立以外の話なら踏み込める。まずは共通の話題を探そう。夢窓疎石が手頃だろうか。俺はすっと話を切り出した。
「光王様に船で琵琶湖を御渡り頂いた際、慰みに春屋妙葩殿や義堂周信殿の講義を趣向で用意致しました。されど、義詮様はこれから京で過ごす時間がたっぷりございましょう。落ち着いたら、将軍の御厚意で、あの夢窓疎石より衣鉢を授かる機会がある筈です」
「おお……京では左様な機会も大切にせねばならぬな」
「はい。今も昔も武家の支配者にとって禅律は親和性が高いものでございます。斯く言う私も国師と同じ佐々木源氏、それも惣領の座にありますので、禅律の教義は大切にしてございます。まして京周辺で政を行うからには、南都北嶺に対抗するためにも必要です」
「天下三大不如意……山法師は武家にとっても難しいものか」
これから本格的に京で政務に取り組む義詮に対し、比叡山延暦寺のような旧仏教勢力への警戒心を植え付ければ、必ず利になる。
ただ、山法師どもの脅威を強調するあまり、我ら佐々木一族の武力を侮られては本末転倒である。どんな塩梅にするかが肝要だ。
「ええ。遠き昔、我が先祖の屋敷に山門の手先どもが踏み込んで狼藉を働いた事件もございました。ただ、だからこそ我が一族は他のどこの武士団よりも山門への敵愾心を強く持ち、足利将軍の御代でも山法師対策の第一人者を自負しておりますれば……鎌倉と違い、西国ではこうしたしがらみが少なくありません。公家衆の影響もそうです。政にも直結する故、何かあれば、気兼ねなく御相談を」
「公家衆……朝廷と折衝を行う機会も、京に参れば今までと比べ物にならぬほど増えような……今の官位では公卿相手に心許ない」
「何と。左馬頭では不足とお考えですか」
「左馬頭というか……」
確かに公卿は三位以上の貴族を指すので、未だ従四位下の義詮が劣等感を覚えても仕方ないのかもしれないが、年齢もまた考慮すべきだろう。遅かれ早かれ昇進し、公卿の仲間入りを果たす筈だ。
きっと義詮の覚えている物足りなさは原因が別にある。俺は手に取るように分かった。同じ従四位下の直冬だ。もっと探りを入れてみようか。手始めに「左馬頭」の由緒の確認から始めてみよう。
「義詮様、自信無さげは良くありません。失礼ながら、何故に左馬頭という官位を授かっておられたのか、ご自身でお分かりに?」
「……すまん。我は兄上や叔父上ほどの叡智は無い。故に周りの者の助けが不可欠なのだ。京に着く前に教えてくれぬか?氏頼殿」
「……承知」
以前、義詮の素養について元関東執事──年度末にも重茂と入れ替わる形で復帰するとか何とか噂で言われている──の師冬から聞き覚えがあったが、もしや噂通りの凡庸か。謙遜にも聞こえるが、そうではない。本来なら自信たっぷりに振る舞うべき時なのだ。
とはいえ、将の将たる征夷大将軍にとって、必ずしも本人に才覚が必要とは限らない。文武の能臣の使い方次第で、幾らでも補えるものだ。ここは才知を示そう。使える男と義詮に思わせるのだ。
「まず古の経基王についてご存知ですか?」
「……清和源氏の祖、であったか」
「はい。かの御方やその子息・源満仲公が左馬頭でございました」
そもそも左馬頭とは元々が左馬寮の長官を指すのだから、弓馬の道に熟達すべき我ら武家にとり、非常に名誉な官職と言えよう。
他にも源義朝や木曽義仲が左馬頭であったと聞いた事がある。
平家では重盛や宗盛などで受け継がれていたというが、ここでは省こう。あくまで源氏の視点で左馬頭の由緒を確認したいのだ。
「鎌倉の御代では足利義氏公が左馬頭でございました。関東の宿老の威名は、義詮様もご存知でしょう。されど、それ以来、足利氏で左馬頭の官位を預かった方は長らく出ておられませんでした」
「……何故だ?」
「かの北条得宗家が代々、左馬権頭であったためです」
「!」
相模守や武蔵守のイメージが強いものの、左馬権頭が時宗や高時らが最初に得た官職であった事は、識者なら全員が知っている。
そして、「権」という字が重要だ。例えば「左馬権頭」の場合、「左馬頭」の代理もしくは次点という具合で理解できるだろう。
「つまり……清和源氏に由緒ある官位が長い間、我が足利家に与えられていなかったのは、北条得宗家への配慮だったという事か」
「御明察です。ともすれば、足利家が北条氏より本来格上という事実が明るみに出かねませんでしたので……出る杭になれば、必ずや北条氏の圧力で潰される。これが先代の不条理にございました」
「うん……そうした経緯を思えば、源氏の棟梁になる身として感慨深いぞ。亡き家長からも源氏の自覚は度々言われた。ただ──」
正直なところ、義詮の亡き伯父・高義が左馬頭だったという話を聞いた事があるのだが、あまり信用できない筋からの情報なので、ここで詳しく言ってしまうと後で疑いの目を向けられかねない。
一方、確かに左馬頭の地位にあった足利氏と言えば、義詮の前に直義が挙げられるだろう。建武政権の成立当初に得ていた筈だ。
「父上の得ておられた治部大輔であれば安心なのだが、叔父上の官位だったというのがな……ちゃんと私を嫡男として見てくれているのか不安になる。方や直冬殿は左兵衛佐、南朝の新田義興と同じ官位だろう?今は謀反人指定されているそうだからアレだが……」
「!」
思った通りである。官職の話をしていれば、早晩義詮の方から勝手に直冬を話に挙げてくれるという考えが見事に当たったのだ。
この様子なら、今の直冬に関して知っている限りの情報を提供している内に、更なるボロを出してくれるかもしれない。要するに直冬の義父・直義に対する警戒心だ。それさえあれば、話は早い。
「実際どうなのだ?聞いた話では、父上は一度確実に直冬追討をお命じになったというのに、いざ九州に逃げられたら何を躊躇っておいでなのか、出家したなら不問に処すと仰ったそうではないか」
「それは──」
「何、何。お二人とも、何の話で盛り上がっておられますの?」
心の中で舌打ちを溢す。何と間の悪いやら、つい先程まで琵琶湖の景色に見惚れていた筈の渋川幸子が、此方の話に食い付いた。
下心を疑わずには居られない。もしや渋川幸子は亡き父・義季がかつて直義に目を掛けられていた旧縁に、この期に及んで報いようとしているのか。それで直冬という足利直義最大のウィークポイントについて義詮が挙げた途端、食い付いてきたのかもしれない。
ここで濁す方が心象に障り有ろうか。俺は思案して切り出した。
「西国の動静について少々。義詮様にとって不安なところがあるかもしれませんから、微力ながら御慰めできればと。奥方様は何かございませんか?……そうそう、我が長弟の直綱が、奥方様の御弟の直頼殿と懇意にさせて頂いております。今後とも何卒よしなに」
「は、はぁ……こちらこそ弟がお世話になっていたとは」
「いえいえ。奥方様も直頼殿と会うのは随分久々でしょう?関東土産でも用意なされたのですか?直頼殿は最近、舅の師直殿の影響もあってか、西国の文化に馴染むばかりで……息抜きも必要かと」
現渋川家当主は直頼だ。その意向次第で、姉の幸子は直義を切り捨てて、ひたすら義詮擁立志向の師直と協調する必要が生じる。
はてさて、渋川幸子が一体どんな反応を見せるやら。場合によっては今後にも影響が出よう。俺も義詮も固唾を飲んで見守った。
〜2〜
貞和五年十月二十二日、遂に次期将軍・足利義詮が京に入った。
南近江の勢多において、師直をはじめとする在京諸将の出迎えがあった後、馬や鎧兜の凛々しさに彩られながら姿を現したのだ。
当然、人々の注目度は高い。もう直ぐ日も落ちようかという頃であるのに、粟田口や四宮河原に桟敷が設置され、観衆で溢れかえっていたのだ。幸いにも以前のような崩落事故は起こらなかった。
夜になり、義詮は将軍邸に入る。一方、師直派の諸大名は一仕事終えて、打ち上げの宴をし始めていた。道誉が婆娑羅の仕掛け人らしく華やかな場を仕切っている中、俺は隣の師冬と話し始めた。
「師直殿は将軍邸に居られるままか」
「ええ。上皇陛下からの勅使の歓迎もありますので。何でも勧修寺経顕卿が勅使を御務めらしく……院のお慶びも一入でしょうね」
「北朝としても義詮様が頼みの綱だろうからな。恐らく先日の騒動で現存の幕府中枢に不信感をお持ちだ。義詮様に箔を付け、次期将軍として自立させようとするだろう。新たな任官も有り得よう」
「確かに……左馬頭という官位は足利新時代における関東の支配者の称号として機能していました。しかし、これからの義詮様は更に進まなければなりません。次期将軍に相応しい官職が必要です」
鎌倉時代以前と比べ、最近の武家は明らかに官位秩序に深く侵食している。幾ら左馬頭に清和源氏の由緒があったとはいえ、北条氏のせいもあり、関東支配の性質が強調され過ぎたきらいもある。
船上では義詮をあれこれ励ましたが、国中を統べる新時代の武家の王者たらんと欲するならば、現状維持では不足なのも確かだ。
実際、この翌年八月に義詮は参議となり、左近衛中将を兼任する事になる。かつて源頼家公も就任した事もある確かな地位だ。
「関東か……執事再任の噂、本当なのか?」
「……来月にもはっきり出来るかと。それまでお待ちください」
「……ふーん」
正直、今のタイミングで師冬が関東執事に再任するのが適当とは思えない。確かに師冬は現職の重茂に比べれば良将と言えよう。
だが、四條畷の戦いでの醜態が痛かった。俺や顕氏、時氏でさえ楠木正行とは緒戦で食らい付く程度に頑張っていた。一方、師冬は絶好の場面において正行の首を狙いながら、無惨に失敗する姿を諸将に見られたのだ。それ以前の春日顕国討伐の功績が、却って失態を際立たせてしまっている。関東武将の耳にも届いている筈だ。
そして何より、将来的に関東は足利基氏以降の鎌倉公方、および上杉氏の関東管領によって経営されるのだ。擾乱で下手に師冬が関東に首を突っ込めば、五分五分ながら藪蛇になる可能性がある。
「ま、良いや。それより喜べ。渋川幸子、あれは中立と見た」
「……中立?義詮様の奥方様がですか?」
「不破関で義詮様をお迎えしてから勢多で師直殿たちの合流するまでの間、話術を駆使して探りを入れた。義詮様はどうやら直冬出家命令が手緩いとお感じになっているようだ。そして、彼女はそんな義詮様に歯痒さを抱きつつも、どうにも出来ぬという御様子だ」
近江国守護としてしてやったりというような表情を浮かべる。
諸将に先んじて義詮の上洛一向に接触し、琵琶湖遊覧という機会を用意してそれなりの時間を使って直に話す機会を設けたのだ。
このお陰で、今後の政局を左右し得る程の貴重な情報を得ることが出来た。それもかなり早い段階で。自信になって当然だろう。
「まぁ……伯母が弟殿の正室で、弟が師直様の婿という立場なら、そうなるでしょうね。下手に首を突っ込めば、どちらかに角が立ってしまいますから。ですが、我々にとっては安心材料でしょう」
「ああ……これで弟殿の目算が外れる訳だ」
直義は明らかに渋川幸子という存在に一縷の望みを賭けていた。
室町幕府では今後、直義の業務ノウハウを義詮に引き継がせる事になっている。直義の魂胆はそれに延々と時間を掛けて、師直派の影響力拡大を防ぐ事にあった筈だ。だが、もはや厳しいだろう。
幸子と頼子のパイプは錆び付いていたという訳だ。そもそも義詮の政敵有力候補の直冬を態々推し上げておいて、虫が良過ぎる。
「渋川家の繋がり。これが直義の活路だったが……渋川殿は御所巻で直義邸に一旦顔を見せたものの、それから直ぐ我らの方に加勢し直した。まず無理な話だったのさ。直義は方針を一から考え直さざるを得ない。義詮殿への業務引き継ぎも短期間で終了だろうよ」
「せいぜい一週間……いえ、三日ないし四日でしょうね」
「ああ。まず義詮様が聞き耳を持つか怪しいところだ」
十月二十六日、当初の見込み通り、足利義詮が三条坊門の旧直義邸に移った。結局、叔父・直義とはその前日に師直たちを連れて一度顔を合わせただけで、朝廷との折衝など以前の副将軍の役割を果たすようになった。つまり、直義は完全に用済みになったのだ。
これにより、直義の心はポッカリと折れた。以前から細川顕氏邸内に移っていたが、完全に引き篭もるようになった。我ら師直派はこれを豚小屋生活と揶揄するのだが、それはまた別の話である。