〜1〜
遂に上洛を果たした次期将軍・足利義詮が、それまで副将軍の役目だった業務を請け負うようになり、一週間以上が経った。予想外な事に、甥との対面を僅か一度きりで済まされた事で、直義はかつて無い程の喪失感を味わった。妻・頼子の狼狽も並々ではない。
月を跨いで十一月初旬、頼子は折を見計らって動いた。渋川家の者で集まろうという名目で、姪の幸子と会う機会を設けたのだ。
「伯母上……如意丸殿も御一緒でしたか」
「ええ。あんまり屋敷に籠ったきりでは子供の身体に毒ですから、連れ出して参りました……さ、如意丸殿。幸子様に御挨拶は?」
「幸子様。御機嫌麗しゅう存じます」
「……賢い」
如意丸は数えで三歳という幼少の身ながら、父親の血が騒いでいるのか、母親の教育が行き届いているのか、年齢離れした知性が言葉遣いに滲み出ている。発音も幼齢にして流暢な事この上ない。
当然この時、初対面の渋川幸子は幼い従姉弟の異様な振る舞いに戸惑ったが、後年になって或る噂を聞き、合点が行く事になる。
とはいえ、今の幸子は、警戒心を募らせるしかない。実家の方針を掴みかねていたのだ。弟で現渋川家当主の直頼は、徐々に師直派としての旗幟を鮮明にしつつあり、一方で叔母・頼子は、齢四十過ぎで所産を済ませながら、夫の義息贔屓を見過ごしているのだ。
(私は義詮様の妻。これからも義詮様を支える上で、渋川家の後押しが欲しいところ……なのに、それ以前に家の方向性自体が定まっていないように見える。もし義詮様を害してでも、義叔父上に与する気だったら、再考を促す方向に集中できていたけど、これはむしろ方針が立たなくてやり難い。どうしよう。暗中模索するしか)
「如意丸殿も御一緒という事は……義叔父上は今お一人で?」
「ええ。玄恵法印様が尋ねて物語してくださいますから、意外とその方が良いみたいで……幸子様はもうお会いになりましたか?」
「いえいえ。御噂だけ聞くくらいで──」
遥か後年、名臣・細川頼之に厳しい視線を向けていたとされる渋川幸子にとって、この貞和年間の混乱模様も不愉快だった筈だ。
伯母の頼子以外に弟の直頼をはじめとする、長い鎌倉生活で離れていた者たちと会う機会が、束の間の安息になり得たかどうか。
三条坊門の旧直義邸──先月二十六日以来、現在は義詮が屋敷の主人になっている──に帰宅後、幸子は深い溜め息を吐露した。
(駄目だ。渋川家は当てにならない。弟に覇気がなさ過ぎ。斯波氏の方々も、軍議で我が儘を通したせいで麒麟児・家長殿を死なせた義詮様に、含むところがあるかもしれない。十二年も前の子どもの失敗談をお恨みとも思われないけど、御当主の高経殿が別件で将軍と遺恨を持っておられるそうだし……他に頼れそうな勢力は──)
「奥方様。今日も献上の品が数多届いておりまする」
「……また?一応取っておいて」
(心付けは義詮様が期待されている証拠。でも、殆どが見ず知らずの大名や公家衆ばかり。ずっと関東に住んでたから仕方ないけど)
次期御台所らしく侍女からの報せに答え、尚も幸子は思案する。
まだ京に着いて日が浅く、諸大名の勢力バランスについて把握し切れていない。高一族に依存し過ぎるのも義詮が凡庸である事を踏まえれば、それはそれでリスクがある。上洛直前に近江国の琵琶湖遊覧で接待した守護大名・佐々木六角氏頼も未だ若く、外様でプライドも高そうで、実際にどこまで力になり得るか微妙に思えた。
その時、ふと気になった。見れば、花の添えられた贈り物のようである。匂いが良い。渋川幸子を長考から醒ましてしまう程に。
「これは……どなた様からの?」
「京極様です。政所執事でいらっしゃる」
「……道誉殿!昔聞いた事が。将軍の御友人のお一人と」
(我が弟・直頼は、師直殿を舅にして強く影響されたと。では佐々木氏頼殿は?分家の道誉殿の姫君を娶り、子を設けたと聞いた)
室町幕府の開闢から十年以上が経ち、道誉の名は佐々木一族庶流でありながら、惣領の氏頼より全国規模で轟いていた。建武大乱の偽装投降や妙法院焼き討ちからの復活劇のお陰で、政治的怪物としての評価を元地方在住者からも分かりやすく勝ち得ていたのだ。
勿論、氏頼は氏頼で幼い頃に代々の近江国守護職を道誉から素早く奪還した経歴も、守護代や群奉行を含めて円滑な統治システムを推進した政治力も備えていたが、余程の有識者でない限り、忘却の彼方か理解し得なかったかだろう。要は華々しさで差があった。
(ただ、確かに夢窓疎石様との仲介は、幕政で多忙な道誉殿より、幕府の仕事も無くて暇そうな惣領・氏頼殿の方が、融通を利かしてくれるかもしれない。武力も京極氏より六角氏の方が、圧倒的に強大の筈……片方だけじゃ駄目。二人とも上手く取り込まないと)
「確か……国師様との面会は来月になりそうだとか」
「はい。今月は仕事が詰まっているため、来月初旬の予定です」
「その前にどうにか八幡宮参拝を入れられない?他の源氏の心を掴むために。義詮様に申し上げるわ。根回しもちゃんとしないと」
亡き関東庇番衆一番組筆頭・渋川義季は出陣前に言った。姉の頼子には留守の間、直義を支えるように。同じく娘の幸子にも足利のために尽くせと言ったのだ。今でも幸子ははっきり覚えている。
理由は明白だ。それが父・義季との最期の別れになってしまったのだから。あの頃、幸子は未だ五つにも満たない少女であった。
『はい!ぜんぶまかせて!』
(義伯父上のお陰で、私は義詮様に嫁ぐ事ができた。でも、本当に義詮様を脅かすおつもりなら仕方ない……全力でお相手するのみ)
南北朝時代前期の足利直義にしろ、数十年後の細川頼之にしろ、どちらも非凡な政治力を誇ったが、共通して失敗した事がある。
それ即ち、渋川幸子を味方に出来なかった事である。特に足利直義の場合、幸子とは義理の姪という縁で、その嫁入りに貢献したにもかかわらず、義詮との繋ぎ役として活かせなかった事は、痛恨の極みと言って良いかもしれない。こればかりは幾ら後になって手を尽くそうとも、どうにもならなかった。挽回しようがなかった。
直冬を後押ししたという過去は、一生消えない。兄に疎まれた甥を思いやるという清廉さが、その首を締めてしまったのである。
〜2〜
ここで改めて直冬の動きを見てみよう。北朝方で室町幕府の九州探題を統括する一色父子、南朝方で亡き後醍醐天皇の第八皇子の懐良親王、そして新勢力・足利直冬の三つ巴と化しつつあるのが、当座の九州情勢である。とはいえ、楽観視するには厳しかろう。
九月の段階では意外にも出家を命じる程度だった尊氏の態度が次第に硬化したのだ。十月には出家命令に上洛の二文字が付与され、十一月中旬にもなると遂に討伐令が下された。この間、直冬は着々と挙兵の準備を進め、西国武士を対象に勧誘活動を行っていた。
「今頃、京では花園院の一周忌が行われている頃か……」
「申し上げます!直冬様、九州探題が動いたようです!」
「何……直氏め。この直冬を討つ気か」
十一月半ば頃、一色直氏が島津貞久宛てに直冬討伐を命じた。
現九州探題・一色直氏はその名を見て分かるように、足利直義の偏諱を受けた若手武将であったが、謀反人・直冬との敵対関係を崩す事は無かった。直冬にとっては計算違いだったかもしれない。
何しろ直氏は貞和二年の下向以前、直冬や畠山直宗──現在は御所巻による処分のため、越前国に流されている──、果ては今川貞世と共に、副将軍の直義から薫陶を受けた人物であったという。
さりながら、直氏は今に直冬を討とうとしている。直冬はこれも謀反人の宿命かと呪った。本来なら盟友になり得た筈なのにと。
(何たる勝手の代償だ。ここ最近、国人たちに将軍や義父上の意思を奉じて下向していると偽り、本来なら九州探題が行使すべき権限を行使している。直氏が怒るのも無理はない……将軍とて同様)
「もう後には退けぬ……幸俊。皆には斯く伝えよ。それもこれも師直が将軍家を蔑ろにして、不当に政治を牛耳っている故、直冬が正義の鉄槌を婆娑羅大名どもに下さんとしての諸々の活動なりと」
「は!」
この時期、直冬は既に自暴自棄になっていたのか、あくまで苦渋の決断に過ぎなかったのか、恩賞権を無断で行使するなど独立政権の色を濃くしていた。その中でも特に一線を越えた形跡がある。
この頃、直冬の貴重な支援者として豊後国の武将・詫磨宗直という男が居た。たとえ空手形でも良いからと直冬は遂に決断した。
「これは……!直冬様!有り難く拝受致します!」
「うん。宗直、お前は幸俊と共に我を支えてくれている。それに対して少しでも報いたい。まだ支配できておらぬ国だが、予めな」
「御意!」
貞和五年十一月十九日、足利直冬は大胆な事に、筑後国守護職を重臣の宗直に与えるという暴挙に出た。当然、守護職の付与は将軍にしか許されず、幕府中枢を意識した明確な敵対行為であった。
詫磨宗直が九州の有力氏族・大友氏の分家の出身であった事を鑑みれば、周辺諸国に与えた動揺は並大抵のものではあるまい。否、むしろ動揺は全国規模で広がった事だろう。北朝や南朝に続く第三勢力が何と皇族を必要とせず、足利家庶子だけで誕生したのだ。
十四年前の中先代の乱でさえ、北条時行という御輿のみで大覚寺統の建武政権に対抗するには物足りなかったのか、持明院統と提携しようとする動きがあった事を考えれば、異様としか言えまい。
「直義様。これらが最近の直冬様の動静ですぜ」
「……潜入苦労、桃井。委細承知した」
「……どう思われますか?このままでは直冬様は」
「マズいな……追い込まれるあまり、暴走し始めている」
頼みの綱の義詮夫妻とのコネクションが機能不全に陥った傷心に身を灼かれ、腹心・細川顕氏の屋敷内で表向き世俗との交流を絶って暮らしている直義であったが、直冬軍の近況は気にしていたに違いない。もっと妙手があった筈という悔恨の情に駆られながら。
しかし、今や直冬は義父との繋がりすらも覚束なくなっていた。
いよいよ年が明けて観応年間に突入すると、直冬の孤立感がより鮮明に現れてしまうのだが、それは未だもう少し先の話である。
〜3〜
貞和五年十一月二十五日の朝、次期将軍・足利義詮の石清水八幡宮参拝が初めて実施され、師直もこれに随行した。この頃、北朝では新嘗祭が滞りなく開催されたかと思えば、豊明節会が中止されたり皇太子の鎮魂祭が延期されたりと行事面で混乱が見られる。
いよいよ践祚済みの新帝・崇光天皇の即位式が来月中旬に迫っているのだ。北朝関係者たちの緊張は推して知るべし。だが、その一方で如何なる時も風流心を忘れないのが、公家たちの性である。
京に戻った昼下がり、師直は文机の前で話を聞いて眉を顰めた。
「何?初雪会だと?まんまと初雪で浮かれたか」
「らしいぜ、兄者。それで京極の坊主が、公家どもとの付き合いのためにそそくさ帰ったって訳だ。六角の若造がキレてやがった」
「確か氏頼は何を勘違いしたやら、八幡大菩薩を将軍と同一視していたな。そこへ分家の道誉殿が男山より会合を優先して足早に帰ったとなれば、怒らずに居られまい。ところで、もしや義詮様が我もと言い出して居られぬか?あるいは予定を組み直さねばならん」
「いや。師世曰く、小除目の内容を覚えるので必死らしい」
「何と要領の悪い御方だ。先が思いやられる」
あれよあれよという間に足利直義が政界から追いやられ、今の幕府は新たなステージに移行している。つまり、尊氏・義詮父子による二頭政治である。しかし、その内実は言うまでも無いだろう。
何しろ尊氏は相変わらずちゃらんぽらんで、義詮は関東で上杉憲顕たちの補佐を受けながら政務に励んでいたとはいえ、まだまだ京では初心者マークを付けて振る舞わなければならないのである。
将軍執事・師直が一族を率いて実権を握るに十分な環境だった。
「なぁ、兄者。直義は失脚した。兄者の匙加減で、いつでも命を奪える豚小屋暮らしだ。直冬も敵じゃねェ。九州に逃げて尚、デカい顔してやがるみたいだが、将軍兄弟の下知を帯びていると地元武士たちに嘘を吐いてると聞いたぜ?それじゃ化けの皮が剥がれるのも時間の問題だ。となると、そろそろ次の手を打ちてェところだ」
「……何が言いたい?」
口では尋ねるも、師泰の言い分を兄・師直は薄々察している。
本日の義詮の石清水八幡宮参拝は、合理主義者の師直にとって決して気の進むものではなかった。むしろ十一年前、師直が南朝軍討滅のために焼いた施設なのだから、含むところが多少なりとも生じるものだ。罷り間違えば支持者を前に墓穴を掘りかねなかった。
「源氏諸侯だ。正確には外様のだな……どうするよ?男山参拝なんてして。足利宗家は源氏三代の後釜なりと喧伝するのは直義の野郎と同じ手法だろ?良くないんじゃないか?俺たち高一族は、源氏と違う血脈だ。その事を佐々木・土岐たちに思い出させたら──」
「……だからこそだ。この俺が積極的に参加すれば、かつての男山焼き討ちは仕方なかったからに過ぎず、あくまで源氏の氏神を重んじていると諸将が勝手に安心するだろう。渋川の小娘め。その事にも気付かず、我らを警戒したようだ。早期参拝を催促しおった」
「……」
心外極まりないと師直が思う一方、師泰は気が気でなかった。
さては渋川幸子に気取られたかと焦りを覚えたのだ。師泰はかねてより息子・師世の成長を促すついでに、唆す事は唆していた。
「ケッ……高一族には依存しねェって?義詮様は、予定じゃ佐々木氏の出身の夢窓疎石と近い内に面会するんだろ?考えてやがる」
「師泰。あくまで渋川氏は中立。そういう事だ」
「……義季の遺児を婿にしておいて良かったな、兄者」
「ああ……これで結果的に御所巻で弟殿を失脚させたも同然の流れになった。弟殿は計算違いだっただろうさ。関東で腹心の上杉憲顕をして教え込ませ、渋川幸子を嫁がせた相手こそ義詮様よ。だが、義詮様が京に参ってみれば、その指導はおろか、男山参拝からも締め出され、もはや挽回の手は無い。国師との蜜月も風前の灯だ」
貞和五年の十一月も終わり、師走を迎えようとしている。師直は副将軍・直義が担うべき義詮の指導役を剛腕で奪い取り、事実上の幕府政治の支配者となった。しかし、何事にも代償が付き物だ。
これから始まる年末の場合、「師走」で言うところの「師」は他でもない師直の事を指すだろう。十二月一日の次期将軍・足利義詮による天竜寺参詣は、あくまで序の口に過ぎなかったのである。