崇永記   作:三寸法師

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◆7

〜1〜

 

 

 私の出産前、度々顔を出しに来た親父(京極道誉)と違い、仮にも夫の氏頼(大夫判官)は頑なに在京して只の一度も姿を現さなかった。忙しさで言うなら将軍にも高師直(武蔵守)にもより近い親父(京極道誉)の方が圧倒的に上でありながら。

 決して居て欲しかったと思っていた訳ではない。まして励ましの言葉なんか期待しなかった。期待する方が間違いだ。ただ、実の子に対しての振る舞いが、率直に言って想定を遥か下回っていた。

 少しは芽生えるかと思っていた親の自覚がまるで無かったのだ。

 

 

「言っておくが、俺に()()()を抱かせよう等という馬鹿は間違っても抜かすなよ?うっかり潰してしまう。お前とて折角の努力を無駄にしたくはなかろう?退がれ。俺はこれから師冬(播磨守)殿と呑むのだ」

 

 

「……御意」

 

 

 誰が武勇最高峰の氏頼(大夫判官)に子を抱かせる危険を犯すものかと思う。

 それと同時に、如何にもピリピリ感を出そうという姿が、私には酷く滑稽に思えた。あたかも毛を逆立て威嚇する猫のように見えたのである。年月を経て、氏頼(大夫判官)は大人の仮面が壊れ、精神的に子ども同然になっていると見える。幼少期の方が遥かに()()()だった。

 あるいは尊氏様への執心に身を焦がした結果、取り繕う事を忘れて本性が剥き出しになったと言った方が的確なのかもしれない。

 果たしてこの調子で乗り越えられるのだろうか。ずっと昔に他ならぬ氏頼(大夫判官)が狂信的な()()で身を焦がす余り、漏らしていた事を思い出した。あの頃、既に氏頼(大夫判官)は心を尊氏(権大納言)様に侵食され始めていた。

 

 

『尊氏様。尊氏様。尊氏様。尊氏様。尊氏様……尊氏様!』

 

 

『こ、壊れた……?』

 

 

『いと尊き御方よ。微力ではありますが、私が貴方様に天下をお捧げ致します。貴方様の邪魔をする不埒者はたとえ何処の誰であろうと排除します。直義も師直も論外です。ああ。ですから、どうか』

 

 

 まだ軍神・楠木正成が健在で、武家(足利)方が西国諸国から逆襲しようという頃合いから()()だった。当時から氏頼(大夫判官)は己が神力による未来視で朧げながらも悟っていたのではないか。今となっては、そう思わざるを得ない。というより、そうであって欲しいと思うのだ。

 直義(武衛禅門)は失脚したが、かと言って佐々木惣領の氏頼(大夫判官)がそう易々と高一族への権力集中を容認できるだろうか。元々、師直(高武蔵守)には塩冶高貞(判官)の件で遺恨を隠し持っている筈なのだ。そこで師冬(播磨守)が鍵となる。

 

 

「亜也子。いや、甲賀三郎。二人の会話、よく聞いておきな」

 

 

「……何かあるの?魅摩」

 

 

 未だ法体の甲賀三郎もとい望月亜也子は、この屋敷の侍女たちの代わりに、氏頼(大夫判官)師冬(高播磨守)の両名の給仕役を務める事になっている。

 大方、氏頼(大夫判官)による配慮だろう。ひょっとすると師冬(高播磨守)が西国に居るのも今夜が最後と思っているかもしれない。確かに師冬(高播磨守)は今日から関東への下向を目指す男だが、そんな単純な意味合いではなく。

 

 

「私は退がる。その代わりにだよ。直感で良い。氏頼(廷尉)殿が心の内で師冬(高播磨守)の趨勢をどのように見ているか。そこだけ分かれば十分さ」

 

 

「直接殿様に聞くのは……まぁ無理だよね」

 

 

「愚問だね。はぐらかされるのがオチさ。というより、氏頼(廷尉)殿が自分で自分を誤魔化しているようなら、聞いても暖簾に腕押しだ」

 

 

 貞和六年(西暦1350年)正月三日、私は他の者たち以上に今年きっと更なる政変が起こると踏んでいる。京の様子は未だにきな臭さが拭えない。

 ただでさえ九州では直冬軍が跋扈し、尊氏(権大納言)様が京から盛んに不当を訴えているものの、効果は未知数であるという。この上、関東の仕置きに失敗してしまえば、京もこの近江国も無事で済むまい。

 この時、私は不安視していた。昔から氏頼(大夫判官)の未来視は決して万能ではなかった。今では逆に慢心を招いて痛い目に遭う事の方が多いのではないかと首を傾げている。そして拙い事に、氏頼(大夫判官)()()()()()()()()と裏腹に、幼い頃から退化しているような気さえする。

 個の武がどれだけ伸びていようとも、楠木正行(まさつら)に敗れた過去が消えた訳ではない。波乱に耐え得るか、太鼓判を押しかねていた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 便女のような仕事にむしろ懐かしさを覚えつつ、私は六角党の一員らしく殿様の傍らに侍る。酒瓶を両手で持って慎重に傾けた。

 その向かい側にはかつての同志・彦部吹雪ならぬ師冬(高播磨守)が仮面を外して眼光鋭く座っている。そこまで容姿に衰えは感じられない。

 ただ、改めて感じた。三者三様に身体付きがガッシリした事を。

 

 

「頑なに御子息を名前で呼びませんでしたね。氏頼(大夫判官)殿」

 

 

「なんか違和感あるんだようなァ。あれが()寿()()という事に」

 

 

「……殿様?」

 

 

「いやさ、どうも腑に落ちんのよ。俺の使っていた名前を()()に名乗られている事がさ。通称なら兎も角、()寿()()というのはなァ」

 

 

「えぇ……」

 

 

 昔から殿様が当たり前の事に疑問を溢す事は無いでもなかった。

 当時から、こうした繊細さが良い歌を詠む雅な心の秘訣なのだろうと勝手に得心していたが、今回はいつにも増して強烈である。

 親の幼名を子が引き継ぐ事などよくある話だ。もしや殿様が最初は千寿丸ではなく龍寿丸と子に名付けるつもりだったのも、その常識自体が気に入らなかったせいではないかという疑問が浮かぶ。

 

 

氏頼(大夫判官)殿、何を言われるんです?千寿丸という幼名そのものは別に珍しくもないでしょう?何なら義詮様は千寿王と申されたではありませんか?……まぁ要するに嫉妬心でしょう?御子息に対する」

 

 

「心外な。そんな些末な言葉で片付けられては敵わん」

 

 

「へ?ん?……何、師冬(播磨守)様。どういう事?」

 

 

「尊氏様にとっての千寿丸は自分であって欲しかった。それが氏頼(大夫判官)殿の本音なのですよ。随分と可笑しな話です。諱名の氏頼*1でも、被りが複数ございますのに……お赦しを、氏頼(大夫判官)殿。つい本音が」

 

 

「はン。とても赦しを乞う者の口振りではないな」

 

 

「……ああ、そういう」

 

 

 要するに、殿様は大切にしているのだ。尊氏様に実子・義詮様を差し置き、千寿丸と呼んで貰っていた日の思い出を。それなのに自らの子が新たに千寿丸と名乗っては、思い出が上塗りされると忌避したのだろう。かなり空回りしている様に、思わず口元が緩む。

 何にせよ、殿様の頭の中は尊氏公で満たされているという訳だ。

 

 

「それより、師冬(播磨守)殿。どうだ?近江国の米で醸成した酒の味は?」

 

 

「良いものですね。近江国の米は京でも高級品として重んじられています。我が渇きも多少は癒えましょうか……尤も、関東では中々口に出来ないでしょうから、却って残酷な事をされたようにも感じてしまいます。しかも、三年は帰るまじと申されたと来ている」

 

 

「え?そうなの?」

 

 

「はい。それまで関東で静観せよと氏頼(大夫判官)殿はお達しです」

 

 

 瞬間、殿様の視線が師冬(高播磨守)を射抜いた。軽々に余計な事を言うなと目で抗議したかのようだ。私は息を呑んで交互に二人を見遣る。

 このままでは酒の席が台無しになってしまう。私は少し焦った。

 

 

「ええっと──」

 

 

「もしこの先、京で何らかの異変が起こった場合、俺や土岐や小笠原氏で片付けたい。逆に師冬殿が下手に関東で動いて、上杉憲顕(民部大輔)が野放しになっては危ないからな。それに釘を刺しただけの事だ」

 

 

「へぇ」

 

 

「……別に良いのですよ。私が関東で知らぬ存ぜぬを決め込む間、恵源(武衛禅門)師直様(義父上)を両方喰らっても。その上で私を新たな将軍執事として招くと申されるのであれば、却って都合の良い事この上ない」

 

 

「!?」

 

 

「……戯言を。何故この俺が師直(高武蔵守)殿を喰らえよう」

 

 

 知らず知らずの内に話が明後日の方向に行っている。私が何も聞いてなかっただけで、前提条件が二人の間でかなり積み重なっているのかもしれない。だが、それを差し引いてもぶっ飛んでいる。

 かつて鎌倉において、将来は北条時行(相模次郎)と名越高邦(式部大夫)で内紛と無邪気に()()()()()()()頃が懐かしい。今思えば、完全に児戯だった。

 

 

どうしよう。話に着いて行けない

 

 

「高一族の内紛など馬鹿馬鹿しい限りでしょう?それが嫌なら貴方が手を回し、師夏(武蔵五郎)殿や師世(越後将監)殿を予め潰しておく事です。安心してください。彼らの保護者の高兄弟より今の貴方は力で優っている」

 

 

「そりゃ今更あんな爺さんズに劣るとは思わんが……」

 

 

「ズ……?ゴホン。ともあれ、氏頼(大夫判官)殿。私を東国で静観させるなら貴方が働いてください。さもなくば、十万騎の兵で上洛します」

 

 

「あのなぁ」

 

 

 遥か先を見据えた高度な先読みか、それとも単なる皮算用か。

 私には判断がつかない。突拍子も無いようでいて、殿様も師冬(高播磨守)も今なお抜群に頭の良い事は、賢人特有の刺すような()で分かる。

 ただ、何とも言えない底知れぬ危うさが仄かに漂っていたのだ。

 貞和六年(西暦1350年)正月三日の夜が更ける。二人で寝ると言われ、私はあっさり殿様の部屋から用済みの酒瓶や盃と共に追い出されていた。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 よくよく考えると酔った勢いで余計な事を漏らしていないかと心配になったが、杞憂と見て良いだろう。何事もなく朝になった。

 正月四日である。四條畷の戦いから丁度二年が経った。やはり身体が歳を取れば取るほど、段々と年月が短く感じられるものだ。

 

 

師冬(播磨守)殿。久し振りに手合わせ、してみないか?」

 

 

「止めておきます。関東どころか、不破関に着く前に怪我をしては元も子もありません。大名多しと言えど、今の貴方と手合わせして必ず無事に済む武将がどれだけ居るでしょうか。後日、元氏(細川清氏)殿にでも声を掛けてください。無双とされる潜在能力が如何程なのか」

 

 

「……分かった」

 

 

 所詮は何と無しに言ってみた事である。特に気にする事もない。

 しかし、やはり師冬(高播磨守)は内心、小骨が喉に引っ掛かったような心持ちなのだろうか。昨日に比べて、明らかにテンションが低いように感じる。まさか師冬(高播磨守)に限って二日酔いという訳でもあるまいが。

 元々、そこまで感情を表すタイプでもなかった。淡々と文武両道を体現し、触れる者を強張らせる事は、まるで氷のような男だ。

 朝餉がてら、試しに話を振ってみる。師冬(高播磨守)は反応するだろうか。

 

 

「夢窓国師の弟子に黙庵周諭が居るだろ?三日前、義詮(左馬頭)様に謹賀新年を申し上げた時、正行(まさつら)の首級の行方を尋ねられた。よりて先に黙庵殿が中興した宝筐院にあると申し上げたら、たいそう興味を引かれた様子だった。気になっておられたんだろうな。正行(まさつら)の事が」

 

 

「……上杉憲顕(民部大輔)が吹き込んだのかもしれませんね。四條畷でこの(高播)(磨守)正行(まさつら)にトドメを刺そうとして盛大に失敗したと。恨めしい」

 

 

「かもな……我が生涯を懸けて喧伝するつもりだ。正行(まさつら)は偉大な武将だったと。さすれば、我々の敗北が後世の者たちに罵られる事もあるまい。負けて仕方ない相手だったと周知するのだ。その手始めに義詮(左馬頭)様よ。かの次期将軍に時間を掛けて、丁寧に御納得頂く」

 

 

「どうぞ御自由に。その手の風評操作は、西国武将の貴方に(すべから)く任せます。東国出身者には真似できない保身の術でしょうから」

 

 

「……そうだろうか」

 

 

 先世において、徳川氏は昔年の家康が苦戦した武田軍の称揚に余念が無かったと聞いた事がある。理屈としては今し方の俺の話と同じ筈だ。また、二十一世紀のトーナメントにおいて、敗れたチームが勝者の幸先を願うのも、似たような理屈によるものであろう。

 ともあれ、師冬(高播磨守)と共に過ごすのも今日を限りに暫く無いだろう。

 あるいは永遠にという考えは一旦閉まっておく。それはそれで、昨秋の光王──後の足利基氏であるべき存在──に刺した釘が機能するに違いない。二代将軍・足利義詮と初代鎌倉公方・足利基氏は兄弟にして、珍しくも天下に共存できる両雄同士であるからだ。

 

 

「光王様は食事の好みが激しいと聞いた事がある。もし上杉憲顕より歓心を得ようと思うなら、上手く餌付けして差し上げる事だ」

 

 

「貴方以外の前で軽々に素顔を晒す訳には参りません。このように一緒に食事とは……無理でしょうね。程々に上手くやりますよ」

 

 

「なら……健闘を祈る。とは言っておこうか」

 

 

 朝餉を終え、師冬(高播磨守)は今日の間にも美濃国に着くべしとばかりに東へ発った。俺も不破関付近まで見送りを名目として同道できた。

 時間は残酷である。あっという間に黒血川まで着いてしまった。

 

 

「この黒血川で顕家軍を迎え討ったのも十二年前の事ですか」

 

 

「あれは本当に腹が立った。またも近江国を脅かすつもりかと」

 

 

「はてさて。氏頼(大夫判官)殿が本当に立腹していた相手は誰であるやら」

 

 

「……言ってくれるな。あんな不届き者など思い出したくもない」

 

 

 平氏の末裔にして分不相応にも、偉大なる御方を敵視するだけでも役満である。だというに、東夷の大軍を率いて我が郎党を数多く討った仇敵・北畠顕家と手を組んだ。どうして我が不快を買わずに居られよう。はっきり言って、顕家と別ベクトルで腹立たしい。

 既に怒りの余り、道誉(佐渡判官)と謀った上で系図を書き換えさせた程だ。

 六角家の祖・泰綱公や京極家の祖・氏信の母親を以前と違って、北条義時の娘ではなく川崎為重なる者の娘と認定したのである。

 

 

「真に英雄たるべき存在は他に居る。南朝の若手で言えば、新田義顕や楠木正行(まさつら)のような者たちだろうさ。生き汚い事この上ない雑魚とは雲泥の差があろう……天下を狙って悪名を残すより、戦場で派手に散った方が良いに違いないさ。義仲軍の今井兼平がそれだ」

 

 

「……そんなものですか」

 

 

「ああ。五百年以上も経てば、歴代北条氏の大半は知名度で義仲どころか今井兼平にも及ばなくなっているかもしれないぞ?身も蓋も無い事を言えば、大衆が知り得るのは公的な歴史学より、読んでて面白い軍記物だからな。特に壮絶な最期があってこそだろうよ」

 

 

「世俗の栄華を求めない在り方とは……願わくば、最後の最後の目標にとっておきたいものです。生前の積み重ねがあって初めて最期が輝くものでしょうから……お互い、一所懸命に生きましょう」

 

 

「ああ、ではな」

 

 

 貞和六年(西暦1350年)正月初旬、師冬(高播磨守)は関東の平穏を維持するため、鎌倉に向かった。再び関東執事として上杉憲顕(民部大輔)と並び立とうというのだ。

 俺は気持ちを切り替える。いつ風向きが変わっても可笑しくないと身構えつつ、訝しく思っていた。この師直(高武蔵守)一強状態を直義(武衛禅門)がどうやって跳ね返そうというのか。具体的な手段を量りかねていた。

 そう首を傾げていた矢先だった。黒血川で師冬(高播磨守)と別れて一週間程が経ち、突如として兆しが起こった。正月十一日、訃報が四方八方に広まる。天下の名将・赤松円心が享年七十四にして、死んだ。

*1
この時期では佐々木六角氏頼の他、斯波氏頼や吉見氏頼が居る。前者は亡き斯波家長の次弟で、後に室町幕府六代執事の候補に挙げられる武将。後者は源範頼の末裔にして能登国守護である。

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