崇永記 作:三寸法師
〜1〜
何をしているんだ、あのバカは。抜きん出た才覚から足利の麒麟児とも謳われる孫二郎は心の底からそう思った。
敵からの寝返りの打診が記された書状を、居並ぶ味方の諸将たちの前で掲げるという千寿丸の振る舞いは、当然のことではあるが、普通なら考えられないことである。
まず口火を切ったのは、師直の弟で足利軍でも指折りの武闘派として知られる強面の師泰である。ゆっくりといざり寄り、十以上も歳の離れた千寿丸の肩に腕を掛けて顔を近付けた。
「おい、六角の若造。何を考えてやがる?密書だと?」
「はい。密書です。諏訪頼重からの。何なら読み上げて貰っても構いません。それはそうと、尾張権守殿。鼻息を顔に吹きかけるのはお止め下さい。ちょっと色々洒落にならないので」
「何ィ?」
「控えろ師泰」
「……チッ」
相変わらずの仏頂面である兄師直の言葉により、弟の師泰は大人しく殺気を抑えて引き下がった。
代わって師直が腕組みしたまま、敵からの書状を手に持つ割には極めて落ち着き払った様子の千寿丸を問い質し始めた。
「こうして皆の前で進退をはっきりさせるその姿勢には感服致す。ところで、つかぬ事を聞くが、その書状はいつ届いた?」
「帝が出陣のご許可を出し渋っている最中に。よもや本当に私が敵に通じているとお思いですか?」
「いや、六角殿の忠誠心を疑っている訳では無い。だが、何故すぐに言わなかった?」
「相模守殿はじめ、実際に北条と戦った方たちがいるところで出した方が後腐れがないかと考えましたので」
名指しされた直義の眉尻が下がっているのにも気付かず、千寿丸の弁を聞いた尊氏は表情を緩ませる。
詰問中の師直はそんな尊氏の心を知ってか知らずか、千寿丸が足利と北条のどちらを選ぶかは名越軍が大風によって受けた打撃もあって自明であることや、北条残党を滅した後のことを踏まえ、一旦この場を収めに掛かった。
「六角殿ならば敵から誘われることもままあろう。だが、今後同じことがあれば、余人への気遣いは無用だ。すぐに知らせろ」
「承知しました、師直殿」
ここで尊氏がほっと息を吐き、皆の視線を釘付けにした。
「ああ、良かった。千寿丸が諏訪頼重に味方していたなら、我は死ぬ他なかっただろうからな」
「ご安心を、尊氏様。この佐々木六角千寿丸は決して平氏の末裔に与しませぬ。それどころか、この頼重からの密書を勝利のために活かす妙案を温めて来たほどにございます」
「千寿丸渾身の策か。是非聞きたいな」
果たして経験の浅い千寿丸の立てた策が使い物になるのかと半信半疑な師直は、実際の採用の可否は別として主君が耳を傾けようとしていることから横槍を入れることはしなかった。
当然、千寿丸が話すのに使った時間は先だって本人が言った「少し」の範囲をとうの昔に超過していた。
「……つまり、必要に応じてその書状で北条に従う伊豆の漁民たちを騙し、北条本軍と討伐軍が交戦した時機を見計らって海から空同然の鎌倉を襲う。そういうことか」
「如何にも。無論、鎌倉にも奥州や常陸国への備えで多少兵は居るでしょうが、如何なる守りも内からの攻めには弱いもの。鎌倉内部から切り崩せば、一瞬で方が付くものと存じます」
(これは……道誉の策ではないな。新田の鎌倉攻めを参考に六角千寿本人が考えたものだろう)
勝手に動いた道誉父娘による大仏殿崩壊により、名越軍が酷く弱体化している以上、師直は速攻で名越を粉砕した後、不意打ちで時行や頼重ごと鎌倉を陥落せしめるつもりであった。
箱根の三浦軍や今はまだ鎌倉に居る北条本軍または諏訪軍は以前と変わらない練度のままとはいえ、天狗衆を駆使する師直の手に掛かれば、力押しによる各個撃破は容易である筈だ。
(戦の経験が浅い千寿丸の策は生兵法に過ぎん。ここはやはり速戦即決しかないな)
師直が瞬時に考えを纏めたところで、直義が口を開いた。
「佐々木殿。船の手配はどうするつもりだ?また、必要な兵馬や食糧の手配は如何にする?」
「三河一帯の漁民たちから陛下の威光によって、精鋭二千が乗れるだけの船を徴収致します。食糧は四日分も持てば、結構。不足があれば、伊豆の民から北条のためだと言い張って徴収しますし、鎌倉に着けば、北条軍が残した食糧を貰い受けるまで。無論、世が安寧になり次第、私の懐から民たちに補填致しまする」
「……しきりに徴収と言うが、それは略奪と何が違う?」
「抵抗しない民にまで暴行を振るい、己の欲望のままに財産を持ち去るのが略奪。抵抗する民に罰を与えつつ、軍務に必要な分だけを貰い受けるのが徴収と心得ておりまする」
要は言葉遊びである。しかし、高兄弟や貞範といった者たちは、見掛けによらずやる時はやるのかと千寿丸に感心しさえした。
加えて、略奪もとい徴収される側の怨嗟を後醍醐や北条に擦り付けつつ実行するというのが彼らの琴線に触れたようであった。
「……ならば風向きについてはどう考える?風向き次第では予定とズレが生じる事は存分に有り得よう。それに、先日の大仏殿崩壊のような嵐が吹かぬとは限らんだろう。危険極まるぞ」
「ご安心を。ズレはしません。京極軍と合同で攻め込めば、風向きも嵐も思うがまま。そうでしょう?道誉殿」
いきなり矛先を向けられた道誉は内心驚きながらも、直ぐに思考を切り替える。千寿丸の策は最後の肝心なところで神頼みならぬ魅摩頼みであるらしく、客観的な視点での粗雑さは否めなかった。
娘の神力について軍議の場で広く明かすべきでない以上、道誉はしらを切るしかない。千寿丸の言葉はともすれば別の含意もあるように聞こえるからである。特に、直義のような類の人間には。
「そうですなぁ……確かに
「ん?そうだなぁ……普通に攻めれば良いのではないか?わざわざ佐々木軍を中入りの危険に晒す必要はあるまい。諏訪は確かに厄介な相手だが、我らが普通に戦って倒せぬ敵ではないだろう」
この何気ない尊氏の一言が、彼らのその後を決定付けた。
あくまで討伐軍の総大将は、京を出てから後醍醐より与えられた征東将軍の座にある足利尊氏なのだから。
「では、あくまで北条本軍が我らの迅速な動きに対応できない間に名越と三浦の即時撃破を目指すのですな」
「それしかないか……」
特徴的な鎧を身に纏う貞範は、自軍と敵軍の実力差を見ても力押しこそ妥当であると考えているが、やはり策謀によって敵を打ち砕きたかったのか長井はあまり気乗りしない様子である。
しかし、こうとなっては是非もなかった。
「そうだ、千寿丸。折角思案してくれた策を不意にした代わりと言う訳ではないが、そなたを討伐軍の中軍大将に任じよう。副将には道誉殿と高経殿を据える。これでどうだろう?」
「……願ってもないお言葉です。しかし、お二人が私の副将とは」
足利の宗家当主である尊氏が総大将を務める軍において六角を中軍大将にする。そして、その副将に自らが任じられる。
副将として名指しされた二人は、武力だけでなく非常に優秀な頭脳の持ち主でもあり、この意味を瞬時に理解した。
「拙僧は構いませぬが、高経殿は?」
「……六角殿の母君は我が従兄妹。
「お二方、かたじけない」
二人が納得した様子であるのを見た尊氏が執事の師直に目線で合図する。完璧執事を自負する師直は即座に主君の意を汲んだ。
「殿。先に中軍大将を決めてしまいましたが、他には誰を各軍の主将に任じるおつもりでしょう?」
「そのことなんだが、師直。前軍の大将には知勇を兼ね備えたお前を据えたい。副将には師泰は勿論、今川も付けよう」
「「は」」
「他にも、左軍大将は土岐。右軍大将は──」
こうして陣触れが決まり、諸将たちの多くは北条軍撃破に向けた準備のために各々の陣地へ戻った。
作戦は単純明快。師直がかねてから考えた通り、分散して四つの砦を守らんとする名越軍の各個撃破である。
〜2〜
三河国渡津に構えられた討伐軍の陣地は、篝火焚かれる夜であっても騒がしい。孫二郎は侮蔑が籠った視線を高や赤松といった者たちの陣営に送っていた。
(明日から全速力で行軍するというのに……京に行っていた足利一門や西国武士たちは欲望のまま享楽に耽っている)
自身と同じように鎌倉将軍府に勤務していた細川顕氏から聞いた話によると、足利家執事である師直は確かに道誉や赤松貞範といった面々から女……特に人妻を使った歓待を受けているという。
『直義様も思いのほか不甲斐ない。尊氏様を支えるのは……執事の俺と西国武士が担うべきだな』
久々に会った家宰はかつてとは違い、不遜な発言を白昼堂々口に出した。おかげで今の孫二郎の頭の中は危機感で満ちている。
半月前まで鎌倉で庇番の同僚たちと送っていた日々は時行の乱によって終止符を打たれた。今の孫二郎は関東の足利一門のため、敬愛する直義のため先を見据える必要がある。
「孫二郎殿。お父上へのご挨拶は済まされましたかな?」
「……上杉殿」
渋川をはじめとする庇番の面々が散った今、孫二郎が頭脳面で頼れる大人は上杉憲顕くらいだろう。
生き残った者たちの中には吉良満義や一色頼行といった面々もいるが、満義は今も変わらず草を食べてばかりで、一色は学問に勤しむ憲顕ほど卓越した頭脳を有する訳ではない。
「父からは此度の東征において私は、斯波軍の指揮ではなくあの六角千寿丸の補佐をするようにと」
「六角殿ですか。今日のお振舞いは実に見応えがありました」
「……変わり者なだけですよ。アレは」
二人の親が従兄妹同士ということもあり、孫二郎は幼い頃から千寿丸の人となりについて知っている。
初めて会ったのは何年も前に近江から鎌倉へ向かう千寿丸が挨拶のため孫二郎の父親である高経の屋敷を訪ねて来た時だった。
「孫二郎殿。変わり者というだけで諸将の面前で敵方からの書状を見せたりその流れで温めた策を披露したりはしますまい」
「……どうでしょうね。普通でないヤツだということは確かだと僕は思いますが。上杉殿の目にはあいつはどう映ったんです?」
「以前お会いした時はともすれば直義様や渋川殿以上に実直なお方と思いましたが、今日の軍議ではあたかも京極殿の息子であるかのように見えました。時の流れの残酷さを感じます」
祖父の代まで公家であったという憲顕は武士の生態に強い興味を抱いている。彼が抱く命題とは即ち、学識と理論によって最強の武士を造ることである。
武士の中でも強いと言われるのは坂東武者であるが、西国武士も決して捨てたものではない。特に、その西国武士を代表する六角家の当主として猛者の資質を秘めた千寿丸は、憲顕が学問の徒として研究を続ける上で注視すべき貴重なサンプルであると言えた。
(今はまだ上杉殿に明かすべき時ではない。然るべき時を選び、将来直義様に迫るであろう危機を説くとしよう)
師直や道誉らを権謀術数に優れる一方、贅沢遊びに余念がない者たちであるとみなした孫二郎は、彼らがいずれ清廉実直な人柄で知られる直義を敵視し、滅ぼそうとすると予測している。
しかし、師直を頂点に戴く派閥は尊氏が武家の棟梁としてきちんと監督するものとでも思っているのだろうか。当の直義本人に孫二郎が抱くような危機感は見られない。
とはいえ、数々の敗戦に思うところはあるらしい。直義の陣を訪れた孫二郎は、疲れた様子でちびちびと酒を呑む鎌倉将軍府執権殿の姿を目に焼き付けた。
「直義様」
「孫二郎か。六角の陣中の様子はどうだった?」
「昼間より落ち着かぬ様子ではありましたが、重臣たちが上手く収拾したようです。千寿丸は何やら道誉の息女にキレら……もとい絡まれているとかで面会出来ませんでしたが」
「……つまり、道誉は此度の書状の件は知らなかったと」
「恐らくは」
また何か明晰な頭脳を使っているのだろうか。考え込む仕草を見せる直義に、孫二郎は思い切って尋ねた。
「……直義様。私を千寿丸のところに行かせるというのはやはり直義様のお考えですか?父と道誉の板挟みになるやもしれない千寿丸を助けさせるために」
「ふっ。ああ、その通りだ」
酒の入った盃を机に置いた直義は、かねてより自らを凌駕する才能を持つ麒麟児として見込んでいた孫二郎による刀剣よりも鋭い指摘に思わず笑みを溢した。
「とはいえ、軍議の話の腰を折らせた罰だ。あの子供に多少の苦労はさせてやっても構わんぞ」
「……どうでしょう。父上と道誉次第のような気もしますが」
「然りだな。話は変わるが、孫二郎。近江三郎の齢は幾つだ?」
「時行と同じ十です」
「そうだ。今は六つの
「!」
幕府という言葉が直義の口から出たことで孫二郎は驚きで息を呑んだ。直義は鎌倉を奪還した北条を駆逐しようという今の段階から既に先のことについて考えを巡らせているのだ。
しかも漠然と幕府を開くというだけでなく、二代目に移行した際の幕府の組閣すら視野に入れている。直義のことだ。単なる皮算用ではないだろう。
「今日の軍議での彼の者の振る舞いは見ただろう?二年前のことからして北条に靡くことはないと、こちらが分かっているから良いものの、実に大胆だ。ただ、孫二郎。お前には明かしておく。あの諏訪頼重からの密書とやらは贋作だ。兄上の勘によればな」
「贋作?一体あれは何のためにそのような?まさか本当に……」
瞬間、直義は掌を掲げて孫二郎の言葉を制した。すぐさま孫二郎は理解する。肝要なのはあくまで千寿丸が贋作を用意してまでも頼重からの書状を提出したことに尽きるのだと。
その目的は単に北条との敵対姿勢を改めて明確にすることのみに留まらない。更なる効果があの一手で得られるのだと、当代屈指の頭脳を持つ直義は同じく知恵者の孫二郎に説いた。
「第一に、六角には京極を上回る価値、それも敵から声が掛けられる程のものだと誇示するためだろう。あの一手で六角は依然、分家の京極に勝っているのだと広く示したことになる。第二は場の空気を掴んだ上で、海路を使った急襲策を提案するため。子ども故にただ進言するだけでは却下されると考えたのだろうな」
「……となると尊氏様のあの起用は、献策を退けながらも六角の名家としての体面を保つ意図が」
直義は首肯し、尚且つ先々に待ち受ける戦を見据え、千寿丸に経験を積ませるためでもあると補足した。
「兄上の采配は単なる温情からではない。道誉を知恵者として頼りにする一方、近江三郎には将として並々ならぬ期待を掛けている」
「成る程。ただ、そのことを当のあいつが分かっているかどうかが不安です。道誉ばかりが重んじられていると思って焦りを覚えたからこそ、あのような振る舞いをしたのやも」
同族である六角と京極の関係性については西国の出身ではない孫二郎でも把握している。元々、鎌倉の御世から京極は宗家の六角を牽制する存在として江北にあった。
しかし、新政を迎えて以来、京極の勢いは六角をも呑み込もうとしている。今後、道誉と懇意にしている尊氏が天下を取れば、京極は益々勢いづくに違いない。この状況に千寿丸は当主として危機感を抱いているのだろうと考えるのは当然の推察だった。
「此度の起用により、近江三郎は兄上からの期待の大きさを自覚することだろう。心配することはない」
「……だと良いのですが」
「とはいえ、だ。孫二郎、覚えているな?以前、お前にはこの直義を凌駕する才と鎌倉の王になれる器があると私は言った」
渋川、岩松、石塔らを失った女影原に続き、小手指原においても南下する北条軍に関東庇番の軍勢が敗れた直後、自ら出陣することを決めた直義の言葉が思い出される。
時行との対峙前より直義は新時代の鎌倉に考えを及ぼしていたようだったが、今の直義はそこから遥か先を見ているらしい。
「鎌倉陥落により、将来の配置にも影響が出る。千寿王様の代になる頃、お前は足利一門の重鎮として宿老たちを御する立場に就いているに相違ない。このことを念頭に置き、今のうちから西国指折りの雄佐々木六角家の当主を十分に懐柔しておけ」
「畏まりました。それでは」
冷静冷徹に遥か先を見据え、進むべき道を本人よりも真剣に考える直義は関東庇番の寄騎であった孫二郎にとって死をも厭わぬ忠誠を捧げるに相応しい存在である。
一礼した孫二郎は再び千寿丸が居る六角の陣地を訪れるべく直義の元を後にした。まず手始めに、名門佐々木一族の内情をその宗家当主を助けるという名目で探るのだ。
(六角千寿丸……根っからの西国武士で、婆娑羅者たちと相通ずるように見えるが、実際には違う。師直の如き分不相応な輩どもとは本来、水と油。いつの日か師直に反骨心を抱くだろう。だからこそ、何としてでも僕はあいつを……)
陣中に等間隔で置かれた燃え盛る松明の明かりに照らされた孫二郎の面構えは最早ただの麒麟児のものではない。確固たる足利軍屈指の知将として孫二郎は内に眠る獣の心に封をした。