〜1〜
貞和六年二月の上旬を過ぎようとしていた頃、南近江の六角邸が俄かに沸き立った。京から噂が聞こえてきたのだ。昨年十二月の義詮様に続き、上皇様たちが夢窓国師様の衣孟を受けたらしい。
さしもの魅摩も、これには意味深長な面持ちだった。正月は殿様の素っ気なさで呆れ返っていた様子だったのだが、昨今の京のきな臭さと併せて、思うところがあるようだ。夕方、若子様が乳母に預けられている間、私は試みに魅摩の所感を尋ねてみる事にした。
「魅摩。国師様の件さ、何か思うところがあるの?」
「……逆に何も思わない方が鈍過ぎだ。国師殿は元より南北朝の双方に顔が利く御仁さ。十三年前、北条時行の南朝降伏で仲介役を果たしたようにね?だけど、天龍寺が完成して歳月の経った今はそういう訳でもないかもしれない。明らかに北朝に肩入れしている」
どうも魅摩は釈然としない様子らしいが、私はここまで聞いても疑問の種が今一つ理解できていなかった。というのも、南朝は賀名生に逃げて以来、もう終わりだと市井で評判なのだ。六角党の皆も三年前に仲間が正行軍に少なからず討たれた事から、良い気味だと口々に言っている。近年の楠木正儀の抵抗は無視するにせよだ。
そんな私の煮え切らない反応を見かねてか、魅摩は補足をした。
「別の脅威があるだろう?南朝はこの際、置いといてさ」
「……別の?」
「足利直冬だよ。九州の」
「!」
昨年末に京で直冬脅威論が囁かれていたのだ。当然だが、この近江国にも噂が伝わって久しい。何でも直冬が高兄弟誅伐を掲げて、九州勢を率いて攻め上って来るのではないかという論法らしい。
魅摩はこの噂を必ずしも軽視できないものと捉えているようだ。
周囲では、幾ら直冬が将軍庶子にして足利直義の猶子と言えど、北朝にも南朝にも属さずして、如何に将兵を集めるのかと疑問視されているのだが、どうやら魅摩は芽があるものと踏んだらしい。
「向こうで直冬の勢力が専ら何と呼ばれているか知ってるかい?」
「……さぁ?」
「佐殿方……そう呼ばれているらしいよ。親父曰く」
「え、それって──」
「左兵衛佐という官職名に由来している、だけなら誰でも分かるだろうね。問題は……将軍がかつて御自身を誰に準えていたのか」
「源頼朝公……かつて佐殿と御家人たちに呼ばれてた」
「そう。今となっては、あの直冬が佐殿と呼ばれている」
点と点が繋がる感覚がする。いや、この場合は線と線が交わる感覚と言うべきなのかもしれない。事態は思ったより深刻だった。
九州から巻き返そうという点で、直冬はまるでかつての尊氏公と同じである。また、尊氏公はずっと昔、中先代の乱を鎮圧した後に自らを頼朝公と同一視し、鎌倉殿と周りに呼ばせて天下を得た。
そして現在、直冬もまた現地で佐殿と呼ばれているというのだ。
「もし九州の大大名に見識があれば、気付くだろうね。今の直冬は家族を欠いている。寂しい身の上の直冬に、大事な娘を嫁がせようとすれば、絶対に取り込めるよ。あわよくば自らが後ろ盾となって直冬に天下を取らせてみなよ?第二の北条時政の出来上がりだ」
「ッ……!」
自信たっぷりな魅摩の物言いに戦慄した。腹黒策士・道誉の愛娘として京で生まれ育っただけの事はあり、並々ならぬ説得力だ。
もし今の言葉を殿様が聞けば、どんな反応をしたものだろうか。
「ここ最近、将軍は積極的という話だ。直冬討つべしと九州武士たちに繰り返し訴えているそうな。だけど、一向に効き目は無い」
「もしかして九州武士たちはもう──」
「さてね……早計な事は言えないけど、今の尊氏公の書状を手にしたところで、九州武士は俄かに信じられないんだろうね。御所巻のせいで、将軍が奸臣・高兄弟の傀儡に堕ちたと思われたんだよ」
「……九州で直冬が高兄弟誅伐を叫んで、不信感を煽ったんだ」
「そう。君側の奸を討てと忌子を殺せ。実際はどうあれ、どちらの方が真実味を帯びているのか……口にするまでも無いだろう?」
このままでは本当に九州から直冬軍がやって来るかもしれない。
確かに頼朝公の再来と喧伝すれば、かつて尊氏公が箱根竹下合戦で勝利を収めて上洛を目指したように、北朝や南朝のどちらの皇威を頼らずとも、ある程度は良い線を目指せる可能性があるのだ。
勿論、あの尊氏公でさえ当初は持明院統に頼る事なく建武大乱に臨みながら、結局は楠木正成・新田義貞・北畠顕家の揃い踏みで九州に落ち延びざるを得なくなったのだから、限界はあるだろう。
今、北朝が考えるべきは少しでも早く直冬に限界を教える事だ。
「義詮様も北朝の両院も国師殿に帰依したんだ。しかも、三ヶ月間という続け様にさ……結束力強化が目的と疑って当然だろう?」
「……凄いね。魅摩の言う通りだよ。多分」
「多分?亜也子、あんた……氏頼殿から何も聞いて居ないのか」
「逆に聞かされてると思った?」
「……まぁ良いよ。義詮様なり、上皇様なり、禅律で人脈を繋ごうとする手は正解だと思うから……山門の反応が気になるけどね」
ここで魅摩は立ち上がり、縁側に出て比叡山の方角を見つめた。
今年で私も殿様の軍門に降って十五年目だ。佐々木氏と比叡山延暦寺の因縁は、充分に承知しているつもりである。しかし、魅摩は佐々木一族の重鎮の娘だ。その想いは、私の比ではないだろう。
私は思った。今この時、魅摩の眼差しは決して邪なものとは思われない。ただひたすらに心配の念が籠っているような気がした。
〜2〜
貞和六年二月下旬に入り、室町幕府では九州事情に懐疑的な声が露骨に出始めていた。将軍執事の師直は未だ悠然と構え、方針の初志貫徹を訴えているものの、肝心の尊氏様が苛立ち始めている。
再三の直冬追討令が、大して効果を発揮していないようなのだ。
おまけに尊氏様と比較にならない程、動揺している者も居る始末だった。幕臣たちの間で凡庸と噂の次期将軍・足利義詮である。
佐々木惣領の俺は相談のため、三条坊門の屋敷に招かれていた。
「マズいぞ……直冬は父上たちの命令で九州に来ているという虚言が通じぬと見るや否や、恥知らずにも父上を師直の傀儡と誹謗中傷し始めたらしい。詭弁を弄し、九州の諸大名を足利幕府と敵対させる気だ。直冬が上洛して名が売れて以来、父上の庶子にしては我が鎌倉に居る間、何の挨拶もなかったのに可笑しいと思っていたが、やはり奸賊の類だったらしい。氏頼殿、お主も口惜しかろうよ」
「仰せの通りにございます。あのような輩が九州の地で蔓延っているとは……これでは将軍も義詮様も枕を高くして眠れますまい」
義詮が警戒するのも無理はない。幕臣たちは皆、保身のために決して口に出さないものの、気付いている。嫡子の義詮より庶兄の直冬の方が優れているという事を。何も軍事に限った話ではない。
九州に逃げて以来、直冬は外交センスも冴えているようなのだ。
実は裏に誰かしら知恵袋が隠れているのではないかと疑った時もあったが、情報を集めている限り、直冬の傍らにそのような人物は居なさそうだ。強いて言うなら阿蘇大宮司・宇治維時だが、かつての諏訪頼重に比べると、些か芯の強さが欠けている人物と見る。
「師直が文書作成業務などで忙しくしている今、このような謀略で頼りになるのは西国の名族の氏頼殿だ。以前、政所の道誉殿を紹介して貰ったが、偶に顔が真っ黒に見える時があって、まるで妖怪みたいでな。対して氏頼殿は歳も比較的近く、話し易くて助かる」
「それはそれは有り難きお言葉です。確かに道誉殿は癖の強さが否めませぬ故、いざという時はこの氏頼を頼って頂ければ、是非お力になりましょう。私とて直冬には苦い思いを致しておりまする」
「おお、そう言ってくれると思っていたぞ!」
「は……義詮様におかれましては、是非とも尊氏様の御孫を御用意して頂きたく思っております。連綿と続く足利将軍家の礎をと」
「何、案ずるな。ここのところ、幸子とは頻繁に致しておる」
「ブッ!?……失礼。話を戻しましょう。何はともあれ、今は北朝との絆を強めておく事です。北朝と義詮様の結び付きが強ければ強くなる程、直冬の高兄弟奸臣論に綻びが生じます。もし高一族が本当に奸臣だったなら、朝廷との結び付きを制限する筈ですから」
「逆説的に……というアレか」
「まさしく」
飛び抜けた才知は無くとも、暗愚でないところが義詮の君主としての資質だ。仮にも幕臣の俺としても、説明するのに細々とした配慮がそこまで必要ないのはやり易い。大名たちの力を引き出すという観点では、ある意味で理想の次期将軍と言えるかもしれない。
いずれ君臨する三代将軍・足利義満への繋ぎ役には最適だろう。
「北朝か……二週間ほど前、両上皇陛下が夢窓国師の教えを正式に受けたと聞いたぞ。もしや我が信心に呼応しての事であろうか」
「恐らくは。九州における直冬の独自の動きは北朝政府も懸念するところでございますから、御嫡男の義詮様とより親密になるための足掛かりとして、夢窓国師を頼ったのでしょう。無碍にしてはなりませんぞ。直冬の蛮勇に抗するため、互いに手を携えるのです」
「公武の権威を以て蛮勇を制す……京は実に面白きところだ」
「はい。これこそ京の醍醐味にございます」
取り敢えず今日の謁見はこんなところだろう。そう思ったところで丁度、前関東執事の重茂がやって来て、時間であると告げる。
義詮が部屋を移動しようとする。これから午後の仕事をしなければならないらしい。曲がりなりにも直義に代わって、三条坊門の屋敷に入っているのだから、当然だろう。この俺も六角邸に帰れば、近江国から届けられる文書について目を通さなければならない。
続けて俺も部屋を出て、重茂に会釈する。ついでに、重茂なら高一族の身内から本日の首相動静ならぬ将軍動静を聞いているに違いないと思い、尋ねてみる事にした。義詮もまた気になるようだ。
「重茂殿。本日も尊氏様は仕事を?」
「如何にも。九州事情の立て直しを為すべく、肥前国の土地について仕置きをしたそうです……そうそう、出雲国の岩屋寺に敵徒退治の祈祷をさせるらしく。出雲国と言えば、今や佐々木氏庶流の道誉殿が治める国でしょう?京極家重臣の吉田某が守護代であると」
「吉田厳覚ですね。私も昔から知っています」
知っているどころか、今は亡き小笠原貞宗の前の我が弓矢の指導者である。京極家から本家の六角家に出向する形での指南役だ。
尤も、教え方が合わずに俺が指導者を乗り換えたせいで、一時期は気不味い空気も漂っていた。昔の合戦で弓矢を借りて不仲は解消されたが、今は厳覚の出雲国駐在により、久しく会っていない。
ここまで思いを馳せたところで、ふと義詮が目を輝かせている事に気付いた。俺も重茂も何か興味深い点があったかと訝しんだ。
「重茂!氏頼殿!父上が祈祷を命じるなら、我も何かやらねば」
「それは……」
「結構な事と存じますが」
「氏頼殿、お主は顔が広い。何か良き寺は知らないか?」
「……別にどこでも良いと思いますよ。桂宮院でも恩徳院でも備後国辺りの浄土寺でも。何なら日蓮宗の実相寺でも妙顕寺でも構いますまい。大般若経なり観世音経なりを転読させ、天下静謐を祈らせると良いでしょう。尤も、これらを命じるにも文書作成が──」
「分かった!全部やろう!」
「「!?」」
まさか本当にやる気になるとは思わず、俺は驚きを露わにした。
重茂に袖を掴まれる。上洛してからも義詮のお守りで忙しい事による恨み節なのか、何て事を言ってくれたのだという刺々しさが視線に籠っている。実際に文書の校正を行うのは重茂たちなのだ。
「氏頼殿。この重茂の言いたい事、お分かりですか?」
「あ、そうだ……俺、帰ってからやる事あったんだ」
「ちょ!?」
「ばいなら!」
重茂は兄の師直や師泰に比べると、どうしてもひ弱な感が否めない正真正銘の文官タイプである。この俺を制止できる筈がない。
貞和六年二月二十一日、義詮は各地の寺院に次々と祈祷させた。
実相寺をして勝軍地蔵法によって祈らせ、妙顕寺に五千巻もの観世音経を転読させた。また、恩徳院や桂宮院、果ては備後国の浄土寺にも大般若経を読誦させた。いずれも天下静謐が目的だった。
京に赤い貝のような物体が降ったのは、翌二十二日の事である。
〜3〜
貞和六年二月二十六日、京は異様な空気とまで言わないものの、武士の緊張が他の身分にも伝播している。尊氏様が嫡子・義詮を連れて西方寺に赴き、説法を聞いてから花を鑑賞する予定なのだ。
旧直義派が政権転覆を狙うなら絶好のタイミングである。備えあれば何とやらで、高一族だけでなく、外様武将の俺も同伴する事になった。元より花見をする関係で、道誉が同道予定だったのだ。
「尊氏様。本日は御目通り叶い、恐悦至極に存じます」
「うん。えっと……六角の方の氏頼だったな」
当世において氏頼の諱名を持つ者は、この俺以外にも複数存在している。亡き家長の次弟の斯波氏頼や能登国守護・吉見氏頼だ。
官位や通称の区別でそれなりに補えるにせよ、彼らのせいで紛らわしく思われた事も二度や三度ではない。もはや慣れの境地だ。
「は!足利将軍最初の烏帽子子の氏頼にございます!」
「分かった。分かった。本日は警護を宜しく頼むぞ。近江国守護も同伴となれば、直冬の手先が居たとて容易に暴れられまい。何か異変あらば、南近江の軍が直ぐに大挙するであろう事を恐れてな」
「畏れ多いお言葉、忝く存じます!」
相変わらず尊氏様の言葉を耳にすると頬の溶けるような感覚に襲われる。どんなアイスクリームより甘く麗しく感じられるのだ。
幕府の要人たちが西方寺に入る。説法の終、尊氏様は微笑を讃えながら花見をリードしていく。我が分家当主の道誉が婆娑羅大名らしく花の解説を義詮に施す一方、俺はまだまだ尊氏様に掛けられた言葉に浸っていた。こうした姿が、師直の目に止まったらしい。
「氏頼、ボサっとするな。何のための護衛だ?叩き出すぞ」
「ッ……師直殿。申し訳ござらぬ。尊氏様のお声がいつまでも耳に残っておりますもので……ああ、駄目と分かっていても思わず口元が緩んでしまう。尊氏様が居てくれら、それだけで満ち足りる」
「全く……帰れとまで言わぬから、少し頭を冷やして来い」
「……承知しました」
曇り空の中、俺は将軍執事・師直の指示によって尊氏様たちの列を離れ、警備の強化の名の元に寺の隅の方をあちこち見て回る。
頭を冷やすというより、胸の鼓動が高まるばかりだ。改元して擾乱が始まれば、程なくして師直も直義もこの世から居なくなる。
足利一門や我ら有力外様大名が源氏将軍の尊氏様を支える理想の世がやって来るのだ。どうして喜ばずに居られよう。更に言えば、改元は明日に迫っている。きっと公家たちは、新しい元号を決めようと夜中まで頭を悩ませるに違いない。実に御苦労な事である。
だが、実際に何という元号に改まるかは言うまでも無いだろう。
「兄様!ここに居られましたか!」
「定詮か。よく後から入れたな。して、何かあったか?」
「は……公家から聞き出す事ができました。やはり兄様は神です」
「ほう。というと?」
突拍子もない話に俺は首を捻った。次弟の定詮は時折、このようなテンションを垣間見せる事があるのだが、今日はいつもの比でない様子だ。異様に興奮している。西方寺の敷地の隅で助かった。
否、定詮自身、他の目がないと分かっているからこそ、今この場で伝えようとしているようだ。話を聞いて直ぐに得心がいった。
「三年前の事です。もう覚えておられぬかもしれませんが、兄様は観応の擾乱がどうと仰っていました。よりて定詮は何故に『荘子』の言葉がと不思議に思い、考えた末に得心しました。これは未来の元号に違いないと。そして今、定詮は歓喜しております。あるそうなのです!内々に公家たちが考えている新元号案に『観応』が」
「……ふむ」
そして翌朝の事である。貞和六年二月二十七日、公家たちの賛成多数によって新元号「観応」が決まり、詔書の作成が始まった。
いよいよ改元が成る。崇光天皇の元で、貞和六年から観応元年に世が改まった。擾乱の冠すべき元号が、世に示されたのである。
ここに内紛の舞台は整った。失脚で恨み骨髄の直義が、将軍執事の師直を滅ぼすのだ。では、佐々木惣領の俺はどうしたものか。
今更だろう。ひたすらに尊氏様の勝利を願い、突き進む以外にどうして道があるものか。それさえ守れば、全て安泰なのだから。