崇永記   作:三寸法師

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第拾玖章 恵源脱走
◆1


〜1〜

 

 

 観応元年(西暦1350年)三月二日、京でちょっとした出来事が起こった。このところ病を患っていた高僧・玄恵法印が息を引き取ったのである。

 この知らせを聞いて、幕府武将たちは直義(武衛禅門)の近況に良くも悪くも思いを馳せた。玄恵法印と言えば、今や法体で豚小屋で引き籠っている直義(武衛禅門)のため、師直(高武蔵守)に許可を得て訪問していた知識人なのだ。

 

 

──()君今日() ()我九原() 扶(レ)()() 被(レ)()()

 

 

「生前に玄恵法印がこの詩をねぇ。恵源(武衛禅門)公の歌の返事で」

 

 

「左様。この悲しみの詩を詠んで程なく、法印殿は逝ったのだ」

 

 

「ふーん」

 

 

 自宅に直義(武衛禅門)を預かっている幕府武将・細川顕氏(豚平焼き)何時(いつ)か振りに呼び止められ、何事と思った挙句がこれである。些か拍子抜けだ。

 無論、この詩に込められている蘊蓄(うんちく)は理解している。とはいえ、だからと言って心は動かない。玄恵法印の経歴が経歴だからだ。

 

 

「あまり故人にあれこれ言うのも憚られまするが、玄恵法印はどうも好きになれない方だった。百歩譲って、後醍醐の帝の元側近という肩書きに目を瞑るにしても、比叡山延暦寺の仕置きの件です」

 

 

氏頼(大夫判官)殿……まだ根に持っておられるのか」

 

 

「それはもう。あの者が余計な事を言い出さなければ、比叡山延暦寺は後醍醐の帝に協力した咎で、とうの昔に潰れておりました」

 

 

 返す返すも十三年前(西暦1337年)の金ヶ崎城陥落後の事である。当時、足利政権では確かに高一族や上杉氏を中心に、比叡山延暦寺を取り潰し、そのライバル的存在の園城寺(三井寺)の末寺に編入させるか、寺領を尽く没収して武士たちに再分配するかという議論が起こっていたのだ。

 そこへ現れたのが玄恵法印である。天台宗に属し、宋学に精通した識者として昔から知られていた。要は「参考人招致」である。

 しかし、玄恵法印の説いた説は、今振り返って考えても、荒唐無稽極まれりと言わざるを得ないものであった。例えば、日本国の起源を説明する際に珍説──かつて釈迦が仏になる前、いつか仏法を広める地を探して飛び回った際、大海の上で「一切衆生悉有仏性」という声を聞いて探してた場所こそ()()()から生まれた島・日本であって、いずれ仏法が東へ伝わる際の霊地になると定められたのだというもの──を持ち出したのである。最初に玄恵法印の説を聞いた時は、同じ事を皇室関係者の前で言ってみろと思ったものだ。

 言いくるめられた幕府武将たちは勿論、参考人として玄恵法印を呼んだ当時の師直(高武蔵守)師直(高武蔵守)だが、やはり腐れ有識者の弁には疑義を呈したくなる。無茶苦茶は他にもあるのだ。それも一つではない。

 

 

「しかも、比叡山が釈迦や薬師如来に選ばれた土地などと、後付けで言っているだけではないですか。桓武天皇が当地に都を遷しておられなければ、大山咋神が鎮座していると考えられて終わりだった筈です。なのに、玄恵法印はその後も最澄の奇譚を挙げ、更に本地垂迹説で日吉山王を褒めちぎり……そんなものより、尊氏様を祀り申し上げた方が良いに決まっているではありませぬか!顕氏(陸奥守)殿」

 

 

「ま、まぁ……あの日、玄恵法印殿が言いたかった事は、山徒たちに手を差し伸べ、その行いを水に流せば、いずれ山門が足利家の役に立つ日も来ようという事はないか?結局のところ……確かに本題に入るまで随分と長話をするものだと思ったが、それはそれよ」

 

 

「……天龍寺供養で山法師が騒いで面倒になった事をお忘れか?」

 

 

 これも今から数えて五年前になるだろうか。後醍醐天皇の怨霊化を防ぐという名目──要するに尊氏様の慈悲深き心の痼りを取り除くため──により、大勢の幕府武将が行列を成し、しかも天龍寺に光厳院行幸をという段取りで、大々的に供養をする事となった。

 そこへケチをつけてきたのが、比叡山延暦寺だ。かつて後醍醐軍に味方し、足利軍に犠牲を強いた事を忘れての無恥厚顔である。

 当初、室町幕府は山門の訴えを無視して供養を強行しようとしていたのだが、延暦寺が興福寺と連携する構えを見せたため、他ならぬ北朝政府が日和った。光厳院の決定で行幸が一日ズレたのだ。

 

 

「何より許し難いのは、山門が不遜にも夢窓国師(疎石)の流罪を訴えていた事です。この思いは貴方も同じ筈と考えていましたが、よもや勘違いだったとは。過日の玄恵法印の主張を理解しようとなさる」

 

 

「危機の時に役に立つやもという事よ……この顕氏(細川陸奥守)とて徒らに山門を擁護したい訳ではない。これでも足利一門きっての夢窓国師の弟子であるぞ?尊氏様にご紹介申し上げた日の事が昨日のようだ」

 

 

「役に立とうとしたところで、どうせその頃には燃えて──」

 

 

「ところで、氏頼(大夫判官)殿。ちと噂を小耳に挟んだのだが、近頃は延暦寺に納めるべき聖供米納入を怠っていると。いやはや大胆な事よ」

 

 

「その手の(イジ)りを貴殿に言われる筋合いは無い!」

 

 

 目をニヤつかせ、まさしく揶揄うような口振りの顕氏(豚平焼き)をピシャッと黙らせる。確かに本当の話なのだが、一体どこの誰のせいでその選択をする事になったか、よくよく考えて貰いたいものである。

 聖供米を納めなくなったのは三年前、細川顕氏(豚平焼き)と共に楠木軍征伐に臨んだ年からだ。楠木正行(まさつら)に敗れ、要らぬ連戦になった分の費用を賄いたいがために、聖供米滞納という仕儀に至ったのである。

 

 

「あの戦で私は三弟を失い、道誉(佐渡判官)殿の娘と子を成さざるを得なくなりました。尊氏公の婿にという長年の夢が完全に潰えたのです」

 

 

氏頼(大夫判官)殿、思うのだが……貴殿はどうも師直(将軍執事)派らしくない」

 

 

「はい?」

 

 

 一体何を言い出すのかと思い、まじまじと顕氏(豚平焼き)の顔を見詰める。

 もしや直義(武衛禅門)派に誘われているのでは無いか。今、顕氏(豚平焼き)は苛烈な(高武)(蔵守)の言葉責めに耐えつつ、屋敷内のあばら屋に直義(武衛禅門)の身柄を預かっている状態だ。背面服従と捲土重来の志を重ねて胸に秘めていても何ら可笑しくない。しかし、こうも()()()()とは思わなかった。

 視線が交差して暫く過ぎる。顕氏(豚平焼き)は目を瞑って首を横に振った。

 

 

「何でも無いわ……それより氏頼(大夫判官)殿。一つ師直(武蔵守)殿に話を通しておきたい事があるのだ。玄恵法印殿が死んで恵源(武衛禅門)様はいよいよ傷心しておられる。そこでだ。五十日忌にでも、追善詩歌を恵源(武衛禅門)様の勧進で編む事にしてはと思うのだ。文化的活動なれば、師直(武蔵守)殿も否とは言うまい。むしろ将軍などは乗り気になってくださると思うのよ」

 

 

「はぁ……好きにすれば良いのでは?」

 

 

 ここから一月以上経った観応元年(西暦1350年)四月下旬、直義(左兵衛督)もとい恵源(武衛禅門)が旗頭となって『玄恵追善詩歌』なるものが編纂される事になった。

 しかし、この間において、幕府関係者たちは決して心穏やかで居られた訳ではない。驚くべき情報が入ったのだ。義詮(時期将軍)に代わって関東で君臨している筈の光王(足利基氏)が、何と病に倒れたというのである。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 決して他人事ではない。関東で御年十一の光王(足利基氏)様が病に臥していると知った時、私は直ぐに千寿丸──勿論、今は氏頼(大夫判官)と名乗る夫ではなく、私の産んだ六角佐々木家の跡取り──の将来を慮った。

 しかし、今なお京に住む氏頼(六角廷尉)が同様に考えているとは思えない。

 全く近江国に下る気配が無いのである。私は再三、望月亜也子もとい甲賀三郎に尋ねた。まだ氏頼(六角廷尉)は京から戻る気が無いのかと。

 

 

「仮にこれから京で異変が起こるとしても、向こう数ヶ月間は小康状態の筈だよ。玄恵法印の死から百日が経つまでは、恵源(武衛禅門)公とその取り巻きたちも自重するに違いないからね。その間に一度、氏頼(廷尉)殿にお帰り願いたいと何枚文を送れば、分かってくれるんだ……」

 

 

「もう諦めなよ、魅摩。無駄だって」

 

 

「大乱で私の神力を使うなら分かるけどね。そうでないなら二人目を産む機会を頂戴しないと。私だって、いつ迄も若くないんだ」

 

 

 勿論、伊吹山の麓の百姓ではないのだから、農作業中に籠に入れた子を鷲に攫われて食べられるようなヘマはまず考えられない。

 とはいえ、良家の子であっても、幼少期に患ってそのままポックリと逝く場合は無くはないのだ。むしろ亡くなった将軍家子女の例を鑑みれば、佐々木一族の私たちの子でも油断は禁物と言える。

 

 

「こっそりお乳で神力を与えてるって前に言ってなかった?」

 

 

「それはそれ、これはこれだ!将軍の御子でも病になるんだから、私と氏頼(廷尉)殿の子が神力を宿してても、絶対の保証はない……氏頼(廷尉)殿がどうお考えか、非常に心許ないけどね……いや、むしろ何も考えていない可能性が高いだろうさ。きっと内乱で頭がいっぱいだ」

 

 

「魅摩が不安なのは分かったけどさ」

 

 

「……何さ。異論でもある訳?」

 

 

「正月の師冬(播磨守)様の送別で殿様がお越しの際に何も無かった時点で諦めるべきだと思う。変に具申して殿様の不興を買う方が嫌だよ」

 

 

「はァ」

 

 

 元諏訪神党の亜也子(望月甲賀三郎)が六角家臣団に投降して早十五年が経った。

 すっかり六角党に染まっている。良くも悪くもだ。六角党は殆どが今の亜也子(望月甲賀三郎)のような消極的な姿勢だ。早くから氏頼(六角廷尉)が鎌倉幕府の滅亡を予見して、北条氏の巻き添えを防いで見せた頃から、盲目的になっている。顕家軍に負けても正行(まさつら)軍に負けても盲従姿勢に変化が見られないのだからタチが悪い。足利党の方がまだまともだ。

 無論、私も気持ちは分からなくもない。馬鹿正直に氏頼(六角廷尉)の癇癪を喰らってやる義理はない。氏頼(六角廷尉)が京で私が近江国という遠距離だからこそ、こうして不満を漏らせるのだ。下手をすれば御陀仏だ。

 千寿丸(氏頼息)を授かっただけで儲け物と思わなければ()()()()()()()

 

 

「結局……このまま静観するしかないか。藪を突いて蛇を出したくないからね……いや、あいつの場合なら蛇より竜の方が適当か」

 

 

「魅摩?」

 

 

「無闇矢鱈と逆鱗に触れる事はないね。忘れていたよ。近江国から幕府の行く末を見守ろうや……ついでに今の氏頼(廷尉)殿の手腕もね」

 

 

 この時、私は幕府の内紛再発の気配に、どこか対岸の火事のような心構えで居た。異変があるとしたら京より西の範囲──例えば赤松氏の領国近辺──であり、それなら何だかんだで氏頼(廷尉)が延焼を防いでくれると思っていたのだ。東国勢の脅威も北近江には実家の京極佐々木家があり、美濃国は土岐氏が健在だから心配無用だと。

 しかし、後から考えれば、私の読みは甘過ぎた。京育ちの私でも掴みかねる程、事態は混迷を極めていく。何より困った事に氏頼(六角廷尉)の舵取りを計算するのは間違っていた。全く似なくて良いところで尊氏様を見習ってしまったのだ。その唯我独尊ぶりを情け容赦なく突き付けられるのは、今から一年と少しが経ってからの事となる。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 観応元年(西暦1350年)三月十二日、幕府武将たちが皆一斉に動揺した。弱り目に祟り目とでも言うべきか、尊氏様が病になったのだ。とはいえ、尊氏様の病はこれが初めてという訳でもない上に、お隠れには未だあまりにも早過ぎるので、俺自身そこまでの心配はしていない。

 しかし、師直(高武蔵守)たちにとっては必ずしもそうではないようだった。

 

 

師泰(越後守)直冬(左兵衛佐)征討をという矢先にこれだ……九日前から光王様が病と知り、将軍は気が動転された。病魔に突け込まれてしまった」

 

 

「……えらく間の悪い事で」

 

 

 実のところ、尊氏様が文書で働き掛けても、直冬(左兵衛佐)を討とうとする九州武士が大して現れないという事で、方針が変更されている。

 尤も、最大の理由は別だろう。北朝が既に改元してそれなりの月日が経ったというのに、直冬は未だ文書に旧元号の「貞和」を添え続けているのだ。ここまで露骨な敵対行為を見せられれば、室町幕府としても現地任せの遠回りな方法に終始する訳にはいかない。

 何なら今日にも師泰(高越後守)を大将として追討軍を送ろうという話になっていたのだ。しかし、将軍疾病となっては延期せざるを得ない。

 これでは幕府が祇園社に討伐成就を祈らせたという話も無駄でしかなかったように思える。因みに祇園社は比叡山の末端組織だ。

 

 

「ふ。()だけにか?……無論、態々そんな詰まらん洒落を聞くためにお前を呼んだ訳ではない。氏頼(大夫判官)、お前の方で宗教関係を洗え」

 

 

「疑っておられるのですね。恵源(武衛禅門)派の呪詛ではないかと」

 

 

「正確には直冬(左兵衛佐)に近かった木っ端武者たちだな。仮にも光王様は(御舎)殿(弟殿)の猶子だ。恵源(武衛禅門)派の中核の仕業とは流石に考え難い。弟殿(御舎弟殿)の性分なれば、無理やり猶子に捩じ込まれた光王様とて、真面目に尊重しようとすると分かる筈だからな。だが、それすら軽んじる者が恵源(武衛禅門)派の下っ端に居らぬとは言えまい。誰に呪詛を依頼したのやら」

 

 

 あまりに足利直冬(左兵衛佐)に好都合なシナリオとなっているので、さしもの合理主義者の師直(高武蔵守)も疑わずには居られなくなっているらしい。

 きっと既に関東執事の師冬(高播磨守)に事実関係を質している筈だ。向こうでも鶴岡八幡宮で快復祈願が行われているに違いない。もし光王の身に何かあれば、次期将軍・義詮(足利左馬頭)を京に呼び、光王を鎌倉に置くという師直(高武蔵守)の構想が破綻してしまうのだから、只事ではあるまい。

 師直(高武蔵守)が俺の顔をジロジロと見る。流石に居住まいが悪くなった。

 

 

「あの……これ以上、何もないなら退室してしまいますが」

 

 

「……いや、特に豪語しないのだなと思ってな」

 

 

「はい?」

 

 

「お前の事だ。もし何か先が見えていれば、軽々しく大丈夫と抜かしていただろう。だが、それが無い。何も無いのは良い知らせとも云うから、将軍の御身とは関係なさそうだが、光王様は別だろう?なれば、此方の方で何かしら東国の大事に備えなければならん」

 

 

「……」

 

 

 流石は将軍執事の師直(高武蔵守)と言うべきか、まずまず当たっている。

 とはいえ、光王については俺としても何とも形容し難い。まず間違いなく後の初代鎌倉公方・足利基氏だと思うのだが、まだ元服を済ませていないのだから、本当に光王が将来そのような諱名を用いるのか、確証が持てないのだ。もし仮に光王がこのまま逝って別の将軍庶子──直冬(左兵衛佐)と違って寺で大人しく過ごしている者──が新たに関東へ赴任し、「足利基氏」となっても辻褄は合うのだから。

 

 

「しかし、師冬(播磨守)は一体何をしているのやら。主君の健康管理も執事の大事な役目の一つだ。関東に赴任して早々、光王様が疾病してしまうとは義父として情けない限りだ……そうは思わんか?氏頼(大夫判官)

 

 

「どうでしょう……上杉氏との食い合わせも気になります」

 

 

憲顕(民部大輔)か。本格的に鎌倉で師冬(播磨守)と並び立つのは、確かに今までも無かったと言えば無かったな。だが、あの変わり者に何が出来よう。軍功で言えば間違いなく師冬(播磨守)の方が上だ。中先代以来ずっとな」

 

 

 前の師冬(高播磨守)と上杉憲顕(民部大輔)の併存期間では北畠親房や春日顕国という明確な外敵がおり、師冬(高播磨守)は専ら出征し、憲顕(民部大輔)もまた新田軍残党討伐で遠征する時間が長かったが、南朝の脅威がほぼ潰えた今は違う。

 果たして東国で両雄並び立つのか。全国の武士たちにとって関心の的の一つと言えよう。将軍執事の師直(高武蔵守)なら尚更であるようだ。

 観応元年(西暦1350年)三月中旬、高一族は九州の直冬(左兵衛佐)に刃を向ける準備に追われながら、関東という後背を気にして暫く動けそうになかった。

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