〜1〜
観応元年五月十六日、北野長者の菅原在登が殺された。享年七十九歳にして他殺に見舞われるとは、何とも不運な爺さんである。
しかし、同時に俺は白い目を在登の遺体に向けていた。理由は生前の在登の言動だ。観応改元に繰り返し文句を言っていたのだ。
無論、観応という年号が不吉という抗弁も、擾乱に発展する事を思えば確かに当たっているのだが、繰り返しというのは問題だ。
「全く……当代の菅原氏がこれでは道真公も浮かばれまい。諫言というのは馬鹿正直に申し上げるだけでは君主の威厳を徒らに損ねるだけなのだ。巧みに言葉を選び抜き、無駄だと分かれば潔く持論を引っ込めるだけの器用さ無くして、どうして無事で居られよう」
「ほう。氏頼殿、よく分かっておられるようだ」
「師世殿……何故ここに?」
これでも俺は検非違使としての仕事の最中だ。下っ端の運んだ死体の確認も武士なので朝飯前である。しかし、師世は何なのか。
師直が将軍執事を罷免されていた間、一時的にその職を預かっていた過去はあれど、検非違使でも何でもない。しかも、侍所頭人でもないので、仁木頼章と違って首を突っ込んで来る義理も無い。
強いて言うなら将軍執事・師直の代理として菅宰相殺害事件の事実確認をするという線が考えられるが、それなら甥の師世より実子の師夏が顔を出す筈だ。俺としても若年の師夏の方がやり易い。
「偶々近くを通ったから野次馬よ。それより氏頼殿。一体どうして菅原在登ほどの人物が殺された?検非違使は如何にお考えか?」
「……犯人の名は我護丸。普段は寛尊法親王に仕えており、怪力の稚児であるとか。今はその親王の扱いで北朝上層部に問い合わせているところ故、何とも……寛尊法親王は平素、大覚寺殿と呼ばれるように亡き亀山院の子。厄介な事にならない事を願うばかりぞ」
亀山院と言えば大覚寺統の祖として著名である。今の京を席巻しているのはその対抗勢力・持明院統なれど、決して大覚寺統の出身者が皆無という訳ではない。むしろ大覚寺統の本流こそ在京だ。
というのも、仮にも南朝は大覚寺統の政権とはいえ、後醍醐天皇が傍流だったため、むしろ大覚寺統では我が子可愛さで両統迭立の論理を破壊した厄介者と見る者も少なからず存在していたのだ。
お陰で二年前の新帝践祚時は、後醍醐天皇の甥・邦省親王が時勢を読まずに両統迭立を遵守せよと我が儘を言い出したものだから、直義の反感を汲んで、今は亡き重能が黙らせる事になったのだ。
「クク……氏頼殿、それだけか?」
「……他に何か?」
「道誉殿の本家の当主なれば、もう察しているかと思っていたが」
「ッ……」
挑発的な師世の物言いに眉を顰める。ここまで来て察しの付かない者は居るまい。十中八九、師世かその父・師泰が殺害事件に関与していると見て間違いないだろう。何しろ師泰は先年、菅宰相の手の者と揉めた経験があるのだ。しかも、師泰は当代屈指の婆娑羅武将である。かつての遺恨を未だ根に持って、北野長者・菅原在登に他所の稚児を使って報復したとしても、何ら可笑しくないのだ。
犯人が現場に戻るという馬鹿げた論も、師泰・師世父子ならいけしゃあしゃあと実践しかねない。その事は俺も重々承知である。
「師世殿。あまり……貴殿たちを疑いたくないのだが」
「疑う?……ああ、父上が東山の枝橋に山荘を建てようとしたら、菅原卿の領地だったという事があったなァ。それで父上が人を遣って問い合わせてみたら、先祖伝来の墓があると土地を惜しんで言い訳を並べ立てられたのよ。そんな舐めた真似をされちゃあ、黙ってられねェわな。父上は数多の人夫どもを東山の方に差し向けた」
「……挙句、墓を全て掘って捨てさせたんだってな。山ごと崩し、伐採までして土地を裸にしたと。苔の蒸した屍や薄汚れた墓標が野晒しになっていたと聞いたぞ。全く良くぞ其処までしたものよ」
「ああ。て訳で、俺らとしちゃ因縁はもう晴れてんだ。氏頼殿」
「……」
如何にも師世は余裕な素振りだ。聞いたところでは菅原在登は確か師泰の土地貸与請求に概ね応じていた筈だ。一応、先祖伝来の墓や五輪塔があるので、墓標はそちらで移しておいて欲しいと在登が要望した途端、師泰が怒り出して暴挙に出たという話であった。
ナチュラルに話を盛っている様子から察するに、どうやら本当に師泰が殺害事件に関わっているらしい。しかし、俺としても同じ幕臣として忖度せざるを得ない。それを見抜いての師世の戯れだ。
「一応、俺の方から師直殿のお耳に入れておく。大事にする気は毛頭ないが、今後のためにだ。師世殿も、それなら異存無かろう?」
「ああ。了解だ」
「……大覚寺統の坊主の稚児を嗾けた手腕だけは関心致す」
「はて、何の事やら」
「ほとほと……文道の太祖と呼ばれし学者に有るまじき最期よ」
結局、北野長者・菅原在登──ついでに、その子・在弘や家人の武士一名──が犠牲となった殺害事件は結局、下手人の吾護丸の裏に込み入った事情がありながら、遺族たちも泣き寝入りせざるを得ないものとなった。無実の怪死事件として処理されたのである。
後から聞いた話によれば、遺された嫡男・在淳が秋になって元太政大臣の洞院公賢の元を訪れ、この事件の実態を語ったらしい。
〜2〜
因果関係は定かではないが、北野長者・菅原在登の事件で世間が不安を覚えてから一週間ほど経った頃より地震が頻発し始めた。
二十三日の大地震を皮切りに二十五日、二十九日と続いたのだ。
「うわ、まただ。もう六月十日だぞ」
「月を跨いでも地震とは……兄様」
「ああ、定詮。陰陽寮の者たちも忙しくなろうな」
六月十日や十一日にも地震が発生し、陰陽寮は遂に決心した。
見方次第では政権批判と見做されかねない奏上を行った。曰く、国土は飢饉や旱魃の災難に遭っており、戦乱で死体が積み重なっているので、重臣共々慎み深く振る舞わなければならないそうだ。
「下らん事を。全て直冬の我が儘のせいではないか」
「あーあ。恵源の野郎が依怙贔屓してなければな」
「師直殿や師泰殿の申される通り……思うに公家衆は自分たちの無能を棚に上げ、我ら婆娑羅大名に責任転嫁する気でしょうなァ」
「何と。それは聞き捨てならんな。氏頼、きつく牽制しておけ」
「……はぁ」
無論、陰陽寮の奏上程度で動揺する婆娑羅大名──高兄弟や道誉及びその縁者たち──ではない。相変わらず世を謳歌していた。
こうした矢先、驚くべき情報が入った。六月中旬に入り、遂に本州でも直冬の協賛者が現れたのだ。石見国の国人・三隅兼連が蜂起したという。しかし、我ら幕臣は当初、急報に首を傾げていた。
「み、三隅……聞いた事あるような?ないような?」
「石見国なら南朝の武将ではないか?氏頼殿」
「確かに……思い出したぞ、頼之殿。かつて後醍醐の帝が船上山に拠った際、塩冶殿たちの参集を聞いて西国諸国の武将が便乗した。石見国では武田氏の庶流の他に、沢一族や三隅氏がそうだった」
集めた情報によれば、三隅氏は石見国の益田氏という地元武士の庶流らしい。これだけなら普通にショボそうにも見える。しかし、幕府は意外にも即時対応を決めた。将軍の怒りの強さのためだ。
そうなれば、師直も従う他ない。侮りたい気持ちを抑え、確実に三隅氏を討てる武将を選ばなければならない。とはいえ、幕府武将は依然として層が厚い。師直派に限定しても同じ事が言えよう。
しかし、蓋を開けてみると師直の人選は意表を突くものだった。
「師泰殿を向かわせるのですか!?」
「何を驚いている?まさか大将にお前を指名すると思ったか?」
「……態々お部屋に呼ぶものですから、私か道誉殿かと」
「ふ。お前は京に居て貰わなければ困る。道誉殿は出雲国守護であるから確かに適当そうだが、これも京に居て兼好法師の代わりに朝廷との交渉に従事させる必要があろう?翻って師泰はどうだ?」
「成る程……先の菅宰相殺害事件を気にして」
どうやら師直も師直なりに思うところがあったらしい。菅原在登の殺害に弟・師泰が暗躍した挙句、菅原道真の祟りか何かかはっきりしないものの、人々が怯えた末に地震まで起こってしまった。
きっと身内で話を留めるにせよ、師泰に禊ぎは行わせようという事だろう。無論、三隅氏のような地元武将など、歴戦の師泰の相手になる筈がないので、禊ぎにもならないだろうから、形だけだ。
速やかに得心した俺に対し、師直はジッと視線を寄越して言う。
「どう受け止めるかは勝手だが、これだけは言っておこう。将軍は仰せだった。三隅氏の如き元南朝武将が直冬に与して石見国に地盤を作ると厄介だと。便乗する者があっという間に続出しかねん」
「そこまで……」
思った以上に尊氏様は九州で勝手放題の足利直冬という看板を警戒しているようだ。無理もない。いつの間にやら九州は北朝や南朝に加え、「佐殿方」なる贅沢な名前の勢力が跋扈し、あたかも三国鼎立のような情勢らしい。この勢いが本州に波及しては厄介だ。
その先駆けとなりかねない三隅氏を可及的速やかに討滅しなければならない。確かに頷ける発想だ。流石は尊氏様の見識である。
しかし、師直は尚も俺の方をジッと見ていた。正直気持ち悪い。
「お前の様子を見ると未だ耳に届いていないようだな」
「はい?」
「くれぐれも他に漏らすな……少弐頼尚に謀叛の疑いがある」
「……え゛」
俄かに信じられない情報で、俺は思わず耳を疑う。少弐頼尚こそ今の九州探題の主力筆頭武将の筈だ。その存在感は六波羅探題時代の我が先代・六角時信の比ではないだろう。実績が遥かに違う。
何なら全国を見渡しても少弐頼尚はトップクラスの武将である。
名将・赤松円心の亡き今、外様武将では少弐頼尚こそ直冬対策において最も頼りになるべき存在だ。その主力が欠けては本当に洒落にならない。しかし、師直は微動だにせず淡々と凶報を告げる。
「まだ判然としないが……直冬は最近、妻を娶ったらしい」
「……まさか」
「その妻とやらが、少弐頼尚の娘ではないかという事だ」
観応元年六月中旬、事態は確実に師直派にとって不利な方に傾きつつある。もし少弐頼尚が本当に直冬に味方すれば、九州事情は三者鼎立では済まなくなるかもしれない。中国地方の三隅氏の成長次第では本州にも火種が飛び、全国規模に発展する可能性がある。
最悪の可能性を如実に叩きつけられ、幕府は本腰を上げ始めた。
十五日、尊氏様が直々に謂わゆる御教書を作成した。直冬以下の「凶徒」を退治するべく、師泰を大将に据えて派兵すると布告し、小早川氏をはじめとする中国武士たちに同心を命じたのである。
〜3〜
師泰の出征が公にされた今でも、少弐頼尚が娘を直冬に嫁がせたという怪情報は、ごく一部の幕臣のみにしか知らされていない。
あまりにも周囲に与え得る影響が大き過ぎるからである。ただでさえ直冬が不遜にも尊氏様に倣って九州から反撃しようと画策しているというだけで落ち着かない者も居るのに、更に北九州最強の少弐頼尚が寝返ったとなれば、近国の誰が続くか分からないのだ。
取り敢えず師泰が石見国の三隅氏を討ち、中国地方の諸大名を纏め上げるまで、伏せられる見込みであるというのが道誉の弁だ。
「少弐頼尚……あれを失えば、九州探題は翼をもぎ取られた鳥のようなものだ。一色父子の力を以てしても、長門国に落ち延びるか城の一つを死守するかで手一杯になってしまうだろう。いっそ恵源が人心を惑わすために流した虚報であれば、どんなに良い事やら」
「宗家。もし弟殿の仕業なれば、それは失策と紙一重ですぞ」
「は?どういう……安心召されよ。本当に恵源の仕業とは全く微塵も考えておらん。それなら伏せる云々の前に話が広まっている」
「いえ、そうではなく……直冬が本当に少弐氏の女と婚儀を交わしたのなら、ある程度は良策と言えましょう。九州探題打倒に向けてそれなりに効果が見込めます故。一方、弟殿にとって直冬の嫁取りは必ずしも吉兆とは申せませまい。たとえ虚報であってもです」
「……そういう話か」
そもそも何故に直義が失脚する事になったかと言えば、かねてより直冬を過剰に推し上げるような言動が目立っていたため、師直に反撃の隙を見せたからだ。己が猶子でもある直冬に入れ込み過ぎて正当な将軍家の後継者・義詮を蔑ろにするつもりではないかと。
義詮を推し上げるという大義名分を得て、師直は大勢の幕臣の賛同を受け、水を得た魚のように復活を遂げる事が出来た。方や直義はどうだろうか。猶子の直冬だけでなく、実子の如意丸も居る。
この数年の間に直義はすっかり将軍家の嫡流を脅かし得る存在に成り果ててしまった。もはや挽回の手は開き直りしかあるまい。
とはいえ、根っからの真面目気質の直義には無茶な注文だろう。
「恵源がいずれ巻き返しを図る場合、足利直冬の武力の後押しが欠かせない。しかしながら、頼みの綱の直冬が、有力武将・少弐頼尚の娘婿に収まってしまった以上、事情は変わる。佐殿を名乗りし直冬の舅とは……北条時政の再来に他ならず、諸将の警戒の種だ」
「……たとえ直冬が頼朝公の再来になり得るにせよ、少弐頼尚という余計なオマケがありますと……皆、立ち止まって考えざるを得ないでしょうなァ。弟殿や直冬に協力した末が、少弐頼尚の牛耳る天下では何の意味もございますまい。下手をすれば、比企能員公や畠山重忠公の二の舞になってしまう……弟殿としても、もはや直冬を頼りに復活する夢は見られないでしょう。要するに詰みました」
関東すら現在、実績豊富な師冬が抑えに戻っているため、直義派逆襲の足掛かりとするには厳しいのだ。この上、九州まで先々の政治力学の都合で安易に頼れないとなると確かに詰みと言えよう。
実際この先どうなるかは置くとしても、幕府首脳部が未だ直義派をオワコンと捉えているのは道誉の口振りからも明らかだった。
「直冬としても御所巻後まだ恵源が在職している頃に鞆の浦で危ない目に遭った。もはや前ほど義父・恵源を信用しているのか怪しいところ……なれば二人は完全に別勢力と見て良いかもしれぬか」
「弟殿との決別だけではありませぬぞ。あるいは少弐氏との縁組のために直冬は天下を失ったと言える可能性も。先程、ある程度は良策と申したのはそのためです。今後の師直殿の剛腕次第ですが」
「?……縁組そのものは打倒九州探題に有効でも、後が続かぬか」
聞いたところでは直冬軍は確かに少弐頼尚に攻撃されそうになっていたらしい。だからこそ、直冬が本当に少弐頼尚の娘を娶ったのだとすれば、ウルトラCのような驚くべき対応策と言えたのだ。
九州探題から主力も主力の少弐氏を引き抜く形になるのだから、勢力バランスが一気に変わって当然である。それこそ瞬く間に本州上陸や上洛を現実的な青写真として視野に入れる事も出来よう。
しかし、あくまでインパクトの強さが際立っただけで、所詮は場当たり的な対処に過ぎなかったのではないか。そう道誉は言いたいらしい。天下一の策謀家を自負する分、視座が一味違っていた。
「は。少弐氏を警戒するのは何も本州の武将たちに限りますまい。かねてより直冬を支援していた者どもは元敵将の思わぬ栄達の期待なぞ面白くない筈です。直冬は却って足元が覚束なくなるやも」
「……そこを師直殿が擽ぐると」
完璧執事・高師直は相変わらずの剛腕だ。本気になれば、遠方の九州でも調略で対抗勢力の結束に亀裂を入れるのは容易かろう。
実際、直冬はこの頃から九州での思わぬ足踏みに数年を費やす事になった。結論から言えば、直冬の本州上陸は、北朝で更に元号が変わった頃に起こる。しかも、上陸よりか脱出と言って然るべき惨めなものとなった。ただ、やはりこれはまだまだ先の話である。
意外な足踏みをする者は、直冬だけの話ではなかった。北朝指折りの名将の師泰もまた中国地方で不本意な足踏みを強いられる。
長門国など三ヶ国の守護職を兼ね、院宣・錦の御旗まで携えておきながら、石見国の地元武将たちすら突破できずに終わるのだ。