〜1〜
観応元年七月初旬、佐々木惣領の俺は、美濃国における反乱の情報を聞き付け、首を傾げた。近江国守護として隣国・美濃国の情勢はそれなりに気に掛けてきたのだが、あまりにも急な話である。
とはいえ、土岐周靖とやらの謀反で誰よりも動揺したのは案の定というべきか、次期将軍の義詮であった。ただでさえ近頃の九州における将軍庶子・足利直冬の勢い──三隅氏のせいで、中国地方にも侵食し始めているため、存外馬鹿にならない──に戦々恐々としているようなのだ。今度は京に比較的近い美濃国で想定外の反乱が起こってしまったという事で、かなり身構えている様子だった。
「確かに一大事なのは間違いありませぬ。されど、義詮様のような次代の総帥たる御方、毅然と構えて頂かねば。臣下の不安を徒らに煽る結果となり、逆効果です。慌てふためくのは心の内だけで」
「そうは言っても!……どうも不気味だ。我には何か黒幕が居るのではないかと感じるのだ。直冬か誰か分からぬが、こう……昔日の家長のような辣腕の持ち主が、ここ近日の戦乱の裏で暗躍しているのではあるまいか?それこそ叔父上が……考え過ぎか?氏頼殿」
不安に駆られ、義詮はいっぱいいっぱいと見える。上洛して以降は直義の業務を引き継ぎ、師直たちの手を借りながら体当たりで熟している分、反動で否が応でも鬱憤が溜まりつつあるのだろう。
まして直冬の脅威が失せるどころか、復活して増す一方なのだ。
成る程、義詮の不安も一考の余地はあるかもしれない。しかし、誰かが糸を引いてる線を警戒するにせよ、直義は現時点で無いように思うのだ。そもそも直義はかつて土岐頼遠の狼藉事件で武家において唯一と言って良い程、処刑に前のめりになっていた人物だ。
謀反人の周靖どころか、土岐氏現当主の頼康さえ直義に良い印象を持っている筈がない。口車に乗せられて幕府に弓引くなど考えられないだろう。とはいえ、ここまで明け透けに言っては、土岐一族が以前から北朝政府にとって必ずしも快い存在ではないと暗に貶すような形になってしまうため、俺は慎重に言葉を選んで告げる。
「本当に恵源公が暗躍しているのであれば、もっと手順を踏んでいる筈です。九州、山陰と来て次は美濃国というのは、段階を飛ばし過ぎかと……昨年末の越前国を含めるなら、その限りではないかもしれませんが、だとしても恵源公にしては……粗が目立ちます」
「確かに叔父上が噛んでれば、重能たちを犬死にさせはしまいか」
「その通りです。いずれにせよ、我ら臣下ならまだしも、義詮様ほどの御方が妄りに邪推しては、下々が振り回されます。お疑いをお持ちなら、私か道誉殿に内々のお尋ねを。義詮様の疑問を一旦晴らしつつ、引き継いで対策を講じます。これなら安心でしょう?」
「おお、確かに一理ある。よし、氏頼殿の申される通りにしよう」
「……勿体なき御言葉」
どうも軽いタイプの若き君主だと思いつつ、俺は心の内で続けて考えを纏める。先程の義詮の言うように暗躍している者が居るとするならば、直義ではなく一体何者なのか。きっと南朝の誰かだ。
仮に一連の反乱が誰ぞの戦略の現れとして、無駄にスケールが大きい事から考えてみるに、黒幕は北畠親房だろうか。ずっと南朝派であった三隅兼連が、藪から棒に第三勢力の直冬軍に乗り換えたのも親房の密命のせいと考えると納得できよう。その次に美濃国の土岐氏を狙う姑息さも同様である。ただ、考え方自体は悪くない。
土岐氏は師直派の外様大名として、近江国の我が佐々木一族や信濃国の小笠原氏と共に、一種のベルトを形成していきた。そうした強大な基盤の真ん中に楔を打ち込むという発想は、むしろ鮮烈とさえ言えよう。関東で師冬と鎬を削った親房なら思い浮かぶ筈だ。
しかし、惜しむらくは粗さが拭えない事だ。鎮圧の青写真が直ぐに描けてしまうような反乱では意味がない。もし俺が──絶対に有り得ない仮定だが──南朝軍なら、捲土重来のために足利氏の天下を乱す方針を採るにせよ、四国への介入策をワンクッション置いただろう。尤も、戦略の粗さこそ、却って北畠親房ないし南朝らしさと言える。顕家も春日顕国も楠木正行も死んで、南朝はいよいよ深刻な人材難に陥った。強いて言うなら楠木正儀が精々だろうか。
「義詮様。どうか安心して過ごされませ。美濃国は肥沃な土地で、敵方に落ちると確かに厄介ですが、まだまだこれから。頼康殿は実績こそ脇屋軍戦があった位ながらも、知勇兼備の良将です。これに東西から私や小笠原軍が援軍に参れば、忽ち鎮圧できましょう」
「小笠原か……信州武士たちも動かさねばならぬか?」
「……何か御懸念の点が?ああ、成る程。諏訪氏が再び南朝にと懸念しておいでですか。確かに、その可能性は考える必要が──」
「いや、諏訪氏というより……何でも土岐周靖は昔、信濃国に出征した事があり、顔馴染みが居る疑いがあると。師直がそう道誉殿と相談しているのが聞こえたのだ……氏頼殿は如何に思われる?」
「……」
そう言えば、土岐氏の者で頼遠の死後、尊氏様の命で信濃国に遠征した武将が居たような気がする。土岐周崔として認識していたのだが、それこそ件の謀反人・土岐周靖だったらしい。とはいえ、義詮からの又聞きという形なので、俄かに信じ難いのも確かだ。
と同時に俺は思った。頼康なら佐々木惣領の俺や小笠原氏現当主の政長が態々出張らずとも、身内の反乱を見事鎮圧するに違いないと考えられる。だが、師直はそれで収まらない展開を危惧しているらしい。確かに周靖が信濃国の誰ぞを引き入れれば少し面倒だ。
「信濃国の抑えは改めて政長殿に再強化を命じれば、そう容易く脅威にならぬかと。ただ、鎮圧は急いだ方が良いかもしれません」
「……おお!やはりそうか!」
どこか義詮が喜色ばんでいる様子だ。俺は訝しんで尋ねてみる。
実際、あり得なくもない話なのだ。将軍庶子の直冬が九州でめきめき軍事的才覚を示す一方、嫡男の義詮が朝廷の相手ばかりというのでは、武家として些か外聞に差し障るかもしれないのだから。
「もしや……諸将を率い、出陣したいとお考えで?」
「うむ!幼い頃の鎌倉北条氏討伐など出陣したと申せまい。あの頃の記憶はあやふやなのだ。実質的には新田義貞が総大将であった事は周知の事実であろう?顕家軍が義興たちと攻めて参った時も我は言うだけ言って家長に任せきりになってしまった。此度、美濃国に皆と出征すれば、それこそ正真正銘の我が初陣と言えようぞ!」
「……成る程」
決して否とは言えない。観応の擾乱が本格的に勃発する前に義詮の実戦経験の機会を作る手は、確かに考えてみるべきだ。何だかんだ十年以内だったか。遅かれ早かれ尊氏様は亡くなり、義詮が二代将軍として君臨する事になる。その際に南朝が旧直義派残党の力を借りてどれだけ息を吹き返しているのか知らないが、戦の何たるかを知らない二代目の介護をしながら働くのは、骨が折れそうだ。
たとえ義詮本人の才能が中途半端でも、後の徳川秀忠のように実体験が有れば、幕臣たちも補佐しやすいというものに違いない。
とはいえ、その前に確認しておくべき事柄がある。他ならぬ尊氏様の同意を得ずに次期将軍の義詮を戦地に伴う訳にはいくまい。
「義詮様。確かに此度の件、初陣を飾るに手頃な機会と言えるかもしれません。ただ、将軍は如何にお考えでしょう?もしや経験を積ませたい旨を仰せになっておられたため、義詮様もその気に?」
「いや、全く……重茂曰く、御自ら地蔵菩薩の絵を描いているらしいのだが、我は分からん。父上のお考えは掴みどころが無い」
「……平常運転ですか。将軍は流石でいらっしゃる」
「氏頼殿。先程お主は総帥たる者、毅然と構えるべしと説いたが、父上の様子は毅然というより、まるで他人事だ。我には到底真似出来そうにない。この我が誰より危機感を持っているところを見せ、幕臣皆に必死になって働いて貰わねば、回らぬように思うのだ」
「現段階で将軍御自ら動く事は無いでしょう……幕府で最も偉い御方が軽々に動いてしまえば、反乱頻発で足利政権が根底から揺らいでいるという誤解を世間に与え、どツボに嵌りかねませぬので」
「……では、我も動いてはならんか?」
「いえ、義詮様はまだお若い。仮に今、出征したとして、初陣の経験を積むためのものと世の理解も得られましょう。そう大事にはならぬかと存じます。無論、失敗しては九州の直冬と比べて誹謗中傷される事も充分に考えられますから、出るからには必勝のおつもりで掛かりませんと。その前提で、今から陣立の提案を致します」
無論、今の義詮に提案したところで、そのまま尊氏様や師直の認可が降りると本気で思っている訳ではない。ただ一つだけ通しておきたい点があるのだ。この件で京極道誉に手柄を立てさせまじ。
美濃国での反乱なのだから、北近江の道誉はまず出番がやって来るだろう。場合によっては、近江国守護の俺が前線で十八番の武力を振るう暇も無く、道誉が策謀で速やかに終わらせてしまう可能性もある。次期将軍の義詮の前で道誉ばかりに得をさせたくない。
幸い、今は中国地方が不穏であるため、道誉は守護国の出雲国に多少のリソースを費やさなければならない情勢だ。これを方便として用いれば、義詮の初陣で庶流の京極家が嫡流の俺より目立つ展開は避けられよう。陣立というスケールで提案すれば、木を隠すなら何とやらで我が本音を隠しつつ、佐々木惣領として主張できる。
一方、そんな俺の胸三寸も知らず、義詮は只々呆気に取られた様子だった。凡庸を自称するだけあって、妙なところで感激する。
「何と。この僅かな間に陣立まで考えるとは」
「……お話して構いませんでしょうか?」
「一向に構わぬ!むしろ、そうした必勝の策が聞きたかった!」
「は。では──」
「拙者抜きで面白い話をしておりますな」
「「!?」」
老いて戦場で必要な体力・膂力が衰えた代わりに、往年より研ぎ澄まされた技術を有しているのが、完璧執事こと高師直である。
この俺がプレゼンテーションをしようとした矢先に、義詮の居室に踏み込んで来た。その間の悪さは必ずや故意であろう。俺が何を吹き込むか見ていたらしい。しかも、巧妙に気配を誤魔化して。
「誰かが聞き耳を立てていると悟っていると分かっても、この俺とは分からなかったようだな?氏頼。荒武者の真似事ばかりで本来の持ち味を忘れたか?そんな体たらくだから、正行に負けるのよ」
「……師直殿」
「おお、師直!ちょうど今、氏頼が進言してくれるところだ!」
「義詮様……それをこの師直が聞けと?」
「あ、いや……折角だから聞いてみてはどうだ?」
「良いでしょう。義詮様が御出陣なら、この師直も同道して戦のいろはを教えて進ぜようと思っていたところでした。参考にすると断言する訳には参りませぬが、聞くだけ聞いてみましょう。六角殿、さぁ遠慮は要らぬ。申されてみよ。貴殿の理想の陣立とやらを」
「……!」
一体どういうつもりか知らないが、師直は次期将軍の義詮を立てつつも自ら美濃国の内乱鎮圧に乗り出す気らしい。土岐氏という自身の支持基盤の中核を立て直すためにも、他の者には任せられないという判断なのか。これでは俺の差し挟む余地など見込めない。
しかし、言い出してしまったものは仕方ない。取り敢えず披露するだけ披露しよう。それが反映されるか否かは出たとこ勝負だ。
〜2〜
観応元年七月下旬、美濃国の反乱が思ったより拡大している。
佐々木惣領夫人の私としても強ち他人事とは言えない。この近江国に反乱の渦が波及せんとしているのだ。当代の土岐氏当主の頼康が手緩いというより、謀反人・土岐周靖の勢いが尋常ではない。
近江国への侵入は避けたいという事で、幕府軍の本隊に先んじて親父が手勢を率いて国境警備の任に当たる方針になったらしい。
二十六日夜に京を出たらしく、翌日になって佐々木荘に現れた。
「魅摩。残念だが、今日はあまり長居する訳に参らぬ。既に秀綱たちが向こうで出兵準備を整えてくれているが、どうも事態は予断を許さないらしくてね。相当な兵書読みが反乱軍に潜んでいる可能性がある。予め拙僧が北近江で目を光らせておく必要があるんだ」
「……じゃあ早く行けば?」
「その前に……おお、千寿丸!祖父が参ったぞ!息災か?」
「〜〜〜!」
「……ついこの間も来たばかりだろうが」
昔の私と親父のような頬ずりが目の前で行われる。居合わせているのが女衆だけで助かった。もし六角党の男たちが此処に居たら目を釣り上げていたに違いない。私としても親父が千寿丸を出世の道具に用いるのではないかと疑わざるを得ず、気が気で無かった。
そんな時間も今日は親父の宣言通りに早く終わり、私は居室で溜め息を吐いた。千寿丸を乳母に預け、亜也子の前で愚痴を溢す。
「何が兵書読みだ。大方、義詮様と高師直の連帯の威力を示す仕込みで反乱軍がそこそこ強いように見せ掛けているだけだろうさ」
「え?そうなの?」
「直冬軍が本格的に上洛する前に頼遠死後の土岐家の膿を徹底的に洗い出しておく狙いもありそうだけどね。どうあれ、現当主の頼康がこんなに手間取るなんて普通じゃないよ。昔、京で見た事があったけど、如才なさそうな風格だった。氏頼殿や頼遠程の癖は無くても真っ当に良い仕事をする武将の筈だよ。なのにこの有り様だ」
かねてより耳にしていた評判から考えて、土岐頼康の才知はかつての足利一門の有望株・渋川義季をも上回るだろう。実際、この後の頼康はめきめきと軍功を積み重ね、親父の死後は紛れもない外様筆頭武将として天下に名乗りを上げる事になる。それどころか公家の母親を妾にした縁で、北朝内部の皇統争いにも参画していく。
閑話休題。この時の私は、そんな遥かに遠い先の出来事など知る由もなく──神力があっても氏頼や噂の亡き諏訪頼重のような未来予知は、私にとっては専門外──ひたすら親父や幕府の動きを注視していた。何としても私と千寿丸に危害が及ぶ事の無いように。
「魅摩。遅かれ早かれ殿様も出陣するんだよね?」
「そうだね……今や師直は老将だ。戦場で万が一、武力勝負になった際に土岐氏の猛将に対抗できる存在が不可欠な筈だ。そう考えると氏頼殿は適任だ。どうせ本陣に詰める事になるだろうけどさ」
七月二十八日、義詮が将軍執事の師直たちを伴って美濃国の反乱を鎮めるべく数百騎で京を出た。近江国で六角軍と合流して充分な兵力を蓄えた後、美濃国に入って周靖追討を行う予定らしい。
奇しくも同日、親父の軍が反乱軍と交戦した。土岐周靖が美濃国から近江国に乱入しようとしたのである。何だかんだ言っても父娘の間柄だ。無事の撃退報告に安堵し、次の吉報を待つ事にした。