〜1〜
観応元年七月二十八日、義詮たちが美濃国遠征を掲げて東山道を進んだ。道中で赤松勢などの諸大名の軍勢を加えながら、遂に南近江で我が六角軍と合流したのである。これにより、京の出発時は五百騎以下の義詮軍の兵力が、一気に幕府軍らしく膨れ上がった。
後の古典『太平記』では土岐周靖討伐軍の数について三万余騎と記述が残る。十二年前に顕家軍を黒血川で迎え討った際の五万余騎には及ばないものの、土岐周靖という謀反人をそれなりに警戒していた証と言えよう。仮にも故頼遠の兄弟なのだ。どれ程の武勇を有していたとしても不思議ではない。師直もその点は重々承知だ。
「氏頼。此度の戦、義詮様が上将で俺は副将軍だ。だが、個の武勇では我が郎党の安保や赤松家の則祐以上にお前を頼りにしておる。故に本陣で万一に備えろ。露払いは京極軍が軽く務めれば良い」
「……は」
結局、先日の俺の提案は殆ど通る事がなく、道誉が北近江に先乗りして美濃国の反乱軍の動きを警戒する事になった。俺は本陣に押し込められるという事で、謀反人・土岐周靖が躍起になって襲撃を企てない限り、軍功の機会は無さそうだ。遺憾砲を飛ばしたいところだが、師直の言葉に真正面から食って掛かる訳にもいかない。
よって、俺は大人しく本陣で義詮と師直のやり取りに立ち会うしか無かった。師直と直義が共倒れになり次第、幕府最強武将の座は何が何でも我が手にと思いながら、やり過ごす。いい加減、内治の拡充に徹するにも限界がある。恩賞として新たな利権が欲しい。
とはいえ、もう暫くの辛抱だ。半済令が出れば思いの儘だろう。
「申し上げます!土岐周靖の反乱軍、国境を越えて近江国に侵入しようとするも京極勢によって追い返された模様にございます!」
「……だそうにございます、義詮様」
「うむ……師直、これで勝ったか?」
鼻息を荒くして急く様は、次期将軍というより博奕打ちのそれにしか見えない。無駄に焦ってサイコロの目を確認しようとする俗っぽいタイプである。振ってしまった以上、何も変わらないのに。
どうやら想像以上に義詮は凡庸だ。暗愚とまで言わないのは当世に双六狂が殊の外に多く、俗人がゴロゴロ転がっているからだ。
「落ち着かれませ、義詮様。不破関の辺りで反乱軍を追い返したと申しても、道誉殿が得意の詐術によるコケ脅しで時間を稼いだのみにございましょう。無論、我らが向こうに到着するまでのです」
「成る程……まだまだ気を抜くには早過ぎるという事か」
「いえ、そもそも気を抜いて良い戦場は本来ありませぬ。戦の勘所が分かる上級者ならまだしも、義詮様には些か早うございます」
「うむ。肝に銘じておく。もっと経験を積まねばの」
「……本来、次期将軍たる御方に態々お出まし頂いては、大名たちが異様に感じて人心が乱れてしまうところ、義詮様が実戦の何たるかを知らぬままでは危ういと思い、特別に遠征軍を設えたのです。あくまでも今回の反乱鎮圧のみで全てを学び尽くすおつもりで」
「す、全て……本当に出来るのか?生憎、それ程の吸収力は──」
「おつもりで、と申しました。可能不可能ではなく意気込みが重要なのです。お父上とて普段はちゃらんぽらんに見えながら、ここぞと意気込んだ局面では、必ず結果を出してくださる御方でした」
「……良し、頑張ってみよう」
空回りに終わる気しかしないのは気のせいだろうか。とはいえ、義詮には当面の間、師直との蜜月を味わって貰うべきだ。その方が元直義派の嫉妬を煽る事に繋がるし、擾乱における尊氏様のカウンターの原動力となるに違いない。ここは生暖かい目で見守ろう。
合理主義者にして実力を重んずる筈の師直が、凡庸な義詮のお守りを率先して行うというのも、実に笑えるシチュエーションだ。
「して、師直。この先は決戦か?」
「は。申し上げるまでもなく」
「……周靖が怖気付いて降伏した場合は?」
「戦わずして勝つに越した事はありませんが、謀反によって義詮様が御自ら出兵する事態となった以上、周靖は処刑を免れますまい。代わりとして兵たちの命を助けるかどうかは義詮様次第ですが」
「……そういうものか」
美濃国と近江国の境で交戦があったばかりだ。確かに道誉が巧みに迎撃したにせよ、土岐一族出身の周靖を相手に一人も戦死者を出さずにというのは厳しかったに違いない。となれば、既に幕府軍から犠牲者が出ていると考えて然るべきだ。潔く周靖が反乱に見切りをつけて降っても、ケジメは不可欠であると師直は言っている。
しかし、義詮は内心で釈然としていないのだろうか。熟練の師直の言う事だからと受け入れながらも、その表情に暗さが見える。
次期将軍の自覚から討伐に積極的になっている一方、投降者が出たら寛大に迎えるのが筋と考えているようだ。確かに投降者でも容赦なく命を奪えば、続く者が居なくなるという発想は、乱世においても存分にあり得よう。しかし、仮にも今は殆どの武士が幕府に従属しているのだから、投降者の獲得は然して優先事項ではない。
ここで俺は口を開く事にした。万が一にも今後の擾乱で直義が殊勝な態度を見せようと、決して義詮が妥協する事のないように。
「義詮様、九州の直冬軍を思い出して頂きたい。既に師泰殿たちが征伐に向かっておりますが、彼らも京の近くで反乱因子があったとなると落ち着かないでしょう。また、直冬が幕府を見下し、調子付く恐れが。つまり、直冬を完封するためには我らがしっかり足元を固めておく必要があります。その証に周靖の処刑が要るのです」
「……氏頼殿の補足は理に適っております。義詮様、周靖の首こそ打倒直冬軍の第一歩。師泰たちも更に奮い立つというものです」
「分かった……我のため!必ずや土岐周靖の首を!」
「「は!!」
果たして義詮軍三万騎が美濃国の地を踏み、可児郡土田村から鳩吹山に掛けて布陣して周辺に睨みを効かせた途端、反乱は当初の想定よりあっさりと片付いた。無論、この俺が前線に立たずにだ。
八月になり、周靖は戦意を喪失した。兵の逃亡が相次ぎ、反乱を続ける余力がないと判断したようだった。義詮は心を鬼にする。
しかし、義詮軍の美濃国駐留はもう暫く続く事になる。どのような因果で周靖が背くに至ったのか。この原因究明が問題だった。
〜2〜
三万余騎の幕府軍は威厳に満ちている。佐々木氏縁の江州武士が多くを占めているのも一因だろうが、それ以上に師直の手腕の為すところが大きかった。諜報集団の天狗衆とは別途、絶え間無く斥候部隊を送り、濃州武士たちに畏怖を植え付けたのだ。これにより、周靖麾下の兵たちが逃げ出して愈々大勢が決したと頼康は呟く。
土岐家現当主の頼康は今回、ほぼほぼ真価を発揮できなかったと言って良いだろう。周靖に謀反を実行されたばかりか、他の一族に静観を決め込まれたせいで、幕府軍の手を借りる事になってしまったのだ。挙げ句の果てに若き義詮直々の出陣で早期鎮圧という顛末を迎えた。一見、頼康が面目を失ったとされても仕方あるまい。
とはいえ、今なら分かる。当然の帰結──道理が働いたのだと。
「先程、周靖の体躯を見て驚いた。まるで生前の頼遠殿だ。あんな者が居るとなっては、一族の多くが取り敢えず成り行きを静観しようと思っても仕方ないかもしれないな。少し兵さえあれば、頼遠殿と同じで数万余騎に大打撃を与え得るだけの膂力があった筈だ」
「……結局のところ、周靖の兵は逃げ出した。かつて頼遠殿の手勢が果敢に顕家軍撃破に向け、命を散らしたのと大違いだ。二人の実力を比べても、やはり土岐頼遠の方が遥か格上……そもそも頼遠殿が西を攻めようと思えば、道誉殿くらいなら楽に破るだろうよ」
「兵を心酔させる何かが違うか。確かに頼遠殿に比する武力の持ち主なら過去に居ない訳でもなかった。新田義顕が良い例だ。だが、義顕にしろ父親の義貞にしろ新田家では逆に郎党たちの大半から呆れられている節があった。方や頼遠殿は、麾下の雑兵共に関してはしっかり掌握しているようだった。その極みが青野原の合戦だ」
寡兵で大軍を破りし手腕は武将なら誰もが憧れるものだ。その後の狼藉事件もあって、土岐頼遠という昔日の猛将はある意味で伝説的な存在と化している。現土岐氏当主の頼康も意識し続けざるを得ない程だ。早く頼遠に劣らない程の実績をと願っているらしい。
だが、当主の器という意味で果たして頼遠と頼康のどちらが上回るだろうか。頼遠は頼遠で和歌の腕前が勅撰集クラスだったように必ずしも武勇一辺倒という訳ではなかったのだが、頼康の才知は明らかに幕府武将でも抜けている。そもそも土岐氏は上下の実力差がかなり極端な武士団で、親族衆は揃いも揃って強者ばかりだ。
頼遠の死後、一族の動揺を抑えるのは並大抵の苦労ではなかったようだ。許された筈の遺児の一人が頼遠処刑に憤慨して勝手に美濃国の交通規制を図ったり、五年前の正月など叛逆の噂を流されたりしていたのである。自然とその苦心が察せられるというものだ。
「あの合戦の記憶は一族に大なり小なり残っている。当時はまだ我が祖父・頼貞が健在で、手勢の帯同のみを許して頼遠殿を足利氏の顕家軍討伐に参加させた。その結果が、あの激戦よ。顕家の命運は実質あの一戦で決した。師直殿には悪いが、石津・阿倍野は単なるダメ押しに過ぎなかった。だからこそ土岐氏の主力たちは、この頼康も含めて強烈に意識する……土岐頼遠に劣らぬ武名が欲しい」
「つまり、機会さえ有れば、青野原を再現もしくは同等の戦果を残す事ができると誰も彼もが夢見ているのが今の土岐氏か。多少の手法の差はあれ、あの一騎当万に劣らぬ実力をそれぞれが自負しているのなら……自信過剰になって幕府に反旗を翻すというものか」
「言っておくが、六角殿。決して周靖たちの謀叛を擁護している訳ではないぞ?自省の弁として受け取って貰いたい。土岐氏当主として一族の意欲向上を歓迎していたのが裏目に出てしまった。だが、所詮は京極軍の小細工、加えて師直殿たちの三万余騎で折れる程度の鼻っ柱でしかなかった……我が意は決した。方針を変更する」
「……各々の我の強さを活かすのは、もう止めか」
「左様。かつて頼遠殿の処刑に内々の承諾をした事に、心のどこかで負い目を感じていたのやもしれぬ。されど、それで内部統制が甘くなり、幕府の手を煩わせる事になってしまった以上……もはや躊躇う由は何処にも無い。どれだけの締め付けが必要になろうとも、幕府から美濃国以外の守護職も併せて任される程に纏め上げる」
一族の統制というのは難題だ。かつての分割相続から単独相続へとトレンドが移行する中で、この南北朝時代では血縁による結合が弱体化しつつある。だが、この俺がもはや中国地方在住の佐々木一族の活用を諦めるなど放任の色を濃くしている一方、頼康は違うようだ。力になる一族は用い、そうでない一族は遠ざけるという。
つまり、土岐氏惣領の頼康のために尽くせるか否かが分水嶺だ。
「この際、頼遠殿の遺児たちは仁木殿にでも須く預けて良いかとも考えている。今回は周靖に協力しなかったが、いずれ必ず──」
「頼康殿の敵になると?」
「少なくとも土岐氏に留め置く限り」
「成る程……仁木殿か、まぁそれも良いか」
観応の擾乱以降、果たして仁木氏が生き延びるか怪しいと思わないでもない。というのも、室町幕府の体制や応仁の乱の勢力図でも聞き馴染みのない名だからだ。現在は凡そ細川氏と同列に見なされているが、いずれ細川頼之が頭一つ二つ抜きん出るに違いない。
もしかすると高一族のトバッチリを喰らうのではないかと思っているが、ここで言っても詮無き事でしかない。ここはスルーだ。
「六角殿。御辺も気を付けられよ。道誉殿ばかりではない」
「山陰・山陽の者どもは知らん。各々の好きに足掻けば良かろう」
「……随分と薄情なのだな」
「それで尊氏様に歯向かうなら所詮その程度。勝手に戦って勝手に滅びてくれれば良い。情を持っても塩冶殿のようになるならな」
八月中旬以降、出雲国で京極家守護代・吉田厳覚と直冬軍転向の現地庶流勢力が戦う事になるが、俺はノータッチを決め込んだ。
義詮から心配されようとも、師直から白い目で見られようとも、俺は首を横に振るだけだ。そちらは京極家に任せてあるのだと。
「それより頼康殿。取り敢えず周靖の身柄を抑え、残党……ないし噂の黒幕が救出に参るのを待ち構えるとしても……何の音沙汰も無いとなれば、生かしておくに及ばず。師直殿ならそう考えよう」
「分かっておる。期限はもう間も無くであろう?」
「ああ……虚しく期限を迎えれば、義詮様も師直殿も延々と美濃国に滞在できる筈も無し。周靖を連行して、そのまま凱旋となる」
「身柄を京に移した後の処刑の段取りも……異存ない。師直殿にそう伝えて……いや、この頼康の口で直接お伝えすべきであるな」
「ああ、その方が宜しいと思われる」
先に我ら幕府軍が南近江で態勢を整え、三万余騎で美濃国に入ろうとした直後、師直麾下の天狗衆が情報を得ていた。周靖たちは何やら増援を待っている様子だと。しかし、いざ蓋を開けてみると八月早々、謀反人・土岐周靖たちはあっさり我らに降伏したのだ。
これは何かあるのでは。俺だけでなく師直も道誉も当然のように訝しんだ。だからこそ、幕府軍は今の今まで美濃国に駐屯した。
とはいえ、何も無いなら無為に美濃国で日々を過ごす謂れはないだろう。俺を含めて諸将で周靖たちの具体的な処分について確認しようと本陣に集まった矢先、有りうべからざる騒ぎが起こった。
土岐周靖並びに一味の船木某が俄かに脱走したというのである。