崇永記   作:三寸法師

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第弍拾章 武衛禅門の逆襲
◆1


〜1〜

 

 

 観応元年(西暦1350年)十月二十九日、義詮(宰相中将)が三条坊門の旧直義(武衛禅門)邸ではなく土御門東洞院の将軍邸に住み始めた。昨年(貞和五年)の御所巻でも明らかなように双方は目と鼻の先にある立地だが、それでも実行の意義がある。

 何しろ尊氏様が九州の直冬軍討伐に自ら足を運ぶべく、暫く京を空けるのだ。この留守を足利義詮(宰相中将)が正統な後継者として預かるという事を喧伝するためには、打って付けのパフォーマンスである。

 

 

義詮(宰相中将)様……」

 

 

「本気で言っておられます?」

 

 

「ん?皆どうした?そのような顔をして」

 

 

「「「……」」」

 

 

 ただ、肝心の義詮(宰相中将)はその事を理解していなかったらしい。あまりにも素直に何故このような段取りになっているのか聞き始めた。

 まだ経験不足なので仕方ないかもしれないが、諸将の困惑振りは明らかだ。居残りの幕臣を代表し、仁木頼章(左京大夫)がつらつら説いた。

 

 

「──という事にございます。お分かり頂けましたか?」

 

 

「得心した!いや、どうして態々と思ったのだ。だが、そういう事であれば納得だ!俄然やる気が出てきた!我も何か引っ越しの合間を縫って出来る事をしたい!氏頼(大夫判官)殿、今度はどこの寺社に大般若経を転読させよう?賊軍の退治を祈らせて父上を援護するのだ!」

 

 

「……でしたら嵐山の松尾大社は如何でしょう?」

 

 

「おお、京でも屈指の歴史ある神社だな!よし、早速やろう!」

 

 

 慌ただしく移動する義詮(宰相中将)の後ろ姿を見送り、俺は溜め息を吐く。

 この日、義詮(宰相中将)は一時転居と同時に、松尾大社に祈祷を命じた。

 松尾大社は本来なら酒神信仰で著名なのだが、この手の業務は後の恩賞が期待できるため、きちんと依頼に沿って履行する筈だ。

 そう思っていると不意に斯波(尾張)高経(修理大夫)から話し掛けられた。共通して母が長井(大江)家出身であり、俺から見ると従兄妹伯父という武将だ。

 

 

氏頼(大夫判官)殿。よもや後で酒の差し入れでも受けるおつもりか?」

 

 

「……高経(修理大夫)殿。仮にそうでも独り占めはしませんよ」

 

 

 高経(修理大夫)はかつての義貞(新田左中将)討伐の殊勲者で、その前は長子の家長(斯波陸奥守)が関東で戦死するという犠牲を負いながら、義貞の遺品の刀二つ(「鬼丸」や「鬼切」)の所有を巡って尊氏様と対立したせいか、数年前に越前国守護を失った。

 流石に経緯が経緯であるし、縁故もある事から無碍に出来ない。

 高経(修理大夫)としても普段から俺の前で恨み辛みを前面に出すような真似はしておらず、結果として以前同様の交流関係が保たれている。

 

 

「ほう。ならば転居祝いの宴の酒に期待するとしよう。宴の用意は佐々木庶流の道誉(佐渡判官)殿が行うのだろう?今日はまだ姿が見えぬが」

 

 

「肴の用意に忙しいのではないですか?一緒に京に残って義詮(宰相中将)様をお支えする者同士の決起集会とも言えます。とびきりの上物が揃っていなければ、格好が付かないでしょう。婆娑羅大名としても」

 

 

 本当は本日男山(岩清水八幡宮)参拝の将軍に接触し、いつでも高兄弟と離れられる立ち位置をキープするよう告げて貰う手筈なのだが、幾ら親交があろうと余人に明かす義理はない。流れるように嘘を吐いた。

 これでも二十数年を西国の生活に費やした。しかも、その半分近くが京暮らしだった。言葉を巧みに弄するのは朝飯前と言える。

 

 

「婆娑羅か……建武式目で禁止された筈だが、彼奴らにはまるで関係無しだ。確かに武家が全て遵守するのは些か無理があろうが」

 

 

「……言っておきますが、今後どのように事態が転ぼうとも最終的に勝利するのは将軍父子ですので、自滅だけは止めてください」

 

 

 後に三管領の一柱となる筈の斯波(尾張足利)家であるが、眼前の高経(修理大夫)は幕府開闢以来、明らかに当時の副将軍の直義(武衛)と親密な様子であった。

 例えば、六年前(康永三年)の事である。五月に直義(武衛)が今熊野神社に参拝するからと宿泊場所を用意して同行したと思えば、十二月になって一緒に長門国の忌宮神社に和歌を奉納したのだ。確かに御所巻ではいつの間か姿を消していたようだが、それでも師直(高武蔵守)ではなく直義(武衛)に味方していた。今後の情勢次第では再び掌を返さないとも限らない。

 

 

「最終的……というのが気になるな。まるで何かあるようだ」

 

 

「細かい事は気になされず。それより先ほど千葉殿を推薦しておられましたね?三条坊門の屋敷を代わりに誰が守るかという話で」

 

 

氏頼(大夫判官)殿。確かに千葉殿は源氏ではなく平氏の家柄だが、決して北条家とは違う。そこは分かっておられよう?この高経(修理大夫)が元建武政権軍の千葉氏投降を仲介した際に。今更そう気を悪くするでない」

 

 

「……分かっております」

 

 

「ただ、源氏を誇らしく思う気持ちは大事だ。その点は幕府武将の誰もが同じ気持ちでなければ……多少の行き違いがあってもな」

 

 

 観応元年(西暦1350年)の十月が終わる。諸将は幕府の内部分裂の行く末に頭を巡らせながら、新たなる月を迎えた。ある者は高一族の斜陽に不安を覚え、別の者は直義(武衛禅門)の逆襲に期待しているのではないか。互いが互いを疑っている。そんな空気感が義詮(宰相中将)の周囲で醸し出される。

 そして、十一月になった。我ら在京武将は、直義(武衛禅門)たちの暗躍に心を擦り減らしながら、災難を回避しようと躍起になる事になる。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 観応元年(西暦1350年)十一月の初旬、今なお在京の殿様からの報せが佐々木荘に(もたら)され、私たち六角党の緊張が張り詰めた。戦乱の気配が日増しに増している。近江国でも備えを本格化させる必要が出てきた。

 重臣筆頭の馬淵様以下の話し合いが終わり、私は奥に出向いた。

 話の成り行きを仮にも当主正室の魅摩に共有するためである。

 

 

「ふーん。園城寺(三井寺)の僧兵たちを勢多橋の警固強化にねぇ」

 

 

「うん。義詮(宰相中将)様の命令書が四日付けで」

 

 

「近江国守護の氏頼(廷尉)殿が直接要請する訳でもなく……という事は、幕府として園城寺(三井寺)との連帯を近隣諸国に知らしめようという意図かもしれないね。もし将軍の留守を突こうと京を狙う者が居るなら、比叡山延暦寺を仲間にしようとする筈だ。だが、園城寺(三井寺)が真っ先に幕府に味方してるのに逆賊と手を組んだら、比叡山延暦寺は今度こそ危ないよ。情勢が落ち着き次第、再び破却の危機に晒される」

 

 

「確か……十数年前にあったよね。足利家で比叡山延暦寺をどう処分するか議論されたって話。ここで厚遇しておけば、次に何か動乱があった時、足利氏の心強い味方になるって意見が出て、見逃されたって……殿様が凄く不満そうだったの昨日のように覚えてる」

 

 

「今は亡き玄恵法印の意見だね……ま、佐々木一族なら誰もが忿懣遣る方無い思いだっただろうよ。それもあっての親父(京極道誉)の妙法院焼き討ち事件さ。何もかも昔の話だけどね。このまま天下が乱れた時に比叡山延暦寺が如何に動くのか……氏頼(廷尉)殿は気が気でない筈だ」

 

 

「殿様は……師直(将軍執事)派として動くんだよね」

 

 

「不安かい?亜也子(望月甲賀三郎)

 

 

「まさか」

 

 

 皆が薄々分かっている。将軍執事の師直(高武蔵守)がいよいよ落ち目に入ったのではないかという事を。それが殿様に分からない筈がない。

 なら単純に師直(高武蔵守)討つべしで話が終わるとは限らないという事だ。

 逐電済みの直義(武衛禅門)にしろ、今や九州で圧巻の直冬(左兵衛佐)にしろ、殿様は決して快く思っていなかったらしい。それに足る程の末路が彼らを待ち受けているのだろう。たとえ滅亡まで紆余曲折あるにしても。

 

 

「そういう魅摩こそどうなの?前は尊氏様の御出陣当初、東寺前門で旗差の人が落馬したって噂を聞いて、凄く動揺してたけどさ」

 

 

「そりゃそうさ。それだけで人心が幕府軍から離れかねない醜態だからね。凶兆は軍にとって恐ろしいものさ。昔年の尊良(一宮)*1を見れば分かるようにね?出兵先で一つ敗れただけでそのままズルズル堕ちると脆さが生じる……ただ、今はもうそんなに心配してないよ」

 

 

「……何かあったっけ?風向きが変わるような事が」

 

 

「ピンと来ないか?少し前にあったろ?二日にさ」

 

 

「二日?それだと確か──」

 

 

 私も信濃国暮らしより西国の生活の方がずっと長くなっている。

 ここまで言われたら流石に思い当たった。去る二日、或る人物が尊氏様と合流すべく山﨑から西に向かったという情報があった。

 

 

「三宝院賢俊僧正?醍醐寺のお偉いさん*2の」

 

 

「そう。他にも東寺長者や篠村八幡宮・六条八幡宮の別当でもある宗教界の大人物さ。かつて後醍醐の寵臣・文観の対抗馬として担ぎ上げられ、今や真言宗の第一人者となっている。武家護持僧として将軍を加持でお支えする存在だよ。それが幕府軍に加わるんだ」

 

 

「……思い出した。建武大乱で持明院統のお墨付き、院宣を尊氏様に持ち込んだのも賢俊僧正だったよね?政治面でも有能だって」

 

 

「当たり前だよ。日野家の出身者という経歴を活かして、ここまで勢力を築いた御仁だからね……これで尊氏様の軍勢は更なる権威を帯びる。幾ら直冬(左兵衛佐)が将軍執事・高師直(武蔵守)を君側の肝と(なじ)り、尊氏様が操り人形と化していると騒ごうとも、北朝や宗教界の巨魁・賢俊僧正まで従軍していたんじゃ、説得力は薄らぐよ。間違いなくね」

 

 

「……それなら東寺門前の落馬も充分に帳消し出来るんだ」

 

 

「だろうね。他にもあるよ。各地の寺社領さ。賢俊僧正の口利きがあれば、師直(高武蔵守)が武力で脅すよりも円滑かつ効率的に活用し易い」

 

 

 果たして将軍御本人と師直(高武蔵守)のどちらが発案者なのか不透明だが、どうあれ目下の幕府軍本隊は隙が無い。先の直義(武衛禅門)逃走でどうなる事かと思われていたが、内実は非常によく固められているようだ。

 一方、京の義詮(宰相中将)様も幕府の実力者たちを従えている。殿様や道誉(佐渡判官)様以外にパッと思い付くだけでも多士済々と言える陣容だった。

 

 

「将軍の余裕も納得だよ。北陸で挙兵の桃井軍だって、今も幕府方の同族と戦わなきゃならないし、加賀国の吉見氏もだし、何より雪が積もってたら当分の間は上洛できない。やっと京に辿り着いても殿様たちが居るんだもん。道という道が茨で敷き詰められてる」

 

 

「よく言うね。亜也子(望月甲賀三郎)……昔と大違いだ」

 

 

「私だって昔は『平家』をよく読んだし、今も書庫の軍記を(たま)に借りては読んでる。もう二十半ば。田舎者はとっくに卒業したよ」

 

 

「すっかり板に付いちゃって……まぁ良いや。早晩また氏頼(廷尉)殿と一緒に出陣する機会も訪れるだろうさ。まだまだ波乱は残ってる」

 

 

「……うん。それこそ私の本懐だよ」

 

 

 前の楠木軍討伐も不完全燃焼に終わってしまい、心の奥底で戦を渇望している事が自分でもよく分かる。六角党の面々が緊張感で張り詰めている中で露骨に喜ぶのは不謹慎という事で控えていたが、焚き付けられた今、もはや魅摩の前で取り繕う由は無いだろう。

 戦がしたい。殿様の命令で敵兵を屠り、久々の勝利を飾りたい。

 勿論、これから暫くはまだ若子(千寿丸)様の護衛で佐々木荘に留まる事になるだろう。しかし、殿様が出陣して直義(武衛禅門)派の猛将──桃井か他の誰かは分からないが──と戦う事になれば、私の出番もやって来るに違いない。亡き顕家・正行(まさつら)両名はまだしも、他の幕府武将に負けては佐々木惣領の名折れなのだから、出し惜しみ出来ない筈だ。

 着々と迫る戦乱に備え、私はもう少し牙を研ぎ続ける事になる。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 観応元年(西暦1350年)十一月六日、京で騒ぎが起こった。俺は次期将軍の義詮(宰相中将)の傍に控え、事態の成り行きを見守る。一体何が起こったのか。

 事の発端は道誉(佐渡判官)の報告にあった。寝耳に水な話が持ち込まれた。

 

 

「何!?土岐周靖(兵庫入道)の残党だと!?」

 

 

「ええ、周靖(兵庫入道)とその弟・左衛門大夫入道は確かに死にましてございまする……我が宗家が洛東の河原でしっかり処刑して下さった」

 

 

「おお、そうであったな」

 

 

「……道誉(佐渡判官)殿。続けられよ」

 

 

 このところ、俺は甲賀忍軍をして近江国の周辺地域──北は越前国や若狭国、南は大和国から伊勢国に掛けて──を中心に探らせていたが、その分だけ京の警戒が手薄になっていた感が否めない。

 一方で道誉(佐渡判官)はちゃっかり京に目を光らせていたらしい。北近江の領主として美濃国の土岐氏諸将の動向に注意していた功名とも言えそうだ。この俺に先んじて、反乱の気配を察知したようである。

 

 

「は……もう一人、周靖(兵庫入道)に味方した弟がございました。名を右衛門蔵人頼衡と申す者にて。京に潜伏し、夜襲を企てているとの事」

 

 

「夜襲!?」

 

 

 どうも義詮(宰相中将)は肝の座り方が芳しくない。案の定、慌てふためいてしまった。こうなれば、幕府としても早急に義詮(宰相中将)の不安を取り除く必要がある。俺や斯波(尾張)高経(修理大夫)義詮(宰相中将)に張り付いたまま、他の者たちが市街に出張って対処する事になった。道誉(佐渡判官)並び仁木頼章(左京大夫)である。

 道誉(佐渡判官)が自ら手勢を率いて土岐頼衡(右衛門蔵人)の身柄を確保し、頼章(左京大夫)が侍所頭人として残党のアジト──道誉(佐渡判官)の報告によれば中御門西洞院にあるという──を抑えに向かった。こうなれば当然ながら大騒ぎだ。

 摂津国兵庫に到着済みの尊氏様たちの耳にも自ずと入るものだ。

 

 

「ち、父上から増援と申したか?」

 

 

「いえ、義詮(宰相中将)様。正確には師直(武蔵守)殿が精鋭を遣わして下さいました」

 

 

「……氏頼(大夫判官)殿が護衛で義詮(宰相中将)殿の御傍を離れられぬのです。当然の措置でしょう。亡き頼遠(弾正少弼)の兄弟なら如何なる力を秘めているやら」

 

 

高経(修理大夫)殿。そんな者を捕まえに行って道誉(佐渡判官)殿は大丈夫なのか?」

 

 

「はてさて……同族の氏頼(大夫判官)殿はどう思われる?」

 

 

「……京極家にも猛者が居ない訳では。確かに吉田どもが出雲国に守護代として赴任しておりますが、多賀大社に中々の使い手が」

 

 

 いざ蓋を開けてみると京極勢が首尾良く土岐頼衡(右衛門蔵人)を捕らえて手早く殺害した。しかしながら、頼章(左京大夫)はアジトに踏み込むまでは良かったものの、他の容疑者たちを捕縛するに及ばず、明暗が分かれてしまう結果となった。事後処理の最中、義詮(宰相中将)は浮かない顔だった。

 何でも摂津国から助け舟が直ぐ飛んで来た事が気に食わなかったらしい。あまりに寂しそうな顔をするものだから、俺としても返す言葉が直ぐに出て来ない。義詮(宰相中将)はそのままポツポツ呟き続けた。

 

 

「我は……父上や師直(武蔵守)から信用されていないのだろうか」

 

 

義詮(宰相中将)様。そう気を落とされますな」

 

 

「……気休めは要らぬ。我は情けない。情けなくて敵わん」

 

 

 はっきり言って義詮(宰相中将)は場数が足りない。同じ幼い頃から従軍した身でも、俺とは全く意味合いが異なる。只の数え四歳の子供が新田義貞(左中将)と共に討幕運動に取り組んだところで、一体何を学べよう。

 それでいて尚、尊氏様の後継者のプレッシャーと真正面から向き合おうとするのは率直に言って無謀だ。師直(高武蔵守)にしても実力で肩を並べられる武将が幕府にどれだけ居るだろうか。幾ら幕府武将の層が分厚いと言っても、相手が悪過ぎて数える程しか挙げられない。

 

 

「明日は……どのような御指図が父上より有るだろうな」

 

 

「……」

 

 

氏頼(大夫判官)殿は如何に思う?予想で良い。言ってみてくれ」

 

 

「……ではお答え致します。京の治安維持について不安なき状態で征西を。将軍ならそうお考えになる筈です。さしあたり、有事における帝や院の警護方針を確認されるかと。愚見ではありますが」

 

 

「当たっているのだろうな……()()()()最初の烏帽子子なれば」

 

 

「……余計な事を申しました」

 

 

「いや、良い。我は一切そなたを咎め立てせぬ。これからも気付いた事があれば何でも言ってくれ。それこそ亡き家長(斯波陸奥守)に代わって」

 

 

「は」

 

 

 翌々日、本当に尊氏様から北朝警護に関する指示が飛ばされた。

 亡き土岐周靖(兵庫入道)の残党騒ぎが京で起こった事で、畿内近国で続く者が出ないとも限らない。そんな尊氏様の危惧が込められていた。

*1
後醍醐天皇の長男。古典『太平記』によれば、新田勢らを率いて足利兄弟を討つべく東国に出陣しようとした矢先、三条河原において強風で錦の御旗が折れて地面に落ちてしまったせいで、誰もが合戦の不首尾を悟ったという。

*2
三宝院賢俊は第六十五代醍醐寺座主であった。

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