〜1〜
ここで観応元年の十一月初旬以降の直義の動向を見てみよう。
大和国に身を潜め、直義は幾枚もの書状を作成した。とはいえ、内容は使い回しであり、世に言う数打ちゃ当たる理論を実践したに過ぎない。兎にも角にも直義は味方を欲していた。この機を逃せば二度と挽回できない事は言うまでもない。しかも今のままでは九州の直冬が早晩、尊氏や師直の餌食になりかねない状況なのだ。
鬼の形相になって当然というものだろう。ここ暫く直義の心に巣食っていた熾火が今、業火となって世を揺るがそうとしていた。
「これで全てだ。手分けして各国の有力者たちに届けさせろ」
「御意……これはまた瀬戸内海最強の河野氏、対北畠軍などで百戦錬磨の田代氏と錚々たる面々で。近江国の小佐治氏にもお声を」
「そうだ。頼房、近江国に関して伊勢国・志摩国守護のお前にも遅かれ早かれ骨を折ってもらう事になる。今の内から心しておけ」
「は!」
(恵源様は本気だ。近江国の有力国人の小佐治氏が味方になるなら確かに心強い。小佐治氏は近隣諸国でもかなり実戦経験豊富な部類の武将……氏頼や道誉が京の義詮様のお守りに夢中になっている隙に佐々木大原氏を引き入れる事すら夢に非ず。さすれば、南から甲賀郡を経由して軍勢を投入し、佐々木一族を各個撃破できよう)
十一月三日、直義は諸国の豪族たちの勧誘を開始した。元副将軍自ら声を掛けるのだ。使い回しの文面でも効果は計り知れない。
古典『太平記』によれば、人事を尽くしたお陰か、高兄弟に遺恨を持つ者が多くなっていたせいか、直義の元に続々と人が集まり始めたという。去る御所巻の頃と明らかに風向きが変わっている。
(そうだ。この恵源は兄上の弟だ。兄上が直感に基づく言動で人心を掴むのなら、私は計算で同じ事をするまで。それで良いのだ)
「しかし、これはあまりにも……数が多過ぎる」
「恵源様。このままでは人目につき過ぎます。京に我らの動きが露見するどころではありません。吉野の衆の反応が気になります」
「楠木軍の襲撃が心配か?」
「はい。集まる者たちの間でも懸念が聞こえつつあります」
「……案ずるな。越智と相談して南朝には既に布石を打ってある」
「!」
奇しくも直義が諸国の豪族たちに檄文を飛ばしたのと同じ十一月三日の事であった。河内国の畠山国清が和田助家という楠木軍の老将に書状を送った。換言すれば、長らく敵対関係にあった勢力の幹部格に対し、大胆にも直義に協力するよう要請したのである。
当然ながら和田助家とて主筋の正儀を裏切るつもりは毛頭ない。
直ぐに事の次第は正儀に漏れた。無論、ここまでも含めて直義や国清の思惑通りであり、それ自体は正儀も父兄顔負けの頭脳で察するところである。提出された書状に目を通し、正儀は感嘆した。
「恵源の行動は一見なりふり構わないようで居て、その実よく練られている。お主や国清を通じて、拙者に伝えているのだ。手を貸す気は無いかと。面白い。火急の事態では呉越同舟も已む無しか」
「……親房卿の目が恐ろしくございますが」
「親房卿の事だ。これを機に高兄弟と恵源派が更に激しく争って、南朝が漁夫の利を得る事を望まれよう。あの御方はそういう気質の持ち主だ。だがな、助家……拙者は本気で恵源殿が気に入った」
「!」
(助家への書状、観応元年十一月三日と北朝の元号を添えて送られている。国清のみならず、恵源殿も同様の書式で諸国の武将を誘っている筈だ。未だ旧北朝元号に拘泥と噂の直冬と明らかに一線を画しておられる。きっと諸将にも狙いは尊氏討伐ではなく、高兄弟の誅伐であると強調しているに違いない。その上で、持明院統との蜜月を決して忘れないという意思表示をしているのだ。だが……)
正儀は四條畷合戦の直前を思い出す。最後に二人の兄──楠木正行と楠木正時の両名──と吉野で別れてからというもの、正儀は足利軍のダメ押し攻撃に耐えつつ、常に天下の趨勢を考えていた。
決して父兄の尽忠報国の志を否定している訳ではない。徒らな否定は彼らの死を冒涜するようなものと正儀も理解している。しかしながら、今の楠木家で当主を務める身として、思考停止してでも更なる忠義に身を捧げる事が、果たして本当に正しいのだろうか。
生来、逃げて行きたいという気性を往年の北条時行にも負けず劣らず持っているからこそ、疑問が尽きないのだ。既に後醍醐天皇が吉野に臨幸し、およそ十四年の年月が経つ。また、現南朝主上の後村上天皇は二年程前の四條畷合戦で正行が敗死して後、師直の追撃を恐れて吉野から更に賀名生の地に退避し、今も戻れずにいる。
(確かに恵源殿と高兄弟の対立が再び激化しようとしつつある今こそ南朝の捲土重来を図るべきという意見も理解できる。南朝関係者なら誰もが考え付くだろう。それでも……足利氏の天下が本当にこれだけで崩壊するとは思えん。もし南朝が武断的なやり方で復権を狙ったところで、結局は源氏武将たちの底力に跳ね返されてしまう末路が待っていよう。拙者ならもっと……穏便に事を進めたい)
「正行兄者なら拙者のようにはされなかったでござろうな」
「正儀様。どのようなお考えだろうと我らは従います。当代の楠木家の家督を預かる御身、何者にも縛られず自由におやりなされよ。亡き御父君・楠木正成公がやりたくとも出来なかった事、正儀様なら出来るかもしれません。正行様も正時様も怒りはしますまい」
「……」
正儀は目を瞑る。この一線を越えれば、今や天下に知らぬ者の居ない楠木氏の忠臣としての名声が、自らの一代で消滅してしまうかもしれない。しかし、それ以上に正儀は優先したい事があった。
かれこれ数十年に亘って守り抜かれた楠木氏の地盤だが、いい加減そろそろ限界が見え始めている。たとえ楠木流兵法を修めた身とはいえ、将兵の損耗が長く続いてしまえば、いつ迄も保てるものではないのだ。この先も世が乱れる事は正儀の本意ではなかった。
『正儀。仮にお前の代になっても、それはその時。世間に誹られる事になっても構わぬ。その前に仕損じた拙者の責任だ。拙者は欲張りだから、一族の名誉も父上の仇も南朝の本懐も遍く全うしたいと考える。その代わり、お前が楠木氏存続の一点に集中するんだ』
「……心を決めた。助家、聞いてくれ」
「はい」
「かつて足利尊氏が九州で再起を図っていた頃、父上は後醍醐の先帝に訴えたと聞く。たとえ新田義貞の首を差し出してでも、足利軍と和睦を結ぶべきでござると……拙者はそれに倣いたいと思う」
「!」
観応元年十一月二十一日、遂に直義が大和国を離れた。河内国石川城を訪れ、念願の畠山国清との合流を果たしたのである。この動きに対し、楠木正儀はどのように反応したのだろうか。興味深い痕跡が北畠親房の『吉野御事書案』という史料に残されている。
曰く、何と「河州東条の輩ども」が直義の意向を仲介者として南朝に伝えたらしい。要は正儀が交渉の取り継ぎを果たしたのだ。
実際、直義の河内国入りから僅か二日後だった。かの足利直義南朝降伏という歴史的事変が起こった。かつて兄・尊氏以上に建武政権軍との抗争に熱意を燃やし、献身的に幕府政治を主導して北朝の治世を支え続けた真面目な男のあり得べからざる転身であった。
〜2〜
観応元年十一月二十二日、畿内における義父・直義の着実な反攻準備の動きを知らなかったのだろうか、九州で直冬が暴走した。
配下の詫磨宗直という部将に何と伊勢国守護職の空手形を与えてしまったのである。これを知って少弐頼尚は横転した。全国でも指折りの歴戦の名将であるが故に、到底無視しかねる案件なのだ。
「婿殿!どうして左様な事を!?お気は確かであられるか!」
「……舅殿、言い過ぎではないか?詫磨は先に再び将軍方に寝返った大友氏の有力庶家だ。繋ぎ止めるためには相応の対価が要る」
「さりとて伊勢国守護職はあまりに拙い!今、北朝で伊勢国守護職の座にある武将が誰なのか!婿殿、いや直冬様!ご名言あれ!」
「石塔頼房だが……舅殿、そんなに騒ぎ立てる事の程なのか?」
「ッ……!」
(何なのだ、この婿殿は!将軍・足利尊氏公の長所ばかり受け継いでおられる立派な次世代の天下人と見込んでいたが……短所もしっかり身に付けていたとは!将軍や師直の下向が迫り、焦っておられるのか!?これでは天下は夢のまた夢!我が目は節穴だった!)
伊勢国守護・石塔頼房は実のところ、直義派の中核的な武将と呼べる存在だ。かつて兄・範家が鎌倉将軍府で関東庇番衆五番組頭人を勤める一方で、父の義房が駿河国・伊豆国で尊氏の守護代として現地を治め、足利本家と良好な関係を築いていた。幾ら現時点で九州に頼房の名声が然して届いていなかったとはいえ、直義所縁の現伊勢国守護に喧嘩を売るような真似は、禁物にも程があるのだ。
しかしながら、九州における直冬の暴走が直ぐに畿内に露見する訳がない。同じく二十二日、頼房は自らの伊勢国守護職が九州で勝手に侵されているとも知らないで、直義のために活動していた。
「この生駒山から天下を変える……満子ちゃんの旗を掲げろ!」
「は!」
「東進して伊勢衆と合流する!目指すは近江国!間も無く大原氏が我らに賛同して立ち上がる!さすれば、婆娑羅大名も将軍烏帽子子も恐るるに足らず!まずは京極家の本拠地・甲良荘を焼かん!」
「「「おお!」」」
先述のように翌二十三日に直義の南朝降伏が成立し、更にその二日後の事であった。南朝軍が近江国甲良荘を急襲したのだ。これに伴って道誉が自領の防備強化に追われ、義詮も対応を迫られた。
日記『園太暦』によれば、幕府で評定が行われ、東寺の要塞化が急遽決定したという。本格的な洛中戦を見据えていた証である。
「それにしても氏頼殿、お主は下向しなくて良いのか?守護のお主が近江国に居れば、南朝軍など瞬く間に壊滅しそうなものだが」
「急いてはなりません。聞けば大原氏が弟殿を慕って南朝に鞍替えしたとの事です。大原氏は遡れば我が先祖の泰綱公、京極家の祖の氏信が庶兄・重綱の子孫ですから、かねてより本来なら自らが惣領だったという反骨心を抱いていたようで。他に一族の誰が続いたものか分かりません。それより弟殿の軍略を警戒せねばならぬ事こそ最大の問題です……思うに近江国の反乱は陽動に過ぎぬかと」
「つまり、敢えて先に近江国を乱しておいて、お主や道誉殿を誘い出して我の支えを奪った上で、本命の敵が京を襲うという事か」
「ええ、御明察です。それでこそ次期将軍……この氏頼と道誉殿で文武の両翼を為し、義詮様をお支え申し上げる事こそ、師直殿の描いた備えでした。それを近江国で反乱が起こったからといって簡単に崩してしまえば、まさに弟殿の思う壺です。義詮様、これからは易々と動揺を人にお見せなさいますな。既に戦時と心得られよ」
「う、うむ……誰が叔父上の思いのままになるものか」
「御立派です。近江国については御安心を。弟・直綱が佐々木城を堅く守り、領民たちも既に各要害に避難しております。南朝軍が奪える兵糧は我が六角家の支配地域にございません。また、勢田橋の警護を園城寺衆徒、更にその隣の宿場も含めて守護代の伊庭が掌握済みですから、万全の態勢と申せましょう。心配なのは男山です。市井でも噂が流れているようです。また男山が抑えられてはと」
「……春日軍の二の舞が気になるか」
十二年前、石津・阿倍野の合戦で南朝の名将・北畠顕家を撃破したというのに、男山の春日軍に苦戦した日々は幕府関係者の間で今も語り継がれている。次期将軍の義詮も上洛して以来、そのせいで師直が苦渋の決断で火攻めをする事になったと聞かされていた。
源氏を重んじる直義なら同じ轍を避けるため、男山布陣は避けるだろうという考え方も出来なくはなかったが、懸念は尽きない。
何しろ京を攻める上で男山こそ格好の要害と誰もが承知なのだ。
「はい。水源に細工でもしておきたいところですが」
「おいおい、氏頼殿。何を申す。前に男山の石清水八幡宮こそ我ら源氏の聖地と熱く語ってくれたではないか。毒の穢れは……な」
「仰る通り毒は禁物……願わくば穢れより清めを広めたい」
「?」
結局、この二十五日は男山で何も起こらなかった事が日記『園太暦』より確認できる。何より直義はこの日、とても京を狙うどころではなかった。南朝の正式な使者が河内国石川城に見えたのだ。
北畠親房その人である。かつて娘を護良親王に嫁がせた現南朝の元勲が現れ、河内国石川城は騒然とする。直義の目が血走った。
〜3〜
古典『太平記』によれば、亡き義貞に責任転嫁して冤罪で朝敵にされたのだと被害者面で降伏を願う直義の申し出に対し、南朝諸卿の意見は割れたという。当然ながら決して満場一致で受け入れられるものではない。とりわけ反対したのが洞院実世だったらしい。
一応、直義は降伏文書で自らの罪は非常に重いと譲歩する姿勢を示したものの、建武大乱で地方遠征を経験した実世にとっては非常に不愉快だったようだ。開口一番、実世は偽装投降と断定した。
「所詮は譜代の高兄弟によって京を追い出され、身の置き所がなくなったが故、天の威を借る狐にならむという魂胆でしょう。この十余年の間、帝を含む全ての南朝関係者が苦しんでいるのは誰のせいですか?言うまでもなく恵源の悪逆のせいでしょう。今、恵源が降伏しようと南朝に擦り寄ってきた事こそ天恵です。この機に乗じて討ち取らなければ、必ずや後悔しますぞ?早急に討ち手を送ってあの狡猾な輩の首を獲りましょう。その首を禁門に晒すべきかと」
「おお、これはまた良い意見だ!」
「左様!あれは頭が回る男!その申し出に乗っては必ず損する!」
「恵源の首を獲ってこそ尊氏をぎゃふんと言わせられるのだ!」
「今こそ護良親王殿下の仇を!」
「流石は洞院卿!戦慣れしておられただけあって心強い!」
「……待たれよ。余は恵源の降伏を受け入れるべきと存ずる」
「二条卿?」
「皆々、張良の三略の文言をお忘れか?謝罪を終えた者が誠実に忠勤を尽くしてこそ却って忠臣と呼べる。章邯が楚に降って大秦帝国は忽ち滅んだ。斉の管仲が罪を許された途端、国が治った例もあるではないか。これらに学ぶべきであろう。恵源が南朝派として治国に当たる事により、天下平穏が始まるのだ。打倒北条の旧功を思い出し、復職させて我らの帝に仕えさせる事こそ正義と存ずる」
「「「……」」」
古典『太平記』によれば、洞院実世と二条師基の意見が真っ向から対立したため、後村上天皇は熟考し始め、南朝公卿たちも発言を控えた一方、北畠親房がすかさず痛烈な意見を表明したようだ。
楚漢戦争の古例を長々と引き合いに出し、偽りの和睦が後の治世に貢献するものだと力説し、直義の降伏を受け入れて治国に邁進させて天下を帰順させた後、逆臣を滅ぼせば良いとして折衷案を提示したのである。つまり、取り敢えず勅免の綸旨を出すべきであるとしたのだ。無論、これを聞いた時行が覚えるであろう不安なぞ、親房の預かり知らぬ事である。何はともあれ、南朝公卿たちの間で意見が纏まり、後村上天皇も宣旨の発行に何ら異存は無かった。
そして、舞台は十一月二十五日の直義・親房両雄の会談となる。
「南朝で汝は左馬頭入道という扱いになるが、それは差し当たり置いておこう。今は恵源と申したな?宣旨を見ての通り、汝が義兵を挙げて天下静謐を為す事、他ならぬ帝がお望みだ。励むように」
「……謹んで承ります」
「分かっておるな?武家の簒奪があったがため、今日の人民の苦しみがある。これを治めるためには南朝への政権返上が不可欠だ」
「お言葉ながら……建武の失政とあなた方の抵抗こそ民の困窮の原因でしょう。武家政治こそ平和維持に向けた現実的な正道です」
前出の『吉野御事書案』を見るに、この二人は互いにかなりヒートアップし、論戦に発展していた事が窺える。とても生優しいものではなく、仮にも今や同じ南朝傘下とは信じられない程である。
親房も直義も眉尻を吊り上げた。呆れた事ながら、これでも両朝の知性トップクラス同士の会談の筈である。その筈なのだが──
「尊氏は恩を仇で返した賊臣だ。それも史上最悪の逆賊だ」
「はぁ……とんでもない事実誤認と言わざるを得ません。兄上こそ天下を救った功臣です。全く何を申されておられるのやら。古来より武門が帝を補佐して治国に当たる事は和漢共通の考え方です」
「ッ……この日本国は天皇陛下を中心とする神国であるぞ?何が和漢共通だ。正統な帝室に忠誠を尽くす事こそ我が国の正道ぞ?」
「しかしながら、頼朝公より実際に天下を安んじてきたのは武家でしょう?承久の乱で敗北したのは誰でしたか?武家が全国統治を担うのは常識です。北畠卿の御意見はカビ臭いとしか申せません」
「頼朝も北条氏も朝廷の秩序に従い、政権を担ったのだ。それ故に多少の正当性があった。だが、尊氏はどうだ?後醍醐先帝の多大なる恩を忘れ、天下を奪った。建武大乱という前代未聞の不義のせいで今も内戦が続いている。民は苦しみ、親兄弟が敵味方に分かれて戦うような悲惨な世の中になってしまった。否とは言わせぬぞ」
「現実を見られませ。兄上は北条氏を倒し、中先代の乱も鎮圧して天下平定に最大の功績を残されました。にも関わらず、後醍醐の先帝が奸臣を重用して徒らに対立した結果、兄上の正義の挙兵を招いて何もかも崩壊させたのです……それに何やら救民を叫びたいようですが、行動と矛盾しておられますぞ?南朝は交渉期間中も寺社や荘園を侵し、武力で領土を拡大しておられたではありませんか」
「……天下が統一されれば、南北双方の武士の所領や恩賞が保障される故、武家の本領失陥は心配無用だ。兎に角、三種の神器を継承する南朝の帝こそ唯一の正統な主上なのだ。少しでも平和を実現する志があるなら、大政を奉還せよ。降伏を申し出たからにはな」
「まさか北朝が正統性を欠くと?十四年前の和平で後醍醐の先帝は退位して神器も渡されました。これによって即位したのですから、北朝が正統です。その後の吉野潜幸は先帝の勝手が過ぎました」
「……全く以て南朝に降伏する者の言葉とは思えぬが」
「事実を申しているのみです。建武の新政が僅か数年で失敗した事を知らぬ者はおりません。これでどうして武家が再び公家一統など望みましょうや。南朝の帝が京に戻り、皇統の存続のために尽くされる事は構いません。しかしながら……世の安寧のためなら尚のこと幕府が政治を続ける事をお認め頂かねば、意味がありません」
生真面目な直義の悪癖であろうか。南朝に降伏するという舌の根も乾かない内に全力で親房を論破しようとしてしまったらしい。
さしもの北畠親房もこれには呆れ返った。というより思い出したのである。直義は直義であの尊氏の弟だ。故に人とは色々とズレているという事に。しかも、南朝とて無い袖が振れぬ立場である事に変わりない。我慢して予定通りお墨付きを与えるしか無かった。
結論から言ってしまえば、この二人の水と油は後醍醐天皇十三回忌となる翌年にまで尾を引くのだが、それはまだ先の話である。
(足利幕府の諸将ならいざ知らず、恵源個人の戦闘力はそこまで大したものではない。幸い次期将軍の義詮は凡才という噂だ。事が終われば時行をして仲良く暗殺してくれる。さすれば、足利一門は斯波か吉良か渋川かで割れるに違いない。直冬とて実力は如何程か)
「帰京は南朝関係者全ての望みだ。これだけは叶えて貰うぞ?」
「ご安心を。早速、石塔頼房に続き新たに武将を近江国に送るところです。まだ無名ながら亡き庇番頭人たちにも劣らぬ俊傑です」
「……ほう。後学のため、名前を聞いておきたい」
「上野直勝」
観応元年十一月二十七日、直義派武将・上野直勝なる者が近江国の反乱軍と合流し、大原荘油日城麓の善応寺において挙兵した。
明らかに直義が河内国に居ながら、武将を派遣して近江国に揺さ振りを掛けている。直義得意のリモートワークに六角軍が如何にして対処するのか。京の人々は歯痒い思いで氏頼に視線を送った。