崇永記   作:三寸法師

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◆6

〜1〜

 

 

 観応元年(西暦1350年)十二月五日、俺は洛外に出て久し振りに江州帰国の途に着いた。無論、定詮(山内五郎)敗退の次はこの俺自ら出て来ると南朝軍が読んで山科周辺に罠を張り巡らせている可能性も十分に考えられる。

 そこで俺は一計を案じた。出立してから時間が経ち、そこそこ陽が高くなった頃、俺は事が上手く運んだとばかりに一息吐いた。

 

 

「三井寺(園城寺)の僧たちよ。礼を言う。よくぞ我が要請に答えてくれた」

 

 

「いえ。佐々木様との誼なれば、この程度は当然です」

 

 

「それより早く本拠地にお戻りを」

 

 

「一刻も早く態勢を立て直し、南朝軍を駆逐して下され」

 

 

「ああ!」

 

 

 蓋を開けてみれば簡単な話だろう。三井寺(園城寺)の船を拝借し、琵琶湖を渡って本拠地・佐々木荘に戻ろうという試みだ。定詮(山内五郎)を破って一説には討ち取ったという直義(武衛禅門)傘下の南朝軍の実力が不透明な現状、俺としても闇雲な突破は一旦避けたい。ならば船でスキップだ。

 こうして俺は近江国に戻った。臨戦態勢の佐々木城(観音寺城)では、疲労困憊の敗残兵たちを収容している様子であったが、当主の俺が戻ったと知り、一躍沸き立った。戦意の心配は無さそうでホッとする。

 

 

「兄様(あにさま)!よく戻られました!」

 

 

「ッ……定詮(五郎)、生きてくれていたようだな」

 

 

「はい。この通り……ご迷惑をお掛け致します」

 

 

 昨日、我が次弟の定詮(山内五郎)は思わぬ敗戦を喫した。三上山・野洲河原の一帯において、石塔頼房(右馬助)と上野直勝(太郎二郎)の直義(武衛禅門)傘下足利庶流連合軍に敗れたのである。これにより、勢多橋周辺で甚大な被害が出た。

 その才覚がありながら何故に負けたのだと責めたい気持ちは山々だったが、結局のところは俺の起用ミスになってしまう。なので、取り敢えず甘い言葉を囁き、我が寛大さを演出する事に決めた。

 

 

「この長兄(あに)が参ったからにはもう心配ない。石塔・上野だろうと恵(武衛)源(禅門)本人だろうと必ず倍返しで懲らしめてやる。我が近江国に手を出せば如何なる末路が待っているのか、天下に知らしめてやろう」

 

 

「は!」

 

 

「態勢を立て直すぞ。まずは軍議だ。定詮(五郎)、皆を集めてくれ」

 

 

「御意!」

 

 

 思えば三年前に楠木正行(まさつら)に敗れて以来、我が六角軍は殆ど負けが込んでしまっている状態だ。四條畷合戦や吉野攻略はあくまでも師(高武)直(蔵守)の功績に過ぎない。そう考えると確かに擾乱の本格化前に皆で勝ち方なるものを思い出し、流れを変えておきたいところである。

 定詮が重臣たちを招集している間、俺は先の琵琶湖渡航で湿気った装束を着替えるべく、城内の自室に戻った。既に着替えの旨は馬廻りの者を遣って伝えている。卒なく段取りが整えられていた。

 

 

「甲賀三郎(望月甲賀三郎)。久し振りだな」

 

 

「待ってたよ……首を長くしてさ」

 

 

「はン。アイツらは居ないのか?」

 

 

「うん……奥方様と若子様は別室で待機してる。殿様を煩わせたくないんだって。次の戦、本当に負ける訳にいかないんでしょ?」

 

 

「そりゃそうだ。俺まで負けたら佐々木一族は終わりだ。楠木正行(まさつら)ならまだしも、石塔も上野も足利庶流出身者だぞ?そんな奴らに負けたら、幕府が外様武将に近江国を任せ続ける謂れが無くなる」

 

 

 他人事のような口振りも、所詮は頭の片隅の焦燥を覆い隠すための瞞しに過ぎない。正真正銘、進退が掛かった戦というのは一体いつ以来だろうか。十四年前に北畠顕家の大軍勢が攻めて来た時とも異なっている気がする。仮にあの戦で俺まで敗死する程の完全敗北を喫したところで、相手が悪過ぎたと言い訳する余地があった。

 しかし、今回は違う。敗戦した場合、本当に言い訳が出来ない。

 絶対に負けられないのだ。石塔頼房(右馬助)や上野直勝(太郎二郎)にどれだけの才能が眠っていようとも関係ない。外様武将の価値が試されている。

 棒立ちとなり、馬廻り衆所属の幼子複数人に装束の交換を行って貰いつつ、俺は面前の亜也子(望月甲賀三郎)に向かって愚痴をつらつら溢した。

 

 

「昨日の定詮(五郎)敗戦の原因は、きっと小佐治氏だ。あの不埒者が内通していたため、不覚を取ってしまったのだろうよ。この俺さえ居れば忍軍をして暴けていたのだろうが、今となっては後の祭りだ」

 

 

「……」

 

 

「もしや……あ(・)の(・)女(・)はその手の内通者を危惧して再三、俺を?」

 

 

「……どうだろ。確信してたかどうかは分かんない」

 

 

「まぁ良い。終わった話だ……これから三日か四日ほど入念に編成を行う体裁を取りながら、畿内近国の戦況再把握と近江国の将兵たちの洗い直しを行うつもりだ。全力で戦うための人事を尽くす」

 

 

「……」

 

 

 元便女の亜也子(望月甲賀三郎)の口数は明らかに少ない。中先代の乱の終盤で俺に降ってから十五年が経つが、直近の六角軍の不調に歯痒さを感じているのだろうか。このままでは天下無双の武者になれないと。

 そこまで考えて俺は思い至った。亜也子(望月甲賀三郎)が何を待っているのか。

 

 

「次の戦……定詮(五郎)は休ませるつもりだ。この城に残す」

 

 

「ッ!」

 

 

「代わりに武将が必要だ。甲賀三郎(望月甲賀三郎)、備えは出来ているな?お前を連れて行く。かつて石塔範家(左近将監)を屠りし力、存分に奮って見せよ」

 

 

「は!」

 

 

 便女ではなく男名の法体として六角佐々木家に仕える身としての本懐なのだろう。先程までの鬱々とした空気はどこへやら、一変して亜也子(望月甲賀三郎)はやっと前線でまともに交戦できると張り切り始めた。

 再戦の日が間近に迫っている。俺が出向く以上、いよいよ敗北の二文字は、尊氏様のためにも今後の我々のためにも許されない。

 軍議を始めよう。ここから六角軍は勝利あるのみだ。そう自分を奮い立たせ、俺は重臣たちの前に姿を現す。石塔や上野以上に背信の江州武士どもを必ずや殺してくれる。俺は固く決意していた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 観応元年(西暦1350年)十二月七日、再戦に備えて内外の状況の再把握に努めていた矢先、俺は急報に眉を顰めていた。上野直勝(太郎二郎)を瀬田宿の焼け跡に残したまま、頼房(石塔右馬助)が南から迂回して昨晩男山(岩清水八幡宮)に入ったという。

 これだけなら喜ぶべき事態かもしれない。上野勢の打倒に集中できるようになるので、少なくとも近江国の情勢を安定させるという喫緊の課題に絞るなら、歓迎すべき情勢の変化と言えるだろう。

 

 

「だが……ああ、クソッたれ!」

 

 

「申し訳ありません。この伊庭が勢多宿を見捨てず、せめて一日保たせていれば、左様に殿を煩わせるような事態にならずに……」

 

 

「いいや、伊庭。あの状況の撤退なら理解できる。定詮(五郎)が敗れて挟撃策が採れなくなった以上、やむを得なかったのだろう?しかも、勢多宿は我が支配だけでなく園城寺(三井寺)の影響力も根強い。村々の避難は済ませていたが、あの大規模な宿場町では勝手が違う。はっきり言ってしまえば、足手纏い共の警護に拘るより、すっぱり本拠地に撤退する判断の方が賢い……定詮(五郎)、お前を責めてはおらぬぞ?」

 

 

「はい!分かっております!」

 

 

「う、うむ……しっかし、石塔め。余計な事を」

 

 

 まだまだ身体に戦疲れの様子がありながら精神は依然として元気な次弟・定詮(山内五郎)の様子に戸惑いつつ、俺は敵将・石塔頼房(右馬助)の動向を問題視する。元々、俺は石塔も上野も討つつもりで下向したのだ。

 しかしながら、頼房(石塔右馬助)が勢多から宇治方面に進撃し、巨椋池の南を通って男山で籠っているとなれば、流石に今から追い掛けてリベンジするのは非現実的だ。在京の他の幕府武将に任せるしかない。

 

 

「これで……俺自ら石塔に借りを返す事は出来なくなった」

 

 

「……して、殿。京のどなたが討ち手となるのです?」

 

 

「それよ、馬淵。そこが問題なのだ」

 

 

 重臣筆頭の馬淵の問い掛けに対し、俺が苦虫を噛み潰したような返答をしたためか、瞬く間に六角党の面々に緊張が張り詰める。

 頼房(石塔右馬助)は確かな実力の持ち主であるようだ。十五年前に亜也子(当時の北条軍)の怪力で討ち取られた亡き石塔範家(左近将監)に比べ、強さも将器も段違いに上であると言えよう。範家(左近将監)が実力を伸ばし切る前に戦死してしまったので多少は仕方ない面もあるのだが、要は兄より優秀な弟なのだ。

 

 

「そんなに……頼りない者しか居らぬので?今の京には」

 

 

「違う、伊庭。むしろ逆だ」

 

 

「逆?」

 

 

 尊氏様や高兄弟が直冬(左兵衛佐)征伐に出向き、桃井直常(刑部大輔)らの直義(武衛禅門)派武将が複数居なくなって尚、相応の面々が京の義詮(宰相中将)の元に集っている。

 小笠原政長(遠江守)や千葉氏のような外様大名ばかりではない。足利一門だけでも名将・斯波(尾張)高経(修理大夫)のような辣腕が続々と控えているのだ。

 

 

「左様……さしもの石塔頼房(右馬助)もこの両名の組み合わせの前には撃退されてしまうだろう。それでは討ち手どもの武名が我らより高まる事に他ならない。口惜しい……ここまで言えば、分かるだろ?」

 

 

「まさか──」

 

 

「討ち手は二名の大将によって率いられる。片方は足利一門より仁木義長(越後守)殿。知っての通り、幕府でも有数の勇将だ。そして、問題のもう一人こそ……チッ。口に出すのも煩わしい。あの道誉(佐渡判官)殿だ」

 

 

「「「!!!」」」

 

 

 実のところ、仁木義長(越後守)の武勇と佐々木道誉(佐渡判官)の策謀の組み合わせはかなり効果的だ。ひょっとすると高兄弟以上の相性の良さを発揮しかねない。凡庸な義詮(宰相中将)にこれが思い付けるとも考えられないので、道誉(佐渡判官)本人の発案もしくは高経(修理大夫)の提案による采配と見て良い筈だ。

 重臣たちが顔を見合わせる。間の抜けた話だが、皆一様にマズいと顔に書いていた。罷り間違えば、我ら六角家が遂に京極家の格下に成り下がったと天下に受け止められる事態にもなりかねない。

 

 

「兄様!あの腹黒坊主の事です!間違いなく仁木義長(越後守)の武勇を借り受けた事を棚に上げ、京極家が独力で石塔頼房(右馬助)を破ったと喧伝しましょうぞ!……ああ!返す返すも小佐治の裏切りが無ければ!」

 

 

「もう終わった話だ……定詮(山内五郎)、お前の借りは小佐治の首で晴らす」

 

 

「そうです、御両人。今は目の前の戦に集中しましょう。石塔とて男山に拠れば、京極・仁木連合軍との激戦を避け、一旦守勢に入る事を優先するかと。必ずしも御懸念通りになるとは限りません」

 

 

「馬淵の申す通りだ。定詮(五郎)、お前が武名を取り戻す機会も二年以内に訪れる。恵源(武衛禅門)と将軍の全面衝突だ。故に今は静養に専念せよ」

 

 

「……は」

 

 

 動乱の火の手は確実に京に迫っている。石塔頼房(右馬助)が一応は源氏末流の自覚があるのか男山(岩清水八幡宮)での狼藉を自粛していた間、東の比叡山延暦寺で失火事件が複数発生した。勿論、戦闘も勃発していた。

 京極(佐々木)道誉(佐渡判官)と仁木義長(越後守)の連合軍が赤井河原において頼房(石塔右馬助)率いる一万余騎と激突する。案の定と言うべきか、道誉(佐渡判官)たちは直義(武衛禅門)配下の京侵入を許さなかった。然して石塔軍を撃滅できた訳でもなかった。

 反乱の燎原は容易く鎮められるものではない。とはいえ、まずは近江国を完全に固め直さなければ収拾の道筋など夢のまた夢だ。

 観応の擾乱が本格化しつつある。この辺りで今一度、佐々木惣領として武名を高め直さなければならない。事ここに至り、俺は目の前の合戦に向けて決意した。目指すのは只一つだ。完勝である。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 観応元年(西暦1350年)十二月九日の夜、私は出陣を明朝に控えて気分の高揚を抑え切れずに居た。魅摩の護衛という訳でもなく、正真正銘の六角軍の一員として出陣するのは十二年前の黒血川合戦以来なのだ。

 しかし、そんな浮き足だった心根を見透かされたせいか、不意に魅摩に呼び出されて釘を刺された。魅摩としても絶対に負けて欲しくないらしい。微力ながら不安要素を出来る限り無くしたいと。

 

 

「いい?普通にやったら勝てる筈だからね?紆余曲折あったけど、氏頼(大夫判官)殿御自ら出陣となったからには上野も小佐治も敵じゃない」

 

 

「分かってる。だからこそ……だよね?」

 

 

「そう。くれぐれも郎党が足を引っ張って不測の事態を招くような真似をするんじゃないよ?あんたも含めて……一応、敵はこの半月でかなり勢い付いてきている。決して油断できる相手じゃない」

 

 

 まだ足利直義(武衛禅門)は河内国の石川城で細川顕氏(陸奥守)や畠山国清(阿波守)と一緒と聞いているが、ここ最近は明らかに石塔頼房(右馬助)の活躍が目覚ましい。

 ふと北条軍に居た頃に戦った石塔範家(左近将監)を思い出す。もし範家が今も生きていれば、近日の頼房(石塔右馬助)のように八面六臂の奮闘を見せていたのだろうか。聞いた話では、石塔軍は「満子ちゃん」という女人の旗を掲げていたらしい。昔日の「鶴子ちゃん」が思い出される。

 しかも、石塔頼房(右馬助)は「満子ちゃん」がまで定詮(山内五郎)様直々に馬鹿にされたと見るや逆上して奮起したという。詳しいところはまだはっきりしないままだが、もしかすると頼房(石塔右馬助)はかつて聞いた渋川義季(刑部大輔)の憤怒のような特性を同時に併せ持っている武将なのかもしれない。

 

 

「敵の先鋒の石塔軍は今、宇治に移動してるって。乱妨狼藉に夢中らしいから、また近江国に戻って来る可能性は低いらしいけど」

 

 

「ああ、今日はそうだったらしいね。源氏の聖地の岩清水八幡宮でも無ければ容赦しないという事なんだろうさ……案外、今も兵糧に困っている可能性がありそうだ。瀬田宿以外で碌に兵糧を横奪できなかったのが今になって響いているんだろうさ。恵源(武衛禅門)公も今はまだ河内国に居て手配が難しい以上、黙認するしかないみたいだね」

 

 

「……多分、恵源(武衛禅門)公は昔の直義公(副将軍)じゃないよ。南朝に降ってるみたいだし、清廉潔白を捨てる気で、高兄弟を倒す気なんだと思う」

 

 

「だね……ただ、京への執着は並じゃないと思うよ?今日、上野軍の一部が逢坂山に斥候に向かったらしいね?氏頼(大夫判官)殿を焦らせて誘い出す腹かとも思ったけど、あいつなら食い破るだろうよ。完膚なきまでに……ちゃんと力を発揮できれば、怖い者無しの筈なんだ」

 

 

「大丈夫、私も目賀田殿も居るから。そんなに侍女を誑かして軍議に耳を傾けなくても良いよ……確信があるんだ。明日の戦で殿様の名前が天下に広く轟くよ。裏切った江州武士の首を贄にしてね」

 

 

「……へぇ、そりゃ楽しみだ」

 

 

 私の微笑みで魅摩も感じ取ってくれたらしい。殿様が合戦に向けて気合いを入れている。こうなった以上、上野軍に明日はない。

 前石見国守護(上野左馬助頼兼)の身内か何か知らないが、定詮(山内五郎)様に余計な敗戦歴をくれたバチが当たるのだ。殿様自ら鉄槌を下す事は間違いない。

 そして翌日、出陣式を終えて殿様が馬に乗った。その風格は明らかに名将の佇まいだ。今までで最も燦然たりと素直に惹かれた。

 

 

「我こそは佐々木惣領・六角氏頼(大夫判官)。将軍・尊氏公の烏帽子子にして近江国守護と検非違使を兼ねる者……今更申すまでもあるまい」

 

 

「「「……」」」

 

 

「北畠顕家に城を落とされて十四年が経った。今再び賊軍が我が近江国を足掛かりに京を混乱に陥れようとしている……決して容認できるものではない。あの頃と違い、俺は何者にも劣らぬ猛勇を手に入れた。今こそ天下に示さん。武将としての我が力を!佐々木嫡流の本領を!出陣の時は来た!太鼓を打て!旗を掲げよ!いざ!」

 

 

「「「「「応!」」」」」

 

 

 一族伝来の太刀「綱切」の刀身が輝き、佐々木氏の家紋・四つ目結を示す大旗が高らかに靡いた。こうなれば六角党は最高潮だ。

 野洲郡の街道を西へ進み、守山を狙う。石塔頼房(右馬助)はやはり不在の様子だったが、それでも足利一門の上野直勝(太郎二郎)が居る。敵軍の陣容は甲賀衆によって既に丸裸だ。今更定詮(山内五郎)様の二の舞は有り得ない。

 今ここに始まろうとしている。殿様の別格たる事を示す合戦が。

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