崇永記   作:三寸法師

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◆9

〜1〜

 

 

 観応二年(西暦1351年)正月四日、俺は歯痒い思いで比叡山を見詰めていた。

 原因は言うまでもあるまい。昨日から坂本・大津の近辺に桃井軍の兵馬が充満しつつあるせいだ。広大な琵琶湖のお陰で、我が六角氏の本拠地・佐々木荘に被害が出ている訳ではないが、やはり京の公武関係者にとっては喫緊の課題だ。最悪の状況と言って良い。

 

 

「京ですら今日は朝から雪が降っていると申すに……北陸は軍勢が通れぬ程の雪が積もっているのではなかったのか!?どうして桃井軍が迫っておる!?これでは石塔軍とで挟み撃ちではないか!」

 

 

「分かりませぬが……天下有数の武将ともなれば、通れぬ筈の場所でも踏破してしまうものにございます。稲村ヶ崎の新田義貞(左中将)が良い例でしょう。桃井直常(右馬権頭)もまた往年の義貞(新田左中将)に劣らぬ名将ですから」

 

 

 後になって聞いた話によれば、桃井直常(右馬権頭)は例年以上の寒さで山も谷も雪も覆われている現状を打破すべく、一案を講じたらしい。

 曰く、軍勢丸々下馬させ、先頭の竿を目印に昼夜兼行で深雪を踏み固めさせた*1という。これによって山道が凍り、桃井軍は馬の蹄を損なう事なく近江国に進んだ。幕府武将が冬の北陸道の厳しさを知っている分、直常(右馬権頭)は却って意表を突く事に成功したのである。

 もしかすると京を抜け出す際に前もって直義(武衛禅門)から入れ知恵されていたのかもしれない。だとすると直義(武衛禅門)は前々から桃井軍の到着を計算に入れて、ここまで計略を進めていたのだろうか。年明け早々に京の人々の間で広まっていた直義(武衛禅門)上洛の噂も、我らの視線を北陸から逸らすための欺瞞だったように思われる。あるいは先の守山合戦における上野軍壊滅すら、桃井軍という本命を隠す目的で、敢えて損切りした可能性もあるのではないだろうか。疑問は尽きない。

 何はともあれ、かなり不味い事になった。十三年前、北畠顕家の戦死後も変わらず春日軍が男山を占拠していた頃、脇屋軍が北陸から上って比叡山延暦寺に入り、京を二方面から追い詰めるのではないかと危惧された事があったが、奇しくも今になって石塔頼房(右馬助)と桃井直常(右馬権守)により、全く同じ窮地が実現されてしまった格好である。

 

 

「むぅ……昨日は夜も眠れなかったぞ。桃井め。どれだけの兵を従えておる。大岳(大比叡)で堂々と篝火を焚きおって。京を脅すつもりだ」

 

 

「確かに桃井軍の篝火は物々しい限りでした。寒さに耐えかねる兵を慰労するための火であったと思われますが……京に対する脅しとしても充分に機能したようです。桃井直常(右馬権頭)、やはり侮れません」

 

 

「うむ……氏頼(大夫判官)殿。昨日の今日で桃井軍はどれだけ増えた?」

 

 

「昨日時点で数千騎程度でしたが、どうやら能登国から越前国に至るまでの在地武士も参加しているようです。更に上杉軍の一部ばかりか楠木氏の庶流・和田勢が加わっているという話も。桃井軍本隊が到着した今、多くて二万余騎は見積もっておくべきでしょう」

 

 

「……攻め落とせるか?氏頼(大夫判官)殿」

 

 

「はっきり申し上げて……義詮(宰相中将)様。今はまだ厳しいかと存じます」

 

 

 元室町幕府副将軍の直義(武衛禅門)を敵に回している今、比叡山延暦寺の僧兵たちが桃井軍に協力している可能性を警戒すべきだ。両者が相手となると流石に我が佐々木六角軍だけでの攻略は厳しいものと言わざるを得ない。在京の斯波(尾張)軍や小笠原軍の助勢が不可欠となる。

 しかし、そうなると今度は男山の石塔軍がネックとなる。いつ天王寺から直義(武衛禅門)や畠山軍、また豚平焼き(細川顕氏)が合流するか分からない今、京の兵力を比叡山攻めに動員するのは悪手でしかない。もしそれを行うなら、尊氏様が先に直義軍を撃破する事を待つのが条件だ。

 勿論、観応の擾乱の流れから考えると時期尚早と言わざるを得ない話である。つまり、京は当面の間、まんまと桃井軍の脅威に晒されるしかなくなってしまった。精々が京に攻め込まれたところを撃退し続け、比叡山の山奥に桃井軍を押し込んでおく程度だろう。

 

 

「小笠原軍が鴨河原で備えておるが……本当に攻めて参るか?」

 

 

「……恐れながら桃井直常(右馬権頭)という将は将軍や義詮(宰相中将)様より恵源(武衛禅門)公を主君として仰ぐ類の輩です。その気になれば遠慮なく攻めるかと」

 

 

「おのれ……叔父上の信者はそのような者ばかりなのか」

 

 

 この日、桃井軍が坂本から京に攻め寄せるのではないかという噂が広まったものの、夕方になって事実無根と判明したため、鴨河原に布陣の防衛隊は唾を吐きながら各々の屋敷に帰る事になった。

 また、比叡山延暦寺を桃井軍と仲違いさせるべく、尊氏様が近江国の三箇荘を寄付したかと思えば、翌日になって直義(武衛禅門)が同じ全く土地を寄進するという珍事も起きた。奇々怪界な状況が続き、苛立ちが募り始める。一体いつまでこのような情勢が続くのだろうか。

 かつてない息苦しさが京を覆う。尊氏様が畿内に迫っても直義(武衛禅門)派の勢いは留まるところを知らず、京の人心に暗雲が立ち込めた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 観応元年(西暦1350年)正月七日、事態は刻々と動き始めている。昨日、将軍が西宮に入ったという急報があったかと思えば、今日は瀬川に布陣したらしい。そして、直義(武衛禅門)もまた動かざるを得なくなったようだ。

 遂に天王寺を離れ、男山の石塔軍と合流したのである。京の緊張は最高潮だ。いつ京で合戦が始まっても可笑しくないのだから。

 京にて義詮(宰相中将)の元で行われた軍議も当然、物々しい雰囲気となる。

 

 

「で、どうする?比叡山の桃井軍だけではない。男山の石塔軍に叔父上の軍勢が加わった。父上の御到着が頼みだが、それも間に合うかどうか。せめて誰か武将が先行してくれておれば良いのだが」

 

 

「義詮(宰相中将)様、お喜びを。ちょうど山名殿が京に急行しております」

 

 

「山名か……師直(武蔵守)ではないのか」

 

 

「「「ッ!」」」

 

 

 不意の義詮(宰相中将)の呟きにより、俺も高経(修理大夫)たちも皆一様に固まった。

 高一族への信頼の篤さは百歩譲って良しとして、士気の下がるような失言は慎んでもらいたいものだ。幾ら小声で呟いたところで、この軍議に参加しているような武将ならまず聞き取れてしまう。

 気不味い雰囲気が漂い始める。話題を変えようと俺は開口した。

 

 

「して、高経(修理大夫)殿。男山と比叡山それぞれの武将の担当は如何に?」

 

 

「氏頼(大夫判官)殿、安心されよ。当面の間は変更ない。勿論、将軍や師直(武蔵守)殿次第で変わるやも知れぬがな……全く大変な事になったものよ」

 

 

 将軍が畿内に入った以上、近日中に現状の京の指揮系統に手が加えられる可能性が高い。ただでさえ昨年末に崇光天皇の行幸措置が混乱を招いたとして白紙に戻さざるを得なくなった事例もある。

 これまで京で義詮(宰相中将)を支えていた高経(修理大夫)の心象は必ずしも良いものではないかもしれない。まして高経(修理大夫)は長年の間、義貞(新田左中将)の遺品を巡る騒動が原因で、ずっと将軍への遺恨を腹に収めている様子なのだ。

 御所巻まで直義(武衛禅門)に近い動きを見せていた事もあり、師直(将軍執事)派武将も心の何処かで疑っている。予め俺が釘を刺しておいたが、子息共々決して血迷わず、三管領への道を進んで貰う事を祈るばかりだ。

 

 

「義詮(宰相中将)殿。この高経(修理大夫)が考えますに、今暫く御辛抱を。お父上が京を目指している今、反撃の機会は近い内に必ず巡って参ります故」

 

 

「……それまで父上の軍勢が叔父上を牽制してくれるのだな?」

 

 

「ええ。摂津国守護の範資(赤松信濃守)殿も黙ってはおるまいかと」

 

 

 六日前に赤松家配下の摂津国守護代・河江円道(右衛門太郎)が、畠山軍の侵攻の前に撃破されたという凶報は、当然ながら京にも届いている。

 先代の円心(赤松則村)の逝去から丁度丸一年が経とうとしている。赤松軍の武力が未だ健在であると示すために必死の戦いを演じるだろう。

 箱根竹下合戦での共闘を思い出す。範資(赤松信濃守)の力量が一級品である事は高経(修理大夫)も重々承知だ。その言葉に義詮(宰相中将)も勇気付けられたようだ。

 

 

「分かった……皆、防衛だ!父上の御帰還まで京を守り抜け!」

 

 

「「「御意!」」」

 

 

 取り敢えず京でこの先も粘り続ける事が先決である。直義軍が勢いのまま師直(高武蔵守)を討ち取ったところで、再び立ち上がるとしよう。

 しかし、この目論見も所詮は皮算用に過ぎなかった。観応二年(西暦1351年)正月九日、南朝の宗良(四宮)が比叡山に現れたという怪情報*2が広まる。

 元天台座主の南朝皇族(宗良親王)の出現により、比叡山延暦寺が確かに幕府に楯突く気なのではないかと推定せざるを得なくなった。義詮(宰相中将)だけではない。佐々木惣領(六角家当主)の俺も因縁の比叡山の近況に眉を顰めた。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 観応二年(西暦1351年)正月十日、京の武将たちが固唾を呑んで集まっている。

 無論、義詮(宰相中将)の緊張はそれ以上だ。遂に開戦が迫っている。既に師(高武)直(蔵守)から内々の知らせがあり、今日にも将軍が山崎に入るという。

 先鋒大将に赤松範資(信濃守)を据え、昼過ぎにも矢合わせとの事である。

 

 

「いよいよだな……氏頼(大夫判官)殿、此方も準備は万全か?」

 

 

「はい。いつ何処の恵源(武衛禅門)派武将の攻撃があっても対応可能です」

 

 

「囲魏救趙というが……あの桃井が京の攻撃を優先するか?」

 

 

「はい。直接恵源(武衛禅門)公を救援するより京を狙う素振りを見せ、将軍の矛先が男山から逸れるよう計らうかと。それがいつかは兎も角」

 

 

「うむ……しかし、男山攻略は大変だぞ。師直(武蔵守)だけならまだしも父上も座す軍勢だ。二度と男山を燃やすような真似は出来ん。叔父上が男山で粘り続けようとすれば、いつまで掛かる事になるやら」

 

 

「場合によっては……桃井軍が京に攻め込んできたところを我らが返り討ち、その勢いで男山を襲う。それが勝利の鍵になるやも」

 

 

 現在、京の義詮(宰相中将)の元に三万余騎の兵力が集っている。桃井軍が比叡山に居り、伊勢国の北畠軍残党の動向も不明であるため、我が近江国の軍勢を呼べないのは辛いところだが、勝算は十分である。

 師直(高武蔵守)の戦死まで軽率に動けないとはいえ、そこまで悲観する事はあるまい。時機が到来し次第、逆襲を図ろう。譬(たと)え驍将・桃井直常(右馬権頭)が相手でも政長(小笠原遠江守)と組めば多少の地形の不利は充分に覆せよう。

 そう思っていた。不意の報せが京の義詮(宰相中将)の元に飛び込むまでは。

 

 

「将軍の事です。その気になれば、男山の恵源(武衛禅門)派武将の誰ぞを再び寝返らせ、守りに隙を生じさせる事も容易い筈です。元々石塔軍対策で道誉(佐渡判官)殿が現地に向かっていたのです。芽が無いことも──」

 

 

「大変です!斯波(尾張足利)家の皆様方の姿がありません!」

 

 

「……え」

 

 

「は……頼章(左京大夫)、今何と?高経(修理大夫)殿たちがどうした?」

 

 

「……既に男山(岩清水八幡宮)の恵源(武衛禅門)公に参じたものと思われます!」

 

 

「「!?」」

 

 

 観応二年(西暦1351年)正月十日、京に激震が走った。足利一門でも最高峰の有力武将・斯波(尾張)高経(修理大夫)が裏切り、そのまま男山(岩清水八幡宮)へと入ったのである。

 薄々警戒していたとはいえ、よ(・)も(・)や(・)よ(・)も(・)や(・)である。これでは何のための釘刺しだったのか分からない。高経(修理大夫)は前々から裏切るつもりだったのだろうか。ある意味、一番困る時期に寝返ってくれた。

 

 

「これから将軍が本格的に直義(武衛禅門)派と戦うという時に……」

 

 

「あり得ん……高経(修理大夫)!それで亡き家長(陸奥守)に顔向けできるのか!斯波(尾張足利)家は我に忠義を尽くしてくれるのではなかったのか!一体どうなっておるのだ!高経(修理大夫)が向こうに参っては軍略が筒抜けではないか!」

 

 

「義詮(宰相中将)様。悪い報せは他にもあります。どうやら二階堂時綱(三河入道)殿も一緒に姿が無いようなのです。最悪の場合……引き抜かれました」

 

 

「何だと!?」

 

 

「申すまでもなく……これでは幕府の官僚機構に支障が」

 

 

「……義詮(宰相中将)様。ついでに言うと時綱(三河入道)殿の娘が道誉(佐渡判官)殿の正室です」

 

 

「はァ!?」

 

 

「……いやいや、六角殿。徒らに義詮(宰相中将)様を不安にさせるな」

 

 

「……これは失敬。懸念故とはいえ、不調法な事を申しました」

 

 

 政所執事の経験豊富な二階堂時綱(三河)の裏切りも高経(修理大夫)同様かなりの痛手と言って良いだろう。ただ、時綱(三河入道)は往年の鎌倉将軍府でも政所執事の経験があるため、その意味では直義(武衛禅門)とも縁故のある人物だ。

 あくまで結果論で言うのであれば、予測し得る人物たちが順当に寝返ったという事になる。今恐れるべきは他にも誰か裏切り者が潜んでいる可能性がある事だけではない。こうした裏切り者の出現で義詮(宰相中将)のメッキが剥がれる事だ。ただでさえ凡庸と噂されている上、次期将軍の名声が地に堕ちれば、足利将軍家の秩序が崩壊する。

 つまり、戦う上で直義(武衛禅門)が必ずしも尊氏様や義詮(宰相中将)のために高兄弟を討つと言い張る理由が無くなってしまうのだ。幾ら直義(武衛禅門)本人に簒奪の意思が無くとも、他の者どもが遠慮しなくなる可能性がある。

 

 

「氏頼(大夫判官)殿、どうすれば良い?如何にして高経(修理大夫)の穴を埋める?」

 

 

「……義詮(宰相中将)様。仁木殿なら多少は」

 

 

「いや、待て。補佐程度なら兎も角、戦略立案の要は……この頼章(左京大夫)で恵源(武衛禅門)公と知恵比べは厳しい。時綱(三河入道)殿が裏切った今、道誉(佐渡判官)殿を石塔軍対策から手を退かせて京に呼ぶのも……氏頼(大夫判官)殿。ここはやはり比較的義詮(宰相中将)様と歳の近い貴殿が……いや、それはそれで道誉(佐渡判官)殿との姻戚関係が懸念材料と申すか、筋が通らなくなってしまうか……」

 

 

「頼章(左京大夫)殿!あなた、俺と京極父娘の不仲は御存知でしょう!?」

 

 

「……そうであった」

 

 

「不仲?氏頼(大夫判官)殿、どういう事なのだ?」

 

 

「義詮(宰相中将)様!万が一、道誉(佐渡判官)殿が舅の二階堂殿を慕って恵源(武衛禅門)の野郎に投降したとしても、この氏頼(大夫判官)は自説を曲げず、尊氏様に忠義を捧げさせて頂くという事にございます……それより、今は将軍と連絡し直す事です。斯くなる上は将軍の御指図で今後の陣容を決めねば」

 

 

「氏頼(大夫判官)殿の申される通り。さすれば皆も納得するかと」

 

 

「……そうしよう。そうせねばならんな」

 

 

 観応二年(西暦1352年)正月中旬を迎え、空模様以上に先が不穏になっている。

 尊氏様はこの期に及んでも、未来なき師直(高武蔵守)との距離を取っていない様子であり、俺の不安は募るばかりであった。綱渡りの心地で戦況を見守るしかない。豚平焼き(細川顕氏)が山崎で迎え撃っているようだ。

 状況は悪くなる一方だった。最悪の場合、義詮(宰相中将)だけ連れて近江国に退いても構わないのだが、それでは北朝皇族(持明院統)が直義(武衛禅門)の手に堕ちてしまう。流石に今の直義(武衛禅門)は危な過ぎる上、最終的な尊氏様の勝利にも障りが出かねない。当然ながら比叡山の桃井軍も厄介だった。

 京の幕臣全員の顔が引き攣る。かつて新田義貞(左中将)とも渡り合った程の名将・斯波(尾張)高経(修理大夫)と文官の大黒柱・二階堂時綱(三河入道)の転身で、皆が動揺していた。そうした先行き不安が益々京を蝕んでいく事になる。

*1:
古典『太平記』諸本の中には、橋を懸けて二千余人を先に通した上で道を踏み固めてから通行したと説明するものもある。

*2:
『観応二年日次記』に言及がある。

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