〜1〜
観応二年正月四日、俺は歯痒い思いで比叡山を見詰めていた。
原因は言うまでもあるまい。昨日から坂本・大津の近辺に桃井軍の兵馬が充満しつつあるせいだ。広大な琵琶湖のお陰で、我が六角氏の本拠地・佐々木荘に被害が出ている訳ではないが、やはり京の公武関係者にとっては喫緊の課題だ。最悪の状況と言って良い。
「京ですら今日は朝から雪が降っていると申すに……北陸は軍勢が通れぬ程の雪が積もっているのではなかったのか!?どうして桃井軍が迫っておる!?これでは石塔軍とで挟み撃ちではないか!」
「分かりませぬが……天下有数の武将ともなれば、通れぬ筈の場所でも踏破してしまうものにございます。稲村ヶ崎の新田義貞が良い例でしょう。桃井直常もまた往年の義貞に劣らぬ名将ですから」
後になって聞いた話によれば、桃井直常は例年以上の寒さで山も谷も雪も覆われている現状を打破すべく、一案を講じたらしい。
曰く、軍勢丸々下馬させ、先頭の竿を目印に昼夜兼行で深雪を踏み固めさせたという。これによって山道が凍り、桃井軍は馬の蹄を損なう事なく近江国に進んだ。幕府武将が冬の北陸道の厳しさを知っている分、直常は却って意表を突く事に成功したのである。
もしかすると京を抜け出す際に前もって直義から入れ知恵されていたのかもしれない。だとすると直義は前々から桃井軍の到着を計算に入れて、ここまで計略を進めていたのだろうか。年明け早々に京の人々の間で広まっていた直義上洛の噂も、我らの視線を北陸から逸らすための欺瞞だったように思われる。あるいは先の守山合戦における上野軍壊滅すら、桃井軍という本命を隠す目的で、敢えて損切りした可能性もあるのではないだろうか。疑問は尽きない。
何はともあれ、かなり不味い事になった。十三年前、北畠顕家の戦死後も変わらず春日軍が男山を占拠していた頃、脇屋軍が北陸から上って比叡山延暦寺に入り、京を二方面から追い詰めるのではないかと危惧された事があったが、奇しくも今になって石塔頼房と桃井直常により、全く同じ窮地が実現されてしまった格好である。
「むぅ……昨日は夜も眠れなかったぞ。桃井め。どれだけの兵を従えておる。大岳で堂々と篝火を焚きおって。京を脅すつもりだ」
「確かに桃井軍の篝火は物々しい限りでした。寒さに耐えかねる兵を慰労するための火であったと思われますが……京に対する脅しとしても充分に機能したようです。桃井直常、やはり侮れません」
「うむ……氏頼殿。昨日の今日で桃井軍はどれだけ増えた?」
「昨日時点で数千騎程度でしたが、どうやら能登国から越前国に至るまでの在地武士も参加しているようです。更に上杉軍の一部ばかりか楠木氏の庶流・和田勢が加わっているという話も。桃井軍本隊が到着した今、多くて二万余騎は見積もっておくべきでしょう」
「……攻め落とせるか?氏頼殿」
「はっきり申し上げて……義詮様。今はまだ厳しいかと存じます」
元室町幕府副将軍の直義を敵に回している今、比叡山延暦寺の僧兵たちが桃井軍に協力している可能性を警戒すべきだ。両者が相手となると流石に我が佐々木六角軍だけでの攻略は厳しいものと言わざるを得ない。在京の斯波軍や小笠原軍の助勢が不可欠となる。
しかし、そうなると今度は男山の石塔軍がネックとなる。いつ天王寺から直義や畠山軍、また豚平焼きが合流するか分からない今、京の兵力を比叡山攻めに動員するのは悪手でしかない。もしそれを行うなら、尊氏様が先に直義軍を撃破する事を待つのが条件だ。
勿論、観応の擾乱の流れから考えると時期尚早と言わざるを得ない話である。つまり、京は当面の間、まんまと桃井軍の脅威に晒されるしかなくなってしまった。精々が京に攻め込まれたところを撃退し続け、比叡山の山奥に桃井軍を押し込んでおく程度だろう。
「小笠原軍が鴨河原で備えておるが……本当に攻めて参るか?」
「……恐れながら桃井直常という将は将軍や義詮様より恵源公を主君として仰ぐ類の輩です。その気になれば遠慮なく攻めるかと」
「おのれ……叔父上の信者はそのような者ばかりなのか」
この日、桃井軍が坂本から京に攻め寄せるのではないかという噂が広まったものの、夕方になって事実無根と判明したため、鴨河原に布陣の防衛隊は唾を吐きながら各々の屋敷に帰る事になった。
また、比叡山延暦寺を桃井軍と仲違いさせるべく、尊氏様が近江国の三箇荘を寄付したかと思えば、翌日になって直義が同じ全く土地を寄進するという珍事も起きた。奇々怪界な状況が続き、苛立ちが募り始める。一体いつまでこのような情勢が続くのだろうか。
かつてない息苦しさが京を覆う。尊氏様が畿内に迫っても直義派の勢いは留まるところを知らず、京の人心に暗雲が立ち込めた。
〜2〜
観応元年正月七日、事態は刻々と動き始めている。昨日、将軍が西宮に入ったという急報があったかと思えば、今日は瀬川に布陣したらしい。そして、直義もまた動かざるを得なくなったようだ。
遂に天王寺を離れ、男山の石塔軍と合流したのである。京の緊張は最高潮だ。いつ京で合戦が始まっても可笑しくないのだから。
京にて義詮の元で行われた軍議も当然、物々しい雰囲気となる。
「で、どうする?比叡山の桃井軍だけではない。男山の石塔軍に叔父上の軍勢が加わった。父上の御到着が頼みだが、それも間に合うかどうか。せめて誰か武将が先行してくれておれば良いのだが」
「義詮様、お喜びを。ちょうど山名殿が京に急行しております」
「山名か……師直ではないのか」
「「「ッ!」」」
不意の義詮の呟きにより、俺も高経たちも皆一様に固まった。
高一族への信頼の篤さは百歩譲って良しとして、士気の下がるような失言は慎んでもらいたいものだ。幾ら小声で呟いたところで、この軍議に参加しているような武将ならまず聞き取れてしまう。
気不味い雰囲気が漂い始める。話題を変えようと俺は開口した。
「して、高経殿。男山と比叡山それぞれの武将の担当は如何に?」
「氏頼殿、安心されよ。当面の間は変更ない。勿論、将軍や師直殿次第で変わるやも知れぬがな……全く大変な事になったものよ」
将軍が畿内に入った以上、近日中に現状の京の指揮系統に手が加えられる可能性が高い。ただでさえ昨年末に崇光天皇の行幸措置が混乱を招いたとして白紙に戻さざるを得なくなった事例もある。
これまで京で義詮を支えていた高経の心象は必ずしも良いものではないかもしれない。まして高経は長年の間、義貞の遺品を巡る騒動が原因で、ずっと将軍への遺恨を腹に収めている様子なのだ。
御所巻まで直義に近い動きを見せていた事もあり、師直派武将も心の何処かで疑っている。予め俺が釘を刺しておいたが、子息共々決して血迷わず、三管領への道を進んで貰う事を祈るばかりだ。
「義詮殿。この高経が考えますに、今暫く御辛抱を。お父上が京を目指している今、反撃の機会は近い内に必ず巡って参ります故」
「……それまで父上の軍勢が叔父上を牽制してくれるのだな?」
「ええ。摂津国守護の範資殿も黙ってはおるまいかと」
六日前に赤松家配下の摂津国守護代・河江円道が、畠山軍の侵攻の前に撃破されたという凶報は、当然ながら京にも届いている。
先代の円心の逝去から丁度丸一年が経とうとしている。赤松軍の武力が未だ健在であると示すために必死の戦いを演じるだろう。
箱根竹下合戦での共闘を思い出す。範資の力量が一級品である事は高経も重々承知だ。その言葉に義詮も勇気付けられたようだ。
「分かった……皆、防衛だ!父上の御帰還まで京を守り抜け!」
「「「御意!」」」
取り敢えず京でこの先も粘り続ける事が先決である。直義軍が勢いのまま師直を討ち取ったところで、再び立ち上がるとしよう。
しかし、この目論見も所詮は皮算用に過ぎなかった。観応二年正月九日、南朝の宗良が比叡山に現れたという怪情報が広まる。
元天台座主の南朝皇族の出現により、比叡山延暦寺が確かに幕府に楯突く気なのではないかと推定せざるを得なくなった。義詮だけではない。佐々木惣領の俺も因縁の比叡山の近況に眉を顰めた。
〜3〜
観応二年正月十日、京の武将たちが固唾を呑んで集まっている。
無論、義詮の緊張はそれ以上だ。遂に開戦が迫っている。既に師直から内々の知らせがあり、今日にも将軍が山崎に入るという。
先鋒大将に赤松範資を据え、昼過ぎにも矢合わせとの事である。
「いよいよだな……氏頼殿、此方も準備は万全か?」
「はい。いつ何処の恵源派武将の攻撃があっても対応可能です」
「囲魏救趙というが……あの桃井が京の攻撃を優先するか?」
「はい。直接恵源公を救援するより京を狙う素振りを見せ、将軍の矛先が男山から逸れるよう計らうかと。それがいつかは兎も角」
「うむ……しかし、男山攻略は大変だぞ。師直だけならまだしも父上も座す軍勢だ。二度と男山を燃やすような真似は出来ん。叔父上が男山で粘り続けようとすれば、いつまで掛かる事になるやら」
「場合によっては……桃井軍が京に攻め込んできたところを我らが返り討ち、その勢いで男山を襲う。それが勝利の鍵になるやも」
現在、京の義詮の元に三万余騎の兵力が集っている。桃井軍が比叡山に居り、伊勢国の北畠軍残党の動向も不明であるため、我が近江国の軍勢を呼べないのは辛いところだが、勝算は十分である。
師直の戦死まで軽率に動けないとはいえ、そこまで悲観する事はあるまい。時機が到来し次第、逆襲を図ろう。譬え驍将・桃井直常が相手でも政長と組めば多少の地形の不利は充分に覆せよう。
そう思っていた。不意の報せが京の義詮の元に飛び込むまでは。
「将軍の事です。その気になれば、男山の恵源派武将の誰ぞを再び寝返らせ、守りに隙を生じさせる事も容易い筈です。元々石塔軍対策で道誉殿が現地に向かっていたのです。芽が無いことも──」
「大変です!斯波家の皆様方の姿がありません!」
「……え」
「は……頼章、今何と?高経殿たちがどうした?」
「……既に男山の恵源公に参じたものと思われます!」
「「!?」」
観応二年正月十日、京に激震が走った。足利一門でも最高峰の有力武将・斯波高経が裏切り、そのまま男山へと入ったのである。
薄々警戒していたとはいえ、よもやよもやである。これでは何のための釘刺しだったのか分からない。高経は前々から裏切るつもりだったのだろうか。ある意味、一番困る時期に寝返ってくれた。
「これから将軍が本格的に直義派と戦うという時に……」
「あり得ん……高経!それで亡き家長に顔向けできるのか!斯波家は我に忠義を尽くしてくれるのではなかったのか!一体どうなっておるのだ!高経が向こうに参っては軍略が筒抜けではないか!」
「義詮様。悪い報せは他にもあります。どうやら二階堂時綱殿も一緒に姿が無いようなのです。最悪の場合……引き抜かれました」
「何だと!?」
「申すまでもなく……これでは幕府の官僚機構に支障が」
「……義詮様。ついでに言うと時綱殿の娘が道誉殿の正室です」
「はァ!?」
「……いやいや、六角殿。徒らに義詮様を不安にさせるな」
「……これは失敬。懸念故とはいえ、不調法な事を申しました」
政所執事の経験豊富な二階堂時綱の裏切りも高経同様かなりの痛手と言って良いだろう。ただ、時綱は往年の鎌倉将軍府でも政所執事の経験があるため、その意味では直義とも縁故のある人物だ。
あくまで結果論で言うのであれば、予測し得る人物たちが順当に寝返ったという事になる。今恐れるべきは他にも誰か裏切り者が潜んでいる可能性がある事だけではない。こうした裏切り者の出現で義詮のメッキが剥がれる事だ。ただでさえ凡庸と噂されている上、次期将軍の名声が地に堕ちれば、足利将軍家の秩序が崩壊する。
つまり、戦う上で直義が必ずしも尊氏様や義詮のために高兄弟を討つと言い張る理由が無くなってしまうのだ。幾ら直義本人に簒奪の意思が無くとも、他の者どもが遠慮しなくなる可能性がある。
「氏頼殿、どうすれば良い?如何にして高経の穴を埋める?」
「……義詮様。仁木殿なら多少は」
「いや、待て。補佐程度なら兎も角、戦略立案の要は……この頼章で恵源公と知恵比べは厳しい。時綱殿が裏切った今、道誉殿を石塔軍対策から手を退かせて京に呼ぶのも……氏頼殿。ここはやはり比較的義詮様と歳の近い貴殿が……いや、それはそれで道誉殿との姻戚関係が懸念材料と申すか、筋が通らなくなってしまうか……」
「頼章殿!あなた、俺と京極父娘の不仲は御存知でしょう!?」
「……そうであった」
「不仲?氏頼殿、どういう事なのだ?」
「義詮様!万が一、道誉殿が舅の二階堂殿を慕って恵源の野郎に投降したとしても、この氏頼は自説を曲げず、尊氏様に忠義を捧げさせて頂くという事にございます……それより、今は将軍と連絡し直す事です。斯くなる上は将軍の御指図で今後の陣容を決めねば」
「氏頼殿の申される通り。さすれば皆も納得するかと」
「……そうしよう。そうせねばならんな」
観応二年正月中旬を迎え、空模様以上に先が不穏になっている。
尊氏様はこの期に及んでも、未来なき師直との距離を取っていない様子であり、俺の不安は募るばかりであった。綱渡りの心地で戦況を見守るしかない。豚平焼きが山崎で迎え撃っているようだ。
状況は悪くなる一方だった。最悪の場合、義詮だけ連れて近江国に退いても構わないのだが、それでは北朝皇族が直義の手に堕ちてしまう。流石に今の直義は危な過ぎる上、最終的な尊氏様の勝利にも障りが出かねない。当然ながら比叡山の桃井軍も厄介だった。
京の幕臣全員の顔が引き攣る。かつて新田義貞とも渡り合った程の名将・斯波高経と文官の大黒柱・二階堂時綱の転身で、皆が動揺していた。そうした先行き不安が益々京を蝕んでいく事になる。