崇永記   作:三寸法師

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◆10+

〜1〜

 

 

 観応二年(西暦1351年)正月十五日の未明、義詮(宰相中将)が京を落ち延びた。佐々木惣領の俺は近江国に帰って再び軍勢を整え直すよう命じられたものの、その前にやる事がある。北朝皇族(持明院統)のこの先が未解決案件なのだ。

 生憎、俺がその事を明示する前に、それとない再考要請を固く却下されてしまっている。そうなった以上、俺が密かに尻拭いを行うしかない。持明院殿(洞院御所)に赴き、オフレコで光厳院と顔を合わせた。

 

 

「何と……足利の倅は何を考えているのだ!?全く分からぬ!」

 

 

「……私が申し上げても詮無き事なれど、謹んでお詫びを」

 

 

「ああ、いや。氏頼(大夫判官)が幕府で外様の出身ながら精一杯努めている事は分かっている。それは有り難く思う。なれど……足利義詮(宰相中将)がよもや皇族の保護を忘れて京を捨てるなど夢にも思わなかった。考え方によっては土岐頼遠(弾正少弼)の狼藉より酷いと言えるやも知れんからな」

 

 

 光厳上皇はどうにか当代の朝廷のトップとして怒りを呑み込もうとしている様子であったが、それでも動揺が抑え切れていない。

 当然だろう。側近たちと相談した気配こそあったものの、義詮(宰相中将)の決断は暴走としか言い表せまい。仮にも南朝軍を名乗る勢力が京周辺に犇めく中、北朝の皇室を野晒しにするような真似をしているのだから。光厳上皇以外の関係者も揃って顔を顰めている様子だ。

 この密会の場には居ないものの、廊下から高兄弟や仁木兄弟など計十箇所の武家屋敷から煙が上がり始めているのを遠目に見て恐れ慄く声が、ここまで聞こえている。光厳院もそうした声を聞き取りながら、何とか意思疎通を図ろうと冷静さを保とうとしている。

 

 

「氏頼(大夫判官)よ。我らを連れて近江国に逃げる事は──」

 

 

「残念ながら無理です。かつての六波羅焼亡の頃と違い、比叡山延暦寺が明確に敵軍の手に落ちています。また、先代の頃より当家の武力は増しておりますが、今は殆どの兵を京に置かず、近江国に残している状況です。屋敷と私個人の護衛兵のみでは到底お守りし切れませぬ……皇族から誰ぞ御一人のみなら別かもしれませんが」

 

 

「……最悪それでも構わん。全員捕縛より幾分マシというもの」

 

 

 これで言質は確保できた。最悪の場合、俺自ら崇光天皇を攫って荷物のように持ちながら近江国に駆け込むという手段が可能だ。

 とはいえ正直に言ってしまえば、積極的に採用したい方法では無かった。もし近江国に崇光天皇(北朝主上)が逃げ込んだと知られれば、師直(高武蔵守)が死んで風向きが変わる前に、我が佐々木六角氏が南朝軍の集中砲火を喰らってしまう可能性があるためだ。流石にそれは、時信(先代当主)が持明院統と六波羅軍を東国へ逃がそうとした古例に負けず劣らずの窮地であろう。幾ら俺でも、対処可能と断言するのは容易ではない。

 

 

「御信頼に感謝します。持明院統の皇族方とは代々に亘って御世話になりました。出来ますれば、両院も帝も女院も皆様方が揃っておいでである事こそ本望です。故に、今は保険として誰を選ぶかだけ陛下の御心に留めておかれませ……実は腹案が無い訳でもなく」

 

 

「……聞こう」

 

 

「は。少し前に南朝と恵源(武衛禅門)公の分裂が噂された事はご存知で?」

 

 

「聞き及んでいるが……それは確定事項と申せるか?幕府軍の誰かが両者を仲違いさせるために撒いた種であるようにも思えるぞ」

 

 

「賢明にございます。状況から考えて将軍か師直(武蔵守)殿か、はたまた別の誰かでしょう。義詮(宰相中将)様の元で左様な考えを唱えた者はおりませんでしたので、山崎の幕府軍の計略かと。しかし、決して根も葉もない噂を広めたという訳ではないようです。これを御覧くだされ」

 

 

「?」

 

 

 先月十日、俺は守山で直義派の上野軍を破った。言い換えると直(武衛)義(禅門)に粉を掛けられた者どもが我らの手で数多く死んだのである。

 当然、首実検前には遺留品のチェックも行う。その際、面白いものが出てきたのである。直義(武衛禅門)によって書かれた勧誘状の数々だ。

 立ち合い人に現物を委ね、その上で光厳院の手に渡る。文面に目を通そうとするや否や、光厳院が訝しむ。誰でも浮かぶ疑問だ。

 

 

「何故……恵源(武衛禅門)は我が北朝の元号を末尾に添えておるのだ?」

 

 

「調べたところ、正式な南朝降伏後も変わらずだったらしく」

 

 

「つまり……恵源(武衛禅門)は本気で北朝に刃を向けるつもりがない?南朝降伏はあくまで師直(武蔵守)に対抗するための仮の措置だったという事か」

 

 

「ええ。ですので……護衛を寄越せと仰れば、案外どうにかなるかもしれません。南朝との関係悪化が取り沙汰されている今、恵源(武衛禅門)公とて保険を欲しておられるでしょう。その弱味を活用なされよ」

 

 

「……怪物の発想だな。流石は征夷大将軍の烏帽子子よ」

 

 

「お褒めの言葉として受け取っておきます」

 

 

「しかし、大丈夫なのか?比叡山から京を監視している者が恵源(武衛禅門)の承諾前に動けば全て水の泡になろう?桃井軍は南朝の和田勢と混成されているそうではないか。必ずしも汝の考え通りに運ぶまい」

 

 

「ご安心を。幕府軍にも気骨のある者はおります。その者どもが時間稼ぎをしている間に、北朝政府として恵源(武衛禅門)公と秘密交渉をば」

 

 

 果たして光厳院の懸念通り、京の武家屋敷から昇る複数の煙は比叡山の桃井軍にいち早く察知された。桃井軍は兵馬の食事の時間さえ惜しんで京に入ろうとするも、一人の幕府武将が立ち塞がる。

 かつて楠木正行(まさつら)との戦いにおいて我が郎党の目賀田信良(弾正忠)と共に異彩を放った猛者・安保直実(肥後守)である。日本一の剛の者を自負するだけあって「弓矢を取る者は名こそ惜しみ、命を惜しまぬもの」と堂々と言い放ち、義詮(宰相中将)の突然の逃亡策に不満な者を百騎ほど集めた。

 四条河原で伏兵として桃井軍先鋒部隊に襲い掛かり、直常(右馬権頭)本隊の大軍にも果敢に立ち向かった。味方の大半が討たれながら、馬の負傷で初めて戦闘終了を宣言して立ち去る猛勇を示したのである。

 結局、桃井軍の入京は午の刻(午後〇時前後)にずれ込んだ。勿論それだけの時間があれば男山の直義(武衛禅門)と密使で話を付けられるというものだった。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 入京早々、桃井直常(右馬権頭)は持明院殿に参上した。妙な事に北朝関係者の親類縁者ながら比叡山延暦寺に入れられた坊主どもが、足利直(武衛)義(禅門)の傘下として僧兵面して護衛要員を買って出た状況こそ気に食わないものの、まずまず及第点の結果と言えるのではないだろうか。

 ただ、どうやら直義(武衛禅門)としても北朝皇族(持明院統)が気掛かりだったらしい。

 幕府武将としてではなく北朝直属の武官として、桃井直常(右馬権頭)の参内に立ち会った直後、酷く気不味そうな本人から話し掛けられた。

 

 

「六角サンよ。俺らを信用し切れないのは分かるが、恵源(武衛禅門)サマの御心は本当なんだって。将軍を害するつもりも無ければ、北朝皇族を吉野に売り付けるつもりは更に皆無だ。だから、そう睨まないでくれねェか?俺らとしてもお前の相手はやり難くて仕方ないんだ」

 

 

「……なら延暦寺の輩どもを呼び付ける真似は何だったので?」

 

 

「あれは……恵源(武衛禅門)サマの御配慮で突然な?言っとくけどよ、今の延暦寺は大抵が北朝重視だぜ?宗良親王(南朝皇族)の著御なんて全くとんでもない噂話だ……そうだった。ここ暫く比叡山延暦寺に兵糧を世話になりっぱなしでよ。何か向こうも食糧の余裕が無いらしいんだわ」

 

 

「だから?」

 

 

「お前サンが何年も聖供米を滞納してる件で、比叡山延暦寺の奴らが愚痴ってた。恵源(武衛禅門)サマも今回の事で延暦寺に借りが出来たから、戦が終わったらヤバくなるかもしれねェ。そこんとこ堪忍な?」

 

 

「ムカ」

 

 

 今回の件では、直義(武衛禅門)が元の清廉潔白さを少しでも発揮し、北朝皇(持明院)族(統)を尊重する態度を見せる方向に全ベットしなくて本当に良かったと思っている。そうした場合、俺も義詮(宰相中将)と同じく──あるいは旧来の縁があるだけ却って更に──北朝皇族(持明院統)の不信を招いていたであろうからだ。しかし、ここに来て比叡山延暦寺が目障りになった。

 とはいえ、モノは考えようである。今回、比叡山延暦寺が直義(武衛禅門)に擦り寄っているのであれば、擾乱収束後どうなるだろうか。間違いなく尊氏様や義詮(宰相中将)に睨まれるであろう。その時が実に楽しみだ。

 

 

「そう言えば、六角サン。さっき報せがあったんだが、俺が四条河原で戦っている隙に、佐々木一族の軍勢が東に逃げようとして園城(三井)寺(寺)の僧兵どもに妨害された挙句、引き返したらしいじゃねぇか」

 

 

「ああ、それは京極勢でしょう。義詮(宰相中将)様が京から退いたのを知り、急ぎ東寺の直ぐ南を通って近江国に戻って行ったらしく。その後どうされました?もしかして桃井殿が討ち滅ぼしてくれました?」

 

 

「別に捨て置いて構わんと指示は出したんだが……やっぱお前サンの差し金だよな?さもないと園城寺(三井寺)にしては妙な挙動だからよ」

 

 

「ご想像にお任せします」

 

 

 桃井直常(右馬権頭)の言う通り、園城寺(三井寺)は長年に亘って比叡山延暦寺と因縁が有りながら、今回はさも山門に同調して直義(武衛禅門)派に味方するような真似をした。道誉(佐渡判官)が近江国に下ろうとしたのを追い返したのだ。

 率直に言って道誉(佐渡判官)に近江国へ向かわれると困るのだ。この俺が北(持)朝皇族(明院統)の点数稼ぎと万が一の保険の確保のために単独で京に残っている間、もしも庶流の道誉(佐渡判官)が気の迷いを起こして近江国で南朝軍に転向するような事になった場合、詰んでしまうのだ。下手すると俺の帰る場所が無くなってしまうどころか、南朝が息を吹き返す。

 直義(武衛禅門)と南朝の不和が囁かれている今、それだけは警戒すべきだ。

 

 

「それより今後の方針は?この氏頼(大夫判官)は北朝皇族(持明院統)の警護に専念して足利幕府両派の内戦から手を引くつもりですが、桃井殿は更なる戦働きを望んでおられよう?安保勢を追って東南に進撃しますか?」

 

 

「……安保なぁ。あれ、お前サンの指示じゃねぇだろうな?」

 

 

「異な事を。四条河原の伏兵は直実(安保肥後守)殿の独断です。あくまで北朝は預かり知らぬ話ですよ?この俺が関与している訳ないでしょう」

 

 

 当然ここは嘘を吐く。事前に直実(安保肥後守)と口裏合わせしているのだ。

 むしろ正直に言う道理がない。ただ、当然それは桃井直常(右馬権頭)も承知しているようだ。たとえ俺の言葉が偽りでも大人の事情で真実として処理すべきであると。幾ら何でもそこまで馬鹿ではなかった。

 

 

「まぁそれならそれで良いけどよ……安保のせいで少なからず損害が出た。正直、暫くは軍勢を休ませたい。ただ、尊氏サマの御心次第ではあるんだが、そうもいかなくなるだろうよ。連戦上等だ」

 

 

「……将軍に攻められれば、真っ向から挑むつもりで?」

 

 

「当たり前だろ。黙って首を差し出せってか?」

 

 

「……」

 

 

 思わず反射的に頷いてしまうところであったが、流石に戦をしている訳でもないのに態々そこまで危ない橋を渡るつもりはない。

 ただ沈黙して、暗に幕臣の自覚はないのかと突き付けるのみだ。

 

 

「ま、六角サンは将軍の烏帽子子だ。安心されよ。以前、恵源(武衛禅門)サマはあくまで師直(高武蔵守)が標的であって将軍や義詮(宰相中将)様に危害を加えるつもりはないと明言されていた。だから上手く立ち回るつもりだぜ?」

 

 

「……上手く手加減できると良いのですが」

 

 

「問題ねぇよ。とっておきの猛者が居るからな。秋山、ここへ!」

 

 

「は!」

 

 

「?」

 

 

 現れたのは白馬を手綱で引いた身長八尺(約240cm)もの超巨大武者である。

 今は近江国において留守番の元デカ女・望月亜也子(甲賀三郎)どころの騒ぎではない。楠木軍の豪傑・阿間了願ですら確か七尺(約210cm)余りだった。

 むしろ二十一世紀にそのまま放り込んでバスケットボールに挑戦させても縦横に働けるのではないだろうか。それ程の武者が赤糸威の鎧を身に纏い、赤縄で五枚錣の兜を締めている。また、鍬形の前立てを後ろの日月模様の扇で強調しており、飛び抜けて絵になっているのだ。一丈(約3m)余りの八角棒と併せ、ひと眼で豪傑と分かった。

 

 

「六角サンも見掛けた事くらいあるだろ?秋山光政(九郎)だ」

 

 

「……ああ。甲斐源氏の」

 

 

 鎧兜の姿が強烈だったが、言われてから思い出す。かつて和歌の腕前で秋山光政(九郎)の名前を聞いた覚えがあった。約七年前(康永三年)の奉納和歌『宝積経要品』に武家有数の歌人として関わっていた筈である。

 そもそも秋山氏は長らく名家として聞こえていなかったものの、武田氏や小笠原氏・南部氏の同族である。治承年間以降こそ他家の後塵を喫していたが、元々は小笠原家などより格上だったのだ。

 鎌倉幕府の滅亡以来、甲斐源氏では武田信武(伊豆守)、小笠原貞宗(治部大輔)や南部師行(遠江守)という面々が躍動していたが、秋山光政(九郎)も観応の擾乱という大舞台で活躍を志しているのだろうか。精々お手並み拝見である。

 

 

「もし今、土岐さんが敵軍に健在だったら、俺は迷わず秋山をぶつけるぜ?ま、次の戦は名将がよ(・)り(・)ど(・)り(・)み(・)ど(・)り(・)だからな。さっきの安保でも良いが、武名を上げさせる好機だ。またと無いだろうよ」

 

 

「どうぞ御自由に。私はどこか高所から見物してますよ」

 

 

「おいおい。北朝皇族(持明院統)の警護はどうしたんだ?六角サン」

 

 

「おや?山法師どもが代わりにやってくれる筈ですが」

 

 

「……ま、良いぜ。頑張れよ。流れ矢だけは気を付けな?」

 

 

「全く誰に向かって申されておるのやら……桃井殿こそ充分に気を付けて。義詮(宰相中将)様は帝を京に置き忘れる前代未聞のドジっ子なれど、作戦自体は亡き家長(斯波陸奥守)殿に通じるものが。油断大敵でしょうなァ」

 

 

「何?」

 

 

 此方に走り寄ってくる桃井軍の伝令兵の姿を見て、俺は悟った。

 この先の顛末は幾つか予想していたが、少しだけ将軍にとって良い方向に転がっているのかもしれない。師直(高武蔵守)が死ぬ前に直義(武衛禅門)もまた戦力的痛手を被るという展開である。案の定の報告内容だった。

 

 

「報告します!桃井様、義詮(宰相中将)様が将軍本隊と合流!そのまま京に向かって取って返す御様子との事!恵源(武衛禅門)公は出撃しないため、桃井様だけで対処するようにと仰せで……あ、御歓談の最中でしたか」

 

 

「チッ……六角サン、見とけよ?引き分け以上には持ってくぜ」

 

 

「ええ、存分に楽しませてください。私も光厳院も……尊氏様も」

 

 

 ここいらで桃井直常(右馬権頭)の底を見せて貰った方が良いかもしれない。

 義詮(宰相中将)が駄々を捏ねれば尊氏様も動かざるを得ず、師直(高武蔵守)の単独行動が無ければ直義(武衛禅門)も軽率に手を出せない。配下に戦わせるのみだ。

 観応二年(西暦1351年)正月十五日、北朝皇族(持明院統)の警護の段取りが整ったところで尊氏様が錚々たる面々を率いて京に攻め入る。果たして桃井直常(右馬権頭)の北陸勢のみで如何にして立ち向かうのか。京の人々が戦慄した。

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