崇永記   作:三寸法師

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〜1〜

 

 

 観応二年(西暦1351年)正月十五日の早朝、次期将軍・足利義詮(宰相中将)が僅かな兵と共に京を脱出した後、向日神社付近において尊氏軍と合流した。古典『太平記』によれば、この再会時の義詮軍の喜び具合は『法華経』信解品の逸話「窮子喩」*1を彷彿させる異様さであったようだ。

 最初は尊氏も人当たり良く義詮(宰相中将)に応じて抱擁したが、次第に態度を硬直させた。義詮(宰相中将)の前代未聞の「忘れ物」に気が付いたのだ。

 

 

「義詮(宰相中将)……帝や院はどうした?御姿が見えぬが」

 

 

「……えっと、その……忘れて参りました!」

 

 

「「「!?」」」

 

 

 無論、本来であれば有り得べからざる事態である。何せ光厳上皇に対しては、かつて武家のみで建武政権軍に対抗する事に限界を感じた際、朝敵の汚名を脱却して劣勢を覆すべく、錦の御旗の授与を依頼した借りがあるのだ。いつもの尊氏であれば、他者の失態には寛大に振る舞うところであるのだが、今回ばかりは事情が違う。

 京がガラ空きになって北朝皇族(持明院統)が危険に晒されている今、直義(武衛禅門)や桃井直常(右馬頭)の出方次第では再び尊氏が朝敵呼ばわりされかねない。

 師直(高武蔵守)が凡庸な義詮(宰相中将)には丁度良い薬かと静観を決め込み、頼章(兵部大輔)がどうして脱出前に気付いてあげられなかったのかと自分を責める中、尊氏は真顔で義詮(宰相中将)を見る。義詮(宰相中将)は叱責を恐れ、しどろもどろだ。

 

 

「佐々木一族はどうしておる?氏頼は?道誉殿は?」

 

 

「あ、えと……二人とも近江国に向かっている筈です。氏頼(大夫判官)殿には近江国で軍勢を整えて京の奪還に備えるよう命じましたし、道誉(佐渡判官)殿も此処へ参る途中に会ったところで同行の申し出を断り、氏頼(大夫判官)殿を追うよう命じました。父上、今お願いすべき事ではないかもしれませんが、どうか奪還作戦の早期実行に協力を賜りたく存じます」

 

 

「そうか……」

 

 

(将軍が道誉(佐渡判官)殿より先に氏頼(大夫判官)の名前を出すとは。近年まるで無かった傾向だ。氏頼(大夫判官)の元服前なら兎も角……佐々木六角家と持明院統の縁故が頭に入っていたという事か?よく覚えておられたものだ)

 

 

 尊氏が考え込んで顔を険しくする。代わって師直(高武蔵守)が口を開いた。

 早急にどのような手を打つべきかは明白だ。斯くなる上は義詮(宰相中将)の案に全力で乗り掛かるしかない。たとえ凡庸な義詮(宰相中将)の主導した案でも見るべき点はある。師直(高武蔵守)は機嫌取りを兼ねて、賞賛を送った。

 

 

「確かに粗さもありましたし、事前に我々と相談して頂きたいところではありましたが……敢えて京を餌にする戦略は、生前の楠木正成も提言したという幻の反撃策です。男山も比叡山も敵軍に抑えられている現時点で適切だったか否かはさて置き、決して悪い考えではないかと。よくぞ考え付かれました。師直は嬉しく存じます」

 

 

「お、おお……名将・高師直(武蔵守)にそう言って貰えるとは光栄だ!」

 

 

(軍神・楠木正成も黄泉国で呆れておろう。うっかり京どころか帝すら餌にする大馬鹿者が現れた挙句、それが尊氏様の御子だというのだからな。何が凡庸だ。最悪級の暗愚ではないか。つくづく評判とは当てにならないものだな。全く重茂(大和守)も何を見ていたのやら)

 

 

「将軍、宜しいですな?」

 

 

「……任せる」

 

 

 尊氏の言質は確保できた。北朝皇族(持明院統)が危うい以上、およそ十五年振りの尊氏の陣頭指揮が期待できよう。師直(高武蔵守)は勝利を確信する。

 桃井軍は比叡山にも兵を残さなければならない関係上、京を制圧するにしても一万余騎が限界だろう。勿論、男山の直義軍も要害を手薄にしてまで京を目指そうとはしない筈だ。考え方によっては幕府軍が有利と言えるかもしれない。男山を牽制するだけの兵力を残すにしても、一万五千騎程度は首都奪還作戦に費やせるからだ。

 

 

「は……皆の衆!義詮(宰相中将)様の軍略を正解にできるかどうかは我らの武勲次第だ!勝てば恵源(武衛禅門)派武将の所領を我々で山分けできるぞ!」

 

 

「「「応!」」」

 

 

(勝利の鍵は佐々木軍だ。道誉(佐渡判官)殿など今頃は東寺を過ぎて、まず東山の山麓を目指しておろうか。時間が無い。急いで呼び止めねば)

 

 

 征夷大将軍・足利尊氏の威信を懸けた合戦が今にも始まろうとしている。もし負けてしまえば、近頃の京における男山出頭の流れがいよいよ止まらなくなってしまうだろう。絶対に負けられない。

 師直(高武蔵守)は敵軍の動向再調査を天狗衆(直属の諜報集団)に行わせながら、陣立ての確定作業を進めていく。弱将の直義(武衛禅門)なら洛中の合戦を静観する事も有り得るのではないかと思い始めた矢先、一頭の早馬が飛び込んだ。

 

 

「何と……それは誠か?虎寿丸とやら」

 

 

「は!我が殿・佐々木氏頼公は申しておられます。北朝皇族(持明院統)の安全は此方で何とかする故、心配御無用と。詳細は防諜の観点から事後報告になってしまうものの、決して御不快無きようと仰せです」

 

 

「独断で義詮(宰相中将)様の尻拭いか……将軍、如何されます?どうせ氏頼(大夫判官)は勝手に小細工を弄し、敵軍と交渉する気でしょう。あの忠誠心なら恵源(武衛禅門)派にそのまま転向してしまう事は無いと思われますが……」

 

 

「うんうん。全て我が意に適っておる。流石は室町幕府最初の将軍烏帽子子であるなぁ……その者。今の言葉も含めて六角氏頼に伝えてくれ。洛中の戦で六角軍が力を見せずとも良いから、持明院統(北朝皇族)の警護に専念せよとな。弟が大覚寺統(吉野朝廷)の皇威を仮にも借りておる今、危うく朝敵になりかけていたのだ。天の助けに感謝しておるぞ」

 

 

「は!きっと氏頼(大夫判官)様は歓喜に打ち震えるでしょう!冗談抜きで!」

 

 

(最後のは余計だ。六角党の虎寿丸。さては氏頼(大夫判官)の寵童か?)

 

 

 内心毒付く師直(高武蔵守)であったが、これで桃井軍の洛中制圧を待つ方針に懸念はほぼ無くなった。虎寿丸を帰らせた後、本陣の人払いを解いて合戦の陣立を発表する。既に勝利の方程式は完成していた。

 桂川を出発する。師直(高武蔵守)自ら幕府軍の主力五千余騎を率いて四条通りに東から侵入した。男山牽制部隊を除き、残る一万余騎が尊氏と義詮(宰相中将)の父子に従い、大宮通りを北上してから二条通りに入って法勝寺前に布陣した。一方、桃井直常(右馬頭)はこの動きを察知して京ではなく東山に陣を敷いた。自然と賀茂河原での決戦開始が予想された。

 

 

「師直(武蔵守)殿。桃井は勇猛です。そう簡単には勝てぬかと」

 

 

「まぁ見ておれ、頼章(兵部大輔)。一、二の三で桃井軍を撃破してやる」

 

 

「……はぁ」

 

 

 旗手の合図と共に師直たちは四条河原に出撃する。これを見て桃井軍先鋒部隊三千騎が東山を駆け下り、三手に分かれて数百枚もの盾と射手を並べた。鴨川を挟み、今にも開戦しようとしている。

 この様子を東山から直常(桃井右馬頭)は顔を引き攣らせながら見守っていた。

 

 

「師直(高武蔵守)のヤツ、動かねぇな」

 

 

「……法勝寺の将軍本隊の合図を待っているのでしょうか?」

 

 

「かもしれねぇな、直弘(中務少輔)*2。将軍の強さは俺も人並みに知ってるつもりだが……男山の恵源(武衛禅門)サマに出した使者はまだ戻らねぇか?」

 

 

「はい。本当に恵源(武衛禅門)様は出てきて下さらんのでしょうか?」

 

 

「流石にな……幕府軍の牽制部隊があるとはいえ、配下を少しでも派遣してくれねぇかと思ったが、これは当初の方針通りにやるしかねぇようだな。賀茂河原で戦うなら北朝皇族(持明院統)の被害も心配ねぇ」

 

 

「は。では……ッ!義父上、あれをご覧に。光政(秋山九郎)です」

 

 

「……へぇ」

 

 

 早くも開戦前から両軍が硬直しようかという頃、秋山光政(九郎)が甲斐源氏の猛者として目を充血させながら桃井軍の先頭に躍り出た。

 大舞台の為せる業だろうか。その白馬が勇み立って泡を吹いた。

 

 

「おお、ヨシヨシ……聞けい!戦場に臨む者なら誰しもが討ち死に死を志すものであろう!しかしながら、本日の合戦では某(それがし)、殊更に死を軽んじて、日頃の大口を皆々に知らせようと存ずる!この身は不肖なれば、我が名字を知る者はおるまい!清和源氏の近縁であると申すと無駄に大袈裟に聞こえるであろうがな!武門の身となって幾代が経った!ひたすら弓矢を嗜み、今ここに我が名を天下万兵の頂点に刻もうと思う!秋山光政(九郎)である!ただし、張良が授かったという兵書は天下大業のため!匹夫のためのものではないから学んではおらぬ!義経公が天狗に教わったという兵法は余す所なく会得しておるがの!さぁ!仁木・細川・高の者どもよ!我こそは思うなら名乗りを!一騎討ちして見物人の目を醒まそうではないか!」

 

 

「「「「「……!」」」」」

 

 

 師直(高武蔵守)隊は各氏族の猛者の集まりであったが、それぞれ互いを知っている分、誰が相手を務めるのか無言で揉め始めた。細川惣領で猪武者こと元氏(細川清氏)も師直(高武蔵守)に視線で釘を刺され、鼻息を荒くしている。

 そうした矢先、一人の武将が空気を読まず前に出た。馬は斑点持ちの葦毛で、唐糸威の鎧と四方白の兜が印象的だ。二種の太刀の長さは四尺(121.2cm)と三尺五寸(約106cm)であろうか。豹皮の鞘が如何にも婆娑羅だ。

 

 

「ほう……そなたか」

 

 

「秋山殿の物言い、何と大袈裟な事よ!我こそは将軍執事の御内!安保忠実(肥後守)と申す者なり!幼き頃より東国に住み、狩猟・漁猟に昼夜明け暮れた。故に張良の兵書も呉氏や孫氏の言葉も今まで聞いた事すらない。されど、臨機応変と闘志溌剌は勇士なら自然と体得するものであろう!去る元弘・建武以来、三百余度の合戦で敵を挫いて味方を助け、強気を破って堅きを砕く事は数知れず!秋山殿の大言壮語なぞ、空弓で豪傑ごっこをしたり畑で水練の真似をしたりするようなものよ!誰にでも出来る。何を恐れる事があろうか!直実(安保肥後守)が一騎討ちの相手をしてやろう!我が百戦錬磨の腕を見せ申さん」

 

 

 高い声で叫んだ後、直実(安保肥後守)は静かに光政(秋山九郎)に向かって馬を進める。

 後に人々から神社仏閣の絵馬や扇の絵の題材「婆娑羅絵」として尊ばれたという程の一騎討ちが今ここに行われようとしている。

 決戦に思わぬ花が添えられるのだ。南北朝時代を迎えて十数年、鎌倉以前の古戦を思わせる出来事に両軍の大多数が沸き立った。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 桃井軍の秋山光政(九郎)と幕府軍の安保直実(肥後守)による一騎討ちは激しさを増すばかりである。二人が接近して躱し合う。光政(秋山九郎)は得物の八角棒を三尺ほど切断され、直実(安保肥後守)は大太刀が折れて脇差に持ち替えた。

 師直(高武蔵守)は合理主義者にして、一騎討ちに良い加減飽き始めていた。

 

 

「もう良い。安保を討たせるな。秋山を射て馬から落とせ」

 

 

「は!お前たち、弓を構え」

 

 

「「「御意!」」」

 

 

 師直(高武蔵守)隊所属の弓自慢たちの矢が次々と飛んでいく。だが、豪傑の二人にとっては無粋でしかない。光政(秋山九郎)は態(わざ)と取り合わず、直実(安保肥後守)が逆に味方の矢を全て防いだ。両者の心は一致する。残念であると。

 そのまま双方が撤退したため、却って稀代の名勝負と賞賛される事になるのだが、合戦参加者は直ぐにそれどころでなくなった。

 一騎討ちが終わったのだ。本格的に戦端が開かれる。いつの間にやら全軍が河原に集まった桃井軍一万余騎に対し、仁木・細川勢が迎え撃つ。七、八度の衝突の果てに双方の被害が明らかとなる。

 

 

「上々ではないか。我が隊五千騎の一部のみで桃井軍は疲労困憊になっておる。見るも無惨な傷だらけだ。これなら……頃合いか」

 

 

「師直(武蔵守)殿。何をする気で?」

 

 

「頼章(兵部大輔)よ、今までが第一段階。ここからが第二段階だ。予定では我らが退却して桃井軍が再び洛中に入るところを……という算段だったのだが、お前の弟・義長(右馬権頭)と細川元氏(清氏)がよく戦ってくれた。これで道誉(佐渡判官)殿の撹乱がより効果を発揮する……勝機だ!合図を出せ!」

 

 

「は!」

 

 

「今は双方が示し合わせて休息の筈!師直(武蔵守)殿、一体何を!?」

 

 

「間も無く分かるさ。急いで再突入の準備を。直ぐに決めるぞ」

 

 

「ッ……承知!」

 

 

 完璧執事・高師直(武蔵守)の戦術が冴え渡る。桃井軍は突如として京極勢七百余騎に背後の山林から突かれ、混乱に陥った。直常(桃井右馬頭)が敵軍への罵声を上げながら立て直そうとするが、京極勢が東の山林から西の鴨川へ走り抜けた事により、桃井軍は一瞬ながらも分断された。

 これを逃す師直(高武蔵守)ではない。自らの部隊の全兵力を投入し、西と南から桃井軍を攻め立てた。当然ながら直常(桃井右馬頭)は劣勢を強いられる。

 

 

「決壊寸前……これが剛腕の将か!我ら桃井軍の堅守が斯くも!」

 

 

「……直弘(中務少輔)、馬から下りるぞ」

 

 

「ッ!?義父上、こんな時に何を!?」

 

 

「良いから」

 

 

 驍将・桃井直常(右馬頭)は世に言う転(・)ん(・)で(・)も(・)タ(・)ダ(・)で(・)は(・)起(・)き(・)な(・)い(・)男である。

 古典『太平記』によれば、直常(桃井右馬頭)が下馬して敷皮に座って不退転の意思を示したところ、兵たちは奮起して踏ん張り始めたという。

 しかし、それも長くは保たず、東山方面への撤退を視野に入れざるを得なくなった。味方の直義(武衛禅門)派武将の救援も結局なさそうだ。

 

 

(もう日暮れか。桃井め、ここまで梃子摺(てこず)らせおって。かつて顕家軍を相手に戦い続けただけの事はあるか。だが……もう終いだ)

 

 

「師直(武蔵守)殿、これが仕上げの第三段階ですか」

 

 

「そうだ。最終盤で将軍と義詮(宰相中将)様の一万余騎が二方面から現れて掃討を行うのだ。粘り腰の桃井直常(右馬頭)もこれなら戦死せずには──」

 

 

「我こそは次期将軍・足利義詮(宰相中将)!桃井め!よくもよくもよくも!」

 

 

「「「「「!?」」」」」

 

 

 両軍の人々はその声に驚き、思わず戦いの手を止めてしまった。

 日記『園太暦』によれば、足利義詮(宰相中将)の軍勢が四条河原に現れた事により、桃井軍は撤退に追い込まれたという。しかし、小笠原政長(遠江守)や山名時氏(伊豆守)が副将として同行しているにしても前(・)の(・)め(・)り(・)過(・)ぎ(・)だ。

 尊氏が二条方面から敵の退路を塞ぎに回り込んでいる今、義詮(宰相中将)の暴走を何ら抜かりなくカバーできる存在は師直(高武蔵守)しか居なかった。

 

 

「義詮(宰相中将)様は何をしておられる!?普段の稽古でも今一つな武力で新田の真似か!?何という無謀を!直実(安保肥後守)、直ぐに合流して守れ!」

 

 

「御意!」

 

 

 古典『太平記』によれば、この日の合戦は幕府軍の完全勝利で幕を下ろし、秋山孫八*3などの桃井軍主力が討ち取られたという。

 だが、幕府武将の男山出頭の動きは止まらなかった。観応二年(西暦1351年)正月十六日、夜明け前に京の小笠原邸が炎上した。何と政長(遠江守)が外様ながら直義(武衛禅門)派に転向し、自宅を焼いて逃げたのである。更に山名時氏(伊豆守)も前日の勝利後、男山に降っていた事が判明する始末であった。

 摩訶不思議な事態に諸将の困惑は深まるばかりだ。武家の棟梁の尊氏に魅了されて敵兵が続々降るならまだしも、直義(武衛禅門)を相手に全く逆の現象が起こっている。そして何とも気味の悪い事に、幕府軍勝利も虚しく両軍の勢力均衡は真逆の方向へ傾いていく事になる。

*1:
生き別れの父子が再会するエピソード。

父は子を使用人として働かせた後、実力を認めて財産を相続させたという。

*2:
桃井直常(右馬頭)の末弟にして養子。

*3:
光政(秋山九郎)の愛息。その他の犠牲者として古典『太平記』は久米三郎や工藤三郎左衛門の名前を紹介している。

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