〜1〜
観応元年正月十五日の洛中合戦後、幕府軍では確かに喜色が溢れていた。幕臣・千秋高範が使者として北朝に尊氏様の上洛報告をしに現れた事により、昼間は皇室警護に専念していた俺も、終戦後に幕府軍の本陣に招かれた。尊氏様はそれはもう上機嫌であった。
願わくば今のまま尊氏様たちの優勢が崩れずに擾乱が終わってしまえば良いのにと思わなかったと言えば嘘になる。しかし、新たな逆風は想像以上に早く訪れた。小笠原邸の焼失で政長が翻意して男山に降った事が明らかになった。これ程の試練があるだろうか。
十六日の早朝となり、将軍本陣は臨時で拠った吉良満義邸から東寺に移された。いつ直義派武将に攻められるか分からないのだ。
「道誉殿。桃井軍が実は逢坂山に逃げたのではなく、今も法勝寺に隠れ潜んで再戦の機会を窺っていると噂を流し、内通者もしくは間者を捕らえるという昨晩の謀略……あれからどうなりました?」
「……いえ、目立った成果はございませんでした。もし左様な網で男山攻略の起点になり得る者を確保できれば上々だったのですが、そう毎度毎度思うようには参りませんなァ。謀略というものは」
将軍本陣が東寺に置かれている今、道誉は昨日未明の義詮の都落ちのとばっちりで京極邸が燃えた手前、我が六角邸の敷地の一部を間借りして一夜を明かした。と言っても、この六角邸も万が一に備えて予め有価物を近江国へ移したため、閑散としているのだが。
佐々木一族の庶流有力大名・京極道誉は昨日の合戦で極めて効率的に軍功を稼いだ。途中で両軍示し合わせての休息中に桃井軍の間を素早く通り抜けて攻撃の隙を生み出し、勝利に貢献したのだ。
合戦前は武力自体は高が知れているからと桃井軍に大して動向をマークされていないようだったが、その分だけ意表を突き易かったのだろう。園城寺の前で追い返されて直ぐ旗竿を身体の近くに寄せて隠し、更に笠印をも巻いて東山に潜伏する工夫も奇襲に際して功を奏したと考えられる。まさに腹黒策士の面目躍如と言えよう。
一方、この俺は保身がてら北朝政府の武官という性質を師直派にも直義派にも強く印象付ける事に成功した。この俺に危害を加えるという事は、北朝皇室に喧嘩を売るのも同義である。北畠親房擁する南朝の腹の底が知れない以上、そう易々と敵視できない筈だ。
「道誉殿。お忘れなく……師直殿がご存命の間、佐々木一族の財産を逆転のための投資とする事、罷りなりませんぞ。今はまだ明らかに風向きが我ら幕府軍に不利です。そうした中、無意に潮目に逆らうべきではありません。やり過ごして変化を待つべきでしょう」
「分かっておりますぞ、宗家。弟殿は昨日、一見男山に籠って味方を見殺しにするという指導者らしからぬ行動に出ながら、却って大義名分を強化する事に成功しました。将軍や義詮様と直接やり合う事を避けた結果、打倒高兄弟という名分の説得力が増しました」
「……ええ。ですので、師直殿が存命の間、恵源に本当の意味で勝つ事はまず厳しいと考えるべきです。然るべき時機に距離を置き、将軍や義詮様が仇討ちを唱えられるようにしなければ……師直殿が亡くなった後に将軍たちが左様な事を仰って初めて、恵源の化けの皮が剥がれます。さすれば、後はどうとでもなりましょう」
「重ね重ね御助言、感謝致します。宗家……我が郎党の中には昨日園城寺の僧兵たちに追い返された時、宗家の差し金ではないかと疑う者が居りましたが、とんでもない話です。まこと宗家は分家思いであられる。塩冶殿の事にも御心を痛めておられたでしょう?」
「……そのような者が京極党に居たとは心外です」
「いやはや申し訳なき事です……お望みとあらば、その者を引き渡しましょうか?宗家なら構いません。どうぞ煮るなり焼くなり」
「はン。焼くなら兎も角、煮るとは……まるで唐土の処刑方法だ」
昨日の合戦で道誉が活躍した以上、観応の擾乱で腹黒策士が滅びるという「棚から牡丹餅」はあまり期待しない方が良いだろう。
そもそも京極家は後の四職の一柱である。後世に名を残す婆娑羅大名として文化面の活躍ばかり想起してしまうが、京極道誉という知将が擾乱期でも軍事面で雄飛する運命にあるのなら、無理に首を挿げ替えるのは難しい。確かに観応の擾乱という絶好機を逃せば二度とチャンスは訪れないだろうが、もはや望むに値しないのだ。
「ところで……山名氏は本気で将軍家に逆らう気でしょうか?」
「既に男山に入って弟殿に帰順したようだという事で結論が出ております。誰も申しませぬが、昨日の合戦における義詮様の無茶を目の当たりにして見限ったのやも。宗家は意外でしたか?その御様子ですと単に昨日の勝利の後に何故という話でもなさそうですが」
「……勝敗以前の話です。時氏殿は将軍のお引き回しに感謝している様子でした。かつて住吉合戦でも楠木軍を相手に奮闘を……」
「それだけ弟殿の勢いが凄まじいという事でしょうなァ。桃井軍が敗れて尚、政長殿ばかりか時氏殿ですら取り込んでしまう。宗家は京に残されるでしょうが、万一そうなっても後で特に咎められる事はないかと。これだけの数となると一時的に旗色を変えた者を逐一咎め立てしてはキリがありません。桃井・石塔は別でしようが」
「……」
危ない橋を渡っている自覚はある。遠からず将軍が再び京を捨てるであろう事を諸将の誰もが予想している。元より京は攻めるに易く守るに難いのだ。桃井直常に代わって京入りしてしまった以上、このまま留まっては挽回の余地も無く負ける事になりかねない。
しかも、昨日の戦で桃井軍の全てを撃滅できた訳ではないのだ。
比叡山の抑えに兵馬を残していた分、桃井軍は依然として京を狙えるだけの勢力を有している。その証拠に夜は比叡山で大々的に篝火が炊かれていたのだ。この威圧で幕府軍の士気は急降下した。
「宗家!父上!ただ今、戻りました!」
「……」
「おお、高秀。どうであった?外の様子は?」
「……かなり不味いです。昨日の勝利で男山の敵将たちが将軍の元に馳せ参じるどころではありません。桃井軍再来の恐れや山名殿と小笠原殿の脱走で、末端の兵たちが我先に逃げ出しているようで。下手をすると将軍の兵力は五百騎にも満たなくかもしれません」
「んなバカな」
「……いえ、宗家。我が愚息・高秀の目に狂いは無いかと。負ける時は一瞬です。将軍とて濃厚な気配に気付いておられるでしょう。ここまで背く者が多いのです。明日どころか今直ぐにでも洛中の滞在に見切りを付け、丹波国に撤退なさる筈です。師泰殿と合流し、頼康殿や師冬殿にも声を掛けなければ、勝ち目は見込めないと」
「あまり全国規模にしては面倒な事になるかもしれませんが」
「……ええ、関東事情も心配になってくる頃合いです」
今の状況で上杉憲顕が大人しくしているとも考え難い。師冬がどうにか抑え込んでくれれば御の字というところだろう。関東から助けに来る程の余裕は無い筈であり、計算に入れるべきではない。
この時、俺たちは知る由も無かった。東海・東山で情報封鎖されていたのかもしれない。既に師冬が死地に追い込まれているとは夢にも思わず、目の前の脅威の対処で頭が一杯になっていたのだ。
〜2〜
程なくして将軍執事の師直から呼び出しがあった。無論、俺も道誉も揃ってである。東寺に赴くや否や、師直から先の道誉の読み通りの撤退案を聞かされる。当然ながら反対する義理はなかった。
道誉が将軍の間に通された後、俺は師直とサシで向かい合った。
「氏頼。将軍の仰せだ。一旦幕府の事は忘れて良いから朝廷の検非違使として励むようにと。良かったな、お前の好きに出来るぞ」
「……将軍が京をお捨てになれば、否応なしに桃井が再び入洛するでしょう?今度は他の恵源派武将も男山から送られて来る筈です。とても喜んではおれませんよ。どんな無茶を申し付けられるか」
「それでも俺や道誉殿と違って最前線に立たず、のうのうとやり過ごせるのだ。少しは喜んだらどうだ?……真面目な話、昨日のお前の行動は効果的な義詮様の尻拭いでもあり、恵源に南北両朝掌握の可能性を与える悪手でもあった。くれぐれも将軍と北朝の繋がりが完全に潰える事のないよう計らえ。将軍の本音は南朝を担いでも構わないというものだろうが、武家が共存できるのは北朝のみだ」
「……卓見にございます」
きっとこれが師直と顔を合わせる最後の機会だ。塩冶高貞の件を除けば、何だかんだ幕府武将で最も世話になった相手と言える。
多少の名残惜しさは否定できない。だが、それでも真の武家政権を実現させるための犠牲者になって貰わなければならない。師直が討たれ、直義も滅んでこそ尊氏様が正真正銘の天下人になれる。
精々黄泉国から羨望して貰おう。師直の死後、俺が尊氏様の隣で最強武将として振る舞う姿を。将軍の御世を謳歌し尽くすのだ。
しみじみ感じた矢先、何を思ったか師直が妙な事を言い出した。
「氏頼。京を出る前に渡しておきたいものがある」
「?」
「蔵の地下に隠してあった故、義詮様が京を一時離れた際に家人が火を放っても無事に済んだ。だが、いつまでも寝かしておく訳にもいくまい。宝の持ち腐れになっては意味がない故な。受け取れ」
「……これを私に」
どっぷりと師直から渡されたのは箱詰めになった酒瓶の数々だ。
俺は訝しんだ。斯様な非常事態に酒を渡すとは尋常ではない。
「何。ただの酒だ。それこそ飛ぶ程に美味い酒よ。だが、その真の価値はお前なら分かる筈だ……いざという時に使え。良いな?」
「……ッ!」
「足りなくなった際の地図も同封してある。他にも京の各所の姫君の居た場所の屋敷に隠してあるのだ。全て構わん。好きに使え」
いつもの何か企みを持っている時の師直の顔で俺は背筋を正す。
自ずと言わんとする事は察した。要するにシークレット任務というヤツだ。面白い。場合によっては、これが俺の望みの鍵になるかもしれない。ここに来て師直への認識を改める。まさに忠臣だ。
「この後、将軍は篠村八幡宮に?」
「……ああ、過去の吉例に倣うそうだ」
「成る程……武運長久、お祈りしております」
「ふ。誰に向かってモノを言っておる?お前は北畠顕家にも楠木正行にも見事してやられたが、俺は違う。俺の指揮で石津も四條畷も勝利を掴んだ。我が剛腕こそ天下第一だ。お前が今後一生を費やしても辿り着けるかという領域にある……将軍家のためだ。励め」
結果、これが俺と師直の最後の対面となる。女癖の悪さのようないけ好かない点こそあったが、幕臣としての力量は別格だった。
観応二年正月十六日、将軍執事・高師直は将軍及び義詮を推し立てながら、京を出発する。完全なる勝利に向け、地方の軍勢を吸収すべく再び動き始めたのである。しかし、状況は悲惨であった。
途中の天龍寺で兵馬の休息のために間借りを要請するも、親交のある筈の夢窓疎石によって拒まれた。また、京では目標の篠村八幡宮にも辿り着けなかったのではないかと誹謗中傷が相次いだ。
昨日の勝利からの今朝の没落で、師直の剛腕に疑いの目が向けられている。試合に勝って勝負に負けたようなものなのだ。千秋高範や道誉の実兄・鏡貞氏もまた翻意を示し、劣勢は明らかだった。
〜3〜
幕府軍が京を捨てた後、直義派武将が再び上洛した。今度は坂本を桃井軍にしっかり抑えさせたまま、男山から畠山国清が派遣される程に入念だった。幕府軍の京誘引作戦の再発を警戒したのだ。
翌十七日、先に翻意の斯波高経が京の警護の最高責任者として男山から再び姿を現した。同じく千葉氏胤や吉良家次期当主の満貞も一緒であった。ここに京は完全に直義派武将の手で掌握された。
桃井軍もまた将軍の動向を把握し、雪を踏み分けて京に戻った。
「そなたは将軍に同道しなかったのだな。氏頼殿」
「ええ。今の私はあくまで純然たる北朝武将。足利政権の使徒というより廷尉として京に残りました。皇室をお守り申し上げねば」
「一昨日からこう言い張ってるんだぜ、高経サマ。大胆な事によ」
「……良い。氏頼殿は我が従兄妹の御子息だ。共存可能と判断し、恵源公はこの高経に京都守護の役目を一任されたのであろうよ」
この時、俺は安心し切っていた。高経の言う通り、その起用は北朝の検非違使を尊重するという意思表示であると睨んだからだ。
一方、尊氏様への心配は尽きない。噂と裏腹に尊氏様は篠村八幡宮入りを果たし、丹波国内の空き地の寄進さえ行ったそうだが、その後が問題だ。義詮に仁木兄弟らを添えて丹波国氷上郡井原荘の石竈寺に預け、御自身は師直を連れて播磨国に向かったと噂だ。
「義詮様は二千騎で居られるそうだが……まさか攻めるなど」
「そこは心配なかろう。脅威になり得ぬし、放置される筈だ」
「……なら安心です」
義詮が戦場に居ては危なっかしい事は昨日の合戦の終盤で証明されている。俺ほど強ければ兎も角、義詮では危険が過ぎるのだ。
そもそも守護大名と次期将軍では価値がまるで違う。義詮の場合であれば奥でジッとして貰う方が御輿として有り難いのである。
「それより問題なのは将軍だ。本当に播磨国に向かったのか率直に言って疑わしい。氏頼殿、もしや近江国が行き先ではないか?」
「はえ?高経殿、そんなまさか」
「……一応、手は打っておくべきだと思うぞ」
「……まさか道誉殿の城を使って」
そのような話になっているのであれば、近江国守護の俺に知らされない筈がないのだが、道誉に頼る構想なら万一が考えられる。
勝ち戦でもないのに近江国が戦場になる事は受け入れられない。
実際、後になって聞いた話によれば、幕府軍が丹波国香山寺城に拠ろうとして追い返された際、そのような構想が持ち上がっていたという話である。この噂が京に舞い込むのは翌日の事であった。
「それにしても、よく平然としておるな。氏頼殿」
「……北朝の人間に危害を加えれば如何になるか、知性ある恵源派なら誰もが理解しておられるでしょう?私は西国武将ですよ?」
「十数年前まで東国に居た者どもとは違うという訳か。朝廷の一員としての性格が並大抵の幕臣より遥かに強い。一種の強みだな」
直義派も馬鹿ではない。本気で南朝に与しているつもりの者は皆無の筈だ。直義の発行文書添付の元号「観応」から自明なのだ。
現在、直義の強みは南朝との関係悪化が取り沙汰されつつも二つの朝廷双方を自らの御輿として使える事にある。これに対して幕府軍は北朝も南朝も頼りに出来なくなり、不利を強いられている。
今の直義派は北朝の検非違使として振る舞う俺に何の文句も言えないのだ。いずれ北朝という元鞘に戻る気である以上、師直に味方して戦う素振りのない北朝政府傘下の文武百官に手を出せない。
「正直、足利家の内輪揉めなど早く収まって欲しい位です」
「氏頼殿なら師直への敵愾心も我々以上に強いと思っていたが」
「……そもそもですよ?高経殿とて少し前まで恵源公と袂を分かっておられたではないですか。一口に恵源派と申しても、桃井殿や石塔殿のような極一部を除けば、大半がそのような者ばかりです」
「真理であるな……左様。実態を突いておる。大義名分は単に魅力的というより、勝ちそうな理由として強くて初めて効果を発揮するものだ。その点、打倒高兄弟は極めて有効な看板と言えようぞ」
「では師直殿が死ねば……今度こそ頼みますよ?高経殿」
「……あの化け物なら本当にやりかねないのが怖いところだ」
観応二年正月十七日、直義派が京の安寧を保ち、相変わらず北朝を尊ぶ姿勢を見せている。北朝の廷尉として俺はその甘みを利用しようとしていた。僅か二日後に売り飛ばされるとも知らないで。
当然、同じ日に東国で師冬が滅びようとしていたとは夢にも思っていない。ただ直義から二階堂行珍や宇都宮景泰の両名を正式な使者として乱暴狼藉の不安払拭の他、以後の京の事について高経を頼みとするよう北朝に申し入れた事に安堵するばかりであった。