〜1〜
観応二年正月十七日、関東執事・高師冬の籠る甲斐国須沢城が今にも陥落しようとしている。前日に諏訪軍六千余騎が信濃国から寄せ手に加わった事により、城の防御が限界を迎えた恰好である。
既に屋代光国などの犠牲者を出し、師冬たちは満身創痍だった。
時行は意気込んでいる。かつての逃若党軍師・彦部吹雪を足利家郎党の高師冬という呪縛から解き放つ最後のチャンスだからだ。
そうしたところへ、ある若武者が徐ろに直頼に向かって言った。
「そもそも私は執事・高師冬の烏帽子子です。父子の契りを致しておきながら、世間が反目するからと言って何故に父が子に刃を向ける不義の行いが出来ましょう。曹参や孔子の故事にもございます。君子とは禁忌において、その行いの名前さえ恐れるもの。ましてや義の違うところとなっては尚更でしょう。何卒入城の御許可を」
「……つまり、烏帽子子として師冬に殉じたいのですね?」
「いけない!盛世殿!むざむざ殺されに行くようなものだ!」
「時行、ちと黙って欲しいのです……分かりました。かつてお前が師冬の烏帽子子になる事を認めた以上、今更制止しないのです」
「感謝します!」
「そんな……」
古典『太平記』によれば、師冬の烏帽子子・諏訪五郎は最後の暇乞いをした上で、陥落間際の須沢城に入った。逆に寄せ手の攻撃を防いで暫く耐え凌いだが、四方からの攻撃に再び限界が生じた。
時行は心を痛めている。逃若党の戦神・祢津弧次郎はしっかりと見抜いていた。その原因が単なるポリシーの違いではない事を。
(烏帽子子と言えば……氏頼の野郎も尊氏が征夷大将軍に就任して初の烏帽子子に選ばれてたな。ま、氏頼の場合、その前には頭がイカれちまっていたか。顕家に城を落とされた痛心のせいかねェ)
「若。仕方ないですよ。義理とはいえ父子です。義父が義子のために犠牲になるなら、その逆も然りでしょう?認めてあげないと」
「……頼重殿は私が逃げ切るために顔の皮を剥いでまで死んで責任を取って下さった。だけど、盛世殿は違うじゃないか。吹雪と一緒に死ぬ気なんだ。これじゃ何にもならない。父子で無駄死にだ」
「おい、あれを見ろ!師冬と盛世殿だ!」
「「!?」」
ある諏訪神党の叫びで、時行と祢津弧次郎は共に目を見張った。
一体何を思って要害の櫓の廻縁に出てきたのだろうか。時行は今直ぐに駆け付けたい思いだったが、弧次郎がその袖口を掴んで首を横に振る。武士の鏡の弧次郎は察していたのだ。二人の真意を。
諏訪神党たちが次々と弓矢を放っていく。しかし、ギリギリ射線から外れていた。一方で、師冬は烏帽子子の盛世を抱き寄せたまま感慨に耽っていた。過去の合戦の数々に思いを馳せていたのだ。
(湊川合戦の正成正季兄弟。金ヶ崎城の尊良と新田義顕。四條畷の正行正時兄弟……彼らの名は後世、悲壮感溢れる壮絶な最期と共に後の人々に感銘を与えるだろう。氏頼殿の言葉に従えば、それは天下を獲るより得難いもの。今なら分かる。あの先読みの力は確実に高一族の滅亡を見越している。なら……抵抗は無意味だ。六角氏頼という西国の猛将に正体を知られている以上、師冬の武名を捨てて再起を図っても意味がない。よりて六花!私が目指すは……!)
「盛世、準備は良いか?逝くぞ」
「はい。一思いに……諏訪の者たちに見せ付けてやりましょう」
「お前たち、事が済んだら……潔く切腹を。今更降伏など出来ないだろう?義を重んじて名を惜しむ侍六十余人の死までが仕事だ」
「「「は!」」」
「……そうだ。お前たちは此処で自害を。盛世、我らは屋上へ」
古典『太平記』によれば、師冬と諏訪五郎の父子は手を繋いで腹を掻き切って自害し、侍六十余人の名前や屍で花が添えられた。
当然ながら、高所の屋根で自害すれば、亡骸は転がり落ちて重力の恩恵を受ける。要するに亡き土岐頼遠の「一人高名弾」もしくは「美濃骨霰」が図らずも再現されたのである。麓の寄せ手は阿鼻叫喚に陥り、時行の顔にも血肉の破片がベッチャリこびり付いた。
「あ゛、あ゛、あ゛あ゛あ゛……!」
「若、お怪我は!?」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
「死戦でボロボロの鎧ごと爆散して……これでは来た意味がない」
「ッ!?上杉!」
「お久し振りだ、祢津殿。それにしても随分と声の高い御方を連れておられる様子だ。これでは将来、関東に自称北条氏が現れても、我が上杉家はそれが得宗家の子孫と認める道理はないようだ」
顔を抑えて絶叫する時行の背中を摩りながら、弧次郎は驚いた。
古参の関東執事・上杉憲顕は甲斐国に来ていないものと思っていたのだ。それもその筈である。この須沢城の攻防戦の上杉軍の最高責任者はあくまで憲将であって、憲顕出現の形跡は見られない。
「貴重な実験材料として死体をすり替えてでも師冬殿の身体を入手したかったのだが……長尾、帰ろう。これでは幾ら私の技術があっても無理だ。とんだ無駄足だった。急ぎ上洛の支度を整えたい」
「は」
「ちょ、ちょっと待てよ。すり替えって……ええ?」
「祢津殿。西で恵源様がお待ちだ。そこの時行を西国に連れ出すのは然して推奨できないが、先程どうしてもと説明を受けた。師冬が戦死した今、いつまでも甲斐国に留まってはいられない。兵糧や仮眠を含め三刻で支度を整えられよ。出来ねば連れては行けんぞ」
「ッ……兵糧?そんな兵と呼べる程の数はねェよ。今の若には」
「これはまた。随分と鬱憤を溜めておられるようだ」
「……今の関東の王は上杉、お前様だ。北条党の副将として貴殿の要請を尊重したい。ただ……高師冬の名誉は守るよう願い奉る」
「相分かった。取り敢えず師冬は烏帽子子・諏訪盛世と刺し違え、残りの郎党数十名も後を追ったとだけ書き記そう。では、後の事はくれぐれも違えぬよう頼むぞ?我が要請とやら確と遵守されよ」
かつての侍王子の面影はもはや消えて無くなり、今の関東諸国においては光王という御輿を担ぐ憲顕が王者として君臨している。
観応二年正月十八日、上杉憲将の名前で富士大宮司に甲斐国の街道封鎖が命じられ。ここに上杉軍征西の準備が整った。来月初旬の男山合流に向け、諏訪軍関係者も準備に悩殺される事になる。
〜2〜
観応二年正月も半ばを過ぎ、直義派の有利は不動のものになろうとしている。夢窓疎石による和睦交渉も成立する訳が無かった。
十九日を迎え、師直が北上して再起を図るのではないかという情報が直義の耳に入った。これにより、武将の起用が見直される。
「恵源殿。して、この高経にどうせよと?」
「師直が越前国を抑え、同時に師泰や赤松・京極の両氏が中国地方の軍勢で畿内を威圧すれば、掎角の勢となって厄介だ。そうなる前に元越前国守護職の高経殿の御力を借りたいのだ。副将として千葉を付けよう。また、山名と石塔を丹波国に向かわせるつもりだ」
「……その間、京はどう致しましょう?」
「それだ。四日前のように桃井に全て任せても良いのだが、兄上が中国地方周辺で立て直しを目指されるのなら、我が派閥の生え抜きの桃井でなければ、対抗は難しい。となると氏頼しか居るまい」
「吉良殿は……京より東海の睨み役が適任でしょうか」
他に畠山国清や小笠原政長という選択肢もあったが、いずれも師直との決戦に起用したい実力者である。また、北朝とのパイプという点において佐々木惣領の氏頼に並ぶ者は直義派に居なかった。
直義は今のまま男山に本陣を置き続けるつもりである。そうして高兄弟討伐を天下に呼び掛けている限り、氏頼は防御の貧弱な京に繋ぎ止められ、師直と示し合わせて再び挙兵する事は不可能だ。
そもそも高経クラスの良将を北陸に向かわせる以上、出来れば他の武将を全て対師直に投入したいところなのだ。だが、京の治安にも気を配る必要がある以上、自然と氏頼にお鉢が回るのである。
「恵源殿……大変言い難いのですが、どうも六角殿は今なお中立の立場に拘るつもりのようですぞ。あまり大っぴらに折り合いを付けては今に南朝の赦免が取り消される事にもなりかねません。流石に時期尚早です。南朝と北朝、両者のどちらと友好的か曖昧にしておかなければ、尊氏殿が南朝と手を組みたがる可能性も有ります」
「そんな話が認められる筈が……いや、護良弑殺の首謀者と世に思われているのは兄上ではなく私か。南朝がこの私を見限った場合、今度は兄上を赦すのも然して抵抗感に違いはない……本当は高一族の討伐が完了すれば、南北講和を図りたいのだが。さもなければ、この日本国は永遠に南北で争い続ける事にもなりかねん。この私が責任を持って乱世を終わらせたい。否、終わらせねばなるまい」
「……氏頼殿のお取り込みを。この高経とて京に不在の間に亡き従兄妹の御子が味方の手で謀殺される事、本意ではございません」
「案ずるな。策ならある。元より私は氏頼を兄上と争わせる気は無いのだ。ただただ源氏の大名として我が味方であると天下に表明するだけで良い。打倒高兄弟という点で氏頼は十分な動機がある」
「……具体的には如何なさるのです?」
「買収だ」
「!?」
おおよそ清廉潔白さが売りの政治家・足利直義に全く似つかわしくない言葉であったが、この正月十九日に奇しくも実現される。
戦乱のせいで全国から年貢が北朝に届いていない苦境を突いた。
供物の調達困難の不足を補う事を名目に堂々と三万疋もの銭を男山から直に北朝政府へ差し入れたのである。日記『園太暦』では取り次ぎ役を介するべきではないかと批判されたものの、光厳上皇や大多数の北朝貴族の掌を返させるには充分に効果的であった。
持明院殿に氏頼が呼び出される。当初、氏頼本人は至ってどうせ治安維持についての小言だろうと楽観視していたが、次第に事情を知って震え始めた。あらかさまに光厳上皇の正気を疑っている。
「院よ……本気で仰っているのですか?」
「う、うむ。仕方なかろう。今の朝廷にとって三万疋は喉から手が出る程に欲しい額なのだ。これを逃せば朝儀の成立すら危うい」
「故に、たった三万疋で我が経歴に疵を付けよと仰せか!?」
「き、疵……恵源の傘下に入る事は汝にとって疵か?」
「ええ、如何にも!将軍に何と言って詫びたら良いのです!?」
「……ならば初めから中立などと曖昧な事を言わず、恵源の軍勢を悉く滅ぼしておけば良かったのだ。呪うなら己の責任ぞ?氏頼」
「〜〜〜ッ!!!」
今このタイミングで自棄を起こして直義派武将を討ちに出られる筈もない。事ここに至り、佐々木六角氏頼に選択権は無かった。
観応二年正月十九日、現職の近江国守護にして佐々木惣領の氏頼が男山に出頭し、直義に帰順する。氏頼のような代表的尊氏信者でも直義に膝を屈しなければならない程の苦境を強いられたのだ。
これにより、近江国という本当の意味での京の掌握に不可欠な地域が遍く直義派の領域となった。想定される師直の戦略は自ずと絞られていく。つまり、直義は更に勝利の絵図を描き易くなった。
観応の擾乱の第一ラウンドは既に折り返し地点を通過していた。
〜3〜
男山において氏頼の帰順を受け入れるとなれば、当然ながら猛将や勇将の類を直義の傍らにありったけ配置する必要がある。直常の他にも秋山光政をはじめとする猛者が一堂に会する事になった。
直義は敢えて険しい顔付きを浮かべながら氏頼の到着を待った。
しかし、現れたのは何とも拍子抜けな姿だった。目が生気を失っているのは分かるにせよ、その両手で掲げている木札が問題だ。
「な、何だ?その文字は……氏頼、どこの異国語だ?」
「ハッシュタグ、ミートゥーです」
「は?」
「何を言ってんだ?こいつ」
「さぁ……?桃井様、この秋山にもさっぱりです」
「皆の者、鎮まれ……氏頼、真面目な話がしたい。良いか?」
「……承知」
気を取り直し、直義は通常通りの顔付きに戻して氏頼にコンコンと説いた。一言で言えば、直義に降っても幕府に背いたという事になり得ないという道理である。元副将軍の足利直義があくまで高兄弟討伐というスローガンの掲揚を貫く意味はそこに尽きるのだ。
源氏政権の忠臣なればこそ積極的に直義派としての立場を表明できるようにするためである。「君側の肝を滅ぼす」という大義の最大のメリットであるとも言えよう。直義は真摯に解きほぐした。
「そんな事……言われなくても分かっております」
「……では何が不満なのだ?私はこの乱において恩賞権発動を控えている。今こうして佐々木惣領のお前に提示している本領安堵以下の条件が最大値なのだぞ?相変わらず恩賞をばら撒き続けている兄上と違ってな。これぞ私が今なお兄上を尊び続けている何よりの証であろう?何なら氏頼、目の前で八幡様に誓って見せようか?」
「そこは良いのです……何故に俺の値打ちが三万疋なのですか?」
「……は?」
「思いも寄りませんでした。北朝が三万疋と引き換えに、この私を男山に出頭させるとは……まるで売りに出された女子供ですよ」
「女子供にしては随分と高い買い物であるがな」
「守護大名です。佐々木惣領ですよ。私は……それが三万疋」
「……銭は何度かに分けて差し出すつもりだ。あまり一度に過度な大金を渡しては南朝に睨まれるからな。当面は北朝を買収して手懐けているだけと説明するつもりだが、いずれ両統迭立の甘言で南朝の帝たちを吉野から誘い出そうと思う。さすれば占めたものよ」
「左様で……戦の終結後、尊氏様はどうなさる気です?」
「……あからさまに南朝を蔑ろにしては後醍醐先帝の怨霊がお怒りだ等と仰って面倒になるだろう?引退して趣味に打ち込んで貰うつもりだ。無論、兄上の血筋を蔑ろにする訳ではない。直冬と光王殿はそれぞれ九州探題、鎌倉公方として現地に留まって貰い、私自ら義詮殿の御成長を見守る。中先代の乱で鎌倉将軍府が潰れて以来、長らく人任せにしてしまったからな。安心して欲しい。残りの我が生涯を懸け、必ずや義詮殿を立派な天下人に育て上げて見せる」
尊氏引退の理由を除き、直義はほぼ本心を打ち明けた。今後の氏頼のためを思えば、当の直義本人の南朝に対する態度は別にして、真心の重要性を分からせる必要があると思ったからだ。何よりも直義は自身の目指す方向性について全く恥ずかしく思っていない。
唯一恥ずかしいのは尊氏がチャランポランだから直義が代わりに政務を司る必要があると感じている点だ。こればかりは幾ら公然の事実でも、将軍烏帽子子の氏頼に言えなかった。しかし、それだけである。どうして主要の政策面を誤魔化す必要があるだろうか。
「あくまで我ら源氏のために……高兄弟を討つのですね?」
「……そうだ」
「ならば追加の条件で決意を示して頂きたい。宜しいですか?」
「おい、六角サンよ。それは幾ら何でも図々しいんじゃねぇか?」
「控えろ。桃井……源氏のためか。氏頼、申してみよ」
「は。それでは申し上げます。もしも今頃──」
追加の帰順条件に一瞬、直常らの同席人たちが反発し掛けるも、スッと手で制して満足そうに首を縦に振って見せた直義の挙動で場は収まった。ここに近江国守護・六角氏頼の降伏が正式に成る。
結果的には六角氏頼こそ師直派から直義派に転向した最後の大名となった。氏頼の帰順を以て、観応の擾乱の第一ラウンドにおける足利直義の絶対的優位が確立したのである。実際、この日から北朝の皇族や公家より「天下静謐」を祝う使者が続々と派遣された。
京を出奔して僅か四ヶ月、直義はあっという間に逆襲を遂げた。
剛腕の将・高師直の落日の日は近い。近江国守護の六角氏頼が正式に直義派の一員となって後背を気にする必要が無くなり、直義は西域の師直派の残存勢力に集中して狙いを定めていく事になる。