〜1〜
観応二年の正月中旬も終わる頃、尊氏の軍勢は丹波国から播磨国に移り、京奪還に向けて師泰たちとの合流を見据えている。将軍直筆の書状を明智頼重などに与え、直義追討の姿勢を示していた。
石見国攻略の不調がありながら、師泰という猛将の存在がキーマンとなっていたのである。当然、直義も警戒心を募らせていた。
「吉良、先に中国地方に送った朝定の近況は?」
「はw二十日にも備後国の鞆の浦に着く頃合いかとw」
上杉一族が躍動していたのは何も関東ばかりではない。この西国においても既に爪痕を残している。去る十三日に京を捨てて男山に出頭し、直義に降伏した朝定もその一人であった。決して無名の存在という訳ではなく、師直や重能と共に内談方頭人という要職に就いた実績の持ち主である。しかしながら、上杉一族では養子の朝房と同じく決して熱烈な直義派という訳でもない異色な存在だ。
しかしながら、だからこそ朝定という投降者は人並み以上の軍功を立てる必要に駆られていた。足利一門や佐々木氏ではない以上、軍功なくば上杉氏という激しい出世競争の真っ只中の一族内で繁栄する道が断たれてしまうのだ。要するに誰よりも必死であった。
憲顕の従兄弟・朝定は知る由もない。自らが二代当主を務める二橋上杉氏、もとい扇谷上杉氏が日本史に著名な血流になる事を。
「義詮様に全面闘争を仕掛ける訳ではないのだ。九州の直冬は当てにせず、当面の間は放置するしかない。そこで朝定だ。先に兄上は備州三国に西から順に高師夏、宗継、石橋和義の三将をそれぞれ配置したそうだ。だが、真の狙いは師泰だ。現在の師泰の実力を確認しておきたい。それ次第で今後の戦略が変わる。良くも悪くも」
「……恵源様は今も師泰を警戒しておいでで?w」
「それはそうだろう。建武大乱の頃は私が大将、師泰が副将で戦に臨む事もあった。その経験もあって、御所巻の前など師泰の引き抜き工作を図ったのだ。見事に失敗してしまったが……率直に言って今でも信じられないのだ。師泰が石見国一つ平定できないなど」
「それだけ直冬様の遠隔采配が優れているという事かとw」
「……直冬の軍才は兄上譲りだ。あるいは現時点でも私を凌駕するやもしれん。その意味でも今の師泰の力を測る事に意義がある」
果たして男山で直義が思い描いた通り、朝定は船で鞆の浦に上陸した後、周辺武士たちを集めて瞬く間に大軍を構成するという辣腕ぶりを発揮した。当然、これに危機感を覚えたのは師直である。
あくまで九州の直冬軍に対して高師夏、南宗継、石橋和義の三段構えで対応する構えだったのだ。突如として京から現れた上杉朝定に対応するのは簡単ではない。経験豊富な宗継や和義はまだしも、齢十三の嫡男・師夏に言い含めた想定案には無かった分、師泰の援護が必要と判断せざるを得ない。師直は舌打ちしそうになった。
(おのれ。間違いなく弟の差し金だ。直冬が軍勢を分けて別働隊が師夏と宗継の間に侵犯するならまだしも、朝定とはな。俺や師泰なら経験で応用が効くが、師夏では……情報の無い敵将は厳しい)
「師夏に伝えろ。九州や中国・四国の武将たちの特徴を覚え込ませたから大丈夫と判断した父の責任だ。気負う事はないと。武将としては未知数な相手だが、師泰たちと協働すれば遅れは取るまい」
「は!」
かつて北畠顕家が奥州に赴任したのは齢十六、北条時行が再挙兵して顕家配下として軍功を挙げたのは齢十三の頃であった。師直は母親の血筋で言えば彼らに決して劣らない師夏の起用を試したが、限界が露呈し始めた。そもそも最初から厳しい任務だったのだ。
異変を知り、師泰は直ぐに甥・師夏を回収して戦線を東に後退させ始めた。そうして備中国に差し掛かっていた頃、危機感を覚えたのが高師世である。自らの父・師泰が焦っていると感じたのだ。
「父上、急ぎ過ぎです。戦列が伸び切っている。これでは危ない」
「心配ねェ。所詮、朝定の軍勢は寄せ集めだ。十分対応できる」
「しかし……!先頭が勢山、後列が竜山というのは幾ら何でも!」
「師世。理屈と実戦は違うぜ?大概の場合、拙速が何より大事だ」
「はぁ……」
「報告!師泰様!後列の陶山隊に敵襲です!」
「ッ!思った通りだ。父上、救援の御許可を」
「師世、お前が出張るまでもねェよ。河津と高橋で事足りる」
「……ならば既に決着が着いておりましょうな」
古典『太平記』によれば、朝定軍は激戦を繰り広げ、陶山兄弟の他に長谷与一・原八郎左衛門・小池新兵衛らを討ち取る戦果を挙げて緒戦に勝利を収めたという。しかし、これが逆に鬼門だった。
勝ち誇ったところで、師泰の中軍部隊所属・宮兼信のたった十数騎の奇襲を受けたのである。これに乗じ、河津氏明・高橋英光の知将二名も五百余騎で叫び声と共に突進した。緒戦では変幻自在の采配を見せた朝定であったが、これを対処し切るだけの地力は備えていなかった。踏み止まって戦おうとするも、戦死者五百余名と無尽蔵の負傷者を出し、自身もまた複数箇所に深手を受けたという。
「敵軍は散り散りになって敗走……父上、どうします?上杉朝定の脅威が消え失せた今、急いで中国地方を捨てる必要は無いかと」
「……いや、想像以上に将軍と兄者が劣勢らしい。ここは予定通り合流を急ぐぞ。だが、今より海からの攻撃を警戒して迂回しよう。山陰道の杉坂峠を通って播磨国を目指す。美作国なら妨害があるとしても在地武士の千騎未満程度だ。備中国の勝利で勢いに乗ってる俺たちなら矢の一本も射させず、白兵戦で圧勝できるだろうよ」
果たして師泰の見込んだ通り、杉坂峠で垪和・角田勢七百余騎の伏兵と遭遇するも、全く意に介する事なく一蹴し、備中国の朝定撃破に続く快勝の報告を引っ提げ、播磨国入りを達する事になる。
ここに西国の高一族が団結して将軍・足利尊氏のお膝元に集う。
日記『園太暦』によれば、二月一日には師泰・師夏の幕府軍本隊合流の情報が京で広まっていたらしい。直義は一つの戦略が師泰の大器によって破られた事を知りつつ、次なる決戦に向けて態勢を整えていく。最後の勝者は自分だと直義もまた疑っていなかった。
〜2〜
観応二年正月下旬、尊氏と師直は播磨国書写山に入り、義詮が丹波国石龕寺に駐留する事で掎角の勢が敷かれている。京では惣領の六角氏頼が直義派武将として往来を歩く間、腹黒策士・京極道誉は苦々しい思いで書写山に入っていた。目論見が外れたのである。
この頃の道誉の動向について仁木兄弟と共に石龕寺で義詮に侍っていたのではないかと見るものも確かにある一方、『東寺王代記』や『異本長者補任』によれば尊氏たちに付き従っていたようだ。
(マズい……宗家が高一族の滅亡を予見しておられるというのに、私とした事があれよあれよという間に連れて来られてしまった)
「道誉殿。やはり心配か?義詮様の事が」
「ええ、まぁ……我が宗家とはまた別の意味で心配です」
「ふ。氏頼はどうせ敵軍に背面服従だろう。ただ、この機に乗じて京極家を攻め滅ぼし、完全なる佐々木一族の長にならむと企んでおるやもしれん。佐々木惣領として本領安堵の約束を取り付けたらしいからな。もし道誉殿が丹波国に残っておれば、形振り構わず攻撃していた可能性があった。それも考慮し、同行を要請したのだ」
「成る程……決戦の際、拙僧はどうすれば?」
「恐らく弟は男山に居たまま氏頼に京の守りを任せ、釘付けにして近江国をも封じる筈だ。早晩、高経が京に戻って参り次第、その下に就かせるだろうな。だが、近江国には道誉殿の娘が佐々木惣領夫人として居るだろう?いざという時に備え、連絡しておくのだ」
「……連絡でございますか」
「ああ。決戦では俺も赤松軍も力を使い果たさねばならん。弟は男山から守護連合軍を派遣する腹だろうが、そうなれば我らが勝つにせよ男山を攻める程の余力が残らん。そこで佐々木一族よ。貴殿の娘を通じて再び氏頼を挙兵させ、義詮様と共に掃討戦を実行だ」
「では……敵に気取られぬ程度にやってみましょう」
「任せた。そういう訳だから、決戦では将軍のお側に貼り付いて貰いたい。護衛を兼ねて、語弊を恐れず申せば監視を。もし我らが前線で戦っている間、弟と勝手に和睦されては元も子もない故な」
「そんなまさか。後醍醐の先帝ではないのですから」
「念の為だ。強いて言うなら万が一、新田義貞の二の舞にならぬようにという事よ。道誉殿が見張ってくれれば、我らも安心して決戦に集中できるというもの。道誉殿とて何としてでも我らに勝って貰わないと困るであろう?婆娑羅の仕掛け人と弟では相性最悪だ」
「……言えておりますなァ」
師直もまた全力で決戦に臨めるよう支度を整えている。直義本人は出陣せず、畠山・石塔・桃井・山名・小笠原らの連合軍の襲来を想定し、更に決戦の先の掃討まで視野に入れて西国地図を睨む。
その頃、石龕寺では義詮が気力を取り戻していた。とても自ら京に積極的に攻める程の余裕は無かったが、それでも頼章の尽力が大きかった。要害の地の利と二千余騎の護衛に加え、潤沢な糧秣と新たな味方──古典『太平記』は荻野や久下、波伯部、中沢といった氏族名を列挙する──が次期将軍・足利義詮を勇気付けていた。
「流石は仁木兄弟だ。今の我はさながら水を得た魚だ」
「勿体なき御言葉」
「どうか当面の間ごゆるりと。この義長もおりますれば、昼も夜も警護は万全です。今は将軍や高兄弟の吉報をお待ちしましょう」
「うむ。ところで、頼章。加持祈祷の方は順調か?」
「それでしたら元氏殿が既に石龕寺の衆徒に命じて手配を」
古典『太平記』によれば、石龕寺衆徒たちは義詮のために昼夜兼行で一週間もの祈祷「勝軍毘沙門の法」を実施したという。無論、義詮は喜んだ。寺の院主に祈祷目録を捧げられ、満面の笑顔だ。
徐ろに義詮は尋ねた。天下静謐と大敵滅亡を目指すために一体どの菩薩薩埵を崇め、如何なる秘法を修するべきなのだろうかと。
「そもそも諸仏の効能は千差万別です。前提として優劣を付け難いものです。ただ、勝軍の利を追い求めるならやはり毘沙門かと」
「毘沙門……?この寺の本尊のか」
「ええ。ですが、誤解なきよう。何も御贔屓を求めて申しているのではありません……唐の玄宗皇帝の時代、不空三蔵をして毘沙門天の法を修したところ、数百万匹もの金の鼠が現れて敵軍の武具や人を食い破り、降伏させたという例がございました。これにより、玄宗皇帝は天下に詔して毘沙門像を拵えたのです。我が国でも将門の乱の折に比叡山に四天王を安置し平定せしめ、それ以前には物部守屋の討伐に際し、聖徳太子が毘沙門像をお造りになりました」
「おお!では、この寺に布陣した事、吉例に適っておるのか!」
「勿論にございます。義詮様、この石龕寺は多聞示現の霊地でございます。当寺院に布陣して古の吉例を体現されている以上、天下静謐も敵軍掃討の成功も何一つ疑いの余地無しと申せましょうぞ」
「素晴らしい!元氏、早速この寺に寄進しよう!我が発心の証であるからな!丹波国小河荘を与えむ!永代の寺領とするが良い!」
この時、義詮は気付いていなかった。これまでの高兄弟の悪行には聖徳太子に喧嘩を売る類も含まれており、毘沙門天が援護するとしたら味方ではなく、むしろ直義の軍勢であろうという事に。
猪武者の細川元氏は兎も角、仁木兄弟は察して顔を見合わせる。
果たして天はどちらに味方するのか。能天気に寄進を行う義詮の思惑と裏腹に、事態は高一族に不利な方向へ益々進んでいった。
〜3〜
観応二年正月十七日に諏訪軍との共同戦線で関東執事・高師冬を甲斐国須沢城において敗死せしめ、関東勢の大軍が動き始める。
上杉憲顕は意気込んでいた。かつて建武大乱において北畠顕家が奥州勢の大軍を率い、後醍醐軍の劣勢を覆したが、今度は憲顕自身が幾万騎もの関東勢を連れて、擾乱の決着を図ろうとしていた。
「長尾。光王様の警護の状況は?」
「良好です。石塔義房殿がよく守っておられます」
「それで良い。伝え聞くところによれば、恵源様は今なお北朝の元号を用いて献金さえ行ったそうだ。つまり、いずれ元鞘に戻って南朝ではなく北朝を主に推し上げる可能性がある。南朝は快く思っておるまいよ。くれぐれも時行たちに拐われないよう注意せねば」
「……そこまで警戒すべき相手でしょうか。今の北条時行に然程の力があるとは思えません。祢津とて結局は諏訪神党の出身です」
「人質にされては恵源様が身動きを取れなくなる。用心に越した事はあるまい。ただ、諏訪氏はかつて竹若丸様を惨殺した前科があるとはいえ、ここ暫く恵源派武将として活躍目覚ましい。諏訪氏の場合は無駄に警戒して不信感を抱かれないようにする事が先決だ」
「御意」
(やれやれ。亡き義兄・上杉重能の仇討ちのためでもあるのに心を砕くべき事が多い。これが関東の王者としての責任か。家長殿)
もはや諏訪氏はかつてと違い、元北条党の性格より直義派としての面が強くなっている。引き続き共同で上洛を目指すにあたって、憲顕は格別に気に掛けていた。既に小笠原政長が直義派に降っているという情報は入っている。どのような軋轢があるか不透明だ。
幾ら当時はまだ政長が敵方だったとはいえ、諏訪軍はその留守を突いて見事に守護所を焼いて荒らしてしまったのだ。当然わだかまりが想定される。同じ頃、時行もまた直頼の心中を慮っていた。
「呉越同舟は簡単じゃない。私と顕家軍だって直ぐに上手くいった訳じゃないんだ。まして鎌倉幕府が滅んで以来、ずっと鎬を削ってきた両家なら……頼重殿も貞宗殿も死んだのに次世代が因縁を背負い合っている。打倒尊氏で何とか一致団結できると良いんだが」
「若……」
(吹雪の事、あれから何でもないように振る舞ってるが……内心は)
「私も他人事じゃない。小笠原以外にも元敵将たちが男山でわんさか犇めいてるんだ。桃井、石塔、畠山、そして、佐々木六角」
「ッ!……あいつ、あんだけ尊氏の信者みたいな面してた癖に恵源公に膝を屈したんですか。情けねェ。このまま美濃国に入れば次は近江国……もしかしたら氏頼の案内があるんじゃないですか?」
「陸路か水路か……亜也子は今どうしているだろうか。流石に楠木軍に討ち取られる事は無かったんだろう?となると守山の戦いで氏頼が勝ったという時も従軍してただろうか。彼女の事だ。起用さえして貰えれば、直義配下の主力の誰かは討ち取ったに違いない」
「あ」
弧次郎は思い出した。守山合戦で氏頼が見せた近江国守護としての意地は少なからず噂に聞こえている。氏頼は帰順以来、直義派としてマイナスからのスタートである筈なのだ。元北条党の亜也子が守山で戦っていたのであれば、おいそれと軽率に接触できない。
戦働きで氏頼共々直義派武将の誰かの恨みを買っている可能性があるのだ。そもそも時行とて中先代の乱のせいで、無数の足利武将や関係者に恨まれている可能性が高い。気軽に佐々木六角党の誰それと絡んでしまえば、因縁が再発して面倒になりかねないのだ。
「若……あまり目立つ振る舞いは避けた方が良いかもですぜ」
「……気を付ける。いつ源氏から刺されても逃げられるように」
「いや、結構ガチで言ってるんスけど……」
何はともあれ、上杉・諏訪連合軍は京への道を辿った。東海道を上って尾張国に入り、濃尾平野の地を踏んだ。ここまで来れば残り一息か二息だろう。青野ヶ原から例の不破関を越えるのである。
時行は思い出していた。京に潜入すべく、今は亡き叔父・北条泰家の機転によって不破関を突破した日を。顕家軍として土岐頼遠と戦った日を。黒血川で撃退された日を。今となっては昔の話だ。
一方、憲顕は緊張を露わにしていた。美濃国守護の土岐頼康の殺気が見られないのである。かと言って京に急ぐ手前、無理に美濃国を荒らそうとして、ゲリラ戦に引き摺り込まれては本末転倒だ。
もう直ぐ近江国に入ろうかという時、不意に憲顕が口を開いた。
「長尾。どう思う?土岐氏はみすみす我らを素通りさせる気か?」
「……兵力が違い過ぎます。愚かでないからこそ無理にここで決戦を挑まないのでしょう。そもそも顕家軍が新田・北条と連合で京を狙った際、土岐氏は当時ただの一人の七男坊の頼遠に少しの兵力を添えるのみで、主に幕府軍任せでした。それがない今回は──」
「そうだな。土岐氏は土岐氏で立派な乱世の雄だ。力の抜きどころが的確だ。ただ、念の為に伏兵が此処らに居ないか確認しよう」
「……その必要はないようです」
「ッ!あの稚児は一体?僧侶と馬に二人乗りのようだが」
一人の幼子が上杉憲顕の大軍に向かって勢い良く馬を走らせる。
明らかに使者の出立ちだったが、憲顕も時行も何処となく嫌な予感に襲われていた。その少年は手に書状を掲げつつ、旗を差していたのだ。佐々木氏の家紋・四つ目結である。だが、応対しない訳にもいかない。憲顕は全軍の動きを止め、自ら兵たちの前に出た。
「関東執事・上杉憲顕である!童よ!名乗りたまえ!」
「ッ……承知!我こそは近江国守護・佐々木六角氏頼公の誇る御馬廻の一人で、その寵愛を受ける者!蜂屋虎寿丸とぞ申し侍る!」
「ちょ、ちょうあ!?」
「しっ!若!静かに!」
「……ゴホン。見事な名乗りだ!虎寿丸殿!要件を聞こう!」
「ふぅっ……この書状にある通り!幕府副将軍・源恵源公の御意向と承っておる!今直ぐに関東へと戻られよ!詳しくは我が後ろに御坊が座す故、そちらに尋ねられよ!冗談ではないぞ!」
「……は?」
「え?」
「「「「「えええええ!?」」」」」
本当である。何と『上杉古文書』によれば、足利直義は二月三日付けで上杉憲顕の上洛をきっぱり拒む書状を送付しているのだ。
東国勢は皆一様に混乱した。上杉家執事の長尾景忠が代表して書状の真贋を確かめに行く中、憲顕は狼少年たちの激情を抑えるのに必死となり、直頼は手を口元に当てて考え込んだ。当然、弧次郎は因縁の氏頼の暗躍を疑い、時行は直義の判断に顔を顰めている。
しかしながら、虎寿丸が近江国守護の氏頼の寵臣を名乗って堂々と武士らしく姿を現した以上、手荒な真似は躊躇われる。ましてや景忠が首を縦に振ったのだ。どうやら本当に直義の意思らしい。
その意を汲んで今までの行軍の成果を無に着してでも鎌倉へ帰るべきか、義兄・重能の仇討ちを訴えて命令違反上等で無理に西国へ足を踏み入れるべきか。関東執事・上杉憲顕は決断を迫られた。