〜1〜
差し詰め上杉憲顕が土壇場で万単位の大軍と共に鎌倉へ撤退する事を受け入れる事の代替措置のようなものだ。憲将・能顕兄弟の西国入りについて直義の認可が降り、この俺が近江国守護として彼らの潤滑な横断を支援する事になった。二月初旬の出来事である。
既に播磨国では将軍傘下の幕府軍と直義派先鋒の石塔軍の間で交戦が始まっている。東国帰還を受け入れたとはいえ、直義派が敗れる可能性を危ぶんでいるのか、憲顕としても気になるようだ。
「安心してください。幸か不幸か御味方の有利ですよ」
「……誠で?師泰殿の軍勢が尊氏様や師直と合流したのであれば、かなりの大軍になっておりましょう。一万余騎は下らぬ筈です」
「ま、戦は数ではないという事でしょう」
今後の憲将・能顕兄弟の役割確認がてら、俺は国境沿いで上杉憲顕と会談の場を設ける事になった。当然、人払いは完了済みだ。
関東諸将が我も我もと直近の戦況に耳を傾けてしまっては収拾が付かなくなるからだ。特に時行の場合、空気も読まずに自らを貴人か何かと勘違いし、あれこれ生意気に口を出す事が予想される。
今回の同席を許した大名として、唯一の例外は諏訪直頼である。
神職と国司の兼任者として諸将と別格なのは勿論だが、この手の扱いで諏訪氏と北条時行の温度差を作っておく事が大切である。
「六角殿。この直頼も今や恵源派武将の中核を自負しております。故に石塔殿の実力はよく知っているつもりです。しかし、本当に将軍と高兄弟を退ける程でしょうか。俄かに信じられないのです」
「我が次弟・定詮もそのように石塔殿を侮っていたのでしょうな。その結果、相手が上野氏との連合軍だったとはいえ、敗退して私が近江国に出向いて対処をする事に。今となっては昔の話ですが」
「……本当なら定詮殿もお強いのですか?六角殿のように」
「ええ、手前味噌ながら才覚を見込んでおったのですが……話を戻しましょう。石塔軍は師泰の小手調べを兼ねた夜襲を予め警戒し、返り討ちにした程の勢いらしく。今は流石に光明寺城に籠っているようですが、聞いたところでは意気込みが寄せ手と違うようで」
去る三日に幕府軍が一万余騎で書写山より出陣して以来、石塔軍は想定外の兵力を見て光明寺城で時間稼ぎを行う戦略に切り替え、要塞の堀を強化した。これを幕府軍が厳重に包囲したのである。
尊氏様が引尾山、高兄弟の六千余騎が鳴尾山に布陣し、四日に敵味方の矢合わせを行った後、高倉尾から城を攻め立てたという。
しかし、城内の石塔軍が「死生無知」を自負して捨て身の勇戦を披露する一方、寄せ手の兵たちは数頼みで保身の姿勢が目に見えているという。これでは幾ら高兄弟の指揮でも攻略は厳しい筈だ。
「ふむ……確かに士気は戦に肝心と言いますな」
「お待ちを。石塔軍は籠城を?では、六角殿。援軍には誰が?」
「国清殿が向かうと聞いておりますぞ。直頼殿」
他にも細川顕氏の水軍が瀬戸内海から幕府軍の後背を突く算段であるというから、これなら高兄弟の命運は決したも同然だろう。
正面衝突ならまだしも、士気が低い状態で石塔軍の光明寺城を攻めているところに後ろから突かれれば、さしもの名将・高師直とて挽回できまい。せめて尊氏様がやる気なら話は別なのであるが。
「氏頼殿。一つ伺いたいのですが」
「何でしょう?憲顕殿」
「もし今から我が愚息を国清殿の副将格で良いから共に高兄弟討伐へ向かわせたいと申せば、恵源様はお認めになるでしょうか?」
「言えば通ると思いますが……何を左様に焦っておられる?」
確かに同族の重能の仇を討ちたいという意欲が建て前ではなく本当の話であっても然して驚きはしないが、それにしてもである。
今まで上杉氏は関東管領として長尾景虎の台頭まで紆余曲折ありながらも生き延びると思っていたから、観応の擾乱において直義に過度な肩入れをしない筈だと踏んでいた。しかしながら、このところの憲顕たちは可笑しい。頻りに京周辺に足を踏み入れたがる。
勿論、憲顕本人は鎌倉撤退命令を呑むのだから、実際そこまで強く野心を疑っている訳ではない。ただ、本当に憲顕たちが出世欲抜きで高兄弟を敵視する謂れがあるだろうか。そもそも重能は根っからの上杉家出身という訳ではない。あくまで勧修寺氏から実母の出身という縁故もあって、養子として上杉家へ入った存在である。
また、娘を媒介にした縁を重視するなら、憲顕の叔母が正室の師泰はどうなるのだろうか。ましてその子・師世は如何なものか。
「失礼を承知で言わせて頂きたい。上杉氏は関東一円を管領する存在として今後数百年は安泰です。その後も何やかんや家名は末まで残りましょう。しかし、分不相応な意欲は身を滅ぼすものです」
「……はてさて、それは御忠告という事でしょうか。我々は高一族と違い、決して源氏諸侯に危害を加えるつもりはないのですが」
「過ぎたるは猶及ばざるが如し、と申します。あの高師冬を討った時点で憲顕殿は十分に軍功を稼いだ筈です。私のような外様武将はまだしも、国清殿のような足利一門は疑っておられる。もしや憲顕殿は身内で軍功を独占し、いずれ政局を牛耳る気ではないかと」
「これは……随分と心外な評判が立っているものです。国清殿とて私と同じ立場なら似たような行動をなさるものと愚考しますぞ」
「畠山氏は良いのです。他の足利一門にも同じ存在は居りますが、天下を管領する家として将軍にお仕えする資格がありますから」
このまま運べば、四国制圧の細川顕氏、師冬退治完遂の上杉憲顕や交戦真っ只中の石塔頼房をも凌ぎ、畠山国清が直義派における軍功筆頭となるだろう。これから高兄弟討伐の仕上げとなる決戦で、栄えある総大将の役目を務める事が見込まれているからである。
しかし、尊氏様の狙いは分かっている。そもそも畠山国清の気質はそこまで直義と親和性がある訳ではないのだ。むしろ昔、国清が三井寺の利権を犯し、当時齢十三の俺が制止した事もあった程に獰猛な大名である。いずれ師直没後、尊氏様が利権を餌に国清を勧誘すれば、必ず応じる筈だ。むしろ師直討伐の殊勲者があっさり将軍の元で直義討伐に立ち上がったとなれば、形成は一気に変わる。
勿論、ここまでの事を上杉・諏訪両氏に明かす気は無いのだが。
「お待ちを。やはり……六角殿は今でも将軍に忠誠を?」
「直頼殿……分かっているという前提でお答えするが、恵源公の掲げる高兄弟討伐という大義名分に偽り無しと判断したからこそ多くの幕府武将が次々と立場を鞍替えしたのです。もし恵源公が野心を隠し持って次期将軍の座は己が子にとでも考えていれば、諸大名の見透かすところとなり、昨今のような劇的な巻き返しは実現できなかったでしょう?少しはモノを考えて御発言願いたいものです」
「それは……いえ、仰る通りです。他意はない故、誤解なきよう」
「御安心を。直頼殿なら恵源公の胸の内を知らされていない筈がありませんから。恵源公は正しく弟殿であられる。ところで、北条時行はこの手の道理の理解の程は?かなり政治音痴のようですが」
諏訪氏は戦国時代に武田勝頼の生母を輩出するという話を聞いた覚えがあるので、まず観応の擾乱を生き抜く筈だが、念の為だ。
時行の話で揺さ振り、尊氏様への敵意の程を見極めるとしよう。
「政治音痴、ですか?時行が」
「それはそうでしょう?余程の政治音痴でなければ、型破り綸旨とかいう後醍醐の先帝による永遠の少数勢力の枷など突っぱねている筈です。もし私が彼奴の立場なら、北条得宗家の通例を嵩に左馬権頭の官位は強請っておりましたよ。元服前なら兎も角、無位無官の大人では幾ら北条得宗家出身でも人が集まらないでしょう?」
「まぁ……土地関係の文書も全く出していないようです」
「「!?」」
あり得ない。俺も憲顕も揃って顔を歪めた。無論、呆れ故だ。
直頼の言葉ならある程度は確かに思えるが、文書による土地保証なくして如何に勢力の地盤を築けようか。率直に言って、御恩と奉公の関係も実践できないようでは武将として論外にも程がある。
ここまで馬鹿正直に型破り綸旨なるものに囚われ、少数勢力未満である道を選ぶとは思わなかった。関東執事・上杉憲顕も声を震わせて疑っている始末だ。それほど正気の沙汰ではないのである。
道理で北条領について京周辺で聞いた覚えがない。もしそんなものが今もあるなら寺社のネットワークで噂を耳にする筈なのだ。
「九州上陸直後の直冬勢でさえ文書を活用し、着々と味方の将兵を集めて今日のような地盤を固めたと申すに。さては能無しか?」
「時行は何を考えて……版図獲得の野心が無いという事か?」
「いや、憲顕殿。野心というより向上心の問題でしょう。所詮は北条高時の息子という事です。むしろ高時の若かりし頃とは比較にすらなりません。義時・泰時公も草葉の陰で呆れておられましょう。新田父子未満のバカです。直頼殿、亡き御父上も随分とお人が悪いようですなァ。時行の傀儡適性は想像の遥か上を行っています」
「……それを言うなら下かと」
「おや、失敬。それはそうだ」
「かつて恵源様は中先代の乱にて申されました。この乱は本当に時行自身の意思なのか?天下への野心を抱く武士たちにより、一人の幼子として故郷に帰りたいと願う純心を利用されているだけではないのかと。近年時行が大河原周辺を拠点にしながら、所領文書の発行を怠っていたところを見るに、その見立てはどうやら正しかったようです。北条時行は独力で政治ができない傀儡として、諏訪頼重の手で育てられていたと見えます……ああ、いえ、直頼殿。亡き御父上の事を悪く申すつもりはございませんので、ご容赦の程を」
「……分かっております。上杉殿」
「しっかし、時行というのは──」
よもや斯くも呆れた話に出くわすとは少し前まで想像だにしていなかった。尊氏様とはまた別ベクトルでちゃらんぽらんな奴だ。
そろそろ〆に入るとしよう。憲顕たちと話に花を咲かせる時間も決して無限ではない。まだ擾乱は道半ばにも達していないのだ。
「全く笑い話にも……ああ、直頼殿。この際です。先程までは時行が無礼な口、例えば何故に兄を討つ気がないのかと恵源公にホザく事なきよう言い含められよと伝えるつもりだったのですが、逆に恥を掻かせておいた方が良いかもしれません。二度と時行が天下に名乗りを上げる資格はないと諸大名たちに知らしめておくために」
「……承知した。六角殿」
「では、ここいらで生き恥晒しの傀儡に関する話は切り上げておくとして……憲顕殿、関東を空けておくと新田氏が如何に動くか懸念材料です。この十数年、精力的に残党狩りに励んでおられたと聞いておりますが、油断なさらず。恵源公も憂慮しておいででした」
「承りました、氏頼殿。こちらとしても近江国守護の貴殿の帰順で恵源公の絶対的優位が確立したと判断した事もあって、鎌倉帰還の御命令を遵守すべきものと考えましたが、まだ油断はできないと申し上げておきましょう。尊氏公は気まぐれです。お気を付けて」
「……将軍の従兄弟の御言葉として胸に刻んでおきまする」
こうして上杉憲顕は麾下の大軍勢の多くを連れ、踵を返して鎌倉に戻って行った。今は本分を守って貰う事を願うばかりである。
代わって憲将・能憲の兄弟が上洛のため、我が近江国に入った。
上杉家執事・長尾景忠は良しとして諏訪直頼と北条時行も同行している。諏訪氏はまだしも北条氏の越境に文句を言いたい気持ちは山々だったが、斯くなる上は仕方なかった。風紀を守らせ、近江国の道を案内する。途中、番場宿において一泊する事と相成った。
〜2〜
上杉家執事・長尾景忠とは懇意の仲だ。かつて短期間だが近江国守護職を失っていた間、鞍馬山で稽古を付けて貰った事を昨日のように覚えている。願わくば長尾家との交流は今後も世代を越えて行いたいものである。それこそ軍神・長尾景虎の代に至るまでだ。
番場宿で一泊するに際し、蓮華寺の敷地を借りて憲将・能憲兄弟たちとの酒宴を開いた。勿論、元狼少年の彼ら相手にまともな意思疎通が図れると思っていないので、諏訪直頼に体良く二人の世話を押し付け、俺は景忠と酒を酌み交わした。言うまでもなく時行は無位無官という事で、境内の地べたにおいて呑ませている状態だ。
「やはり北朝の官位は依然として有効か。氏頼殿」
「然り。ただし南朝との和睦不成立はあくまで流言という情報を恵源公が広め始めておられる段階なので、そこのところ御留意を」
「全く奇怪な話だ。先の恵源様の撤退命令書も花押・筆跡や文の組み立てからして確かに御本人のものだったが、月日のみで元号が付記されていなかった。今後の両朝との接し方の難しさが窺える」
「確か今日か明日にも我が母方の大叔父・長井広秀殿が使者として吉野に赴く手筈だった気が……銭一万疋ほど贈るつもりだとか」
高兄弟討伐が為されるまでの間、直義は南朝と北朝の双方に良い顔をする事にしたらしい。とはいえ、あくまで最終的には昵懇の北朝を立てるつもりのようだ。先に北朝へ三万疋を贈って南朝から睨まれた分、三分の一の額を以て宥めるという舐めっぷりである。
元より北朝皇族との繋がりの深い六角佐々木氏において、当主を務める俺としては痛快な限りである。果たして直義の勢いがどこまで続くか見ものだ。とはいえ、専ら東国暮らしの景忠としては顔の引き攣るような話らしい。慎重に言葉を選んでいる様子だった。
「時行たちを庭先に遣っておいて良かった。ここまで南朝をコケにしている事、北条得宗家出身の時行でさえ知れば引っくり返る」
「ん?噂をすれば──」
「千寿丸、出て来い!話がある!」
「何だ、あれ?酒に弱過ぎる」
「出向いてやったら如何か?その程度なら良い余興だ」
「けったいな……おい、平氏末裔の辺鄙!何用なのだ?」
如何にも面倒そうだと思いながら俺は投げやりに要件を聞く。
今回、時行が呑んだのはあくまで普通の酒だ。至って凡百の宿場で呑めるような代物である。俺や景忠の呑む上物とは違うのだ。
ああも顔を赤らめて我が幼名を口にするとは、実に呆れた話だ。
「六波羅探題の勇士たちの墓はどこだ?見当たらないぞ!」
「……何だ、そんな話か。向こうの山麓にあるぞ」
「連れて行け!私には彼らを弔う責務がある!当然、お前もだ!」
「はァ?はいはい、ご立派。ご立派……で、何で俺が態々お前を連れて行ってあげなきゃならんのだ?俺にとって彼らは危うく道連れにされかけた忌むべき輩どもだ。供養の場を認めただけでも感謝して欲しいものよ。大体、少しは神妙にしたらどうなんだ?あれか?型破り綸旨とかいう馬鹿御用達文書で気が大きくなったのか?」
「ッ……」
ここまで言われると流石に酔いも醒めるらしい。時行はキッと俺を睨んだ。しかし、まるでレッサーパンダの威嚇のようである。
全く怖くも何ともない。何なら時行の後方で今にも抜き身の弧次郎が襲い掛かってきたところで難なく対処できる自信さえある。
一方、時行は怒りを顔に滲ませ、夏の四をして宿から件の綸旨を持参させた挙句、俺の目の前にズカズカ接近して来る有り様だ。
これ以上の悶着は酒の席でも見過ごせないと判断してか、景忠や直頼が間に入って止めようとしたが、俺は一興だからと退けた。
「この綸旨が馬鹿御用達だと……それでも南朝に降った将か!?」
「うっわ……見事に勘違いしてんのな」
「勘違い?それはお前の──」
「ところで、その綸旨さ……本当に後醍醐の先帝が?」
「そうだ!十三年前、吉野朝廷で!直筆のものを頂戴した!」
「この宦官もどきが。得意げに見せて来る辺り、お里が知れるわ」
「何を!?」
「気付いておらんのか?お前、十数年間も何してた?」
その綸旨の実物が目に入った当初、俺は自分自身の目を疑った。
内容自体は噂に聞いていたが、まさかと思ったのだ。南朝発給文書として絶対に有り得べからざる文言が含まれていたのである。
ここで思い出しておきたい事がある。かつて後醍醐天皇は戦乱の最中に一息吐いて比叡山臨幸を辞めた春、つまり建武三年二月二十九日に改元を実施している。一方、尊氏様は持明院統を推し始めてから建武五年秋に至るまで改元に踏み切らなかった。というより、北朝政府が独断で新元号「暦応」を使い始めるまで現状維持を決め込んでいた。今の時代の人間にとっては貴賤問わず常識である。
この手の知恵は北条氏も活用していた筈なのだが、様子からして時行たちが惚けているようにも思えない。ただ、中先代の乱があくまで傀儡としての成果に過ぎないというのであれば納得できる。
「あまり言い過ぎても結果的にお前を利するだけだ。故にこれだけ言っておく。まともに文書を解せぬ者がゆめゆめ本当なら己が天下人だった等と思わぬように。裸の王様とはつくづくお前の事だ」
「はぁ?」
「……若。可笑しいですぜ。六角の野郎、何か確信してやがる」
「え?」
「祢津弧次郎……お前さえ気付かないとはな」
型破り綸旨の末尾には「建武五年」と添えられている。当たり前であるが、北朝なら文書として有り得る。しかし、南朝は別だ。
言い換えれば、型破り綸旨が本当に後醍醐天皇の手で出されたものなら、「延元三年」という添付でなければ可笑しいのである。
にも関わらず、時行は「建武五年」発行の文書を頑なに南朝の後醍醐天皇の直筆だと言い張っている。これぞまさに笑止千万だ。
周りを見れば長尾景忠も諏訪直頼も居た堪れなさそうに目を背けている様子だった。重将・能憲兄弟すら絶句している。もはや救いようが無いという言葉でも足りないかもしれない。大人しく伊勢氏に家名を譲っておくのが関の山だ。俺は肩を竦めて鼻で笑った。