〜1〜
観応二年二月も中旬に入り、各々が師直と直義の争いの決着が近付いている事を予感しながら目の前の難局に立ち向かっている。
河内国において楠木家郎党・和田助氏が御家人として大饗城に攻め寄せていた一方、丹波国では室町幕府次期将軍の足利義詮が健在であった。二月十日に久下氏に地頭職や空白地帯の領有権を与えたかと思えば、その翌日には伊予国の河野氏に対して守護職・旧領の安堵を認めた上で、将兵を集めて馳せ参じるよう通達していた。
「義詮様。連日の文書発行、お疲れ様でございます」
「合戦で貢献できないのだ。せめて文書で味方を集め、父上や師直たちを援護するしかあるまい。頼章、次の仕事を見繕ってくれ」
「は」
洛中における桃井直常撃退戦以来、義詮は両派閥の勢力から戦闘に巻き込む事のないよう配慮されていたきらいがある。石塔軍すら尊氏たちを追って丹波国を通過した際、義詮の籠る石龕寺を完全に無視したのだ。間違っても義詮の身に万一があっては、君側の奸を排除せよという直義の正義が無に帰すと自覚していたのである。
一方、義詮の側からしても当然ながら忸怩たる思いを抱えていない筈がない。しかしながら、それでも平静で居なければならない訳があった。尊氏から石龕寺駐屯を厳命されていただけに非ずだ。
「細川元氏は今も出陣を叫んでおるのか?」
「はい。このままでは執事殿の身が危ないと頻りに」
「あの猪ぶりを見ると流石の我も醒めざるを得ん。そもそも師直が別行動の前に言っていたのだ。たった二千余騎でも丹波国に我が駐屯しておれば、叔父上は軍勢を全て播磨国に投入できなくなる故、むしろ離れておった方が効果を得られるのだと。我は師直の見識を信じておる。師直こそ天下最強、足利家に不可欠な股肱之臣だ」
「……有り難き御信頼、師直殿が聞けば必ずや喜ばれましょう」
続けて二月十二日、義詮は粛々と地方武士・杉原信平に備後国福田荘の地頭職を与え、手探りで幕府軍勝利という結果を引き寄せようとした。それだけでなく、山城国大雲寺にも文書を発給する程の意欲的な仕事振りで、地道に次期将軍の務めを果たしていた。
しかし、状況は既に直義の有利で固まりつつあった。その証拠と言えるだろうか。同じく十二日、奥州における師直派と直義派の抗争が遂に決着を見る。奥州では二人の管領が置かれ、関東と同じく幕府武将の両雄が並び立つ事により、支配体制を構築していたのであるが、今ここに畠山高国以下の師直派が追い詰められていた。
「残っているのは僅か百余人の兵と岩切城のみ……ここまでか」
「父上……」
「国氏、恨むべきは貞家ではない。我が不徳よ。かつて北畠顕家のために伊勢国守護職を失い、お前が奥州管領に任じられたのを機に捲土重来を志し、遥々僻地に赴任した。されど、夢は儚く潰えてしまうもののようだ。嗚呼、建武年間の大戦の何と懐かしい事か」
高国は懐古する。そもそも畠山氏は足利義純が英雄・畠山重忠の名跡を受け継いで誕生した分家であり、鎌倉幕府でも北条家の庶流諸家と同等に扱われていた名門であった。鎌倉時代の後期にもなると流石に存在感が希薄になっていたものの、中先代の乱以降は状況が一変した。足利一門の大将として表舞台で躍動したのである。
しかし、程なく斜陽を迎えた。伊勢国で北畠氏との抗争に敗れて立場が無くなり、師直たちからも白い目で見られる事になった。
長らく楠木軍対策に関わり、今では直義派勢力の中核的な存在の国清と裏腹に、畠山高国は失意を味わって出家した武将なのだ。
そうした折、転機が訪れたのだ。まさしく青天の霹靂であった。
『高国。これから一家で奥州へ赴くのだろう?餞別を贈りたい』
『何と……直義様がこの私に?』
『そうだ。歌だ。歌集選出級の腕前のお前に贈歌など気恥ずかしいのだがな。お前の両の瞳に宿る熾火に比べれば、些細な事だ』
『……そんな勿体無い!御謙遜までなさるとは』
──みな人の うかりし方を わすれすは 望のうえの のそみあらめや
(以来六年間、息子・国氏の後見として精一杯務めた。さりとて、この高国は甥孫の国清と違い、恵源様が魔に堕ちる道を救ける事など天地がひっくり返っても出来やしない。到底承服できんのだ)
「父上、御安心を。我が子・平石丸は南陸奥方面にて生き延びる算段を付けております。我らの血はきっと後世に残りまするぞ」
「うむ。では……父子二人、潔く腹を切ると致そうぞ」
観応二年二月十二日、畠山高国は奥州管領・国氏と共に直義派の猛攻に晒され、岩切城で自害した。ここに奥州両管領の体制は終焉を迎え、吉良貞家の一強状態と化した。ただし、その貞家も次第に更なる形勢の変化に耐え切れなくなって下り坂を辿る。後に貞家の子孫は南に移住し、関東吉良氏として後北条氏の御輿と化した。
閑話休題。斯くして高国・国氏父子が滅んだ事で、畠山氏の嫡流はいよいよ国清の手に帰する事となった。この畠山国清こそ観応の擾乱から義詮・基氏並立期までのキーマンなのだが、それを本当の意味で知る者は、現時点で天下のどこにも存在していなかった。
〜2〜
石塔軍五千余騎が播磨国光明寺城に籠り始めて以来、幕府軍は攻略に難儀し続けていた。想定外の苦戦とあって、師直も師泰も起爆剤を欲していた。そうした状況で抜擢された武将こそ、昔年の護良親王の股肱之臣にして、現赤松家当主の次弟・赤松則祐である。
しかし、没後は当時の関白・近衛道嗣をして日記『愚管記』で格別な忠功を讃えられる則祐を以てしても、この光明寺城攻略ばかりは現状打破に至らなかったようだ。他が続かなかったのである。
「父上!泣尾坂から則祐殿の兵七百余騎が勇敢に攻めておられるとの事です!浦上行景以下、峻険な坂を一息で攻め上り、既に光明寺城の垣盾間近であるというのに、なぜ援護しないのですか!?」
「そう慌てるな、師夏。既に目標は達した。城内の指揮官を不安にさせるだけで結構なのだ。則祐にも石塔軍の矢で戦死者の出ないギリギリを見計らって撤退命令を出す手筈で、予め伝言してある」
「ッ……あの猛攻です。万騎単位の寄せ手で援護して同時に攻略を目指せば、本日中にも一息で城を落とせるのではないですか?」
「師夏、それでは凡百の考えよ。そもそも規定の軍略は軽々しく変更してはならぬものだ。これ以上の特別な対策は不要だ。今に城内から翻心者が出て勝手に陥落する。当面は力の温存が最優先だ」
(豚の背面攻撃も気掛かりだ。総攻めは厳しい。他にも男山の弟から援軍が遣わされよう。いつでも対応できるよう力を溜めねば)
斯くして則祐の奇襲は威圧程度に終わり、城内の石塔軍の兵卒たちは互いに勝利を祝したが、大将格は心の内で不安に駆られた。
実のところ、光明寺城は急拵えで防備が不完全である。確かに今日まで寄せ手を撃退し続けているが、則祐の巧妙な速攻を思い返してみるに、城の弱点に気付かれた可能性がある。兵力の差も馬鹿にならず、将軍・足利尊氏ないし高兄弟が本気になれば、明日は違う結果が待っているのではないか。そうした危惧が胸に渦巻いた。
その矢先である。古典『太平記』によれば、石塔軍の副将付きの少年が突然の奇行に走り、飛び跳ねて飛び跳ねて叫んだという。
「我に二所大神宮が取り憑かれたぞ!我の言葉に一つも誤りあるべからず!二所大神宮は、この光明寺城を守らんと三本杉の梢に遷っておわす!されば、寄せ手の兵力が雲霞の如くなりとも、我がこうしている間、落城などあるべからず!まして高兄弟は悪行に身を責められておる!彼らが今日から七日以内に滅亡するをば知らずや!ああ、熱い!堪え難いぞ!五衰三熱の炎、如何でか醒まさん!」
「うお!?」
「おい、仏前用の井戸に飛び込んだぞ!?」
「今、助け……熱ッ!?」
「何だ、この井戸水は!?熱過ぎる!ただの熱湯ではない!」
この騒動が城内どころか則祐にも漏れ伝わったらしい。更に則祐の子の朝範も兜の鉢を枕に仮眠したところ、不吉な夢を見たというのだから大変である。まして則祐は若い頃に比叡山延暦寺で修行した過去があり、その手の凶兆には人一倍敏感な育ちであった。
果たして則祐は舅・道誉に相談する事にした。赤松則祐はこの二年程前から道誉の息女を後妻として娶っていたと言われている。
「それは大変ですなァ。何となくだが、光明寺城の攻略は難しいような気がすると……婿殿の戦績は拙僧も買うところです。ただ単に敵軍の神妙の加護に怯えているという訳でもないのでしょう?」
「……独り京に残られ、北朝武将として尽くした氏頼殿に比べれば情け無き限りやもしれませんが、これこそ我が本音にて。舅殿」
「ああ、宗家の事なら婿と思っておりませぬ故、お気になさらず」
「は……?」
「さて、婿殿。愚見ながら情勢悪化の前に退却するための策を授けたいと考えておりますが、如何かな?障りなく帰国できますぞ」
古典『太平記』によれば、則祐は美作国から直義派の軍勢が迫っているという噂を利用し、赤松家の本拠地を守るという名目で光明寺城攻めの幕府軍から離脱して、白旗城へ帰って行ったという。
当然、光明寺城攻略の目論見が外れるどころか、猛将・赤松則祐の帰国を認めざるを得なくなった事により、さしもの師直も気勢に翳りが出てきた。師泰以下の将兵にも伝播し、皆で帷幕の中で休息がてら傷の舐め合いをする羽目になった。そうした時であった。
「ん?何だ?東南の方角から妙な雲が現れたものだ」
「父上。あたかも百千万の鳶・烏が飛び散っているかのようです。雲に覆われた山からの風で、今に木の葉が乱れ散りましょうぞ」
「ほう、師夏。随分と風流な事を申すではないか」
「……御両人。あれは雲でも霞でもないようだぜ」
「ッ!あれは……」
「……白旗か?こんな時に八幡大菩薩の奇瑞とはな」
(まるで壇ノ浦の源氏軍に起きた吉兆ではないか。丁度良い)
何とも幸運な事に、幕府軍のカンフル剤として最も適した現象が起きようとしている。合理主義者の師直が活かさない手は無い。
幕府軍だけでなく城内の石塔軍も同様に喜んでいるとも知らず、師直たちは一斉に白旗らしきものに手を合わせて拝礼し始めた。
「いつまで……城の上でヒラヒラしてやがるんだ?あの白旗は」
「……マズいな。石塔軍に白旗が渡っては意味がない」
「父上!何とかせねば!」
「くッ」
(弱った。これなら氏頼の妻の身柄を預かっておくんだった)
「お前たち、何の騒ぎだ?師直、説明しろ」
「「「将軍!」」」
征夷大将軍・足利尊氏の唐突な出現により、高兄弟は歓喜した。
繊細な天候の操作に関しては現佐々木惣領夫人・魅摩に分があると言えど、尊氏とて立派な神力使いである。師直は賭けに出た。
「将軍。今、味方の数万騎が総手で、あの白旗が我が陣に降り給えと祈っておるところです。どうか将軍の御力添えを賜れればと」
「何だ、そんな事か。ほれ」
尊氏が光明寺城の上空へ掌を翳し、ひょいと人差し指を師直の方にヒョイと曲げた。その途端、旗の周りで飛んでいた鳥たちが一斉に思い思いの方角へ散り、望みのブツが師直の方に飛んで来る。
古典『太平記』によれば、人々が口を揃えて目出度いと感動の声を上げる中、師直は兜を脱いで左の袖で旗を受け止め、三度の礼を行った後、恭しく観察したという。しかし、尊氏の目は確かだ。
「おや、師直。それは旗ではないな」
「は。塵紙を繋ぎ合わせて作ったもののようです」
「裏に二首の歌があるぞ。詠み上げてみよ」
「御意……これは」
──吉野山 峰の嵐の はげしさに 高き梢の 花ぞ散行
──限あれば 秋も暮ぬと むさしのの 草はみながら 霜がれにけり
二首の歌が唱されるや否や、聞き取った人々は一斉に凍り付く。
理由は言うまでもないだろう。高一族の凶事を予言するに等しいものであるからだ。一首目の上の句は、明らかに二年前の吉野攻略戦で南朝の皇居ごと蔵王堂・天神宮を一瞬で灰燼に帰した罪業を揶揄したものであるし、二首目に至っては、師直の管轄下の武蔵国を名指ししている。要するに高一族の滅亡が告知されているのだ。
「師直。お前の傍らには歌詠みも居ろう?意を尋ねてみぬのか?」
「くッ……薬師寺、どうなのだ!?」
「は!目出度い歌……かと存じます」
「……ッ!」
(こんな世辞を言わせる他ないとは。何と情け無き事か!)
師直以下そのまま失意を味わって日暮れを迎える。幸か不幸か摂津国守護の赤松範資から伝令兵が到着した。それも三人である。
古典『太平記』によれば、男山からの新手の接近を伝えるものであったらしい。範資もまた亡き名将・赤松円心の跡を継いでいるだけあって、軍事に精通している。現状を強く危惧していたのだ。
「畠山国清らの援軍七千余騎……か。師直、どうする?」
「は。範資殿の進言を受け入れるべきでしょう。光明寺城を攻めあぐねて漸く今日にも落とせるかという時に、昼間の件があって皆は浮き足立っております。しかしながら、国清はどうも上杉能憲を副将にしているとか。関東勢も居るとなれば、情勢不安で恐慌状態に陥る恐れが。かと言って、迎撃せぬ訳にも参りませんので──」
「取り敢えず光明寺城の石塔軍は捨て置き、平地で万全の布陣で畠山軍を受け止めるべき……神尾・鷲林寺・小清水付近だったな」
「左様です。一戦で勝負を決するべきという範資殿の策、この師直も賛成したいと存じます。ですので、将軍。何卒お下知の方を」
「分かった。光明寺城は捨て置き、畠山軍を返り討とうぞ」
観応二年二月十四日、室町幕府軍は光明寺城攻めを諦め、翌日に掛けて懸川に布陣し直す。それから粛々と湊川方面を目指した。
一方、直義派武将たちも決戦に向けて最終準備に入った。総大将の畠山国清直属の三千余騎が播磨国東条から有馬温泉の南を通って幕府軍の前方に回り込み、打出浜で迎撃態勢を整えた。光明寺城内の石塔軍や上杉朝定の軍勢も東に移り、高台に盾を並び立てた。
後に打出浜合戦と呼ばれる争いが起こるのは二月十七日である。
古典『太平記』によれば、将軍執事家嫡男・高師夏は初めてとなる天下分け目の大戦を翌日に控え、不思議な夢を見る事になる。