崇永記 作:三寸法師
〜1〜
天下分け目の決戦が始まる。どこともなく果てしなく広がる平地において両軍が向き合っているのだ。齢十三の
高一族の士気は衰えていない。それどころか自分たちの数万余騎に比べて遥かに兵力の少ない
『おいおい、
『旗は畠山・石塔・上杉と様々だが、たった千余騎とはな』
『父上。伏兵がどこぞに潜んでいる可能性は?』
『考えられるな。天狗衆をして探らせよう。良い着眼だ、
『は!』
『兄者。そろそろ』
『ああ、まずは鬨の声で威圧する』
しかしながら、両軍が鬨の声を出している内に、多勢に無勢が過ぎると狼狽したのか、
天狗衆の報告から問題ないと判断したのだろう。
『この
『『『『『応!』』』』』
高一族の実力者が多く揃った軍勢なのだ。たとえ衆兵で寡兵を追い掛けるシチュエーションであっても、直ぐに追い付くものだ。
間も無くである。
その時であった。俄かに味方の兵卒が動揺する。上を指差す声が聞こえた。若年の
『あれは一体?雲の上から兵が百余騎?一体どういう?』
『おい、あれは錦の御旗だ!』
『左右の大将。あの者たちは……まさか!』
『お前たち、何を余所見して……ッ!神々の軍勢だと!?』
まず左軍大将は吉野の蔵王権現である。八本の足と頭の角が異形の証だ。見れば、子守明神と勝手大明神という神々が金色の鎧と鉄の盾を纏って従っている。戦慄せざるを得まい。吉野攻略で盛大に火を用いた罪業が、今になって巡り巡ってきたのではないかと。
次に右軍大将である。甲斐国出身の神馬・黒駒に白鞍で騎乗しているところを見るに、明らかに天王寺の聖徳太子であった。甲冑姿の蘇我馬子だけではない。古代の弓上手・迹見首赤檮も自称始皇帝の子孫・秦川勝も従軍しているようだ。
『太子廟焼き討ちの当て付けか……?気に入らねェ。
『は!』
正真正銘の神・蔵王権現は後回しだ。後方の将軍・尊氏の御出馬が得られ次第、討ってしまえば良い。それに比べて聖徳太子は七百年以上も前の古代の軍勢だ。獰猛な中世武士の敵ではあるまい。
幕府軍が士気を回復した直後、蔵王権現の両目に怒気が宿った。
『……あれ射て落とせ』
『『『『は』』』』
『『『『ッ!?』』』』
蔵王権現の一声で、子守明神・勝手大明神・迹見首赤檮・秦川勝の四者がさっと構える。次の瞬間には神速の矢が放たれていた。
老齢の高兄弟は言うまでもないが、
「「うわァァァァァ!」」
「え……?」
「あの、
「え、え?……あ、そっか。決戦はこれからか」
謂わゆる夢オチである。古典『太平記』によれば、次期将軍執事候補の高
断っておくが、実際の決戦でこのような大それた事が起こった等という記述は一次史料どころか、古典『太平記』にも見えない。
良くも悪くもメタファーであった。先の
〜2〜
仮にも足利家当主にして現職の征夷大将軍の尊氏が後方に陣取って睨みを効かせれば、細川
「始めるぞ」
「「「「「応!」」」」」
(まず大手から戦を始める。佳境が見え始めたら搦手に本領を発揮させるのだ。浜の南から敵軍中央を圧迫する。さすれば、誰一人として残さず撃滅できよう。畠山と石塔さえ討てば此方のものよ)
古典『太平記』によれば、幕府軍二万余騎は打出浜の西の御影浜に到着後、速やかに夜戦に備えて軍勢を大手と搦手の二つに分けたという。
一方、薬師寺
(マズいな。苦境続きにしては将兵が余裕綽々だ。
「良いか。この五尺旗を掲げておけ。いつでも前に出られるように両端を赤緒で結んで木に立て掛けるのだ。今こそ心を震わせよ」
「は!」
「報告!御味方の先鋒五千余騎!合図によりて進軍!」
「ッ……
(四條畷でも武勲のあった両名だ。
しかし、薬師寺の祈りも虚しく幕府軍先鋒部隊は早速劣勢に追い込まれてしまった。畠山
この様子を本陣から見て
「あの射撃……小笠原流の矢です。間違いありません」
「チッ。
「父上。もしや天狗衆の索敵が機能不全に?」
「……夜戦というのが却って裏目に出てしまったか」
凄腕の天狗衆でも小笠原
「流石は小笠原弓術よ!見たか、者ども!これが誇るべき源氏の力の一端ぞ!さぁ、ここからが我らの出番だ!
「承知した!兄上!……さぁ、行くぞ!」
「「「応!」」」
畠山氏の精鋭二百余騎が幕府軍先鋒隊と激戦を演じる。
しかし、
「兄者!これは支え切れねェ!石塔も畠山も昔より明らかに実力を伸ばしてやがる!対して俺らは歳だ!武力でゴリ押し出来ん!」
「くそッ!加齢が恨めしい。せめて
「……伯父上。今ならまだ何とか立て直せます。どうかお下知を」
「決壊寸前だ。もう間に合わん。それより野戦で我らの首を獲らせてはなるまいぞ。将軍の御身も心配だ。急ぎ合流して城に籠る」
現在、尊氏は西宮のそのまた西で陣を構えている。饗庭命鶴丸や
次第に敗残兵・梶原孫六が命からがら本陣まで落ち延びて来た。
「そうか。お前も兄を失って疲れただろう。ゆっくり休め」
「は。将軍のその御言葉だけで満足です」
「何を申すか。梶原よ、兄と二騎だけで引き返して戦って意地を見せたのだ。敵兵も讃えておろう。あわれ大剛の者なりと。装束に梅の花を挿しているところを見れば、身元とて分かるであろうな」
「将軍の仰る通り……梶原殿。兄弟で梶原
敗軍にあって
薬師寺
「追撃兵こそ最も無防備なものだ!一気に山際まで追い込むぞ!」
「「「は!」」」
(されど、包囲殲滅できる程の数は無い。適当なところで切り上げて再び浜へ戻るしかあるまい。間違いなく正念場はそこからぞ)
結局、薬師寺の思った通りに事が進み、波打ち際に戻って再び敵兵と干戈を交え終えた頃には二百余騎の配下も散り散りとなって、たった六騎のみの小隊となった。そこから窮地の将兵を回収して敵軍の追撃を跳ね除け、湊川に帰陣したと古典『太平記』にある。
何はともあれ、ここに打出浜の戦いは
日記『園太暦』によれば、翌十八日にも合戦があって幕府軍が奮戦するも、
〜3〜
松岡城は閑散としていた。小さき城ながら敗残兵の集まるところとなっていたのであるが、古典『太平記』によれば、主力の将兵以外の有象無象が揃って木戸口から追い出されてしまったらしい。
当然、雑兵たちは行く宛もなく思い思いに現地の民の振りをして四方八方に逃げて散ったというのだから救い様のない話である。
「全く言葉にできん程、情け無い者どもだ。たった一敗で何をそんなに落ち延びる事があるのだ?今、ここに居る兵はどれ程だ?」
「……宵の口までは兵が溢れておりましたが、今は我ら高兄弟の郎党が幾らか。他は
「命鶴は逃げたようだ。
「はぁ」
(チッ。あの知恵ばかり回る根性無しども)
「
「……承知」
もはや尊氏は淡々としながら有無を言わさぬ剣幕である。
尊氏は大鎧を脱いで軽装となった。高兄弟や
(我々が自害しても将軍はどうせ失敗なさるだろう。それで良い。尊氏様のみが残っておれば、
「将軍。後は
「うむ……父子で別れの盃を交わしているようだ」
古典『太平記』によれば、赤松
どうやら現赤松家当主の
「将軍。
「頃合いだな。各々それでは──」
「誰か門を!将軍!ただ今この命鶴が戻りましたぞ!和睦が成立したのです!焦って御自害なさらぬよう!どうか開門を!」
集団自害が目前となった時、松岡城の東門が強烈に叩かれる。
その大声の響く通り、将軍寵童・饗庭命鶴丸が本領を発揮した。
剛腕の将・高