崇永記   作:三寸法師

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▲4

〜1〜

 

 

 天下分け目の決戦が始まる。どこともなく果てしなく広がる平地において両軍が向き合っているのだ。齢十三の師夏(武蔵五郎)は奮起する。

 高一族の士気は衰えていない。それどころか自分たちの数万余騎に比べて遥かに兵力の少ない直義(武衛禅門)軍を見て、余裕綽々であった。

 

 

『おいおい、恵源(武衛禅門)派の……東軍の数が少な過ぎやしないか?』

 

 

『旗は畠山・石塔・上杉と様々だが、たった千余騎とはな』

 

 

『父上。伏兵がどこぞに潜んでいる可能性は?』

 

 

『考えられるな。天狗衆をして探らせよう。良い着眼だ、師夏(武蔵五郎)』

 

 

『は!』

 

 

『兄者。そろそろ』

 

 

『ああ、まずは鬨の声で威圧する』

 

 

 しかしながら、両軍が鬨の声を出している内に、多勢に無勢が過ぎると狼狽したのか、直義(武衛禅門)派の寡兵は尻尾を巻いて逃げ出した。

 天狗衆の報告から問題ないと判断したのだろう。師直(高武蔵守)は圧倒的な数で擦り潰す選択肢を採った。勿論、師夏(武蔵五郎)の思った通り、完璧執事らしく工夫を忘れない。これなら伏兵も恐るるに足らずである。

 

 

『この師直(高武蔵守)と弟・師泰(高越後守)で軍勢を二手を分け、交互に進みながら敵を追撃する!いつ伏兵が現れようとも対応可能だ!怯まず進め!』

 

 

『『『『『応!』』』』』

 

 

 高一族の実力者が多く揃った軍勢なのだ。たとえ衆兵で寡兵を追い掛けるシチュエーションであっても、直ぐに追い付くものだ。

 間も無くである。師直(高武蔵守)の後方で弓矢を携えながら馬で駆けつつ、師夏(武蔵五郎)は奮起する。生来、師直(高武蔵守)が好色を拗らせ、上級貴族の娘を攫って産ませた子であると後ろ指を向けられてきた。この天下分け目の決戦において必ず軍功を立て、コンプレックスを払拭するのだ。

 その時であった。俄かに味方の兵卒が動揺する。上を指差す声が聞こえた。若年の師夏(武蔵五郎)もその声に思わず目が釣られてしまった。

 

 

『あれは一体?雲の上から兵が百余騎?一体どういう?』

 

 

『おい、あれは錦の御旗だ!』

 

 

『左右の大将。あの者たちは……まさか!』

 

 

『お前たち、何を余所見して……ッ!神々の軍勢だと!?』

 

 

 師直(高武蔵守)が驚くのも無理はあるまい。奇想天外な事象が起きていた。

 まず左軍大将は吉野の蔵王権現である。八本の足と頭の角が異形の証だ。見れば、子守明神と勝手大明神という神々が金色の鎧と鉄の盾を纏って従っている。戦慄せざるを得まい。吉野攻略で盛大に火を用いた罪業が、今になって巡り巡ってきたのではないかと。

 次に右軍大将である。甲斐国出身の神馬・黒駒に白鞍で騎乗しているところを見るに、明らかに天王寺の聖徳太子であった。甲冑姿の蘇我馬子だけではない。古代の弓上手・迹見首赤檮も自称始皇帝の子孫・秦川勝も従軍しているようだ。師泰(高越後守)の顔が引き攣った。

 

 

『太子廟焼き討ちの当て付けか……?気に入らねェ。師世(越後将監)、直ぐに兄者と合流するぞ!まずは聖徳太子だ!所詮は黴(カビ)臭き小勢よ!』

 

 

『は!』

 

 

 師直(高武蔵守)と師泰(高越後守)が合流し、まず聖徳太子の小勢を取り囲もうとする。

 正真正銘の神・蔵王権現は後回しだ。後方の将軍・尊氏の御出馬が得られ次第、討ってしまえば良い。それに比べて聖徳太子は七百年以上も前の古代の軍勢だ。獰猛な中世武士の敵ではあるまい。

 幕府軍が士気を回復した直後、蔵王権現の両目に怒気が宿った。

 

 

『……あれ射て落とせ』

 

 

『『『『は』』』』

 

 

『『『『ッ!?』』』』

 

 

 蔵王権現の一声で、子守明神・勝手大明神・迹見首赤檮・秦川勝の四者がさっと構える。次の瞬間には神速の矢が放たれていた。

 老齢の高兄弟は言うまでもないが、師世(越後将監)も師夏(武蔵五郎)も生憎と神武の域まで達していない。故に避けようが無く、各々の眉間に矢がズサっと刺さった。そのまま落馬し、師夏(武蔵五郎)は絶叫と共に起き上がった。

 

 

「「うわァァァァァ!」」

 

 

「え……?」

 

 

「あの、師夏(武蔵五郎)様?ご無事ですか?」

 

 

「え、え?……あ、そっか。決戦はこれからか」

 

 

 謂わゆる夢オチである。古典『太平記』によれば、次期将軍執事候補の高師夏(武蔵五郎)と幕府軍の知将・河津氏明(左衛門)が全く同じ夢を見ており、朝になって語り合い、本日予定の決戦の成否を危ぶんだという。

 断っておくが、実際の決戦でこのような大それた事が起こった等という記述は一次史料どころか、古典『太平記』にも見えない。

 良くも悪くもメタファーであった。先の師直(高武蔵守)に降り掛かった白旗改め呪いの和歌二首と共に、本件の悪夢は高一族の転落も極めて当然と印象付ける機能を帯びて、文学世界を彩っているのである。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 観応二年(西暦1351年)二月十七日、打出浜合戦が勃発した。この合戦において今なお男山で駐屯の直義(武衛禅門)はさる事ながら、兄・尊氏もまた積極的な関与姿勢を示していなかったようだ。しかし、師直(高武蔵守)はめげない。

 仮にも足利家当主にして現職の征夷大将軍の尊氏が後方に陣取って睨みを効かせれば、細川顕氏(陸奥守)たち*1による背面攻撃の抑止になると割り切っていたのだ。兎にも角にも薬師寺公義(彦次郎)のような腹心たちや歴戦の外様武将・赤松範資(信濃守)を率いて前方に布陣している直義(武衛禅門)派の軍勢を倒さなければならない。今こそ乾坤一擲の大勝負の時だ。

 

 

「始めるぞ」

 

 

「「「「「応!」」」」」

 

 

(まず大手から戦を始める。佳境が見え始めたら搦手に本領を発揮させるのだ。浜の南から敵軍中央を圧迫する。さすれば、誰一人として残さず撃滅できよう。畠山と石塔さえ討てば此方のものよ)

 

 

 古典『太平記』によれば、幕府軍二万余騎は打出浜の西の御影浜に到着後、速やかに夜戦に備えて軍勢を大手と搦手の二つに分けたという。師直(高武蔵守)は事ここに至り、大勝の青写真を描いている。夜戦なら昼のそれに比べ、天狗衆の諜報網で一方的な優位を確保できると踏んでいた。並の軍勢との違いを最大限活用するつもりなのだ。

 一方、薬師寺公義(次郎左衛門尉)の顔は晴れない。雀松原の木陰において静かに控えている間、味方の兵の様子を見て決意を新たにしていた。

 

 

(マズいな。苦境続きにしては将兵が余裕綽々だ。師直(武蔵守)様の指揮能力の高さが却って災いしたか。鼓舞の結果、味方は兵力の多さで変に自信を持っておる。これでは折角の軍略も水の泡になるやも)

 

 

「良いか。この五尺旗を掲げておけ。いつでも前に出られるように両端を赤緒で結んで木に立て掛けるのだ。今こそ心を震わせよ」

 

 

「は!」

 

 

「報告!御味方の先鋒五千余騎!合図によりて進軍!」

 

 

「ッ……氏明(河津左衛門)殿、英光(高橋中務丞)殿。どうか武運あれ」

 

 

(四條畷でも武勲のあった両名だ。直義(武衛禅門)派の中核の畠山国清(阿波守)とも必ずや張り合えるという師直(武蔵守)様の御信頼、決して裏切るでないぞ)

 

 

 しかし、薬師寺の祈りも虚しく幕府軍先鋒部隊は早速劣勢に追い込まれてしまった。畠山国清(阿波守)の作戦が見事に当たったのである。

 この様子を本陣から見て師夏(武蔵五郎)は狼狽した。師直(高武蔵守)の腹心の知将たちが斯くも手玉に取られてしまうとは、幾ら悪夢を見ていた身でも驚くべき事だったのである。換言すると源氏の力を甘く見ていた。

 

 

「あの射撃……小笠原流の矢です。間違いありません」

 

 

「チッ。国清(畠山阿波守)め。密かに木や藪に潜ませておったか」

 

 

「父上。もしや天狗衆の索敵が機能不全に?」

 

 

「……夜戦というのが却って裏目に出てしまったか」

 

 

 凄腕の天狗衆でも小笠原政長(遠江守)直属の精兵が夜闇に紛れて植物の影に潜伏してしまえば、余程接近しない限り発見できない。まして天狗衆はかつて中先代の乱の前に小笠原家先代・貞宗(治部大輔)の元に出向していた過去があり、既に対策が講じられていると見るべきだった。

 師直(高武蔵守)が過去の己の采配を恨めしく思っている間にも、事態は着々と悪い方に転がっている。対して直義(武衛禅門)派の総大将・畠山国清(阿波守)は得意満面だ。幕府軍先鋒大将の河津氏明(左衛門)が落馬して倒れたのである。

 

 

「流石は小笠原弓術よ!見たか、者ども!これが誇るべき源氏の力の一端ぞ!さぁ、ここからが我らの出番だ!義深(尾張守)、突っ込め!」

 

 

「承知した!兄上!……さぁ、行くぞ!」

 

 

「「「応!」」」

 

 

 畠山氏の精鋭二百余騎が幕府軍先鋒隊と激戦を演じる。師直(高武蔵守)の手当ての甲斐あってか、畠山勢はそれ以上の圧倒を維持できない。

 しかし、直義(武衛禅門)派の軍勢とて畠山国清(阿波守)だけではない。半里余り離れていた軍勢が動いた。石塔頼房(右馬頭)である。精鋭七百余騎ばかりで高兄弟に一斉攻撃を仕掛けたのだ。さしもの師直(高武蔵守)も無限にキャパシティがある訳ではない。名将たちを相手に無理が出始めてしまった。

 

 

「兄者!これは支え切れねェ!石塔も畠山も昔より明らかに実力を伸ばしてやがる!対して俺らは歳だ!武力でゴリ押し出来ん!」

 

 

「くそッ!加齢が恨めしい。せめて元氏(細川清氏)か氏頼(大夫判官)が居てくれれば補えたものを。義詮(宰相中将)様のお守りやら北朝皇族(持明院統)の警護やらが無ければ」

 

 

「……伯父上。今ならまだ何とか立て直せます。どうかお下知を」

 

 

「決壊寸前だ。もう間に合わん。それより野戦で我らの首を獲らせてはなるまいぞ。将軍の御身も心配だ。急ぎ合流して城に籠る」

 

 

 現在、尊氏は西宮のそのまた西で陣を構えている。饗庭命鶴丸や京極(佐々木)道誉(佐渡判官)が傍らに控える中、斥候の口から敗報を耳にしていた。

 次第に敗残兵・梶原孫六が命からがら本陣まで落ち延びて来た。

 

 

「そうか。お前も兄を失って疲れただろう。ゆっくり休め」

 

 

「は。将軍のその御言葉だけで満足です」

 

 

「何を申すか。梶原よ、兄と二騎だけで引き返して戦って意地を見せたのだ。敵兵も讃えておろう。あわれ大剛の者なりと。装束に梅の花を挿しているところを見れば、身元とて分かるであろうな」

 

 

「将軍の仰る通り……梶原殿。兄弟で梶原景時(平三)公の末裔として意地を見せたのだ。誇るべき事と申せよう。ささ、下がって休息を」

 

 

 敗軍にあって直義(武衛禅門)派に意地を見せた将兵は梶原兄弟に限らない。

 薬師寺公義(彦次郎)もまた然りだ。古典『太平記』によれば、高兄弟の大軍が総崩れとなって退却して尚、薬師寺公義(彦次郎)は全く慌てず、僅か二百余騎のみの寡兵で石塔・上杉連合部隊に攻め掛かったという。

 

 

「追撃兵こそ最も無防備なものだ!一気に山際まで追い込むぞ!」

 

 

「「「は!」」」

 

 

(されど、包囲殲滅できる程の数は無い。適当なところで切り上げて再び浜へ戻るしかあるまい。間違いなく正念場はそこからぞ)

 

 

 結局、薬師寺の思った通りに事が進み、波打ち際に戻って再び敵兵と干戈を交え終えた頃には二百余騎の配下も散り散りとなって、たった六騎のみの小隊となった。そこから窮地の将兵を回収して敵軍の追撃を跳ね除け、湊川に帰陣したと古典『太平記』にある。

 何はともあれ、ここに打出浜の戦いは直義(武衛禅門)派の勝利に終わった。

 日記『園太暦』によれば、翌十八日にも合戦があって幕府軍が奮戦するも、師直(高武蔵守)が太腿に矢を受けて、師泰(高越後守)も兜の裏から胸元に血が垂れ落ちる程の重症で、気力が目に見えて減衰していたという。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 松岡城は閑散としていた。小さき城ながら敗残兵の集まるところとなっていたのであるが、古典『太平記』によれば、主力の将兵以外の有象無象が揃って木戸口から追い出されてしまったらしい。

 当然、雑兵たちは行く宛もなく思い思いに現地の民の振りをして四方八方に逃げて散ったというのだから救い様のない話である。

 師直(高武蔵守)としては更なる敗残兵を受け入れようとして、畠山国清(阿波守)などの手下に紛れ込まれる結果になっては厄介極まるという判断だったのだが、やはり尊氏は怒っている。高兄弟を呼び付けて叱責だ。

 

 

「全く言葉にできん程、情け無い者どもだ。たった一敗で何をそんなに落ち延びる事があるのだ?今、ここに居る兵はどれ程だ?」

 

 

「……宵の口までは兵が溢れておりましたが、今は我ら高兄弟の郎党が幾らか。他は範資(赤松信濃守)殿が居られるのみでございます。ところで、尊氏様。饗庭と道誉(佐渡判官)殿の御姿が見えませんな。一体どちらへ?」

 

 

「命鶴は逃げたようだ。道誉(佐渡判官)殿は……厠が長いな」

 

 

「はぁ」

 

 

(チッ。あの知恵ばかり回る根性無しども)

 

 

「師直(武蔵守)。斯くなる上は自害しかあるまい。最期の宴を用意せよ」

 

 

「……承知」

 

 

 もはや尊氏は淡々としながら有無を言わさぬ剣幕である。師直(高武蔵守)に反駁の余地はない。今になって丹波国の義詮(宰相中将)の護衛兵を動員できる訳もなかった。近江国守護の氏頼(大夫判官)も今は期待に値しないだろう。

 尊氏は大鎧を脱いで軽装となった。高兄弟や師夏(武蔵五郎)・師世(越後将監)をはじめとする幕臣二十余名が二列にサッと分かれる。十二間の客間でそれぞれが神々に焼香して鎧や直垂を外した。袴と簡易の袈裟のみを着て自害の準備を進める。短刀に手を伸ばし、静かに座っていた。

 

 

(我々が自害しても将軍はどうせ失敗なさるだろう。それで良い。尊氏様のみが残っておれば、氏頼(大夫判官)が必ずやる気を漲らせる。あいつはそういう奴だ。氏頼(大夫判官)が土岐と合力し、義詮(宰相中将)様と連携すれば弟(恵源)の天下もそう保つまい。逆に弟(恵源)が四面楚歌で滅亡待った無しになる)

 

 

「将軍。後は範資(赤松信濃守)殿を待つのみです」

 

 

「うむ……父子で別れの盃を交わしているようだ」

 

 

 古典『太平記』によれば、赤松範資(信濃守)は僅か十三歳の次男坊*2だけ逃がそうと試みたものの、肝心の本人に拒否されたという。それどころか真っ先に盃を口元に寄せて積極的な自害の意思を示した。

 どうやら現赤松家当主の範資(赤松信濃守)とその周囲も足利尊氏や高兄弟に殉ずるつもりのようだ。師直(高武蔵守)は感慨に浸っていた。建武大乱の日々に思いを馳せ、亡き赤松家当主先代・円心(赤松則村)の姿を懐かしんだのだ。

 

 

「将軍。範資(赤松信濃守)殿も酒宴を終えたようです」

 

 

「頃合いだな。各々それでは──」

 

 

「誰か門を!将軍!ただ今この命鶴が戻りましたぞ!和睦が成立したのです!焦って御自害なさらぬよう!どうか開門を!」

 

 

 集団自害が目前となった時、松岡城の東門が強烈に叩かれる。

 その大声の響く通り、将軍寵童・饗庭命鶴丸が本領を発揮した。

 剛腕の将・高師直(武蔵守)の落日が明らかとなり、観応の擾乱の新たなステージが見え始めている。師直(高武蔵守)たちは何とも言い難い不安に襲われていた。しかし、今は願うしかない。この城にて将軍・足利尊氏の御前で晴れやかに自害していた方がマシな結果にならない事を。

*1:
日記『園太暦』によれば、二月初旬までに頼之(細川弥九郎)の父・細川頼春(刑部大輔)も直義(武衛禅門)派に寝返っていたらしい。二月九日には幕府軍に甚大な被害を強いたという噂が京に届いている。

*2:
赤松直頼(信濃五郎)。かてねよりの約定を頼みに叔父・則祐(赤松律師)の養子になるため故郷に帰るか、出家して生存の道を歩むよう勧められたという。

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