〜1〜
観応の擾乱における第一段階もいよいよ終盤のようだ。二月十八日になって雀松原で幕府軍二千余騎が再戦を図るも、実際に前線で戦闘に及んだ五百騎揃って討たれるか降るかの有り様になったと早馬で報せが飛んできた。こうなると問題は高一族の処遇である。
別に師直が死んでも既定路線通りだから俺としても何ら問題ない話である。とはいえ、師泰以下がどのようになるが懸念材料だ。
男山に赴き、直義派内の軍議に参加して今後の方針を確かめる。
「恵源公。元より高一族でも反師直の立場の師秋殿、更に高兄弟でも非力な重茂殿は生かされるおつもりでしょう?ただ、師泰殿は如何なさる気で?仮にも憲顕殿の叔母の嫁ぎ先と聞き及びますが」
「……氏頼。お前は高一族を族滅すべきと考えるか?」
「……族滅は北条政権の負の慣習です。あまり積極的には」
「であろうな。そこまですれば、却って民心や北朝政府の御信頼を損なう事になりかねん。ただ……師泰を許す気はない。その嫡男の師世も含めてな。確かに上杉氏の血を取り入れた者だが、後の反乱の種となる事が目に見えている。以前師世を二代将軍執事に起用したものの、功を奏さずに終わった。むしろ上杉氏の親戚と言えど、温情を掛けず報いを与える事こそ真の統治への第一歩と言える」
「成る程。その御志に賛同致します」
表向き賞賛の言葉を送りつつ、俺は内心でほくそ笑んだ。直義が上杉氏の縁者を贔屓するつもりがないと天下に示されてしまえば、擾乱の次の段階で直義を害しても憲顕から恨まれる道理はない。
先に憲顕の上洛を拒否させた事を含め、仕込みは順調だ。周りの諸将も上杉氏の優遇がないと知り、安堵している様子であった。
「皆、氏頼を見習うように。今の質問も真の源氏政権の繁栄を願っているからこそ出たものであろう。勿論、奸賊・高兄弟を排して政を正さんという大義によって集まった者たちだ。然して心配はしておらん。高兄弟が松岡城で自害し次第、兄上をお迎えしようぞ」
「「「……」」」
「?……どうした?お前たち」
途端に諸将の顔色が曇った。もしや直義傘下で大した働きをしていない──むしろ前に上野軍を撃ち破ったり帰順しても上杉憲顕を追い返させたりする暴れ様の──俺を見習えというのは酷な話なのだろうか。確かにそういう事であれば、不満も分からなくない。
しかし、蓋を開けてみれば斜めの上の懸念があるようであった。
「その、恵源サマ。義詮様は如何しましょう?」
「……まさか殺せと言わぬだろうな」
「あ、いや……ただ、このまま政務に戻すとなると」
桃井直常は戦ばかりではないらしい。無駄に勘が良い。もしかすると十五日の合戦で義詮に思うところがあったのかもしれない。
もし尊氏様が巻き返しを図るなら今も義詮の傍らに控えておる二千余騎が鍵となるだろう。そこまで考えて直義に慎重な姿勢を求めているのだ。ただ、気になるのは直義派の一部で義詮の将来を閉ざそうという動きが疑われる事だ。戦前から義詮の反直義の決意には並々ならぬものがあったのだから、ある意味当然かもしれない。
「この高経も懸念しておりました。義詮殿は必要以上に直冬殿を警戒して恵源殿にも敵意を燃やしているようです。足利一門筆頭格として率直に言うなら、将軍と御一緒に隠居して貰うのも案かと」
「……高経殿。戯言も程々に。将軍の御隠居なら余生を遊興に生きて頂く意味で確かに一考なれど、義詮殿はまだ若い。これから色々仕込んでいけば、必ず良い政治家になれる。そう信じましょう」
我が従兄妹伯父・斯波高経の場合、新田義貞の遺品の「鬼切」や「鬼丸」の件で尊氏様と遺恨があるので、まだ失言も看過できなくもない。まして斯波家は足利一門でも嫡流に匹敵し得る名門だ。
しかし、ここで我慢したからこそ直常の発言が噴飯ものだった。
「恵源サマ。お言葉ですが……あれは良くねェ。幾らお若いと言ってもですぜ?北朝皇族を捨てて京を脱出して氏頼殿に尻を拭かせた時点で失格じゃねェですか?少なくとも天下の武家の心は離れつつありますぜ?君側の奸を取り除こうと呼びかけた手前、あまり将軍家を無碍にできねェのは分かりますが……勝者は恵源サマです」
「……桃井。では何が言いたい?光王殿を招けば上杉氏が、直冬を招けば少弐氏が新たな高一族となろう。我が妻の姪の夫・義詮殿こそ次代の征夷大将軍に相応しいのだ。渋川氏は足利一門の良家だ。この私とて兄上の弟なのだ。彼らと違って君側の奸になり得ん」
「次代なら……如意丸サマが居られるじゃねェですか」
「!?……桃井、お前」
「巫山戯るな!」
頭に血が昇る。気付けば桃井直常を引き倒し、地面に押し付けて一方的に殴り付けていた。肩の大袖を風が起こる程に激しく振り、周りの直義派武将たちの制止を誰一人として寄せ付けなかった。
思考も何も無かった。ただ尊氏様への信心の為すがままに殴打し続ける。髪束内の鉄板が壊れ、直常自慢の髪型が無惨に崩れた。
〜2〜
翌十九日、俺は再び男山に召喚された。世間は地震の発生と将軍塚の鳴動で落ち着かない様子だった。この俺とて同じである。
一応、桃井直常は顔にタコが出来ただけで、一日か二日でまた戦線復帰もできるような状況らしい。規格外にも程がある防御力だと言いたいところだが、流石にあのまま息の根が絶えていたら俺も北朝の了解下で処罰されかねなかったところなので、多少は安堵の息が溢れるというものだ。勿論、桃井氏との間に遺恨が残ろうとも、足利義満時代の勢力図で見覚えが無いので全く心配していない。
「氏頼……桃井に謝りに来たのか?」
「は?何言ってんの?時行。てか未だ居たんだ」
「……南朝武将として直義の監視が必要だろう?そのためだ」
「はン。一丁前の口を利く。その割に道理は知らんようだが」
「道理?氏頼、お前こそ何を言っているんだ?」
「どう考えても悪いのは桃井殿の方だろ?義経公や範頼公の側近でも軽々しく言わないような発言を堂々したのだ。殴られて当然というものよ。ま、簒奪者・北条得宗家の一味には分からない話か」
「ッ……」
途中で会った時行を意に介す事はあるまい。粛々と目的地の直義本陣に赴く。五感を研ぎ澄ませてみても伏兵の気配はなかった。
当然ながら誅殺を図られても跳ね返すだけの武力は備えている。
「よく来たな。氏頼」
「は。昨日はお騒がせしまして」
「何を言う。むしろ助かった。危うく我が大義が疑問視されるところだったのだ。あのまま桃井を諭しても、疑う者は疑うであろう?この恵源が兄上の血筋を廃する気ではないかと。その拳がとんでもない誤解を防いでくれた。何と礼を言えば良いか分からぬ程だ」
「……」
政治センスがピカイチな直義なら、俺の反射的な行動に利を見出して賞賛するのではないかと思っていたが、こうも大っぴらに言われると流石に居住まいが悪くなる。むず痒さ等の問題ではない。
何かあるのではないか。京育ちの警鐘が俺の脳裏で鳴り響いた。
話題は案の定、将軍御子たちの処遇に及んだ。特に義詮が心配の種らしい。俺は白けた顔をしないよう注意しながら耳を傾ける。
「義詮殿を次期将軍として尊重する気持ちに偽りは無い。むしろ軍政に熱心なところは兄上より上だ。鍛えれば必ずモノになろう」
「はぁ」
「だが、それと同時に直冬と折り合いをつけて貰わねば困るのだ。それが無ければ、この私が何を言っても義詮殿は耳を貸すまい」
「……具体的にはどうするので?」
「九州事情を利用する。早急に直冬の勢力を取り込まなければならない事は誰の目にも明らかだろう。その道理は義詮殿とて呑まざるを得まい。だが、九州というのは不幸中の幸いだ。かつて仁木義長が一時的に支配を任された事もある。庶兄の直冬が下でなければ気が済まない義詮殿としても、これならお認めになると思うのだ」
「まさか……正式に直冬殿を幕府の九州支配の担当者に?」
「如何にも。上洛させず、九州に留め置く。また、中国地方の影響力は我が元に帰させるつもりだ。これで義詮殿も実の兄を脅威と見做さなくなるだろう。直冬とて我が決定とあれば異論あるまい」
さては直冬の正式な幕府復帰に文句を言わせないために今日このタイミングで呼び出したなという言葉を俺はグッと呑み込んだ。
観応二年二月十九日、直義は阿蘇大宮司・宇治惟時が再び直冬に帰順した事を褒め、近日の戦場について報告すると同時にそのまま直冬傘下として活動するよう伝えた。今ここに直冬が再び幕臣として活動し、九州を治める事を現地の有力者に宣言したのである。
〜3〜
観応二年二月二十日酉の刻、男山に降参者たちが現れた。降参者と言っても大名クラスは見当たらないため、師直派から直義派に鞍替えした最後の守護大名の座は依然として俺のものらしかった。
閑話休題。降参者たちの中には何と将軍寵童・饗庭命鶴丸も居るという話である。妙な事に尊氏様の使者を名乗っているらしい。
そんな予定はない筈だがと思ったら案の定、命鶴丸が独断で使者面をしているようだ。景忠の前で俺は態とらしく呆れて見せた。
「何なんです?まさか命鶴丸は身可愛さで使者を名乗っているのではないでしょうね?妙にキレ者なので如何にもやりそうですが」
「本当にそうなら小物なのか度胸があるのか分からんが……何はともあれ、北朝廷尉の氏頼殿も裏から話を聞くようにと他ならぬ恵源様が仰せだ。変に暴れられても困るから横で見張らせて貰うが」
「ああ、はいはい」
流石に長尾景忠ただ一人で今の俺を抑えられるとは思えないが、その方が直義も安心するというのであれば仕方ない。そもそも交渉の席ならどんなブラフでも胸襟を広げて見守るつもりだ。一昨日の桃井直常が相手の例とは違って、感情を滾らせる由はあるまい。
蓋を開けてみると予想通りであった。直義は思い切りブラフを使い倒している。自派閥に師秋などを抱えているというのに、高一族全員の首を和睦の条件に掲げている辺り、かなり失笑ものと言わざるを得ない。流石にこれは命鶴丸も全く動揺しないに違いない。
そして命鶴丸もやはり尊氏様の体面を重んじる性質を盾にした。
「ま、御所巻で共謀を噂された時点で今更な気もするが……」
「実際どうだったのだ?その共謀というのは」
「仮にあったとしても明かすとしたら十年経ってからですかね」
「……ふ。まだまだ戦乱は終わらぬ気がしてきたぞ」
「それで良……提案だと?命鶴丸め、若いなァ」
曰く、将軍が一切の危害を加えられず上洛する事は勿論、高兄弟も出家によって助命・帰京できるというのを表向きの講和条件にした上で、将軍と高兄弟が三里以上離れて行軍するよう密かに申し伝えるという話である。要は暗殺のチャンスを確保するのである。
直義も乗り気らしい。三里も離れていれば高一族が襲撃されていても将軍が対処できる筈もないと世間の納得を得られるためだ。
「はン。将軍が本気になれば三里程度は一瞬だろうに」
「いや、氏頼殿。そういう話ではないだろう」
「分かっておりますよ……これで一応は和睦が成りましたか」
「そのようだ。詳細はまた明日詰める事になると思うが」
「……何とまぁ無意味な話を」
そもそも和睦など結ばずとも、高兄弟が追い詰められて自害しておけば済んだ話だったのだ。将軍なら自害しようとしても失敗に終わる事は明らかである。あの御方はそうした芸当も可能なのだ。
これで少々ややこしい事になるかもしれない。高兄弟が死んだ後に再戦までのインターバル期間を挟まざるを得なくなる。義詮とて将軍兄弟の間で和睦が一時的にでも成立すれば、大人しく矛を納めるしかなくなってしまう。再び決起するまでが煩雑になる筈だ。
全く余計な事をしてくれた。命鶴丸にとって功績稼ぎのつもりか何か知らないが、それで調整を行うのは佐々木惣領の俺なのだ。
「はァ……景忠殿。まさかとは思いますが、上杉家の子息たちが実行役になるような気がしてきました。重能殿の仇討ちとやらで」
「義父の仇討ちなれば世間の非難も免れよう。確かに汚れ仕事ではあるが、致し方あるまい。それとも氏頼殿が意気込まれるか?」
「……確かに塩冶殿の件で遺恨はありますが、そこまでは」
観応二年二月二十日、幸か不幸か饗庭命鶴丸の働きによって将軍兄弟間の和睦が成立した。足利氏の政権が再び一つに纏まろうとしているのだ。そのために高兄弟は裏で切り捨てられるのだろう。
だが、俺は知っている。観応の擾乱の第二段階を。いよいよ仲の良かった足利兄弟が本格的な修羅場を迎えるのだ。和睦など所詮は瞞しに過ぎない。いよいよ俺の本格的な出番だ。将軍の元で真の源氏政権を創り出し、幕府の筆頭武将になろう。邁進の時は近い。
尊氏様の御尊顔を脳裏に思い浮かべる。間近に迫っている高一族の惨劇など素知らぬ顔で陶酔して、俺は決意を新たにしていた。