〜1〜
予定通り高兄弟が死んだ。意外にも俺の方で処理する必要もなく直義の唯一の子・如意丸も夭折した。ついでに熱田昌能の娘の悪魔憑き状態も今では何ら不安が無くなった。実に結構な話である。
我が世の春が始まろうとしている。いよいよ尊氏様が真に源氏政権の主人となるための期間が幕を開けるのだ。どうして悦ばずに居られようか。俺は天龍寺を訪れ、一室を借りたまま舞っていた。
「ああ、スッキリした!お分かりか?国師殿!」
「え、ええ……まさに順風満帆の御様子で」
「そりゃあもう」
徳川家康の餅ではないが、今の天下は師直が搗いて直義が捏ねたばかりの状態と言える。尊氏様の王道パターンだ。十数年前の足利政権の樹立にしても、北条政権が搗いて後醍醐天皇が捏ねた餅を食べたようなものである。実に賢明かつ効率的な手法と言えよう。
勿論、「座りしままに食う」のも決して楽ではない。喉に詰まらせない程度の注意は払う必要がある。しかし、精々それだけだ。
「国師殿。まさか宗教界で如意丸の呪詛の動きでも?」
「とんでもない!……ゴホン。宗家、確かに各寺社の調伏自慢の者を掻き集め、熱田大社の巫女の身体から御左口神なる信濃国古来の在地神霊を滅すべく災除魔障に御協力させて頂きましたが、幼子の呪詛など一切聞いておりませんぞ。くれぐれも誤解なさらずに」
「ああ、分かっております。悪魔祓いの協力だけで充分ですから」
数日前、遂に俺は復活の悪魔・御左口神とやらと対峙する事に成功した。師直譲りの尊氏様の口噛み酒を諸将の各陣営に分けて回って呑ませていれば、必ず邪魔しに来るに違いないと踏んでいた。
俺に対する北条時行のお仲間の憎悪の程は分かっている。それを逆手に取るべく、忍びの夏の四に我が動向を掴ませたのである。
案の定時行も祢津弧次郎も居ない。上杉・諏訪両勢が義詮直属の軍によってコテンパンに追い返された直後だからこそであろう。
男山でお仲間に飛び道具を構えさせたまま、あの悪魔は呟いた。
『そんなに……そこまでして尊氏を勝たせたいの?佐々木六角』
『ま、俺が何もしなくても結局は尊氏様がお勝ちになるとは思うんだけどさ。やっぱ役に立ちたいのよ。貢献度で京極道誉に負けたくないし、何より加冠の儀で結ばれた間柄だぞ?尽くして当然だ』
『……このままだと世界が滅ぶ』
『は?』
『六角。貴方はこの世に生まれた瞬間、神力で偶発的に未来の若者の記憶をインストールして精神が形成された。その心が極僅かでも残っているなら聞いて。今、尊氏に世界中の神力が集まってる』
『素晴らしい!……で、何でそれで世界が滅ぶと?未来の話はどこへ行ったのだ?やれるものならばしてみよ。納得できる説明を』
試みに詳しく話を聞いてみると失笑に値する話のオンパレードであった。まず後の偉人のペスト菌発見という偉業を無視し、その巫女は神力のせいで異邦人共が黒死病に見舞われていると囁いた。
はっきり言って眠気の出る話だ。当然、俺は鼻で笑って見せた。
『別に海外事情なんざ今は殆ど眼中にないんだけど。国外どころか琉球も』
『放置しておくと尊氏様の周り以外、人間は死に絶えて──』
『いや、冷静に考えてさ、疫病の流行で国内の税収源が消滅する事を贅沢大好きな尊氏様が望む訳がないでしょ。なら問題ねぇよ』
『……え゛?』
『大体さ、白村江だの刀伊の入寇だの元寇だの海外戦争は付き物な訳だろ?将来また朝鮮に出兵したり清露と交戦したり欧米列強と壮絶な鉄血の応酬を繰り広げたりしなきゃいけない。その手間を省く事が出来るのなら、願ったり叶ったりだ。流石は尊氏様!偉大なる御方よ!貴方様のお陰で億万もの日本国民が救われまするぞ!』
『ほ、本気で言ってる?』
『もしかして貿易や産業革命の恩恵が無いと困る口?それならまだ分からなくもないけど……亡き結城宗広だって国外の者共は全員朝敵だから根切りにとか言い出しかねないでしょ?それと似たようなものさ。異邦人共は尊氏様に従う気がない!なら滅んで当然だ』
『……貴方は大陸の成果をきっと誰より柔軟に取り入れていく大名だと思ってた。それでも海外の人が病で滅ぶべきだと言うの?』
『ほーん。世界大戦が起こらない方が重要だと思うけど?海外から人が悉く居なくなれば、我が国に爆弾が降る未来は避けられる』
『ッ……』
おちょくり半分で言ってやった結果、巫女は頭を抱え出した。
そもそも俺は世界が滅ぶという妄言を信じてやる気が更々ない。
第一、インストールだか何だかのプロセスで俺が先世の記憶を有している事こそ何よりの無事の証である。ここまで考えて幼い頃を思い出した。俺の不在の間にミマが小さい方の田舎巫女と西園寺別邸付近に金色の建物が将来出来る予感で共感し合ったという話を聞かされた。地理的直感で分かる。足利義満の金閣の事であろう。
巫女は一体どの口で有りもしない戯言を嘯いているのだろうか。
『にしても尊氏様の御力が世界を巻き込む程のものだったとは何とも畏れ多い事であるよ。いや、そもそもは八幡太郎義家公の悲願が足利家時公を介し、尊氏様の力で叶った結果か。つまり八幡大菩薩に世界を席巻する御力があったと。信心は致すものであるなァ』
『……家時なんて悪戯で自害して今の惨事を招いた迷惑者なのに』
『あ!あ!あ!誰か!恵源公にお声を!北条時行の身内が足利将軍家の祖公を愚弄したぞ!到底許されざる暴言だ!……ていッ!』
すかさず夏の四たちが放った投擲も自前の扇で薙ぎ払い、俺は口角を上げた。そこからはトントン拍子で悪魔祓いへと一直線だ。
もう二度と復活はあり得ない。それ程の念入りな調伏であった。
勿論、世界滅亡云々は嘘八百だったようで、この十六年後には高麗から使者が来日し、春屋妙葩が気張るような事態も起こった。
そして閑話休題。観応二年二月二十七日、尊氏様は京近くの山崎まで着いたという報せが届いた。夜には京に入る見込みである。
「遂に折り返し地点に来ました。いえ、山越えの頂上付近と表すべきでしょうか。ここから先は下り坂です。勢いよく参ろうかと」
「お気を付けて。宗家、山下りとは存外大変なものですぞ」
「ええ。石橋を叩く程でなくとも相応に気を付けるつもりです」
このままだと一旦は小康状態に突入する事になる筈だ。そこでどれだけ打倒直義に向けて準備できるかが肝要であるに違いない。
如意丸が勝手に死んで気が楽になったが、朝廷や守護大名の取り込みなど課題は山積している。ここは腰を落ち着けて一つ一つじっくり取り組もう。最後の大戦になる可能性もあるのだから、とことん味わい尽しておこうではないか。この時、俺は先の複雑怪奇な事態の混迷を知らないまま、まだまだ悠長な考えに囚われていた。
〜2〜
観応二年二月二十八日、尊氏様は昨晩の上洛を経て上杉朝定の屋敷で久し振りの京の朝を迎えたようだ。今日は直義が男山周辺の軍営を撤去して帰京予定だ。ここで問題なのが北条時行の処遇だ。
まさかうっかり京に入れてやる訳にもいかない。だが、かと言って南朝の賀名生に送っても面倒そうだ。やはり殺すべきだろう。
「いや、それはない」
「……恵源公。この期に及んで和睦への支障を恐れておいでか」
「語弊を恐れず言えばな。侮辱を理由に牢に幽閉する程度ならまだどうとでもなるが、流石に殺したとなると親房卿が何と申すか」
「あの武家嫌いの親房卿です。イチャモンのネタなら他にも──」
「時行と亡き顕家は意外と仲が良かったそうだ。それを踏まえて慎重に検討した結果だ。氏頼、お前は高経の説得に専念してくれ」
「……は」
別に時行を殺した程度で南朝が不快を表す訳がないだろうと思うのは山々だったが、ここで無理に抗弁してもあまり意味がない。
何しろ程なく俺は将軍烏帽子子としての立場を再び明らかにするつもりなのだ。今、無理に直義と揉めて得る利益として北条時行はあまりに小さい。大体あんな鼠輩は恐るるに足らない。そう思っていると時行の残り僅かな従者が帰り支度をしている様子だった。
「チッ。見てんじゃねェよ。六角氏頼」
「これは失敬した、祢津弧次郎。東国に帰るのか?」
「……見ただろ?修祓を知って泣き叫ぶ若の姿を」
「あれ本気だったのか。もうイヤだとか何とか宣っていたが」
「心にもなく宣うなんて言葉使うな。イチイチ不愉快な奴だ」
「はン。俺に言わせれば再三源氏に歯向かうお前らこそ不愉快だ」
はっきり言って南朝投降後の時行は犬畜生にも劣る役立たずだ。
かつて中先代の乱を起こしていた頃は尊氏様を天下取りの大業に誘う引き立て役として存分に踊ってくれていたが、今はひっつき虫さながらである。何の意義もなく東国の有力武将の軍勢に紛れ込んでは火事場泥棒の真似事を企んでいる。全くいけ好かない奴だ。
「はァ。せめて新田義興の執事にでも収まっておけば、もう少し政治の何たるかが分かる武将になっていただろうに。所詮は北条得宗家の出涸らしか。何の道理も知らないらしい。ある意味哀れだ」
「は?氏頼、とうとう頭イカれたか?何で若が義興の執事なんか」
「何でってそりゃ……いや、分からないならそれまでの事だ」
「?」
型破り綸旨とかいう塵紙に拘っていた知恵足らずの一味に説いたところで、豚に念仏も同然だろう。今となっては何の意味もない話に過ぎないのだ。義興と時行による南朝関東統治の幻の構想は。
少なくとも北条得宗家出身につき新田氏より格上であるという頓珍漢な意識を時行本人が持ち続けている限り、土台無理な話だ。
あの様子では足利家の若君と高・上杉の関係に思いを馳せる余裕も持ち合わせていないだろう。つまり、元より器ではないのだ。
「氏頼。これだけは言っとくぜ」
「……ん?」
「お前が将軍に今なお首っ丈なのは一目瞭然だ。だけどよ、流石にあからさま過ぎるんだわ。このままじゃ破滅まっしぐらだぜ?」
「何を言うかと思えば……俺は今も昔も源氏のため最善の道を進んでいる。この先もそうだ。それが分からぬ幕臣なぞ居るものか」
単に幕臣の風上にも置けない奴めという皮肉を込めて俺は言う。
如意丸の夭折で、幕臣たちは自ずと次世代を見据えて直義より尊氏様を選ばなければならない状況に追い込まれている。九州の少弐氏や関東の上杉憲顕はそれぞれの理由で例外であるとしてもだ。
観応二年の二月下旬がいよいよ終わる。佐々木惣領の俺を含め、幕府の関係者たちは揃って次なるステージに視線を注いでいる。
鍵は丹波国にあり。その鍵を迎えるべく我々は着々と態勢を整えていく。そのために勝敗が入れ替わる事など些細な話であった。
〜3〜
将軍兄弟による正式な対面が迫っている。高兄弟暗殺という密約が果たされ、今後の政治体制の在り方について天下に布告する必要がある。つまり、本当の意味で細部を詰めるための和睦の席だ。
観応二年三月一日、会談日が翌日に迫る中、俺は分家の道誉と京の自宅で顔を合わせていた。当初は義詮と行動を共にして貰う予定だったのだが、師直の強い要請でやむ無く尊氏様の帷幕に居続け、そのまま京に戻ってきていた。どうやら尊氏様の傍らを絶えずキープしていたため、婆娑羅大名の代表格でありながら上杉勢による高兄弟暗殺に巻き込まれずに済んだらしい。無駄に運の良い男だ。
「何と。今や尊氏様にそこまでの意欲が」
「そのようです、宗家。恐らく恵源派への揺さ振りがてら」
この日、尊氏様は大胆にも筑前国の麻生一族という関係者に通達書を発行した。しかも、所領に関する指示を含んでいるそうだ。
元号は依然として我らが北朝の「観応」を用い続けているというから良いとして、直義派への影響を考えると中々の挑発行動ではないだろうか。流石は尊氏様である。俺は染み染みと感じ入った。
「きっと桃井直常などは恵源の野郎が今後の政治を一手に引き受けると確信していただろうが……そう何でもかんでも恵源派の思うようになってたまるか。如意丸の夭折により、次代の政治はいずれにせよ義詮様を頂点に組み立てるしかなくなった。要は義詮様が納得して帰京できる形で、明日の会談内容を纏めなければならない」
「如何にも。恵源派が強硬して義詮様を排除し、光王様なり直冬殿なりを京に招こうものなら、恵源本人の死後、上杉憲顕か少弐頼尚が新たな高師直として政治を牛耳る事は間違いありません。そんな展開を望む幕臣は極めて僅かでしょう。大半の者たちは如何にして義詮様の元で己の権益を確保するか。これを焦点に置いて将来を考えている筈です。如意丸の死は尊氏様にとって幸運の極みかと」
「同感だ、道誉殿。将軍は実に付いておられる」
「……とはいえ、油断はできません。あくまで勝者は恵源の軍勢と言われれば、さしもの将軍も譲歩せざるを得ないでしょう。問題はどこまで恵源に権利の集中を認めるか……この際、役職任免権は放棄するにしても、恩賞権だけは死守する方向でお考えの筈です」
「……となると道誉殿の政所執事の席は危ういでしょうな」
「ええ。極めて残念です。宗家が後任だと嬉しいのですが」
「無理です。二階堂一族の誰それが穏当かと」
刻々と差し迫っている会談に向けて、幕府関係者の各々が尊氏公という空前絶後の天下人の真意を推し図り、頭を悩ませていた。
そして翌日、外で雨が降る中で今後の政局を左右する将軍兄弟の会談が開催された。尊氏様は意外と技巧派だ。会談前から、あからさまに機嫌が悪いように振る舞い、丹波国の義詮の視線についても考えなければならない直義に更なるプレッシャーを与えている。
「も、もう一度仰って下さい。将軍」
「ん?直義よ。つまり、こういう事だ。義詮とその周りの者たちは不安よな。まず我に最後まで随従した四十二名に恩賞を与える」
観応二年三月二日、将軍兄弟の会談は直義に有無を言わせぬ圧巻振りである。この分では早々に尊氏様の機嫌も良くなりそうだ。
果たしてどちらが勝者か分からない。そんな同席者たちの声が聞こえてきそうだが、俺には分かる。この天下においては尊氏様こそが唯一無二の王であり、将軍を信じる者だけが救われる。その道理を知らない者こそ、この観応の擾乱という壇場で破滅するのだ。
次なるステージは既に始まっている。遂に尊氏様が弟・直義を滅ぼして真の源氏政権の盟主として君臨する。大舞台の幕開けだ。