崇永記   作:三寸法師

27 / 202
◆11

〜1〜

 

 

 腰越の地に広がる平野において、互いに騎乗の道を断たれた俺と亜也子は二人きりで向かい合っていた。今の両者は時行を乗せてここを去った根津小次郎にはとても追い付けない。

 渾身の投擲を喰らって馬を喪った亜也子は、二度までも落馬した身体でありながら不屈の闘志で此方を睨んで構える。

 一方、敵の矢によって尻を射られた馬に走り去られ、加えて太刀である「綱切」が横たわる亜也子の馬に深々と刺さったままであるため、残るもう一本の刀である打刀を構えざるを得ない。

 

 

 はっきり言おう。この局面、中々どうして厄介だ。

 太刀が手元にあれば必勝を期せるが、打刀であの変わり種の鉄棒のような武器を相手に殺し合いをするのは些か骨だ。いざ戦いが始まれば、懐に潜り込めるか否かで生死が決まる。

 とはいえ、身体が万全なのは明らかに俺の方である。戦えば負けると諦めてしまうような状況では決してない。

 

 

「先程はよくもやってくれたな」

 

 

「私は若様のために便女としてやるべき事をやっただけだよ」

 

 

「あっそ……本当に殺る気なのか?」

 

 

「うん。目の前に折角の大将首があるんだよ?しかも、護衛は一人もいない。若様の配下として殺らない訳にはいかないよ」

 

 

 こうなると、時行と一対一の盤面を作り出そうと、心配する家臣たちの折角の気遣いを顧みずに、得意の馬術を駆使して誰も居ない平原に辿り着いたのが悔やまれる。

 しかし、そうなると不思議に思えるのが、どうやって弧次郎及び亜也子が今にも一騎討ちを終えようとしていた俺と時行の居場所を見つけ出したのかである。

 

 

「冥土の土産に教えてくれ。どうやってここを見つけた?」

 

 

「千寿丸、さっき鷹を殺したでしょ?あの鷹、弧次郎のお父上の根津頼直様の鷹なんだ。鷹匠の頼重様は鷹を使って、戦場を俯瞰して敵の居場所や弱点を突き止めるの」

 

 

「……鷹匠か。羨ましい」

 

 

 きっと相模川合戦で此方の奇襲がバレていたのは、その根津頼直が鷹を使って討伐軍の動きを具に観察していたからだろう。

 一方、今回の伏兵の配置が成功したのは、あくまで時行の働きによって足利軍の厳重な包囲を抜けたばかりで、前方の敵の伏兵を警戒する由もなく、鷹を飛ばしていなかった故であるに違いない。

 

 

「詰まるところ、俺は運が良かっただけか。上手いこと機転を利かせたつもりだったが、まだまだ詰め甘の未熟者。高みは遠いな」

 

 

「千寿丸、私からも聞いて良い?」

 

 

「ああ、良いぞ」

 

 

「本当に……本当に若様に味方するつもりはあったの?六波羅探題貰えるならなんて言ってたけどさ、結局足利側だったし」

 

 

 ほんの少しだけ、俺は打刀の構えを下げた。

 俺にとって六波羅探題に良い思い出は全くない。いつか六角の名跡を受け継ぐ者として、今よりも周りが見えていなかった俺が必死にやった結果が、あの燃え盛る炎と四百を超える屍の数々である。

 

 

「戦は子どもの喧嘩とは違う。個人ではなく当主として与する相手を選ばなければならない。それがこの結果ぞ。悔いるつもりはない。まして時行の負けが端から見えていた以上はな」

 

 

「……頼重様は六角の進退がどうしても見えないからって、限界まで褒美を上乗せしようとしてたのに」

 

 

 唇を尖らせた亜也子に対し、俺は感傷混じりの笑みを溢した。

 道理であの妙な褒美を約束する訳だ。後の六分の一殿こと山名氏を彷彿させる十一ヶ国守護だの、名前だけの職であるとはいえ尊氏に代わる鎮守府将軍だのは却って恐ろしかったのだが。

 あまりに胡散臭すぎて、頼重からの書状を持ち込んだ望月氏分家当主に何度も確認を取った程だ。

 

 

「望月亜也子。投降する気はないか?」

 

 

「……これから戦うところでしょ。何弱気になってんのよ」

 

 

「弱気?違うな。聞いたぞ、今の北条軍は昔と違って無駄死にを禁じているらしいじゃないか。仮に俺を倒せたとして、その後お前はどうするつもりだ?待っているのは破滅の道でしかない。それ位、戦場に身を置き続けたお前なら分かるだろう?」

 

 

 正直、俺に言わせれば、一郎党の亜也子を殺したところで何の旨味も無い。徒らにリスクを冒すだけだ。ならば、いっそのこと投降するよう仕向けた方が、戦力増強という点で利がある。

 今世と前世、全ての記憶にあたった俺は、程なくして一つの活路を見つけ出した。忠臣を投降させた逸話に学ぶのだ。

 少し言葉を変えてやれば、これ以上ない妙薬になるに違いない。

 

 

「投降すれば三つの益有り。しなければ三つの害有り。俺と戦うのはそれらを知ってからでも遅くはない筈だ」

 

 

「……何それ」

 

 

「良いから聞け。まずは害の方から話そう」

 

 

 一つは、俺を倒したとして後に別の討伐軍に見付かれば、確実に命を散らすどころでは済まない。

 六角軍は戦場で油断すべからずという名目によって禁じているからまだ良いが、他の軍に関しては全く勝手が違う。

 

 

「いや、まー……嬲られるのが趣味って言うなら、別に止めはしないけどさ。お前の場合、めっちゃ需要あると思うし」

 

 

「良いから次の話早くしてよ!」

 

 

「はいはい」

 

 

 次に、北条軍の決まりに反してしまうこと。

 鎌倉滅亡に際して自害者が続出し、再起の芽が明らかに激減したことを反省したのか、それとも幼い総大将である時行の意思なのかは知らないが、どちらにせよ決まりは決まりだ。

 

 

「最後の害は、時行たちが死んだ場合に、彼らを弔う者がこの世に居なくなること。敗戦する以上、被る逆賊の汚名はかつて承久の乱で後鳥羽院を破りし北条義時の比ではあるまい」

 

 

 逆に、第一の益として六角軍の庇護を受けて生き延びれば、弔いが出来る上に、今後後醍醐の権威が益々揺らいだ際に、亜也子の口授によって僅かでも汚名を晴らすことが可能となる。

 この時代、名誉は往々にして命より重要とされる。この根底意識は容易に変えられるものではない。一定の効果はあるだろうと思った矢先、亜也子が反駁し始めた。

 

 

「若様が死ぬなんて冗談止めて。足利の大軍を手玉に取った若様がそう簡単に死ぬ訳ないでしょ」

 

 

「……にしては先程、間一髪の危機だったがな。それに、考えてもみろ。時行は今後、天下に居場所を失う。持明院統は二度と北条とは手を組まない。大覚寺統は尚更だ。二つの皇室の威光にあやかれない時行が、この日ノ本で生きていられると思うのか?」

 

 

「そんなの、またどこかに潜伏して」

 

 

「それで、用意できる軍勢は?到底一万も揃えられまい。今回の乱が北条にとっては最後の天下奪還の機会だったが、それを逃した以上、時行は良くて一生潜伏生活だ。そんなの……死んでるのと何が違う?自力での名誉挽回は望むべくもないだろう」

 

 

 だからこそ、時行の郎党だった亜也子が生き延び、後世において時行の名誉を回復させるための種を撒かなければならない。

 六角であればそれが可能だと主張した俺は、一つ目の益についての話を締め、二つ目の益について話を始めた。

 

 

「知っての通り、近江国には望月氏の分家が在る。そして、俺は他でもない近江国の守護。他所の軍に投降するより、遥かに良い待遇を用意出来る。無論、世が落ち着けば小笠原軍への対策で信濃国に帰ったとか云う父親と再会することも、出来なくはないだろう」

 

 

「……」

 

 

「第三に、宇治川合戦後、和田義盛に仕えたという巴御前に倣うことが出来る。また戦場で功名を成せるだろう。俺は策略や駆け引きに関しては和田義盛より上だ。悪くない話だとは思わないか?」

 

 

 中世において女子ながらこのレベルまで武芸を極めた望月亜也子には多少の功名心はあるだろうと思って言ったことが、意外にも今まで説いた話の中で最も効いているように見えた。

 明らかに双眸が京で会った時の輝きを取り戻している。

 ひょっとすると、信濃国出身である望月相手に巴御前の名前を持ち出したのが良かったのかもしれないが。

 

 

「この三つの利害を聞いた上で、それでも俺と戦うというなら仕方あるまい。全力でお相手しよう。さぁ、どうする?」

 

 

「……」

 

 

 直ぐには決断が出来ない様子だ。無理もない。忠誠心に溢れていることは、敵方ながら痛いほど伝わって来る。

 俺が北条相手にどうしても抱くことが出来なかった気持ちとの激しい鬩ぎ合いが彼女の心において起こっているのだ。

 葛藤という言葉がこれ以上相応しい状況はないだろう。

 

 

 もし、これで関羽のように温い条件を付けてくるなら俺も心を鬼にしなければならない……と考え始めた時、彼女は言った。

 遂に、望月亜也子は己の進退を決めたのだ。

 

 

「私は……諏訪三大将が一人望月氏本家当主・望月重信の庶子にして北条時行直の郎党、逃若党の党員たる便女望月亜也子」

 

 

「!」

 

 

「六角様に投降願い奉ります。私と同じ信州の女武者巴が和田義盛に従ったように、千寿丸様に……お仕えする所存です」

 

 

「その言葉、待っておったぞ」

 

 

 命を大事にする時行麾下の北条軍の末路は三つ。戦死するまで粘り強く戦うか、降伏するか、逃走の末の再帰に賭けるか。

 得物を左側に置いて傅いた亜也子は、第二の選択を選んだ。かつての主君の名誉を僅かであってもマシなものとするために。

 そして、巴御前の如き女武者として後世に名を轟かせるために。

 

 

「今日は今年一嬉しい日だ。当主としても、個人としても」

 

 

 今ここに、六角軍に新たな武者が加わったのだ。

 望月亜也子。かつて北条家の遺児の元で働き、抜群の体躯で膂力に優れ、巴御前に憧れる武芸達者な娘である。

 

 

「さぁ、立って」

 

 

「はい、殿様」

 

 

「今はまだ気持ちの整理もつかないだろう。俺に対しても、京で魅摩と接した時のようにしてくれ。二人きりの時に。良いな?」

 

 

「……うん」

 

 

 立ち上がらせた俺は、新たな臣下を伴い、ぐったり横たわった彼女の馬の身体から一族の名刀である「綱切」を抜き取った。

 

 

「この綱切はかつて宇治川合戦でその名の通り、水中に張り巡らされた綱を断ち切ったが、百五十年余りの時が経ち、此度は俺とお前の縁を繋いだ。妙な話もあったものだな」

 

 

「そうだね」

 

 

「おや、何やら盛り上がっておられる御様子ですなァ」

 

 

 喜びも束の間、六角軍とは別の類の布地に四つ目結が表された旗を掲げる軍が、俺たちを取り囲んだ。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 いつも以上に白い歯を溢す道誉の顔は、何と言うべきだろうか。

 今日ばかりは道誉が悪いと、まるで道誉を妖怪か何かのように語る六角家臣団の者たちに同意したい気分である。怖い。

 俺の馬があらぬ方向へ走り去っていくのを見て、軍の進行方向を変えたらしい。ご丁寧に馬を治療した上で、連れて来たようだ。

 

 

「この者は、望月亜也子。甲賀郡の望月の本家の娘にて、六角の当主たるこの私に投降して来たので、丁重に迎え入れることに決めました。道誉殿、どうかご理解下さい」

 

 

「宗家の御決断ならば、拙僧は何も申しません。まして六角の家臣団に誰を加え、誰を用いるかについては、千寿丸殿が全面的に決定されるべきこと。拙僧が口を挟むことではありますまい」

 

 

 少なくとも道誉の同意さえ得ることが出来れば、後はどうとでもなる筈である。道誉が了承している佐々木家中の決め事に、道誉の友人である尊氏が干渉して来る筈がないからだ。

 主君である尊氏が認めていることであれば、結局は弟に過ぎない直義や執事の師直は無理に覆そうとはしないだろう。

 

 

「ただ」

 

 

「……ただ、何でしょう?」

 

 

「お子を作られるお積もりなら慎重を期すべきかと。庶子と嫡子の家督争いなど拙僧は見たくありませんからなァ」

 

 

 この腹黒坊主は一体何を言っているんだ。俺は呆気に取られた。

 

 

「家督争いにさえならないのであれば、拙僧としては一向に構いません。どうぞ御心の思うがままお振舞い下さい。それでこそ婆娑羅というもの」

 

 

「は……はぁ」

 

 

 してやられた。俺は苦々しさでいっぱいになっていた。

 京極の武士たちの前で、道誉の言葉に振り回されるのは幾ら何でも不味い。もし京極の家臣までもが調子付くようなら、六角家臣団の京極への反発は更に激化する。

 俺は焦りの色が面に出ないよう、何とか表情筋を制御した。

 

 

「望月亜也子と云えば、兆若党きっての剛力。家臣の列に加えられたこと、心よりお喜び申し上げます」

 

 

「道誉殿のお心遣いに感謝します。それと、我が軍が諏訪軍を鎌倉に追い詰めた頃合いにございます。共に向かいましょう」

 

 

「ええ、そうしましょう。ああ、見れば亜也子殿は馬を亡くされたご様子。我が娘魅摩と相乗りされるが宜しいかと存じますが、宗家は如何にお考えでしょう?」

 

 

「成る程。実に良いお考えです。是非御息女をお呼び下さい」

 

 

「思いますに、御息女とは些か他人行儀が過ぎるかと。何せ千寿丸殿は娘とかなり親しくしておいでなのですから」

 

 

「……確かに。道誉殿の申される通りだ」

 

 

 幾ら何でも腹芸に拘り過ぎただろうかと考えていると、妙に生暖かい目をした魅摩が、道誉の三男と共に顔を出した。

 

 

「亜也子ねぇ……大穴だったわ」

 

 

「?」

 

 

「何でもないわよ。それより、宜しく。()()殿()

 

 

「あ、亜也子で良い……です。お魅摩様」

 

 

 何だろうか。この十年近く感じたことのない雰囲気が、この鎌倉郊外において漂っている。本来は知り合い同士なのだが。

 女子二人による独特な空気感は、六角軍から時行含む諏訪軍を鎌倉に追いやったという報告が届くまで続いていた。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 今最も憂鬱なのは、師直と会わなければならないことである。

 そもそも師泰による足利軍中に出現した時行を殺せという趣旨の命令を知らなかったことにして、腰越に伏兵として待ち構えていたので、時行ではなくその便女を捕まえたとなると、一体どんな反応をされるか想像もつかないのだ。

 

 

「おお、千寿丸!無事であったか!心配したぞ!」

 

 

「尊氏様。北条時行を鎌倉に追い詰めました。今や敵に碌な兵力はありませぬ故、さして損害なく討ち取れるものと存じます」

 

 

「うん。千寿丸の機転には感じ入るばかりだ。なぁ、師直」

 

 

「……は」

 

 

 気のせいだろうか。口調こそ優しいが、どことなく尊氏が右腕である師直に嫌味を言っているかのようだ。よもや時行を取り逃がした師泰が怒って全軍に下した命令が不服だったのか。

 いや、尊氏が特に何の邪心無く思ったままのことを言っているだけなのかもしれない。何故だかそう感じてしまった。

 いずれにせよ、これでは師直の恨みの矛先が自分に向けられかねないので、正直言って勘弁して欲しいところなのだが。

 

 

「千寿丸。今宵は道誉殿共々食事を一緒にしないか?」

 

 

「はい。喜んでご相伴に預かりたく存じます」

 

 

「うむ。師直、頼んだぞ」

 

 

「は」

 

 

 帝の命令を無視して出陣することを尊氏が決めた際、折角作った鯉の洗いをひっくり返されたと噂の師直が近づいて来る。

 どんなお叱りが来るものかと俺は思わず背筋を正した。

 

 

「時行直の郎党を配下としたらしいな」

 

 

「はい。投降を希望したものですから」

 

 

「かく言う俺も逃若党とやらの降兵を配下にしてな」

 

 

「!」

 

 

 まさか吹雪を傘下に加えたとでも言うのだろうか。天狗衆を使う師直相手に、忍びを使った探りを仕掛けることに慎重になっていたせいで、不覚にも盲点になってしまっていたようだ。

 だが、一つ気になったことがある。確かに有能な吹雪にはそれだけの値打ちがあるだろうが、見抜くのがあまりにも早過ぎやしないだろうか。予め目星を付けていたかのような速さである。

 

 

「そのうち顔を合わせる機会もあるだろう。何なら望月とやらと我が陣営で引き合わせてみるのも良いかもしれないな」

 

 

「今は……私から望月の方にそれとなく言うだけに留めた方が良いかもしれません。顔合わせの時機は慎重に探った方が」

 

 

「……それもそうか。良く飼い慣らしておけ。くれぐれも寝返りが起こらないよう留意しろ」

 

 

「はい。勿論にございます」

 

 

 当然の釘刺しだろう。棚から牡丹餅ではあるが、六角当主である俺に近い立場を得た彼女は、様々な情報を見聞きする筈であり、中には敵に渡ったら足利に不利になる情報もあるかもしれない。

 投降兵を受け入れた以上、それ相応の監督責任は付き纏う。

 間違いなく、ペットを拾って来るより遥かに重大である。味方の生死を左右することになりかねないのだから。

 

 

「兄者。報告が」

 

 

「ん?……そうか。喜べ。良い知らせだ。北条残党が鎌倉の勝松寿院に逃げ込んだそうだ。奴らは程なく自害するだろうな」

 

 

「おお。それは実にめでたいことです。何でしょう。不思議と鯛が食べたくなって来ました」

 

 

「今夜はうどんだ。鯛はない。いや、折角だ。夜釣りさせたものを持って来させるか」

 

 

「感謝します」

 

 

 急遽晩御飯のメニューが一つ増やされた数時間後、討伐軍は未来では有り得ないほど綺麗な星空の元、勝松寿院を目指していた。

 

 

「申し上げます!北条残党の籠りし勝松寿院より、軍馬の群れが揃って退去したと知らせが参りました!」

 

 

「軍勢か。道誉殿。頼重や時行が紛れている可能性や如何に?」

 

 

「……頼重は賢明です。本命の者たちを逃す気であれば、これを見せかけとし、別の方向から密かに脱出させているでしょう」

 

 

「成る程」

 

 

「道誉殿の言う通りだろうな。師直」

 

 

「は。直ぐに辺りを探らせます」

 

 

 相変わらず師直は忙しそうだ。これでメニューが一つ追加された晩飯を用意しているのだから、かなりのやり手である。

 鎌倉の全ての切通には、討伐軍に参加する勢力の部隊がそれぞれ配置されている。

 亜也子や吹雪といった二人の武者を失った上、顔を多くの足利兵たちに晒してしまった時行が、彼らの目を盗んで鎌倉から脱出しようというのは困難極まるだろう。

 

 

 そして、尊氏含む討伐軍の本隊は、北条残党が逃げ込んだと云う勝松寿院に到着する。あまりにも静か過ぎるが、この規模では謂わゆる空城の計が仕掛けられていることはないだろう。

 師直と道誉を先頭に、師直と俺で尊氏の左右を囲む形で境内を恐れることなく進んで行った。

 

 

「うおおっ!?」

 

 

「こ、これは……」

 

 

 本堂にある一室に数多の死骸が安置されていた。まだ日本に伝来していないキリスト教を信仰している筈がないのに、ご丁寧に腹の上で手を組んでいる者まで居る始末だ。

 しかし、注目すべきは他にある。驚くべきことに、遺体の全ての顔の皮が剥がされていたのである。

 

 

 時行と見られる屍体の足元にあった紙切れを師直がわざわざ拾い上げた上で、一字一句違わずに読み上げた。

 どうやら彼らは皆先祖に合わせる顔がないので、自害する際に顔の皮を剥いだらしい。馬鹿にしているのだろうか。

 

 

「師直殿。これはよもや──」

 

 

 状況から導き出した推論を口に出そうとした途端、師直は首を横に振った。どうやら言うべきではないらしい。

 見たところ、時行や頼重、時継についた傷はそのまま存在しているようであるので、確かに本物と納得出来ないこともない。

 

 

「待て。時行にそんな腕の傷なんてあったか?」

 

 

「あ、それ腰越で」

 

 

「腕を刺されても逃げ仰せたのか……」

 

 

「つまり、頼重も時行も本物ということか」

 

 

「もやもやが消えませんなァ。勝利したるは我らと言うに」

 

 

 高兄弟や二人の佐々木の間に醸し出された微妙な雰囲気を振り払うかのように、尊氏が突然満面の笑みを浮かべた。

 

 

「最期まで鋭い策士だったな、諏訪明神は!"諏訪頼重の乱"の主として未来まで名を残すだろう!」

 

 

 残念ながら、未来では"中先代の乱"と呼ばれています……と尊氏相手に言う勇気を俺は微塵も持ち合わせていない。

 よって、俺は感服する態度を表しながら、本堂から出ようと歩き出した尊氏に続いた。口による災いなど御免被るのだ。

 本堂から出ると、尊氏が腹を抑える若い一兵卒に話し掛けた。

 

 

「大丈夫か?傷を見よう」

 

 

「え?尊氏様御自ら?」

 

 

 弽と呼ばれる革手袋を外した尊氏は、腹筋の割れた兵の傷を手で押さえながら観察した。

 腹の丁度真ん中を斬られていながら、不幸中の幸いと言って良いだろう。腸を外していたらしい。

 

 

「その幸運と奮戦に、恩賞を授けよう。本当だぞ?家族孝行すると良い」

 

 

 ヤバい。凄いほっこりする。

 どうやら高兄弟や道誉も俺と同じように、雑兵に直接恩賞を約束する尊氏の慈悲深さに心が和んだようである。

 

 

 だが、直後。場の雲行きは怪しくなった。

 

 

「"中先代の乱"の討伐に加わって、本当に良かった!」

 

 

「今、何と?」

 

 

 中先代の乱……逃若党や師直といったことで頭を働かせていたせいだろう。俺の知らない間に、少なくとも足利兵の間では北条時行こそ「中先代」であるということで落ち着いたらしい。

 どうやら足利兵の中では、先の天下人であった北条の意地を見せた時行を称賛することが流行っているようだ。

 

 

「皆の中ではもうすっかり"中先代の乱"が定着して……痛ッ!ちょ尊氏様!?痛い、痛いです、やめ!あ!ダメ、お!グェッ」

 

 

 唐突な尊氏の行動を俺は止めることなく、ただ一連の様子を眺めるばかりであった。意図を測りかねたのである。

 恩賞が貰えるからと調子に乗って長々喋り続けた雑兵の振る舞いに業を煮やしたのか、それとも乱の名称が思い通りにならずに癇癪を起こしたのか。いや、もっと別の理由があるかもしれない。

 ともかく、尊氏は急に雑兵の傷口に手を掛け、腑を掻っ捌いた。

 

 

「……」

 

 

 どう反応したら良いのかさっぱり分からない俺は、ふと前世で読んだ漫画に素手で鴨を捌く描写があるのを思い出した。どうせ捌くなら人ではなく、美味しく食べられる鴨にして欲しいものだ。

 落ち着いたら鴨を捕まえて望月亜也子歓迎会と称し、鴨鍋を一緒に食べるべきだろう。それこそ一石二鳥だ。

 

 

「殿。そんな事より、うどんを用意しております」

 

 

「やったー」

 

 

「久々の関東の味ですなァ」

 

 

 うどんは二週間と少しぶりだろうか。今では近江国における出陣の儀式が遠い昔のことに感じられる。

 

 

「それと、鯛も用意しております。千寿丸殿の希望により」

 

 

「めで鯛という訳か。千寿丸は気がきくなぁ」

 

 

「いえ、大したことでは。師直殿のご対応に感服しきりです」

 

 

「うん、師直は完璧執事だからな!」

 

 

 師直が用意した食事を楽しみにする俺は、ひとまず乱が終結して北条を気にする必要がなくなったことに安堵する。

 足利尊氏こそ真なる天下人。それを証明するため、これより始まる大覚寺統との戦いに専念することが出来るのだから。




 以上を持ちまして第弍章は終了です。中先代の乱という『逃げ上手の若君』の一つの山場を越えましたが、戦はまだまだ続きます。
 続く第参章の表題は箱根竹下合戦。ですが、新田軍との争いは何章にもわたって続くので、またある程度ストックが出来てから投稿したいと思います。どうかご理解の程、宜しくお願い致します。
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