崇永記 作:三寸法師
◆1
〜1〜
最後の得宗北条高時の遺児である相模次郎こと北条時行による中先代の乱が終結してから早くも二ヶ月が経とうとしている。
足利や佐々木、土岐といった源氏が大半を占める討伐軍によって占領された鎌倉では、ちょっとしたお祝いムードが漂っていた。
「はえ〜、あれが尊……鎌倉殿のお屋敷かぁ」
優れた体躯を有する少女、望月亜也子は遠駆けの帰りであるからにして馬に乗りながらも、片手を目に翳して呟いた。
まだ従えてから大した月日は経っていないものの、今現在の亜也子と主従関係にある俺は、同じく自らの馬に騎乗したまま彼女の言うことに頷いた。
「ああ、そうだ。そして、あそこに見えるのが鎌倉における我が六角家の新しい屋敷だ。まぁまぁ広いだろ」
「う、うん。そうだね……」
「亜也子。微妙と顔に書いてあるぞ」
尤も、家臣の列に加入してからまだ日が浅い亜也子が気不味そうに反応をするのも無理からぬことなのかもしれない。
信濃国に本拠を持つ望月氏の娘である亜也子は先の乱において便女として反乱軍……つまり北条軍に参加していた。
しかも、ただの便女ではない。乱の首魁である時行直の郎党"逃若党"の一員だった亜也子は、時行にとってすれば幕府滅亡直後からの気心知れた家臣の一人であった。
必然、北条軍が鎌倉を奪還もとい占領した際、亜也子は総大将の時行の広大な住まいの一角で寝泊まりしていた筈である。
一方、天下有数の名門武家とはいえ尊氏がいる手前、討伐軍における序列第一とは口が裂けても言えない六角氏当主の鎌倉における屋敷は、亜也子から見て少々手狭に見えてしまうのだろう。
「そうだ、これは前もって言っておく。そのうち魅摩が煽って来るだろうが、あまり気にするな」
「魅摩様が?なんで?」
「見てみろ。うちの屋敷の隣の京極邸を。無駄に豪華だろ?」
「あ〜」
流石は天下の婆娑羅大名と言うべきだろうか。師直の発案によって半ば強制的に諸将たちの間で巻き起こされた今回の新邸ラッシュにおいて、道誉はかなり積極的な姿勢を見せた。
京極被官の親戚がいる家臣に命じ、酒を使って引き出させた情報によると、それはもう目が飛び出るほどの金銭が注ぎ込まれたらしい。外から見ても分かる程に華美な屋敷を作るためだけにである。
方や隣の……直に暫くの間だけ移り住むことになる見込みである六角屋敷は単に少し広いだけで決して華美ではない。
むしろ見た目こそ新邸ならではの真新しさはあるが、内部に関しては至って簡素そのものだ。道誉の屋敷とはまるで違う。
「不味くないの?六角が宗家で、京極は分家なんでしょ?」
「構やしないさ。使い捨ての屋敷ごときに銭を注ぎ込むなんざ、馬鹿馬鹿しいことこの上ないからな。それならまだどこぞに寺でも建てた方が余程建設的というものだ」
近い将来、尊氏が室町幕府を京で開くことを知る俺は、鎌倉に豪華な屋敷を建てても無駄だと判断し、道誉に対抗して見栄えの良い屋敷を建てようと逸る家臣たちを宥め、むしろ古風な武士らしく堅実な屋敷を建てるという名目により、この屋敷を造らせた。
間違いなく魅摩は笑うだろうが、いずれ彼女も否応なしに知ることとなるだろう。本当に正しいのは時勢を知る俺だったのだと。
「使い捨てって……」
「詳しくは帰ってから話そう」
何故鎌倉の屋敷を使い捨てることになるのか。答えは簡単だ。
数日もすれば用済みになってしまう古い屋敷にある主君のために用意された一室で、俺は亜也子に告げた。
「さて、続きだ。遠からず、足利と朝廷の間で戦が始まる」
「……!」
急に亜也子の顔色から戸惑いの色が消え、表情が引き締まる。
鎌倉幕府再興を目指す北条軍として、一応は官軍扱いだった俺たち討伐軍と戦った亜也子であっても、改めて朝廷の軍と刃を交えるとなると多少は気が引けるらしい。
今回は日本に三柱しかいない現人神であるとして崇拝を集めた諏訪頼重によるバックアップがないからかもしれない。
「若さ……北条時行が井出沢で相模守様に言ってた。足利は後醍醐にも謀反して、天下を奪う気だって」
「……少なくとも今現在の足利で、官軍との戦を見据えた仕込みが行われていることは事実だ。六角の家臣たち皆に尊氏様を鎌倉殿と呼ばせる俺自身、そう呼んでいることを含めてな」
当の尊氏本人にその気があるのか、帝からの召喚に応じようとして止められていた辺り、若干怪しいのが気になるが、少なくとも直義や師直に関しては只今絶賛準備中である。
例えば、若宮大路の将軍邸跡地に建てられた新居に引っ越しさせた上で、尊氏を鎌倉殿と諸将が呼ぶよう仕向けたり、将軍邸の周辺に諸将の屋敷を建てさせたりすることで、尊氏こそが新たな鎌倉の主人であると誰もが分かるようにせしめた。
また、後顧の憂いとなる危険性を存分に秘めた北畠顕家の居る奥州への備えとしては、斯波孫二郎改め家長が起用されている。
家長は大才の持ち主である。顕家は遅かれ早かれ家長による妨害工作への対処に追われることになるだろう。
勿論、実はもう秘密裏に水面下での戦いが始まっていましたと言われようと、驚くつもりは更々無いが。
「やっぱりそうなるんだ。ねぇ、殿様。殿様は……このまま足利に味方するの?それとも、帝に付くつもりなの?」
「当然、六角は足利に味方する。結局のところ、俺には六角の当主として源氏による武家の天下を取り戻すより他、道はない」
「……分かった。今の主君は殿様だから、望月亜也子は殿様の仰ることに従います。何なりとお命じ下さい」
「何なりと……か」
「うん、何なりと」
腰越で亜也子を降伏させた直後に、突如として手勢と共にやって来た道誉に言われたことが、ふと脳裏に蘇った。
『お子を作られるお積もりなら慎重を期すべきかと。庶子と嫡子の家督争いなど拙僧は見たくありませんからなァ』
あの発言を元にすれば、どうやら道誉はあろうことか俺と亜也子が男女の仲になるとでも思っているらしい。
戯言にも程があると言いたいところだが、一族の重鎮である道誉の言葉は惣領の俺でも容易く無碍には出来ない。
しかし、結局のところ、俺が亜也子に期待しているのは尋常ではない膂力からなる武力ただ一点に尽きるのだ。
勿論、音楽や舞踊において彼女が飛び抜けた才覚を有していることは把握しているが、今は乱世である。
亜也子が護衛として俺の近くに控えているだけで、前線により多くの兵を送り込めるというのは大きな益となる。
そして、最後は自ら戦局を決定付ける駒となる俺に付き、多くの敵を四方獣で薙ぎ払う。これこそが今後の亜也子の仕事だ。
断じて俺の子を産むとかいう類のものではない。それはあくまでいずれ家中に迎え入れる俺の正室がやるべきことだろう。
「殿様?」
「いや、何でもない。ただ……そうだな。亜也子、今度海釣りに付き合ってくれないか?」
「……また?」
臣下となってまだ日が浅い亜也子の俺に対する言葉遣いはシチュエーションによって異なる。
余人の目がない時は基本的に謂わゆるタメ口で話す。
亜也子本人は時行が頼重共々死んだと知らされて以来、暫くは遠慮する傾向にあったのだが、巴御前が和田義盛に過剰に恭しく接すると思うのかと尋ねることで説き伏せた。
その方が俺に感化させ易いと考えたためである。
ただし、他に人が居る場合は勿論、先程のように明らかに主従として話をすべき場面では、亜也子が自発的に敬語を用いるのだ。
「おいおい、不服か?今さっき何なりと言っただろ?それに、此度の釣りは高家の屋敷で行われる宴に行く際の手土産を得るためでもある。獣肉では他の客と被りかねんしな。京なら話は別だが」
「……なら良いけど、吹雪の様子も見て来てね。心配だから」
「ああ。分かってる分かってる」
今はまだこれで良い。俺に対して親愛の情を芽生えさせる。
これがやがては俺に対する忠義心へと昇華される筈だ。亜也子を真に六角に仕える者に仕立てるためには何をすべきか考えつつ、俺は早速予定を調整するよう執事に命じた。
〜2〜
かつて女装した時行と共に見た浜からの景色は、ここ二月近くですっかり見慣れた景色と化している。
はっきり言って海釣りは好きだ。前世では釣り自体あまり嗜まなかったが、洋風化もクソもない環境で生きる今では話が別。
寄生虫の問題から生食不能な川魚と違うので、釣りたてを刺身にして貰い、その場で醤に付けて食べることが出来るのだ。
「美味しい……やっぱ感動もんだわ。これ」
「また言ってるよ……確かに美味しいけどさぁ」
後世におけるアスリートでも同じことが言えるだろうが、食事は体力勝負の武士にとって存外重要なことである。
いや、何も武士だけでなく北畠顕家のような戦いに勤しむタイプの公家にとっても大切だろう。
三十三間堂において顕家が他の武士たちが出来なかった弓業を成せたのは、本人の技量はさることながら、食事に不自由しない身分だからこそ得ることが出来た膂力も一因としてある筈だ。
また、太公望が趣味としていた釣りは戦の
勿論、謂わゆる
「だけど、高宮殿ってホント料理上手だよね。まるで雫みたい」
「まー、俺の執事名乗るなら料理上手くないとな。つか、雫って娘はアレだっけ?逃若党の小さい方?」
あの映画顔負けではないかというキスシーンは決して忘れることが出来ないだろう。今生があと何年あるかは知らないが。
まさか幼子同士であのように強烈な口付けを交わすとは思いもよらないことだった。しかも、魅摩ならまだしも、あのような大人しそうな面した女子からというのが末恐ろしい。
「そうそう。すっごい有能なの。事務も料理も私よりずっと上」
「へぇ。そりゃまた一度食べてみたかった。あの巫女にそれ程の才があったとはな。ただ機転が利くだけではないか」
尤も、北条時行の郎党であるという諏訪雫の料理を食べる機会など決して訪れることはないのだろうが。
無い物ねだりをしても仕方がない。今の俺がやるべきことは如何にして配下の心を掴むか。官軍との戦いが迫りつつある以上、そこに尽きる。少し寂しげに微笑む亜也子に命を下した。
「亜也子、明日から六角軍の調練に加われ。
「え……?」
「お前が我が家中に馴染んでからそれなりに経ったし、何より戦が近付いている。亜也子、いよいよ六角軍で本格化する調練を通じて俺の護衛が十分務まること、存分に知らしめろ」
「……はい!」
やはり亜也子は武人だ。言葉よりも実際の差配でその武力を認めたことを示した方が心に響くらしい。加えて、焦らして武者の血を騒がせた上なのだから、その効果はまさに覿面と言えるだろう。
尤も当分の間、戦場ではあくまで俺の側に留め、大将自ら突撃するような勝ちが決定した場面でしか使うつもりはないが、それは亜也子も六角軍の訓練に参加すれば、納得してくれる筈だ。
「殿様、披露したい技があります!」
「技か……うん、面白い」
露骨に意気込んだ様子の亜也子は、自らの得物であるという四方獣を手に取った上で、衣が濡れるのも厭わず海に分け入り、波に向かって叩き割るようにして一撃を加えた。
「どりゃあ!」
僅かな間に、網も使わず幾匹もの魚が地上に弾き出された。並でない芸当に、護衛の兵を含めた皆が感心する。
「やりますなあ。伊達に第二の巴御前を目指していない」
「殿。あの亜也子殿を真の臣下にしたいと欲しておいでなら、それこそ旭将軍の如き卓越した武勇を手にしなければ」
「……木曽義仲か。今はまだ途上だが、いずれはそのような歴史に残る豪傑に喩えられる程の武力を手にしたいものだ」
さて、ここは主君として部下の働きを褒める場面だろう。
得意げな顔で浜に戻って来た亜也子に対し、俺は自らの髭のない顎に手をやったまま頷いた。
「見事だ、亜也子。針も網も使うことなく、魚を仕留めるとは。しかも、大漁にだ。よくやった。これらの魚を武蔵権守殿への差し入れとしよう。高宮、下処理をしかと頼む」
「はい。畏まりました」
貞宗から書面でお墨付きがあった音楽や踊りといった芸能の才だけでなく、豊かな武才を有した亜也子は、間違いなく逸材だ。
もしかするといつの日か本当に巴御前の再来と呼べる女傑になるかもしれない。そんな予感を胸に抱き、俺は自ら亜也子に濡れた髪や衣を拭くための布を差し出した。