崇永記   作:三寸法師

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[ご新規の方へ]
 本章から読み進めても先に投稿した第壱章から読み始めても問題ないように書いたつもりですが、第壱章を読み進めた上で、謂わゆる前日譚のような位置付けである本章を読まれた方がやはり分かり易いのではないかと思います。
 また、比較的「鎌倉風味」が強いことを留意した上で、本章をお読みになることをお勧めします。


第零章 六波羅散華
◆1


〜1〜

 

 

 寄せては引いて行く波の音を聞き、思わず風流心を抱いてしまいそうになる。中世人としては当たり前の感覚だが、周囲に秘め事のある自分としては一歩立ち止まって考えたくなるというもの。

 ()()()()()という有用なのか、それとも無用の長物であるのか、今の自分では何とも言えないものを齢十にも満たない身体に宿した俺は目の前の光景に息を呑んでいた。

 

 

「千寿……千寿?」

 

 

「っ!」

 

 

「綺麗だろう?浜から見える海の景色は」

 

 

「……そうだな。悪い。馬を進めよう」

 

 

 前世で生きた時代において、二人乗りと言えば、やはり自転車だろうか。もしくはバイクだろうか。いずれにせよ、限定的な条件を満たさない限り、道路交通法で禁止されていたような気がするが、今の俺には全く関係のないことだった。

 今はまだ自転車ではなく馬が人を乗せ、武士たちが各地に蔓延る鎌倉時代末期である。馬に二人乗りしてて海岸を進む幼子たちが居たとしても、特に咎められるようなことはない。

 

 

「ここを真っ直ぐ行くと、焼き魚の串を売っている屋台があるから、そこで小腹を満たそう」

 

 

「……それ、代金は俺持ち?」

 

 

「あ。なら私が」

 

 

 馬の手綱を握る俺の袖を掴み、ぎゅっと掴んで背に寄りかかる姿は一見したところでは唯の良家の幼い令嬢である。

 しかし、実際には違う。確かに()()()()というところは合っているのだろう。問題は令嬢ではないという点にある。

 

 

「冗談。ちゃんと自分の分は払うさ。その壺装束もさ、袖振り合った縁だと思って、受け取ってくれ。何なら、()()が済んだら売ってしまって、小遣いの足しにしてくれても」

 

 

「売るなんてとんでもない!こんな逃げ隠れに使えそうなもの!」

 

 

「お、応……」

 

 

「先人の知恵に頼るのも良し。千寿の言った通りだ。これなら鎌倉の市を歩いたとしても絶対に目立たない。今まで色々と試したが、こんな方法があったとは。女子の装いをして本当に良かった」

 

 

「……そう。それは何より」

 

 

 もしかすると自分は図らずもとんでもなく倒錯的な状況に陥っているのではないかと思うが、尋常でなく興奮した様子の後ろの()に今になって止めようと言い出せる筈もなし。

 額に僅かに浮かんだ水滴など興奮した後ろの御曹司からは見えていないのだからと俺はあくまで平常心を装った。

 

 

「亀寿丸。その衣装、有効活用してくれよ」

 

 

「……本当に良いのか?」

 

 

「ああ。他に渡すような相手も今はいないからな」

 

 

 最も、亀寿丸はおそらく五年、いや三年もすれば決して会うことのない相手である。ただでさえ幼い身だと言うのに、稽古から逃げていると自白する有り様では、鎌倉滅亡後の西暦1335年に北条時行が起こす中先代の乱に加わるとは考えにくい。

 後から考えてみればかなり大胆なことであったが、俺は亀寿丸を数多ある北条のいずれかの支流に属する家の子だろうとみなした上で、所詮は一期一会の友に過ぎないのだからと微塵も臆することなく接していた。

 

 

()()ということはいずれは──」

 

 

「そりゃそうだろう。十年と少しもすれば、俺もお前も政略結婚で所帯持ちの身だ。市井の者……あるいは雅で奔放な方々なら違うかもしれないが、生憎と名門武家の子ではな」

 

 

 もしこのまま鎌倉幕府を得宗家として牛耳る北条の御代が続くのであれば、そろそろ今世の俺の実家である佐々木氏宗家が再び北条一族から嫁取りすることもあるのだろうが、生憎とそうはならないことを俺は知っている。

 後醍醐天皇。かつての後鳥羽上皇と違って隠岐国に流されようと決して折れることのないマインドを持つ御方に足利尊氏や楠木正成といった英雄たちが感化され、鎌倉幕府は滅んでいくのだと俺は前世の記憶から悟っていた。

 

 

「魚を食べたら江ノ島に寄ってみたい。あそこは確か四郎時政公に縁があったと聞いたことがある」

 

 

「分かった。だが、あそこは坂が急だから登るのが少し大変かもしれないぞ」

 

 

「お前は俺を貴族か何かと思ってる?仮にも西国武士。そりゃあ、昔から勇猛で知られる相模や武蔵の坂東武者には及ばないかもしれないが、必要とあれば、たとえ火の中水の中というものさ」

 

 

 まして江ノ島なら尚更であると俺は勇ましい口振りで言う。

 俺と相乗りする幼子は袖を掴む握力を僅かに強め、心なしか目を大きく見開いた様子であった。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 江ノ島から戻った後、亀寿丸の案内により漁師の隠し名物であると言う生シラス丼をご馳走になった俺は再び騎乗して鎌倉の市街地を目指していた。

 

 

「楽しみだ。この姿なら追手の目を気にすることなく、堂々と市中を廻ることが出来る」

 

 

「お前の場合、普段から遊び歩いてそうだけどな。つか稽古サボってそれって……いや、何でもない」

 

 

 最早言うだけ野暮だろう。現状の俺が北条の子息として励むべき稽古を抜け出している亀寿丸の片棒を担いでいる状態にある以上、是非もなかった。

 空模様を確認すると、雲の一つない晴天で日の高さからして夕刻にはまだ早いようである。

 

 

「千寿はこれまで鎌倉に来たことは?」

 

 

「生まれてこの方初めてだ。基本的に京と近江を行ったり来たりで東国に来る機会なんて早々ないからさ」

 

 

 正確に言えば、前世において旅行先に鎌倉を選んで来たことはあるのだが、そんな事を馬鹿正直に言っても仕方がない。

 

 

 鎌倉の市中に入ると、当代の得宗である崇鑑こと北条高時が好んでいるという闘犬が行われているのが目に付いた。規模からして私的に行われているものなのだろうか。

 なかなかに騒々しい空間だが、金銭などを賭けることなく見ている分には面白い。俺は遠目に犬同士の争いを眺めつつ、念のため亀寿丸が退屈しないようにと話を振った。

 

 

「亀寿丸は北条の御一門なんだろ?なら、いずれは六波羅に赴任することもあるんじゃないか?」

 

 

「六波羅か……どうだろう」

 

 

「ま、京に来たら今度は俺が案内するから。京の賑わいは鎌倉のものとはまた別だ。驚いて腰を抜かすなよ?」

 

 

 これが数年後に思わぬ形で実現することなど露知らず、俺は北条家の末路を知らない演技をし続けた。

 

 

 犬どもの争いにひと段落着いたところで俺は再び壺装束に身を包んだ亀寿丸との相乗りで市井奥深くまで馬を進めた。

 

 

「凄い……誰も私に気が付かない」

 

 

「ということは、平素にはよく声を掛けられるのか?」

 

 

「ああ。稽古から逃げる時によく当てにしているから、市には知り合いが多い……あ」

 

 

 何かに気付いた様子の亀寿丸は市女笠に手を掛け、俺の着物の背に顔を近付けた。

 大して訝しむこともなく、亀寿丸がきっと屋敷の者の顔を見掛けたのだろうと察した。しかし、それでは却って俺たちの姿が目立ってしまい、怪しまれかねないと思っていると、やはり見慣れぬ武士二人に声を掛けられた。その装束からして名のある武家の子の指南役を務める者ではないかと思われた。

 

 

「もし、そこのお方」

 

 

「……ん?」

 

 

「ああ、いや。その……人違いでございました」

 

 

「お待ちを。誰かをお探しですか?」

 

 

 仄かに微笑を浮かべた俺の堂々とした問い掛けに、武士二人は応えて良いものか迷ったらしく顔を見合わせた。

 一方、気配からして俯いている様子の亀寿丸は黙ったままピクリと身体を動かした。おおよそ逃げる心積りでもしているのだろう。

 

 

「私は近江国守護佐々木判官時信の嫡男、千寿丸と申す者。ご安心下さい。父の名に誓って要らぬ他言は致しません」

 

 

「!……失礼致した。某は得宗家に仕える狩野三郎と申す」

 

 

「同じく塩田次郎と申す。心配ご無用。佐々木殿のお手を煩わすようなことは何一つありませぬ。それでは我らはこれにて」

 

 

 得宗家被官と名乗った割にはあっさり俺の前から姿を消した狩野と潮田という二人に拍子抜けした俺は目をパチクリさせる。

 しかし、それもすぐに止んだ。息をすうと吐いた亀寿丸が少しばかり震えた手で俺の袖を握り直したからだ。

 

 

「君はあの二人が私を探していると言ったらどうしていたんだ?」

 

 

「成る程、責めるつもりだな。忘れたか?俺は先程、要らぬ他言はせんと言ったぞ」

 

 

「!」

 

 

「あくまで副次的効果だが、教養に通じているとこの手の腹芸も自然と出来るようになる。特に和歌は良い。一つの言葉に意味を重複させる掛詞なんかは格好の教材と言えるだろう」

 

 

「……それでも私には過ぎた技術だ。地位も名誉も求めるつもりはない。私はこの鎌倉で暮らせさえすれば、それで満足だ」

 

 

 何と言えば差し支えないのかよく分からないが、成績が振るわない子どもにありがちな発想だ。前世で読んだ漫画にもこういうのがあったような気がするが、今となっては関係のない話である。

 肩を竦めた俺は気を取り直し、身体を捻って亀寿丸の両手を掴んで上下に軽く揺すった。

 

 

「ならばもっと教えてくれ、亀寿丸。お前がそこまで言う鎌倉の良さを。武家の都の本領を」

 

 

「……ああ!」

 

 

 突然の言葉に呆気にとられたようだった亀寿丸はあっという間に破顔一笑といった心持ちで頷いた。

 

 

 しかし、鎌倉観光は長くは続かなかった。空が少しばかり黄ばんできた頃、俺と亀寿丸の二人を乗せた馬は由緒あると言う寺の付近に差し掛かった。

 そこで見慣れた顔と目が合った俺は、相手が相手であるから無視するのも都合が悪いと馬の足を止めた。

 

 

「道誉殿。このようなところでお会いするとは」

 

 

「おや、これは千寿丸殿。丁度良かった。昨日は紹介出来ませんでしたが、こちらにいらっしゃる方こそ……ん?そちらの女子は?鎌倉に着いて早々、女子と親睦を深められるとは驚きましたなァ」

 

 

「揶揄いなさるな、道誉殿。誤解されているようですが、この者とは男女の仲ではありませぬ故、父に余計な事は言われぬよう」

 

 

 嘘は言っていない。男児の亀寿丸と男女の仲になることなど道理からして不可能であるからだ。

 

 

「次期宗家の申されることとなれば仕方ありませんなァ。しかし、かと言って今現在の宗家に不義理を働く訳にも参りますまい。はてさて、拙僧はどうすれば良いのやら……」

 

 

「……そのような事はご自分でお考え下され。私を取るかそれとも父上を取るかは貴方の御心次第」

 

 

 佐々木道誉とは畏れ多くも寛平法皇の血を引くことで知られる宇多源氏佐々木氏の分家である京極家の当主である。

 前世で学んだ高校日本史の知識で道誉のことを室町時代に名を馳せた婆娑羅大名として知っていたのだが、どうやら鎌倉時代末期でも一定の知名度を得ているようだった。

 

 

「ふふ。時信殿のご嫡男は歳に似合わぬ利発さの持ち主と聞いておりましたが、度胸までお持ちであるようだ」

 

 

 爽やかな笑みを浮かべる薄い顎髭を生やした優男から溢れる気品の中には、微かながら力強い強者の風格が漂っている。

 その男がジッと此方の様子を窺うものだから、俺は内心気後れしつつも、毅然とした態度を保とうと踏ん張った。

 

 

「道誉殿、こちらの方は?」

 

 

「千寿丸殿、この方が鎌倉の若き守護神として名高い足利治部大輔高氏殿でいらっしゃる」

 

 

「!?」

 

 

 足利高氏と言えば、後の室町幕府初代将軍である。

 いずれは後醍醐帝の偏諱を受けて尊氏と改名することになるのだろうが、現時点でも河内源氏の頂点に君臨する男として武士で知らぬと言う者は居ないであろう大人物だった。

 

 

 焦燥に駆られた俺は急いで高氏に馬上からの非礼を詫びるべく下馬しようとしたが、結局は高氏の二度続けた「そのまま」という言葉に甘えてしまう形となった。

 

 

「足利様のご高名はかねてよりお伺いしておりました。左衛門尉時信の息子、佐々木六角近江三郎千寿丸と申します」

 

 

「そう畏まらず。六角殿。拙者などたかだか下野の国の御家人に過ぎませぬ」

 

 

「とんでもない。今、足利様の武名を知らぬ者が日の本のどこにおりましょうや。貴方様こそ……いえ、何でもありません」

 

 

 すぐ後ろで北条一門である亀寿丸が聞いていることや亀寿丸本人の知性、そして当然のことではあるが場所を勘案し、幾らでも逃げ道を用意できる形で仄めかす。

 西国きっての名門一族の佐々木氏も、源氏一門の足利氏と同じく北条氏の耳目に注意を払う。それが鎌倉時代末期の実情だった。

 

 

「治部大輔殿、今日はこれにて失礼致します。しかし、遠からずまた会う機会もありましょう。その時は共に茶でも楽しみましょう」

 

 

「うん、そうしよう。千寿丸殿と一緒に茶を飲んだなら、酒を呑むことなく酔うことが出来るだろうな」

 

 

「はぁ」

 

 

「殿。お戯れは程々に。相手は六角家の嫡男にございますぞ」

 

 

「ん?そうか?師直」

 

 

 どこか様子の可笑しかった尊氏を嗜めて不思議そうな顔をさせた男の名前を聞き、俺は密かに驚いた。足利高氏に続いて高師直とは今日は厄日というヤツなのだろうか。

 しかし、存外悪い事でもないかもしれない。仄めかした直後に道誉と師直がした反応を思い返してみるに、二人は俺の言わんとすることを察していたのだろう。

 

 

 紆余曲折の末に、高氏らの元から離れることが出来た俺は奇しくも亀寿丸と同じタイミングで安堵の息を漏らした。

 

 

「高氏殿からも逃げ切れるとは……女装とは恐ろしいものだ」

 

 

「治部大輔殿と顔見知りなのか?」

 

 

「ああ……いや、まぁ……うん。前にあっさり見つかったことがあったから」

 

 

「へぇ、そりゃ凄い。彼のお方と知り合いだったとは」

 

 

 しかし、それと同時に俺は引っ掛かりを覚えた。足利高氏に見つかったことがあるのであれば、その時の亀寿丸は足利の棟梁である高氏と隠れ鬼でもしていたのだろうか。

 そんな筈はない。確かに高氏の優しげな顔だけ考えれば、子ども相手に隠れ鬼に興じていたとしてもおかしくはないが、そこまで暇な人物であるとは思えない。

 

 

「確か治部大輔殿の細君は赤橋様の妹御であったな」

 

 

「……うん、その通りだ。よく知ってるな」

 

 

「皆知ってるさ。亀寿丸……殿。さては──いや、よそう」

 

 

 今はこのまま一日限りの友人で終わらせておきたい。少しばかり逡巡した後、俺は後ろを振り返った。

 

 

「亀寿丸、もう一刻もせずに日が暮れる」

 

 

「もう終わりなのか」

 

 

「楽しい時間というのは過ぎ去るのが早いらしいぞ。さて、最初に会った場所に戻ろうか。あそこで元の服装に着替えて、屋敷に帰るなり逃げ続けるなりお好きな道を選べば良い」

 

 

「……かたじけない」

 

 

 こうして俺は市街地から少し離れたところにある岡崎五郎正宗の鍛冶場に戻り、亀寿丸との別れを済ませた。

 俺が亀寿丸の正体を知ることとなったのはこの翌日。果たして教養に通じる高氏が顔見知りの女装を見破れないということがあるだろうかと思った矢先のことであった。

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