崇永記   作:三寸法師

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▲8

〜1〜

 

 

 塩冶高貞や大友貞載といった外様の大名を従えた脇屋義助による建武政権軍の搦手部隊七千騎が竹下において足利高経や土岐頼遠らを主力とする尊氏軍先鋒部隊と干戈を交えていた頃。

 箱根峠では尊氏の弟である直義が率いる六万騎に対し、新田義貞が七万騎もの大手軍を引き連れて襲い掛かった。

 

 

「申し上げます!敵の先鋒大将は菊池武重!兵力にしておよそ三千騎とのこと!次鋒には千葉貞胤の軍をはじめ数知れず!」

 

 

「ああ、引き続き探れ。斥候たちに宇都宮公綱や新田四天王*1の居場所を最優先で割り出すよう伝えろ。本陣にいるであろう新田義貞や舩田義昌を除けば、特に厄介なのはその者たちだ」

 

 

「は!」

 

 

 直義は自覚している。自分は弱いと。武芸や統率といった武将として欠かせない部分が兄と比べて絶対的に見劣りするのだ。

 かねてよりその自覚は頭の片隅にあったが、中先代の乱で喫した三浦時明の裏切りを招いたことによる敗戦により、直義は自分が戦に向いていないとより明確に思うようになっていた。

 

 

(菊池武重は肥後一国を支配する大名。とはいえ、肥後守一人に負けるようでは、足利尊氏公(兄上)の弟として立つ瀬がない)

 

 

 これまで出陣を渋り続けてきた尊氏がようやく重い腰を上げたことを直義は既に把握していた。当然、餌を撒いて尊良親王の軍を釣り出すことに端を発する源氏軍の作戦も知っている。

 ただし、官軍を負かすための一連の作戦を成就させるためには箱根に陣取る直義が天下屈指の猛将にして英雄でもある新田義貞の軍を相手に時間を稼ぐことが必要不可欠である。

 幸いにして、今回の戦で直義が陣を張る箱根の拠点は山岳地帯の防御戦に長けた赤松軍が中心となって作り上げた代物だった。

 

 

「我が軍は優勢の模様。矢を射尽くした菊池勢は徐々に後退し始めています。直義様、勝てまするぞ。この戦」

 

 

「赤松勢のお陰だな。防御拠点を整備するにあたり、彼らの知る円心の軍略を惜しみ無く使ってくれた。拠点を使う我々や共に設営を担当した六角軍にその全容を把握されるのを厭わずにだ」

 

 

 今回の建武政権による足利討伐に際し、起死回生を図る赤松一族は自分たちの命運を足利に委ねることに決めていた。

 というのも、当主の円心は六波羅軍を幾度も破った討幕の大功労者の一人であったにも関わらず、護良親王と近かったせいか、建武政権下では一度は与えられた播磨国守護職を没収された上、安堵されたのは佐用荘のみという冷や水を浴びせられたのだ。烹られた走狗ではないが、募る恨みは並大抵のものではないだろう。

 実際、播磨国に在国していた円心は足利からの御教書に呼応し、人々の噂になってしまうほど大々的に兵を募っていた。

 

 

「直義様。菊池の次は次鋒の千葉軍が出て来ます。千葉介の相手、この一色右馬権頭頼行にお任せください」

 

 

「ああ、頼むぞ。頼行」

 

 

 官軍の次鋒を務める千葉貞胤は名族千葉氏の当主である。当代の貞胤は十一代目であるが、三代目の常胤は老骨の身ながら源頼朝の平家打倒や鎌倉幕府草創に力を尽くした。

 若かりし頃には鎌倉幕府九代執権北条貞時の偏諱を受けた老練の将として知られている貞胤に対し、その迎撃を買って出た一色頼行はまごう事なき足利の若手武将の期待株である。

 

 

「一色様が出陣なさるぞ!」

 

 

「かつての関東庇番衆の四番組筆頭か」

 

 

「結婚発表の時には鎌倉中の女子を気落ちさせた色男!」

 

 

 そろそろ千葉貞胤が出て来るだろうと時機を見計らい、華々しく本陣を出立した一色頼行は威勢よく前線へと赴いた。

 しかし、箱根に張られた対官軍の最前線において頼行が見た光景は想像とはまるで異なる甚だ土臭いものであった。

 

 

「な、何だ?あの見窄らしい武器は……」

 

 

「笑っていられるのも今のうちぞ、足利の大将よ。さぁ、者ども!新時代の武器の威力、足利軍に思い知らせてやれ!」

 

 

「「「応!!」」」

 

 

「一色様。あれは一体?」

 

 

「矛……というより槍か。皆、気を付けろ!」

 

 

 先鋒部隊の不首尾を知った千葉貞胤が出撃するより前に、兵力を大いに減らして弓や薙刀を失った菊池武重が底力を発揮する。

 後に伝説となる「菊池千本槍」の幕開けであった。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 逆賊とされる直義の討滅を志す建武政権軍は中核に総大将の新田義貞を据え、先鋒に九州の雄である菊池武重、次鋒に老将の千葉貞胤を置き、左翼に坂東一の弓取りと呼ばれる宇都宮公綱、右翼に熱田神宮の長官として知られる熱田昌能を配置している。

 そうした中で、新田軍に投降してから日が浅い道誉は家臣たちと共に義貞の更に後方にある京極軍の陣営にあった。

 

 

「ほう。菊池勢が押し返したと」

 

 

「はい。間諜の報告によると、短刀を棒に結い付けた古の矛にも似たる武器にて直義軍を慄かせているとのことです」

 

 

 あろうことか一度は退却寸前にまで追い込んだ筈の一千騎の菊池軍の逆襲に遭い、足利直義麾下の三千騎の軍勢が押し返された。

 この驚くべき報せは師直と示し合わせた偽装投降のため、新田軍に身を置く佐々木道誉の京極軍陣営にも齎されていた。

 

 

「厳覚。菊池軍が使ったという武器、よもや宗家が小夜中山で名越高邦との一騎討ちに用いたという紅蓮槍のようなものか?」

 

 

「恐らくは。紅蓮槍とは違って耳目を引くどころか、えらく地味な武器であるという話にございますが」

 

 

 京極家の当主である道誉に目下の情報を伝えている者こそ、京極家家臣筆頭である吉田厳覚である。文筆仕事に長けるだけでなく、家中随一の弓上手としても知られていた。

 

 

「足利直義、やはり弱卒。左様な小細工にしてやられるとは。前々から思っておりましたが、為政者としてはともかく、武将としては兄の尊氏様とは比較にならぬようですなァ。父上」

 

 

「源三。むしろ尊氏殿と比較になる将がこの世にどれだけ居るか考えるべきだろう。小勢ならまだしも、大軍を率いることにかけては楠木殿や赤松殿でも及ばない。そういう御方なのだ」

 

 

 長男の秀綱による直義を侮る態度を逆に兄である尊氏を持ち上げることで嗜めた道誉は万全の身ではない。手越河原における戦で夜襲を試みた新田軍の手違いにより手傷を負ったのだ。

 降将ながら道誉が後方に配置されているのには、こうした事情があったがためである。まして手越では弟の貞満さえ失った。

 

 

「されど、父上。直義様が新田軍にあっさり負けては師直殿や宗家の謀議も結局は水の泡。佐々木一族は窮地に陥りましょうぞ」

 

 

「その時はその時だろう。もし新田軍が足利兄弟を破りし時は我ら京極家が新たな惣領家になれば良い。当代の宗家におかれては若狭国にでもお移り頂こう。今は待つのだ。尊氏殿が脇屋殿を破るか、直義殿が義貞殿に敗れるか。どちらが早いか見定よう」

 

 

 腹黒坊主との呼び声高い道誉が嫡男の秀綱や重臣の厳覚と今後の展望を共有していた頃、遂に尊氏軍が脇屋軍を捕捉する。

 これから始まる南北朝時代の絶対的主人公、足利尊氏の天下獲りが今まさに始まろうとしていた。

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 左右から足利高経、土岐頼遠、赤松貞範らの軍に襲い掛かられた脇屋軍は自分たちが窮地にあることをひしひしと感じている。

 一方、正面から脇屋軍を襲撃する六角軍の総大将千寿丸は馬の勢いに乗じ、近付いて来る敵兵を斬りつける。脇屋兵もまた束になって薙刀で対抗しようとしたが、粟生田小太郎や楢崎太郎左衛門ら六角家の郎党たちの前に敢えなく蹴散らされていた。

 

 

(これなら亜也子を連れて来ても良かったな。魅摩の警護もとい監視を任せるなら別に他の者でも……ん?)

 

 

 激戦の最中でありながら既に戦術面での勝敗は決したとでも思っているのか、自分の命令が適切だったか再考し始めていた千寿丸の敵を見渡す視界の端に見覚えのある顔の騎馬武者が現れた。

 直ぐに千寿丸の表情が引き締まった。続いて家臣たちが気付く。

 

 

「殿。あれはもしや」

 

 

「ああ、敵軍の搦手大将脇屋義助の息子式部大夫義治だ」

 

 

 比較的歳の近い千寿丸と義治の目が合った。

 千寿丸は考える。義治を討ち取ることが出来れば、御曹司を失った脇屋軍が意気消沈して総崩れになるだけでなく、武功第一とまではいかずとも、五指に入る殊勲者になれるのではと。

 一方で、義治もまた即座に判断した。敵の大将の中では幼齢故に恐らく最も戦い易い筈である千寿丸さえ倒してしまえば、脇屋軍の活路が開け、勝利を手繰り寄せられるのではないかと。

 

 

「「ッ」」

 

 

 二人が揃って互いを討ち取るべく駆け出そうとした時、脇屋軍の中核部から小刻みに鐘の音が一定のリズムと共に響いた。

 

 

「チッ。覚えとけよ、六角千寿丸!いつか必ず殺す!」

 

 

「……良くも悪くも新田義貞の甥だな。脇屋義治は」

 

 

 鐘の音は撤退の前触れだったのだろうか。六角軍の武士たちと鎬を削っていた脇屋軍の兵士たちは揃って反転した。

 彼らはあたかも一つの渦を描くかのように動き出したのである。

 反時計回りに流れるように動き、衝突した敵と一度切り結んでは即座に切り替え、次の敵へと向かって行く脇屋軍の隊列の動きを見た千寿丸は面食らう。千寿丸の知る限りにおいて脇屋軍の動きは全くあり得ないものだったからである。

 

 

(何だあれは……上杉謙信の車懸かりか?いや、あれは創作で実際には使い物にならない筈。ではこの渦潮のような動きは一体?)

 

 

 奇策によって勢いを削がれ、冷や汗を掻いた千寿丸であったが、かと言ってこのまま黙って脇屋軍の変化を見過ごしていては早晩巻き返されるだろう。脇屋義助は天下に聞こえた名将なのだ。

 千寿丸は即断した。再び陣形を変更することを。

 

 

「陣形変更!雁行の陣だ!左軍は敵の攻撃を受け流し、右軍は背中を見せて去る敵兵を矢で射よ!万一、敵の流れの向きが変わった時には左軍と右軍で役割を交替すれば、対応可能だ!」

 

 

「「は!」」

 

 

(あの陣は一人一人の消耗が激しい。しかも、誰か一人が崩れてしまえば、陣形はあっという間にガタガタだ。ここは遅滞戦術で充分だろう。急くことはない。全身全霊を懸ける脇屋軍と違って、先鋒部隊のみの源氏軍は本来持っている力の三割も出していない)

 

 

 車懸かりの陣に似た脇屋軍が描き出す渦に突撃すれば、各々が分散を強いられ、本来の半数未満の軍勢では不利だと考えた千寿丸の脳裏には間も無く足利尊氏の本軍が来るという打算があった。

 主君の命令を受けた馬淵並びに伊庭の両名は六角軍の将兵たちに粛々と実行させる。そこへ美濃部が報せを携え、舞い戻った。

 

 

「殿!遅れて相済みませぬ!足利本軍御着到にございます!」

 

 

「……成る程。それでか」

 

 

 恐らく義助は尊氏軍が此方に押し寄せるのを知り、無理矢理にでも軍勢を纏め直そうとしたのだろうと千寿丸は察した。

 そうでなければ、将兵の各々のスタミナを著しく損ないかねない戦術は使えまい。所詮は短期的にしか使えない戦術であり、尊氏軍との決戦を見据えた一か八かの仕切り直しが目的である。

 現に、脇屋軍の描き出している渦は当初のものに比べて確実に規模を縮小していた。逆に言えば、六角軍や土岐軍、その他足利軍の突撃で散り散りになっていた脇屋軍の将兵が再び集結したのだ。

 難易度の高い戦術を実践する脇屋義助の技量やその兵たちの練度の高さを目の当たりにした千寿丸は息を呑んだ。

 

 

「誰か!弓を持て!」

 

 

「これを」

 

 

「うむ!……いや、何これ硬!?」

 

 

 自らも弓矢で攻撃しようした千寿丸はひっそりと近付いて来た騎馬武者から差し出された弓を何気なく受け取り、早速使って矢を射ようと試みるも、あまりにも強過ぎる弓の張力に面食らう。

 確かに「綱切」を使い熟せる程の膂力はあるとは言え、一応は齢十の子どもである自分に一体何人張りの弓を寄越したのかと千寿丸は正気を疑うような顔をして差し出し人に向かって振り返る。

 

 

 そこに居たのは足利尊氏であった。

 

 

「ん?」

 

 

「……尊氏様!?どうして此方に!?」

 

 

「師直たちに先行して来てしまったのだ。千寿丸が弓を必要としている気がしたから、届けてやろうと思ってな」

 

 

「は、はぁ」

 

 

 相変わらず尊氏はやる事なす事が常軌を逸している。

 今回の戦ではたかだか先鋒軍に属す将の一人に過ぎない千寿丸のために総大将の尊氏が自身に従う大軍を置いてわざわざ駆け付けるというのは当然ながら尋常の沙汰ではない。

 尤も、当の尊氏本人はあたかもスポーツの試合に出場する子どもを応援する親であるかのように温かく微笑んでいたのだが。

 

 

「さぁ、千寿丸。その弓で脇屋軍の武士を射てくれ。近江国で我のために雉を仕留めてくれたようにな」

 

 

「……は!必ずや」

 

 

 しかし、尊氏の渡した弓はあまりに使い辛い。本来であれば高師直の三弟である豪傑の師久が使うような代物なのだ。

 是が非でも尊氏の意思を叶えなければならないと頭の中で強く念じた千寿丸は敵ではなく弓を相手に悪戦苦闘する。

 

 

「ん……ぐぐ……うう……な、む……八幡!」

 

 

 思わず呻き声を漏らしてしまう程に力を振り絞り、型を守りながら紆余曲折の末にようやく千寿丸は矢を放つことが出来た。

 矢は千寿丸の狙いから大きく外れてしまったものの、かつてない威力を得た矢は一閃し、敵将を射抜いたようだった。

 

 

「うん。我の思った通りだ。千寿丸なら、たとえその強弓でも大丈夫だろう?小笠原右馬助の教えを受けたのだからな」

 

 

「尊氏様の御命とあらば、幾らでも」

 

 

「頼もしいな、千寿丸。見ろ、師直たちも来てくれた」

 

 

 達成感どころか疲労感で意識がやや朦朧としつつあった千寿丸の目の前で、尊氏が堂々と拳を真っ直ぐ上に振り上げる。

 やっと到着した十八万騎とも謳われる足利本軍が呼応するかのように鬨の声を上げ、脇屋軍は戦慄せざるを得なかった。

 

 

「ここは新手の大軍に任せよ。千寿丸、六角軍を纏めて山名軍の後ろにでも退がり、部下たちと身体を休めると良い。二条軍を誘い出して脇屋軍に斬り込んだ働き、しかと論功に反映させるぞ」

 

 

「はい!ご厚恩に感謝します!」

 

 

 足利尊氏と六角千寿丸。数年後には単なる主従を超えた繋がりを結ぶことになる二人の道のりはまだまだこれからである。

 まず倒すべきは脇屋治部大輔義助。しかし、新田義貞の弟である義助が本領を発揮する舞台は着々と整いつつあったのだ。

*1
栗生顕友、篠塚重広、畑時能、由良具滋

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