崇永記   作:三寸法師

38 / 202
◆2

〜1〜

 

 

 辺りがすっかり暗くなった頃、道誉の叔父である黒田宗満が京極軍での軍務を終え、惣領家である六角の陣中で催された佐々木一族の大物たちが集う宴へと顔を出した。

 俺の席には程よく温められた白湯が、他の大人たちの席には上等な酒が置かれている他、当主付きの執事の手によって作られた鯛の膾や熊の掌をはじめとする料理が所狭しと鎮座していた。

 

 

「道誉殿。師直殿のご機嫌はその後、如何でしたか?」

 

 

「普段と変わらぬ振る舞いを心掛けておられましたが、どうにも苛立ちを隠し切れぬご様子でしたなァ」

 

 

「宗家、やはり新田義貞の軍勢を即座に追撃できなかったのが尾を引いているのでしょうか。武蔵権守殿はあまり気の長い……いえ、慎重な手を好む御仁とは思えませんし」

 

 

「ああ、恐らくな。尊氏様への出陣要請の折にご一緒したが、洞院軍を離脱した二条卿を待って仕掛けて来なかった新田家執事の舩田義昌をボロクソに貶していた。今回は自分が同じような状況に陥ることになり、さぞ忸怩たる思いを抱いておられよう」

 

 

 竹下に引き続き、新田軍を主力とする建武政権軍を撃破した足利軍が伊豆国府に留まっているのには訳がある。

 すなわち、兵糧の問題である。ただでさえ、矢作川や手越河原での敗戦の影響で甚大な損害を被っていたのだ。

 そこに、箱根での戦における直義軍の劣勢模様である。

 尊氏が山道を踏破して駆け付けるまで、直義軍は連戦連敗で多くの陣営を燃やされた。結果、足利軍は箱根に分散して置かれていた兵糧庫の中身の大半を失う羽目になっていた。

 

 

「官軍は去り際に持ちきれぬ兵糧を燃やし尽くした。聞けば宇都宮軍の働きだと云うが、敵ながら実に的確な手だ。今ある伊豆国の兵糧だけでは二十万騎とも言われる源氏軍の将兵は養えない」

 

 

「おまけに略奪……いえ、殿のお言葉を借りるのであれば、徴収しようにも、伊豆国や駿河国の領民たちの持つ食糧は先に官軍が実施した略奪によって殆ど残っておりません。これでも尚、徴収しようとすれば、足利はまたも民心を失うことになりましょう」

 

 

「ああ、馬淵の言う通りだ。なればこそ、源氏軍は相州や武州から再び兵糧をかき集め、箱根山を越えて此方へ運ぶ必要がある。さもなくば、大軍が皆仲良く飢え死にする羽目になる」

 

 

 この宴には六角家の家臣筆頭である馬淵義綱も出席している。

 となると、京極家から吉田厳覚が出て来ても良いのだが、俺との仲を配慮して、代わりに黒田宗満が来ることになったのだろう。

 

 

「千寿丸殿。今回の味方の足踏みをどう思われる?」

 

 

「先生……目下の兵糧不足の問題を抜きにしても、当地での数日の駐屯はあながち悪くないのではないかと考えます」

 

 

「ほう、何故ですかな?」

 

 

 一族内において、黒田宗満はある意味で道誉以上に惣領の俺に対して気安く声を掛けることの出来る存在である。

 理由は簡単。宗満が俺の兵法の先生であり、一族では重鎮として多大なる存在感を持っている道誉でさえ、不在時の軍務処理を頼みながらも、叔父だからと気を使う人物であるからだ。

 加えて、既に齢五十を超えた年長者であることから、一族の長老格と言ってもあながち過言ではないという事情もある。

 

 

「軍議で憲房*1殿も申されておりましたが、我々は新田軍を撃破したとは申せ、敵はそれだけではありません」

 

 

「続けなされ」

 

 

「東山道の洞院軍、奥州の北畠親子が味方の大将たちの気掛かりとなっている今、一旦この伊豆国府に腰を落ち着け、周辺諸国の情勢を見渡してみるのも、アリかと考えました」

 

 

 洞院軍、北畠軍には信濃国守護の小笠原貞宗、八月に新たに奥州大将軍となった斯波家長がそれぞれ対応を委ねられている。

 貞宗にしろ家長にしろ二人と付き合いのある俺は彼らを信頼することが出来るが、残念ながら諸将が全員そうだとは限らない。

 

 

「高貞殿。正直に言ってくれ。西国に居続けたお前の目から見て、小笠原右馬助並びに斯波陸奥守の起用、どう思う?」

 

 

「……包み隠さずに申し上げても?」

 

 

「ああ、頼む」

 

 

「本当にお二人に能力がなければ、尊氏様に大任を任せられないというのは承知しています。ただ、やはり戦績が……」

 

 

「……やはりか」

 

 

 そう。戦績が問題なのだ。勿論、俺は二人の能力の高さを十分によく知っているつもりだ。何せ貞宗は俺の弓の師匠で、家長は俺より遥かに頭が良い上に、軍事や政治に精通している。

 貞宗が信濃国で洞院軍を撃退し、家長が北畠軍の挙兵を喰い止めるというのは現実的には多分にあり得るシナリオだろう。

 しかし、そうした予測とはまた別の問題があるのだ。歯痒いことなれど、二人の大将としての評判が武将たちの間、中でも西国武将や外様武将を中心にそこまで良いとは言えないのである。

 

 

「貞宗殿は信濃国守護を任されながら、諏訪頼重ひいては北条時行の蜂起を許し、足利随一の逸材と評判の家長殿は御歳十五と北畠顕家卿と然程変わらぬとは言えど、やはり若い。高貞殿の懸念も已む無しかと。そして、その懸念は他の武将たちも持っている」

 

 

「そこよ、馬淵。特に土岐頼遠なんかは高貞殿以上に二人の起用に懐疑的だろうな。無論、将の不安は自ずと兵に伝播する。九割九分杞憂に終わる心配だとしても、兵たちの不安は捨て置けんだろう」

 

 

 将兵たちの不安を落ち着かせるために、伊豆国府に留まって周辺諸国の動向を確認したという建前を用意しておくのは、俺に言わせればアリだ。あの新田義貞は後ろ髪を引かれた将兵たちが追撃して討ち取れるほど簡単な武将ではないだろう。

 

 

「千寿丸殿のご自身のお考えは?」

 

 

「当然、俺は師匠にしろ家長殿にしろ各々のやるべきことを上手く遂行してくれるだろうと思っています。個人的な情を言えば、二人が大名たちから全幅の信頼を置かれていない様子なのは寂しい限りではありますが。こればかりは分けて考える他にないかと」

 

 

「宗家……」

 

 

 宗満が目を細め、高貞が呟いて息を漏らす中、俺に従う六角家の人間として出席している唯一の家臣である義綱が口を開いた。

 

 

「それで、京極殿。実際どうなのですか?洞院軍と北畠軍は。鎌倉殿や師直殿と近しい貴方なら何か聞かされておいででは?」

 

 

「おや、馬淵殿。宗家にお聞きにならないので?」

 

 

「……道誉殿。ご存知かもしれませんが、私は軍議が終わってから足利本陣に顔を出していないので、新しい情報は特に何も」

 

 

 正直に言えば、甲賀忍軍に既に聞いているが、それを京極家の当主である道誉にはっきり言うのは悪手だろう。

 結局、裏取りのための馬淵の質問に対する道誉の答えと俺が手にしていた情報の間に、特にこれと言った差異はなかった。

 

 

「……成る程。信濃国では小笠原軍が木曽の山々を利用して洞院軍を道に迷わせ、奥州では斯波殿の工作により、北畠軍の軍備が依然整わずとなると、確かに心配ないかもしれませんな」

 

 

「ええ、土岐殿ら癖の強い武将たちが、理に通じた高貞殿のように聞き分け良く呑み込まれるとは限りませんが……時に宗家。一つお尋ねしたいことがあるのですが、お聞きしても?」

 

 

 改まった道誉の態度を見て、俺は戸惑いながらも頷いた。

 俺が首肯するのを確認した道誉は、敵味方問わず噂になっている顔を常よりドス黒く染め、おもむろに口を開いた。

 

 

「先程の一幕を拝見したからにはお聞きせねばと思ったのですが、亜也子殿のこと、一体これからどうなさるおつもりで?」

 

 

「……どう、とは?」

 

 

 結局は分家の出に過ぎない道誉が、本家の家臣という扱いになった亜也子について言及するのは腰越以来のことである。

 亜也子を知らない高貞が困惑するのを尻目に、どうせ碌でもないことを言い出すのではないかと思ったが、案の定だった。

 

 

「側室にされるおつもりで?」

 

 

「あり得ません。何を言われるのかと思えば……馬鹿馬鹿しい」

 

 

 場に緊張が走った。腰越の時のように一族の重鎮として惣領家の家督問題を予め防ぐためという言い回しではなく、ストレートに惣領家当主の未来の奥事情に踏み込んだ発言をしたのである。

 越権行為とも取れる道誉の発言に、本家の重臣筆頭である義綱は殺気立ち、高貞は事の重大さを悟る余り呆然とした。

 道誉の叔父の宗満でさえ、甥の正気を疑うような顔をしている。

 

 

「千寿丸殿、御家中に広まっている亜也子殿を半ば強引に甲賀望月家の養女に捩じ込んだという噂、拙僧が知らないとでも?」

 

 

「何ともまぁ人聞きの悪い噂があるものです……それで、どうして側室がどうとかという話になるのかまるで解せませぬが」

 

 

「手に入れた便女に無理やり箔を付けようとしたとなると、只事ではありますまい。単なる妾ではなく、側室……果ては正室にしたいがため。聞いた者がそう受け取ったとしても已なきことと存じますが、はて。拙僧は何か可笑しなことを申しておりましょうか?」

 

 

「……ッ」

 

 

 率直に言おう。盲点を突かれた。甲賀への足掛かりを作るために望月家分家に声を掛けたのだが、この時代ではそうした受け取り方をすることが出来るらしい。大変に不味い状況である。

 甲賀郡への野心を露わにする訳にはいかないが、きっぱりと否定しておかないと、後々更なる面倒事に発展しそうだ。

 

 

「断じてそうした意図はござらぬが、道誉殿。仮にも宴の席での今のお言葉の数々は野暮なこととは申せませぬか?婆娑羅の火付け人と言われる道誉殿らしからぬお振る舞いかと存じます」

 

 

「京極殿、六角家家臣として私も申し上げても?当家の主が誰と契りを交わされるかについては、京極家当主の貴殿であっても、そう易々と口を挟まれる謂れはござらぬ。控えられよ」 

 

 

「……道誉殿。この塩冶判官とて、これ以上は」

 

 

「四郎*2、今の御主の物言いは幾ら何でも宗家に対して無礼であったぞ。一族の結束にヒビを入れる気か?すぐに詫びられよ」

 

 

 居合わせた一族の者たちが一斉に道誉を釘を刺した。道誉の叔父である宗満でさえ、言外に弁えろと苦言を呈する始末である。

 しかし、道誉は婆娑羅大名として後世に広く名を残すだけあって格が違った。後になって振り返って見れば、馬淵義綱や塩冶高貞に黒田宗満といった自身に対抗し得る存在の前で、一族内での有利を明確にしたいという意図があったのだろう。

 

 

「馬淵殿は拙僧に宗家が誰と結ばれるか口を挟む謂れはないと申されるそうですが、果たして本当にそうでしょうか?」

 

 

「何……」

 

 

「誤解されている様子ですが、とんでも無い。拙僧は娘と家名のことを思い、野暮を承知で宗家に申し上げているまで」

 

 

「娘……魅摩殿のことか?」

 

 

「左様です。千寿丸殿。形だけだったとはいえ、拙僧が新田の陣中にいた間、魅摩を()()()()()()と六角家の御郎党の方々の前ではっきりと宣言された以上、この判官は京極家当主として是が非でも宗家に責任を取って頂かねばと思い、こうして申し上げたる次第」

 

 

「責任、ですと?」

 

 

 呆気に取られた俺への配慮は一切無しに、道誉は口上を続けた。

 正論と詭弁が混じった道誉の弁舌に対して俺は為す術がない。

 宴が終わった時、道誉が顔をドス黒く染める一方で、俺はあたかも身内の葬儀にでも顔を出していたかのような心持ちであった。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 他でもない道誉が腰越近くの平野において言い放った「どうぞ御心の思うがままお振舞い下さい」という言葉を持ち出し、反駁すべきだったのか。いや、無駄だろう。だからと言って魅摩の名誉を傷付けて良いとは言っていない等と口にしたに違いない。

 大体、道誉が偽装投降する間の魅摩の処遇については元から示し合わせていたことなのに、重箱の隅を叩いて言い掛かりを付けてきたのだ。どうあっても、道誉に譲る気はなかったのだろう。

 宴の終了後、陣営内にある建物の一室で、濡れた布を手に持った執事に身体を拭かれている間、俺は後悔の念に苛まれていた。

 

 

「魅摩とは相当昔からの仲だが、かねてより道誉に企みがあったと考えるのが適当なのか。だから、道誉は不用心過ぎる俺に呆れて人を見る目がない等と溢したのかもしれないな。今考えると」

 

 

「私が知ったことでは無いと思いますが?主様」

 

 

「……それもそうだな。苦労。馬淵を呼んで来てくれ」

 

 

「はい。承知しました」

 

 

 一仕事終えた執事に用事を頼んだ俺は宴の席で道誉に訴えられた主張を思い起こした。最初に亜也子に言及したのは謂わゆるジャブというヤツだ。よもや亜也子を娶るつもりなのではと疑いを呈することにより、巡り巡って魅摩とのことはどうする気なのかという道誉にとっての本命の話に持ち込んだのである。

 何故最初から魅摩の話を切り出さなかったのかと言えば、恐らく一族の者たちの反発を引き出した上で、一気に盛り返した勢いを以てすれば、俺の判断力を鈍らせられるとでも考えたのだろう。俺に亜也子が偶然にも覆い被さるような格好となった場面を引き合いに出せば、その効果は倍増する上に自然さを出せる。

 いや、他にも何か理由がある筈だ。道誉のことだから、その考えにある意図は二重どころでは済まないのではないだろうか。

 

 

「殿……左衛門尉にございます」

 

 

「ああ、入れ」

 

 

 宴の間に新たに発生した軍務を片付けた義綱が入室する。

 暫くの間、主従の間には重苦しい雰囲気が漂った。

 

 

「義綱、お前が以前言った通りだったな。全て俺の落ち度だ」

 

 

「何を申されます。私がもっと精密に予測出来ていれば、かようなことにはなりませんでした。面目次第もございません」

 

 

「……こうなってしまった以上、致し方あるまい。それより将来、どうするのが適切だろうか。少なくとも側室以上という格で魅摩を迎え入れねば、道誉殿が何をしでかすか知れたものではない」

 

 

 正直、今でも道誉には呆れを隠せない。

 事もあろうに、道誉は箱根での俺の宣言のせいで魅摩を嫁がせられるところが他に無くなったと口走ったのである。

 元々、戦略的な価値を認められる程の神力使いの魅摩を嫁に出す気など毛頭なかっただろうに、何という言い草だろうか。

 魅摩を餌にすれば、目を眩ませた俺が話に飛び付いて来るとでも考えているのなら、馬鹿にするにも程があると言いたいところだ。

 

 

「その、確か殿は以前私に側室を持つ気はないと」

 

 

「……かくなる上は、道誉殿が逆立ちしても敵わない貴人の娘もしくは血縁を正室に迎え入れるしかあるまい。さもなくば、次代当主が道誉殿の孫だ。それでは六角家郎党(お前たち)は面白くないだろう?」

 

 

「……殿の御子であれば、道誉の孫だろうと迷いなく従いますが」

 

 

「なら魅摩が正室だ。側室はなし。良いな?」

 

 

「……は」

 

 

 家督争いを避けるにはこれしかない。魅摩を側室にすれば、余程の格の人物……それこそ尊氏の娘を正室に迎えない限り、道誉が孫を惣領家の当主に据えようとあれこれ画策するに違いない。

 やはり現状を踏まえて丸いのは魅摩を正室として、子が産まれれば対抗馬になり得る側室を最初から作らないという方針だろう。

 側室に子が生まれれば、必ず六角家の郎党たちは魅摩とその子を排除して、側室の子を後継にと動き出すに違いないからだ。

 最も恐れるべきは六角家家臣と道誉の対立構造が足利をはじめとする他の一族の目にも明白なまでに顕在化することだろう。

 

 

「道誉の狡猾さはやはり並ではありません。殿に無理を承知させるには、今後も行われる武家方と京方の衝突を見据え、一族内での揉め事を避けなければならない今が絶好の機会です。しかも、道誉は先の戦で新田軍を内側から破壊した功績を挙げたばかりで、尚更跳ね除けることが難しい状況でした。恐らく道誉は開戦前からこれを狙っていたのでしょう。余程の目的があるように思われます」

 

 

「……俺の舅の座が欲しいのだろうな。さすれば、俺が元服した後も婿に対する舅として強く出ることが出来る。そんなに偉くなりたいのなら、箱根の戦で新田方に勝利を齎せば良かったものを」

 

 

 箱根竹下合戦と呼ばれることになる戦で、道誉は足利と新田のどちらでも勝たせることが可能な立ち位置を確保していた。

 だが、結局道誉は足利の勝利を選んだ。足利が勝てば、これまでと同様に本家の六角を立てなければならないというのに。

 

 

「もうこの話は止そう。四、五年くらい経ったら、尊氏様が娘を俺に嫁がせようと言い出すかもしれんしな」

 

 

「鎌倉殿に御息女が?初耳です」

 

 

「……確かに聞いたことがないな」

 

 

 元弘の乱の折に関東から脱出しようとして失敗した結果、長崎と諏訪の手の者によって惨殺された竹若丸を除けば、尊氏の子どもは把握している限り、嫡男の千寿王がただ一人いるのみである。

 となると、二代将軍義詮の弟にして初代関東公方の基氏が産まれるのはまだこれから先のことなのだろう。

 

 

「いや、そうか。尊氏様に娘御がいたとしても、俺に嫁がせるより入内させようとするのが妥当だろうな。頼朝公と同じように」

 

 

「入内……ですか」

 

 

「ああ、持明院統の帝にな。いつになるかは分からんが」

 

 

 未だに持明院統と協力しようという向きはないようだが、遅かれ早かれ担ごうという話が持ち上がることになるだろう。

 恐らく道誉かもしくは別の誰かが言い出す筈である。

 

 

「本当に殿は提案なさらないのですな?」

 

 

「……言ったら直義殿辺りに危険人物扱いされそうだ」

 

 

「そういうことでしたか。やはり殿は先を見据えておられる」

 

 

 先と言えば、湊川の戦いはいつの事になるのだろうか。確か来年の春ではなく夏辺りだったように思うが、このまま行けば二月を迎える頃には完全に京を征服しそうな勢いである。

 

 

「……義綱。本音を言っても良いか?」

 

 

「お聞きしましょう」

 

 

「何やらトントン拍子に進み過ぎている気がする。最終的に足利が勝つのは間違いないだろうが、あまりに変化が早過ぎるのだ」

 

 

「殿。二年前、足利軍が鎌倉幕府に反旗を翻してから、北条高時が東勝寺で自害するまでに掛かった日数は覚えておられますか?」

 

 

「事前準備を除けば、確か二十四日だったか……そうだな。少しは気が楽になった。感謝するぞ、義綱」

 

 

 楠木正成が敗死するという湊川合戦の詳細を俺は全く知らない。

 しかし、きっと建武政権が京を失った後、西へ逃れて泥臭い戦の数々を行うことで抵抗を続けようとした楠木正成を足利軍が激戦の末に追い詰め、そして死に至らしめるのだろう。

 

 

 この時、俺はすっかり早合点していた。

 が、それを指摘できる者は今この場には誰も居ない。

 

 

「直義殿が兵糧を集め次第、直ぐに上洛を目指す事になる。道誉のことは一旦忘れ、新田軍と楠木軍の打破に集中しよう」

 

 

「は!」

 

 

 十二月十五日。態勢を立て直した足利軍は伊豆国府を後にする。

 今もまだ逃走を続ける新田義貞を追い、楠木正成をはじめとする三木一草との戦を見据え、京を目指して東海道を西へ進んだ。

*1
上杉憲顕の父親であり、尊氏直義兄弟の伯父。建武の乱で上野国の守護になる

*2
佐々木道誉の通称

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